文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
それは――なるべくしてなったのだろう。
剣の英霊であるセイバーの正体は、ブリテン王国のアーサーである。
真名は、アルトリア・ペンドラゴン。
カリバーンによって選ばれた選定の王であり、ブリテンの伝説的な君主。
彼のアーサー王が戦場でひとたび剣を振るえば、兵を鼓舞し敵を恐怖に染め上げる。
その影響力たるや、千を超えて万の軍勢にも勝るもの。
そして恐怖に染まった敵兵は、時に味方にも勝る。
故にセイバーは単身ではなく、多勢の相手にこそ発揮できると言えた。
だが此度彼女が迎える敵兵は、剣群だった。
男の宝具である『
黄金甲冑を纏う王の背後に浮かぶ、対象を破壊するための宝具の群。
そこに思想はなく、意志も存在しない。
剣群の力は有象無象を貫いて、ただの一つであっても傾国をも可能とする。
「どうしたセイバー。先よりも動きが鈍いぞ」
剣の少女が躱した十にもなる宝具が、公園の地表を根こそぎ削り取っていく。
如何にセイバーであっても、『王の財宝』の全てを聖剣一本だけで迎え撃つには分が悪い。
間合を通常よりも広く取り、回避に専念するしかない。
セイバーの耐久性であっても、ただの一本で死にかねない。
たとえ急所から外れたとしても、全てが伝説に名を連ねる聖剣魔剣の類。
切れ味が鋭いだけではなく、様々な呪術が付与されたものもある。
中にはかすり傷であっても、彼女の命を奪う危険性のある宝具もあった。
それに剣の少女は、射命丸文から続く連戦だった。
生々しい傷もそのままで、魔力の消耗もある。
ただ文から致命的な一撃は、受けていない。
絶対的な宝具である『
決して万全とは言えない。それでも十分な余力を残していた。
「…………!」
しかしセイバーは翻弄されるばかりで、反撃の糸口を掴めずにいた。
不用意に間合を詰めれば、それだけ矢面に近づく。
一本一本が必殺の矢。迂闊な行動だけは、絶対に避けなければならない。
男の背後には百の宝具が残されており、放つ度にまた新たに補充されていく。
「ふん。次は二十とするか。ほら、躱してみせるがいい」
背後に控えていた二十余りの剣群が、少女に矛先を向けて次々と放たれていく。
剣群と言っても射出された宝具は剣だけではない。
刀であり、槍であり、斧であり、鎌であり、果ては鈍器でもあった。
差はあれど、その全てが究極と呼んで遜色のない原初宝具である。
「――――」
セイバーはその時、一つの変化を見せた。
彼女の能力なら射出される宝具がどれだけ速くても回避に専念していれば、そう簡単には当たらない。
二十という数もまた、セイバーにすれば問題ではなかった。
だが黄金の男がその気になれば、百以上の宝具を一斉に撃ち込むのも可能である。
そうなれば、全てを回避するのは不可能であり、対処方法も限られていく。
つまり、男は初めからセイバーを殺すつもりがなかった。
『セイバーを娶る』という身勝手な理由から、殺さない程度の加減をしていた。
その侮辱とも言える事実は、彼女の気質からして気付いているのかも怪しい。
ただ全力を出していないのは、理解していた。
過去の戦闘からも、男の実力はこの程度ではないのは理解している。
セイバーからすれば不本意ではあったが、そこに付け入るのが最善だと考えた。
サーヴァントを相手にして、その高みから見下ろす慢心。
それが時として、容易く命を奪うのだと知らしめる。
(……『
二度目の宝具解放は、昏倒するどころか最悪消滅してしまう可能性があった。
だが、その一度で十分だ。
セイバーの宝具の射程なら、放つと同時に男を飲み込む。
本来ならば、バーサーカーのように二度の使用などあり得ない。
一度ならず二度も耐えきったバーサーカーが、それだけ規格外の存在だった。
しかし、今はまだ使うべき場面ではない。
男は一歩も動こうとはしないが、それは動く必要もないという意味。
矢継ぎ早に展開されていく『王の財宝』によって、男の守りは鉄壁だった。
それでもセイバーは、回避した二十の宝具が半分を数えたところで前方へと跳んだ。
男は少女を獅子と例えたが、それだって結局は甘くみている。
百獣の王が、このような膠着をいつまでも望むはずがない。
獅子の顎が獲物の喉に食らいつくように、セイバーもまた牙となる剣を振り下ろす――。
「…………!」
少女は剣を脇に構えると、速度を落とさないギリギリの前屈姿勢で男に向かっていく。
一歩一歩を重くして、地面を踏み抜くように助走を付けていった。
セイバーの行く手には、男の放つ十の障害が残っている。
可能な限り姿勢を低くしているため、そのうちの何本かはセイバーの真上を通り過ぎた。
それで全てが回避できるはずもなく、幾つかの宝具は甲冑を貫いて肉を抉っていく。
「……くっ!」
それでもセイバーは、速度を落とさずに更に加速させていった。
そして次は急所を狙って飛来する長剣。回避は不可能。
「はあッ!」
セイバーは剣を片手に持ち替え、空いた右腕で剣の腹を殴る。
彼女には、未来予知に及ぶ直感がある。タイミングだけは絶対に外さない。
その結果、剣の軌道を僅かに逸らすのに成功した。
その膂力を以てしても完全には外せず、切っ先が血肉を奪う。
腰から血煙が上がったが、セイバーはただ男のいる前方のみを見据えて駆けていく。
(――今は地を駆ける脚と、剣を振るう腕が無事ならそれでいい)
聖剣を使って弾こうとは思わなかった。
セイバーの持つエクスカリバーは、あの時代では珍しい両手剣だ。
その重量から振るうのに全身を使う必要があり、それでは走る速度が僅かに落ちてしまう。
「ほう?」
剣に頼らないセイバーの吶喊は、黄金の王も感心を漏らした。
二十という、これまでで最も多く宝具を一度に射出した。
だから今回もまたセイバーは回避にのみ専念すると考えていた。
牙城に攻め入る時は攻撃が最も苛烈な時ではなく、最も緩やかな時が定石。
セイバーの吶喊は果たして戦略と呼べるほどのものなのか。
だがそれでも男の予想を超えていた裏を掻く手段ではあった。
セイバーは二十の宝具を抜けるため、間合を更に詰めていく。
剣の届く範囲に入れば、全力で振るう彼女の攻撃を防ぎきれる相手はいない。
そして、少女は全ての『王の財宝』をやり過ごした。
聖剣を再び両手に持ち直す。
ここは既に弓兵の領域ではなく、剣士の領域。
男の顔がセイバーの目前にあった。
余裕が浮かぶ真紅の双眸。愉悦に歪んだ口許。
そこに焦りは感じない。だが、それも今だけ――。
「弓兵如きが我が一撃! 受けきれるか!」
そして騎士王は、英雄王に渾身の剣を振るった。
◇
「なっ!?」
セイバーの一撃は、黄金の鎧ごと男を両断するはずだった。
「どうして……?」
二人の戦いを見ていた遠坂凛も、これまでのセイバーの戦いを見てそう信じていた。
自分の剣と自分の剣の腕には、絶対の自信がある少女も疑わなかった。
「フン」
彼女の手に、剣を振り抜いた感触というものがない。
男は元の場所から一歩だって動いていない。それどころか、何もせずに立っているだけ。
「我の鎧に傷を付けるとはな。ククク、やるではないか、セイバー」
剣の返礼と言わんばかりに、英雄王からそんな賛辞が返ってくる。
ダメージを受けた様子はない。
剣に付けられた傷に触れて、感嘆の声を漏らすだけ。
黄金の鎧は聖剣によってへこんだが、装甲を貫いたようには見えない。
両手剣は元来、鎧ごと敵を断ち切るのを目的とした武器だ。
彼女のエクスカリバーは、その分野においては最たる威力を誇る。
それが弾かれるなんて、セイバーは生涯で一度ですら経験がない。
「まさかこの程度で我から勝利を奪えるとでも思っていたのか? であれば、相当な間抜けよ。……これがおまえのすべてか? つまらん。我を飽きさせるのを許した覚えはないぞ、セイバー。あの鴉女の相手にしてもそうだ。あの程度の手合いにどれだけ時間を使った? よもや、あのように翻弄されるとはな。此度の聖杯戦争――些か手ぬるいぞ」
これ以上、呆気に取られている時間はない。
戦争では想定外の常であり、セイバーもまた幾度となく経験している。
むしろ考えた通りに行くほうが珍しい。現実とは、常に最悪を凌駕する。
(ですが……)
セイバーの今いる場所は、自身の間合であるのには変わらない。
男の能力は未知数だが、どれだけ堅牢な鎧であっても打ち込めば断ち切る自信はある。
しかしそれよりも、剥きだしとなった頭を狙えばそれで片が付く。
「ふっ!」
呼吸を整えて身体を捻り、突きによって男の頭部を狙う。
しかし、戦場で何回も経験した頭を砕く感触が剣先から返ってこない。
初撃と同様に金属音だけが返ってきた。
「狙いが単調よな。女狐のマスターも我が鎧を砕けぬと知ったら、同様の手段に転じたぞ? おまえはそこらの雑種と同じではないのだ。このまま凡百に終わってくれるなよ」
聖剣は、男がいつの間にか持っていた剣によって弾かれた。
あり得ない。片手に持てる剣で、セイバーの強撃は耐えられるものはない。
剣の少女の筋力は、目の前に立つ男を凌駕する。
体格で劣ろうとも、見た目からは信じられない重い一撃を放つ。
両手剣の攻撃を、弓兵の片手剣で防げるはずがない。
そもそも、アーチャーとは能力面で優れた英霊ではない。
強力な宝具があってこそ、アーチャークラスは他のサーヴァントと戦える。
アルトリア・ペンドラゴンはどの聖杯戦争においても、最高クラスの能力がある。
それをアーチャーがこんな簡単にいなしてみせるなんて、あり得ていい話ではない。
「…………!!」
得体が知れない男の力に、セイバーは自分の肉を削ってまで獲得した間合を再び広げた。
それに、男が追撃する様子はない。
「フハハ、どうした? まさかそれだけで終わりではあるまい?」
少女の視線は、男よりも男の持つ剣に注がれていた。
眼前に最大の敵がいても、その剣から目が放せない。
初めて見る剣なのは間違いなかった。そのはずのに、どこか懐かしさを感じる。
「その剣は、いったい……?」
声に出すつもりはなかったが、衝いて出てしまう。
「なんだこれが気になるのか? これはおまえとも縁のあるものだ。――お前の持つその聖剣。これは北欧に伝わる『支配を与える樹に刺された剣』が流れて生まれ出たものよ。そしてこの剣は、グラムの更なる原型になる」
「まさか……!」
「そう、これは竜殺しの魔剣とも呼ばれたグラムの源流よ。……竜の因子を継いだ貴様には、辛いものであろう?」
生じた違和感が、確信に成った。
ブリテンの赤き竜――。
セイバーの持つ膨大な魔力は、竜の因子が源流だ。
アルトリアの『ペンドラゴン』も、名字ではなく竜の王を意味する称号。
セイバーにとって、竜とは切り離せない存在だった。
つまり、北欧の英雄シグルドの所持した竜殺しの魔剣グラムはセイバーと相性が悪い。
驚愕の理由は、それだけではない。
「あなたは何故そんなものまで……いや、違う。一人の英霊がそれだけの宝具を持てるはずがない」
男の背後には、今も無数の宝具が浮かんでいる。
それはただの一つであっても、同一のものは存在しない。
「……我の正体が知りたいのか? 一人の英霊がここまでの宝具を持てないだと? それは早計だな、セイバー。この世界が、まだ一つだった頃の話だ。その時代、全ての財はたった一人の王の物ではなかったか?」
「全ての財を持った一人の王……!?」
「フ、ようやく察したか。我こそが人類最古、古代ウルク王のギルガメッシュ。元よりおまえが勝ちを望めるような英霊ではない」
「英雄王……」
10年前の聖杯戦争から、セイバーは男の正体を掴めずにいた。
しかし、これで全ての合点がいった。
こうして正体を知れば、今に至るまで気づかずにいたのが違和感を覚えるほど。
英雄王ギルガメッシュ――。
彼の終生を綴ったギルガメッシュ叙事詩は、全ての神話のルーツとも言われている。
彼が全ての宝具の原型を持っていたとしても、不思議ではない。
この他者を顧みない性格も、絶対の王として君臨したギルガメッシュなら頷ける。
「セイバー! そいつがギルガメッシュなら、この世界にある全ての宝具を持つことになるわ! そんなデタラメ、それこそサーヴァントキラーじゃない! ……あなたの真名が判明している以上、対抗策は限りなくある。悔しいけど、ここは一度退いて対策を立てないと……」
これまで静観に徹していた遠坂凛から、初めて声が飛んだ。
声色は気丈ではあったが、動揺がレイラインを通じてセイバーにも伝わる。
「やかましいぞ、雑種。おまえに発言を許した覚えはない。生かしているのも我の気紛れと知るがいい。ここで殺してしまうとセイバーの維持がちと面倒でな」
凛は初めて、ギルガメッシュからの直視を受ける。
たったそれだけで尻込みそうになったが、セイバーのマスターとして決して表に出すわけはいかない。
今は何としてもこの場所から退避する必要があった。睨まれただけで狼狽えている場合ではない。
しかしセイバーからの返事は、彼女の思いもしないものだった。
「……それは承知しています、凛。そうだとしても、私はここで退くような真似はできない。それにこの男がここで逃がしてくれるはずがありません」
「その通りだ。我がおめおめ逃すとでも思ったのか? つまりはだな――」
口の中はカラカラに渇いていたが、凛は唾を無理やり飲み込む。
ギルガメッシュの纏う空気が、より険呑なものに変化した。
肉眼で見えそうなほどの、圧倒的な存在感。
「ここが正念場だ、セイバー。我のものとしてこの手に下るか、それともここで死ぬか。それを選ぶ権利は貴様に与えん。……しかしな、これ以上我に刃向かうものなら、力加減を誤って殺してしまうかもしれんな。女子供に手心を加えてやるつもりはない」
背後の百の宝具が、さらに数を増やしていく。
虚空に開かれた赤い扉のうねりが、公園全体を緋色に染めていった。
「何を馬鹿なことを。結末は既に決まっている。貴様が私に倒されるだけの話だ」
翠色の瞳に揺らぎはない。もう彼女は決して臆さない。
「囀るな。我を人類最古の英雄と知りながら、尚も刃向かおうというのか」
ギルガメッシュは、自らに間違いがあると思っていない。
唯一絶対の理を説くように、僅かに苛立ちながらもセイバーに諭していく。
「これ以上、下らない問答を続ける暇はない。――ここで雌雄を決するぞ、英雄王。全力を以て貴様を討ち、聖杯を我がマスターに捧げよう!」
セイバーもまた、自身を疑わない。
選定の剣を抜いたのは間違いだったが、マスターに捧げた矜持に疑う余地などない。
「フ、ハハ。思い上がったな、セイバー。まずは力ずくで、我との力の差を教えてやる!」
夜籠もる公園は、かつての面影を失っていた。
度重なる戦闘によって、無惨に荒れ果ててしまっている。
だが、これまでの戦いはほんの始まりに過ぎない。
相容れぬ二人の王の饗宴は、これから本当の始まりを迎えようとしていた。