文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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69.射命丸文の後始末

 

 

「ま……人間じゃここが限界か」

 

衛宮士郎が意識を失ったのを確認すると、射命丸文は赤い瞳を鋭く細めた。

たったそれだけで、少女の印象が酷薄なものに変貌する。

 

「ふう」

 

士郎の身体は見た目以上に筋肉質だったが、軽々と持ち上げて肩に担ぐ。

10センチ以上の体格差があるため、どうしてもアンバランスな姿になってしまう。

 

朝の6時を過ぎて、段々と空が明るくなってきた。

少しずつだが、人の気配も感じる。

致死性の怪我を負った少年少女。少年に至っては、意識を失っている。

誰にも見られてはいけない。見つかると面倒になる。

羽はズタズタで空は飛べないが、それでも隠密行動は得意だった。

蒙昧な人の目など、容易に搔い潜れる。

救急医療機関は、新都内に存在している。そう遠くもない。

 

「では、行きますか」

 

そう呟いた瞬間、少女の姿は冬センタービル正面から消えていた。

 

 

少々乱暴な運び方だったが、文は病院に士郎を届けた。

無事に届けたわけではない。

宣言通り、病院のエントランスに放置しただけ。

ただ身元がわかるように、気絶した士郎の上に身分証入りの財布を置いた。

傷だらけで倒れている少年。遠目からでも目立つ存在だ。

 

「……ちょっと心配だけど、無視されることはないわよね」

 

もっとも、ただの事故では片付けられない傷がある。

意識が回復した後は、警察からの尋問で忙しくなるだろう。

しかしそれは、文の関知することではない。今の彼女は、その程度には優しくない。

これで自由になった。やるべきことはまだある。

 

「さてと――面倒だけど、最後の後始末をしますか」

 

次の目的地も、同じ新都にあった。

同じ地域ではあるが、郊外に位置するため往来の良い場所ではない。

小高い丘の上に立つ教会。

聖杯戦争の監督役である言峰綺礼の住む冬木教会が、最後の目的地だった。

 

 

 

 

良質のオーク材で作られた重厚な扉。

聖杯戦争の初日。かつて訪れた時とは状況が違う。

律儀にノックなんてしない。

鍵は掛かってないかもしれないが、確認するのも面倒なので蹴り破る。

 

「おっはよーございますー! 清く正しく、そして聖杯戦争の勝者である射命丸ですー!」

 

明朗快活な声が、教会に響き渡る。

そして、屋内の様子は文の想像以上の有様だった。

神事を執り行う場所では、絶対にあってはならない光景。

 

薄暗い壁に飛び散る、真新しい血液。

入り口から中央奥、祭壇の前にいる長身の男。

その傍らに倒れた二人の少女。

 

「…………」

 

鮮度の良い血の匂いが、烏天狗の胃袋を刺激する。

くうくうと鳴る空腹感。

ギルガメッシュの血肉を喰らったせいで、理性どころか意識も酷薄になっている。

高位の妖怪として、行きすぎた感覚だった。

これでは、本能で生きる獣と変わらない。自重しなければ。

 

「……中年男の足下に、年端のいかない少女が二人。ふむ。一面を飾ってもおかしくないネタですが、生憎今日の私はカメラを持ってきていません」

 

初めて会った時と変わらぬ態度で佇む、言峰綺礼の姿。

闖入者である射命丸文を見ても、何の動揺も見せない。

そんな人並みの感情を感じさせない姿は、屍蝋を彷彿とさせた。

 

倒れた少女の一人は、数時間前に顔を合わせたばかりの遠坂凛。

赤い服の上からでもわかる血の染み。方法は不明だが、腹部を的確に抉られている。

返り血を浴びた姿を見るに、下手人は綺礼で間違いないだろう。

彼女のような聖杯戦争を戦い抜ける強かな魔術師に、無傷で傷を負わせている。

言峰綺礼は、相当な戦闘力を有していると考えていいかもしれない。

 

彼女は長椅子に寄り掛かり、傷を押さえている。意識は失っていない。

出血は激しかったが、すぐに死んでしまう類の傷ではなかった。

 

「あんた……? どうしてここに……?」

 

文の突然の襲来に、驚きを隠せないようだった。

 

「ふむ、凛はしゃべれる程度には元気みたいね。……カメラといえば、あのデジカメほしかったなー。それだけは心残りかも」

 

必死に声を絞り出した凛を適当にあしらうと、もう一人の倒れた少女を見る。

 

「…………!」

 

幻肢痛――失ったはずの片翼が疼いた。

 

「……イリヤさん?」

 

もう一人の少女。

それは、バーサーカーのマスターであるイリヤスフィールだった。

気を失っているが、遠坂と違って外傷は見当たらない。

 

しかしどうにも様子がおかしい。

姿形は人間と同じもの。だが――これは本当に人間なのか。

人の因子は、間違いなく持っている。

だが溢れる魔力が、常軌を逸していた。

こうして知覚できる範囲でも、一人の人間の抱えられるような魔力量ではない。

人ではなく、魔力で満たされた広大なプールを見ているようだった。

 

(…………??)

 

射命丸文は、魔術についての見識は深くない。

彼女をこの世界に送った魔女なら容易く看破できるだろうが、それは無意味な仮定。

これ以上考えても詮無いと判断し、本来の目的である男に視線を戻した。

 

「改めまして、おはようございます! 素晴らしい朝ですね!」

 

軽く手を挙げて、挨拶をする。

その右手は、ミキサーへ突っ込んだようにボロボロだった。

 

「ふっ……本来であれば、よくきたとでも言うべきだろう。しかし、今は状況が悪いようだ。何故ここを訪れた?」

 

傷だらけの手をあえて見せたのは、からかい程度の脅しだったが、男は眉一つ動かさない。

少しも意に介さず、淡々と自身の疑問を告げた。

 

「聖杯戦争に勝ち残ったので、聖杯を受け取りに来ました」

 

これは、男にとってアキレス腱とも言える質問のはず。

僅かな表情の変化でも見逃さないよう、文は綺礼の顔を凝視する。

 

「……ほう。聖杯がここにあると思ったのかね?」

 

それも無駄に終わってしまう。男には何の変化も見られなかった。

これ以上の脅しや牽制は、言峰綺礼に意味はないだろう。

 

「…………」

 

片や遠坂凛は、気まずそうに目を逸らしていた。露骨に文の右手を見ないようにしている。

ここまでの荒事には、免疫がないのだろうか。年相応の少女の反応だった。

 

「あはは」

 

あまりの愛らしさに口角が上がりそうになったが、寸前のところで抑える。

 

(……嗜好が露悪に傾いている。もう少し美意識を持たないと)

 

壊れた理性に人喰い――。彼女は、体裁というものを失っていた。

血の匂いを嗅いだ時の高ぶりも含めて、まともとは言えない精神状態。

セイバーと戦っていた際の高ぶりとも違う。あの時と違って、今の彼女は極めて冷静だった。

 

射命丸文はもはや、かつての自分を再現しているだけに過ぎなかった。

 

「あなたは前々から怪しいと思ってましたからね。聖杯を掠め取っても不思議じゃありません。……そしたら、こんな素敵な光景が広がってるじゃないですか!」

「私としても、教会を血で汚すような真似はしたくなかったのだがね。凛の訪問がなければ、すでに聖杯の力を行使していただろう」

「おや、すんなりと自白した。……しかし、その聖杯はどこに?」

 

てっきり白を切ると思っていただけに、少々鼻白んでしまう。

 

「君が気づいていないだけで、あらゆる奇跡を可能とする願望器はすでに顕在化しているのだよ」

「はい? 私は聖杯戦争の勝者なんですけど、そんなものはどこにも顕れませんでしたよ?」

「目聡そうに見えて、意外と鈍いのだな。……君の目の前にいるアインツベルンの少女こそが、此度の聖杯だ」

 

文は言われて、ようやく気づく。

イリヤスフィールこそが、聖杯そのもの。

これで、彼女が抱える膨大な魔力に納得ができた。

聖杯戦争――。

聖杯がその名の通り、杯である必要はない。

幻想郷に住みながら、固定観念や常識に囚われていた。

 

「それにしても、やけにべらべらと喋りますね」

「……おまえは私を殺しに来たのだろう? 私が何を言おうが、その意志は変わらないと思ったのでね」

「へえ――そういうのわかるものなんですか。おくびにも出してないつもりでしたが」

「クク。神の家を蹴破りながらよく言うものだな。……今日まで聖職者として生きてきたのだ。他者の心も判らずに告解など聞けぬよ」

「ごもっとも」

 

今や射命丸文の存在は、人間社会における悪そのものだった。

苦痛と不幸に、幸福と喜びを見出してしまう。

人間の苦しむ姿を見るのが、楽しくて仕方がない。

それを自分の手でやれば、もっと楽しいだろう。

 

「……………………」

 

……だから何としても、元の自分を保たないといけない。

そうじゃないと、きっと取り返しのつかないことをしてしまう。

それは困る。とても困る。

人間がどうなろうと知ったことではないが……彼を、衛宮士郎を悲しませたくない。

 

「……ところで、君一人かね。衛宮士郎の姿が見えないようだが」

 

会話が途切れたところで、綺礼がそう尋ねる。

強く観察してないとわからなかったが、語調にも変化があった。

 

「彼ならもうリタイアです。今ごろ集中治療室でしょう」

「そうか、それは残念だ。この状況で衛宮切嗣の息子に会っておきたかったが。……まあいい。それでアーチャー。貴様はどうする?」

「あなたが何をしようが、私の知ったことじゃありません。ですけど、士郎さんに義理立てする程度には世話になってますからね。悪いけど、ここで完全に死んでもらいます」

 

ここで初めて、男は表情らしきものを浮かべた。

 

「……『完全に』か。ふっ、言い得て妙な言葉だ。……だがこの仮初めの命が動く限り、抵抗はさせてもらおう――」

 

いつの間にか綺礼の手には、幾つもの剣が握られていた。

その指の間に挟むようにして構える剣は、黒鍵と呼ばれるもの。

聖堂教会に所属する代行者の正式武装であり、刃渡りは1メートルにも満たない。

斬ることには向かず、投擲を主とした概念武装。

 

文の位置は、投擲武器を武装した言峰には絶好の間合。

だが少女は、黒鍵を見ても構えようともしない。赤い瞳は、男の顔だけを捉えていた。

 

「あんた、ボロボロじゃない。そんなんで大丈夫なの……?」

 

凛の言うとおり、ギルガメッシュ戦での傷は少しも癒えていない。

今の文は、幻想郷最速と言われた頃の面影はない。空だって飛べないまま。

 

「息も絶え絶えな凛には言われたくない言葉ですね。…………ま、いま出せる実力は、ざっと見積もって絶好調時の5パーセントほどですけど。人間相手ならラクショーでしょう」

「綺礼を甘く見ないで……! 私の兄弟子でもあるし、異端狩りのエリートである埋葬機関の代行者なのよ……! あんたが思っているほど、一筋縄でいく相手じゃないわ……!」

 

気の抜けた文の言葉とは違って、凛の声色は怒りすら感じる。

 

「ふーん。……で、その大層な経歴の神父さんは私に勝てるつもりなんです?」

 

言峰綺礼を見る天狗の瞳が、突き刺すように細められる。

 

「……代行者が生半可な覚悟で黒鍵を執ることはない。我らができるのは、常に自身の行為を是とするだけだ」

「はあ、そうですか」

 

言峰は姿勢を低く構えると、両の手に持つ黒鍵を少女に向けた。

 

「今まで私は退治される側だったけど、あなたたちは私に喰われる側。……そこのところを理解してます? これは理屈じゃない、もっと単純な本能の話。……こんな台詞、三下の雑魚が言うものだけど、今回だけは言わせてもらうわ」

 

彼女の言葉と同時に、黒衣の男は黒鍵を投擲した――。

 

8本の剣の矢が、少女を狙う。

ある程度の広さのある教会でも、戦闘をする空間ではない。

均一に備え付けられた長椅子も、行動範囲を狭めている。

高速で飛来する剣の群を前に、未だ少女は男を睥睨したまま動かない。

 

……文の前にいるのは、人間だった。

これまで戦った英霊とは違う。魔を滅ぼし、歴史に名前を残すような英雄英傑ではない。

極限まで鍛え上げた、ただの人間。

これは、人間が妖怪と平等に戦うための弾幕ごっこではなく。

ただの殺し合いに、人間が妖怪に挑む。

それがどういう意味なのか、誰も理解していない。

 

「あまり天狗を舐めるなよ――人間ども」

 

閉ざされた教会に、暴風が鳴る。

放たれた黒鍵は一本も届かず、無慈悲に弾かれた。

 

 

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