文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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64.追う男、追われる男

 

 

新都のオフィス街に硬質な音が響く。

ギルガメッシュが避けた矢が、ビルの壁面に刺さった音だった。

必中だと思った矢は、射命丸文の予言通り失敗に終わる。

 

俺は『中る』とイメージして放った矢を、これまで一度だって外したことがない。

しかも今の矢は文の特製のものであり、音速を超えるスピードが出ていた。

そうであっても、ギルガメッシュ相手には何の意味もなかった。

人間では、絶対にあり得ない反応速度。

サーヴァントと呼ばれる存在は、根本的に人間とのステージが違っている。

同じ舞台には、決して立てない存在なのだと理解してしまう。

 

そしてギルガメッシュが振り返り、気怠そうに揺れる深紅の半眼が俺を捉えた。

 

「……貴様か、雑種」

 

ギルガメッシュとの距離は、十分に離れている。

50メートル――。

それなのに、どうして俺まで声が届くんだ……?

 

「我に一矢報いようとでもしたのか? ……笑わせるなよ。この身はアーチャーを冠するサーヴァントだ。いくら不意を突こうとも、雑種如きの矢が当たるはずもないわ」

 

今はまだ反撃をする様子はない。

……予想した通り、ギルガメッシュは俺を敵として見ていない。

それも当然に思えてしまう。いま俺はそれだけの相手の前にいる。

射命丸文とは、別種のプレッシャー。

彼女が人間の根源的な恐怖の象徴なら、あいつは存在するだけで他の全てを圧倒する。

……文を倒して、聖杯戦争を最後まで勝ち残ったセイバー。

そんな彼女を殺した、イレギュラーである8人目のサーヴァント。

古代メソポタミアの王。半神半人の暴君。人類最古の英雄王、ギルガメッシュ。

 

「我はこの上なく機嫌が悪い。だが、疾く自害すれば許してやらんでもない。…………これ以上、我に刃向かうようであれば、わかるよな?」

 

赤い瞳に射抜かれる。

それだけで、身体の自由を奪われてしまいそうだ。

だがここで怖じ気づくわけにはいかない。

圧倒的な存在感に飲み込まれないよう、肺の空気を入れ替えた。

悴みそうになった手に、血を通わせて強く握る。

……この身体は、思う通りに動いている。

なら大丈夫だ。俺は成すべきことを成すまで。

 

大きく息を吸い、二本目の矢を弓に番えた。

これで残された矢は一本だけ。

弓構えの作法もデタラメに、最速で男に向かって矢を放つ。

 

「フン、どこまでも愚かよ」

 

ギルガメッシュは気だるい表情のまま、眉一つ崩さない。

だが、風向きが変わるように殺意が俺に向けられる。

あいつが初めて見せた敵意。自らの死を容易く連想させてしまう。

これで、英雄王が俺を殺すのは確定した。

……ただの矢なら、ギルガメッシュに届く前に俺が殺されるだろう。

だがあの矢は、音を超えて対象を貫くもの。

 

矢が届くのを確認しない。

放った瞬間に後ろを振り返り、全力で走り出した。

結果はすでにわかっている。ギルガメッシュに矢は絶対に当たらない。

それは不意打ちの時点でわかっていたこと。

それでもあいつは、重傷を負っている。

いくらサーヴァントであっても、回避行動なしに反撃には移れない。

 

今はただ、目的の場所に向かって走る。

文の計画通りに進めるだけ。ギルガメッシュとの距離は、約50メートル。

サーヴァント相手にするのは、あまりにも短い距離。

それに、中距離戦を得意とするギルガメッシュ相手では格好の餌食だ。

 

闇雲に路地を走るだけでは、すぐに殺されてしまう。

ビルの合間を通るようにして、決して背中を見せない。

いくらギルガメッシュでも、オフィスビルごと俺を殺すのは骨が折れる。

あの傷なら、すぐには追いつけないはず。

 

俺を殺すために、追ってきているのは間違いない。

その証拠に、背後から感じる気配が徐々に濃くなっていく。

否応なくあいつが俺に近づいているのがわかる。

後ろを振り向く余裕はない。そのタイムロスが、俺の生死を決める。

 

目的地までは、そこまで遠くない。視界にずっと入っている。

疲労もピークに達していた。連日の疲れもある。

それよりも、後ろから伝わる緊張の影響が大きい。

英雄王と呼ばれる最強のサーヴァントが、俺を殺すために迫ってきてる。

これに勝る緊張など、この世には存在しない。

 

だけど、あと少し。あと少しだ。

 

 

 

 

目的地まで続く最後の道に入った時。

何者かに後ろから押されたように、背中に衝撃が走った。

 

「なんだ……?」

 

後ろを確認しようとしたが、身体が思うように動かない。

しかし、背中を確認しなくても原因は判明した。

豪華な装飾が施された刀身が、俺の脇腹を貫いていたからだ。

 

「――――!」

 

触れて確認するより先に、身体がつんのめるように転倒する。

これは……まずい……。

 

「う、ぐあああああああ…………!!」

 

転倒から数秒間遅れて、腹部から激痛が走った。

名刀の鋭さから刺された直後は痛みを感じずに、衝撃だけが伝わったのだ。

俺は人より我慢強いと自負していた。だが、そんな考えが一瞬で吹き飛んでしまう。

 

「ぐう、うううう……!」

 

覚悟を曖昧にさせる苦痛が、腹と背中の両方から襲ってくる。

苦痛に呻くが、内臓を無理やり押し上げられる気持ち悪さがこみ上げる。

口の中に、酸味の混じった血の味が広がっていく。

地面の上でのたうち回りたかったが、痛みのあまりにそれすらも叶わない。

 

「違う……今は、そんな場合じゃない……」

 

立ち上がろうとしたが、痛みと熱が増すだけで身体が動かない。

背後からコツコツと硬質の足音が近づいてくる。

間違いなく、ギルガメッシュだった。

 

ふざけるな……。

こんなところで寝転がっている場合じゃないのに……。

 

痛みが増す刃傷を無視して、前へ前へと進もうとする。

両腕を使って這うように移動しても、この程度の速度じゃ何の意味もない。

そうしているうちに、足音が俺のすぐ後ろで止まった。

 

「さて、下らぬ余興はここまでだ。……何を企もうとも、我に通じると思ったのか?」

 

振り向いて、確認するまでもない。

ギルガメッシュは、もう手の届く距離にいる。

……サーヴァントを出し抜こうなんて、甘い考えだった。

あいつからすれば、俺なんていつでも殺せた。

 

「――フン」

 

そして、俺の背中に刺さった剣を無造作に引き抜いた。

 

「……あああああ!!!!」

 

肉が更に裂けて、激痛に追い打ちが掛かった。

穴を塞ぐ栓が抜けて、アスファルトの地面を更に血で汚していく。

 

「雑種の血で我の至宝が汚れてしまったわ」

 

剣が抜けたおかげで、身動きだけは少しだけ取りやすくなった。

そこからなんとか上体だけ起こして、ギルガメッシュと対峙する。

 

「王に弓を引く不敬者を、ただ殺すのもつまらぬな。…………あの烏女はどうした? まさか貴様だけで我に歯向かおうとしたわけではあるまい?」

 

ギルガメッシュは、まだ文の居場所を察知できていない。

 

「……まあいい。あのような出来損ないなど、我自ら探すのも面倒だ。貴様を殺し、聖杯戦争を終わらせるとしよう」

 

血で濡れた切っ先を、俺の胸に向けた。

その剣をあと少し前に突き出せば、衛宮士郎の命は終わる。

 

「…………」

 

……俺は、こんなところで死ぬのか?

文から託された計画も、切嗣から託された理想も成し遂げないまま?

駄目だ! そんなのは絶対に駄目だ!

体は………この体は、もう動かないのか!

 

腹の傷を無視して、全身にありったけの力を込めた。

後でどうなろうと、知ったことではなかった。

ここで死んでしまえば、何もかも同じだ。

 

「う、く……! ああああ……!!」

 

手は動いた。足も動いた。

……ああ……なんだ……だったら、何も問題ないじゃないか!

両脚がこうして無事であるなら、立てない道理はない。

 

俺の目の前にはもう、新都センタービルが聳え立っている。

それなら、立ち上がらなければ――立ち上がらなければならない。

そうでないと、彼女の計画が水泡に帰してしまう。

失敗しても、文は恨まないと言ってくれた。

だけど、そんなことはどうでもよかった。

 

一度だけでもよかった。

俺はあの子に、射命丸文に認められたかった。

これまでずっと、俺の存在をつまらなくて、取るに足らない存在として見ていた。

出会った日から今に至るまで、その認識も大して変わってないだろう。

それは、痛いほどわかっている。言葉に出していたし、態度でもわかった。

 

だから俺は、射命丸文に――好きな女の子に、あっと言わせたかった。

そんな子供のように、みっともない感情。

だが、その感情が他の何よりも大きかった。

対等なパートナーとして、彼女の隣に立ちたい。

それが叶えられないのなら、俺は正義の味方になんて絶対になれない。

たった一度だけ。

あの子が、本心から驚く顔をたった一度でもいいから見たい。

それだけが、俺を動かす原動力になっている。

 

膝に力を入れて、アスファルトに足をつけた。

失血の影響で膝がガクガクと震える。硬い地面なのに少しも安定しない。

今にも崩れ落ちそうだ。

倒れて楽になれと、高ぶる精神に反して身体が警告する。

そんな身体からの抵抗にも無理やり抗って、膝へ力を込めていく。

腹に開いた穴から、粘度のある血が溢れた。

 

「ぐうううう……!」

 

だが立てた。

呼吸も定まらず、両腕も弛緩したように垂れているが、立てている。

それなら、文のところに行かなければ……。

 

「ほう。その傷で立ち上がるとはな。……さて、それでどうするつもりだ? 我は、貴様を殺すことに感慨なぞ一つもないぞ?」

 

立ち上がって初めて対峙する形になったが、ギルガメッシュは表情を崩さない。

言葉以上に、感情の揺らぎがない。

ギルガメッシュの剣の一振りによって、俺は何の抵抗もできずに死ぬ。

だがそんなことは、重要ではない。

これ以上は何も考えないで、俺は英雄王に背を向けた。それは逃げるためではない。

 

「はあ、はあ……」

 

こうして立って動ける以上、文の計画はまだ破綻してはいない。

俺は、その計画を遂行するだけ――。

 

「此度の聖杯戦争は、これにて仕舞いだ。ク――あまりにも下らぬ幕切れだったな、言峰よ」

 

すぐ背後から、自嘲的なギルガメッシュの言葉。

そして俺を殺すべく、英雄王が剣を振り上げるのを感じた。

 

 

 

 

今際の際になって、ふと疑問に思った。

ギルガメッシュは、文に気づいていなかった。

逆に彼女は、ギルガメッシュに気づいていないのか?

……いいや、そんな筈はない。

冬木を一望できる場所にいて、英雄王に気づかないはずがない。

だったら、今のこの状況も当然――。

 

疑問が氷解するのと同時に、馴染みのある風の力を感じた。

俺の頭上に突風が通過すると、背後からの金属の衝突音。

ギルガメッシュが俺を殺すために振り上げた剣が、弾き飛ばされて宙を舞った。

 

「ハ、そこか――!」

 

ギルガメッシュが、冬木センタービルの屋上へと視線を向けた。

ここから100メートルほど離れた、冬木で最も高いビルの屋上。

そこに、一人の少女の姿があった。

屋上の塔屋に立って、他者を見下した可愛げのない笑みを浮かべている。

指先をくいくいと動かし、ギルガメッシュを挑発した。

 

「この我を笑うとはな。死に損ないの化物めが」

 

ギルガメッシュに、初めて表情と呼ばれるものが生まれる。

直前まで殺そうとしていた俺の脇を通り過ぎて、ビルに向かって歩き出した。

 

「よかろう。このような結末に興が冷めていたところだ。ならば、この英雄王が直々に決着をつけてやろうではないか!」

 

それは、ただの独り言だった。俺に言ったわけではない。

俺には一瞥も与えず、何の関心も示さない。

小さくなっていく、男の背中。

どうやら首の皮一枚で、命が助かったようだった。

僅かに緊張が解けたが、そこに安堵はない。

 

「う、あ……」

 

腹の傷が痛む。

口から血と胃液が混じった味がして、吐きだしてしまいそうだ。

気が緩んだ瞬間に、気を失ってしまう。

失神して、この苦痛から一時でも解放されるのなら……。

そんな甘美な誘惑に負けそうになったが、それは俺自身が許さない。

 

今回、俺が文に頼まれたことは一つ。

『ギルガメッシュを冬木センタービルの屋上に連れて行く』というもの。

それ以上の詳細は聞かされていない。あとは何とかすると言われた。

こうして、あいつが自発的に目的地に向かった以上、俺の仕事は終わっている。

 

「文……」

 

ギルガメッシュはビルに侵入して、屋上に向かっているだろう。

 

「…………」

 

俺の身体は、自然と歩き出していた。

こんな場所で何もせずに、じっとしているなんてできない。

走ることは、不可能だった。

腹の傷を庇うように、文のいるビルに向かっていく。

呼吸が浅く、傷が焼き付くように熱い。

こんな無茶をしたところで、俺には何もできない。

こうして歩くのもやっとな状態。それで何ができるというのか。

だけど、歩くのをやめようとは思えない。

 

全てが終わる瞬間をただ待っているだけなんて、絶対にできなかった。

 

 

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