文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
射命丸文の命は、間もなく終わろうとしていた。
少女は命を燃やし、英雄王を拘束した。
それは、崩壊を早める行為。
彼女を構成するすべてが、崩れていくのをはっきりと感じる。
意識を保つのも限界であり、記憶もはっきりとしない。
もはや、今やるべきことしか覚えていなかった。
倒したサーヴァント、幻想郷の記憶、今日の日付ですらわからない。
そんな状態でも、セイバーへの遺恨だけははっきりと覚えていた。
彼女に負けたこと。……それは構わない。
自身の千年が、彼のアーサー王に劣っていただけ。
悔しくないと言えば嘘になるが、そこに恨みはない。
しかし、セイバーは戦いに決着をつけなかった。
ギルガメッシュを前にして、射命丸文は完全に忘れ去られた。
セイバーはたった一度だけ、剣を振り下ろせばよかったのだ。
それだけで、幻想に生きる千年天狗に終焉を与えられた。
だが彼女はそれもせず、これまで文に向けていた剣を英雄王に向けた。
セイバーにとって、射命丸文はその程度の存在だった。
殺されてもいいと思った相手に、価値を認めらなかった。
一方的な快楽に酔っていただけ。ただの独り相撲。
情けないほどの道化だった。
命を懸けた殺し合いだったのに、相手はこちらを見ていなかったなんて。
笑おうにも、笑えなかった。
そんなのが、千年以上を生きた烏天狗の末路だとでも言うのか。
……ああ、絶対に許せるものか。
堰を切って溢れ出た、怨憎――。
制御できない怒りは、生まれて初めての経験だった。
過ぎた怒りは呪いとなって、自身に降りかかる。
心だけではなく、体までも浸食していく。
胸を開く傷は、決して癒えない。
セイバーの命を刈り取るまで、呪いは決して消えない。
じゅくじゅくと、気が狂ってしまいそうな激痛。
それが剣の少女を殺すまで、永遠に心と体を蝕み続ける。
だが、騎士王は死んでしまった。英雄王に殺されてしまった。
殺すべき相手は、すでに死んでいた。
だったら、セイバーを殺したギルガメッシュを殺す――。
それだけが、呪いを消し、胸の傷を癒す。
呪いが全身を喰い潰すより先に、射命丸文は英雄王を喰い殺す。
◇
文とギルガメッシュは、冬木センタービルから落下していく。
二人の身体は、重心のある頭を地面に向けた。
逆さまに映る新都の夜景は、ヘンテコで現実感を失わせる。
東の空が微かに白み始めていた。夜明けがすぐそこまで来ていた。
長い夜が、間もなく終わろうとしている。
少女の身体の感覚は、殆どなかった。
ギルガメッシュを拘束して、動けなくさせている。
抱きしめる腕の感触も、あまり感じない。五感も限界にきている。
ただ普段は気にもならない風切り音が、やけに耳障りだった。
地面に到達するまでの、僅かな時間。
音速を超えて疾走する少女にとって、重力加速度による落下スピードなんて欠伸がでる。
だが、150メートルという高層ビル。
このまま頭から落下すれば、英雄や妖怪であっても無事で済むはずがない。
「おのれ……! このような……!」
ギルガメッシュは、拘束を解こうと今も藻掻き続ける。
しかし指一本であろうと、まともに使えない。
「ふふ……」
そんな男の慌てた様子を見て、文はくすりと笑った。
とても面白かったので、残った命を更に焼べて強く抱きしめる。
『自分の身体を拘束具にして身投げ』という、あまりにも馬鹿げた手段。
英雄王の対抗策としては、下から数えた方が早い下策も下策。
それが、今の文の全てだった。
万全の状態であれば、こんな馬鹿らしい手は絶対に使わない。
上手くやれば、ギルガメッシュだけをビルから落とせたかもしれない。
しかし、それでは何の意味もない。
この世の全ての財であるバビロニアの宝物庫を使えば、無傷で生還してしまう。
だから射命丸文は、ギルガメッシュを拘束する鎖となった。
保身を考えて、倒せる相手ではなかった。だから一切の損得を捨てる。
この行為に文が助かる要素は、どこにも含まれていない。
空を飛ぶどころか、風を起こす力も枯渇している。
つまり、ギルガメッシュを殺せても、彼女もまた命を散らす。
あと少しで、二人分の紅い花を盛大に咲かせるだろう。
死は、すぐそこだった。
天狗の少女は思う。
……怖くないと言えば、嘘になる。生に未練がないわけではない。
そもそも何のためにこの世界まで来たのか。それすらもよく思い出せない。
(たぶん、新聞を書いていた。でももうわかんないや)
この恨みを晴らさずに、生きていたいとも思えない。彼女は、あまりに長く生きすぎた。
少女の千年が、それを許さない。天狗としての挟持が、それを絶対に許さない。
万夫不当の英雄なぞ、死に損ないの妖怪に殺される間抜けだったと知らしめてやる。
地面まで残り半分――。
何もかも今更だった。この思考にも意味がない。
何秒か数えるだけで、そんな決意も含めて血と肉の塊に変わり果ててしまう。
死の覚悟はできているかどうか。こんな直前になっても曖昧のまま。
そんな中であっても、英雄王の足掻こうとする振る舞いに吹き出してしまう。
……ああ、つくづく自分は性格が悪い。
そんな些細な快楽のために、千年を生きた妖怪は死ねてしまう。
「こんな素敵な殿方の胸のなかで死ねるなんて! 私の一生もそう悪くなかったですね!」
なんとか声帯を震わせて、自分が拘束する男に精一杯おどけてみせた。
そんな言葉にギルガメッシュが憤怒に染まる。紅玉の瞳が殺意を彩らせる。
居竦まってしまうになるが、彼女はそれすらも楽しめた。
(最後の台詞としては面白くなかったかな。……あー、もうどうでもいいか)
ゆっくりと目を閉じて、最期の瞬間を待った。
◇
「文ッ!! 文ッ!! ……くそ! ふざけるな!」
いくら大声で喚こうと、返事は返って来ない。
当たり前だ。今やセンタービルの屋上にいるのは俺だけ。
無様に転倒して、結局ここでも何もできなかった。
文が飛び降りた場所まで行こうにも、意志に反して身体はちっとも動かない。
「ぐ、ああぁ……!」
立ち上がろうとした瞬間、忘れようもない苦痛が腹部を襲う。
それも無視して、俺は立ち上がらなければならない。
……そもそも、今更下を見て何になる?
どう急いでも、文とギルガメッシュはとっくに地面へと到達している。
それがどういう意味なのか、誰であろうと理解できてしまう。
「うう……うぇ……」
凄惨な想像に胃酸が逆流し、血反吐と一緒に吐き出してしまった。
……違う違う。そんな場合じゃない。
実際に目にしていない以上、どんな想像だろうが当て推量でしかない。
可能性が僅かでも残っていれば、俺はそれを信じなきゃならない。
センタービル屋上の吹き荒む風に当てられて、身体が寒さに凍える。
それだけじゃない。
ここに来るまで血を流しすぎてしまった。吐き気と目眩が同時に襲ってくる。
こうやって意識を繋げているのも、腹の穴の激痛に助けられているようなもの。
行動に移そうにも、身体は少しだって動かない。起き上がれもしない。
それでも、腕の力だけで身体を捻って、何とか仰向けになる。
「はあ、はあ……」
……呼吸が安定しない。自発呼吸をする気力も失われつつある。
夜明けが目の前なのに、妙に周囲が暗かった。
白み始めた空がぼんやりとしか見えない。視力もおかしくなり始めていた。
冷たいコンクリートの床が、血を失った身体になぜか心地いい。
このまま起き上がらなければ、どれだけ楽なんだろうか……。
「う、ああああ……!」
だけどそれは、絶対にできない!
力を込めて、矢を握る。
俺にはまだ、文から託された矢が一本だけ残されている。
まともに弓を構えられるかも怪しい。
だが、この矢が存在するだけで俺に力を与えてくれる。
遠坂との約束も、果たしていない。
腰にあるカルンウェナンの感触も、ずっと感じていた。
俺にだって、まだできる何かがあるはず!
「くっ、あああああ……!!」
顔を上げる。
顔から首、首から肩、肩から腕、腕から腰、腰から脚――。
全身を、少しずつ動かしていく。
コンクリートの床に手を置いて、ゆっくりと確実に立ち上がる。
腹の痛みは、無視できるものではない。身じろぎする度に、視界が明滅した。
何度も堪え切れずに、崩れ落ちる。
「……か……はぁっ!」
それでも、立ち上がった。
膝から下がガクガクと笑い続けて、まともに制御できそうもない。
一瞬でも油断すれば、膝をついてしまう。
ここで倒れてしまえば、俺はもう二度と自力では起き上がれない。
一歩を踏み出すだけでも、頭がおかしくなりそうな苦痛。
歩くのもやっとだったが、気力だけは少しだって折れていない。
もし転んだとしても、起き上がれないとしても、その時は這ってでも前に進めばいい。
だから今は、一歩でも近く一秒でも早く――彼女の元に進む。
「………………待ってろ、文」
◇
それは――射命丸文の不運か、それとも英雄王の強運か。
突風だった――。
これまで意のままに従えていた少女に、反旗を翻すような風。
そんな強風が、文とギルガメッシュを大きく揺らした。
地面に落下するだけだった二人の身体は、少女の背中からビルの壁面に衝突する。
「……ぐっ、ううう……!」
風に吹かれた時点で文は意識を覚醒させ、最悪のケースを想定した。
そのため、彼女の拘束はほんの一瞬しか緩んでいない。
だがそんな刹那であっても、サーヴァントからすれば十分な時間。
英雄王が見逃すはずがなかった。
それは天狗の少女にとって、致命的な一瞬。
腕の力が緩んだ瞬間、ギルガメッシュは拘束から両腕を引き抜く。
それと同時に解放された左腕には、一本の鎖が握られていた。
「――『
『
無限の宝具を持つギルガメッシュが、最も信頼を寄せる宝具。
かつての親友の名を冠した、神を律する天の鎖。
英雄王の鎖は、意志を持ったようにビルの窓を突き破り、内部の支柱に絡みつく。
落下の衝撃がギルガメッシュの腕に掛かったが、殆どは鎖が吸収してしまう。
上下逆さまだった二人の身体も元の位置に戻り、落下は未遂に終わった。
地面まで残すところ、70メートル――。
そのなかで起きた奇跡とも呼べる風。何者かの関与を疑いたくなる偶然だった。
射命丸文の命を溶かした拘束は、容易く解かれてしまった。
少女は今や、男の腰に縋り付くようにしがみ付くだけ。
飛行すら叶わない。手を離せば、今度こそおしまいだった。
形勢は、完全に逆転した。
ギルガメッシュは腕が自由であれば、いくらでも宝具を取り出せる。
偶然で片付けるには、あまりにも無慈悲で不平等な結末だった。
「……は、残念だったな。貴様如きに、よもやここまで追い込まれるとは思いもしなかったわ。その胆力だけは褒めてやる。下らぬ余興かと思ったが、存外楽しめたものだ。……だが、それも終わりよ。自らの下賤さを弁えながら、死ぬがいい」
ギルガメッシュの掲げた右手に握られていたのは、螺旋状の剣だった。
英雄王は、それをエアと呼んでいた。
数時間前にエクスカリバーを打ち破り、セイバーを殺害する切っ掛けになった英雄王だけの宝具。
円柱状の三つに分かれた刀身が音を立て回転し、強大な赤雷の魔力が剣に迸る。
「…………!」
戦場から離脱した文は、乖離剣エアを見ていない。
そうであっても、その用途は何となく察することはできる。
過剰なまでの魔力量からして、この場で使うのには不向きだと。
そんな推察通り、対界宝具であるエアは密着した距離で使う宝具ではない。
今にも弾けそうな魔力をそのまま解放すれば、担い手もろとも吹き飛んでしまう。
そこから導き出される結論。文の脳裏に浮かぶ最悪の想像。
「貴様の血で汚すにはあまりに過ぎた宝よ。だが、今宵散ったセイバーの手向けだ。――死に物狂いで泣き叫ぶがいい!」
最悪の想像は、現実のものになる。
少女の背中に、削岩機のように高速回転するエアが突き立てようとした。
「いや、いや……いやいやいや…………!!」
死に際の境地にあった少女も、この時だけは子供のように首を左右に振った。
恐怖に怯えて、涙すらも流した。
だが、英雄王に慈悲などなく――乖離剣が文の背中に触れた。
「あ、あああ! あ……!! ぎ……ぎやあああああぁああああぁ!!!」
鼓膜を大きく震わせる悲鳴だった。
声を出すのにも、体力を使っていたとは思えない絶叫。
それは千年を生きた天狗少女が、一度だって上げたことがないもの。
天狗としての矜持を誇った少女の顔が、醜く歪んでしまう。
普段の飄々とした彼女を知る者であれば、絶対に信じられない姿だった。
ギルガメッシュの視線の先。
少女の背中は乖離剣に掻き回されて、ミンチとしか形容しようのない有様だった。
バーサーカーにもがれた翼の傷も、どこにあったのか定かではない。
肉と骨が衣服を巻き込んでぐちゃぐちゃになり、過剰なまでの魔力は骨肉を焦がしていく。
人間よりも頑丈な妖怪であっても、少女の薄い胸など瞬く間に貫通するだろう。
……常人なら、吐き気を催す光景。
タンパク質を焦がす嫌な煙が上がっても、ギルガメッシュの瞳は冷酷さを宿したまま。
口端は上がり、この光景への愉悦を隠そうとしなかった。
◇
少女の悲鳴が徐々に細くなり、ついには途切れた。
拷問以上の攻撃を受けて、英雄王を抱き締めていた腕の力が抜けていく。
「……フン、ようやく逝くか」
ギルガメッシュは、攻撃の手を止める。
文は、今も生きていた。
しかしそれは、本当に『生きている』だけ。
相性の悪いギルガメッシュに、乖離剣によって刺突された。
元々瀕死なのを考えれば、未だ生きていのも奇跡と言える。
病的なまでの執念が、命を繋いでいるのか。
しかし、それも限界に達していた。
胸の鼓動もあと何回か鳴らせば、その役割を永遠に終える。
「バケモノ風情にしては、よくここまで持ち堪えたものだ」
彼女は、口を微かに動かした。
端から見れば、とても言葉を話せる状態ではない。
それでも少女は、ゆっくりと口を開いた。
……ギルガメッシュの気まぐれが、今際の際の言葉を聞きたくなったのか。
英雄王は、射命丸文の最期の言葉を待った。
「…………」
文は、言葉を紡がない。
瞳孔は拡散して、生命の色を感じさせない。
赤い瞳には、もう何も映してはいなかった。
それでも、白痴のようにぽかんと口を開いている。
「………………………………」
それは、何かを伝えるための行為ではなかった。
いつの間にか、人の可動域を大きく超えて開かれた天狗の口――。
それは人の世の常識を、完全に逸している。
その時にはもう、英雄王の手首は天の鎖ごと――食い千切られていた。
「……なん、だ?」
鉄壁だった黄金の鎧は、エクスカリバーによって砕かれていた。
つまり、彼女の食事を邪魔するものは何もない。
機械で抉り取ったような、綺麗な半円。
それがギルガメッシュの手首に、ぽっかりと開いた。
「――――――」
天狗は異物である鎖の破片を吐き出すと、口に含んだ肉を咀嚼し始める。
くちゃくちゃと味わうように舌と歯で肉を転がし、時より骨を噛み砕く音。
存分に味わった後、喉の奧でソレを嚥下した。
なんてことはない。
妖怪は人を喰らうもの。だから人は妖怪を退治する。
それは古くから連綿と続く、人と妖怪との間に築かれた信頼関係――。
半神半人の血肉を取り込み、少女の顔に血の気が戻り始めていく。
「……あなたの肉は、お上品過ぎて私の口には合わないわね」
ギルガメッシュの左手首は、もはや皮一枚で繋がっているだけ。
骨や神経ごと食い破られてしまったため、もう使い物にはならない。
自らの肘を掴む角度でぶら下がった手首を、英雄王は自失したように見やる。
そして、かろうじて繋がっていた天の鎖が完全に千切れて、二人は再び落下する。
「貴様アァァァ――ッッ!!」
ギルガメッシュはエアを構えたが、空中が主戦場の文の動きはそれよりもずっと速い。
「……ああ、うるさいうるさい。ぴーぴー騒ぐな、ニンゲン風情」
天狗はエアの刺突をするりと躱すと、今度はギルガメッシュの喉元に喰らいつく。
妖怪の持つ凄まじい咬合力が英雄王の首を破壊し、発声器官と頸動脈を食い千切った。