文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
「……お、わっ……た?」
声帯を震わせたが、それは言葉にならなかった。
俺の身体は、もう限界だった。
寝そべったまま、起き上がれそうもない。
指一つ動かそうとしただけで、体中から激痛が走る。
「ええ。間違いなくギルガメッシュを倒しました」
そんな不明瞭な言葉に、文が淀みなく答えてくれた。
少女の身体もまた、目を覆いたくなる状態だ。
それでも赤い瞳には、しっかりと命の色が灯っている。
それに、心配なのは身体だけの話じゃない。
「…………文は、もう……大丈夫……か?」
戦いの前に言っていた『精神の死』は、これで回避できたのか。
妖怪を死に至らせる、英雄の傷。
ギルガメッシュを倒さないと、夜明け頃に死んでしまうと言っていた。
そして、夜はもう明けている。
「はい――おかげ様で。私の心は、十全に満たされました」
にんまりと、それでいてどこか得意げな笑みを俺に向ける。
文らしい表情だった。
……正直に言えば、少々憎らしく感じる時もある。
だが、射命丸文という烏天狗の少女には、とてもよく似合っていた。
本人には決して言えないが、誰よりも好きな顔だった。
……ああ、よかった。安心した。
ギルガメッシュを倒し、射命丸文を救ったのは紛れもなく彼女自身だ。
だけど多少は俺も、役に立てたかもしれない。
これまで何一つとして、彼女の力になれなかった。
しかし、ギルガメッシュをセンタービルに誘導して、文字通り一矢報いた。
その結果、文の命が救われた。
手放しで喜べない理由はない。誇りにだって思う。
その少女が倒した最後のサーヴァント。
英雄王の消滅は、実感が持てないぐらい呆気ないものだった。
ギルガメッシュは致命傷を負っても、何度も立ち上がって攻撃を仕掛けてきた。
『精神は肉体を凌駕する』というどこかで聞いた言葉。
その体現が、ここにあった。
だがそんな男も、文のなんてことのない一撃で命を落とす。
壮絶と呼べる戦いの連続だった聖杯戦争も、最後だけはあっさりとしていた。
「…………」
ギルガメッシュの消滅した場所には、カルンウェナンだけが残されている。
男がいた痕跡は、どこにもない。受肉した肉体もまた、分解されたのだろうか。
セイバー召喚の触媒となった短剣。
『ギルガメッシュの最期をセイバーに見せる』と遠坂と約束をした。
そして、そのカルンウェナンこそが、ギルガメッシュを倒す決め手となった。
この短剣がなければ、あいつを倒せなかったかもしれない。
……約束とは少し違う形になったが、そこは大目に見てもらおう。
これでもう、聖杯戦争は終わりを迎えた。
ライダー、アサシン、ランサー、キャスター、バーサーカー、セイバー。
そして、本来あり得ないはずの8人目のサーヴァント――ギルガメッシュ。
全てのサーヴァントは、アーチャーの射命丸文を除いて消失した。
聖杯戦争の終結。それは同時に、俺たちの勝利を意味する。
冬木を巻き込んだ魔術師同士の馬鹿げた殺し合いは、これで終わりだ。
達成感やカタルシスは、何も感じない。
俺自身が大して関与していないのもあるが、決してそれだけではないだろう。
残されたものは、戦いを終わらせられた安堵感。
それと、障害が残ってもおかしくない傷だけ。
当然、生き残れたのは十分な成果だ。どこかで救われた命もあるはず。
……正義の味方は俺の理想であり、生涯覆りはしない。
今回の聖杯戦争でその在り方が、わかりやすく示されたのかもしれない。
何か得たものがあるかと言えば、納得という自己満足。
つまるところ、何もない。たった今、身をもって理解した。
感謝されるとか、物品を得るとか、そういった見返りは望んでいない。
かといって、自己犠牲なんて高尚なものでもない。
やりたいからやっているだけの、身勝手なエゴイズムだ。
ただ。
『最後に格好いいところ見せなさい! 正義の味方!』
最後に文から投げかけられた言葉が、胸のなかで燃えている。
……いいや、違う。
この感情は、胸の奥でずっと燻っていたもの。それが再燃したのだ。
十年前の聖杯戦争。
その大火災で負った火傷は、今も癒えていない。
唯一生き残った俺は、あの時からほんの少しずつその身を焼き続けていた。
それは、自覚ができない緩やかな熱。
いずれは全身を燃やし、この身を破滅という形で焼き尽くす。
そんな『正義の味方』の終着点は、もう決まっていた。
この理想を追いかける限り、自身の死という形でしか終わらない。
それでも切嗣から託された理想はとても綺麗なもので、間違いではなかった。
たとえ俺自身が紛いものであっても、信じるものが正しければそれでいい。
そう思えるだけで、振り返らずに前だけを見ていられる。この道を進んでいける。
◇
意識が急激に遠のいていく。
原因は確認するまでもない。
全身に傷があり、特に腹と頭が酷い。
今もこうして命を繋げているのは、偶然とは思えない。
何か特別な理由があるはずだった。
しかしどうしてなのか、それは一生わからない気がした。
俺の身体は、横たわったまま動きそうもない。
血を流しすぎてしまった。すぐに止血をしないと命に関わる。
少しでも気を抜けば、意識は瞬く間に寸断されてしまう。
夜は明けたはずなのに、視界は暗くモザイクが掛かっている。
極度の貧血によって、視覚を狂わせているのか。
そんな曖昧な景色に映った少女の姿。
彼女の傷は、俺とは比較にならないもの。命に関わる傷を、いくつも負っている。
そんな状態なのに、もう座って休める程度に回復していた。
「さてと……」
ギルガメッシュを倒して、文が命を拾えたのは間違いない。
つい数時間前まで、死の淵にいた彼女と少しも姿が重ならない。
外傷は今の方がずっと酷いが、少女から感じる生気はまるで別人だった。
血色がよく、表情も明るい。
それでも全身に残された傷は、見ていられない。
背中は、特に凄惨だった。
唯一残った翼もぐちゃぐちゃになってしまっている。
右腕もまた英雄王の攻撃を防いだことで、形を保てていない。
新聞記者なのに、これではペンを握るのもままならない。
右脚からは骨がはみ出していたが――文が突然、その足を引っ張り始めた。
「ふ、くううぅぅ……!!」
余程の苦痛が伴うのか。らしくない呻き声を上げている。
しかし、脛骨があるべき場所に戻っていく。
左腕も折れていたはずなのに、いつの間にか治っていた。
信じられない光景だった。
英雄の攻撃に比べれば、落下によるダメージなんてその程度のものなのか。
そうしているうちに、彼女は立ち上がっていた。
ギルガメッシュが消滅して、五分も経っていなかった。
「英雄殺しの効果は凄いですね。普段の何倍も傷の治りが早いです。……それでも腕と背中は当分治りそうもないかな。自分じゃ見えないけど、背中は相当グロいことになってそう」
陰惨な内容とは裏腹に、口調はどこまでも軽い。
「ま、解毒は済んだし、後は時間が解決してくれるでしょう。……さて士郎さん、まだ意識ありますか?」
「…………」
口を動かそうにも、声帯を震わせる体力も残されてなかった。
まともな反応を示せない俺に、少女は目の前で手を振って眼球の動きを確認する。
「あー……これはヤバいですね。止血を済ませて、さっさと病院に連れて行きましょうか」
慣れた手つきで、俺の止血処置を済ませる。これで、死から遠のいたかもしれない。
……ああ、それなら意識を手放してもいいだろう。
「士郎さん、あなたはとても頑張りました。もう眠ってもいいですよ。意識を保たなければ、死んでしまうようなこともないでしょうし。……多分」
最後に不穏な言葉をぽつりと漏らしたが、ここは彼女に甘えてしまおう。
命を懸けた戦いは、もう終わった。心配するようなことは何もない……はず。
「……………………」
……いや、違う。待つんだ。
奇妙な引っかかりを覚えた。なんだ、この感じは。
サーヴァントは全て倒されて、聖杯戦争は終わった。
それは、間違いない。
だがこの聖杯戦争は、何を目的とした戦いだったのか。
その名が示すとおり、聖杯を手に入れるための戦いだった。
俺も文も、聖杯には興味はない。
だが勝ち残った以上、聖杯は何らかの形で顕在化するはず。
遠坂から、そう聞かされている。
……なら聖杯は、どこに顕れる?
俺たちの目の前に、いきなり顕れるものなのか?
そんな予兆はどこにもない。何かが間違っているのか?
そうだ。あいつは……遠坂はどこに行ったんだ?
『思い違いだといいんだけど、気になることがあってね』
確かそう言っていた。それは何のことだ?
……それだけじゃない。
ギルガメッシュは、誰かの名前を口にしていた。
まだ大して時間も経っていなのに、それが誰だったのか思い出せない。
……胸騒ぎがする。これは決して、俺の思い過ごしではない。
一度気を抜いてしまったせいで、意識が底の見えない谷に転がるように落ちていく。
文に伝えなくては……。
途切れそうな視界で彼女を見ると、屈伸運動をしていた。
「そういえば、こんな時間に病院は開いているのかな? ここまで発達した社会だし、急患を受け入れるシステムがないとは思えないけど。……うーん、私もこんなんだし、他の人間に会うのは面倒かも。士郎さんを病院の入口に転がしておけば、誰か気づいてくれるかな?」
あんまりな言葉が聞こえるが、今はそれどころじゃない。
気を失う前に、どうにかしてメッセージを伝えなければ……!
「……ッ! ……!!」
声を出そうと必死に声帯を震わせたが、言葉にならなかった。
しかし俺の様子が普通じゃないと気づいたのか、文が屈伸を止めて俺の顔を覗き込んだ。
「……どうかしましたか?」
眉目を垂らして、本当に心配そうな少女の顔。
少し前までは、こんな顔は決して見せてくれなかった。
「…………ッガ、くぅ」
だがどうやっても、声が出ない。
視線を動かすのがやっとで、思考を伝える手段がない。
彼女は烏天狗であって、覚り妖怪ではない。
洞察力は優れていても、読心能力のない彼女に考えが伝わるはずがない。
それでも俺を汲んでくれようと、顎に手を置き思案を巡らせる。
「……あ、もしかして健康保険証の心配ですか!? あれがないと、治療費が馬鹿高くなるんでしたよね!?」
もう……駄目だ……意識が――。
「……そんなマスターの懐事情すらも心配するサーヴァント。超強いだけではなく、経済観念まで熟知した私って、どれだけ完璧な存在なんでしょうか!」
最後に見たのは、得意げにふんすと鼻を鳴らす烏天狗の姿だった。