文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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70.二月下旬の、少し暖かな日

 

 

目を覚ますと、異常な渇きを覚えた。

 

更には目が痛くなる眩しさと、尋常ではない気分の悪さも。

頭も鈍化しており、状況がまったく掴めない。

何よりも全身が痛くて、身じろぎすらままならなかった。

 

そんな苦痛に耐えていると、明順応が進んで視界が開けてくる。

目が痛いまでの白一色。それと消毒剤の匂い。

清潔なベッドに寝かされており、腕からは点滴が伸びていた。

つまり、ここは病院のようだ。

 

ギルガメッシュを倒した後、俺は意識を失ってしまった。

そうして、今は生きて病院にいる。

あの後、文がここまで運んでくれたのだろう。

 

……だけど、その彼女はどこなのか? 俺以上に酷い傷を負っている。

自分よりも先に、あの子の心配が来てしまう。

今すぐにでも、文に会いたかった。顔が見たかった。

 

「…………う、く」

 

だが、どうやっても立ち上がれそうもなかった。

というよりも、身体が少しも動かない。

意思に反して、穴の空いた風船のように力が入らない。

 

「…………駄目だ」

 

暫くは、こうしているしかなさそうだった。

 

 

それから数分後、点滴の交換に看護師が入室した。

声を掛けると、俺の話を聞かずに慌ててどこかに行ってしまう。

すぐに担当医らしき男性が姿を見せて、検査を開始する。

それが済むと、何種類かの経口薬を渡された。

効能の説明を受けたものの、鈍った頭ではあまり理解できない。

薬を飲むと眠気に襲われて、再び眠りについてしまった。

 

それからまた目を覚まし、ようやく今の状況を確認できた。

どうやら俺は、五日間も寝たままでいたようだ。

つまり、聖杯戦争はとっくに終わっていた。

 

病院に運ばれた時、俺はかなり危険な状態だったらしい。

そのため、緊急手術をした。

もっとも意識がなかったため、手術自体は覚えていない。

その甲斐あって、何とか一命は取り留めたが、今や全身包帯まみれだ。

 

「士郎~~!! お姉ちゃん心配したよ~~!!!」

 

その直後、息を切らした藤ねえが駆けつけてきた。

そういえば、彼女は俺の保護者にあたる人物だった。

そんな当たり前の事実を、改めて実感する。

その時の状況については、彼女の名誉のため割愛しよう。

 

 

 

 

その後はずっと、ベッドの上で身動きが取れない日々を過ごしている。

担当医曰く、俺の傷の治りは目を剥くほど早いらしい。

それはあくまで常識的な範囲内であり、聖杯戦争での回復力は失われていた。

何にしても、今はリハビリが可能な段階まで快復する必要がある。

 

あれから藤ねえや一成などの見舞客は来たが、文の姿は一度も見ていない。

その代わりと言うべきなのか、警察が来るようになった。

まともに話ができるようになったのを、見計らったようなタイミングだ。

 

怪我の経緯について尋ねられたが、どう答えていいのかわからなかった。

まず初めに慎二の起こした学園の惨事が、脳裏に浮かんでしまう。

正直に話したい気持ちもあったが、やめておいた。

とても信じてもらえる内容ではない。俺の正気を疑われて、おしまいだ。

最悪、別の意味で入院が伸びる結果になるだろう。

 

結局、警察には記憶がないと言ってはぐらかした。

頭には、ギルガメッシュの宝具で殴られた大きな傷がある。

その影響で、記憶が一部喪失してもおかしくない。

怪我の功名と言っていいだろう。

ただあの時の苦痛を思い返すと、手放しで喜べるものではなかった。

 

 

そして一番驚いた来訪者は、イリヤだった。

彼女は心のどころかで、もう二度と会えないと思っていた。

お互い手を取り合って、再会を喜び合う。

これまでどうしていたのかと尋ねると、あの戦いの後、言峰綺礼に拉致されたらしい。

つまり、聖杯戦争の背景には、監督役であるはずの言峰綺礼の暗躍があった。

……今は定かではないが、気絶する前の懸念もあの男だったはず。

 

そして、俺が気絶した後の顛末を教えてくれた。

聖杯のこと、イリヤのこと、遠坂のこと、言峰のこと……文のこと。

俺が眠っている間に、全て終わっていた。

教会へと現れた彼女が、その場を滅茶苦茶にしたと言う。

もっともイリヤも意識がなかったらしく、遠坂から詳細を聞いたらしい。

俺はその間、呑気に気絶していた。

正義の味方を目指す者として、実に情けない話だ。

 

そうやって自己嫌悪に陥っていると、イリヤがこれでもないくらい慰めてくれた。

少女の献身にこそばゆさを感じたが、安らぎを覚えたのも確かだ。

『シロウは、正義の味方なんて目指さなくてもいい』とまで言ってくれた。

だがそれは切嗣から託された、俺自身の理想。

それだけは誰の頼みであっても、頷くわけにはいかなかった。

それを聞いたイリヤは、とても悲しげに笑っていた。

その顔は俺の目に焼き付くほど、印象的なものだった。

 

「うん。わかった。じゃあね。シロウ……」

 

雪の少女はそう言って、病室から去っていった。

その時、一抹の寂しさを感じた。

なぜなら、今度こそ彼女に会えなくなると思ったからだ。

 

「こんにちは! シロウ!」

 

そう思った翌日、彼女は再び会いに来てくれた。

 

それからイリヤは、一日も欠かさずに見舞いに来てくれる。

ドイツにあるアインツベルンには、もう帰らないそうだ。

見舞いというのは本人談だが、俺には遊びに来ているようにしか見えない。

それでも頼み事を色々と聞いてくれるので、退院した後は頭が上がらないだろう。

 

イリヤによると、どうやら遠坂もこの病院に入院したらしい。

そして一度も顔を合わせないまま、彼女は一足先に退院してしまった。

俺は立つのもままならないので、退院の前に一度は会って欲しかった。

 

……そういえば、セイバーのカルンウェナンはどうしたんだろうか。

あの後、文はちゃんと回収してくれたのか?

カルンウェナンは、遠坂から一時的に借りたものでしかない。

ギルガメッシュ戦のゴタゴタで失くしたなんて言ったら、ただじゃ済まされないだろう。

 

文と未だ会えないものあるが、それもまた懸念の一つだった。

 

 

……桜は、見舞いに来ていない。

最後に会った時、彼女は深い絶望にいたのを覚えている。

あれから一度も、連絡を取れていない。

文は何か知っているようだったが、詳しくは聞けていなかった。

『彼女から話してくれるのを待つべき』と言っていた。

それなら、直接会って話を聞いてやらなければならない。

退院したら、真っ先に彼女の元に行く必要があった。

 

もし言いたくないようなら、何も話してくれなくていい。

その時に側にいてやるぐらい、俺にだってできる。

 

それに、慎二のこともあった。

今はまともな精神状態ではないが、学園で多数の死者を出す暴挙に出た。

どんな形になるにしても、あいつとは決着をつけなければならない。

 

聖杯戦争は、冬木に大きな傷跡を残している。

俺の知る範囲でも、両手の指じゃ数え切れない人が死んでしまった。

俺にもう少し力があれば、救えた人もいたかもしれない。

だけど、そう考えるのは無意味だった。

10年前の大火災と同様に、過ぎてしまった過去はやり直せない。

だから、彼らの死をいつまでも忘れてはいけない。

決して、なかったことにしてはいけない。

そしてそんな犠牲を踏みにじる者を、絶対に許してはいけない。

 

それだけが、死んでしまった人たちにできる俺のすべてだった。

 

 

 

 

病室で文を待つ。

目を覚ましてから、今日で二週間が経った。

リハビリのためのハンドグリップを握りながら、窓の外を眺めている。

 

「ふう」

 

恥ずかしい話だが、一日千秋の想いだった。

会って話したいことも沢山あるが、とにかく今は彼女の顔が見たかった。

今日に至るまで……つまり、聖杯戦争が終わってから一度も会っていない。

その理由は、わからない。

聖杯戦争が終わった今、俺の存在など瑣末事であり、どうでもいいのかもしれない。

今も姿を見せない理由を考えると、そんな可能性も十分にある。

もしそうだったら、とても寂しかった。

 

それでも文は、必ず俺に会いに来る必要があるのは事実だ。

その一点だけで、俺と彼女はまだ確実に繋がっている。

 

聖杯戦争で召喚されたサーヴァントは、聖杯の魔力によって現界している。

しかしイレギュラーである射命丸文は、その枠組みから完全に外れていた。

現代に生きている彼女は、己の肉体を持っており、マスター無しでも存分に力を振るえた。

そして聖杯の力を失った今でも、この世界から消えていない。

未だ現界していると、確信を持って言えた。

その証拠に、本来は消えるはずの令呪の一画。それが、今も左手の甲に刻まれている。

 

つまり俺が令呪を使わない限り、文はこの世界から離れられない。

だから幻想郷に帰るために、必ず俺に会う必要があった。

それを俺は、ずっと待っている。

 

 

そして、それは呆気なく実現された。

 

梅の開花を報せるような、少し暖かい日だった。

陽が沈みかける黄昏時。

面会時間の終わる、一時間ぐらい前。

少し遠慮がちなノックが、二回鳴った。

 

「こんにちは、士郎さん。……あら? 外の様子からして今はこんばんはですかね」

「……文」

 

病室のドアから、夕日に染まった少女が顔を出す。

 

「まぁどっちでもいいや。どうもお久しぶりです。射命丸文です」

 

窓から来ると構えていただけに、少し拍子抜けな再会だった。

日がな一日、外を眺めていたのが少し馬鹿みたいだ。

だが、今はどうでもいい。

再会は劇的ではなかったが、何も変わらない彼女の姿に感動してしまう。

 

「うん。久しぶりだ」

 

天狗のトレードマークである、頭襟と高下駄は外していた。

一般の見舞客と同じように入ってきたのだろう。今更ながらの適応力だ。

 

「おお、個室なんですか! 意外とお金を持っているんですね。衛宮家の財力を侮っていました」

 

普段と変わらない軽妙な語り口で、話し掛けてくる。

こうして態度を変えず接してくれる少女に、笑みがこぼれそうになった。

 

「藤ねえみたいな騒がしい見舞客が来ると、他の入院患者の迷惑になるからな」

 

俺もまた、彼女に倣って軽口で返す。

つい藤ねえに悪態を吐いてしまったが、言うまでもなく、彼女にもその程度の良識はある。

そもそもこの個室は、藤ねえの家である藤村組が懇意で手配してくれものだ。

 

「なるほど……?」

 

気のない返事をして、備え付けのパイプ椅子に座った。

肩に掛けていた大荷物を、病室の床に置く。

最初から持っていた旅行鞄と、新たに増えた大きなスポーツバッグ。

この世界に来た時より、所持品が増えていた。

 

それを見た瞬間に理解してしまう。これが彼女と会う、最後の機会なのだと。

 

「……帰るのか? 幻想郷に」

「はい。ここでの用事も大体済みましたからね。まあ……多少の心残りはありますけど」

 

にべもなく答えると思っていたが、何か未練もあるらしい。

それが何なのか気になったが、尋ねても教えてくれない気がした。

 

「それで、怪我の具合はどうですか?」

「……まだリハビリを始めたばかりだけど、大きな後遺症は残らないかもしれない。医者が驚いてた」

 

暫くは、点滴生活が続きそうではある。

食欲は戻ってきているので、味の薄い病院食が続くのは少し気が滅入りそうだ。

入院患者のありがちな話ではあるが、油っ気のあるものが食べたかった。

 

「ほほう、それはなにより。……あ、林檎剥きましょうか」

 

文の目線を追うと、フルーツの詰め合わせが入ったバスケットがあった。

藤ねえが病室に訪れた時、持ってきてくれたものだ。

持ってきたその日に、自分で食べ尽くすんじゃないかと思っていた。

藤ねえは俺の姿を見て、泣き腫らした顔でずっと手を握ってくれた。

普段とは違う一面に驚いたが、女性のものとは思えない握力にもっと驚いた。

やはり、彼女の名誉のため早々に忘れてしまおう。

 

「悪い。頼めるか?」

 

林檎ぐらいなら今の俺でも剥けると思うが、ここは文に甘えよう。

多分こんな機会は、もう二度とない。

 

「私も食べたいですしね。……お、この林檎は蜜が多そうです」

「……文の傷は、大丈夫なのか?」

 

ナイフで手際よく林檎を剥いているが、指先まで巻かれた包帯が痛々しかった。

ある程度は回復しているようだが、万全とまでは言えないだろう。

 

「おや、私ですか? まあ、後遺症という意味では私の方が重傷かもしれませんね」

 

そう言って、自分の背中を覗き込む素振りを見せる。

文の背中の翼は、バーサーカーにもぎ取られて、ギルガメッシュに掻き回された。

今は隠しているので確認できないが、そう簡単に治るものではない。

人間には、翼はない。

だが空を自由に駆ける烏天狗に取って、翼を失うのがどういう意味なのか。

それは、想像に難しくない。

 

「もし、俺が……」

「おっと。その先は言わせませんよ。なに自分が悪いみたいな顔してるんですか。心外ですね。あなたは初めから戦力に入れていません。気にされるだけ不愉快です」

 

『あなたの責任じゃない』と、慰めているようも聞こえる。

だが彼女は、射命丸文だ。

本心でそう思っている可能性が高い。というか、本心だろう。

『俺が強ければ、そんなことにならなかった』なんて仮定は、彼女への侮辱でしかない。

 

「まあ、飛んだり跳ねたりする分には問題ありません。……どうぞ」

 

出された皿の上には、ウサギの形に切り揃えられた林檎が並んでいた。

不機嫌を露わにしていても、手元ではとても可愛らしい作業をしていたようだ。

 

「…………」

 

たまにこういうところを見せるのは、この少女の計算なのか。

 

「どうかしました?」

 

ウサギの林檎を美味しそうに食べる姿を見るに、割と天然なのかもしれない。

 

 

 

 

「それで、今日まで何をしてたんだ?」

「ネタ探しの取材旅行です。熱くなった頭を冷すために、日本各地を行脚していました。聖杯戦争よりもずっと有意義な時間でしたね。百年ちょっとで変わりすぎですよ」

 

先程までとは打って変わり、興奮した様子で話し出した。

本職が新聞記者なだけあって、好奇心は人並み以上にある。

長く生きて感動が薄らいでいると言っていたが、本当かどうか怪しくなってきた。

……ここは別世界の日本ではあるが、そこまで大きな違いはないらしい。

 

「これはお土産です。見舞い品ということにしてください」

 

そう言って、マトリョーシカ人形を渡された。

人形のなかに人形が入っている民芸品だ。……どこに行ってたんだ?

 

「あ、ああ……ありがとな」

 

ニコニコと笑みを浮かべる文を、邪険にするわけにもいかない。

 

……そうだ。お土産と言えば、俺からも渡すものがあった。

幻想郷に帰る日のために用意したものだが、おそらくそれは今日になる。

 

「これ、俺からのお土産。イリヤもお金を出してくれた」

 

動けない俺の代わりに、買いに行ってくれたのもイリヤだった。

本当は藤ねえに頼もうと思ったが、学園での事件もあってか、かなり忙しいらしい。

あの少女には、本当に頭が上がらない。

 

「ほうほう、ありがたくいただきます」

 

手渡した直後に開封してしまう。

せっかくイリヤと二人で、綺麗なラッピングをしたのにあんまりだった。

 

「……おおおおお! デ、デジカメじゃないですか! いいいいいいですか!? ほほほほほほ本当にいいですか!? 返せと言われても、もう絶対に返しませんよ!? やった! やったやったーーー!!!」

 

とんでもない喜びようだった。

 

一眼レフのデジカメ。

入院中、文がとても欲しがっていたのを思い出した。

初心者が使うエントリーモデルではなく、プロが扱うようなハイエンドモデルだ。

バイト代だけではどうにもならなかったので、イリヤに一部を出してもった。

城住まいだけあって、お金には困ってないらしい。今もホテルに暮らしているとか。

 

「喜んでくれて俺も嬉しい。記録用メディアと望遠レンズも入れてある。あとは説明書を見てくれ」

 

そう言うより先に、分厚い説明書に目を通している。

デジカメを手に取る少女の瞳は、今日までの付き合いで一番輝いていた。

……ひょっとして、この世界の心残りってデジカメだったのか。

 

まあ、幻想郷では現像するのも一苦労だろうが、妖怪の一生は長いらしい。

そこは、気長に頑張ってもらおう。

顔も知らないが、彼女の知り合いというエンジニアの河童には心の中で謝っておく。

 

こうして顔を綻ばせる文は、どう見ても普通の少女だ。

彼女は、それを意識しているわけではないだろう。

 

これはもう最初に会った時から、ずっと感じていたこと。

射命丸文は恐ろしい妖怪であると同時に、見た目相応の女の子だった。

 

 

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