文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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09.夜が終わる

 

 

イリヤスフィールとバーサーカーの主従は、冬木の夜に紛れて姿を消した。

先刻までのセイバーとバーサーカーの戦いが嘘だったかのように、寂静が辺りを包む。

 

遠坂とは変わらず敵対関係であり、話せるような雰囲気でもない。

 

「…………」

 

特にセイバーは、文に対し並々ならぬ敵意を剥き出しにして、翠の双眸で睨み続けている。

文は、セイバーの睥睨を知ってか知らずか、俺から渡されたカメラの状態を確認していた。

 

満身創痍だったセイバーの傷は、遠坂の魔力によって時間を戻したかのように塞がった。

だけど、あのダメージだ。

こうして外見は取り繕えても、完治までには至ってないだろう。

 

『じゃまたね──エミヤシロウ』

 

俺の耳には、イリヤスフィールが別れ際の言葉が残っていた。

この先、俺たちもバーサーカーと対峙する時が来るのだろうか。

それは、途轍もない恐怖だ。

先の文が弄した手が、再び通用するとも思えない。

もし通用したとしても、あんな小さな少女が殺されるなんて許されるはずがない。

それに、文にだって手を汚して欲しくなかった。

 

そう思っていても、俺にはあの化け物への対策は何も思い浮かばずにいた。

 

「ふう……」

 

でも今は、文の努力によって得た束の間の安息を受け入れよう。

誰一人として欠けずに、サーヴァントの戦闘を終息させたのだ。

聖杯戦争で、こんな奇跡はもう二度と起きないかもしれないのだから。

 

 

「……今回は何度も助けられたわ。一応、礼だけは言っておく。ありがとね、衛宮君」

 

静寂のなかで、遠坂が口火を切った。

それだけ言って少女は背を向け、イリヤスフィールが消えていった方角を見る。

ここからでは、表情は確認できない。

それでも、握られた手が微かに震えているがわかった。

 

研鑽を積んだ魔術師だとしても、俺と同年代の少女があれだけの目に遭わされたのだ。

何も感じないはずはない。

今になって押さえていた恐怖と緊張がぶり返したのかもしれない。

 

「遠坂……」

 

掛けられる言葉は見つからなかったが、つい彼女の名前を呼んでいた。

 

「…………」

 

返事はなかった。

その代わりなのか、遠坂は震える手をより堅く握った。

それで、俺は理解した。

ああ、これは恐怖なんかで震えているんじゃない。

 

遠坂は悔しいのだ。

イリヤスフィールに負けたこと。俺たちに助けられたこと。

そんな悔しさから彼女の手は震えているのだと。

 

文が言っていた。

俺たちと彼女では聖杯戦争に懸ける覚悟が違うのだと。

魔術師としての遠坂は、今回の聖杯戦争に自身の半生を費やしてきたのだろう。

……悔しくないはずがない。

遠坂の魔術師として。遠坂凛という一人の少女として。

 

俺が知る遠坂凛という少女は、優等生でいつも自信に満ち溢れていた。

俺もほかの生徒に混じって、ミーハー気分で遠坂に憧れていた。

それは彼女の優れた見た目だけではない。

己の才能に胡坐をかかず、努力を怠らない。

彼女の、才能と努力に支えられた揺るがない顔が好きだった。

 

……だったら、今の遠坂の顔には翳りが差しているのだろうか。

そんな彼女の心中を察した俺は、もう何も掛ける言葉が見つからなかった。

彼女の背中を、ただ見ているだけの自分がどうしようもなく情けない。

 

そう思った矢先、不意に遠坂が振り返った。

その時の顔は、俺の勝手な想像と違い、何の揺らぎもなかった。

そこにあるのは、遠坂凛という少女のいつも見せる顔。

自信に満ちており、その目に宿らせるのは確固とした決意のみだ。

 

「次は負けない。負けられない。あんたたちの力も借りない。──そうよね、セイバー」

 

それはセイバーだけではなく、自分自身にも言い聞かせるような声。

 

「凛、それは当然です。今回は不覚を取りましたが、私は全力を出してはいません。私には宝具がある。それに私は、あなたの剣になると誓った身だ。あのような醜態は二度と許されない」

 

セイバーは、仕えるマスターの期待に応えてみせた。

それを聞いた遠坂は、満足そうにセイバーの言葉の一つ一つを噛み締めて。

 

「ええ、期待しているわよ! セイバー!」

 

迷いもない力強さで、己を奮い立たせた。

 

ああ……敵わないな。素直にそう思う。

俺は、遠坂凛という少女を勝手に侮っていた。

彼女の強靱な精神と聖杯戦争を戦おうとする決意は、この程度では決して揺るがない。

 

遠坂凛は、俺にもその強い視線を向ける。

 

「……衛宮君、悔しいけど今回は一つ貸しにしてあげる。だけど、忘れないで。私たちは今も敵同士だということを。そんな相手を助けるなんて正気じゃないわ。──次にあんな無茶をしたら確実に死ぬわよ」

「……ああ」

 

決意の定まっていない俺は、形ばかりの気の抜けた返事をしてしまう。

今も、遠坂たちに傷ついて欲しくない気持ちは変わらない。

もし同様の状況に遭遇したら、俺は同じ行動を繰り返すだろう。

それは、彼女たちのプライドを傷つけてしまう行為なのかもしれない。

それでも死んでしまったら、何もかもおしまいなのだ。

 

遠坂は、俺のそんな曖昧な返事をどう解釈しただろうか。

 

「……ふん。行くわよ、セイバー」

 

見透かしたように鼻を鳴らすと、それ以上なにも言わずに背を向けてセイバーとともに歩き出した。

彼女たちがこの後なにをするかはわからないが、俺に聞ける権利などなかった。

 

 

「みなさん、行ってしまいましたねえ」

 

文の口からは、何の感慨もなく、ただ起きた事実を述べただけの言葉。

 

「……そうだな」

 

最後に残されたのは俺と天狗の少女だった。

術者を失った人避けの結界もいずれは消えてしまうだろう。

戦いの痕跡が残るこの場所にいるのは得策ではない。俺たちも退散しよう。

 

 

 

 

それから、10分足らずで家に着いた。

すぐ近所であんな戦闘があったのに、家に入ると途端に夢のように思えてくる。

だが、あれは間違いなく現実なのだ。

バーサーカーの咆吼は、思い出すだけで肌が粟立ってしまうものだった。

 

俺を容易く殺した朱槍のランサー。

強靭な肉体に守られ、蘇生を繰り返すバーサーカー。

そして、荒々しくも絶技と呼べる剣の担い手であるセイバー。

俺たちはあんな規格外の存在と、これから同じ舞台で戦わなければならない。

 

それだけではない。

ほかに三体ものサーヴァントが残されていた。

未だ遭遇していないサーヴァントはライダー、キャスター、アサシンの三騎。

そこに俺の召喚した射命丸文を含めた、七騎のサーヴァントとそのマスターにより、一つの聖杯を勝ち取るための争奪戦。

つまり、血を血で洗う凄惨な殺し合いが行われる。生き残るのは、ただ一組だけ。

 

……勝ち残れるかはわからない。

それでも、正義の味方を目指す者として、やらなければならなかった。

今までの日常は、もう過ごせないかもしれない。

普通を過ごすには、俺はあまりにも知りすぎた。

そして、自らの足で踏み込んだ。

最初は、巻き込まれた形だったとしても、引き返せるタイミングはいくつかあった。

俺は自分の判断で、聖杯戦争に参加すると決めたのだ。

 

だったら、こんな馬鹿げた戦いは絶対に止めてみせる。

 

 

「それで文は、洋間と和室のどちらがいい?」

 

聖杯戦争の間、文にはこの家で過ごしてもらう。

この家は武家屋敷だけあって、部屋数だけは無駄に多いのだ。

せっかくだし、彼女には快適な生活を送ってもらいたい。

 

「洋間!! そ、それは、ちょっと心惹かれますね。……ですが、慣れた和室でお願いします」

「よし。わかった」

 

玄関廊下の突き当たりから、左側にある空き部屋に案内する。

部屋に入ると、ツンと畳の匂いがした。

疲労はピークだったが、色んなことがあったせいで、五感が研ぎ澄まされているかもしれない。

決して黴臭いわけではではなく、畳に使われた藺草の匂いだった。

使われていない部屋でも暇があれば掃除をしているので、汚れてはいない。

 

「じゃあ、この布団で寝てくれ」

 

押し入れから布団を取り出して畳へと敷いた。

干していない布団を客人に使わせるのは気が引けるが、だからと言って俺の布団を貸すわけにもいかない。

申し訳ないが、文には今日だけ我慢してもらおう。

 

「私も手伝いましょうか?」

「いや、文はお客様だし、そんなことはさせられないよ」

「何もそこまで気を使わなくてもいいと思いますけど」

「いいや、絶対にダメだ! 部屋の準備だけは俺にやらせてもらう!」

「えええ……。士郎さん、ちょっと怖い」

 

衛宮家の家長として、客人を働かせるわけにはいかない。

何があろうと、それだけは絶対に譲れない一線だった。

 

 

俺が部屋の準備をしている間、文は旅行鞄を広げて所持品の整理をしていた。

新聞記者と名乗るだけあって、フィルムやインク、原稿用紙などが目立つ。

ほかにも、歯磨きやタオルといった日用品の類もあった。

 

「……!」

 

一瞬、下着らしきものが目に入ったので、慌てて目を逸らした。

本当に一瞬だったので、文には気づかれてない。

疲れていたとしても、人様の、しかも女の子の荷物をじろじろ見るなんて、何を考えているんだ俺は……。

 

それから暫くすると、様々な道具が机の上に溢れていた。

やっぱり、ちょっと気になるな……。

当然これは、知的好奇心からであって、決して下卑た下心からではない。

 

「もし気になるんでしたら見てもいいですよ?」

「いいのか。だって……」

「ふふふ。下着の類は鞄に隠してありますので、お気になさらずに」

 

ばっちりと気づかれていた。

 

彼女は、この世界とは隔絶した世界の住人という話だが、意外と俗っぽさがあるなと変な関心をした。

浮世であっても幽世であっても、生きている以上は日用品も必要なのだろう。

 

「ん?」

 

そんな机に並べられた日用品の一つに、茶色の瓶に入った錠剤を発見した。

もしかしたら、何かしらの常備薬だろうか。

勝手な先入観から、天狗のような存在は病気と無縁だと思ったが、実際は違うかもしれない。

 

「あ、これ、気になります?」

 

物珍しそうに見る俺の視線に気づいたのか、薬を手に取って俺に見せてくれた。

ラベルすらも貼っていない茶色い瓶だ。なんだか、すごく怪しいぞ。

 

「文、その薬は?」

「胡蝶夢丸ナイトメアです」

 

勿体ぶらずに、教えてくれた。本当に怪しかった。

ナイトメアってなにさ。

 

「……参考までに効能は?」

「ぶっ飛ぶ夢が見られます。おひとつどうです?」

 

ニコニコと笑っているが、つまりはヤバい薬ってことだ。

多分、現代の日本だと認可されていない成分が含まれているやつだ。

 

「……いやいい。いらない」

 

俺は何も見なかったし、何も聞かなかった。

屈託のない笑顔で、怪しい薬物を勧められたのは、人生初めての経験だった。

 

他には、どんなものがあるのだろうか。

烏天狗の私物というのはやはり気になる。

日本酒らしき一升瓶があるが、ひょっとして彼女は見た目に反して酒豪なのだろうか?

だとしても酒なんて、旅行鞄に入れてまで持ってくるものなのか?

 

念入りに旅支度をしたのか、着替えの類も充実している。

今も着ているブラウスに似たデザインの衣服も何着かあった。

射命丸文という少女は肉体を持っており、魔力によって編まれたエーテル体ではない。

だから他のサーヴァントと違って、新陳代謝も俺たちと同じようにあるのだろう。

 

「ん……?」

 

あれ? この綺麗に折りたたまれた白いもの……これって、下着じゃないか?

その手の類のものは鞄に隠したと言ったはずだったが。

 

「うーん……まだわからないことばかりね」

 

少女は独り言ちながら、手帳とにらめっこしており、俺が下着を見たことに気付いてない。

ならこれは、彼女の罠でもなんでもなく、ただのうっかりミスか?

 

いや、そもそも許可を得たとしても女性の私物を見るなんて、どうかしているのだ。

俺の最も身近な女性が、そんなデリケートさとは無縁の虎だったのがいけなかった。

うん、そうだ。何もかもあの虎が悪い(責任転嫁)。

 

そういえば……。

彼女は、スカートで空を飛び回っているが、不思議と下着は見た記憶がない。

空中にいる彼女を何度となく見上げたが、夜のせいなのか何も覚えてなかった。

まあ、彼女は不思議を体現したような存在だ。

そんな不可解もあるんだと納得しよう。

もちろんこれは、純然たる疑問であって、彼女の下着が見たいわけではない。

悔しくない。悔しくない。

さらに、念を押してもう一度言っておくが、決して悔しくなんかない。

 

「まったく……どうかしている」

 

強くかぶりを振った。

こんな馬鹿みたいな思考になるなんて、俺の脳も疲労で相当悲鳴を上げている。

 

 

「じゃあ文、おやすみ。家にあるものは何でも自由に使っていいからな」

「はい。おやすみなさい、士郎さん。素敵な部屋を用意してくれて、ありがとうございます」

 

出会ってから、一度も笑みを崩さずにいた少女の部屋を出る。

天狗という奇妙な同居人だが、今のところはうまくやっていけるかもしれない。

つかみどころがなく皮肉屋でもあるが、基本的には社交的で人当たりのいい娘だ。

彼女のような美少女と同居するのは恥ずかしくもあるが、現状はそうも言っていられない。

当然、嬉しいという感情もないわけじゃないけど。

 

 

シャワーを浴びて、汗や血の汚れを落とした後、一日の最後──魔術の鍛錬のため土蔵に入った。

土蔵は文が召喚された場所のはずだが、痕跡はどこにもない。

 

「ふう……」

 

今にも意識は崩れ落ちそうだったが、この身体は魔術訓練をしないと眠れなかった。

土蔵の空気は、どこか気分を落ち着かせる。

日頃、修理のために使う、機械油の匂いがそうさせるかもしれない。

冬の冷たく湿った空気によって、多少の疲労と眠気が吹き飛ぶ気がした。

 

……でも鍛錬が終わると同時に、俺は意識を手放すだろう。

 

「よし、やるか──」

 

普段の工程通りに魔術回路を生成させ、固く握ったパイプに強化の魔術を行使する。

今夜は、夢を見ないほど深く眠れそうだった。

 

 




聖杯戦争一日目終了。

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