文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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07.試練

 

 

地面に降りた直後に、俺はお姫様だっこから解放してもらう。

 

「はい。お疲れ様でした」

「あ、ああ……」

 

空中にいたためか、アスファルトを踏む感覚に多少の違和感があったが、すぐに慣れるだろう。

それより、二度目となるお姫様だっこの羞恥心で、今すぐここから逃げ出したい。

だが実行すれば、余計みっともない事態を生んでしまう――。

 

「んふふー」

 

そう懊悩とする俺を見て、文は見透かすような含み笑いを浮かべた。

最早、なにも言うまいと思った。

 

 

セイバーとバーサーカーは、膠着状態で睨み合っていた。

セイバーの傍らにいる遠坂は、常にセイバーのバックアップを取れる態勢で待機している。

一応の敵対関係である俺たちを、まったく意に介していないようだ。

 

そんな一触即発のなかで、銀髪の少女――イリヤスフィールだけは違っていた。

相対する遠坂たちを一顧だにせずに、面白そうに俺たちを眺めていた。

イリヤスフィールの視線は気になったが、今は他にやるべきことがある。

 

「文、助けてくれてありがとう」

 

お姫様だっこ姿を衆目に晒した犯人だとしても、命の恩人であるのは間違いない。

文に心の底から感謝を告げる。

それに彼女は俺だけではなく、セイバーの命も救ってくれたのだ。もっとも、扱いは雑だったが。

 

「いえいえ、あれぐらいならお安いご用です」

 

決して、へりくだっているわけでもなく、本心から何でもないように言ってのける。

 

「ですが、立場上敵である凛さんたちも、自分を顧みずに助けようとしたのに驚きましたけどね。思わず、私もセイバーさんを助けてしまいました」

「ああ、セイバーのこともありがとう。俺は……遠坂たちに死んでほしくない」

 

それは、遠坂たちに限った話ではない。

他の誰であろうと、あんなふうに死んでいいはずがなかった。

 

「まあ、目の前で知り合いに死なれるのは気分の良いものではないでしょう」

 

「それはわかります」と文は一拍置いた。

 

「ですけど、あんな状況で飛び込むのは、いくら何でも普通じゃありませんね。士郎さんも、あとちょっとで死んでましたよ?」

「…………」

 

生存本能。自己の保身。

それは人間だけに限らず、生物であれば当然のもの。

自分の命よりも優先できるものなんて、そう多くない。

しかし、俺はそんな普遍的な本能よりも先に、身体が勝手に動いていた。

俺は自分の命よりも、目の前で死のうとする誰かを救えないほうが許せなかった。

 

「んー、まぁいいでしょう。こうして士郎さんは助かったんですし、へんな邪推は無粋でした。でも、次はないようにお願いしますね!」

「ああ、文には迷惑かけない」

 

少女は、俺に向けた懐疑的な態度を潜め、いつもの人好きのする笑みを作る。

文に迷惑かけないと約束できても、俺は状況次第で同じ行動を繰り返すだろう。

 

俺は、結局なにもできなかった。

文が助けてくれなかったら、セイバー共々、バーサーカーに殺されていた。

つくづく、衛宮士郎の無力さが嫌になる。

死んでしまった爺さんから託された理想は、果てしなく遠い。

 

……沈みそうになる思考を断って、文に気になっていた疑問をぶつける。

 

「……ところで、文はどこにいたんだ?」

 

サーヴァントの戦闘にいち早く気づいたのは、他の誰でもない彼女なのだ。

だが、現場に到着した時、文の姿はどこにもなかった。

遠坂たちやイリヤスフィールも、文の存在に気付いているように思えなかった。

 

「私ですか? 私はあの家の屋根の上からサーヴァントの戦いを撮影していました。被写体までの距離はありましたが、なかなか良い写真が撮れたので満足です」

 

指を差す方向には、コンクリート製の三階建ての住宅があった。

ここからだと、ゆうに50メートルは離れている。

 

まさか、あんなところにいたなんて。気づかないわけだ。

そしてそこから一瞬で、バーサーカーに殺されかけていた俺とセイバーを助けたのか。

それなのに、焦りなどなく、こうも涼しい顔をしている。

それは、どんなスピードなのか。

俺にはとてもじゃないが、想像が追いつかない。

バーサーカーとセイバーの戦いは出鱈目だったが、彼女もまたそれに類する存在なのだ。

 

「はて、どうかしましたか?」

 

何も言わないでいた俺を怪しく思ったのか、文は首を傾げる。

こういう仕草を見ると、本当に年頃の少女にしか見えなかった。

 

 

「おもしろーい! ……それがお兄ちゃんのサーヴァント? へー、空を飛べるなんてちょっとだけ凄いね」

 

離れた場所から、甘い少女の声が上がった。

ずっとこちらの様子を窺っていたイリヤスフィールだ。

……どうやら彼女は、文に興味を持ったらしい。

俺としても、それでさっきのアレ(お姫様だっこ)を忘れてもらえたら非常に助かる。

 

少女は好奇に光る瞳を隠そうともせずに、文の翼を面白そうに眺めている。

黒く艶めいた翼を触りたくて、うずうずしているようも見えた。

 

「その羽、とっても綺麗なのね!」

「そ、そうですか……」

 

文は純粋な少女の反応に、少し照れくさそうにする。

飄々とした態度を崩さない彼女だが、子供に好意的な感情を向けられるのは、あまり慣れていないのかもしれない。

 

しかしそれも束の間で、イリヤスフィールの無邪気な表情が険しくなる。

 

「……あれ? あなたは本当にサーヴァントなの? 完全に受肉しているようだし、そもそも英霊には見えないわ」

 

文というイレギュラーな存在に、イリヤスフィールが不信感を募らせていく。

……そういえば、遠坂や言峰も文に対して似たような反応していた。

それを考えると、彼女は相当特殊なサーヴァントなのだろう。

いや、そもそもサーヴァントという立場かどうかも怪しい。

俺のこれまで会った聖杯戦争の関係者は口を揃えて、文の存在に疑問を呈していた。

 

「ええ、私は死んではいませんよ、イリヤスフィールさん。ええと、確か『英霊の座』……でしたか。そこから喚び出されていません。私がサーヴァントとして召喚されたのは、ちょっとした裏技を使ったからです」

 

言峰綺礼のおかげで、文は聖杯戦争のシステムを俺よりも把握しており、少女の疑問にある程度の回答を持っていた。

……イリヤスフィールもまさか、敵対するサーヴァントから回答が返ってくるとは思ってはなかっただろう。

 

「そんなのウソ。サーヴァントシステムに介在するなんて、ただの人間にはできっこないわ」

「ええ、おっしゃる通りです。人間の仕業ではありません」

「なに……どういうこと?」

「ヒトの子では到達不可能な神秘を成す、生まれついての魔女のおかげです。もっとも、私にも具体的な方法はわかりませんし、たとえ知っていたとしても誰も真似できないでしょうけどね」

 

彼女は俺に自分は人間ではなく、天狗という妖怪であると包み隠さず教えてくれた。

その証拠として、彼女の背中には人外の証明である異形の翼が生えている。

そんな天狗の少女の知り合いならば、言葉通りの意味で『人間業ではない』と考えてもいい。

 

どうやら彼女は、独力で聖杯戦争に参加したのではなく、別の協力者の力を借りたようだ。

そんなレベルの魔術は、にわかに信じられないが、現に文がここにいる時点で紛れもない真実だ。

 

「……そんなの、わけがわからないわ」

 

イリヤスフィールは納得がいかず頭を悩ませるが、その思考は第三者によって遮られた。

 

「イリヤスフィール――いい加減にしなさい。あんたが来ないならこちらから行くわよ?」

 

進展しないバーサーカーとの睨み合いに業を煮やしたのだろう。

遠坂は、苛立ちを隠すつもりもなかった。

 

「へぇ……あれだけやられて、まだわたしのバーサーカーに勝てるつもりでいたんだ」

「それ、何かの冗談? 勝つつもりがなければ、聖杯戦争に参加なんてしないわ」

 

イリヤスフィールは、これまで蚊帳の外にいた遠坂にあざ笑うような視線を向ける。

バーサーカーの絶対的な強さを信じているのか、余裕の表情は揺らがない。

 

「いいわ。はじめにあなたたちを殺すって約束したものね。……バーサーカー! そいつらをやりなさい!」

『■■■■■■■■■■――!』

 

イリヤスフィールというマスターの命令に、黒の巨人が空を貫く咆吼を上げる。

それが再戦の合図のように、セイバーとバーサーカーの戦いが再び始まった。

 

 

 

バーサーカーは斧剣による怒濤の連撃をセイバーに繰り出し。

 

「――はあっ!」

 

セイバーもダメージを感じさせない妙技によって、連撃を紙一重で躱して反撃に転じる。

彼女の動きはバーサーカーから一撃を受ける前と何ら変わらない。

これはおそらく、イリヤスフィールとの会話中に遠坂がセイバーに魔力を回して、ダメージを回復させたのだろう。

遠坂は雑談をするイリヤスフィールに苛立ちを見せていたが、実は、勝つための行動を抜け目なくしていた。

 

だがこれだけでは、さっきまでの焼き直しだ。

イリヤスフィールにより狂化されたバーサーカーの攻撃を、セイバーは完璧にカバーしきれない。

今は拮抗しているが、バーサーカーの並外れた剣圧によっていずれそれも傾いてしまう。

 

しかし、遠坂は何か秘策があるのか表情に憂いはなかった。

イリヤスフィールもそんな遠坂の様子に気づいたようだが、腰に手を置いて余裕の態度を崩さない。

 

「……もう出し惜しみはしないわ。といっても、さっきもケチったわけじゃないけどね!」

 

遠坂は、ポケットから三つの新しい宝石を取り出した。

 

「あれは……」

 

それは、先ほどの宝石とは何もかも違っていた。

バーサーカーに着弾した二つの宝石も、相当量の魔力が込められていた。

だが、遠坂がいま持っているそれは、桁違いの神秘が秘められている。

 

おそらくは、この宝石が魔術師である遠坂凛の秘策であり、切り札なのだ。

正しく運用すれば、バーサーカーの堅牢な肉体を貫きかねないほどの魔力が込められている。

それは宝石の形をしただけの、強大な神秘そのものだった。

 

「セイバー! どいて!」

 

遠坂の声に反応し、セイバーが正面を見据えたままバーサーカーとの距離を取る。

 

「Neun,Acht,Sieben――」

 

遠坂の口から紡がれる魔術詠唱。

 

「――ErschieSsung. ……私の取っておきよ! 喰らいなさい!」

 

遠坂の手から放たれた宝石は彗星のような光を帯びる。

それが、三つの魔弾となって、黒い巨人に向かっていく。

初弾はバーサーカーの斧剣によって、容易く弾かれてしまった。

だがその瞬間、破壊された宝石からフラッシュバンのような閃光が発生した。

 

強烈な光に、離れた場所にいる俺も目がくらんだが、バーサーカーはそれ以上だ。

そのまま、残された二つの宝石の魔弾は、バーサーカーの頭部に吸い込まれるように命中した。

着弾の瞬間、鼓膜をつんざく炸裂音が響く。

 

『■■■■■■――!!』

 

爆煙によって包まれたバーサーカーがどこかくぐもった咆哮を上げる。

これまで無傷だったバーサーカーも、遠坂の奥の手によって確実なダメージを受けたのだ。

 

 

煙が晴れると、未だにバーサーカーの頭部は存在していた。

だが、その相貌は焼けただれており、口と眼窩が確認できるだけで他のパーツは消失していた。

バーサーカーは沈黙したように動きを止めてしまう。

 

そしてそれは、セイバーにとって今までで最大ともいえる好機だった。

 

「セイバー! 今よ! バーサーカーを倒しなさい!!」

「ええ、マスター! 決着をつけます――!」

 

剣の少女はバーサーカーに向かって大きく跳躍し、黒鉄の首を渾身の横薙ぎによって両断した。

 

 

 

 

 

バーサーカーの首は、皮一枚でかろうじて繋がっている状態だった。

首の切断面からは、おびただしい量の血が流れている。

 

遠坂の奥の手ともいえる宝石によって、すでに倒されたと思ったが、そこに追撃となるセイバーの斬撃。

首を切断されて、生存可能な生物はこの地球上に存在しない。

過去の英雄であるサーヴァントであったとしても、それは普遍的な、変わらぬ死だ。

つまり、イリヤスフィールのサーヴァントは遠坂たちの手によって倒された。

 

セイバーの剣の鋭さか、それともバーサーカーの戦士としての矜持か。

黒い巨人は、地に伏せることなく立っていた。

だが、巨人が倒れずとも、もう二度と動くことはないだろう。

 

聖杯戦争一日目。

マスターとサーヴァントによる死闘を制したのは遠坂たちだ。

 

「――やった!」

 

遠坂が両手を胸元で強く握って、歓喜の声を上げた。

セイバーは、イリヤスフィールへの警戒はそのままに構えた剣を僅かに下げる。

 

「イリヤスフィール、私たちの勝ちよ。令呪をこの場で放棄するなら、見逃してあげる。でもそれを拒むなら容赦しないわ」

「遠坂! それは――!」

 

『容赦はしない』

まさか遠坂は、イリヤスフィールのような小さな女の子に危害を加えるつもりなのか?

サーヴァントが倒された今となっては、彼女は間違いなく無力だ。

イリヤスフィールが、いかに優れた魔術師であっても、バーサーカーを倒したセイバーに勝てるはずがない。

 

「衛宮君は黙ってて。セイバーを助けてもらってなんだけど、これが聖杯戦争というものよ」

 

イリヤスフィールは、遠坂の脅迫めいた選択に答えない。

最強と信じていた自分のサーヴァントが、無惨にやられてしまって放心しているのか。

少女は俯いたままであり、垂れた前髪によって表情もわからなかった。

 

――しかし、口元だけは三日月を思わせるような形を作っていた。

 

「勝ち誇っているところを悪いけど、わたしのバーサーカーはやられてないわ」

 

そんな言葉とともに、不動だったはずのバーサーカーが斧剣でセイバーを薙いだ。

セイバーは、未来予知めいた判断力で回避しようとするも、すでに斧剣の切っ先が甲冑だけではなく胸部も貫いていた。

 

「ぐ、あ――!」

 

防御が間に合わなかったため、勢いを殺さないまま斧剣を振り抜かれてしまう。

それは肉をえぐり、骨を砕いて。少女の胸から鮮血を散らさせた。

 

「ウソ、そんな! セイバー!!」

 

遠坂がセイバーに駆け寄ったが、それをセイバーは右手を突き出して制止させる。

 

「マスター、私なら問題ありません……」

 

……セイバーは、バーサーカーによる不意の一撃を喰らっても倒れずにいた。

人間ならば、間違いなく致命傷と言っていいダメージだ。

 

「……は、あああ!!!」

 

セイバーはその損傷を物ともしない動きで、不可視の剣を中段に構える。

切っ先をバーサーカーに向けたセイバーの姿は『まだ戦う意思は奪われていない』と語っていた。

セイバーの全身に纏った魔力は衰えることもなく、なおも暴風のように渦巻いていた。

そんな剣の少女の胆力に、遠坂は制止せざるを得なかった。

 

だが、真に異常なのはバーサーカーだ。

首はセイバーに切断されたままなのに、巨人はそれを無いものとして動いている。

セイバーへの不意打ちによって、巨人の首は、ぶらりぶらりと左右に揺れていた。

 

「どういうことなの……?」

 

遠坂の言う通り、意味がわからなかった。まるで質の悪い悪夢のような光景だ。

 

バーサーカーの腕が自らの頭を掴み取り、そのまま切断面に固定させた。

傷口から焼石を水に沈めたような音と白い煙が上ると、数秒後には元通りに固定してしまった。

そこには、傷跡すら残っていない、黒い巨人がいた。

 

「…………!!」

 

信じられない状況に流石の遠坂も絶句してしまう。

俺もまた、目の前の悪夢に歯の奥が鳴りそうになった。

 

「おおー」

 

そして、俺の隣にいる天狗の少女だけは、平然と悪夢を写真に収めていた。

カメラのファインダーを覗く少女の表情は確認できない。

 

 

「残念でしたー。わたしのバーサーカーはその程度じゃやられないわ。だって、バーサーカーは――ギリシャの英雄ヘラクレスだもの」

「……ヘラクレスだって!?」

 

俺の反応がよほど面白かったのか、イリヤスフィールは「ふふん」と得意げに鼻を鳴らす。

 

ヘラクレス――言わずとしれたギリシャの大英雄だ。

ギリシャから遠く離れた日本人でも、その名前は広く知られている。

主神ゼウスの子であり、半神半人の存在である。

ヘラクレスは、アルゴスの王女、母であるアルクメネにある呪いを受けた。

それは『気が狂ってしまい、自分の子を殺す』というあまりにも残酷なもの。

しかし、アルクメネはそれだけでは飽きたらずヘラクレスに『十二の試練』を与えたという。

 

「『十二の試練』の伝説を乗り越えたヘラクレスは、12回殺されないと死なないわ。リンが1回、セイバーが2回分殺したから……クスクス、これで残りは9回かしらね」

 

鈴のように鳴る少女の声が、とっておきの玩具を紹介するかのように。

どうにもならない絶望を、隠すことなく説明する。

 

「じゃあ、精々頑張ってね」

 

そして、少女と巨人は夜を支配した――。

 

 

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