文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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52.ただの現象

 

 

「では、正々堂々と殺し合いましょう」

 

弛緩した空気に、天狗少女が熱を入れる。

しかし心情を吐き出したせいか、彼女から妖怪然とした雰囲気が消えていた。

少し前までは、俺や遠坂にとって射命丸文は恐怖そのものだった。

だが俺たちは、彼女の内側に抱えているものを知ってしまった。

 

……人の恐怖の根源は、未知だ。

人は知らないから恐れる。人は知らないから知ろうとする。

いま降っている雨も、いま吹いている風も。

過去の人たちは、その原因がわからなかった。

わからないから、恐怖した。

そして思考を放棄して、原因を別の場所に預けてしまった。

つまり、神や妖怪によるものとした。

 

しかしそれも、長い年月を掛けて解明されていった。

解明された恐怖は、恐怖とは呼べない。

 

それはもう、ただの現象だ。

 

 

セイバーは、文の足下を見て呆れるように息を漏らした。

 

「……その馬鹿げた靴を脱ぎなさい」

「はい?」

「そのような靴で、貴様はまともに戦えるのか? 私への侮辱とも取れるぞ」

「おや、馬鹿げたとはまた酷い。これは天狗の象徴と言える靴なのに。……ですが、彼のアーサー王からの忠告です。ここは素直に聞いておきましょうか」

 

高下駄を模した文の靴は、当たり前だが戦闘で有効に機能するものではなかった。

ついさっきも転んでいたし、バーサーカーとの戦いの時も転倒していた。

 

「うっ……雨でぬかるんだ芝生に裸足は嫌な感じ……」

 

脱いだ靴を丁寧に揃えると、足場を確認するため、二度三度と強く踏み締める。

 

「……王よ、ご満足いただけましたでしょうか?」

「ああ。これで貴殿が負けた時の言い訳が立たなくなったからな」

「ふふ。私はそのドヤ顔がギャン泣きする時が今から楽しみですよ」

 

そして文はセイバーに向かって、裸足のまま歩き出した。

顔を突き合わせる程度の距離で、ぴたりと止める。

 

「では、ここで決着をつけましょうか」

「ええ、ここで決着をつけましょう」

 

こうして並んでみると、二人には共通点があるのがわかった。

彼女は、これまで戦ったどのサーヴァントよりも外見的な特徴が一致している。

高下駄を脱いだ文とセイバーの背丈は、寸分違わず同じだった。

二人の身長は、目算で150と数センチ。

セイバーは甲冑に包まれているが、体形も似ており、体重もおそらく同じぐらい。

見た目の年齢も、文のほうが少し幼いと思える程度の差。

仮にこれが競技なら同じ階級、同じ年代として、何のハンデもなく戦える相手だ。

しかしこれは競技などではなく、聖杯を奪い合うための殺し合い。

 

その思案のなか、ある事実に気付く。

セイバーは、聖剣もアゾット剣も奪われて現在は無手。

文も葉団扇による風もセイバーの対魔力で、無効化されてしまう。

だとすると……これから起きる戦いは、聖杯戦争の常識から逸脱したものになる。

最強を証明する最後の戦いが、まさかこんな形になるなんて誰も予想しなかったはず。

 

セイバーは表情を崩さないが、文は微かな笑みを浮かべていた。

互いの息が掛かる距離。互いに外さない距離。

 

視線が交わる――。

朱から翠へ、翠から朱へ。

二人の拳が、互いの腹へ叩き込まれた。

 

 

 

 

拳と拳の応酬。

それが、雨の降り風が鳴る夜の公園をリングに行われる。

腹、胸、頭――急所だけを狙う、両者ともに容赦など存在しない攻撃の数々。

文は敏捷性を活かした手数。セイバーは重い一撃を重ねていく。

筋力は、セイバーの方が少し上。

それにセイバーは文と違って、甲冑を装備している。

腕には鋼鉄の手甲。拳の攻撃力もセイバーが上だろう。

市販されたブラウスを着ている文に比べたら、耐久性もまた雲泥の差。

 

それでも徒手空拳では、セイバーよりも文に分があると考えていた。

彼女には、他のサーヴァントのように宝具がない。

唯一武器と呼べるものは、風を起こすために使う葉団扇だけ。

エクスカリバーに比べると、かなり見劣りしてしまうもの。

それは、こうも考えられる。

文は、宝具を持ったサーヴァントと身一つで戦えるだけの実力があると。

だから、素手のセイバー相手には絶対に負けはしないと。

 

「だけど、どうしてだ……?」

 

そんな考えとは裏腹に、彼女はセイバーに押されていた。

射命丸文は、遠近を問わずに敵の攻撃の回避を重要視している。

クリーンヒットだけは受けずにいるが、殆どの攻撃を躱し切れていない。

それどころか、息を切らして苦悶の表情さえも浮かべている。

セイバーの素手の攻撃なんて、アサシンの剣技に比べたら大人と子供以上の差があった。

相手が相性不利の英雄だとしても、ここまで攻撃を喰らう事態が考えられない。

 

「どうした、アーチャー。動きが鈍いぞ?」

「…………私の職業はブン屋ですからね。デスクワークが本分です。戦争屋のあなたと違って、そこまで人殺しに慣れていません」

「……どうやらまだ減らず口を叩く余裕はあるようだ。しかし、私にはあなたの腹に穴が開いているように見える」

 

……腹に穴が開いている?

 

「ッ……!」

 

戦闘からの離脱を謀るように、文はバックステップで距離を取った。

息を切らした状態であっても、彼女のスピードはセイバーでも追いつけない。

 

「やはりそうか」

 

セイバーは深追いをせずに、間合だけを詰めていく。

 

「ハァ、ハァ……」

 

文が呼吸を整えようとした時。

ブラウスの脇から、黒ずんだ血が滲み出した。

 

「あちゃ……これは流石に誤魔化しきれませんか……」

「文! 傷は治ったんじゃないのか?!」

 

あの時、傷は塞がっていた。俺も確かにこの目で見ている。

……だったら、なぜ?

 

「……傷の表面だけを取り繕っただけです。どうやらセイバー固有の能力で武器に魔力を帯びさせているようですね。それが私を蝕む攻撃になっています。色々と強がってはみせたんですが、どうやら洒落にならないダメージでした」

 

決まりの悪そうに苦笑いを浮かべ、傷を押さえる。

今にも足下から崩れ落ちそうなほど、彼女は消耗していた。

背中の翼はバーサーカーにもぎ取られて、機能は失われている。

残った片翼も雨に濡れて重くなり、力なく垂れている。

セイバーによって腹に受けた創傷は、それと同様の性質のものだった。

 

「それにただの拳で殴られただけなのに、ここまで痛いだなんて。……ぐす。少し涙が出そうです。……私、英雄の怖さをちゃんと理解してなかったかもしれません」

「……ここにきて泣き言か? それともまさか、これで終わりとでも言うつもりか?」

 

セイバーが、文を挑発する。

いつもの彼女だったら、敵の挑発は受け流すだけだろう。

しかし、今の文は危うい精神状態だ。勝てない喧嘩でも買ってしまう。

 

「それこそまさか! まだまだ足掻かせてもらうわ!」

 

大きく言葉を吐き出し、大きく息を吸った瞬間――。

烏天狗の姿が音もなく掻き消えた。

 

「――ウソ。どこに消えたの……?」

 

遠坂がうわ言のように呟くが、それは俺も同じ感想だった。

だが俺たちに知覚できないだけであり、本当にこの場から消えたわけではない。

単純に俺たちの目では、彼女の動きを捉えられないだけ。

ここから先は、人の領域ではない。

ここから先は、人を超えたサーヴァントのみに許された世界。

 

「…………」

 

セイバーは五感と第六感を駆使して、文の動きを捉えようとした。

彼女のスピードは、これまで戦ったどのサーヴァントでも並ぶ存在はいなかった。

いや、スピードに関して言えば、どのサーヴァントであろうと足元にも及ばない。

たとえそれが最良のサーヴァントであっても、不確かにしか映らない速度のはず。

 

「――――!」

 

音を突き破る衝撃音だけが、俺たちに届く。

その瞬間、セイバーの頭上から文が姿を現した。

俺の目では、突然上空に現れたようにしか見えない。

安い言葉で例えるなら、瞬間移動をしたようにしか思えなかった。

そのままセイバーの頭部に目掛け、鎌のように足を振り下ろす――。

 

「……クッ!!」

 

腕を交差させて手甲で受けたが、セイバーの足元が地割れのようにひび割れる。

破壊力は、想像するのも恐ろしい。

そんな攻撃を皮切りに、あらゆる方向からセイバーを縦横無尽に蹂躙していった。

攻撃する瞬間にだけ文は姿を現して、セイバーに対して着実にダメージを与えていく。

その戦法は所謂、ヒットアンドアウェイと呼ばれるもの。

強烈な一撃を与えて、深追いをせずに再び距離を取る。その繰り返しだ。

 

セイバーは文の動きに翻弄されておらず、致命傷だけは避けている。

如何にセイバーであろうと、ここまでのスピードは完全に捕捉できない。

未来予知めいた直感だけが、最適な展開を予測していた。

それでも、確実にダメージを重ねていく。

仮にセイバーが宝具を持っていたとしても、この攻撃の対処は難しいだろう。

それが素手のままであれば、どうしようもない。

 

「……………………」

 

この雨の中であっても血は流し切れず、セイバーを赤く濡らしている。

足下の水溜まりも彼女の血と混じって、赤黒く濁っていた。

それでも、セイバーは決して倒れなかった。

彼女の目に宿る強い意思は、初めて見た時からひとつも変わっていない。

このままでは文に押し負けるとしか思えないのに、その想像すらも超える力があった。

 

「これで――!」

 

天狗の少女が、セイバーを背後から強襲した。

背面から胸を貫こうとする手刀――。

これまでよりも速く鋭く、そして正確に狙い澄まされていた。

かつてはライダーも、文によって胸を貫かれて殺されている。

 

「くっ」

 

セイバーは咄嗟に身を翻す。

だがその時には――烏天狗の腕が剣の少女を貫いていた。

 

「セイバー!!」

 

決着がついた。

俺はそう思った。声を上げた遠坂だって、そう思っただろう。

しかし、どうしてなのか。

この状況で顔を歪ませていたのは……セイバーではなく、文だった。

 

「……最後に焦りましたね、アーチャー。それは踏み込みすぎだ」

 

心臓を貫いたように見えた文の腕は、セイバーの脇を通り抜けただけだった。

そして右腕は、セイバーの左脇に縫い付けられるように挟まれている。

これだと筋力で劣る文は、身動きが取れない。

 

「あれ? これは、かなりまずいかな……」

 

軽い口調だったが、焦りは明確に伝わってきた。

剣の少女は、右腕で血の滲んだ腹の傷を容赦無く殴りつける。

 

「…………ッ!!」

 

密着状態での攻撃では、そこまで威力は伴わない。

だがその傷は、背中まで繋がる大穴だ。

想像を絶する激痛が、少女を襲っているに間違いなかった。

セイバーは腕を解放したが、文は苦痛によって身動きが取れない。

 

「――まだだ!!」

 

セイバーは、存在しない剣を振るような動きで頭部を薙ぎ払う。

衝撃によって、赤色の頭襟が外れてしまった。

文の身体も、これまでにない強力な一撃によって、大きく飛ばされてしまう。

 

「……その方向、まさか!?」

 

辛うじて受け身を取って、転倒だけは免れた。

しかし頭部への大きな打撃によって、真っすぐ立ててすらいない。

セイバーは、間髪入れずに間合を詰めていく。

 

その過程で――セイバーは雨に濡れた聖剣を拾い上げた。

自身の宝具を手にしたことで、より一層、走る速度が上がっていく。

追いつかれた文は逃げずに、どこか胡乱な様子でセイバーを待ち構えていた。

 

「……その剣は、私に通用しませんよ」

 

身体の力が抜けており、視線もぼんやりと定まっていない。

それでも、話す言葉だけははっきりとしていた。

 

「ふっ――!」

 

そんな言葉を聞いても、セイバーは一足飛びからの大上段で斬り掛かった。

天狗の予言通り、剣は不自然に避けてしまう。

 

「…………」

 

だがセイバーは結果を事前に知っていたように、大きな反応を示さない。

届かない距離で、自身の剣を二度三度と軽く振るう。

そのまま聖剣を正眼に構えると『風王結界(インビジブル・エア)』を解いた。

 

これまで、透明化していた聖剣の真の姿が露わになる。

決して絢爛ではないが、それでも最強の座に在り続ける伝説の剣。

約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。人々の願いの果てに誕生した神造兵装――。

 

「あー、ばれてしまいましたか」

「凛のアゾット剣を手にした時から、確信を得ていました。あなたは風を操るのでしょう? まさか私の『風王結界(インビジブル・エア)』までも対象だったとは。……にわかには信じがたい能力です。ですが、種が割れればそれまでのもの」

「あーあ。宝具の解放を防げれば、勝てると思ったんですけどね」

 

自尊心の高い少女には似合わない、諦めが含まれた言葉だった。

……射命丸文は、もうすでに敗北を認めていた。

 

「文……? どうして……?」

 

セイバーは、負けを認めた相手であっても表情を崩さない。

それでも敵に敬意を示すように、いつもと違う柔らかな口調だった。

俺にはそれが、とても残酷に思えてしまう。

殺意ではなく、敬意を以て敵を殺せてしまう彼女の存在に。

だがそれこそ、英雄が英雄たる所以なのかもしれない。

 

「覚悟を決めなさい。アーチャー」

 

ただ、一言だけ。

それだけを文に告げ、セイバーは聖剣を振り下ろした。

 

「それって死ぬ覚悟ですか。冗談きついですね、セイバー」

 

無情に振り下ろされた刃は――すんなりと左肩に入り、右脇から抜けた。

 

物事には、すべて終わりがある。

あんなに激しかった雨と風は、いつの間にか止んでいた――。

 

 

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