文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
壁に身体を預けながら、冬木センタービルの階段を上っていく。
当然だが、エレベーターは屋上まで続いていない。
「ハァ……ハァ……」
腹に穴が開いた状態で階段を上るのは、自殺行為だろう。
傷は腕で押さえているが、こんなのは焼け石に水でしかない。
今だって、指の隙間から熱い液体が滴っている。
それに反比例して、身体から熱が奪われているようだった。
最後の戦いを見届けたい。
遠坂に託されたセイバーのカルンウェナン。
その短剣は腰に差し、右手には最後の矢を握っている。
聖杯戦争の顛末を、この目に焼き付けたい。
それは、マスターとしての義務感からではない。
俺は聖杯戦争で、最初から最後まで蚊帳の外だった。
正義の味方になると誓ったあの日から、爺さんから教わった鍛錬を重ねてきた。
それが理想に通じる道だと、信じて疑わなかった。
その想いは、今だって変わらない。
だがその積み重ねたものは、聖杯戦争では大して役に立たなかった。
何もできない自分の力の無さが、悔しかった。泣きたくもなった。
それでも自分の意志によって、俺は最後まで前を向いて歩き続けたい。
報われなくてもいい。もう二度と、振り返りたくなかった。
そして、延々と続いた屋上までの階段を登りきる。
屋上の扉は、開いていた。
冬の冷たい風が鉄扉を、ギシギシと揺らしている。
扉の先――そこに、ギルガメッシュと射命丸文の二人がいた。
◇
重たい身体を引きずって、戦場に足を踏み入れる。
センタービルの屋上は想像以上に広かったが、サーヴァントからしたらそうでもないだろう。
身を隠せるものは、俺の後ろにある塔屋ぐらいだ。
いま対峙している二人は、両名ともアーチャークラスのサーヴァント。
文にとっても、ギルガメッシュにとっても、端から端までが射程の範囲内。
恐怖は、すでに麻痺していた。
頭の中は、かつてなく冷静さを保っている。
ここにいるだけで、文の邪魔になるのはわかっている。
しかしギルガメッシュが、今になって俺を構うとは思えない。
屋上に現れた時点で、俺の存在に二人は気づいているはず。
それなのに文もギルガメッシュも、一度だって俺を視界に入れない。
あの二人にとって、俺はその程度の存在でしかなかった。
「王様。遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。何のおもてなしもできませんが、寛いでいただけると幸いです」
文はへらへらと軽薄な笑みで、ギルガメッシュを迎えた。
口調はやけに丁寧だったが、俺には相手に対しての侮辱にしか聞こえない。
彼女の心と身体はとっくに限界なのに、青白い顔色のままいつもの自分を保っていた。
「なに、貴様のような矮小な存在に見下ろされるのは少々癪だったのでな」
少女の挑発めいた言葉に、ギルガメッシュもまた軽口で返す。
思えば、二人ともセイバーに傷を負わされている。
……剣の少女が、聖杯戦争を勝ち抜いたとしても不思議ではなかった。
だがこうして最後に立っているのは、射命丸文とギルガメッシュのアーチャーを冠した両名。
数値で計れる強さだけでは、聖杯戦争は決して勝ち残れない。
「あらま、見下していたのがばれていましたか。ですが、惨めに地を這う人間を見下すのは面白いものですよ。それがあなたのような高慢な男だと尚更です」
「囀るなよ、化物が。王とは、視界に入る全てを飲み込む者だ。故に高みに立つ責務がある。貴様のような空を飛ぶしか能がない羽虫に、到底理解が及ぶものではない」
「確かに理解できませんね。もっとも理解したくもありませんが。……それでは、人間の王様。とりあえず、あなたはここで死んでもらいます」
何でもないように、文はギルガメッシュに告げた。
「……聞くに堪えぬ冗談だな。我の機嫌を損ねれば、貴様など須臾の間に肉塊へ変えられるぞ」
「何を馬鹿なことを。初めからそのつもりだったでしょうに。今こうして私と話していることが想定外です」
「ふ……はははははは! そうだ! そうだったな! 出来損ないの下らぬ戯言に付き合うなど、我もどうやら感傷があるようだ!」
感傷――。
あの男が口に出すとは、到底思えない言葉だった。
それは、セイバーのことを言っているのか。
「ふむ。自ら手で殺した女性を想ってですか。その手のネタは低俗ではあるんですが、昔からウケはいいんですよね。ま、そんな大失恋のあとに恐縮ですが、そろそろ覚悟を決めてください」
「貴様が死ぬのは必定よ。なに、覚悟などは必要ない。貴様は羽虫のように死ぬだけだからな」
緊張が伝わってくる。
ギルガメッシュが文に向ける殺意は、俺に向けていたものと桁が違う。
人類最古の英雄王は、射命丸文を己の敵として見ていた。
「いざ尋常に勝負……と言いたいところですが、私の残された体力で長々と戦うと、その間にぽっくり逝ってしまいます」
それは、俺も懸念していた。
文は目前に死が迫っている。明らかに戦えるような状態ではない。
ただでさえ英雄に対しての相性が悪いのに、こんな正面から対峙している。
ギルガメッシュもまた大きな傷を負っているが、彼女と比べたら軽傷の範囲だろう。
タイムリミットの夜明けまで、もう数えるぐらいの時間しかない。
「我をこんなところまで呼び寄せたのだ。貴様に勝てる道理などないが、つまらなく逝ってくれるなよ」
怒気を孕んだ声色でギルガメッシュは警告するも、彼女は何処吹く風だった。
しかし、表情に嘲弄はなく真剣そのもの。
「勝負は一瞬です。それこそ須臾の間に終わらせてみせましょう。だから……全速でいかせてもらうわ」
唯一の武器であるヤツデの扇を投げ捨てて、少女は完全に無手になった。
残った片翼を限界まで広げると、上体を低くして前屈みになる。
……文の言った、全力ではなく『全速』。
その意味は、これまで彼女の戦いを見てきた俺には理解できてしまう。
「小細工は一切使わない。よーいどんの一直線。……それまでに私を殺してみなさい。そうできなきゃ――あなたが羽虫のように死ぬわよ?」
ギルガメッシュは、余裕を崩すことはない。
背後にはすでに、ギルガメッシュの宝具である『
無数の宝具が空間に浮かび、切っ先全てが文に向けられていた。
その数は、およそ100。
この150メートルのビルでも、更地になる威力があるだろう。
一つでも命中したら、それまで。
強がっているが、本当は立っているのもやっと。
彼女に、究極の毒である英雄の宝具を受ける体力は残されてない。
「では、逝け――」
そんな英雄王の号令よりも先に、文が動いた――。
一歩目が屋上の床を踏み抜いた瞬間、少女の姿は消えていた。
加速を後押しするような大きな風が吹く。実際に彼女が操っているのだろう。
それから少し遅れて『王の財宝』が、一斉に放たれた。
だが、遅い。遅すぎた。
本気になった射命丸文は、誰よりも何よりも速い。
速く。なおも速く。音速なんて、とっくに超えていた。
そして彼女は、射出された宝具のことごとくを回避する。
それが百の究極だろうが、当たらなければそれまでのもの。
衝撃波と爆音が、屋上に広がる。
塔屋を盾にした俺も、反射的に目と耳を塞いでしまう。
腹の傷から、内臓が飛び出しそうな衝撃が襲いかかった。
次に目を開いた時――。
天狗の少女が、英雄王の両腕を掴んでいた。
二人の体型は、大人と子供ぐらい違う。
そんな文の細腕が、ギルガメッシュを拘束する。
「な、に……!?」
「ねぇねぇ、見えた見えた? 見えないわよね」
頭がガンガンと響くが、二人の声はなんとか聞き取れた。
文は悪戯に成功した童女のような上目遣いで、ギルガメッシュを見上げている。
「これで私の力は、完全に枯渇した。もうそよ風だって起こせない。つまり私にはあなたを倒す術がない。だから付き合ってもらうわ。……なーに、当たりどころが良ければ一瞬です」
あどけなさを残した少女の笑みが、狂気を孕んだものに変貌した。
全身を使って、ギルガメッシュを腕ごと抱きしめる。
そのまま地面を強く蹴り、二人の身体が冬木の空に跳ね上がった。
「よもや、貴様……!!」
ギルガメッシュが、すべてを理解した。
……そして、俺もこれから文が何をするのか気づいた。気づいてしまった。
「まさか、そんな馬鹿なことを……!」
くそ! なんて間抜けだ! どうして気づけなかったんだ!
「文――ッ!! やめろ――ッ!!」
俺の言葉は、文にはもう届いていない。
激痛が走る腹の傷を無視して、彼女の元へ走る。
だがたった数メートルで、身体は自由を失って転倒してしまった。
起き上がろうとしたが、顔を上げるのが限界。
文は、顔と顔が触れるような距離で英雄王を拘束する。
ギルガメッシュから一切の余裕の消えて、明確な焦りを滲ませた。
少女は艶然と狂気を混ぜた笑みで、力の限り抱きつく。
ここまで密着していれば『王の財宝』を使おうとも、二人ともども貫いてしまう。
「痴れものが! その手を放せ!」
拘束から脱出しようとギルガメッシュは藻掻くも、天狗の怪力から抜け出せない。
「これが今の私にできる全てです。人を呪わば穴二つ。まあ、精々付き合ってくださいな」
二人の描く歪な放物線は、転落防止用のフェンスをあっさりと跳び超えて――。
そのまま呆気なく、ビルの外へと放り出された。