文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
「セイバーよ! どうやら貴様の思い上がりだったな!」
戦いが始まってから、初めて英雄王が歩き出した。
いや戦いと呼ぶものは、既に終わっていたかもしれない。
英雄王が悠然と歩む先、そこには騎士王がうつ伏せで倒れていた。
『
「…………う」
あの
しかし意識を喪失しているのか、指一つ動かさない。
「ほう。まだ生きてはいるようだ。しかし、最強の聖剣とやらがこの程度か! 笑わせてくれる! やはり女子供には加減が必要なようだったな! ……フ、ハハハハハハハッ!!」
灰燼の公園に、英雄王の哄笑が響き渡る。
「なんで、こんな……」
遠坂凛はレイラインの繋がりから、セイバーの生存を確認していた。
それはとても弱々しく、彼女の受けたダメージを否応にも理解してしまう。
これ以上の戦闘は、とてもではないが不可能だった。
それどころか残る全ての魔力を回復に当てないと、現界すらも危ぶまれる。
……セイバーの敗因は何だったのか。
『
騎士王と英雄王。
二人の解放した宝具の衝突は、完膚無きまでセイバーの敗北。
その答えは、あまりにも単純明快なもの。
単純にエクスカリバーの火力を、エヌマ・エリシュが凌駕していただけ。
「くっ……」
もし凛が男にガンド撃ちをしても、セイバーの剣すら弾く鎧を貫けるはずがない。
幾つか残された宝石であろうとも、同様の結果に終わる。
その後は、数秒のうちにギルガメッシュに殺されてしまう。
それは同時に、セイバーも殺すリスクも生む。とても冒せるものではなかった。
「クハ、ハハハハハハ――!!」
行動を起こすまでもなく、遠坂凛の戦いは終わっていた。
今も続く英雄王の呵々大笑。それが彼女には勝ち鬨にも聞こえた。
◇
この時、本来ならばあり得ないことが起きていた。
それは、二つの要因が重なった偶然。
一つは、セイバーのマスターが遠坂凛であったこと。
それによって彼女の基本性能は、衛宮士郎がマスターだった時を遙かに超える。
そして二つ目は、令呪による宝具の強化。
結果として、エヌマ・エリシュを破るまでは至らなかった。
しかしその火力は、これまで聖杯戦争で使った四回のうち群を抜いた性能だった。
相殺には至らなかったが、エヌマ・エリシュの力を大幅に削いでいた。
そんな偶然が重なって、あり得ないことが起きる。
「う、くっ……」
セイバーに意識が残されていた。
全身を貫いたエヌマ・エリシュのダメージによって、苦痛の喘ぎが漏れる。
その声は、笑い続けるギルガメッシュの耳に届かない。
口に広がる鉄の味。呼吸がまともにできない激痛。
彼女は、自分の身体がバラバラになっていると錯覚していた。
(……ああ。まだ私の四肢はあるようですね)
目では確認していないが、少女の手には聖剣の感触が伝わってきた。
剣を握る力だってまだある。
失われた魔力も、徐々に戻ってくるのがわかった。
レイラインを通して、凛から魔力が急激に供給されていた。
並の魔術師であれば、宝具の解放後にここまでの魔力を送ることはできない。
遠坂凛という稀代の才能が、こうしてセイバーを生かしていた。
それは、冷徹な魔術師ではあり得ない少女の優しさと、絶対の信頼だった。
(なら私は、彼女の優しさに甘えるのではなく、彼女の信頼に応えなければならない!)
セイバーの耳に地面を伝わって、金属性の足音が聞こえていた。
その音は、すぐ近くで止まる。
顔を上げれば、すぐそこに男の姿があるだろう。
そう考えた直後、ギルガメッシュによって髪を無造作に掴まれた。
少女の矮躯を男の目線の高さに持ち上げると、そこに嗜虐に満ちた紅玉の目が二つ。
「我の手に下る気にはなったか? ……だがな、こうもあっさりでは面白味に欠けるものよ」
「…………」
セイバーは、何も答えない。
無言が答えであると言わんばかりに、翠色の眼差しで男を射抜く。
「ほう、まだ意識はあるようだ。しかし、その反抗的な目は変わらぬか! ハハハ!」
ギルガメッシュは目を細めて、喜悦を浮かべる。
未だ反抗的な少女に怒りを感じるどころか、真逆とも取れる態度を見せた。
もしここでセイバーが屈していたのなら、男はその時点で興味を失っていただろう。
「……気づいてないのか。私の手には未だ剣が握られているぞ」
身体を持ち上げられても尚、少女は決して剣を離さない。
「ク、フハハハハハハ! この有様で何ができるというのだ! 貴様は既に立つのもままならぬ状態であろう?」
英雄王には、
自身の宝具を真正面から受けて、セイバーはまともに反撃ができない、と。
そう決めつけ、思い込んでいた。
もし男の慧眼が慢心に曇っていなければ、誰よりも先に気づいていたはず。
だが、もう遅い。
セイバーは、傷を回復させるために凛から供給された魔力を全て剣に込めていた。
更には自身のエーテルで編まれた甲冑も解いて、それすらも魔力として送っていく。
彼女の聖剣から伝わるのは、少し前と同様の魔力の迸り。
「……なに?」
凛もレイラインから、魔力の流出が急激に速まるのを感じた。
その瞬間に、セイバーがこれからやろうとする行為にも気づく。
「…………!! 駄目よセイバー!! そんなの無事で済むわけがないわ!!」
剣の少女は、マスターの命令には従えなかった。
今の彼女に英雄王を倒す手段は、もはやこれしかない。
「まさか、貴様……!?」
ギルガメッシュは、掴んでいたセイバーの髪を放す。
騎士王は再び灰燼に顔を埋めることはなく、二本の足で地面を強く踏みしめた。
「ここは私の領域だ。自ら間合を詰めるとは油断したな、英雄王!」
「ッ――抜かせ!!」
英雄王もまた、手に持った乖離剣に魔力を込める。
『エクス――!!』
しかし間に合わない。勝利の剣はもう振り下ろされた。
『――カリバーッッ!!』
男の宝具解放よりも、ずっと早く――。
聖剣の力は黄金の鎧を容易く砕いて、血煙を夜に舞わせた。
◇
「う…………」
宝具を解放し、振り下ろした剣に重みを感じなかった。
自分が立っているかどうかも、あやふやではっきりとしない。
目がかすんでしまって、前が見えない。
頭を強く叩かれたように、大きな耳鳴りが響いている。
肉体の修復を無視して使った『
禁止されていた二度目の宝具解放であり、出力は一度目と比較にならないぐらい落ちていた。
しかし、英雄王はエクスカリバーの切っ先の届く距離で宝具を受けた。
剣を振り抜いた瞬間、馴染みのある人体を斬る感触も伝わっていた。
その代償は大きく、セイバーの魔力は枯渇した。
急激な魔力消費によって、五感の幾つかに損害。または消失していた。
「カ――ハ」
呼吸ができない。
酸素を取り込もうとしても、肺そのものが機能を停止している。
まるでスイッチをオフにしたように、意識が奈落の底に転がり落ちていく。
このまま意識を手放したら、二度と目を覚まさない確信があった。
そう理解しても、意識の喪失から抗えそうもない。
だが――。
なにがあっても、倒れるわけにはいかない。
なにがあっても、確認しなければならない。
「…………ッ」
セイバーは、舌の先端を噛み切る。
曖昧だった痛みが鋭くなり、靄のかかった視界が少しずつはっきりとしていく。
そんな視界の先に、男の顔が映った。
(――生きている!?)
眼前に英雄王の姿があった。
俯く表情は、垂れた前髪に隠されて見えない。
だが口元には他者を見下す笑みはなく、端からも血が流れている。
大きなダメージは、確実に受けていた。
あの馬鹿げた強度の鎧も砕け散り、肉体を深いところまで切り裂いている。
剥き出しの上半身に、大きな太刀傷。
エクスカリバーの熱量によって、傷口も焼け焦げていた。
肉体に受けたダメージなら、セイバーよりもギルガメッシュが上――。
これは彼女に残された、最後の好機。
それなら、ただ一度。
ただ一度だけ、剣を振り下ろせば。
ギルガメッシュを倒せる――。
ならば。
ならば、今ここで。
英雄王に、終止符を――。
セイバーの魔力は、枯れ果てている。
通常の魔術師の何十倍ものキャパシティを持つ遠坂凛であっても、補いきれる状態ではない。
エヌマ・エリシュによる肉体的損害。いつ消失してもおかしくない魔力消費。
少女の両手足の感覚は、とっくに喪失していた。
それでも四肢は未だ健在であり、千切れてしまったわけではない。
(だったら動かせない道理はない!)
彼女は感覚のない両脚で身体を支えて、剣を大きく振り上げた。
黒く広がる曇天を切り開くようなセイバーの聖剣。
その刀身に一瞬だけ、遠坂凛の顔を映した気がした。
その顔は聖杯戦争の勝利よりも、セイバーの身だけを案じていた。
そんな今にも泣き出しそうな、女の子の顔。
(――ああ、凛。そのような顔はしないでほしい。あなたには決して似合わない顔だ。……それに心配は無用です。これで、聖杯はあなたのものになるのだから)
もう声には出せなかったが、セイバーはそれだけを伝えたかった。
言葉にならない以上、行動と結果で想いを示す。
そして残された魔力を燃やし尽くし、頭上高く掲げた剣を振り下ろした。
「あ……」
――ぱきり。
セイバーは、自分が内側から砕ける音をはっきりと聞いた。
痛みはなかった。痛みはもう感じなかった。
意志に反して、身体が崩れていくのがわかった。
それは比喩ではなく、少女の内側がぐずぐずになって崩れ始めていた。
残された時間は、もうどこにもない。
命を使った一撃だった――。
そして、そんな最後の攻撃は、ギルガメッシュに当たらなかった。
乖離剣を掲げて、少女の剣を軽く受け止めていた。
「――は、惜しかったな」
ギルガメッシュが顔を上げる。紅玉の瞳には、何の曇りもなかった。
力強さは失われていたが、そこに慢心の色はない。
最後の攻撃を防がれた直後、少女の手から聖剣がこぼれ落ちた。
彼女には、剣を握る力も残されていない。
肉体に魔力を宿していないセイバーは、同じ年頃の少女と変わらない程度の力しかない。
如何に命を使った攻撃であったとしても、その威力はたかが知れていた。
少女の身体が、ぐらりと揺れる。
(……倒れて、しまう。それ、だけは絶対に、駄目だ……凛を、泣かせて……)
「ああ……すみま、せん、リ――」
絞り出した謝罪は言葉にならず、セイバーは前のめりに倒れた。
◇
「セイバー、膝をつくことを許した覚えはないぞ。おまえは我の認めた女であろう? そのような醜態、我の前で晒すなど決して許されぬ」
地面に触れる直前、セイバーの身体をギルガメッシュが支えた。
小さな背中に手を置いて、乱暴に少女を抱き寄せる。
その姿は、抱擁と呼べるような状態だった。しかし、セイバーからの抵抗はなかった。
彼女はもう、指一つだって動かせない。混濁した意識は、何もかも曖昧にさせた。
ギルガメッシュは抱き寄せたまま、紅い双眸で少女の顔を無表情に見る。
「どう足掻こうとも助からぬ。このままでも、暫時のうちに朽ち果てるだろう」
男が、か細い首にそっと指を掛けた。
「そうであればな、セイバー。おまえは我の腕の中で、死ね」
ギルガメッシュが腕に力を込めた。
それは、窒息させるような優しいものではない。
人体の重要器官を簡単に潰してしまう、サーヴァントの力。
その行為に躊躇などなく、セイバーの首は音を立てて――潰れた。
「……ガ、ハ」
潰された喉から泡混じりの血と、僅かに残った酸素を吐き出す。
その瞬間、翠色の瞳が見開かれていた。
何かに驚いているように、大きく開かれている。
そして徐々に虹彩から色が失われ、瞳孔もまた拡散していく。
瞳から生命が失われた。
「……………………」
冷たくなった顔を、男の指先が触れる。
それは今まさに、セイバーの首を握り潰した男の指だった。
割れ物を扱うかのように、少女の目元を優しく撫でた。
「……ふん、最期まで我に屈しなかったか。いや……それでこそ、おまえであったな。……ではな、騎士王。此度の饗宴、なかなかに楽しかったぞ」
セイバーの瞼は、もう閉じられていた。
その直後、彼女を構成するエーテルが冬木に空に拡散していく。
焼けた煤が漂う虚空に飲まれると、すぐに消えていった。
そこにはもう、セイバーの姿はなく。
騎士王の最期を看取り、天を仰ぐ英雄王の姿だけがあった。