文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
それからは、本当に何でもない雑談をした。
「取材中にいろんな料理を食べてましたけど、どれも目新しくて美味しかったですよ。……それでも私には、士郎さんの料理が一番でしたね」
「それは褒め過ぎだ。お世辞でも嬉しいけど」
「いや、ホントお世辞じゃないんですって。…………というか、その若さでどうして和食の達人に?」
そんな会話のなか、聖杯戦争については挙がらなかった。
意図して、避けているわけではない。
あれはもう、俺たちの間で終わったこと。
だからこれ以上、話す必要もなかった。
「富士山に登りましたが、私が軽装だったせいか他の登山者に五合目で止められました。厳冬期に、この格好はまずかったみたいです」
「傍から見れば、死にに行くようなものだからな」
「『霊峰を舐めるな』とすごく怒られてしまいましたよ……。私、霊峰に住んでいる妖怪なのに……。しょんぼりです」
少女は手帳を片手に旅先の出来事を、面白おかしく話してくれる。
俺は、それに相づちを打つだけ。
とても、心地のよい時間だった。
俺たちは、聖杯戦争で繋がった関係だが、それは切っ掛けでしかない。
こうして、当たり前のことを当たり前に話している。
そして、彼女と過ごせる時間も残り僅か。
取り留めのない会話を、一つ一つ噛み締めていく。
こうやって話す機会は何度もあったのに、今はこんなにも惜しく感じる。
ああ……やはり俺は、彼女のことがどうしようもなく好きみたいだ。
「あ、そろそろ面会時間も終わりですね。……それじゃあ、お願いできますか?」
射命丸文は、笑顔で申し出た。
最後の令呪を使い、彼女の住む幻想郷に帰す。
それを、何でもないように話す。
「……これでもう、一緒にはいられないのか?」
「ええ。金輪際、会うことはないでしょうね」
一切の希望を持たせず、少女は明確に告げた。
「そうか……」
俺たちが別の世界に住んでいる以上、この別れは必然だった。
文はこの世界と繋がりを失うのに、何の感慨もないのだろうか。
だが俺は彼女のように、覚悟すらできていない。
この少女と過ごした時間は壮絶だったが、掛け替えのないもの。
「………………そう、だよな」
好きな女の子に、好きと言えない。
そのための機会は、もう一生訪れない。
わかっていた。
わかっていたが、暗く、沈んだ声が出てしまう。
「君に勧む金屈巵。満酌辞するを須いず。花発けば風雨多く、人生別離足る」
「…………?」
キンクツシ? なんだそれ?
漢詩の一節だろうが、授業で習う程度にしか知らない。
だから、意味についてはさっぱりだった。
「人の生涯とは、出会いと別れの連続です。それなら、旅立とうとする友人には歓を尽くしましょう。……まあ、友達なら別れ際にそんなしょぼくれた顔するなってことですね」
無教養が顔に出てたのか、少し呆れながら補足してくれた。
……勉強は不得意な社会以外、そこそこできるんだけどな。
いや……そうじゃない。
彼女は今さりげなく、俺のことを友達と呼んでくれた。
「……そうか。わかった。友達だもんな」
俺もまた、確かめるように友人だと宣告する。
別れは悲しいが、目の前にいる友達の言う通り、ここは笑顔でいよう。
俺たちは、マスターとサーヴァントという、主従関係ではない。
これが最後の別れだとしても、友達と別れる時のような平凡なものでいい。
「そーです、友達です。ダチです」
彼女もまた、強調するように繰り返す。
少し照れているように見えるのは、俺の気のせいではないだろう。
……まあ、多少の白々しさを感じなくもない。
そうであっても、友人と呼び合える関係は代え難いもの。
それに、彼女から友達だと言ってくれた。それが堪らなく嬉しい。
「……それと、私という妖怪はあなたの記憶に刻まれたでしょう?」
文が、確認するように言う。
だがそれは、確認するまでもなかった。忘れない。忘れやしない。
「ああ、おまえのことは絶対に忘れないさ」
射命丸文という鮮烈な少女のイメージは、俺に強く刻まれている。
何より、初恋の女の子だ。忘れようもない。
だがどういうわけか、俺の顔を見て文は困惑気味だった。
「……あやや? ちょっと違う刻まれ方をしたみたい。これはとんだ計算違いです。人間の恐怖が、妖怪にとっての信仰なんですけど……」
恐怖? 信仰?
何か物騒な単語が、含まれているような。
「……うん。覚えててくれるのなら、及第点としておきましょうか」
「えっと、なんのことだ?」
「いやなに。聖杯戦争であなたとずっと一緒にいた理由は一つしかありません。この世界にも恐ろしい妖怪がいた、その証人を残すためです」
一点の曇りもない表情で、衝撃の事実が判明した。
どうやら俺は、彼女の恐ろしさを記憶するために、一緒にいるのを許されていたらしい。
「……いや、文を本気で怖いと思ったことは何度もあるぞ?」
それ以外のイメージもあるが、背筋が凍る恐怖を感じたのも事実だった。
酷薄に歪む文の顔は、いま思い出すだけでも息が止まりそうになる。
「おー、それは重畳。…………必要以上に恐れられる態度を、何度もとった甲斐がありましたね!」
「って、おい!」
次から次へと、とんでもない事実をカミングアウトする。
だけど喜色満面にネタばらしをしたら、意味がないんじゃないか?
「そして士郎さん。……そんな私という存在を、誰かに伝聞してくれると助かります」
少女は居住まいを正すと、真剣な表情に作り直す。
射命丸文を纏う空気が、途端に厳粛なものになった。
「この、後ろ向きから始まった聖杯戦争。本音を言えば、厄介ごとに巻き込まれた気持ちが大半でした」
俺が彼女を土蔵で召喚したのが、全ての始まりだった。
彼女は聖杯なんて、初めから欲しがってなかった。
それなのに、自分の都合ばかりにかまけていて、俺はこれまで一度も謝罪をしていない。
「……ごめん」
「いえ、いいのです。私はその途中、目的を見つけましたから」
謝罪を否定するように、左右に首を振る。
「かつてこの世界にも、様々な妖怪がいました。彼らは時代と共に伝承のなかへと消えてしまい、人々の記憶から忘れ去られてしまった。私はそれが、どうしようもなく悔しかったのです」
それは以前、柳洞寺でアサシンと対峙する文から教えてもらったこと。
その日から、彼女の聖杯戦争に対する姿勢は変わり、本気で戦いに挑んでいた。
「だからあなたには、射命丸文という烏天狗の語り部であって欲しいのです。その目で見たこと、その耳で聞いたこと……そして、その心で感じたこと。それをありのまま伝えてもらいたい。……荒唐無稽な世迷言にしか聞こえないでしょう。ですが、それでもいいです。多少なりとも誰かの記憶に残れば、私がこの世界に居た意味があります」
そして、ゆっくりと頭を下げた。
妖怪の恐ろしさを、現代に生きる人に伝えられればいい。それだけのもの。
強大な力を持つ彼女なら、とても些細な願いだった。
「……文の力があれば、そんなのいくらでも方法があるんじゃないか?」
そう、口をついて出てしまった。
咄嗟の思いつきで、ぞっとする言葉を言ってしまう。
彼女はすべてのサーヴァントを退け、聖杯戦争を勝ち残った存在だ。
その気になれば、大抵のことは叶えられる。それだけ文の実力はデタラメだ。
だったら恐怖を振り撒くなんて方法は、直接的なものが何よりも手っ取り早い。
だがそれは、俺が絶対に許しはしない。
文が妖怪として人々に悪逆を尽すのなら、俺はその場で令呪を使うだろう。
「むー。それをやってしまえば、ただのマッチポンプじゃないですか。聖杯戦争という大義名分があったからこそ、私は妖怪として存分に暴れられたのです。……一応言っておきますが、聖杯戦争に関わった人間以外に、私は誰にも迷惑を掛けてませんよ」
「すまない。今のは失言だった」
彼女は商店街で、とても愛想よく接していた。
問題があるとすれば、藤ねえと桜の前でした恋人宣言くらいだろうか。
あの時は心臓が止まりかけたが、今になれば可愛いものだった。
「ま、その分、聖杯戦争に関わった人間には、もれなく全員に恐怖をばら撒きましたけどね! 特に凛には、心的外傷になりかねないものを見せてやりましたとも! あの時、私の心は色々あってどん底でしたから! ……ちょっと過激な演出になってしまいました。てへ」
「てへ?」
「あ……? あああああ! また無意識で言ってしまった! 恥ずかしいよう!」
恥ずかしさに耐えかねて懊悩する文を見るのは、とても楽しい。
これはもう、世界一可愛い存在じゃないのだろうか。
……彼女の言う『あの時』とは、聖杯戦争最後の日に教会で起きたことだろう。
俺は、イリヤから聞いただけで詳しくは知らない。
言峰綺礼を倒した後も、溢れようとする聖杯の処理が大変だったらしい。
その時の様子を『滅茶苦茶』と表現したイリヤには、嗜虐嗜好があるのを思い出した。
……遠坂には、ご愁傷様と言っておこう。
彼女はその程度でへこたれる質じゃないが、それでも夢に出ないのを祈るばかりだ。
「コホン。とまあ、話を戻しまして……このお願い、聞いてもらえますか?」
再び神妙な空気に戻る。
それだけ彼女にとって、重要な問題なのだ。
当然その程度なら、頭を下げてお願いされるまでもない。
本来なら、二つ返事で引き受ける。
「……だったら文は、俺のことを覚えててくれるか?」
俺の口から出たのは、文の望んだものではなかった。
見返りを求めた打算的な言葉だったが、この程度の我儘は許してほしい。
「ふえ……?」
そんな思いも寄らない返答に、少女は赤い目を瞬かせた。
「…………おっと。まさかそう返されるとは思いませんでした。ふふ、相変わらず、歯の浮く恥ずかしい台詞。……そんな言葉を重ねられたら、免疫のない女の子ならコロッとやられちゃいます」
「うん。まあ、自分でも驚いている」
文には、ずっとやられっぱなしだ。
とても照れくさかったが、最後に驚かせても罰は当たらないはず。
「さて、どーでしょうか。私は風雨を降らす烏天狗。自分の理想を叶えられない弱者には興味がありません」
いつの間にか手に取った葉団扇で、口元を隠している。
どうせ、薄笑いでも隠しているんだろう。
どんな形にしても文に挑むのは無謀だと思っていたが、やはり一蹴されてしまった。
相変わらず、彼女は手厳しい。
「……ですから、理想を実現できるよう、悩み苦しみ、精一杯生きなさい」
「――――」
不意に少女の口からこぼれた、虚飾のない叱咤激励。
一文字も逃さぬよう、言葉を丁寧に飲み込んでいく。
胸の奥に、じんわりと染み入った。
……情けない話だが、鼻の奥がつんとしてしまう。
「ああ……任せろ。必ず実現してやるさ」
「よろしい。……さて、もういいですかね。令呪を使ってください」
少女は椅子から立ち上がり、荷物の中から頭襟と高下駄を取り出した。
それらを慣れた手つきで身につけると、初めて見た時と変わらない天狗の少女がいた。
左手に刻まれた、最後の令呪。それを使えば、文は幻想郷に帰ってしまう。
「わかった」
引き留めたい気持ちは、当然ある。
だけど、それだけは絶対にしちゃいけない。
いずれは訪れる別離。
彼女がこうして帰還を望む以上、その意志を尊重しなければならない。
「あ、そうだ。令呪で使ったらどうですか? 今のお願い。『俺を忘れないで―』って」
「そんなことはしないさ。あれはお願いであって、命令なんかじゃないからな」
文も本気で言ったわけじゃない。
ニヤニヤしているのが、何よりも証拠だ。
それに、最後の令呪をどう使うのかはもう決めてある。
「じゃあ、使うぞ」
「はい」
緊張した様子もなく、文はあくまで自然体だった。
未だサーヴァントがこの世界に残っているのは、間違いなく異常事態だろう。
この令呪を使っても、幻想郷に還れないような不測の事態も起こりうる。
それでも、彼女は動じていない。
おそらく、この異常事態を可能とした幻想郷の魔女を信じているのだ。
左手に魔力を込めると、残る一画が赤い光を灯した。
魔術回路を起動させるまでもない。
ただ想い、願うだけ。
『幻想郷でも、元気で――』
俺の願いは、ただそれだけ。
これで最後の令呪は解放された。もう後戻りはできない。
この世界に彼女を繋ぐための『かすがい』は外されてしまった。
残された時間は、ほんの少し。
一回の瞬きで、彼女は目の前から消えてしまうかもしれない。
「ぷぷぷ。なんですかそれ。最後に笑わせないでください」
文に笑われてしまった。
込み上げる感情を堪えるように、腹まで押さえている。
まったく、感傷に浸る時間もない。
どうやら俺たちに、感動的な別れは不可能なようだ。
「……しょうがないだろ。『頑張れ』だと、文の意志じゃなくなるからな。だったら、今後の健康を願うのが一番だと思ったんだよ」
こんなことに令呪を使ったマスターは、聖杯戦争が始まってから俺が初めてだろう。
だけど、それ以外に願うものはないのだから仕方がない。
聖杯戦争も終結して、倒すべき敵はもうどこにもいないのだ。
「ご……ごめんなさい。それなりに考えてたんですね」
謝罪しながらも肩を震わせているのは、あんまりじゃないだろうか。
そうやって時間を浪費しているうちに、文の身体がゆっくりと薄くなっていく。
「ふむ。時間みたいですね。最後に何か言いたいことはありますか?」
そんなの決まっていた。
「今までありがとう。じゃあな、文」
感謝の言葉と、別れの言葉。
その二つが最後に言えれば、十分だ。派手に飾った台詞はこの場に相応しくない。
それと『またな』なんて、絶対に言わない。
あり得ない言葉は、自分自身への慰めに過ぎない。
そんなものは、彼女の心に届かない。
「…………」
文の姿は、もう見えなくなっていた。
だけど、こちらを見ているのだけは何となくわかった。
「ええ……さようなら。士郎くん」
…………。
締め切った室内なのに、心地よい風が吹いた。
それを感じた時にはもう、射命丸文はいなくなっていた。
……幻想郷に帰ったのだろう。
少女もまた、簡潔な言葉を残しただけ。病室には、俺一人だけが取り残される。
「…………『くん』ってなにさ」
最後に少女は、俺の名前をそう呼んでいた。
どういう意図があったのか? 何か印象の変化だろうか?
彼女のことだから深い意味なんてなくて、悪戯心で呼んだだけなのかもしれない。
……でも文はある時を境に、遠坂やセイバーを呼び捨てにしていた。
いくら悩んでも、真実はわからない。
彼女とは、もう二度と会えない。つまり、永遠の謎になってしまった。
こうして頭を悩ます俺の姿を想像して、ほくそ笑んでいるかもしれない。
そんな姿が、容易に想像できてしまう。
「まったく……」
だとしても、そんなに悪い気はしなかった。
文の残してくれたウサギ型の林檎を手に取って、口の中に放る。
こうして剥いてくれたのに、一つも食べていなかった。
「……悪いことしたな」
ずっと流動食が多かったので、咀嚼の際、顎がやけに疲れてしまう。
文の言う通り蜜が多くて、とても美味しい林檎だった。
「…………っ」
林檎の酸味が口の傷に染みた。痛みで涙が出たのは初めての経験だった。
私の恋は、一過性の麻疹なようなもの。
この傷が癒えればなくなってしまう、儚い恋心です。
それに私は、いたずらに人間の心を弄んで狂わせます。
「お互いのため、そういうことにしておきましょう」