文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
全ての終わりを迎えようとした時。
そんな間際に現れた黄金の甲冑を纏う男。
外見だけの虚飾ではなく、在り方さえも黄金そのもの。
セイバーからの問いに答えず、ただ彼女だけを静観している。
剣の少女は、明確な敵愾心を剥き出しにした。
男に向けた剣先は、文に向けたものより猛々しく、何よりも憎悪があった。
いつ男に斬り掛かったとしてもおかしくない、紙一重の空気。
あいつが、教会にいた男と同一人物なのは間違いない。
こうして全てが終わる時に現れたのは、何かしらの思惑があるはず。
それに……教会の男と同じ人物なのに、奇妙な引っ掛かりがある。
その引っ掛かりは悪寒となって、警鐘を鳴らしていた。
今はまだ何も正体を掴めず、輪郭すらあやふやなものでしかない。
だがその不確かなものが、この聖杯戦争を大きく狂わせている。
「ハァ、ハァ……」
そんななか、射命丸文は一人だった。
黄金の男とセイバーの世界に入り込む余地もなく。
悪く言えば、蚊帳の外。
セイバーの隣で息を荒げ、血を流し、俯くだけ。
今や天狗の象徴だった頭襟や、一本歯の靴もなく。
残された翼も雨水を吸って、力なく垂れている。
胸の傷だけではなく、背中まで届く穴も再び開いていた。
彼女の聖杯戦争は、セイバーに斬り伏せられた時点で終わっていた。
「………………」
だが赤い瞳だけは、未だ力を失っていない。
表情にあどけなさも、小馬鹿にしたような笑みもない。
強い意志に滾る瞳だけがあった。
そんな並々ならぬ精神力が、事切れる寸前の彼女を支えていた。
何が正しいのかわかっている。
今だって、文を幻想郷に返すのが一番だと思っている。
それなのに、俺はどうしようもなく臆病者だ。
彼女が帰らない意志を知って、ホッとすらしている。
このまま文と別れてしまうのを、心の底から恐れていた。
この決断は一生後悔するだろう。
だけどもう、結論は出た。それを彼女に伝えよう。
『わかった。令呪は使わない』
これ以上ない無責任な言葉だった。
単にこんな形で、文と別れたくなかっただけ。
別れる時は、お互いに納得のできる形でありたかった。
リスクを考えて、声には出さない。でも俺の気持ちは伝わったはず。
彼女は俺の眼の揺らぎだけを、俯きながらもじっと捉えていた。
俺の目は、もう迷いに揺れていない。
文の目端の利きは、俺が最も信頼しているものの一つ。
言葉に出さなくても、必ず伝わる。
退路は完全に塞がれた。俺たちはもう、聖杯戦争から抜け出せない。
これからやるべきことは決まっている。
それは瀕死の文を連れて、この冬木中央公園から逃げること――。
俺にできるのは、そんなあるかもわからないチャンスを待つだけ。
仮に何も考えずに彼女の元へ行けば、この膠着状態を悪化させる。
今の俺は、警戒の対象ですらないだろう。
それでも目立つ行動をして、見過ごしてもらえるほど甘くはない。
彼女を幻想郷に帰さないと決めた今、迂闊な真似はできない。
だから、そのチャンスを待つ。
……しかしこの状況でどうなれば、文を連れて逃げ出せるのか?
男はセイバーにしか興味を持たず、文は歯牙にも掛けない。
戦闘能力は未知数。
しかしセイバーの様子からして、とても油断のできる相手ではない。
そしてこの場で最も脅威なのは、間違いなくセイバーだ。
男の介在がなければ、どんな形であったとしても文はここにいなかった。
今は視界にすら入ってないが、彼女はいつでも文を殺せる状態にある。
そんな二人の目を盗んで、立ち上がることもできない彼女を連れて逃げ切る?
こんな遮蔽物もない広い公園から?
馬鹿げたほど無謀な試みだった。自身の正気も疑ってしまう。
だけど、そんな無謀も狂気も承知の上。
俺の正気なんて、令呪を使わないと決めた時点で失われていた。
◇
「……セイバー。あいつはいったい、何者なの?」
遠坂は、誰もが思う疑問をセイバーに尋ねる。
セイバーは少し逡巡を見せたが、すぐに表情を改めた。
「……あの男は10年前の聖杯戦争で、決着のつかなかったサーヴァントです。彼のクラスはアーチャー。真名は最後までわかりませんでした」
「は――?」
遠坂の間の抜けた顔を見たのは、これが初めてかもしれない。
「10年前のサーヴァントですって!? それよりも、ちょっと待って。……え? もしかして。……あんた、前の聖杯戦争にも参加していたの!?」
「……はい。ですが信じて欲しい。今更言うのは都合がいいかもしれませんが、隠すつもりはありませんでした。かつて経験した聖杯戦争は、思い返すのも憚られるような陰惨なものだった。もしかしなくとも、無意識のうちに話題に上げるのを避けていたのかもしれません」
そう言って、彼女は顔を曇らせる。
……気のせいかもしれないが、一瞬だけ俺を睨んだ気がした。
「はー、やけに冬木の地理や地形に詳しいと思ったわ。聖杯からの知識なのかなと勝手に考えていたけど、実際に経験していたのね」
釈然としない様子ではあったが、一応納得はしたようだ。
これで男の言う『久方ぶり』という言葉が、今の話でようやく理解できた。
10年前の聖杯戦争で、セイバーは『アーチャー』と戦った。
弓兵と呼んでも、男の風貌と性格を見るに弓を射るようにはとても思えない。
あの仰々しい鎧で、敵に悟られず矢を放つなんて不可能だろう。
それを言えば、文も似たようなものだ。しかし、彼女は風を放つという手段を持っている。
つまりあの男もまた、攻撃手段が弓であるとは限らない。
「すみません、凛。本来なら召喚された直後に言うべきでした。私のつまらない感傷が、あなたの危険を招くことになったかもしれないのに」
セイバーは謝罪をしても、アーチャーと呼ばれた男に向けた切っ先は決してぶれない。
この決して短くない会話の中でも、一瞬たりとも隙を見せなかった。
「まあいいけど。……でもあとでお茶でも飲みながら、根掘り葉掘り聞かせてもらうわよ」
「はい。その時は覚悟します。それにあなたの淹れる紅茶もとても楽しみだ」
思い出したくないというセイバーを無視して、聞き出そうとするのは如何にも遠坂らしい。
そして遠坂は距離を取り、邪魔にならない位置で身構える。
ただならぬセイバーの様子を見て、これ以上は邪魔になると判断したのだろう。
そして男は今も、セイバーだけを見据えている。
あいつが最後に言葉を発してから、どれぐらい経ったのか。
極度の緊張下から、かなりの時間が経過したように思えるが、実際は数分程度なのかもしれない。
黄金の男の何もかもを見透かすような視線に、少女は忌々しそうに顔をしかめた。
「……あなたらしくもない。さっきから黙って何を見ている?」
セイバーの言葉に、緩んだ口を押さえるような仕草を取った。
「いやなに、10年ぶりとは言えど……ふむ、確認するまでもなかったか。セイバー、おまえは美しい。――喜ぶがいい、この無価値な世界で我の目に適うものなど、ほんの一握りよ」
あまりに高慢ではあったが、最大限の美辞麗句を連ねた文句だった。
この男に媚や、世辞を言う感性があるとは思えない。
ありのままの真実として、自分の感想を口にしただけ。
「その相手を顧みない言葉の数々。10年経とうが変わらないようですね、アーチャー」
不快感を露わにして、男を睨んだ。
如何に言葉を重ねようとも、剣の少女に意味はなかった。
彼女の本懐は、女性である前に騎士なのだろう。
自らの性別を捨て、自分の全てを国に捧げた。
騎士であり、王であろうとした彼女に今の言葉は時として侮辱にもなる。
「相手を顧みるだと……? ふ、はははは! セイバーよ! やはりおまえは下らぬ観念でしか物事を計れぬようだな! 忘れたか? この世の全ては我の物であることを! その所有物に何を配慮する必要があるというのだ!」
男は込み上げる感情を抑えようともせずに、声を上げて笑った。
相手を無能だと謗るかのような、高慢で不遜な態度。
「そして、貴様も我の物であるのを努々忘れぬことだな。……まさか忘れたわけではあるまい? 10年前、この地で我の下した決定を」
「……あの時の求婚のことか? まさか、あのような戯言を私が本気にするとでも思っていたのか?」
「そうだ。貴様は我の元へ下るがいい。この余計なモノで埋め尽くされた世界であろうとも、我は決しておまえを飽きさせないぞ」
求婚という思いがけない言葉。
セイバーの意志を完全に無視して、当然であるように告げる。
「……求婚ですって? 何なのこの金ピカ? 頭のネジが全部ぶっ飛んでいるのかしら」
今まで寡黙に徹していた遠坂も、男の言葉に呆れていた。
だがこの男がどこまでも本気なのは、ここにいる誰もが理解している。
遠坂も口調とは裏腹に、表情は緊張でどこか硬いままだった。
「世迷い言を……! やはりあなたとは相容れそうもなさそうだ! あの時の決着、今ここでつけさせてもらう!」
セイバーが風王結界から解かれた聖剣に魔力に通わせた。
大気を震わせる強大な魔力にも、男は己の愉悦を隠そうともしない。
「相も変わらず、じゃじゃ馬のようだな。まあいい、おまえのような女を平伏させるのも、男子たる我の務めだ。英雄王である我が直々に相手をしてやろう。――だが、その前にだ」
ふと、男の視線が初めてセイバーから切れた。
彼女の隣に向けられた視線の先、そこにいる半生半死の烏天狗。
射命丸文の姿が、紅玉の瞳に捉えられた。
セイバーに向けられていたものとは違う、明らかな嫌悪感が滲んでいる。
「セイバー、そこのサーヴァントですらない紛い物にとどめを刺せ。そのような輩が我と同じ『アーチャー』を冠しているなど、侮辱でしかないわ」
セイバーに向けるものとは逆の、汚らわしいものを見る目つきで文を睨む。
……まずい。
これまでずっと彼女に無関心だったが、ここに来て初めて意識を向けられた。
しかも、殺意という最悪な形で。
今までの機嫌の良さが嘘であったように、気紛れで態度を変えてしまう。
「…………」
文はもはや意識を落とさないことだけに、全神経を使っている。
殺意を向けられても反応が乏しく、男を見るのも叶わない。
浅い呼吸を繰り返し、全身を襲う寒気に耐えるように自分を抱いていた。
セイバーはつられるように文を見たが、彼女の顔に興味らしきものは浮かばなかった。
淡白と言えるほど表情に色がなく、一瞥だけ与えて再び男へと向き直す。
「……まさかあなたのような男が、脱落したサーヴァントに関心を持つとは。それにこの傷だ。この少女はもう起き上がることもままならないでしょう」
セイバーに見向きもされなかったのが、不幸中の幸いだった。
これで男の言葉通りに剣を振り下ろしていたら、その時点で終わっていた。
男は表情を一転させると、含み笑うように一度だけ喉を鳴らす。
「それは我に対しての跳ねっ返りのつもりか? ――よいか、セイバー。上辺だけではなく、常に本質だけを見抜け。貴様も女だてらに王を名乗るというのなら、それこそ最低限の資質であるぞ。ソレを指してよもや少女だと? ハ、笑わせてくれるわ。姿形は人に近くとも、人とは根幹から異なる別種の化物よ」
この世の道理を説くように、男は言葉を重ねていく。
「ソレは本能で人を喰らう魔獣だ。存在そのものが、人の世に害を為す厄災となんら変わらぬ。それにも関わらずだ。人の肉と恐怖を喰らわねば、己すらも確立できぬ愚か者どもよ。我の支配する時代には幾らでもいたが……ふむ、今はいないようだな。だが、結構。淘汰されて当然だ。我のものを我の断りもなく喰らうなど、到底我慢できぬわ!」
それは文が言った『妖怪は人間を喰らい、人間は妖怪を退治する』という言葉に通じていた。
彼女の住む幻想郷では、その摂理によって人と妖怪は共依存の関係にあると。
今この世界に、妖怪と呼ばれた存在はどこにもいない。
そして彼らは、伝奇や伝承の中に忘れ去られてしまった。それが彼女にとって許せずにいる。
「存在することが、世に蔓延る穢れと同じだ。人の上に立つ者であれば、速やかに祓うのが責務よ。……それにその程度で決着だと? ソレが醜く生き足掻くことに迷いなどするものか。今も何か企んでいるかもしれんぞ。寝首を掻かれたくなければ、疾くその首を斬り落とせ」