文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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72.文々。異聞録

 

 

幻想郷は130年余の間、外界と大きな接触をせずに発展してきた。

精神分野においての発展は目まぐるしく、独自性を保ちながら各分野に貢献している。

それは、幻想郷に住む誰しもが知るところだ。

 

それと同様に、外の世界の発展も凄まじいものがある。

特に科学と情報の進化は、一つの信仰と呼べる程度に成長したと言っても過言でない。

それは同時に、民衆の心の支えである神の必要性が薄くなり、祭事もまた形骸化してしまったということ。

しかしながら、その旨に警鐘を鳴らすのが新聞の役割ではない。

 

ここでは、神を失墜させた外界の技術を紹介したいと思う。

原料を加工し、製品を作る産業。

つまり工業技術は、幻想郷と比肩しようもないほど発展している。

外界のポピュラーな移動手段として、『バス』という大型の乗り物がある。

自動車の一種と言えば、わかるかもしれない。

名称の語源は『全ての人の為に』の意味を持つ『オムニブス』というラテン語からきている。

その言葉が示す通り、バスは身分差なく、低料金で誰でも乗ることが可能だ。

動力は化石燃料を燃焼させて動かしているが、詳細については割愛させてもらおう。

バスの乗客は、通勤や通学に使う人間が最も多い。

車内には左右対になった座席が並んでいるが、それだけでは座りきれない場合もある。

つまり、座りきれない時、何十人と言う人間が少ない座席を求めて争うことになる。

 

そして勝者は悠々自適に座りながら、快適に目的地まで過ごせる。

ほどよいバスの揺れは、眠りを誘うものだろう。

 

しかし敗者はそうはいかない。言うまでもなく、座る席がどこにもない。

だが彼らの目の前には、吊り革と呼ばれるバスの天井部から垂れた輪状のものがある。

そう、負け犬である彼らは、その輪っかを自らの首に――。

 

 

『文々。新聞 五面「文々。異文録 第一回」』より抜粋。

 

 

 

 

幻想郷――。

妖怪の山の麓にある湖に、赤を基調とした西洋建築様式の館がある。

そこは紅魔館と呼ばれており、スカーレットデビルと恐れられる悪魔が住んでいる。

 

紅魔館の地下には、大きな図書館があった。

構造上、日光は当たらず空気も滞留しており、訪問者への配慮など一切されていない。

まさに、本のためだけに存在する空間だった。

そして地下と思えない広大な空間には、無数の本棚が整然と並んでいる。

そこには魔導書だけではなく、古今東西、ありとあらゆる書物があると噂されていた。

幻想郷全土にある蔵書を全てかき集めても、この図書館に比肩しうるかどうか。

 

その大図書館の一画に、木製の円卓が置かれていた。

見る者を圧倒する書物の大海と比較すれば、随分とこじんまりしたテーブル。

精々、三人か四人座るのがやっとだろう。

そこに図書館の主、パチュリー・ノーレッジと、幻想郷ブン屋である射命丸文がいた。

 

「…………」

 

両者は言葉を交わさずに、テーブルを挟んで座っていた。

文は出された紅茶の香りを楽しみながら、変わらない態度で赤い手帳を眺めている。

一方パチュリーは、仏頂面で新聞を読んでいた。

それは、文が書き上げたばかりの新聞であり、幻想郷に戻ってからの第一号となる。

別世界に行く際に、彼女は最も世話になった相手だった。

新聞を配り終えた後、その時の礼も兼ねて図書館まで渡しに来たのだ。

 

「……………………」

 

文の機嫌は良さそうだったが、パチュリーは日頃に増して眉間に皺を寄せている。

手をつけていない紅茶は冷め切っており、深みのある香りは消し飛んでいた。

 

「はあ……」

 

パチュリーは盛大に溜息をつくと、シュガーボックスを手に取り、紅茶のなかに多量の角砂糖を落とした。

乱暴な手つきでスプーンを突っ込むと、カチャカチャと掻き回す。

もはや砂糖水と化した液体を胃に流し込み、強烈な甘さから眉間の皺が更に深くなった。

 

「……で、何なのこれ。コラム? 散文?」

 

機嫌の悪さを隠そうともせず、対面の少女に詰問した。

飄々とした態度を崩すことなく、パチュリーの指差す記事を一瞥する。

 

「ああ、『文々。異文録』のことですか? 外の世界をこれでもかと面白く紹介する新聞の新企画です。略称として『ぶんぶんぶん』とでもお呼びください。……ちなみに『異文録』は『異聞録』と『異文化』を組み合わせたものです。わお、面白い」

(ちっとも、面白くない……)

 

聞いてないことをべらべらと説明されて、魔女は不機嫌さを増していく。

そんなパチュリーの様子に気づいていたが、文は得意満面だった。

彼女は妖怪の山というコミュニティに属しているが、究極的には自分さえよければいいのだ。

 

「あなたが体験した聖杯戦争はどうしたの? その記事がどこにもないじゃない」

「はて、そんなのはありませんよ?」

「……なんでよ。あなたからしたら恰好のネタじゃないの?」

「新聞に自分の姿は出てきません。……それにあんなバイオレンスなネタは私の趣味じゃありませんし」

 

自らのポリシーを話す少女の前で、パチュリーはもう一度溜息をつくと新聞を閉じた。

挑発的な態度を、隠そうともしない。

 

「……そうして異世界に行ってまで書いた新聞は、いつもと変わらないタブロイドなのね」

 

射命丸文が還ってきた直後、その世界で起きたことをパチュリーは簡単に聞いていた。

なんでも『聖杯戦争』という、魔術師同士の殺し合いに巻き込まれたらしい。

パチュリーは、その部分に興味を覚えていた。

詳細は新聞に載ると思っていたので、その場では深く追求しなかった。

だが、蓋を開けてみればこの有様だ。

 

「いやあ」

「………………」

 

照れたように頭を掻く文に、パチュリーは冷ややかな目で見る。

幻想郷に帰って来てから、彼女に会うのは二度目になる。

その時から、無闇矢鱈に元気だった。

以前は、貼り付いたような愛想笑いしかしなかったのに、今ではいつでもニコニコしている。

正直に言ってしまえば、気味が悪かった。

 

(……異世界で、脳味噌を有鈎嚢虫にでも喰われたのかしら?)

 

魔女は冗談ではなく、本気でそう思っていた。

彼女の知る烏天狗とは、別人だったからだ。

入れ替わりも考えたが、魔法を使って調べても本人の反応しか出てこない。

記憶の連続性も保たれており、この存在が射命丸文なのは間違いなかった。

 

「遠路はるばる異世界の日本まで行って、知識も技術も手に入れずに、こんなゴシップばかりを集めて来たなんて。流石に頭が痛くなるわ……」

 

頭痛の原因に愚痴るも、当人は妙に厳ついカメラの手入れを鼻唄混じりで始めていた。

少しも話を聞いていなかった。

 

「なんなのコイツ」

 

天狗の甘言に乗せられて、膨大な魔力が必要な術式を組んだのが馬鹿だった。

心の中でそう悪態をつくが、今回の件でパチュリーに収穫が無かったわけではない。

新しく組んだ魔法陣が成功したのは、それなりの成果だ。

術式が他の世界の召喚儀式に介入できたのは、今後の研究の糧になるだろう。

もっとも、正確に検証するには一回だけではなく、繰り返しの実験が必要になる。

 

「…………コイツは使えるかしら?」

 

検証には、壊れにくい実験体が是が非でも必要になるだろう。

 

 

「小悪魔さーん。紅茶のおかわりまだですかー?」

 

パチュリーの目に映る天狗の少女は、図書館の司書である小悪魔に手を振っていた。

ずうずうしさも、これまで以上だった。

あくせくと本の仕分けをする小悪魔は作業を中断して、同じように手を振り返す。

 

「わ~」

 

瞳をキラキラさせて、眩しいまでの笑顔を浮かべる小悪魔。

でもどうしてなのか、そこから一歩も動こうとしない。

 

文の声が、聞こえていないのかもしれない。

それとも、聞こえていないフリをしているのかもしれない。

小悪魔はアホの子のように、ぶんぶんと手を振り続けている。

天狗の少女もまた、止めようとしない。

 

「なんなのコイツら」

「くっ、さすが悪魔と言ったところでしょうか……!」

 

互いにムキになって振り合っていると、蚊帳の外にいたパチュリーが文の服の袖を掴んだ。

 

「……ところで、この服はなんなの?」

 

壮絶とも言える視殺戦は、魔女の介入によって一端の幕を引く。

小悪魔もまたパチュリーが睨み付けると、そそくさと仕事に戻っていった。

 

「ふふん、良いところに目をつけましたね。これは、私立穂群原学園の制服です。ライトブラウンのベストに、赤いリボンタイが良いアクセントになっているでしょう? 本当は学園に返すつもりでしたが、どういうわけか荷物に紛れてました。いやはや、不思議なものですね。……ですが、パチュリーさんは、他人の服の趣味なんて気にする人でしたっけ?」

「……別に。見たことのない素材なのが気になっただけよ」

 

本当はちょっと可愛いと思っていたが、それは間違っても言えない。

 

「なーんだ、そんなことですか。材質は、ウールとポリエステルの混紡ですね。ポリエステルは石油由来の繊維だとか。私も詳しくは知らないんですけど、外の世界の科学力はほんと凄かったですよ。デジカメとかデジカメとか」

 

それだけ言って、少女は再びカメラを弄りだした。

時折そのカメラを弄りながら、ちらちらとパチュリーの顔を見てくる。

……なんだか妙に腹が立つ仕草だった。

どういうつもりか知らないが、絶対に相手にしてやるものか。

 

そう彼女は思っていたが、一つ気になる点があった。

危なっかしい手つきでカメラに触る右手に、異質とも言える魔力を感じる。

 

「……その包帯はどうしたの? 妙な魔力の残り香を感じる……。それにあなたが治療の必要な怪我を負うなんて、珍しいこともあるのね」

 

見た目と物腰から、とてもそうは見えないが、射命丸文は幻想郷でも指折りの実力者だ。

遊戯でしかない弾幕ごっこで、包帯を巻く怪我を負うとは思えない。

 

「ああ、これですか。これは、ギルガメッシュにやられた傷です」

 

机の上にカメラをそっと置いて、右手をパチュリーの前に突き出す。

間近で見てみると、強力なアーティファクトによって、攻撃されたのがわかった。

 

「ギルガメッシュってあの? 古代ウルクの?」

「はい。あのギルガメッシュ叙事詩の英雄です」

「…………何を馬鹿なことを」

 

どういうことなのか真剣に考えてみたが、少しも意味がわからない。

天狗から引き出せたのは、そんな眉唾でしかない情報だった。

 

「ついでにヘラクレスには翼をもがれて、アーサー王にはエクスカリバーで撫で斬りにされました。超痛かったです」

「…………ハッ」

 

パチュリーは、鼻で笑ってみせた。これ以上、詳しく聞くまでもない。

どんな事情があれば、そんな神話クラスのビッグネームが一堂に会するというのだ。

ギルガメッシュに、ヘラクレスに、アーサー王……?

実在するかどうかも怪しいし、時代も地域もてんでバラバラ。

お話にならない。そんなこと、魍魎跋扈する幻想郷でも絶対に起こり得ない。

 

「……ついに頭がおかしくなったのかしらね? 魔法による精神干渉なら私が視てあげるけど、精神疾患の類は永遠亭で診てもらいなさい」

「いやいやいやいや、本当なんですって」

 

天狗少女は食い下がろうとするが、これ以上付き合ってやる筋合いはなかった。

 

「はいはい。永遠亭はあっちよ」

 

パチュリーは図書館の入口を指で差すと、読みかけの古書に目を落とした。

……つまり『図書館から出て行け』と暗に言っていた。

その程度で素直に帰る文ではないが、彼女はもう本の世界に没頭している。

後ろから覗き込むと、羊皮で装丁された本には見覚えのない言語が書かれていた。

 

「うーん。少しも読めない……」

 

……パチュリーに放語した文の傷は、快方に向かっていた。

特に幻想郷に戻ってからは、英雄から受けた攻撃も急速に治りつつある。

その中で特に深刻だったのは、バーサーカーにもぎ取られた翼だ。

不死性の高い妖怪ではあるが、英雄の攻撃によって失った部位。

『再生なんてトカゲじゃあるまいし』と思って、ほぼ諦めていた。

それが幻想郷に帰って少し経ってから、どういうわけか新しく生えてきたのだ。

 

(幻想郷の水と空気が私に合ってたのかな。……それとも士郎くんの令呪の効果? いや、まさかそんな)

 

『幻想郷でも、元気で――』

そんな本来の使い方から逸脱した健康祈願に、そこまでの効果があるとは思えない。

 

(でも、本当にそうなら……ちょっとだけ嬉しいかも……)

 

どちらにしても両翼が元通り完治するまでに、あと数年は必要だろう。

空を飛ぶ程度は問題ないが、幻想郷最速のスピードはとても出せそうにない。

 

「その間は、ここの家主にでもその称号を預けましょうかね。……ま、完治したらすぐに返上させてもらいますけど」

「……レミィのこと? どうかしたの?」

 

聞き耳を立てていたのか、パチュリーが独り言に反応した。

本から目を離していないので、多少気になった程度だろう。

 

「さあ。なんでもありませんよ」

「そう」

 

天狗がとぼけると、魔女もまた素っ気なく返す。

そして、再び訪れる沈黙。

常人であれば、居心地の悪さに退席しかねないが、文はやはり気にした様子を見せない。

この程度でへこたれるようなら、幻想郷でブン屋なんてやっていない。

 

 

「あ……そうだそうだ。一つお訊きしたいんですけど、あの時の魔法陣ってまだ使えますか?」

 

文の視線の先、そこに聖杯戦争に召喚される切っ掛けになった魔法陣があった。

それは、幻想郷外の召喚儀式を検索し、無理やり繋げるシステムが組まれたもの。

それも幻想郷の外だけではなく、平行世界も超越するというとんでもない代物だった。

 

「私が魔力を流せばいつでも起動できるわ。……また実験台になってくれるのかしら?」

 

興味がある話だけに、パチュリーの食い付きはよかった。

眠たそうな目は変わらないが、瞳の奥に微かな情動が見て取れる。

 

(……好みの話題が偏食過ぎて、まともに生活が送れるかすこぶる疑問ね。昼夜構わず図書館に引き籠もっている時点で、まともとは言えないけど)

 

それはともかく。

 

「それについては、半世紀先でお願いします。……それよりも私が召喚された場所ってまだわかりますか?」

「位置を特定するだけなら、できなくはないわね」

「おお、できますか!」

 

朗報だった。

本当は、ここまで大袈裟に反応するつもりはなかったのだが、感情の抑制ができない。

 

「多次元座標値のログを変換するだけだからね。……あらかじめ忠告しておくけど、あなたをまたその異世界に送るなんて二度とできないわよ」

 

それは、文も何となくわかっていた。

そもそもあんな別れ方をしたのに、今更会いに行けるはずがない。

 

「そんな無茶は言いません。言いませんが……仮にですよ。無理やりやろうとしたらどうなります?」

「転移先に大規模な召喚儀式があって、初めて実現するものよ。肉体だけではなく、魂の情報量も膨大だわ。データを送るための力が足りなすぎて、転移時にまともな形を保っていられないわね。特にあなたのような無駄に肥大化した千年妖怪を向こうの助力なしに転移しようとしたら。……そうね、ミンチ確定かしらね。ついでに魂もグチャグチャ」

 

要するに、送る対象のデータ容量が最大のネックであるらしい。

それもまた、想像していた通りだった。

 

「ほうほう、つまり挽肉なら送れるんですね。でしたら……これはどうです?」

「…………やってみないとわからないけど、おそらくいけるわ」

「やってくれますか?」

「報酬は? 私もお人好しじゃないわ。魔女は常に正当な対価を求めるものよ」

 

物語のなかでもあるように魔女や悪魔は、願いと引き替えに対価を求める。

それは美しい声であったり、記憶や感情であったり、それこそ命そのものであったり。

パチュリーもまた、そんな魔女たちの一人として数えられる存在だった。

 

「…………少々お待ちを」

 

文は鞄のなかから、一冊の本を取り出した。

そして見せつけるように、テーブルの上に分厚くて重いそれをドンと置く。

 

「はい。異世界の希少本」

「やるわ!!」

 

即答だった。

そう答えるや否や、パチュリーは立ち上がって分厚い本を胸に抱える。

 

「も……もう、返さないわよ?」

 

よたよたと重そうだったが、この日陰少女は大丈夫なのだろうか?

 

(……それにしても、この魔女、大概チョロいわね)

 

最悪、アーサー王の召喚媒体を手放すのも考えたが、広辞苑一冊で済んでしまった。

寝ずの作業によって写本も済んでいるし、それにたかだか8千4百円。

原本を手放すのは少し惜しかったが、そこまでは痛くない。大辞林もまだ手元にある。

それが希少本かどうかは怪しいところだが、少なくとも幻想郷にはこの一冊しか存在しないはず。

 

アーサー王の媒体であるカルンウェナンは、道に落ちていたから拾った。

そしていつの間にか、荷物に紛れていた。いやはや、不思議なこともあるものだ。

 

「――――」

 

パチュリーは既に魔法陣の前で、魔法詠唱を開始していた。

即断、即決、即行動。

 

(うん。幻想郷の住人ならこうでなければ)

 

やはり自分の興味のあるものなら、非常に行動が早い。

破綻した人格と言えるが、魔道の深遠に生きる魔女にとって『正常』など不純物。

魔法陣が赤く淡い光を灯して、浮かび上がっていく。

文がかつて見た光景と、寸分違わず同じもの。

 

「準備オーケーよ」

 

魔法詠唱に少し疲れた様子だったが、血色が悪いのはいつも通りだろう。

 

「はーい。いま行きまーす」

 

天狗の少女は、魔法陣に向かって歩き出す。少し、浮き足立っているのが自覚できた。

でも室内で走ったりはしない。みっともないから。

 

聖杯戦争以来、文は感情の制御ができていない。

振り返ると、枕に顔を埋めてジタバタしてしまう行動を何度もしてしまった。

理性が崩壊した彼女は、心の枷というものが外れている。

 

つまり、射命丸文は壊れてしまった。

 

「………………」

 

それに彼女は、恋を知った。

そして、失恋の味も知った。

自惚れではなく、彼から想われているのも知っていた。

 

でも、告白はしていない。

別れがとても、つらくなってしまうから。

きっと彼の前で、わんわんと泣いてしまうから。

それは困る。とても困る。

恋する女の子は、いつだって好きな人を悲しませたくない。

 

……だから悪いことも、もうしない。

ヒトの心や体を傷つけるのは、今だって大好きだ。

むしろ二度の人喰いによって、かつての自分よりも悪化している。

 

――だからこそ、絶対にやらない。

 

その誓いは、文自身が立てたもの。今後進むべき道。

つまりそれこそ、射命丸文の掲げた理想だった。

 

ああ、千年以上の歳月を生きているのに、こんなにも不安定になるなんて。

 

「……まるで、子供みたい」

 

気づけば、口元に笑みを作っている。

こうして、簡単に揺さぶられてしまう自分がとても恥ずかしい。

だけど、外向きや嗜虐的なものではなく、純粋な気持ちで笑うのはいつ以来だったか。

 

そう思えば、そこまで悪い気もしなかった。

 

 

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