文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
放たれた遠坂のガンド。
俺の頭を穿ち、意識を喪失させるのは一瞬。
何もかも、手詰まりだった。
こうして文を庇ったのも、結局はただの自己満足。
ほんの少しの間、彼女の命を長らえさせただけ。
でもひょっとしたら……文の命まで奪わないのではないか?
一瞬よぎる、甘えた思考。
彼女たちの聖杯戦争に懸けた意志は、紛れもなく本物だった。
口には出さないが、セイバーの聖杯への渇望もわかった。
聖杯戦争は、サーヴァントが残り一体になるまで終わらない。
聖杯を手に入れるため、射命丸文を倒す――いや、殺す必要があった。
そこに、遠坂もセイバーも躊躇いはない。
俺たちもこれまで二体のサーヴァントの命を奪った。
殺すということは、殺されるということ。
それは正義の味方を目指した時から、ずっと理解していたはず。
『もしかしたら自分だけは』なんて考えは許されない。
つまり、俺が気絶している間に文は死ぬ。
遠坂が記憶操作をしても、彼女を死なせた感情は生涯刻まれる。
その瞬間に正義の味方として衛宮士郎は、完全に折れてしまうだろう。
激しい悔恨と罪悪感。それと恐怖。
――文を死なせてしまった。その恐怖だけで、俺は俺だって殺せる。
ああ、本当に最後まで不甲斐ないマスターだった。
……ごめんな、文。
魔力の弾丸が、衛宮士郎を貫く――。
だけど俺は、絶対に目を逸らさない。
これは正真正銘、自分の弱さが招いた結果だ。
だが。
俺の意識を奪う直前、ガンドは消滅した。
魔力が四散し、夜雨に溶ける。
その結果に、セイバーも目を大きく見張らせた。
「なにが、起きて……?」
ガンドを放った張本人も事態の把握をしていない。
そこに、遠坂の意思もなかった。
見えない壁に遮られて、ガンドが消滅――。
今も俺の目の前で、雨水が不自然に弾かれている。
「これ、は……」
これは、風の力による障壁だった。
同じものを、キャスターとの戦いでも使っていた。
その時だって、俺を守るために。
凝縮した風の力で、遠坂の魔弾を消してみせた。
「アーチャー!!」
セイバーが、文のクラス名を叫んだ。
翠色の視線は俺を貫いて、背後にいる少女に向けられる。
「ふう――もう十分ですよ、士郎さん」
二度と聞けないと思った彼女の声。
その直後、体が浮き上がるような浮遊感――。
一つの疾風が、俺を挟んだまま剣の少女を狙った。
しかしこの程度の風では、セイバーの耐魔力に無力化されるだけ。
セイバーもまた、それを理解しているのか避けるつもりはない。
「うーん、慢心」
背後にいる文が、俺にだけ聞こえるように呟く。
疾風は軌道を変えて、セイバーの持つ短剣を粉々に砕いた。
「な……!」
彼女の狙いはセイバーではなく、セイバーのアゾット剣。
砕け散った刀身はバラバラになり、残っているのは柄の部分だけ。
これではもう、武器として使えない。
「……貴様!」
「受けるじゃなくて、避ければよかったわね、セイバー。ふふ、奇しくも私と逆の状況です」
文らしい軽口だった。
それだけで、俺は胸が無性に熱くなってしまう。
後ろを振り向くと、意地の悪そうな笑みを浮かべた少女。
そんな顔に思わず感極まりそうになったが、今はそれどころじゃない。
「……文! セイバーにやられた傷は大丈夫なのか!?」
「えっと、す、すごく恥ずかしいけど。…………ほら、この通りなんともありません、よ?」
本当に恥ずかしそうにブラウスをめくって、傷のあった箇所を雨水で洗う。
彼女の言うとおり、そこには小さな臍があるだけで、貫かれた傷はどこにもなかった。
「あ、あにょ! そにょ! し……士郎さんだから見せたんですよ! 私のおへそは他の誰にだってトップシークレットです!」
烏は卵生なのに、臍の存在は許されるのだろうか?
そうではなく、俺は別に文の臍が見たいわけじゃない。
……あの傷は本当に治ったのか?
驚異的な再生力を誇る彼女でも、背中まで届く刺し傷がこんな簡単に治るなんて。
……信じられない。信じられないが、現に腹の傷は跡形もなく消えている。
それに、ずっとおかしかった文の様子も戻っていた。
いや、まだ少しおかしい気もするけど、さっきと比べたら普通の範囲だ。
「ウソ……? バーサーカーじゃあるまいし、どんだけふざけた再生力なの……?」
遠坂も文のトップシークレットを見たらしく、俺と同じように驚いている。
「むっ、失礼な。このキュートな私を、あんな筋肉と同じカテゴリにしないでください。……それとも、達磨にすると言ったお返しかしら、凛」
いつの間にか、遠坂の呼び方も変わっていた。
「……やってくれたな、アーチャー。貴様のような化物には、あの程度では致命傷にもならないか」
「いえいえ。いくら私でもお腹にトンネルが開通したら――まあ、それなりに痛いです」
セイバーに貫かれた部分をさすりながら、「ふふん」と得意げに鼻を鳴らす。
「英雄様の攻撃ですからね。動き回れるようになるには、少し時間が掛かるかも。大した神秘が内包されていない短剣で助かりました。もしこれがアーサー王を象徴するエクスカリバーなら、その瞬間に絶命してましたね」
「……ほう、それはいいことを聞かせてもらった。次は私の剣で腹とは言わずに、貴様の首を斬り落としてやろう」
「あやや、今のは軽率な発言でしたね。失敗失敗。……これで絶対に拾わせるわけにはいかなくなったわ」
エクスカリバーは、今も王の帰還を待つように雨に打たれていた。
セイバーでも文を無視して、拾いに行ける距離ではない。
遠坂に至ってはもってのほかだ。
エクスカリバーに近づいた瞬間、風によって刻まれてしまう。
「士郎さん、ありがとうございます。今回は本当に助かりました。セイバーにやられたおかげで浮かれていた頭も多少は冷えました。ですが、こんな無茶な真似はもう止めてください。……私、あなたに何かあったら泣いちゃいますよ?」
「いや、俺も手を出さないって約束を破ってすまない」
「あの時の私は、理性が完全に崩壊したワルワル射命丸でしたからノーカンです。今の私なら嬉しい感情の方が強いです。てへ」
「てへ?」
それに『ワルワル射命丸』ってなんだろう。
「うっわ……。今の私、無意識のうちにすごい言葉が出てしまいました。数日前の私が見たら恥辱に耐えかねて首吊ってますね」
「でもすごく可愛かったぞ。もう一度言ってほしい」
前にも同じ言葉を言っていたけど、あの時は俺を馬鹿にするためだったからな。
それが自然に出たものなら、彼女の幼い外見もあってとても可愛らしい。
「~~~~~!! だからそういうの駄目ですって!! 恥ずかちい!」
顔を赤くして悶えてはいるが、それでもセイバーと遠坂に対しての警戒は解いていない。
かつての文とはまるで違うが、狡猾さだけ健在のようだ。
「凛、あの二人は少しおかしいのですか?」
「少し? ……あれは相当おかしいわよ。バカップルってやつ」
「バカップル……ですか?」
遠坂たちも文に警戒しつつ、雑談をしていた。
聖杯戦争の決着がつく戦いはずなのに。なんだろうか、この弛緩した空気は。
それでも、文とセイバーの間にいる俺が移動したら――二人は再び戦うだろう。
そんな確信めいた予感があった。
文は、たった今セイバーに殺されかけたばかりだ。
誰になんと言われようとも、彼女がこれ以上傷つく姿は見たくない。
「……どうしても、決着をつけないといけないのか?」
決戦の最中、この発言はどうかしているかもしれない。
だけど俺は、間違っていると思わない。
もしかしたら誰も死なずに、聖杯戦争を終わらせる方法だってあるのかもしれない。
少し前……ライダーの宝具に巻き込まれて、学園の仲間が死んでしまった。
聖杯戦争とは何の関係のない一般の生徒だった。
理不尽によって、18人もの命が奪われた。
……ああ、そうだとも。聖杯戦争なんて絶対に間違っている。
だからどうしても、ここで言っておきたかった。
「いい加減、空気を読みなさい。衛宮君」
「…………」
遠坂からすれば、これほど場を読めてない発言はない。
それに俺以外のここにいる全員が、聖杯戦争の決着を望んでいた。
物事が多数決で決まるのなら、一人だけ異を唱える俺だけが間違っていた。
「はい、どうしても決着をつけます。士郎さんは何もせずに、見ててくれるだけで結構です。いえ、私があなたに見てほしいです。……一応言っておきますけど、士郎さんが足手纏いだとかそんな理由ではありません。これはどうしても、私一人でやらなければならないのです」
「……理由を教えてもらってもいいか?」
俺には、彼女がここまで聖杯戦争に入れ込む理由がわからなかった。
まだ知り合ってから、10日程度しか経ってない。それでも、わかることだってある。
この少女は、自分から揉め事に首を突っ込むような性格ではない。
『自分は常に傍観者であり、第三者である』と聖杯戦争の当初から言っていた。
これが射命丸文の本来の在り方のはず。
そんな彼女が聖杯戦争の最終戦まで勝ち残り、今や望んでセイバーと戦っている。
「……士郎さん。いつだか私が柳洞寺の山門で言ったことは覚えていますか? この世界に生きた妖怪の証を立てる。そのために全てのサーヴァントを倒すと、私はそうあなたに言いました」
「ああ、もちろんだ」
啖呵を切るように、俺に向かって宣言した。
今になって思えば、それは俺だけではなく、この世界に向けての言葉だった。
あの時の眩しくて鮮烈な印象は、忘れられそうもない。
その瞬間から彼女は新聞記者ではなく、烏天狗の射命丸文として聖杯戦争に参加した。
……それでもわからない。
それが自分の在り方を捨ててまで、戦いを続ける必要がどこにあるのか。
英雄と呼ばれた過去の存在と、命を懸けて切り結ぶなんてどうかしている。
「この世界にもかつては妖怪がいました。ですが、今はいくら調べても伝承としてしか残ってない。……私だって物書きの端くれです。書物として残っている限り、彼らの存在は消えないのはわかっています。だけどそれは、記録であって記憶ではない。それはいつか風化して形骸化してしまう。中身を失って名前だけの存在となり、軽んじられてしまう。それはとても由々しき事態です」
文はそこで一呼吸置いた。
彼女の感情は読み取れない。笑っているが、悲しんでいるようにも見える。
だけど、大きな決意を秘めた顔をしていた。
「私から彼らにしてやれることは何もありません。この世界は幻想郷と違って、死んでしまったら人間も妖怪もそれまでです」
『でも文一人が、そんなにぼろぼろになるまで傷つかなくてもいいんじゃないか?』
頭に浮かんだそんな言葉は、なぜか吐き出せなかった。
10年前のこの場所――。
業火のなか、自分の身の可愛さから置き去りにしてしまった人たち。
どうしてなのか、文の言う彼らと俺が置き去りにした人たちが重なってしまう。
「そうだとしても、私は我慢できない。妖怪という強く恐ろしく、気高いもの。それを忘れて、安穏と暮らす人間たちが、私は許せない。……これは間違いなく私の我儘。消えてしまった彼らのためと託けても、結局は私自身が許せないです。だから私一人でやらなければならないし、そうでないと意味がない。私という烏天狗が聖杯戦争を勝ち切って、妖怪の強さと、恐ろしさを再びこの世界に知らしめる。……それは自らの在り方を殺してでも、やる価値はあります」
彼女の主張は理解できた。でも共感はできなかった。
ただ、一点だけ。
『彼らのためと託けて、結局は自己満足に過ぎない』
その一つだけが、掲げた理想と重なってしまう。
それなら、俺にはどうしようもできない。
結局、俺だって自分の我儘で行動している。そこになんら変わりない。
それに彼女が紡いだ言葉は、かつてないほど情熱的で心が籠もっていた。
射命丸文は、自分を語らない。
だから、そんな彼女の本心に触れられて嬉しかった。
「わかった」
俺はただそれだけ、文に告げた。
そして――。
『文、頑張れ。セイバーに負けるな』
そんな言葉に令呪を付加させた。
左手の甲に刻まれた令呪が、残り一画に減る。
最後の一画は、文と世界を結ぶ楔として機能している。
つまり、これでもう令呪は使えない。
こんな願いに令呪を使えば、稀釈化して効果は弱まる。
本来の使い方から、完全に逸脱している。
それでも、今の俺にはこのぐらいしかしてやれなかった。
少し前のように脅しなんかではなく、彼女の心からの願いだったから。
俺は天狗の少女から離れた。
これで、文とセイバーを遮るものは存在しない。
「ええ、ええ! 頑張ります! 頑張りますとも! 見ていてください! 士郎さん!!」
文はくるりと回って、遠坂たちと向き合った。
「さてさて、こんな雨と風のなか、ご静聴ありがとうございます。……なんにせよ、付き合ってもらって悪かったわね」
セイバーから視線が外れるのも覚悟で、少女は頭を深々と下げた。
「ま、本音を言えば、寒くてしょうがないけど。これで最後だもの、気にしないわよ。……それに私も少しだけ聞き入っちゃった。あんた、意外と青臭いのね。人の言葉を話す化物としてしか見てなかったわ」
「私、ちょっと前に壊れちゃいましたから。当時の私とは別人と思ってくれていいです。……でも今だって十分に化物ですよ? がおー!」
「……や、びっくりするぐらい可愛いんだけど。何なのその小顔? 舐めてるの? ……てか、あんた、セイバーに負けず劣らずの美形よね」
「ふふ。意外と言うと失礼かもしれませんけど――凛はすごく優しいわね」
「ああ、遠坂は良いやつだぞ。……なんだ、今さら気づいたのか?」
新聞記者だけあって、文の観察眼と洞察力はずば抜けている。
だけどこれまでは、興味のある対象にしか機能してなかったようだ。
「――待て! 私のマスターはそれだけではない! 彼女は優秀なメイガスであり、作る食事はきめ細かくとても美味だ!」
まさか、セイバーも俺たちの雑談に入ってきた。
今まで俺たちとは、頑なに話そうとしなかったのに。
こんな会話に割って入るほど、彼女は遠坂が好きなのかもしれない。
……というか、セイバーもご飯を食べるのか。
性格にしても何にしても正反対だが、そんなところだけ文と似ていた。
「あ、あんたたち! さっきから何を言っているのよ!? ……しかもセイバーまで! 気を抜けたことを言うのも大概にしなさい!」
雨のなか、遠坂がどうしようもなく狼狽えていた。
彼女もまた文と同じで、意外と照れ屋なのかもしれない。