文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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50.トンネル

 

 

一進一退だった戦局は、大きく変わる。

文によってセイバーの手から、エクスカリバーが奪われた。

聖剣は夜雨を舞って、公園の遥か後方に突き刺さる。

 

それを可能とした『猿田彦の先導』というスペルカード。

風の力を纏って突進という――単純ではあったが、それだけに強力な技。

セイバーの手から剣を弾き飛ばし、彼女の身体も貫いた。

 

宝具を失う。

剣の英霊であるセイバーが、己の武器を失うなんてあってはならない。

武器のない状態では、万に一つもセイバーに勝機はなかった。

文は素手でどうにかなる相手ではない。

それは、これまで彼女の戦いを見てきた俺が知っている。

 

「うう……ッ」

 

宝具を手放してしまったこともあるが、受けたダメージも深刻だった。

遠目で見てもはっきりとわかる疲弊と損傷。

大の字になって倒れる彼女の目には、天を覆う雨雲が映っているはず。

しかし、彼女にそれを見るような余裕はない。

苦痛に顔を歪ませ、酸素を取り込もうと、必死に呼吸を繰り返していた。

 

それでも、まだ良いほうだったかもしれない。

もし激情のままに文と衝突していたら、セイバーは絶命していた可能性もあった。

直前で聖剣を盾にして、そんな最悪を回避した。

それが、あの瞬間で可能だった最善の行動。

それでも、現在セイバーが不利なのは覆しようもない事実。

宝具を奪われて、大きなダメージも受けた。文はまだ無傷のままだ。

 

「――ふう」

 

文は、セイバーから少し離れた地点に着地した。

雨に濡れる髪をかき上げ、仰向けに倒れたセイバーを赤の双眸で見下ろす。

セイバーは忌々しそうに文を睨んだが、上体を起こすのがやっと。

 

「私の十八番を受けて、まだ睨む元気があるのね。セイバーを過小評価してたかも。……でも起き上がれないのなら、このチャンス、余さず使わせてもらう」

 

そう言うや否や、一瞬のうちにセイバーの目の前に移動した。

 

「さて――これで死ねなきゃ! 痛いだけかな!」

 

そのまま、セイバーの頭部を蹴るために脚を大きく振り上げる。

本来であれば、こんな単純な蹴りがサーヴァント相手に命中するはずがない。

しかし身を守る武器もなく、呼吸も整っていないセイバーには脅威そのもの。

 

「…………!!」

 

そして腕でガードするよりも先に、少女の頭を思い切り蹴り上げた。

頭から全身に伝わる衝撃によって、セイバーの身体は再び投げ出された。

人の頭部をボールに見立てた、サッカーボールキック。

文の脚力であれば、頭と体が泣き別れる威力がある。

 

「がは――!」

 

冬の雨で濡れた地面に、少女の身体が水の石切りのように転がっていく。

有利な状況にあっても、何の容赦もない攻撃だった。

 

「あはははは。簡単に死ねない体って、たまーに恨めしくなるわよね。わかるわかるー」

 

文はセイバーの動向を見逃さないよう、少しずつ距離を詰めていく。

剣の少女の爆発力は侮れない。少しの油断が命取りになる。

文にとって最悪のパターンは、セイバーが再び聖剣を手にすること。

そのため、聖剣から最も離れた方角に彼女を蹴り飛ばした。

 

「ねえ、ねえねえねえねえ! 聞こえてないのかな! ねえってば!!」

 

理性が崩壊していても、抜け目だけはない。

今もセイバーのマスターである遠坂が、聖剣を拾わないように警戒している。

この見晴らしのいい公園では、文なら対象がどこにいても即攻撃が可能だ。

遠坂がエクスカリバーを拾おうとした瞬間、その命を奪うだろう。

つまり、エクスカリバーを奪還されない限り、文の勝利は確実なものだった。

 

今の射命丸文は、それだけ行動に遊びがない。

かつて飄々としていた彼女は、病床から目覚めた瞬間にいなくなってしまった。

えげつない手段と攻撃を以て、セイバーを攻め立てる。

 

「……ッ! セイバー!」

 

遠坂が傍観をやめて、文の後ろに回り込むように走り出した。

文もまた遠坂の動向に気付いたが、セイバーからは目を離さない。

彼女からすれば、遠坂は取るに足らない存在だ。

聖剣だけ拾わないように注意すればいいはず。

 

「遠坂……? 何を!?」

 

何を思ったのか、文に少しずつ近づいていく。

それでも文は、遠坂を一顧だにしない。

起き上がれないでいるセイバーだけを見ている。

その気になれば、この瞬間にだって殺せるだろう。

あの時、文は遠坂に警告もした。次はないと。

でも彼女を殺さない。

……遠坂を殺せば、俺との軋轢は決定的になるだろう。

だが今の射命丸文に、その程度が問題になるはずがない。

じゃあ、なぜか――。

 

「…………まさか、たったそれだけか?」

 

あっという間に思いついて、ぞっとした。

今も殺さないでいる理由は、俺なんかの義理立てではない。

 

セイバーの現界のため、遠坂凛の存在が必要だからだ。

 

「ッ! ふざけんじゃないわよ!!」

 

相手にされない態度に侮辱を感じたのか、文の背中に怒声を浴びせた。

それでも彼女は振り返ろうともしない。気にも掛けない。

 

「この――!!」

 

その直後、遠坂が文に向けて何かを投げつけた。

女性のものとは思えない投擲力。

重たい雨に打たれても速度を落とさずに、天狗の少女を狙う。

彼女の得意とする宝石魔術なら、文にだってダメージを与えられる。

遠坂の宝石は、バーサーカーを一度殺してみせたのだ。

もし同じ宝石が残されていたら、文だって致命傷は免れない。

 

「………………」

 

だが、俺の知る限り――。

射命丸文が遠距離攻撃を受けたことは、ただの一度だってない。

鮮明に思い出すのは、キャスター戦。

キャスターの大魔術を回避した彼女の動きは、聖杯戦争一番のデタラメだった。

 

文は、背後から迫る脅威に何の行動も起こさない。

それもガンドの時と同じ結果に終わるだろう。

遠坂には悪いが、俺には宝石魔術が命中する姿がどうしても想像できなかった。

 

「宝石魔術……?」

 

闇に紛れてよく見えなったが、遠坂の投げたのは宝石じゃないような気がした。

いや、そもそも宝石魔術であるなら、闇の中であっても強く光ったはず。

 

「…………はあ」

 

結局、遠坂に背を向けたまま、文は完璧なタイミングで投擲物を回避した。

避けられて勢いを失った物体は、音を立て芝生に落ちる。

呆れたような溜息をつくと、ようやく天狗の少女が遠坂に振り向いた。

『溜息をつく』なんて感情がまだ残っていたことに、俺は少しだけ安心してしまう。

 

「あなたは『待て』すらできないお子様なの? そんなのはもう犬畜生以下だわ。……これ以上悪さができないよう、今から達磨大師にしてあげる」

 

無表情の赤い瞳から滲み出る、人外の殺意。

ただの人間なら、それだけで恐怖に飲まれてしまうもの。

しかし遠坂凛は、視線を逸らそうとしない。

浮かべる表情は、怯えでも恐怖でもない。

それは、遠坂によく似合う意地の悪い笑み。かつては文がしていた顔だった。

そんな場違いな表情に、流石に文も眉を少し顰めた。

 

「はて、どこかで見た顔です。…………それで、何がおかしいの?」

「前から思ってたんだけど。あんた、躱すことにポリシーでもあるの? ……まあ、今となってはそんなのどうでもいいんだけどね。……私を侮ってくれて、ありがとう。私の攻撃を避けてくれて、本当にありがとう」

「……頭おかしいのかな。血の気も多いみたいだし、少し抜いておきますか」

 

葉団扇を遠坂に向ける。

今の彼女なら、間違いなく遠坂に取り返しのつかない攻撃をする。

でも今は、それよりも──!

 

「文!! 後ろだ!!」

「士郎さん……?」

 

一瞬だった。

倒れていたはずのセイバーが地面を蹴って、遠坂が投擲したものを拾い上げる。

 

「――凛! やはりあなたは最高のマスターだ!」

 

文がセイバーに視線を戻した時にはもう、目の前まで肉薄していた。

――手に握った何かを構えて。

 

「えっ!?」

 

射命丸文の顔が、初めて表情を浮かべた。

驚嘆していた。

あれだけのダメージを受けて、ここまで動けるセイバーの体力に。

そして、彼女の手に握られた一本の黒い短剣に。

これまでのダメージがブラフと感じるほどの身のこなしで、セイバーが短剣を突き出す。

 

「ウソ──なんで!?」

 

文は後方へ跳ねて短剣を躱そうとしたが、セイバーの踏み込みが一歩分だけ速かった。

刺さる直前に身体を捻って回避しようとするが、それも間に合わない。

 

黒の刀身が買ったばかりのブラウスを貫いて、少女の柔膚まで届いた。

臍から右の位置、小腸の密集した辺り。そこにセイバーの短剣が刺さった。

 

「~~~~ッッ」

 

灼けつくような痛みに対して、声にならない悲鳴を上げる。

これまでの戦況をひっくり返すような起死回生の一撃。

だが、まだ止まらない。

確実な致命傷を与えるため、短剣を更に押し込もうとする。

 

「……こ、このッ!」

 

文は扇から風を放つも、これまで同じように無効化されてしまった。

セイバーにこの程度の風が効かないのは、文も理解しているはず。

それでも今の状況では、他にできる手がなかった。

結局、攻撃はすべて徒労に終わり、少女の表情が苦悶に呑まれる。

セイバーは勢いを加速させて、短剣を握る手に渾身の力を込めた。

 

「ここまでだ!! アーチャー!!」

 

セイバーの大喝とともに──短剣が射命丸文の腹を貫いた。

 

 

 

 

短剣が文の腹を穿ち、今は背中から黒い刀身を覗かせている。

刀身は血と雨を吸って、妖しく光っていた。

セイバーの短剣を握る手は、柄の部分しか残されてない。

つまり、短剣は根本まで刺さっていた。

刀身の部分は全て彼女の体内に収まり、残りは背中から露出している。

 

「…………」

 

傷を中心に、白いブラウスを赤く染めていく。

まるで切り取った一枚の絵画のような光景だった。

雨と風、そして少女から流れる鮮血だけが時間の刻みを教えてくれる。

 

セイバーが短剣を引き抜く。

その行動に一切の慈悲などなく、無造作に引き抜かれて傷口を更に広げた。

 

「ゴホ……!」

 

文が力なく咳き込む。

口に溜まった血を飲み込もうとしたが、許容量を超えて大部分を吐き出してしまう。

鮮血がセイバーの顔を濡らすも、雨によってすぐに流された。

 

「ゴホ、ゴホ……ッ」

 

よろよろと後ずさり、転びそうになったが直前で踏みとどまった。

前屈みになって傷口を押さえたが、それだけでは止血にはならない。

背中にまで続く大穴。

仮に腹の傷を塞げても、背中からの血が止まらない。

こうして、立てているのも不思議だった。

 

「それは、アゾット剣と呼ばれる儀式用の短剣よ。もちろん刀剣としての実用性もあるわ。そして、セイバーは剣の英霊。自分の宝具だけじゃなくて、剣だったら何でも扱えて当然だと思わない? あんたは投げ出されたエクスカリバーばかりを気にして、私の所持品には気にも掛けなかったわね。……私を侮ってくれて、とても助かったわ。感謝してもしきれないわね」

 

これまでの鬱憤を吐き出すように、遠坂は言葉を並べる。

文の視線はセイバーから遠坂に向いたが、虚ろな目に彼女が映っているか怪しかった。

 

「クソ……」

 

文は遠坂の言うとおり、投擲されたアゾット剣を防げばよかった。

しかし彼女は、躱してしまった。

ほんの少しでも興味を示し、一目でもアゾット剣を見ていれば結果は逆になっていたはず。

 

どんな人間でも見下している文は、遠坂凛という少女を甘く見ていた。

今に至るまで、セイバーを現界させる程度の道具にしか彼女を見ていなかった。

しかし、遠坂はそれすらも計算に入れて行動に移した。

それはプライドの高い彼女にとって、筆舌に尽くしがたい苦痛だったはず。

 

「…………」

 

セイバーはとどめを刺そうと、短剣を振り上げる。

文は、もはや意識もはっきりとしていなかった。

ぼんやりと剣先を見つめるだけで、身動きを取らない。

 

「アーチャー、これで終わりだ――」

 

セイバーは、聖杯戦争の終決と射命丸文の最期を告げた。

……そのセイバーの言葉に、俺の思考が曖昧にぼやけていく。

 

「……ふざけるな」

 

このままだと確実に文は殺されてしまう。それは絶対に許せない。

だったら、衛宮士郎──。

お前の為すべきことはなんだ? こうして何もしないで突っ立っていることか?

 

「違うだろ!!」

 

文がこれまでしてくれた忠告は、全て頭から抜け落ちていた。

考えるよりも先に、身体が動き出す。

射命丸文の元へと走り出した。

悩んでいる暇はなかった。思考をする余裕もなかった。

俺は走る。文の元に。彼女を生かすために。

セイバーが文の命を奪うまで、数秒の猶予もない。

ぬかるみに足を取られそうになるが、今は転んでいる暇だってない。

 

「やめてくれ!!」

 

文を庇うようにして、セイバーの前に立つ。

無手だったが、セイバーの前ではどんな武器を持っても無意味だ。

間違いなく、俺はここでセイバーに殺される。

彼女からすれば、俺は敵マスターでしかない。殺して当然の存在だ。

 

「やめてくれ……」

 

でも俺が殺されるなら、それでもいい。

俺という楔を失った文は、その時点で幻想郷に帰還できるはず。

だったらそれでいい。それが最善だ。

理想を果たせない悔いは残るが、それと同じぐらい文を失うのも耐えられない。

どちらが大事なんて、俺は考えたくない。

衛宮士郎にとって、どっちも大事だ。だから今は目先の彼女を優先する。

 

「…………」

 

セイバーは短剣を構えていたが、なぜか俺を殺そうとしなかった。

俺の目を見て、無言のままでいる。

しかし、こちらに向けるプレッシャーは尋常ではない。

こうして対峙しているだけでも、まったく生きた心地がしない。

文やバーサーカーとは違う性質の、剣の鋭い切っ先に貫かれたような寒気がした。

 

ここで逃げ出すわけにはいかない。

文はこれまで、何度も俺の窮地を救ってくれた。

正直に告白すると……それは嬉しいと思える以上に悔しさもあった。

それでも文が俺を何度も守ってくれたのなら、俺も何度だって文を守ってみせる。

どうなろうと、絶対に彼女を守ってみせる。

何ができるかなんて既に関係ない。もう何もしないでいる自分に耐えられなかった。

 

「ふ――!」

 

風を切る音――。

コマ落ちしたと思えるスピードで、短剣を鼻先に突き付けられていた。

俺の目には、何も見えなかった。

衛宮士郎とは、比較するのも烏滸がましい力量差だった。

それでも、セイバーから目を逸らすわけにはいかない。

 

「やめてくれ、セイバー。文はこれ以上戦えない」

「……そこをどけ、エミヤシロウ。貴様を殺すことはマスターの意に反する」

 

その言葉に遠坂が、ぎょっとしたように驚く。

 

「ちょ、ちょっとセイバー! それは言わないでって、約束したじゃない!?」

「すみません、凛。ですが、そうでも言わなければ、この男は決して動かないでしょう」

「……たく」

 

遠坂は、そっぽを向いた。

……こんな俺を気に掛けてくれるなんて、本当に遠坂はいいやつだ。だけど――。

 

「ありがとう――遠坂。だけどここで文に死なれたら、俺は死ぬまで後悔する。だからいま死ぬとしても、ここを動くつもりはない」

「エミヤシロウ、貴様はマスターの恩情がわからないとでも言うのか?」

 

セイバーは、苛立ちを隠そうともしなかった。

俺の発言は、彼女からしたらマスターを侮辱されるのと同じ。

 

「これは俺の我儘だ。だから何があってもここをどかない。それに文も絶対に死なせない」

 

何か特別な策があるわけでもない。

それどころか、自分がここで殺されるのが最善だと思っている。

結局、それを含めてどうしようもない自己満足なんだと思う。

 

「……そう、どうしてもそこから動くつもりはないようね。でも、衛宮君程度なら殺さなくてもどうとでもなるわ。私のガンドだけで十分。せめてもの情けよ。このまま聖杯戦争のことも忘れさせてあげる」

「…………遠坂」

 

文と違って、俺では彼女のガンドの一発で確実に昏倒する。

この距離じゃ躱せないし、身を守る術も持っていない。

もしここで舌を噛んだとしても、人間はそんなすぐには死ねない。

だから、何をやっても間に合わない。

 

遠坂が俺を指差し、魔力を込めた。

 

「じゃあね、衛宮君。言うつもりはなかったけど、あんたのことそんなに嫌いじゃなかったわよ」

 

黒い弾丸が放たれた。

背後から息づかいが聞こえる。はっきりと彼女の存在を感じる。

遠坂は俺を気絶させたら、魔術で記憶の操作をするのだろう。

聖杯戦争に関する記憶――。

それは文との思い出だ。その全てを消されてしまう。

 

それがどれだけ残酷な行為なのか、遠坂はわかっているのだろうか。

 

 

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