文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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48.降る雨、吹く風 《2月11日》

 

 

冬の風雨は、重く冷たくて、体の芯まで冷やしていく。

あの熾烈を極めたバーサーカーとの戦いから、一日後の夜。

冬木は、聖杯戦争始まって以来の雨が降っていた。

最近はずっと雨が降る気配も無かったが、公園に来てから少し経った後。

ぽつりぽつりと降り出した雨は、すぐに容赦のないものへと変わっていった。

 

雨に混じって吹く風は、音を鳴らし公園の草木を揺らす。

立っているだけでも体力を奪われてしまい、自然の無慈悲さが染みていく。

最悪の環境だったが、おかげでこの冬木中央公園に人気はない。

訪れた直後に公園を一回りしたが、時間帯もあって人の姿は見当たらなかった。

こうして雨も降れば、俺たちを除いて誰もいなくなるだろう。

だけど、それでよかった。

聖杯戦争という、無意味な殺し合いに他の誰かを巻き込むわけにはいかない。

 

この冬木中央公園は、一週間ほど前にライダーと決着をつけた場所だ。

つまり、聖杯戦争でサーヴァントの決着が初めてついた場所でもある。

そして、聖杯戦争の終着もこの公園で迎えようとしていた。

10年前の大火災といい、この土地は何か因縁があるかもしれない。

 

だが、もうあんな悲劇は二度と起こさせない。

10年前に起きた大火災。あれは聖杯戦争による戦火によるものだ。

あんな惨状はあってはならない。何があっても阻止してみせる。

 

「……士郎さん、身体は大丈夫ですか? 寒くありません?」

 

射命丸文は、冬の風雨の中で、気にした様子を見せていない。

超高度をマッハ以上で飛ぶ烏天狗だ。寒さの耐性は強い。

本音を言うと凍えそうだったが、それでも耐えられないほどじゃない。

 

「ああ、大丈夫だ。……それより、俺は文の怪我のほうが心配だな」

「………………うあ」

 

文が急に顔を押さえたと思ったら、頬の辺りをもにょもにょと揉みだした。

 

「……文? どうかしたのか?」

「い、いまの私、そういう言葉を聞くと……か、顔が勝手にニヤけちゃうので……やめてください……」

「うん? ご、ごめん……」

 

どういうわけか、文はあれからずっと情緒不安定だった。

本人曰く、かつてない躁状態が続いているらしい。

 

「まさか、一日以上経っても治らないなんて……。どうしてしまったんでしょうか、私。…………怪我は問題ないです。心のほうが問題です……」

 

文はそう言ってるが、バーサーカー戦のダメージは重傷だった。

もがれた翼は機能を失っているし、胸の傷も完治まで至っていない。

ただその二つ以外を除けば、ほぼ快気していると言ってもいい。

現に一日と少しの休息で、戦闘行為にも支障がない。

……サーヴァントはマスターの魔力で治療を行うが、文の場合は純粋な再生力だ。

相性の悪い英雄でなければ、彼女に敵う存在はこの世界でもそういないはず。

そう思えるほど、彼女の強さはこれまでの戦いで実感した。

 

しかし、それが覆されるほど翼の状態が深刻だ。

飛行自体は翼の欠けた今でも可能らしいが、戦闘での活用は難しいらしい。

サーヴァント相手では、精々奇襲に使うのが関の山だという。

速度と精密性ともに落ちて、キャスターとの戦いで見せた動きは不可能だそうだ。

つまり空中に退避すれば、セイバーの宝具の的にしかならない。

バーサーカーを倒したスペルカードも、相当な無茶だったらしく当面の間は使えない。

 

「…………」

 

今は残った右の翼だけを背中から出しており、どうしても痛々しさを感じてしまう。

片翼の烏天狗。それが今の射命丸文だった。

 

「せっかく新しく買ってもらったのに、穴を開けてしまって申し訳ないですね」

 

翼に向ける俺の視線に気付いたのか、本当に申し訳なさそうに謝罪を告げる。

度重なる激戦の末、幻想郷から持参した着替えが尽きてしまった。

だから今日の昼下がりに、二人で買い物に出かけて、これまでと似たデザインの衣服を何着か購入した。

女物だけあって、それなりの出費になったが、彼女はとても喜んでくれた。

購入後に翼を出すための穴を作ったので、それを律儀に気にしているのだ。

だけど文は、左側には穴を開けなかった。少し考えて、右側だけにハサミを通していた。

 

「いや……文に不自由がなければそれでいい」

「そう言ってもらえると助かります。……やさしいやさしい士郎さん」

 

そのブラウスも今は雨で濡れて、身体のラインを浮き彫りにしていた。

少女の柔らかな肢体は艶やかで、とても魅力的だったが、それだけに目のやり場に困る。

俺も一人の男である以上、どうしても意識してしまう。

指摘しようにも雨が降っている以上、対処のしようもない。

仮に指摘して昨日みたいな状態になったら、俺にはどうしたらいいかもわからない。

だから、結局は黙っているしかなかった。

 

「……文?」

 

そうやって目を逸らした隙に、彼女の顔が別物になっていた。

 

「…………ふふ」

 

天狗少女の燦然と浮かぶ赤い瞳は、今や公園の一点だけを見つめている。

 

 

 

 

雨の勢いは弱まるどころか、激しさを増していった。

公園の芝生も雨水を吸って、足場は悪くなる一方だ。

文の一本下駄の靴を見ていると、どうしても不安を覚えてしまう。

セイバーとの戦闘中。

もし、ぬかるみに足を取られたら、もし、転んでしまったら。

そんな心配が、胸に浮かんでは消えていく。

当然それは錯覚であり、彼女からすれば余計な心配に過ぎない。

 

「士郎さん、今すぐ螺子を巻いてください」

「……螺子?」

 

遠い先を見ながら、少女はそんな言葉を漏らす。

その実態のない言葉に意味が見いだせない。螺子なんてどこにあるのか。

 

「闘争の螺子。キリキリと絞めて二度と戻せないところまで。下らない常識や道徳が悲鳴を上げて泣き叫ぶまで。限界の先の先まで締め上げてしまいなさい。――それこそ、いつだって誰だって殺せるように」

「なにを、言って……?」

 

人を殺す覚悟がなければ、この先は生き残れないと言いたいのだろうか?

……それは以前の文であれば、絶対に言わない言葉だった。

そもそも価値観の押し付けなんて、ただの一度だってなかった。

バーサーカーの戦いの時に『極端にならずに悩め』と言ってくれた。

それは物事の捉え方を変えるものではない。あくまで自分の中にある選択肢の話だ。

『自分は自分。他人は他人』が彼女本来のスタンスのはず。

 

「もはや私の理性は薄氷の上。バーサーカーとの戦いの後から、私はどこかおかしくなってしまった。今なら親しげに笑いながら誰だって殺せちゃう。……あ、でもでも士郎さんだけは別ですよ! 私たち、パートナーですから!!」

 

今の射命丸文は、妖怪としての顔と少女としての顔がごちゃ混ぜになってしまっている。

それに、おおよその感情のブレーキが効いていない。

これまで、どんなにおどけようと、どんなに恐怖を振りまこうと。

根っこの部分では、誰よりも冷静だった。

妖怪という存在でありながら、他の誰よりも理性的な生物だった。

それがバーサーカーとの戦いを経てから、精神が不安定――いいや、壊れてしまった。

だから俺なんかの言葉であんなに動揺するし、今だって殺意を隠そうともしない。

本来は漣のような感情がぐちゃぐちゃになって、今や誰よりも危うい存在になっている。

 

「フ、フフ……」

 

話している今も俺の顔を見ずに、視線は遙か向こう側。

そして、視線の先の存在に気付いた少女は、内側から湧き上がる感情のままに顔を歪ませた。

 

「…………」

 

俺の喉が、音を立てて鳴った。

彼女の顔に張り付いているのは人間を惑わせる、魔性の笑みだ。

近づくだけで、彼女に飲まれてしまう。それが今になって、はっきりと確信した。

俺は昨日からずっと、射命丸文という妖怪に酔わされていた。

 

 

赤い瞳の先の、二つの人影。

予定調和のように姿を現したのは、遠坂凛と、最後のサーヴァントであるセイバー。

最良のサーヴァントと謳われる剣の英霊。真名は、アーサー・ペンドラゴン。

古代ブリテンの王であり、円卓の騎士を率いた世界で最も高名な騎士たちの王。

 

あのアーサー王が女の子だった事実には驚かされた。

『風王結界』から解き放たれた剣は、間違いなくエクスカリバーだった。

その聖剣を持つのを許されたのは、伝説のアーサー王ただ一人だけ。

文もアーサー王を知っていたが、女性だった事実には特に驚いた様子はなかった。

彼女曰く『まあ……幻想郷でもよくありますね』だそうだ。

言葉の意味はよくわからなかったが、言葉の重みは本物だった。

 

彼女が何の思惑から、聖杯戦争に参戦したのかはわからない。

アーサー王の最期は、決して幸福なものではなかった。

もしかしたら、彼女の聖杯に懸ける願いも、それに関するものかも知れない。

勝つための絶対の意志が、翠色の瞳から感じられた。

最終決戦の相手としては、申し分なかった。

この雨の夜のなか、どんな形であっても二人の決着はつくはず。

 

二人は雨に濡れた公園の芝生を踏みしめ、一切の隙を見せずにこちらに歩み寄る。

俺たちから5メートルぐらいの距離で、彼女たちは足を止めた。

射命丸文もセイバーも、一瞬で間合いを詰めて攻撃を可能とする距離だった。

 

「…………遠坂」

 

そんな互いをいつでも殺せる距離で、遠坂たちと対峙する。

セイバーは、『風王結界(インビジブル・エア)』で封印されたエクスカリバーを下段に構えていた。

俺たちと、いつでも切り結べるという意思表示。

不可視の剣は雨に濡れて、薄っすらと輪郭が浮かんでいる。

刀身を隠して、間合いを読めないようにするのは、ただの副産物でしかない。

風王結界は、アーサー王の象徴であるエクスカリバーを敵から隠すための鞘だ。

鞘から解き放たれて、バーサーカーを7度殺した『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。

それこそ、俺たちが最も警戒しなければならない脅威だった。

彼女の宝具がなければ、文はバーサーカーを殺しきれなかったかもしれない。

その伝説の剣は、今や俺たちに向けられている。

驚異的な再生力を誇る文でも、彼女の宝具をまともに受ければ死んでしまうだろう。

 

「ふう。寒いわね……」

 

雨が強まるなか、互いの牽制を溶かすように遠坂が息を漏らした。

 

「……今朝、家の窓を突き破ってこんなものが投げ込まれたわ。言うまでもなくあんたの仕業よね?」

「…………?」

 

遠坂の手には、紙くずが握られていた。

彼女の視線の向きからして、文に言っているようだった。

横目で彼女を見るとニヤニヤと笑うだけ。とてもじゃないが真意は読めそうもない。

 

「衛宮君。はいどうぞ」

 

遠坂は俺が理解していないのを察したのか、紙くずをこちらに投げてきた。

それは、B5サイズのノートをくしゃくしゃに丸めたもの。

というよりも、俺が使っているノートだった。

こんな丸めただけの紙くずで窓を突き破るなんて、どんな強肩をしているのか。

バッターとして化物なのは知っていたが、これならピッチャーとしても食べるのには困らない。

 

「はあ……広げてみなさい」

 

遠坂に言われたとおり、紙を広げてみると可愛らしい筆跡が書かれてあった。

『今夜十二時、冬木中央公園でお待ちしております。――バーサーカーを倒した私より』と。

 

「……なんだこれ? 文がやったのか?」

 

このやけに可愛い字は、何度か見た覚えがある。間違いなく文のものだ。

どうやら俺に隠れて、こんなものを遠坂の家に投げつけたらしい。

 

「はい。私が遠坂さんの家まで届けました。……丸めた紙で窓ガラスをぶち抜くには手首のスナップが重要ですね! こう新聞を投げる要領で!」

 

右手首を2、3回鋭く振ってみせた。そもそも新聞だって投げるものじゃない。

 

「だけど、なんだってこんなことを……」

 

別に文を責めているわけではないが、疑問だけは残る。

単身で罠が張り巡らされた遠坂の家に近づくのは、どう考えても危険だった。

セイバーと鉢合わせする可能性だって、十分にあっただろう。

 

「だって、セイバーが来る保証がないまま待ってるなんて馬鹿らしいですし」

「…………そうだな」

 

もっともと言えば、もっともな話だった。

この冷たい雨が降りしきるなかで、誰も来なかったら本当に馬鹿みたいだった。

そうだとしても、単身で敵陣に乗り込むのはどういうつもりなのか。

やはり、今の文は浮足立って、かつての聡明さを失っている気がした。

 

「あんたたち……本当に今更だけど、聖杯戦争がどういうものかわかってるの? こんな果たし状まがい、相手を舐めているとしか思えないわ。つくづく思うけど、そんなんでよくここまで勝ち抜いてこれたわね」

「あれー? 私はライダーとバーサーカーの二体を倒しましたけど? あれれー? そちらのセイバーは何体でしたっけ?」

 

天狗の少女は、どんなハイな状態であっても、相手を煽る精神を忘れないでいた。

それでこそ射命丸文という感じがして、少し安堵してしまう。……俺も相当毒されているな。

 

「いくらでも言いなさい。……最後まで勝ち残れなきゃ、どれだけサーヴァントを倒しても同じよ」

「正解は、ランサーの一体だけですね。ぷぷぷー」

 

この烏天狗、もう駄目だ。

普段はもう少しウィットがある返し方をするのに、その切れ味も失われている。

 

「……遠坂も文の誘いに乗ってくれてありがとうな」

「ふん……」

 

俺たちが公園で待ち構えているのを知っていたなら、わざわざ姿を現す必要もない。

公園の中心にいる俺たちに宝具を放てば、それだけで全てが済んだ。

セイバーの宝具は、見てから躱せるようなものじゃない。片翼を失った文でも難しいだろう。

 

「でも、どうして果たし状なの? 悪いけど、あんたのこれまでの行動を見たら、正々堂々と勝負をするタイプにはとても思えない」

 

それは昨日、『照れくさい』と言われて、はぐらかされた件にも繋がっている。

俺の考えが正しければ、アサシンの前で切った啖呵が根源にあるはずだ。

 

「やれやれですね。それは心外というやつですよ」

「なに? 私を馬鹿にしているつもりかしら?」

「だってそうでしょう? 相手の目を見て叩き潰さなきゃ面白くないと思いません?」

 

いや、違う。

当然それもあるだろうが、文の真意はそれだけじゃない。別の思惑があるのは確かだ。

それだけだったら、あんなはぐらかし方はしない。

 

「ふん。癪だけど、それだけは同意してあげる。……あんた、今回の聖杯戦争で一番の食わせ者ね。よくそれで、愚直で真面目バカの衛宮君のサーヴァントなんて務まったものだわ」

「いえいえ。そんなことはありませんよ。清く正くをモットーに日々活動していますので。士郎さんとは相性抜群、相思相愛のベストパートナーというやつでしょうかね。えへへへへ」

 

誰の目から見てもわかるような、露骨にへつらう顔を浮かべた。

全ての表情を見せないようにするためか、口元だけは葉団扇で隠している。

だから、正面から対峙する遠坂からだとわからない。

 

「文、おまえ……?」

 

隣にいる俺には、彼女の口角が限界を超えて吊り上がっているのが見えてしまった。

それだけで、身体に雨の冷たさとは別の悪寒が走った。

今や薄氷の理性に立っている文は、この瞬間にだって遠坂を殺せる。

 

「化物め――貴様如きがマスターに一端の口を利くな」

 

これまで無言を貫いていたセイバーが初めて言葉を放った。

文の媚びへつらうような態度に、マスターへの侮辱を感じ取ったのだろう。

怒りを露わにして、射命丸文の本質を見抜く鋭利な視線で睨み付ける。

 

「……………………えへ」

 

文はセイバーの視線を受け流さず、見定めるように受け入れた。

眼を細め、口を閉じ、顔から感情と呼べるものが、少しずつ失われていく。

その文の変化に伴い、公園全体の気温も下がっていく感じがした。

 

「ああ……もういいか。私も限界だわ」

 

死体が喋っているような抑揚のない声。

それは、彼女の足元の氷が砕けた瞬間だった。

 

「今日で聖杯戦争もおしまい。当然、幕は私たちが引かせてもらう。あんたには一切の油断も容赦もしない。全力で倒してみせる。……セイバー、遠慮はいらない。宝具も一度だけなら使ってもいいわ」

「はい。この剣に誓って、必ずやマスターを勝利へと導いてみせる。凛、あなたは他の誰よりも優れたマスターだった。あなたにこそ、聖杯は相応しい」

 

セイバーは剣を掲げて、遠坂に騎士として誓いを立てる。

そのまま中段に構えると、睨視とともに剣の切っ先を天狗の少女に向けた。

剣の少女から、万人にも及ぶプレッシャーが放たれる。

それを受けた文は、いつものように笑いもせず、赤い瞳だけを更に細めていく。

どんなプレッシャーを受けても素知らぬ顔で受け流した少女が、恍惚感に身震いした。

 

「士郎さんは、絶対に手を出さないでくださいね。私が殺しても、私が殺されても。……そうじゃないと私が殺しちゃうかも!」

 

彼女の言葉は、もはや一貫性すらもなくなっていた。

少し前に『士郎さんは別』と言っていたが、今やそれすらも取り繕えてない。

 

「……文」

 

別に自分の命の心配をしているわけじゃない。

射命丸文という存在が、これ以上破綻してしまわないか。それだけが心配だった。

 

 

一陣の風が吹く。

その突風に触発されるようにセイバーが、魔力を爆発させる。

歩いても数歩程度の距離。一足で間合いを縮めて、文に斬り掛かれる。

文は葉団扇を正面に突き出して、セイバーを迎え撃とうとした。

それは文字通り、彼女の得意とする風の弾幕で迎え『撃つ』――。

 

天狗の葉団扇が篠突く雨も切り裂き、聖杯戦争の幕引きとなる弾幕を放った。

 

 

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