文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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68.暁の空を迎えて

 

 

「……お、わっ……た?」

 

声帯を震わせたが、それは言葉にならなかった。

俺の身体は、もう限界だった。

寝そべったまま、起き上がれそうもない。

指一つ動かそうとしただけで、体中から激痛が走る。

 

「ええ。間違いなくギルガメッシュを倒しました」

 

そんな不明瞭な言葉に、文が淀みなく答えてくれた。

少女の身体もまた、目を覆いたくなる状態だ。

それでも赤い瞳には、しっかりと命の色が灯っている。

 

それに、心配なのは身体だけの話じゃない。

 

「…………文は、もう……大丈夫……か?」

 

戦いの前に言っていた『精神の死』は、これで回避できたのか。

妖怪を死に至らせる、英雄の傷。

ギルガメッシュを倒さないと、夜明け頃に死んでしまうと言っていた。

 

そして、夜はもう明けている。

 

「はい――おかげ様で。私の心は、十全に満たされました」

 

にんまりと、それでいてどこか得意げな笑みを俺に向ける。

文らしい表情だった。

……正直に言えば、少々憎らしく感じる時もある。

だが、射命丸文という烏天狗の少女には、とてもよく似合っていた。

本人には決して言えないが、誰よりも好きな顔だった。

 

……ああ、よかった。安心した。

 

ギルガメッシュを倒し、射命丸文を救ったのは紛れもなく彼女自身だ。

だけど多少は俺も、役に立てたかもしれない。

これまで何一つとして、彼女の力になれなかった。

しかし、ギルガメッシュをセンタービルに誘導して、文字通り一矢報いた。

その結果、文の命が救われた。

手放しで喜べない理由はない。誇りにだって思う。

 

その少女が倒した最後のサーヴァント。

英雄王の消滅は、実感が持てないぐらい呆気ないものだった。

ギルガメッシュは致命傷を負っても、何度も立ち上がって攻撃を仕掛けてきた。

『精神は肉体を凌駕する』というどこかで聞いた言葉。

その体現が、ここにあった。

だがそんな男も、文のなんてことのない一撃で命を落とす。

壮絶と呼べる戦いの連続だった聖杯戦争も、最後だけはあっさりとしていた。

 

「…………」

 

ギルガメッシュの消滅した場所には、カルンウェナンだけが残されている。

男がいた痕跡は、どこにもない。受肉した肉体もまた、分解されたのだろうか。

 

セイバー召喚の触媒となった短剣。

『ギルガメッシュの最期をセイバーに見せる』と遠坂と約束をした。

そして、そのカルンウェナンこそが、ギルガメッシュを倒す決め手となった。

この短剣がなければ、あいつを倒せなかったかもしれない。

……約束とは少し違う形になったが、そこは大目に見てもらおう。

 

これでもう、聖杯戦争は終わりを迎えた。

ライダー、アサシン、ランサー、キャスター、バーサーカー、セイバー。

そして、本来あり得ないはずの8人目のサーヴァント――ギルガメッシュ。

全てのサーヴァントは、アーチャーの射命丸文を除いて消失した。

 

聖杯戦争の終結。それは同時に、俺たちの勝利を意味する。

冬木を巻き込んだ魔術師同士の馬鹿げた殺し合いは、これで終わりだ。

達成感やカタルシスは、何も感じない。

俺自身が大して関与していないのもあるが、決してそれだけではないだろう。

 

残されたものは、戦いを終わらせられた安堵感。

それと、障害が残ってもおかしくない傷だけ。

当然、生き残れたのは十分な成果だ。どこかで救われた命もあるはず。

 

……正義の味方は俺の理想であり、生涯覆りはしない。

今回の聖杯戦争でその在り方が、わかりやすく示されたのかもしれない。

何か得たものがあるかと言えば、納得という自己満足。

つまるところ、何もない。たった今、身をもって理解した。

感謝されるとか、物品を得るとか、そういった見返りは望んでいない。

かといって、自己犠牲なんて高尚なものでもない。

やりたいからやっているだけの、身勝手なエゴイズムだ。

 

ただ。

 

『最後に格好いいところ見せなさい! 正義の味方!』

 

最後に文から投げかけられた言葉が、胸のなかで燃えている。

……いいや、違う。

この感情は、胸の奥でずっと燻っていたもの。それが再燃したのだ。

 

十年前の聖杯戦争。

その大火災で負った火傷は、今も癒えていない。

唯一生き残った俺は、あの時からほんの少しずつその身を焼き続けていた。

それは、自覚ができない緩やかな熱。

いずれは全身を燃やし、この身を破滅という形で焼き尽くす。

そんな『正義の味方』の終着点は、もう決まっていた。

この理想を追いかける限り、自身の死という形でしか終わらない。

それでも切嗣から託された理想はとても綺麗なもので、間違いではなかった。

たとえ俺自身が紛いものであっても、信じるものが正しければそれでいい。

 

そう思えるだけで、振り返らずに前だけを見ていられる。この道を進んでいける。

 

 

 

 

意識が急激に遠のいていく。

 

原因は確認するまでもない。

全身に傷があり、特に腹と頭が酷い。

今もこうして命を繋げているのは、偶然とは思えない。

何か特別な理由があるはずだった。

しかしどうしてなのか、それは一生わからない気がした。

 

俺の身体は、横たわったまま動きそうもない。

血を流しすぎてしまった。すぐに止血をしないと命に関わる。

少しでも気を抜けば、意識は瞬く間に寸断されてしまう。

夜は明けたはずなのに、視界は暗くモザイクが掛かっている。

極度の貧血によって、視覚を狂わせているのか。

 

そんな曖昧な景色に映った少女の姿。

彼女の傷は、俺とは比較にならないもの。命に関わる傷を、いくつも負っている。

そんな状態なのに、もう座って休める程度に回復していた。

 

「さてと……」

 

ギルガメッシュを倒して、文が命を拾えたのは間違いない。

つい数時間前まで、死の淵にいた彼女と少しも姿が重ならない。

外傷は今の方がずっと酷いが、少女から感じる生気はまるで別人だった。

血色がよく、表情も明るい。

 

それでも全身に残された傷は、見ていられない。

背中は、特に凄惨だった。

唯一残った翼もぐちゃぐちゃになってしまっている。

右腕もまた英雄王の攻撃を防いだことで、形を保てていない。

新聞記者なのに、これではペンを握るのもままならない。

右脚からは骨がはみ出していたが――文が突然、その足を引っ張り始めた。

 

「ふ、くううぅぅ……!!」

 

余程の苦痛が伴うのか。らしくない呻き声を上げている。

しかし、脛骨があるべき場所に戻っていく。

左腕も折れていたはずなのに、いつの間にか治っていた。

信じられない光景だった。

英雄の攻撃に比べれば、落下によるダメージなんてその程度のものなのか。

そうしているうちに、彼女は立ち上がっていた。

ギルガメッシュが消滅して、五分も経っていなかった。

 

「英雄殺しの効果は凄いですね。普段の何倍も傷の治りが早いです。……それでも腕と背中は当分治りそうもないかな。自分じゃ見えないけど、背中は相当グロいことになってそう」

 

陰惨な内容とは裏腹に、口調はどこまでも軽い。

 

「ま、解毒は済んだし、後は時間が解決してくれるでしょう。……さて士郎さん、まだ意識ありますか?」

「…………」

 

口を動かそうにも、声帯を震わせる体力も残されてなかった。

まともな反応を示せない俺に、少女は目の前で手を振って眼球の動きを確認する。

 

「あー……これはヤバいですね。止血を済ませて、さっさと病院に連れて行きましょうか」

 

慣れた手つきで、俺の止血処置を済ませる。これで、死から遠のいたかもしれない。

……ああ、それなら意識を手放してもいいだろう。

 

「士郎さん、あなたはとても頑張りました。もう眠ってもいいですよ。意識を保たなければ、死んでしまうようなこともないでしょうし。……多分」

 

最後に不穏な言葉をぽつりと漏らしたが、ここは彼女に甘えてしまおう。

命を懸けた戦いは、もう終わった。心配するようなことは何もない……はず。

 

「……………………」

 

 

 

……いや、違う。待つんだ。

奇妙な引っかかりを覚えた。なんだ、この感じは。

 

サーヴァントは全て倒されて、聖杯戦争は終わった。

それは、間違いない。

だがこの聖杯戦争は、何を目的とした戦いだったのか。

その名が示すとおり、聖杯を手に入れるための戦いだった。

俺も文も、聖杯には興味はない。

だが勝ち残った以上、聖杯は何らかの形で顕在化するはず。

遠坂から、そう聞かされている。

 

……なら聖杯は、どこに顕れる?

俺たちの目の前に、いきなり顕れるものなのか?

そんな予兆はどこにもない。何かが間違っているのか?

 

そうだ。あいつは……遠坂はどこに行ったんだ? 

 

『思い違いだといいんだけど、気になることがあってね』

確かそう言っていた。それは何のことだ?

……それだけじゃない。

ギルガメッシュは、誰かの名前を口にしていた。

まだ大して時間も経っていなのに、それが誰だったのか思い出せない。

……胸騒ぎがする。これは決して、俺の思い過ごしではない。

一度気を抜いてしまったせいで、意識が底の見えない谷に転がるように落ちていく。

 

文に伝えなくては……。

途切れそうな視界で彼女を見ると、屈伸運動をしていた。

 

「そういえば、こんな時間に病院は開いているのかな? ここまで発達した社会だし、急患を受け入れるシステムがないとは思えないけど。……うーん、私もこんなんだし、他の人間に会うのは面倒かも。士郎さんを病院の入口に転がしておけば、誰か気づいてくれるかな?」

 

あんまりな言葉が聞こえるが、今はそれどころじゃない。

気を失う前に、どうにかしてメッセージを伝えなければ……!

 

「……ッ! ……!!」

 

声を出そうと必死に声帯を震わせたが、言葉にならなかった。

しかし俺の様子が普通じゃないと気づいたのか、文が屈伸を止めて俺の顔を覗き込んだ。

 

「……どうかしましたか?」

 

眉目を垂らして、本当に心配そうな少女の顔。

少し前までは、こんな顔は決して見せてくれなかった。

 

「…………ッガ、くぅ」

 

だがどうやっても、声が出ない。

視線を動かすのがやっとで、思考を伝える手段がない。

彼女は烏天狗であって、覚り妖怪ではない。

洞察力は優れていても、読心能力のない彼女に考えが伝わるはずがない。

それでも俺を汲んでくれようと、顎に手を置き思案を巡らせる。

 

「……あ、もしかして健康保険証の心配ですか!? あれがないと、治療費が馬鹿高くなるんでしたよね!?」

 

もう……駄目だ……意識が――。

 

「……そんなマスターの懐事情すらも心配するサーヴァント。超強いだけではなく、経済観念まで熟知した私って、どれだけ完璧な存在なんでしょうか!」

 

最後に見たのは、得意げにふんすと鼻を鳴らす烏天狗の姿だった。

 

 

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