文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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67.午前6時13分

 

 

食い千切られた英雄王の首から、夥しい血液が噴き出した。

 

少女は全身にその熱い液体を浴びるも、気にする様子もない。

それどころか、妖艶とした表情を浮かべている。

手についた血に舌を這わせ、頬を紅潮させる艶姿は、見る者を倒錯させる。

 

英雄王の顔もまた、自らの血によって染まっていった。

出血を止めるため喉を押さえようとしたが、空を切るばかり。

何故なら左腕は、少女の腹の中に浮かんでいるから。

ぷらぷらと千切れかかった手首を、彼女は滑稽なものとして見ていた。

 

「……ガ、ハ……ゴッ!」

 

ギルガメッシュはパクパクと口を開けるが、言葉として成り立たない。

代わりに鮮血だけが、ゴボゴボと吐き出されていく。

声を発するのも叶わない。そのために必要な器官もまた、少女の腹のなか。

 

「あ、ははははははは――――ッ!!」

 

元凶である一体の妖怪は、腹を揺すって笑った。

本当に楽しそうに、見た目通りの子供のように、無邪気に笑った。

こんなのは品性がないし、自分の在り方から大きく逸脱している。

少女はそう思ってはいたが、胸から込み上げる感情を止められない。

心が、極端に残酷になっている。

砕け散った理性では、とても抑え切れない。

 

心の偏執。報復の履行。

人間を貶めて苦しめるのは、こんなにも気持ちがいい。

恨みつらみを晴らすのは、こんなにも気分がいい。

全身にゾクゾクとした快感が走る。

骨肉ごとグチャグチャにされた背中の痛みすら忘れてしまう。

圧倒的な快哉の奔流。

性行為すら比較にならない快感に、妖怪としての本能が満ちていく。

生きている実感というものを、存分に味わっている。

 

妖怪は精神生物だ。

人の常識では、測れない存在だ。

心に深刻なダメージを受ければ、それは妖怪を殺す。

逆に心が十分に満たされれば、それは身体の傷を治す。

人間の肉は妖怪にとって、栄養価が高いものではない。

人間を捕食するという行為そのものに、妖怪としての不変的な意味がある。

つまり妖怪を生かすも殺すも、結局は心の在り方でしかない。

 

射命丸文は今この瞬間のために、自分の千年は存在していたと錯覚してしまう。

極上の酒ですら味わえない酩酊感。それが少女を存分に酔わせている。

人類最古の英雄王であるギルガメッシュを言葉通り喰い殺した。

それで膨れぬ、腹と心はない。

 

決着はついた。

こうして喉を食い千切られれば、英雄王と言えど生きてはいられまい。

 

…………満足だ。

 

 

 

そして二人は、地上に叩き付けられた。

 

 

 

 

それは、水袋が破裂したような音だった。

 

人体は柔らかく、同時に硬くもある。

そんな肉と骨でできた混合物質であるが、大半は水分で構成されている。

70メートル近くの高さから落下すれば、人体なんて水袋と大差ない。

 

ギルガメッシュの抵抗によって、高度はビルの半分程度になった。

それでも人を殺すには、十分すぎる。

射命丸文は受け身も、飛行も、風を起こすことも許されない。

満身創痍の少女にとって、高度70メートルからの落下は、想像を絶する苦痛を生んだ。

 

 

「が、はっ……!」

 

肺腑から奇妙な音が漏れると同時に、血反吐を撒き散らす。

ギルガメッシュの血肉も喉元まで逆流したが、これは吐き出せない。

外に出してしまえば、それで彼女は終わりだ。

逆流する胃酸と一緒に血肉を飲み込み、無理やり胃袋に戻す。

落下の衝撃によって、酸素を取り込めない。呼吸ができない。

 

(苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい……!)

 

頭の中が、苦痛だけで満たされた。

内臓が、ぐちゃぐちゃに掻き回されている。

ほぼすべての臓器に、甚大なダメージを受けている。

眼球が破裂しかかっているのか、視界全てが赤い。目の前がチカチカと点滅している。

再び吐き気が襲ってきた。それもまたギリギリのところで飲み込む。

何とか呼吸をしようにも、喉からは蛙を踏み潰したような音が鳴るだけ。

 

(これは、ヤバいかも……)

 

気絶することも、死ぬことも許されない。

自らの不条理な頑丈さを呪ってしまう。

 

「~~~~ッッッ!!」

 

少し遅れて、手足からも激痛が襲ってくる。

どうにか動かそうと思っても、頭からの命令を受け付けてくれない。

……落下の衝撃によって、四肢が飛び散ってしまったのか?

そんな疑問が、脳裏に浮かんでしまう。

 

なんとか首を持ち上げて、自分の手足を確認する。

四肢は欠けずに存在していたが、決して無事とは言えなかった。

左手が、見慣れぬ方向へと曲がっていた。

特に右足が酷い。折れた脛骨が皮膚を突き破っている。

はみ出た骨が血に濡れて、ピンク色に染まっている。

そんな様子が、どこかおかしく感じてしまう。

損傷の度合いからして、足から地面に落ちたようだった。

 

 

「ふっ、ふっ……」

 

息を重ねようとする文の視界に、ギルガメッシュの姿が映った。

男はそう遠くないところで倒れていた。少女とは逆の、うつ伏せの状態。

食い破った喉を中心に、鮮血が舗装路に広がっていく。

 

……頸動脈ごと喉を喰らった。その時点で死んでもおかしくない。

追い打ちのように、彼女と同じ高さからも落下している。

 

生きているはずがない――。

生きているはずがないのに、どうして乖離剣を地面に突き立てている……?

使い物にならない左腕も使って、どうして起き上がろうとしている……?

 

……そもそも、呼吸はできているのか?

呼吸器官は、首から逆流した血によって満たされている。

つまり、自分の血で溺れている状態だ。

それなのに、ギルガメッシュは立ち上がろうとしていた。

あり得ない。

だがそんなあり得ない奇跡を成し遂げるから、英雄は英雄と呼ばれるのではないのか?

 

「――――」

 

ギルガメッシュの顔は、文以上に蒼白だった。

表情筋がすでに機能してないのか、感情は掴めない。

それでも赤い瞳は少女を完全に見据えており、熱量を失ってはいなかった。

 

大量出血、呼吸障害、筋肉の弛緩、微弱な痙攣――。

エクスカリバーによる裂創も常人であれば、絶命するもの。

死んでなければおかしい。意識があるのも信じられない。

決して折れない黄金の精神は、生理現象すら跳ねのけるのか。

 

「…………」

 

こんな状況なのに、文は痛みを忘れて感心してしまった。

紛れもなく、ギルガメッシュは全てのサーヴァントを凌駕するサーヴァントだ。

英雄の中の英雄。まさに英雄王の名に相応しい。

あり方は人間とは比較にならない。比べるのも烏滸がましい。

精神的な発展を遂げた幻想郷に住む人妖含めて、これほどの魂の持ち主はいない。

 

そして、ギルガメッシュは立ち上がった。

折れた足を引きずって、文に歩み寄る。確実に殺すために。

男のように、少女は立ち上がれない。

右足が開放骨折している以上、物理的に不可能だった。

まともに動けず、何もできない。王による裁定の時を待つだけ。

 

ギルガメッシュは、少女の目の前で歩みを止めた。

発声器官を失っており、言葉を話せない。

そのため、瞳が雄弁に語る。

 

『貴様の負けだ』と――。

 

今度こそ悠長に眺めずに、英雄王は乖離剣を構えた。

左腕と喉を食われて、高所から落下しても手放さなかった乖離剣エア。

宝具の解放は、もう不可能だ。

しかしその刀身は王の期待に応えるように、回転を続けていた。

 

「今更、負けるかよ」

 

文は、そう憎々しげに吐き捨てた。

四肢で無事なのは、右腕と左脚だけ。魔力枯渇でそよ風すらも起こせない。

つまり、彼女は何もできない。

 

ギルガメッシュは、文の心臓に乖離剣を振り下ろした。

 

その時、少女は笑っていた。

それは、諦観から来るものではない。

とても嬉しそうに笑っていた。

実は、頬も少しだけ赤かったかもしれない。

 

さっきの言葉も、決して虚勢ではなかった。

射命丸文は、気づいていたから。

 

そして、少女の胸に乖離剣が届くよりも先に、一本の矢が英雄王の胸を貫いた。

 

 

 

 

出血を続ける腹の傷を押さえながら、なんとか冬木センタービルから抜け出した。

 

「ハァ、ハァハァ……」

 

呼吸も不規則で、全身に血液がちゃんと循環してないのがわかる。

エレベーターがなければ、間違いなく途中で倒れていた。

それよりも今は文の安否だ。地上に落ちた彼女を探さなければならない。

 

「いた……」

 

拍子抜けなほど、簡単に見つかった。

ビルの真下の舗装路に、文とギルガメッシュを発見した。

二人とも生きている。

どちらのものかも判断できない血で、全身を染めていた。

 

文もギルガメッシュも、酷い有様だった。

……地上に至るまで、何があったのかわからない。

高所から落ちただけでは説明できない傷も、互いに存在している。

だが二人の明暗は、はっきりとしていた。

倒れて身動きの取れない文に、ギルガメッシュが剣を持って近づいていく。

 

「…………!」

 

声を上げそうになったが、ギルガメッシュに気づかれてはいけない。

 

これまで使っていた弓は、腕で腹の傷を塞ぐために捨ててしまった。

だから、一から作り直さないといけない。

……こんな状態で、魔術を使えばどうなるかわからない。

だが、この矢を使うためにどうしても必要だった。

 

『――投影、開始(トレース・オン)…………!』

 

弓の投影に成功した。

魔術回路を開いていなかったら、確実に死んでいただろう。

 

「うぐ……」

 

激痛に耐えかねて、涙が流れたと思った。

頬を伝う液体を袖で拭くと、赤色をしていた。

無茶をした結果、目の奥の血管が切れたのかもしれない。

 

「…………ふぅ、ふぅ」

 

文の力が込められた矢。最後の一本。絶対に外すわけにはいかない。

弦を引くと、気が遠くなりそうな激痛が襲う。

それでも、痛みだけなら制御できる。

手先の震えが止まらず、視界もずっとぼんやりとしている。

ギルガメッシュの頭を狙う余裕はない。だから、次に急所の集まる箇所を狙う。

 

……外せない。外せば全てが終わってしまう。

 

頭は、どんな時だって冷静でなければならない。

熱くなれば、当たるものも当たらなくなる。

距離も大したことはない。15メートル程度だ。

万全なら、絶対に外す距離ではない。

これまで二度放った矢は、全てギルガメッシュに躱された。

深呼吸――。

数秒の間でも、呼吸の乱れを抑えなくてはならない。

 

狙いは定まった。後はもう弓を放つだけ。

この距離であれば、放つと同時に矢はギルガメッシュに到達する。

あいつが、文を殺そうとした瞬間を狙う。それがきっと最良のタイミングだ。

 

そして、ギルガメッシュが剣を振り下ろした。

矢を放つ――。

 

反動が射手である俺を襲ったが、何とか転倒せずに済んだ。

転べばそれまでだ。もう二度と起き上がれない。

そう安堵した時には、矢はギルガメッシュを貫いていた。

これまでの結果が嘘のように、呆気なく矢は胸の中心に命中した。

 

「やった……!」

 

文によって強化された矢は、ギルガメッシュの身体を貫通する。

勢いを落とさずに、ビルの壁面に突き刺さった。

矢羽以外は、普通の矢と何ら変わらない。

それなのに、コンクリートの壁に半分以上めり込んでいた。

 

だが、ギルガメッシュは倒れなかった。

 

「うそ、だろ……」

 

胸の穴は、間違いなく急所を貫いている。

そのはずなのに、英雄王は生きていた。

耐久力の問題ではない。

心臓が破壊されている。死んでければおかしいのだ。

 

表情のない男の顔が、ゆらりと俺を捉えた。

 

「…………!」

 

英雄王には、喉というものが存在しなかった。

抉り取られた首から、骨が覗いている。

……それなのに、あの目の滾りはなんだ?

 

息が詰まる。殺されると思った。

それも束の間、ギルガメッシュは再び剣を構え直した。

焼き直しのように、少女に向かって剣を振り下ろそうとする。

矢はもうない。全て使ってしまった。

そうだとしても、このまま見過すなんて絶対にできない!

 

不要になった弓を捨てて、文の元に走る。

走っているとは到底言えない状態だ。歩いているのと変わらないスピード。

それなのに、腹の穴が今まで以上の悲鳴を上げている。

一歩進む度に、俺の命は確実に縮んでいく。

……だけど、それがなんだ。

彼女の命が助けられるのなら、俺はいつ死んでも構わない。

 

「間に、合わない……」

 

たったの15メートルの距離がどうしようもなく遠い。

 

文が死んでしまう……! 殺されてしまう……!

駄目だ駄目だ……! それだけは絶対に駄目だ……!

 

「文ーーッ!!」

 

ありったけの力で、少女の名前を呼ぶ。

それが何になる。名前を叫んでも意味はない。

 

ギルガメッシュの剣が、突き立てられた。

目は絶対に背けない。

これで彼女が死んでしまうのなら、それは俺の責任だ。

 

「…………!!」

 

文は寝返りを打つように身を翻し、刺突をかろうじて避けた。

今まで少女がいた舗装路が、粉々に破壊されている。

あんなものを喰らえば、間違いなく命を落としてしまう。

 

俺は、無意識のうちに腰にあった短剣を握っていた。

遠坂から託された、セイバーのカルンウェナン。

この短剣は、この瞬間のためにあったのだろう。

 

「う……く……!」

 

ギルガメッシュは、文の胸を踏む。

これでもう、彼女は身動きが取れなくなってしまった。

 

だけど、あと少し。あと少しだ!

文がギルガメッシュの攻撃を躱してくれたおかげで、何とか間に合う!

俺がこんなに近くにいても、あいつは文から目を離さない。

この男も余裕がないのだ。これなら俺でも――。

 

「――――!?」

 

強い衝撃の後、気づけば地面に倒れていた。

 

………………何が起きたのか理解できない。

ただ俺は文と同じように地面の上に転がっていた。

……平衡感覚を失っている。

起き上がろうとしても、地面がどこにあるのかもわからない。

 

頭がどうしようもないくらい痛い。吐き気が止まらない。

側頭部に生暖かい感触。

手を伸ばすと、頭がぱっくりと割れていた。

ギルガメッシュの間合に入った瞬間、薙ぎ払いを受けたのだ。

剣の側面に刃は付いておらず、鈍器で強打されたのと同じ状態だった。

 

これは……やばい……。

意識が……意識が、急激に遠のいていく。

 

「あ……うあ……」

 

目の前にいる少女の名前を呼ぼうとしたが、言葉にならなかった。

視界が急激に狭くなって、目の前が暗くなっていく。

意識を失う。文の顔を一瞬だけでもいいから見たかった。

 

そうする理由は何なのか。後悔、憐憫、同情、贖罪、自己嫌悪……。

どんな理由をつけても、不甲斐ない自分を納得させる材料にもならない。

ギルガメッシュは、俺など見ていない。

今の攻撃も纏わりつく虫を払う程度のもの。現に俺は、抵抗もできずにこの有様。

 

英雄王の剣が振り下ろされる――。

それなのに少女は、ギルガメッシュではなく……俺を、俺の目を見ていた。

でも何も浮かばない。意識が飛ぼうとしている。

 

「最後に格好いいところ見せなさい! 正義の味方!」

 

そう彼女は、言った。

その直後、英雄王の剣が少女に突き立てられた。

 

「…………ッッ!!」

 

文は咄嗟に右腕を使って、急所だけを庇った。

 

しかし、高速回転する刀身には殆ど無意味だった。

彼女の腕は、たちまち細切れにされていく。余計に苦しむだけの抵抗。

悲鳴は上げない。歯を食い縛り、一秒でも長く身を削って防ぐ。

それはかつて『この右手が残っている限り大丈夫』と言った記者の腕だった。

 

正義の味方。

それは、一瞬も忘れなかった、爺さんとの盟約。

生涯を捧げると誓った、俺自身の夢。

 

熱が入った――。

ああ、わかっている……。わかっているさ!

だったら、こんな時に何を呑気に眠ろうとしているんだ!

ここで好きな女の子すら守れなくて、何が正義の味方だ!

 

……セイバーのカルンウェナンは、今も握られている。

気絶なんて、ただの防衛本能だ。

それなら本能に抗って、身体を起こせばいい。

虚脱感と苦痛が全身を蝕む。いま死んだって構わない。

 

下肢に力を込めるが、膝から下の感覚が無く動かない。

それなら上体だけ起こす。膝立ちになって、両手で短剣を持つ。

 

「うあああ――ッ!!」

 

倒れ込むように、カルンウェナンを英雄王の腹に突き刺した――。

 

「…………!!」

 

腹に刺した短剣は、複数の重要器官を破壊しているはず。

 

その直後、ギルガメッシュの手首のない左腕が、俺の身体を撥ね飛ばした。

サーヴァントの膂力によって、再び地面に倒されてしまう。

 

「…………」

 

だが、ギルガメッシュは倒れない。

一歩二歩と後ずさったが、黄金の男は倒れない。死んでいない。

不死身の化物と戦っているような錯覚。

宝具によって、命を再生するバーサーカーの方がまだ理解できる。

英雄王は、己の精神力だけで持ち堪えている。理解を完全に超えていた。

 

そしてギルガメッシュが、文にとどめを刺そうとした時――。

 

「えい」

 

仰臥の状態で放たれた少女の蹴りが、腹に刺さった短剣を押し込んだ。

 

たったそれだけで、ギルガメッシュの動きが止まる。

ゴボゴボという奇妙な音と共に、喉と口から気泡混じりの血が流れた。

文は足に力を込める。

より体内深くに押し込まれた短剣は背中を突き破って、切っ先を朝日に晒した。

 

そしてギルガメッシュが、ついに膝をつく。

 

「――――」

 

言葉は遺さない。

前のめりに倒れると、英雄王の身体は暁の空に散った。

 

 

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