文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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55.ただ一度の

 

 

射命丸文は、かつてなく衰弱している。

撫でられただけでも、死んでしまいそうな状態だ。

そんな彼女の首を剣で斬り落とす――。

 

「――――――」

 

ドクドクと鼓動が異常なほど早まり、とてもうるさい。

文を連れ出す機会をずっと窺っていたが、事態は最悪なものになってしまった。

これ以上、ここにいるのは耐えられない。

文の助言を巡らせても、全力で走って助け出す以外の選択肢は思い浮かばない。

俺の魔術を使っても、サーヴァントが相手では挑発に終わる。

 

「は……」

 

息を殺しながら、一歩だけ文に近づいた。

歩く音だって、うるさく感じてしまう。だが、誰も気づく様子はない。

少しぬかるんではいるが、全力で走るのは問題ない。

……エクスカリバーの剣先が、少しでも男から逸れたら走り出す。

このまま何もせず傍観しているよりも、少しでも助けられる可能性に賭ける。

 

「そうだな――」

 

セイバーは、どこか自嘲的に再び死にかけの少女を見る。

そして重く息を吐いたが、それすらも彼女自身に向けたものだった。

そこに文に対しての感情は、何も存在しない。

 

「アーチャー、あなたの言う通り、私の国にもこのような化生の類はいた。民のために剣を振るったのも一度や二度では足りない。……だが、貴様の言われるがままに行動するのは、どうやら私は存外気に入らないようだ」

 

セイバーらしくない、感情的な言葉だった。

 

「言葉が正しいものであろうとも、貴様にだけは従う謂われはない。……いや、違うな。私に命を下せるのは、最初からマスターである凛だけだ!」

 

彼女の視線も剣の切っ先も、二度と射命丸文に向けられなかった。

黄金の男は呆れるように目を細め、嘆息を吐き出す。

 

「たわけ――。貴様の考えはそこらの幼童と同じだな。いや、我の威光を受け入れられないようでは、童よりも道理を理解しておらぬわ。……ただな、我にとって今の話も些事に過ぎぬ。これ以上、時間を使うのも下らん。……まあいい。おまえがやらないと言うのなら――我が直接、手を下してやろう」

 

不意に男は、中空に右手を掲げる。

その時には鍵のような形状をした剣が握られていた。

それがあいつの宝具だろうか。

だが内包している魔力からして、強力な概念武装には見えない。

 

『――王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

そう紡ぐ言葉と同時に、背後の空間が歪む。

男の背後の闇が赤色に染まり、水面のように揺れていた。

 

「な……!?」

 

誰のものとも知れない驚嘆の声が上がる。

男が背負う真紅の空間に、鋭利な切っ先が浮かんでいた。

それはひとつだけではなく、剣、刀、槍、斧と言った武器の群だった。

数十という、数えるのも愚かしい凶器の軍勢が、揺らぐ水面に浮き立つ。

 

「あれって、もしかして……」

 

遠坂の先の言葉は続かなかったが、俺でもわかった。

浮かんだ全ての武器がサーヴァントの宝具と同等か、それ以上の神秘があった。

……あり得なかった。

あり得ないが、あの背後の武器が全て宝具としか考えられない。

 

「これは我が収集した王の宝よ。そのような醜悪な化物に使うなど、どれであろうと惜しいものばかりだ。しかしな、この世を乱すも正すも、全て人が為すべきこと――。貴様のような余計に過ぎぬ存在は、早々にこの世から消え失せるがいい」

 

声に従うように背後の軍勢が、少女に矛先を向けた。

 

「――文!!」

 

その時、俺の両脚は無意識のうちに動いていた。

自分が死ぬよりも恐ろしい事態の回避のために走った。

全ての思考を放棄して、直線で彼女に向かう。

十秒も掛からないで、文の手を握れる距離――。

 

「衛宮君!?」

 

最初に俺の行動に気付いたのは、遠坂だった。

男の剣群を見た時の顔とは別種の驚きを俺に向けていた。

 

「征け――」

 

宝具の軍勢の一群が放たれた。

あいつがアーチャーと呼ばれている由来を理解する。

あの男は、ああやって背後の武器を撃ち出して攻撃を行う。

そして吐き出される全てが、伝説を持つ宝具というデタラメ。

 

射出された数は、四つ。

そのどれか一つであっても、文の絶命は免れない。

投射の角度からして、セイバーの隣で膝を突く彼女だけを狙ったもの。

とても今の文に躱せるものじゃない。

仮に俺が盾になっても、何の意味もないだろう。

その程度で勢いを落とさず、二人とも貫かれて死ぬだけ。

 

「……は! ……は!」

 

それ以前に、俺が間に合わない!

射出された宝具よりも速く、彼女の元に辿り着くのは不可能だった。

……ふざけるな。このまま死ぬのを見ているだけなのか!

そんなの絶対に許せるわけがない! 思考をしろ、衛宮士郎!

文が俺に教えてくれたんだ! 悩め悩め思考しろ!!

何か……何か、あるはず……何かが――。

 

「セイバー! お願い!!」

 

遠坂らしくない大きな声が聞こえた。

セイバーがマスターの視線の先を追った。そこにいるのは死にかけの少女。

 

「……わかりました」

 

翠の瞳が俺を一瞥する。それは明らかに侮蔑だった。

遠坂が叫んだ意味を知り、セイバーの視線の意味も理解する。

『なぜ敵のマスターを助ける必要があるのか』と――。

だが瞳に感情を灯すのも、ほんの一瞬。

遠坂の剣であるセイバーに、疑問はあっても私情を挟む余地はない。

 

「はぁ――!!」

 

己の頭上を通過しようとする赤い刀剣を、自身の宝具で叩き付けた。

体重を乗せた大上段でも、剣は勢いを殺せず逸れるだけ。

軌道を外れた赤い剣は、雨で濡れた芝生を貫いて一帯を炎上させた。

宝具に付加された力だった。こんなに色濃い炎は一度だって見たことがない。

残りの宝具も、魔力でブーストされた彼女の剣によって、次々にねじ伏せていく。

そして、四つ全てを迎撃した。

セイバーは文との戦闘の疲れも見せずに、今の剣舞で息の一つも乱していない。

 

「ほう、流石よな。その魔力、その剣技。少しも衰えてはいないようだ。我が見込んだだけはある。まさに獅子と呼ぶに相応しい女よ」

 

文を狙ったはずの剣を邪魔されても、男は気にもとめずにいた。

それどころか嬉しそうに顔を歪ませ、セイバーに手放しの賞賛を送る。

しかし男の放った宝具は、たった四つでしかない。

あいつの背後で待機する宝具の数は、ここにいる全員の指を足しても届かない。

もしあれが一斉に射出されれば、俺たちは跡形すらも残らないだろう。

けれど今は、絶望的な状況を分析している場合じゃない。

 

「文! 文!!」

 

ようやく、少女の小さな手を握れた。

俺のガラクタの心が、たったそれだけで涙が出そうになる。

二度と放したくないと思った。

今にも崩れ落ちそうな文の手は冷たく、体温というものを感じさせない。

 

「……文! 大丈夫か!?」

 

馬鹿な質問だった。だけど、確認せずにはいられなかった。

返事はない。それでも、俯いた少女の瞳は生気を失ってはいない。

セイバーに斬られる直前に浮かべていた諦めの色はどこにもない。

 

言いたいことは色々とあったが、今ここにいるのは危険だ。

文を背負って、公園の外へ走り出す。

 

「…………!」

 

俺の首に回る少女の腕は、信じられないほど力強かった。

『絶対に死ねない』と彼女は心の底から叫んでいた。

 

「行くぞ」

 

手を握り返したくなったが、そんな暇はない。

……以前も文を背負ったことがあったが、やはり重さは感じなった。

そうだとも。

千年以上生きたとしても、見た目は成長すらも終えていない子供だった。

 

「遠坂、助かった……!」

 

遠坂を通り過ぎる前に、それだけ伝える。

ここにいるのは、他の誰よりも格好いい女の子だった。

同じ学園の同級生であるのを、誇りに思えるぐらいに。

彼女は一見すると呆れていたが、それ以上にさっぱりした顔をしていた。

 

「はあ、私もなにやってんだか。どう考えてもこんなのは心の贅肉よね。……ま、これで借金を返すどころか、衛宮君に大きな貸しを作れたし。よしとしますか」

 

少しだけ意地の悪い少女の声を聞きながら、俺は全力で走った。

 

「……本当にありがとう、遠坂」

 

俺は、また感謝を呟いた。

それは、決して遠坂には届かない言葉。だけど、今はそれでもいい。

次に感謝を伝えるのは、何もかもが終わってからだ。

 

一生を使っても返せない貸しを彼女に作ってしまった。

 

 

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ――」

 

少女の重みを背中に感じ、ただ走る。

遊具が一つもない公園を、ここまで恨めしいと思ったことはない。

身を隠す場所もなく、全力疾走で距離を取るだけ。

速く走るほど身体は大きく揺れる。

セイバーから受けた傷に響くだろうが、ここで速度を落とすわけにはいかなかった。

ぬかるむ土に足を取られそうになるも、何があっても転倒はできない。

 

このペースを乱せば、確実に命を落とす。

どれだけ距離を離そうと、外気の冷たさに匹敵する視線から逃げられない。

男の放つ魔射の射程からは、今も逃れ切れていない。

 

「滑稽なほど無駄な足掻きだ、雑種。我が殺すと決めた以上、貴様らの死は絶対だ。疾く死ぬといい」

 

男とは50メートルぐらい離れたはず。

それなのに、あいつの声は目の前で告げられたように鼓膜を響かせた。

向けられた殺意が、冷たく背中を刺す。

それはおそらく、俺の背中に宝具の一群を向けられたもの。

どれだけ速く走ろうとも、あの宝具を躱せない。

 

「こんなところで……終わらせるか! 死ぬものか! 文を死なせるか!」

 

自らを鼓舞する言葉は意味を得ず、背後の殺意に飲まれてしまう。

周囲に身を守れる遮蔽物はない。

いや、そもそもあの剣群を前に遮蔽物など意味もない。容易く貫き、俺たちを殺し尽くす。

 

「……私を前にして、他に剣を向けるとは随分と余裕だな、アーチャー」

 

セイバーの声は、怒気を感じさせるものだった。

剣を持った自分を前にして、相手にされないのを侮辱と感じている。

 

「何を言い出すのかと思えば、そのようなことか。王たるもの、如何なる時でも余裕であるもの。国を統べる存在とは、絶対の超越者でなければならぬ。でなければ、民も家臣も支配できぬわ。――ク、ハハハ、そうか! お前はその余裕の無さから、国が滅びたのだったな!! フ、ハハ、ハハハハハハ!」

 

王後の男の哄笑が、夜の公園を支配した。

 

「アーチャー! 貴様……!!」

 

大気を大きく揺らす、セイバーの怒り。

かつてない少女の憤激を受けても尚、男は笑うのを止めない。

彼女の怒りなど、些末であるように嘲笑う。

 

「貴様ァァ!!」

 

直後――鋭い金属が衝突する音が響いた。

振り向かなくても、何が起きたのかは明白。

セイバーが、男に向かって斬り掛かったのだ。

 

再び戦闘が始まった。

だが、その戦いに気を取られている余裕はない。

この一瞬だけが、公園から逃げおおせる唯一のチャンス。

セイバーが奏でる剣戟を背に、公園を駆け抜ける。

 

これは間違いなく、敗走だった。

正義の味方を目指すなら、逃げ出してはいけない戦い。

当然、俺がいたところで、ただ殺されるだけ。

だが、何もやらないのが問題だった。

爺さんから託された夢を追うならば、ただ一度の敗走だって許してはいけない。

 

でも今は、俺の背中に文がいた。雨と、自らの血で全身を濡らしていた。

熱を少しでも奪われないように身体を震わせ、寒さに耐え続けている。

生き足掻こうとする腕の力は、少しだって失われていない。

だったら俺は何もかもを捨て、彼女を助けることだけを優先する。

 

彼女に死なれるのが、怖くて仕方がなかった。

文を生かすためには、この敗走だって絶対に間違っていない。

 

そして、気付いた時には剣戟の音は聞こえなくなっていた。

 

 

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