文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
「では、正々堂々と殺し合いましょう」
弛緩した空気に、天狗少女が熱を入れる。
しかし心情を吐き出したせいか、彼女から妖怪然とした雰囲気が消えていた。
少し前までは、俺や遠坂にとって射命丸文は恐怖そのものだった。
だが俺たちは、彼女の内側に抱えているものを知ってしまった。
……人の恐怖の根源は、未知だ。
人は知らないから恐れる。人は知らないから知ろうとする。
いま降っている雨も、いま吹いている風も。
過去の人たちは、その原因がわからなかった。
わからないから、恐怖した。
そして思考を放棄して、原因を別の場所に預けてしまった。
つまり、神や妖怪によるものとした。
しかしそれも、長い年月を掛けて解明されていった。
解明された恐怖は、恐怖とは呼べない。
それはもう、ただの現象だ。
セイバーは、文の足下を見て呆れるように息を漏らした。
「……その馬鹿げた靴を脱ぎなさい」
「はい?」
「そのような靴で、貴様はまともに戦えるのか? 私への侮辱とも取れるぞ」
「おや、馬鹿げたとはまた酷い。これは天狗の象徴と言える靴なのに。……ですが、彼のアーサー王からの忠告です。ここは素直に聞いておきましょうか」
高下駄を模した文の靴は、当たり前だが戦闘で有効に機能するものではなかった。
ついさっきも転んでいたし、バーサーカーとの戦いの時も転倒していた。
「うっ……雨でぬかるんだ芝生に裸足は嫌な感じ……」
脱いだ靴を丁寧に揃えると、足場を確認するため、二度三度と強く踏み締める。
「……王よ、ご満足いただけましたでしょうか?」
「ああ。これで貴殿が負けた時の言い訳が立たなくなったからな」
「ふふ。私はそのドヤ顔がギャン泣きする時が今から楽しみですよ」
そして文はセイバーに向かって、裸足のまま歩き出した。
顔を突き合わせる程度の距離で、ぴたりと止める。
「では、ここで決着をつけましょうか」
「ええ、ここで決着をつけましょう」
こうして並んでみると、二人には共通点があるのがわかった。
彼女は、これまで戦ったどのサーヴァントよりも外見的な特徴が一致している。
高下駄を脱いだ文とセイバーの背丈は、寸分違わず同じだった。
二人の身長は、目算で150と数センチ。
セイバーは甲冑に包まれているが、体形も似ており、体重もおそらく同じぐらい。
見た目の年齢も、文のほうが少し幼いと思える程度の差。
仮にこれが競技なら同じ階級、同じ年代として、何のハンデもなく戦える相手だ。
しかしこれは競技などではなく、聖杯を奪い合うための殺し合い。
その思案のなか、ある事実に気付く。
セイバーは、聖剣もアゾット剣も奪われて現在は無手。
文も葉団扇による風もセイバーの対魔力で、無効化されてしまう。
だとすると……これから起きる戦いは、聖杯戦争の常識から逸脱したものになる。
最強を証明する最後の戦いが、まさかこんな形になるなんて誰も予想しなかったはず。
セイバーは表情を崩さないが、文は微かな笑みを浮かべていた。
互いの息が掛かる距離。互いに外さない距離。
視線が交わる――。
朱から翠へ、翠から朱へ。
二人の拳が、互いの腹へ叩き込まれた。
◇
拳と拳の応酬。
それが、雨の降り風が鳴る夜の公園をリングに行われる。
腹、胸、頭――急所だけを狙う、両者ともに容赦など存在しない攻撃の数々。
文は敏捷性を活かした手数。セイバーは重い一撃を重ねていく。
筋力は、セイバーの方が少し上。
それにセイバーは文と違って、甲冑を装備している。
腕には鋼鉄の手甲。拳の攻撃力もセイバーが上だろう。
市販されたブラウスを着ている文に比べたら、耐久性もまた雲泥の差。
それでも徒手空拳では、セイバーよりも文に分があると考えていた。
彼女には、他のサーヴァントのように宝具がない。
唯一武器と呼べるものは、風を起こすために使う葉団扇だけ。
エクスカリバーに比べると、かなり見劣りしてしまうもの。
それは、こうも考えられる。
文は、宝具を持ったサーヴァントと身一つで戦えるだけの実力があると。
だから、素手のセイバー相手には絶対に負けはしないと。
「だけど、どうしてだ……?」
そんな考えとは裏腹に、彼女はセイバーに押されていた。
射命丸文は、遠近を問わずに敵の攻撃の回避を重要視している。
クリーンヒットだけは受けずにいるが、殆どの攻撃を躱し切れていない。
それどころか、息を切らして苦悶の表情さえも浮かべている。
セイバーの素手の攻撃なんて、アサシンの剣技に比べたら大人と子供以上の差があった。
相手が相性不利の英雄だとしても、ここまで攻撃を喰らう事態が考えられない。
「どうした、アーチャー。動きが鈍いぞ?」
「…………私の職業はブン屋ですからね。デスクワークが本分です。戦争屋のあなたと違って、そこまで人殺しに慣れていません」
「……どうやらまだ減らず口を叩く余裕はあるようだ。しかし、私にはあなたの腹に穴が開いているように見える」
……腹に穴が開いている?
「ッ……!」
戦闘からの離脱を謀るように、文はバックステップで距離を取った。
息を切らした状態であっても、彼女のスピードはセイバーでも追いつけない。
「やはりそうか」
セイバーは深追いをせずに、間合だけを詰めていく。
「ハァ、ハァ……」
文が呼吸を整えようとした時。
ブラウスの脇から、黒ずんだ血が滲み出した。
「あちゃ……これは流石に誤魔化しきれませんか……」
「文! 傷は治ったんじゃないのか?!」
あの時、傷は塞がっていた。俺も確かにこの目で見ている。
……だったら、なぜ?
「……傷の表面だけを取り繕っただけです。どうやらセイバー固有の能力で武器に魔力を帯びさせているようですね。それが私を蝕む攻撃になっています。色々と強がってはみせたんですが、どうやら洒落にならないダメージでした」
決まりの悪そうに苦笑いを浮かべ、傷を押さえる。
今にも足下から崩れ落ちそうなほど、彼女は消耗していた。
背中の翼はバーサーカーにもぎ取られて、機能は失われている。
残った片翼も雨に濡れて重くなり、力なく垂れている。
セイバーによって腹に受けた創傷は、それと同様の性質のものだった。
「それにただの拳で殴られただけなのに、ここまで痛いだなんて。……ぐす。少し涙が出そうです。……私、英雄の怖さをちゃんと理解してなかったかもしれません」
「……ここにきて泣き言か? それともまさか、これで終わりとでも言うつもりか?」
セイバーが、文を挑発する。
いつもの彼女だったら、敵の挑発は受け流すだけだろう。
しかし、今の文は危うい精神状態だ。勝てない喧嘩でも買ってしまう。
「それこそまさか! まだまだ足掻かせてもらうわ!」
大きく言葉を吐き出し、大きく息を吸った瞬間――。
烏天狗の姿が音もなく掻き消えた。
「――ウソ。どこに消えたの……?」
遠坂がうわ言のように呟くが、それは俺も同じ感想だった。
だが俺たちに知覚できないだけであり、本当にこの場から消えたわけではない。
単純に俺たちの目では、彼女の動きを捉えられないだけ。
ここから先は、人の領域ではない。
ここから先は、人を超えたサーヴァントのみに許された世界。
「…………」
セイバーは五感と第六感を駆使して、文の動きを捉えようとした。
彼女のスピードは、これまで戦ったどのサーヴァントでも並ぶ存在はいなかった。
いや、スピードに関して言えば、どのサーヴァントであろうと足元にも及ばない。
たとえそれが最良のサーヴァントであっても、不確かにしか映らない速度のはず。
「――――!」
音を突き破る衝撃音だけが、俺たちに届く。
その瞬間、セイバーの頭上から文が姿を現した。
俺の目では、突然上空に現れたようにしか見えない。
安い言葉で例えるなら、瞬間移動をしたようにしか思えなかった。
そのままセイバーの頭部に目掛け、鎌のように足を振り下ろす――。
「……クッ!!」
腕を交差させて手甲で受けたが、セイバーの足元が地割れのようにひび割れる。
破壊力は、想像するのも恐ろしい。
そんな攻撃を皮切りに、あらゆる方向からセイバーを縦横無尽に蹂躙していった。
攻撃する瞬間にだけ文は姿を現して、セイバーに対して着実にダメージを与えていく。
その戦法は所謂、ヒットアンドアウェイと呼ばれるもの。
強烈な一撃を与えて、深追いをせずに再び距離を取る。その繰り返しだ。
セイバーは文の動きに翻弄されておらず、致命傷だけは避けている。
如何にセイバーであろうと、ここまでのスピードは完全に捕捉できない。
未来予知めいた直感だけが、最適な展開を予測していた。
それでも、確実にダメージを重ねていく。
仮にセイバーが宝具を持っていたとしても、この攻撃の対処は難しいだろう。
それが素手のままであれば、どうしようもない。
「……………………」
この雨の中であっても血は流し切れず、セイバーを赤く濡らしている。
足下の水溜まりも彼女の血と混じって、赤黒く濁っていた。
それでも、セイバーは決して倒れなかった。
彼女の目に宿る強い意思は、初めて見た時からひとつも変わっていない。
このままでは文に押し負けるとしか思えないのに、その想像すらも超える力があった。
「これで――!」
天狗の少女が、セイバーを背後から強襲した。
背面から胸を貫こうとする手刀――。
これまでよりも速く鋭く、そして正確に狙い澄まされていた。
かつてはライダーも、文によって胸を貫かれて殺されている。
「くっ」
セイバーは咄嗟に身を翻す。
だがその時には――烏天狗の腕が剣の少女を貫いていた。
「セイバー!!」
決着がついた。
俺はそう思った。声を上げた遠坂だって、そう思っただろう。
しかし、どうしてなのか。
この状況で顔を歪ませていたのは……セイバーではなく、文だった。
「……最後に焦りましたね、アーチャー。それは踏み込みすぎだ」
心臓を貫いたように見えた文の腕は、セイバーの脇を通り抜けただけだった。
そして右腕は、セイバーの左脇に縫い付けられるように挟まれている。
これだと筋力で劣る文は、身動きが取れない。
「あれ? これは、かなりまずいかな……」
軽い口調だったが、焦りは明確に伝わってきた。
剣の少女は、右腕で血の滲んだ腹の傷を容赦無く殴りつける。
「…………ッ!!」
密着状態での攻撃では、そこまで威力は伴わない。
だがその傷は、背中まで繋がる大穴だ。
想像を絶する激痛が、少女を襲っているに間違いなかった。
セイバーは腕を解放したが、文は苦痛によって身動きが取れない。
「――まだだ!!」
セイバーは、存在しない剣を振るような動きで頭部を薙ぎ払う。
衝撃によって、赤色の頭襟が外れてしまった。
文の身体も、これまでにない強力な一撃によって、大きく飛ばされてしまう。
「……その方向、まさか!?」
辛うじて受け身を取って、転倒だけは免れた。
しかし頭部への大きな打撃によって、真っすぐ立ててすらいない。
セイバーは、間髪入れずに間合を詰めていく。
その過程で――セイバーは雨に濡れた聖剣を拾い上げた。
自身の宝具を手にしたことで、より一層、走る速度が上がっていく。
追いつかれた文は逃げずに、どこか胡乱な様子でセイバーを待ち構えていた。
「……その剣は、私に通用しませんよ」
身体の力が抜けており、視線もぼんやりと定まっていない。
それでも、話す言葉だけははっきりとしていた。
「ふっ――!」
そんな言葉を聞いても、セイバーは一足飛びからの大上段で斬り掛かった。
天狗の予言通り、剣は不自然に避けてしまう。
「…………」
だがセイバーは結果を事前に知っていたように、大きな反応を示さない。
届かない距離で、自身の剣を二度三度と軽く振るう。
そのまま聖剣を正眼に構えると『
これまで、透明化していた聖剣の真の姿が露わになる。
決して絢爛ではないが、それでも最強の座に在り続ける伝説の剣。
『
「あー、ばれてしまいましたか」
「凛のアゾット剣を手にした時から、確信を得ていました。あなたは風を操るのでしょう? まさか私の『
「あーあ。宝具の解放を防げれば、勝てると思ったんですけどね」
自尊心の高い少女には似合わない、諦めが含まれた言葉だった。
……射命丸文は、もうすでに敗北を認めていた。
「文……? どうして……?」
セイバーは、負けを認めた相手であっても表情を崩さない。
それでも敵に敬意を示すように、いつもと違う柔らかな口調だった。
俺にはそれが、とても残酷に思えてしまう。
殺意ではなく、敬意を以て敵を殺せてしまう彼女の存在に。
だがそれこそ、英雄が英雄たる所以なのかもしれない。
「覚悟を決めなさい。アーチャー」
ただ、一言だけ。
それだけを文に告げ、セイバーは聖剣を振り下ろした。
「それって死ぬ覚悟ですか。冗談きついですね、セイバー」
無情に振り下ろされた刃は――すんなりと左肩に入り、右脇から抜けた。
物事には、すべて終わりがある。
あんなに激しかった雨と風は、いつの間にか止んでいた――。