文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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66.地獄に一番近い場所

 

 

射命丸文の命は、間もなく終わろうとしていた。

 

少女は命を燃やし、英雄王を拘束した。

それは、崩壊を早める行為。

彼女を構成するすべてが、崩れていくのをはっきりと感じる。

意識を保つのも限界であり、記憶もはっきりとしない。

もはや、今やるべきことしか覚えていなかった。

倒したサーヴァント、幻想郷の記憶、今日の日付ですらわからない。

 

そんな状態でも、セイバーへの遺恨だけははっきりと覚えていた。

彼女に負けたこと。……それは構わない。

自身の千年が、彼のアーサー王に劣っていただけ。

悔しくないと言えば嘘になるが、そこに恨みはない。

しかし、セイバーは戦いに決着をつけなかった。

ギルガメッシュを前にして、射命丸文は完全に忘れ去られた。

 

セイバーはたった一度だけ、剣を振り下ろせばよかったのだ。

それだけで、幻想に生きる千年天狗に終焉を与えられた。

だが彼女はそれもせず、これまで文に向けていた剣を英雄王に向けた。

 

セイバーにとって、射命丸文はその程度の存在だった。

殺されてもいいと思った相手に、価値を認めらなかった。

一方的な快楽に酔っていただけ。ただの独り相撲。

情けないほどの道化だった。

命を懸けた殺し合いだったのに、相手はこちらを見ていなかったなんて。

笑おうにも、笑えなかった。

そんなのが、千年以上を生きた烏天狗の末路だとでも言うのか。

 

……ああ、絶対に許せるものか。

 

堰を切って溢れ出た、怨憎――。

制御できない怒りは、生まれて初めての経験だった。

過ぎた怒りは呪いとなって、自身に降りかかる。

心だけではなく、体までも浸食していく。

胸を開く傷は、決して癒えない。

セイバーの命を刈り取るまで、呪いは決して消えない。

じゅくじゅくと、気が狂ってしまいそうな激痛。

それが剣の少女を殺すまで、永遠に心と体を蝕み続ける。

 

だが、騎士王は死んでしまった。英雄王に殺されてしまった。

殺すべき相手は、すでに死んでいた。

だったら、セイバーを殺したギルガメッシュを殺す――。

それだけが、呪いを消し、胸の傷を癒す。

呪いが全身を喰い潰すより先に、射命丸文は英雄王を喰い殺す。

 

 

 

 

文とギルガメッシュは、冬木センタービルから落下していく。

二人の身体は、重心のある頭を地面に向けた。

逆さまに映る新都の夜景は、ヘンテコで現実感を失わせる。

東の空が微かに白み始めていた。夜明けがすぐそこまで来ていた。

長い夜が、間もなく終わろうとしている。

 

少女の身体の感覚は、殆どなかった。

ギルガメッシュを拘束して、動けなくさせている。

抱きしめる腕の感触も、あまり感じない。五感も限界にきている。

ただ普段は気にもならない風切り音が、やけに耳障りだった。

 

地面に到達するまでの、僅かな時間。

音速を超えて疾走する少女にとって、重力加速度による落下スピードなんて欠伸がでる。

だが、150メートルという高層ビル。

このまま頭から落下すれば、英雄や妖怪であっても無事で済むはずがない。

 

「おのれ……! このような……!」

 

ギルガメッシュは、拘束を解こうと今も藻掻き続ける。

しかし指一本であろうと、まともに使えない。

 

「ふふ……」

 

そんな男の慌てた様子を見て、文はくすりと笑った。

とても面白かったので、残った命を更に焼べて強く抱きしめる。

 

『自分の身体を拘束具にして身投げ』という、あまりにも馬鹿げた手段。

英雄王の対抗策としては、下から数えた方が早い下策も下策。

それが、今の文の全てだった。

万全の状態であれば、こんな馬鹿らしい手は絶対に使わない。

 

上手くやれば、ギルガメッシュだけをビルから落とせたかもしれない。

しかし、それでは何の意味もない。

この世の全ての財であるバビロニアの宝物庫を使えば、無傷で生還してしまう。

だから射命丸文は、ギルガメッシュを拘束する鎖となった。

保身を考えて、倒せる相手ではなかった。だから一切の損得を捨てる。

この行為に文が助かる要素は、どこにも含まれていない。

空を飛ぶどころか、風を起こす力も枯渇している。

つまり、ギルガメッシュを殺せても、彼女もまた命を散らす。

あと少しで、二人分の紅い花を盛大に咲かせるだろう。

 

死は、すぐそこだった。

 

天狗の少女は思う。

……怖くないと言えば、嘘になる。生に未練がないわけではない。

そもそも何のためにこの世界まで来たのか。それすらもよく思い出せない。

 

(たぶん、新聞を書いていた。でももうわかんないや)

 

この恨みを晴らさずに、生きていたいとも思えない。彼女は、あまりに長く生きすぎた。

少女の千年が、それを許さない。天狗としての挟持が、それを絶対に許さない。

万夫不当の英雄なぞ、死に損ないの妖怪に殺される間抜けだったと知らしめてやる。

 

地面まで残り半分――。

 

何もかも今更だった。この思考にも意味がない。

何秒か数えるだけで、そんな決意も含めて血と肉の塊に変わり果ててしまう。

死の覚悟はできているかどうか。こんな直前になっても曖昧のまま。

 

そんな中であっても、英雄王の足掻こうとする振る舞いに吹き出してしまう。

……ああ、つくづく自分は性格が悪い。

そんな些細な快楽のために、千年を生きた妖怪は死ねてしまう。

 

「こんな素敵な殿方の胸のなかで死ねるなんて! 私の一生もそう悪くなかったですね!」

 

なんとか声帯を震わせて、自分が拘束する男に精一杯おどけてみせた。

そんな言葉にギルガメッシュが憤怒に染まる。紅玉の瞳が殺意を彩らせる。

居竦まってしまうになるが、彼女はそれすらも楽しめた。

 

(最後の台詞としては面白くなかったかな。……あー、もうどうでもいいか)

 

ゆっくりと目を閉じて、最期の瞬間を待った。

 

 

 

 

「文ッ!! 文ッ!! ……くそ! ふざけるな!」

 

いくら大声で喚こうと、返事は返って来ない。

当たり前だ。今やセンタービルの屋上にいるのは俺だけ。

無様に転倒して、結局ここでも何もできなかった。

文が飛び降りた場所まで行こうにも、意志に反して身体はちっとも動かない。

 

「ぐ、ああぁ……!」

 

立ち上がろうとした瞬間、忘れようもない苦痛が腹部を襲う。

それも無視して、俺は立ち上がらなければならない。

……そもそも、今更下を見て何になる?

どう急いでも、文とギルガメッシュはとっくに地面へと到達している。

それがどういう意味なのか、誰であろうと理解できてしまう。

 

「うう……うぇ……」

 

凄惨な想像に胃酸が逆流し、血反吐と一緒に吐き出してしまった。

 

……違う違う。そんな場合じゃない。

実際に目にしていない以上、どんな想像だろうが当て推量でしかない。

可能性が僅かでも残っていれば、俺はそれを信じなきゃならない。

 

センタービル屋上の吹き荒む風に当てられて、身体が寒さに凍える。

それだけじゃない。

ここに来るまで血を流しすぎてしまった。吐き気と目眩が同時に襲ってくる。

こうやって意識を繋げているのも、腹の穴の激痛に助けられているようなもの。

行動に移そうにも、身体は少しだって動かない。起き上がれもしない。

それでも、腕の力だけで身体を捻って、何とか仰向けになる。

 

「はあ、はあ……」

 

……呼吸が安定しない。自発呼吸をする気力も失われつつある。

夜明けが目の前なのに、妙に周囲が暗かった。

白み始めた空がぼんやりとしか見えない。視力もおかしくなり始めていた。

冷たいコンクリートの床が、血を失った身体になぜか心地いい。

このまま起き上がらなければ、どれだけ楽なんだろうか……。

 

「う、ああああ……!」

 

だけどそれは、絶対にできない!

 

力を込めて、矢を握る。

俺にはまだ、文から託された矢が一本だけ残されている。

まともに弓を構えられるかも怪しい。

だが、この矢が存在するだけで俺に力を与えてくれる。

遠坂との約束も、果たしていない。

腰にあるカルンウェナンの感触も、ずっと感じていた。

俺にだって、まだできる何かがあるはず!

 

「くっ、あああああ……!!」

 

顔を上げる。

顔から首、首から肩、肩から腕、腕から腰、腰から脚――。

全身を、少しずつ動かしていく。

コンクリートの床に手を置いて、ゆっくりと確実に立ち上がる。

腹の痛みは、無視できるものではない。身じろぎする度に、視界が明滅した。

何度も堪え切れずに、崩れ落ちる。

 

「……か……はぁっ!」

 

それでも、立ち上がった。

膝から下がガクガクと笑い続けて、まともに制御できそうもない。

一瞬でも油断すれば、膝をついてしまう。

ここで倒れてしまえば、俺はもう二度と自力では起き上がれない。

一歩を踏み出すだけでも、頭がおかしくなりそうな苦痛。

歩くのもやっとだったが、気力だけは少しだって折れていない。

 

もし転んだとしても、起き上がれないとしても、その時は這ってでも前に進めばいい。

だから今は、一歩でも近く一秒でも早く――彼女の元に進む。

 

「………………待ってろ、文」

 

 

 

 

それは――射命丸文の不運か、それとも英雄王の強運か。

 

突風だった――。

これまで意のままに従えていた少女に、反旗を翻すような風。

そんな強風が、文とギルガメッシュを大きく揺らした。

地面に落下するだけだった二人の身体は、少女の背中からビルの壁面に衝突する。

 

「……ぐっ、ううう……!」

 

風に吹かれた時点で文は意識を覚醒させ、最悪のケースを想定した。

そのため、彼女の拘束はほんの一瞬しか緩んでいない。

だがそんな刹那であっても、サーヴァントからすれば十分な時間。

英雄王が見逃すはずがなかった。

 

それは天狗の少女にとって、致命的な一瞬。

腕の力が緩んだ瞬間、ギルガメッシュは拘束から両腕を引き抜く。

それと同時に解放された左腕には、一本の鎖が握られていた。

 

「――『天の鎖(エンキドゥ)』。我が友よ、このように使うことを暫し許せ」

 

天の鎖(エンキドゥ)』。

無限の宝具を持つギルガメッシュが、最も信頼を寄せる宝具。

かつての親友の名を冠した、神を律する天の鎖。

英雄王の鎖は、意志を持ったようにビルの窓を突き破り、内部の支柱に絡みつく。

落下の衝撃がギルガメッシュの腕に掛かったが、殆どは鎖が吸収してしまう。

 

上下逆さまだった二人の身体も元の位置に戻り、落下は未遂に終わった。

 

地面まで残すところ、70メートル――。

そのなかで起きた奇跡とも呼べる風。何者かの関与を疑いたくなる偶然だった。

射命丸文の命を溶かした拘束は、容易く解かれてしまった。

少女は今や、男の腰に縋り付くようにしがみ付くだけ。

飛行すら叶わない。手を離せば、今度こそおしまいだった。

 

形勢は、完全に逆転した。

ギルガメッシュは腕が自由であれば、いくらでも宝具を取り出せる。

偶然で片付けるには、あまりにも無慈悲で不平等な結末だった。

 

「……は、残念だったな。貴様如きに、よもやここまで追い込まれるとは思いもしなかったわ。その胆力だけは褒めてやる。下らぬ余興かと思ったが、存外楽しめたものだ。……だが、それも終わりよ。自らの下賤さを弁えながら、死ぬがいい」

 

ギルガメッシュの掲げた右手に握られていたのは、螺旋状の剣だった。

英雄王は、それをエアと呼んでいた。

数時間前にエクスカリバーを打ち破り、セイバーを殺害する切っ掛けになった英雄王だけの宝具。

円柱状の三つに分かれた刀身が音を立て回転し、強大な赤雷の魔力が剣に迸る。

 

「…………!」

 

戦場から離脱した文は、乖離剣エアを見ていない。

そうであっても、その用途は何となく察することはできる。

過剰なまでの魔力量からして、この場で使うのには不向きだと。

 

そんな推察通り、対界宝具であるエアは密着した距離で使う宝具ではない。

今にも弾けそうな魔力をそのまま解放すれば、担い手もろとも吹き飛んでしまう。

そこから導き出される結論。文の脳裏に浮かぶ最悪の想像。

 

「貴様の血で汚すにはあまりに過ぎた宝よ。だが、今宵散ったセイバーの手向けだ。――死に物狂いで泣き叫ぶがいい!」

 

最悪の想像は、現実のものになる。

少女の背中に、削岩機のように高速回転するエアが突き立てようとした。

 

「いや、いや……いやいやいや…………!!」

 

死に際の境地にあった少女も、この時だけは子供のように首を左右に振った。

恐怖に怯えて、涙すらも流した。

 

だが、英雄王に慈悲などなく――乖離剣が文の背中に触れた。

 

「あ、あああ! あ……!! ぎ……ぎやあああああぁああああぁ!!!」

 

鼓膜を大きく震わせる悲鳴だった。

声を出すのにも、体力を使っていたとは思えない絶叫。

それは千年を生きた天狗少女が、一度だって上げたことがないもの。

天狗としての矜持を誇った少女の顔が、醜く歪んでしまう。

普段の飄々とした彼女を知る者であれば、絶対に信じられない姿だった。

 

ギルガメッシュの視線の先。

少女の背中は乖離剣に掻き回されて、ミンチとしか形容しようのない有様だった。

バーサーカーにもがれた翼の傷も、どこにあったのか定かではない。

肉と骨が衣服を巻き込んでぐちゃぐちゃになり、過剰なまでの魔力は骨肉を焦がしていく。

人間よりも頑丈な妖怪であっても、少女の薄い胸など瞬く間に貫通するだろう。

 

……常人なら、吐き気を催す光景。

タンパク質を焦がす嫌な煙が上がっても、ギルガメッシュの瞳は冷酷さを宿したまま。

口端は上がり、この光景への愉悦を隠そうとしなかった。

 

 

 

 

少女の悲鳴が徐々に細くなり、ついには途切れた。

拷問以上の攻撃を受けて、英雄王を抱き締めていた腕の力が抜けていく。

 

「……フン、ようやく逝くか」

 

ギルガメッシュは、攻撃の手を止める。

 

文は、今も生きていた。

しかしそれは、本当に『生きている』だけ。

相性の悪いギルガメッシュに、乖離剣によって刺突された。

元々瀕死なのを考えれば、未だ生きていのも奇跡と言える。

病的なまでの執念が、命を繋いでいるのか。

しかし、それも限界に達していた。

胸の鼓動もあと何回か鳴らせば、その役割を永遠に終える。

 

「バケモノ風情にしては、よくここまで持ち堪えたものだ」

 

彼女は、口を微かに動かした。

端から見れば、とても言葉を話せる状態ではない。

それでも少女は、ゆっくりと口を開いた。

……ギルガメッシュの気まぐれが、今際の際の言葉を聞きたくなったのか。

英雄王は、射命丸文の最期の言葉を待った。

 

「…………」

 

文は、言葉を紡がない。

瞳孔は拡散して、生命の色を感じさせない。

赤い瞳には、もう何も映してはいなかった。

それでも、白痴のようにぽかんと口を開いている。

 

「………………………………」

 

それは、何かを伝えるための行為ではなかった。

いつの間にか、人の可動域を大きく超えて開かれた天狗の口――。

それは人の世の常識を、完全に逸している。

 

その時にはもう、英雄王の手首は天の鎖ごと――食い千切られていた。

 

「……なん、だ?」

 

鉄壁だった黄金の鎧は、エクスカリバーによって砕かれていた。

つまり、彼女の食事を邪魔するものは何もない。

機械で抉り取ったような、綺麗な半円。

それがギルガメッシュの手首に、ぽっかりと開いた。

 

「――――――」

 

天狗は異物である鎖の破片を吐き出すと、口に含んだ肉を咀嚼し始める。

くちゃくちゃと味わうように舌と歯で肉を転がし、時より骨を噛み砕く音。

存分に味わった後、喉の奧でソレを嚥下した。

 

なんてことはない。

妖怪は人を喰らうもの。だから人は妖怪を退治する。

それは古くから連綿と続く、人と妖怪との間に築かれた信頼関係――。

 

半神半人の血肉を取り込み、少女の顔に血の気が戻り始めていく。

 

「……あなたの肉は、お上品過ぎて私の口には合わないわね」

 

ギルガメッシュの左手首は、もはや皮一枚で繋がっているだけ。

骨や神経ごと食い破られてしまったため、もう使い物にはならない。

自らの肘を掴む角度でぶら下がった手首を、英雄王は自失したように見やる。

 

そして、かろうじて繋がっていた天の鎖が完全に千切れて、二人は再び落下する。

 

「貴様アァァァ――ッッ!!」

 

ギルガメッシュはエアを構えたが、空中が主戦場の文の動きはそれよりもずっと速い。

 

「……ああ、うるさいうるさい。ぴーぴー騒ぐな、ニンゲン風情」

 

天狗はエアの刺突をするりと躱すと、今度はギルガメッシュの喉元に喰らいつく。

妖怪の持つ凄まじい咬合力が英雄王の首を破壊し、発声器官と頸動脈を食い千切った。

 

 

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