文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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71.林檎の味

 

 

それからは、本当に何でもない雑談をした。

 

「取材中にいろんな料理を食べてましたけど、どれも目新しくて美味しかったですよ。……それでも私には、士郎さんの料理が一番でしたね」

「それは褒め過ぎだ。お世辞でも嬉しいけど」

「いや、ホントお世辞じゃないんですって。…………というか、その若さでどうして和食の達人に?」

 

そんな会話のなか、聖杯戦争については挙がらなかった。

意図して、避けているわけではない。

あれはもう、俺たちの間で終わったこと。

だからこれ以上、話す必要もなかった。

 

「富士山に登りましたが、私が軽装だったせいか他の登山者に五合目で止められました。厳冬期に、この格好はまずかったみたいです」

「傍から見れば、死にに行くようなものだからな」

「『霊峰を舐めるな』とすごく怒られてしまいましたよ……。私、霊峰に住んでいる妖怪なのに……。しょんぼりです」

 

少女は手帳を片手に旅先の出来事を、面白おかしく話してくれる。

俺は、それに相づちを打つだけ。

 

とても、心地のよい時間だった。

 

俺たちは、聖杯戦争で繋がった関係だが、それは切っ掛けでしかない。

こうして、当たり前のことを当たり前に話している。

そして、彼女と過ごせる時間も残り僅か。

取り留めのない会話を、一つ一つ噛み締めていく。

こうやって話す機会は何度もあったのに、今はこんなにも惜しく感じる。

 

ああ……やはり俺は、彼女のことがどうしようもなく好きみたいだ。

 

 

 

「あ、そろそろ面会時間も終わりですね。……それじゃあ、お願いできますか?」

 

射命丸文は、笑顔で申し出た。

最後の令呪を使い、彼女の住む幻想郷に帰す。

それを、何でもないように話す。

 

「……これでもう、一緒にはいられないのか?」

「ええ。金輪際、会うことはないでしょうね」

 

一切の希望を持たせず、少女は明確に告げた。

 

「そうか……」

 

俺たちが別の世界に住んでいる以上、この別れは必然だった。

文はこの世界と繋がりを失うのに、何の感慨もないのだろうか。

だが俺は彼女のように、覚悟すらできていない。

この少女と過ごした時間は壮絶だったが、掛け替えのないもの。

 

「………………そう、だよな」

 

好きな女の子に、好きと言えない。

そのための機会は、もう一生訪れない。

わかっていた。

わかっていたが、暗く、沈んだ声が出てしまう。

 

「君に勧む金屈巵。満酌辞するを須いず。花発けば風雨多く、人生別離足る」

「…………?」

 

キンクツシ? なんだそれ?

漢詩の一節だろうが、授業で習う程度にしか知らない。

だから、意味についてはさっぱりだった。

 

「人の生涯とは、出会いと別れの連続です。それなら、旅立とうとする友人には歓を尽くしましょう。……まあ、友達なら別れ際にそんなしょぼくれた顔するなってことですね」

 

無教養が顔に出てたのか、少し呆れながら補足してくれた。

……勉強は不得意な社会以外、そこそこできるんだけどな。

いや……そうじゃない。

彼女は今さりげなく、俺のことを友達と呼んでくれた。

 

「……そうか。わかった。友達だもんな」

 

俺もまた、確かめるように友人だと宣告する。

別れは悲しいが、目の前にいる友達の言う通り、ここは笑顔でいよう。

俺たちは、マスターとサーヴァントという、主従関係ではない。

これが最後の別れだとしても、友達と別れる時のような平凡なものでいい。

 

「そーです、友達です。ダチです」

 

彼女もまた、強調するように繰り返す。

少し照れているように見えるのは、俺の気のせいではないだろう。

……まあ、多少の白々しさを感じなくもない。

そうであっても、友人と呼び合える関係は代え難いもの。

それに、彼女から友達だと言ってくれた。それが堪らなく嬉しい。

 

「……それと、私という妖怪はあなたの記憶に刻まれたでしょう?」

 

文が、確認するように言う。

だがそれは、確認するまでもなかった。忘れない。忘れやしない。

 

「ああ、おまえのことは絶対に忘れないさ」

 

射命丸文という鮮烈な少女のイメージは、俺に強く刻まれている。

何より、初恋の女の子だ。忘れようもない。

だがどういうわけか、俺の顔を見て文は困惑気味だった。

 

「……あやや? ちょっと違う刻まれ方をしたみたい。これはとんだ計算違いです。人間の恐怖が、妖怪にとっての信仰なんですけど……」

 

恐怖? 信仰?

何か物騒な単語が、含まれているような。

 

「……うん。覚えててくれるのなら、及第点としておきましょうか」

「えっと、なんのことだ?」

「いやなに。聖杯戦争であなたとずっと一緒にいた理由は一つしかありません。この世界にも恐ろしい妖怪がいた、その証人を残すためです」

 

一点の曇りもない表情で、衝撃の事実が判明した。

どうやら俺は、彼女の恐ろしさを記憶するために、一緒にいるのを許されていたらしい。

 

「……いや、文を本気で怖いと思ったことは何度もあるぞ?」

 

それ以外のイメージもあるが、背筋が凍る恐怖を感じたのも事実だった。

酷薄に歪む文の顔は、いま思い出すだけでも息が止まりそうになる。

 

「おー、それは重畳。…………必要以上に恐れられる態度を、何度もとった甲斐がありましたね!」

「って、おい!」

 

次から次へと、とんでもない事実をカミングアウトする。

だけど喜色満面にネタばらしをしたら、意味がないんじゃないか?

 

「そして士郎さん。……そんな私という存在を、誰かに伝聞してくれると助かります」

 

少女は居住まいを正すと、真剣な表情に作り直す。

射命丸文を纏う空気が、途端に厳粛なものになった。

 

「この、後ろ向きから始まった聖杯戦争。本音を言えば、厄介ごとに巻き込まれた気持ちが大半でした」

 

俺が彼女を土蔵で召喚したのが、全ての始まりだった。

彼女は聖杯なんて、初めから欲しがってなかった。

それなのに、自分の都合ばかりにかまけていて、俺はこれまで一度も謝罪をしていない。

 

「……ごめん」

「いえ、いいのです。私はその途中、目的を見つけましたから」

 

謝罪を否定するように、左右に首を振る。

 

「かつてこの世界にも、様々な妖怪がいました。彼らは時代と共に伝承のなかへと消えてしまい、人々の記憶から忘れ去られてしまった。私はそれが、どうしようもなく悔しかったのです」

 

それは以前、柳洞寺でアサシンと対峙する文から教えてもらったこと。

その日から、彼女の聖杯戦争に対する姿勢は変わり、本気で戦いに挑んでいた。

 

「だからあなたには、射命丸文という烏天狗の語り部であって欲しいのです。その目で見たこと、その耳で聞いたこと……そして、その心で感じたこと。それをありのまま伝えてもらいたい。……荒唐無稽な世迷言にしか聞こえないでしょう。ですが、それでもいいです。多少なりとも誰かの記憶に残れば、私がこの世界に居た意味があります」

 

そして、ゆっくりと頭を下げた。

妖怪の恐ろしさを、現代に生きる人に伝えられればいい。それだけのもの。

強大な力を持つ彼女なら、とても些細な願いだった。

 

「……文の力があれば、そんなのいくらでも方法があるんじゃないか?」

 

そう、口をついて出てしまった。

 

咄嗟の思いつきで、ぞっとする言葉を言ってしまう。

彼女はすべてのサーヴァントを退け、聖杯戦争を勝ち残った存在だ。

その気になれば、大抵のことは叶えられる。それだけ文の実力はデタラメだ。

だったら恐怖を振り撒くなんて方法は、直接的なものが何よりも手っ取り早い。

 

だがそれは、俺が絶対に許しはしない。

文が妖怪として人々に悪逆を尽すのなら、俺はその場で令呪を使うだろう。

 

「むー。それをやってしまえば、ただのマッチポンプじゃないですか。聖杯戦争という大義名分があったからこそ、私は妖怪として存分に暴れられたのです。……一応言っておきますが、聖杯戦争に関わった人間以外に、私は誰にも迷惑を掛けてませんよ」

「すまない。今のは失言だった」

 

彼女は商店街で、とても愛想よく接していた。

問題があるとすれば、藤ねえと桜の前でした恋人宣言くらいだろうか。

あの時は心臓が止まりかけたが、今になれば可愛いものだった。

 

「ま、その分、聖杯戦争に関わった人間には、もれなく全員に恐怖をばら撒きましたけどね! 特に凛には、心的外傷になりかねないものを見せてやりましたとも! あの時、私の心は色々あってどん底でしたから! ……ちょっと過激な演出になってしまいました。てへ」

「てへ?」

「あ……? あああああ! また無意識で言ってしまった! 恥ずかしいよう!」

 

恥ずかしさに耐えかねて懊悩する文を見るのは、とても楽しい。

これはもう、世界一可愛い存在じゃないのだろうか。

 

……彼女の言う『あの時』とは、聖杯戦争最後の日に教会で起きたことだろう。

俺は、イリヤから聞いただけで詳しくは知らない。

言峰綺礼を倒した後も、溢れようとする聖杯の処理が大変だったらしい。

 

その時の様子を『滅茶苦茶』と表現したイリヤには、嗜虐嗜好があるのを思い出した。

……遠坂には、ご愁傷様と言っておこう。

彼女はその程度でへこたれる質じゃないが、それでも夢に出ないのを祈るばかりだ。

 

「コホン。とまあ、話を戻しまして……このお願い、聞いてもらえますか?」

 

再び神妙な空気に戻る。

それだけ彼女にとって、重要な問題なのだ。

当然その程度なら、頭を下げてお願いされるまでもない。

本来なら、二つ返事で引き受ける。

 

「……だったら文は、俺のことを覚えててくれるか?」

 

俺の口から出たのは、文の望んだものではなかった。

見返りを求めた打算的な言葉だったが、この程度の我儘は許してほしい。

 

「ふえ……?」

 

そんな思いも寄らない返答に、少女は赤い目を瞬かせた。

 

「…………おっと。まさかそう返されるとは思いませんでした。ふふ、相変わらず、歯の浮く恥ずかしい台詞。……そんな言葉を重ねられたら、免疫のない女の子ならコロッとやられちゃいます」

「うん。まあ、自分でも驚いている」

 

文には、ずっとやられっぱなしだ。

とても照れくさかったが、最後に驚かせても罰は当たらないはず。

 

「さて、どーでしょうか。私は風雨を降らす烏天狗。自分の理想を叶えられない弱者には興味がありません」

 

いつの間にか手に取った葉団扇で、口元を隠している。

どうせ、薄笑いでも隠しているんだろう。

どんな形にしても文に挑むのは無謀だと思っていたが、やはり一蹴されてしまった。

 

相変わらず、彼女は手厳しい。

 

「……ですから、理想を実現できるよう、悩み苦しみ、精一杯生きなさい」

「――――」

 

不意に少女の口からこぼれた、虚飾のない叱咤激励。

一文字も逃さぬよう、言葉を丁寧に飲み込んでいく。

胸の奥に、じんわりと染み入った。

……情けない話だが、鼻の奥がつんとしてしまう。

 

「ああ……任せろ。必ず実現してやるさ」

「よろしい。……さて、もういいですかね。令呪を使ってください」

 

少女は椅子から立ち上がり、荷物の中から頭襟と高下駄を取り出した。

それらを慣れた手つきで身につけると、初めて見た時と変わらない天狗の少女がいた。

左手に刻まれた、最後の令呪。それを使えば、文は幻想郷に帰ってしまう。

 

「わかった」

 

引き留めたい気持ちは、当然ある。

だけど、それだけは絶対にしちゃいけない。

いずれは訪れる別離。

彼女がこうして帰還を望む以上、その意志を尊重しなければならない。

 

「あ、そうだ。令呪で使ったらどうですか? 今のお願い。『俺を忘れないで―』って」

「そんなことはしないさ。あれはお願いであって、命令なんかじゃないからな」

 

文も本気で言ったわけじゃない。

ニヤニヤしているのが、何よりも証拠だ。

それに、最後の令呪をどう使うのかはもう決めてある。

 

「じゃあ、使うぞ」

「はい」

 

緊張した様子もなく、文はあくまで自然体だった。

未だサーヴァントがこの世界に残っているのは、間違いなく異常事態だろう。

この令呪を使っても、幻想郷に還れないような不測の事態も起こりうる。

 

それでも、彼女は動じていない。

おそらく、この異常事態を可能とした幻想郷の魔女を信じているのだ。

左手に魔力を込めると、残る一画が赤い光を灯した。

魔術回路を起動させるまでもない。

 

ただ想い、願うだけ。

 

『幻想郷でも、元気で――』

 

俺の願いは、ただそれだけ。

これで最後の令呪は解放された。もう後戻りはできない。

この世界に彼女を繋ぐための『かすがい』は外されてしまった。

残された時間は、ほんの少し。

一回の瞬きで、彼女は目の前から消えてしまうかもしれない。

 

「ぷぷぷ。なんですかそれ。最後に笑わせないでください」

 

文に笑われてしまった。

込み上げる感情を堪えるように、腹まで押さえている。

まったく、感傷に浸る時間もない。

どうやら俺たちに、感動的な別れは不可能なようだ。

 

「……しょうがないだろ。『頑張れ』だと、文の意志じゃなくなるからな。だったら、今後の健康を願うのが一番だと思ったんだよ」

 

こんなことに令呪を使ったマスターは、聖杯戦争が始まってから俺が初めてだろう。

だけど、それ以外に願うものはないのだから仕方がない。

聖杯戦争も終結して、倒すべき敵はもうどこにもいないのだ。

 

「ご……ごめんなさい。それなりに考えてたんですね」

 

謝罪しながらも肩を震わせているのは、あんまりじゃないだろうか。

そうやって時間を浪費しているうちに、文の身体がゆっくりと薄くなっていく。

 

「ふむ。時間みたいですね。最後に何か言いたいことはありますか?」

 

そんなの決まっていた。

 

「今までありがとう。じゃあな、文」

 

感謝の言葉と、別れの言葉。

その二つが最後に言えれば、十分だ。派手に飾った台詞はこの場に相応しくない。

それと『またな』なんて、絶対に言わない。

あり得ない言葉は、自分自身への慰めに過ぎない。

そんなものは、彼女の心に届かない。

 

「…………」

 

文の姿は、もう見えなくなっていた。

だけど、こちらを見ているのだけは何となくわかった。

 

「ええ……さようなら。士郎くん」

 

…………。

 

締め切った室内なのに、心地よい風が吹いた。

それを感じた時にはもう、射命丸文はいなくなっていた。

……幻想郷に帰ったのだろう。

少女もまた、簡潔な言葉を残しただけ。病室には、俺一人だけが取り残される。

 

「…………『くん』ってなにさ」

 

最後に少女は、俺の名前をそう呼んでいた。

どういう意図があったのか? 何か印象の変化だろうか?

彼女のことだから深い意味なんてなくて、悪戯心で呼んだだけなのかもしれない。

……でも文はある時を境に、遠坂やセイバーを呼び捨てにしていた。

 

いくら悩んでも、真実はわからない。

彼女とは、もう二度と会えない。つまり、永遠の謎になってしまった。

こうして頭を悩ます俺の姿を想像して、ほくそ笑んでいるかもしれない。

そんな姿が、容易に想像できてしまう。

 

「まったく……」

 

だとしても、そんなに悪い気はしなかった。

文の残してくれたウサギ型の林檎を手に取って、口の中に放る。

こうして剥いてくれたのに、一つも食べていなかった。

 

「……悪いことしたな」

 

ずっと流動食が多かったので、咀嚼の際、顎がやけに疲れてしまう。

文の言う通り蜜が多くて、とても美味しい林檎だった。

 

「…………っ」

 

林檎の酸味が口の傷に染みた。痛みで涙が出たのは初めての経験だった。

 

 

 








私の恋は、一過性の麻疹なようなもの。
この傷が癒えればなくなってしまう、儚い恋心です。
それに私は、いたずらに人間の心を弄んで狂わせます。

「お互いのため、そういうことにしておきましょう」



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