ウマ娘の世界に転生出来たのに人間だった。だけど親ガチャ勝利した。 作:庭顔宅
死んだ。
どうやって死んだかなんて知らない。というか興味も無い。そんなことはどうでもいい。大切なのは目の前に女神様がいて、ウマ娘の世界に転生させてもらえるってっことで、チートを1つ貰えるってことだ。
なので願った。強靱な肉体をください、と。
そう願うと、意識がぼんやりと飛んでいき、暗闇へと消えてしまった。
気がつくと4足歩行で床を歩いていた。首もすわって、単独行動ができる頃合いだ。だが、なぜ、まだおしめを替えられる年齢で意識を覚醒させたのだ女神様よ。許さない。
4足歩行生活から2足歩行になったころ。俺は気がついた。
ウマ娘じゃないじゃん。
俺の頭にはウマ娘の証拠とも言えるウマ耳が、ウマ尻尾が無かったのだ。道理ではいはいしているのに違和感なく進められる訳だ。そもそも性別が男である時点で気がつくべきだった。股が寂しくない、と。さらに尻尾の毛の感触が、耳と尻尾を動かす感触がないことに気がつくべきだった。
女神様ユルサナイ……ユルサナイ……
萎えた。正直に白状する。萎えた。なんのための強靱な肉体だよ。ふざけるな。2,3歳で前転が出来るようになるためじゃないぞ?
お爺さんがめっちゃ焦っていて面白かった。
言い忘れていたが俺には父と母がいないらしい。理由は知らない。だが爺さんと婆さんによって何不自由なく生活出来ている。まだ小学生だけども。
そして時間は更に流れて中学生。
俺はニートになっていた。正確には学生ではあるのだけど、通学していないのでたいして変わらないだろう。
理由?婆さんが死んだ。82歳の長い人生だった。
二度目の人生だけども親しい人が亡くなるというのは悲しい物だった。俺は人一倍その傾向が激しいと思う。大切な物が少ないからこそ、より悲しく感じてしまう。この世で名前を憶えているネームドキャラはたった二人、爺さんと婆さん。知り合いはいない。同学年の子供どころか近所の人とも仲良くすることは出来なかった。
爺さんは予想通り、優しかった。学校に行けとは言わずに側に居てくれた。いったいどんな仕事をしているのだろう、と疑問に思ったが聞くに、聞けなかった。
爺さんは異常だった。中学校には行かないと決めて、話した次の日には引っ越しが始まった。俺は私物が少なかった。そして爺さんも多少の私物と婆さんの形見だけで一日も過ぎずに引っ越しは終わった。
引っ越し先は山奥。全て爺さんの私有地らしい。広い土地、自然、原始的で文化的な家。詳細を言うならば建物は全て木造。調理器具と少しの刃物だけが鉄製。後は太陽光発電やら緊急事態用の文明的道具が多かった。
そこで俺は爺さんとサバイバル生活に勤しんだ。全てを爺さんから学んだ。本当にいろんな事を知っている。植物系知識が特にやばい。傷によく効く薬草であったり、食べられる草と食べられない茸。川の生物の生態であったり、想像の5倍ぐらい原始的な生活だった。熊とも戦った。爺さん曰く、それぐらい出来ないと生き残れないぞ、らしい。異常だ。
気がつけば3年たっていた。
爺さんはぽっくり逝ってしまった。86歳。最後はベットの上で永眠していた。健やかな笑顔だった。
その後の対応に問題はなかった。もともと爺さんは儂が死んだらこの通りにするのじゃぞ、と手段と方法を教えてくれていた。その通りに進んでいった。
爺さんも婆さんと一緒で葬式は行わず、海の底へと帰っていった。
そこで専属の弁護士と知り合った。
そこで爺さんの職業を初めて知った。
暫定ニートだった。正確に言うならば株トレーダー。それもめっちゃ稼ぐタイプだ。
爺さんは莫大な財産と株を残してくれた。これで俺は生涯、ニートで過ごせるようだ。
今さら働く気にもなれず職業ニートのまま、サバイバル生活を過ごしている。
強靱な肉体のおかげで病気にも怪我にもならず、幸せなサバイバル生活を過ごせている。熊と乱闘しても生き残れるようにもなったし、もう困ることは無いだろう。
だが恐ろしい事を知ってしまった。ここは東京周辺の県だったのだ。つまり、俺の身体能力であれば半日もたたずにトレセン学園に突撃できる。ウマ娘達を見ることが出来る。これは全男子の夢であろう。見に行きたかった。
だが文化的環境が俺を脅かす。数年ぶりの車は怖かった。その横をウマ娘が走っているという事実。魚でさえあれほど速く動かないのに。電車、道路、無駄に多い電柱、俺は生き残れるのだろうか。もう諦めよう。そう何度も思った。だが何度も挑戦した。
いろんな事があったがどうしてもウマ娘を見たかった。特にゴールドシップを見たかった。あのハチャメチャっぶりは変わらないのか、気になっていた。
そして5年たった。サバイバル生活は変わらず、自分でログハウスも作ってみた。とても楽しかった。爺さんと婆さんの形見を置いている爺さんが作った最初の家。まるで拠点のようにこの森に全体に点在する幾つものログハウス。この私有地は点在できるほどの広い。私有地の端から端へ行くには1日では時間が足りない。3日でも足りない。一週間で余裕が出てくるレベルだ。
その広大な森を5年で全てを理解出来るようになった。つい最近は気まぐれで木の上にログハウスを作るようになった。
……ウマ娘?……忘れてない、忘れてない……うんうんウマ娘でトレセン学園なゴールドシップだよね?覚えているよ。本当だよ?
さて……挑戦しましょう。
俺は街へ出る。そして最初の道路。
車、突破。精神的負担無し。人…エラー!?エネミー!!撤退!!
ウマ娘にも負けぬ速度でログハウスへ走っていく。全速力で故郷とも言える森に帰っていった。
俺は気がついてしまったのだ。
服が無い。忘れていた。
昔の穴が開きまくった服があったが、サイズが合わない。着ることはできない。唯一あるのはボサボサの黒いフード。なぜスーツとか用意してくれなかったんだ爺さんや?
ここで問題なのは金がない。クレジットカードもない。あるのはいくつかの銀行の口座。なのでお金を引き下ろすという手間が発生する。俺は死ぬぞ?警察に捕まっても理由を話せば何とかなりそうだが、俺の人生は結構異常でアブノーマルだ。恥ずかしい思いをするに違いない。
そうだ。服を作ろう。それで解決だ。俺の手には穴が飽きまくった小さめの服がある。そしてボサボサだけどもしっかり体を隠せる黒いフードがある。下半身さえ隠せたら問題無いだろう上半身はフードに任せる。骨を削って作った針、服を少しほどいて糸にする。
イメージは完璧。いざ裁縫。
………よし出来た。色合いは最悪だが無いよりましだ。下半身は隠せる。この森には残念なことに電話はない。スマートフォンどころか固定電話すらない。テレビもない(あっても見ない)、冷蔵庫もない。三種の神器?何んだそれ?
専属弁護士に連絡する手段も、通販を使う機会もない。トレセン学園を盗見して帰りに銀行寄って、服買いましょうか。
・・・・・・
トレセン学園。日本最高峰のレベルとされるだけあって設備の充実度は高い。
トレーニング用のレーストラックや体育館はもちろん、スポーツジム、ダンススタジオまで。飛び込み台付きの室内プール、購買部に、図書室に、屋外ライブステージや観客席、よりどりみどりである。中庭にはウマ娘の始祖とされる女神の彫像「三女神像」が噴水として鎮座している。
そんなトレセン学園を盗見するのは難しい。ハードルが高すぎるどころかハードルが見えないレベルである。今回俺がトレセン学園を盗見する方法は1つ。木の上からの観察。以上だ。
強靱な肉体を生かし、身体能力を生かし、高い木を登る。遠目から見たらカラスがいるなーレベルだ。これだけでは盗見を達成するのは難しいむしろただのバカだ。ここからが俺にしかできない技術。
鷹の目…は言い過ぎかも知れない。だがそれほどだ。
俺は視力が良い。既に2.0判定だった。マサイ族にも勝てるんじゃね?と思っていたが関係ない。大切なのは女神様から強靱な肉体をいただいたのだ。たぶん視力も強靱。ていうかそれぐら役に立って貰わないと困る。いや泣く。
結果から言おう。問題無かった。久しぶりチートに感謝した。前回の感謝は熊との戦闘以来だ。
そしてトレセン学園だけではなく、各レース会場でも可能だった。観客席の上から盗見可能である。久しぶりにガッツポーズをした。
この結果を得て、俺は狩る、喰う、レース見る、寝るの4連コンボが完成したのだった。ちゃんとゴールドシップはゴールドシップしてました。
・・・
ある日、事件が起きた。
まず前提として俺には簡単な未来予知能力がある。それは洞察力と視力の良さのおかげだろう。たとえばウマ娘が前に出る、スタミナ問題ないな、といった感じに理解できるのだ。
こう説明しているとすごそうだが、そんなものではない。
例えば熊ならわかりやすい。動きが大ぶりですぐにわかる。もう、二度と攻撃を受けることはない。
理解しやすいのは魚だ。
湖の中央にいる魚。その魚を捕まえようと向かう。その魚がどの方向に逃げるかはわからない。だが湖の隅にいる魚なら、動きでどの方向へ逃げるのか、ある程度理解できる。
ウマ娘は魚以上にわかりづらいが、出来る時も少なからずある。観点は判断材料がどれほどあり、消去法で消していけるかだ。
顔ではもう無理と表現しながら加速していくウマ娘、その速度を保ち続けるか、失速するか、加速するか。実に面白い。そして可愛い。競馬が流行った理由がわかる。
さて、本題に戻る。今は「G1 宝塚記念」なんとエイシンフラッシュが逃げているのだ。この世界はエイシンフラッシュがヒロインな世界なのだろうか?
エイシンフラッシュは現在先頭、後続とは三馬身差。1600m付近、最終コーナーだ。
エイシンフラッシュはコーナー、それも下り坂道でありながら失速せず、むしろ加速して駆け下りている。目は問題だ。目がおかしい。視界の端に見えるゴールだけを見ている。目の前の事も、後続のウマ娘達も見ていないように見える。
脳裏にまるで映像のように今後が予測される。
最後の直線、2000m。下り坂道が終わり、上り坂道に変わるころ。上り坂道に対応することばかり考えていたのだろうか?下り坂道が終わる前に転倒する。最初に頭を打つ、その勢いは止まらず約40m程転がり続ける。勢いが止まったころには全く動かない。頭、足、腕、指全てが動いていない。頭からは血を流し続けている。止まる気配は全くない。
俺には生きているようには見えなかった。
この予知能力は外れた事の方が珍しい。少なくともレース関連で見えた予測で外れた事は未だにない。
怖い……どんどん進んでいく。だけど予測は消えることが無い。そしてエイシンフラッシュの走っているフォームが少し崩れた。
俺は我慢が出来ないと木から飛び降りるて観客席への雨を防ぐ為の屋根に飛び降りる。さらに屋根から飛び降り、芝生に下りる。すぐさま全速力で走る。
俺はゴールの右側にいた。ウマ娘達はこちらに向かって走ってきている。この距離はもしもの場合、エイシンフラッシュを助けられるギリギリの範囲だと予測した。目論見通り、このペースだとエイシンフラッシュを抱えたままレースコースの内側に駆け抜けれる。後続にも邪魔にもならない。
あともう少しという所で、スピーカーから不審者がいることを伝え、警備員を呼ぶ放送が響く。一瞬慣れない放送、それも俺に対してと言う事実に怯み、足が止まってしまった。背中に視線を感じる。
その瞬間、最悪の予測通りエイシンフラッシュの体勢が崩れた。俺は筋肉を擦り切らす勢いで動かす。熊との戦闘はこのときの為だったのか。
だが一瞬の怯みは取り返しのつかない。ギリギリ間に合わない。だから飛び込む。後のことは考えていない。判断は一瞬。チャンスも一瞬。逃す訳にはいかない。なんで他人にここまでやっているかは知らない。だけど、少なくともウマ娘は好きだ。これだけは覚えている。
想いが伝わったのだろうか。俺の手はエイシンフラッシュに届いた。
だがエイシンフラッシュは既に地面と平行気味だった。
体術は爺さんから教わった。最低限の技術も出来なければ熊を殺すことなんぞできんぞ?と鍛えられた。未だに熊を殺したことはないので本当に必要だったのか。それはわからない。だけどターザンごっこには役にたった。
右手でエイシンフラッシュの首、人差し指と中指で頭を支え、そのまま俺ごと一回転させる。エイシンフラッシュはその勢いを拒むこと無く一回転する。
勢いは少しだけ失速したが、依然として勢いだけで人が殺せるレベルには速い。
それを左足だけで勢いを止める。エイシンフラッシュより速く一回転して左足を地面に叩き付ける。初めて木から落ちた時の痛みが左足に集中する。未だに勢いが止まらないエイシンフラッシュの足が、まるで鞭のように左腕を直撃した。
だが気にならない。むしろ痛みによってアドレナリンが流れだし、思考を加速させる。
急いで右足で地面を更に蹴り、すぐさまエイシンフラッシュの回転する勢いを左脚で緩やかにする。右手はまだ首と頭の掴み、大切なものを胸に抱えるように前かがみになりながらレースコートの内側に背中から跳びこむ。
俺が地面に激突するのと同時にエイシンフラッシュの勢いが止まるのを感じた。右手でエイシンフラッシュの右手を掴む。そこで勢いが完全に止まった。
左足でエイシンフラッシュの脚を支え、右足は背中を支える。右手は右手を掴む。右肩が彼女の頭を支えている。左腕は肘から先の感覚がない。これは折れている。青紫に変色している。もうダメかもしれない。
彼女の右手も勢いと強く握りすぎて赤くなっていた。今気が付いた左足が痛い。熊の一撃がダイレクトに当たったんじゃないかと思うほどの痛みと危機感が俺を襲う。だが問題ない。少しだけ顔を歪むだけで済んでいた。
痛みには慣れていた。その程度でウメウメ泣いてたらサバイバル生活はできないぞ。
たぶんアキレス腱やっちゃってるんじゃないかな?あぁ……後悔先に立たずってことか。でも、まぁ……
右肩を枕にして意識が飛んでいるエイシンフラッシュの寝顔が見える。
良いことした……のかな?
今世で初めて誰かの為に、何かをした気がする。爺さんにも婆さんにも出来なかったことを誰かにすることができた。とても良い気分だった。痛みを忘れてしまうほど和んでいた。
「……んっ…ここは、?」
エイシンフラッシュが目覚めた。目がボーっとしておりまるで寝起きのようだ。
いや状況を理解し始めたというべきか。だがそんなことよりも大切なものはある。
「痛みはあるか?」
痛み、すなわちケガの確認だ。俺の中では完璧に守り切ったと思っているがあくまで予測だ。実際に確認する必要がある。
「…ない…です。」
依然として目はボーっとしている。状況を図っているようだ。
「今から動かしていくから痛かったら言って。」
そう言って、右腕、右脚、左脚の順番で軽く上下に動かしていった。
「どうだ?」
「大丈夫です。」
「それなら自分で左腕を動かして……次は頭。」
「痛くないです。」
「そうよかった。」
どうやら俺は彼女を守り切ったようだ。
「…レースは!?」
突如、思い出したように声を上げた。目を見開き、自分の意志で体を起した。
「終わってるよ。君は負けた。」
そう言うとエイシンフラッシュは一気に顔を順位結果が表示されている電子機器へ向ける。どんな顔をしているかはわからないが、もうちょっと確認しておく必要がある。
「君、今どんな状況かちゃんとわかってる?言ってみて。」
「状況…ですか?確か転んで…レース会場?」
気が抜けたように体をまた俺に預け、背もたれにしてくる。首を少しだけ傾けてえっと…えっと…目をぐるぐる回しながら思い出しているようだ。
「記憶に問題はないな。」
身体的にも精神的にも問題なさそうだ。
「えっと、助けてくれたんですか?」
目がはっきりと冴え、戸惑いながら聞いてくる。その質問に素直に答える。
「そうだな。」
「貴方は誰ですか?」
「不審者。」
「え?」
ポカンと目をまん丸にする。
「ほら、証拠に警備員の人があそこに固まってる。」
そう言って目線だけ観客席に向ける。彼女も戸惑いながら同じように目線を向ける。そして驚愕の声を上げる。
「え?」
観客はざわざわと騒がしいかった。実況者は順位発表を終えエイシンフラッシュの方を心配しながら見守っていた。警備員は言葉を失っている、そう表現するのが正しい。ただ立ち止まってこちらを見ている。出場したウマ娘達はこちらを警戒しながら立ち止まっていた。
動きがないからどうしたらいいかわからない、といった感じか。
「逃げないんですか?」
「…なんだって?」
こんどは俺が戸惑う番だった。
「えっと…不審者なんでしょう?逃げなくていいんですか?」
逃げる…それでもいいかもしれないが一生追われ続けるってのは気分が良くないな。サバイバル生活してるから時効まで逃げ切れそうだけど。だが選択肢はもともとない。
「生憎と逃げれないものでね。」
「なんでですか?」
「足を怪我した。」
「大丈夫なんですか?」
「いや、動けないレベルにはやばいね。」
痛みが大丈夫なだけで結構大問題だ。左脚が動かせない。足が微かに動くだけでも痛い。アキレス腱やってる。間違いない。経験ないけど間違いない。この状況で動かすなんて夢のまた夢。右足と右腕だけで逃げ切れるほどトレセンは甘くない。それに今動いたら、警備員の人たちも動き出すだろう。せめて役得をもうちょっと堪能させてほしいものだ。
エイシンフラッシュは熟考していた。そして跳ね上がるように立ち上がる。
「貴方は私を助けてくれました。今度は私が助ける番です。」
真剣な眼差しだった。本気で不審者を助けようとしている。そうとしか思えなかった。だが何を言っているのかいまいち意味がわからない。
「私が貴方を逃がします。」
そういいながら俺をお姫様抱っこをする。
「ちょっ!マッ!?」
声をあげた時には遅かった。エイシンフラッシュが走り出す。観客席の下にある道を通り、このレース会場の外へ走って行く。警備員は動かなかった。他は知らない。それぐらいしか見えなかった。とにかく足が、腕がいたい。
走る振動が直に伝わってくる。反射的に腕を胸に押さえ込む、だが足はどうすることも出来なかった流れのままに揺れていた。いままで感じたことのない痛みが俺を襲う。俺には必死に歯を食いしばることしか出来なかった。
・・・
「ここまで来れば大丈夫ですかね?…あの…不審者さん?」
「ぉお…おう……」
じっくり息を吐いて、吸う。そして返事をしながら辺りを見渡す。
街道だった。左には2車線の道路、右は住宅地。人が少しずつ集まっている視線を感じる。全然隠れてられていない。それにエイシンフラッシュは勝負服のままだった。民族衣装のようだ。赤と黒の縦縞に黒袖に胸が大きく開いている衣装。エッチだ。ビールが似合う女性だと思います。
「ありがとう…逃がしてくれて。それでは下ろしてくれ。」
「あ、はい。」
エイシンフラッシュがゆっくりとしゃがんだ。後は俺一人で下りられるという高さだった。左足を地面に下ろす。そして勢いよく立ち上がる。片足立ちをするためだ。だが右足は限界だった。僅かな揺れで激痛がくる。まるで狂いそうなほどだ。姿勢を維持出来ずに倒れ込んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ。ありがとう。後は一人で大丈夫だ。」
「そんな状態で何が大丈夫なんですか!」
「時間があれば大丈夫だ。」
俺は体勢を変え足を曲げて寝転ぶ。視線をとっても感じるが問題。というか最悪4足歩行だろうが片足片腕だけでも森に帰る。痛み?所詮感覚。たとえ二度と体の左側が使えなくなっても逃げてやる。
「私が連れて行きます。」
有無を言わさず、またお姫様抱っこされる。抵抗のての字すら出て来ない。
「君は帰るべきだ。」
「連れて行きます。」
エイシンフラッシュはムスっと顔をしかめる。頑固だ。何を言っても聞かない気がする。もう連れて行ってもらった方が早い気がする。このまま彼女のファンからの熱い視線を受けるのはごめんだ。
「真っ直ぐ、○○県まで行けるのか?帰った方がいいぞ。タクシー呼ぶし。」
「わかりました。電話はどこにありますか。」
「……ない。」
いまだに携帯電話は持っていない。契約が面倒くさすぎる。それに必要性を感じないからな。電話をかける相手は専属弁護士さんしかいない。
「…財布は?」
「ない。」
エイシンフラッシュの視線を感じる。だが俺は目どころか顔をそらす。直視できない。
盗見に必要なのは身軽さだ。余計な荷物、てか衣服以外は邪魔でしかない。もしも落としてしまったら大惨事になるから持ってないんだ。そもそも毎回持っていくの面倒くさいのだ。
「私が連れて行きます。○○県ですね。」
「そうだがすッ!!」
エイシンフラッシュは最後まで聞いてくれずに走り出す。またもや痛みが俺を襲う。そしてまた腕を押さえて歯を食いしばる。さらにこれは盗見の罪だと言い聞かせて我慢する。次こそは捕まらない…ぜったいに。
二人が○○県に入って少し森に突入したころにやっとエイシンフラッシュの速度が遅くなった。痛みも表に出さずにいれるレベルだ。
「もう大丈夫だ。」
「ここまで来たら最後までッッと、最後まで連れて行きます。」
エイシンフラッシュは転び掛けた。それは木の根っこに足をかけてしまったからだ。時間は夜。少しの月明かりを頼りに少しだけ整備された山道を進んでいた。
「仲間が心配しているぞ。」
「いまさら遅いです。ここまでくれば一日も二日も変わりません。」
うっそだろ。お前本当にエイシンフラッシュさんですか?
まぁ、確かに今さらその酷使した足でトレセンに帰るのは辛いだろう。タクシーに呼ぶにも電話がない。それにここまで来れば俺のログハウスの方が近い。一晩だけここで休んでもらって帰って貰うのが一番だろう。
「わかった。だが夜が明けたら帰れよ。」
「わかりました。」
そこから会話は無かった。次の言葉は森の暗闇が深くなり、その闇の途切れが見え始めた頃だった。エイシンフラッシュはやっと夜道になれた、というより森になれたという所だろう。
「わぁ……」
言葉を失うとはこのことだろうなと俺は思った。もちろん良い意味で、だ。
森が途切れてログハウスが現れた。丸太で作られたログハウス。月も綺麗に光っておりログハウスが輝いているように見えた。
「すまないが早く中に入りたいんだ。下ろすか、歩くかしてくれ。」
「あっはい。すみません。」
二人はログハウスに入っていった。扉をギシギシと動かす。開きにくいのは俺をお姫様抱っこしているだけが理由ではない。このログハウスは全てが木で作られているからだ。
ログハウスの中は椅子と机と棚とベッドだけだ。ベッドの布団だけは買った。ふわふわで上等な奴だ。湿気にも強い。
「もう大丈夫だ。下ろしてくれ。」
「わかりました。」
下ろされて片足で立つ。そこに痛みが伴うがあと少しだ。我慢できないレベルでは無い。また1つ痛みに強くなった。
「悪いが椅子は使わせてもらう。ベッドに腰掛けておいてくれ。」
「はい。」
エイシンフラッシュは大人しく腰を掛ける。はぁーとたっぷりと息を吐き、疲れた様子だ。それもそのはず4時間ぐらいは走ったはずだ。逆によくそこまで耐えた。
俺は棚からすごい草とやばい草とばちくそすごいドロドロした透明な草と木の板と糸と骨を削って作った小刃、ワセリンとガーゼとテープを取る。器用に右腕で全て持ちながらけんけんと片足で椅子に座る。エイシンフラッシュが何をしているの?と視線を感じるがだいぶ睡魔がヤバくなっているから急いで治療を行う。今気絶したら終わる。
…おっと、その前にばい菌と汚れを落とさなければ。
彼は椅子に座ってからボーッと数秒間考える様子を見せるっとハッとしたように立ち上がる。そしてベットの方へ向かいしゃがみこむ。ベットの下の空間から2Lペットボトルの水と木製の桶とビスケットを取り出す。
ビスケットは保存食。水は緊急用。雨が降ると川が泥水になるからなぁ。雨水で足らない時用に買っておいた。全然使う気配すらないけど。いや今使ってるから価値はあったね。桶はDIYのおまけだ。良い練習台であった。
「食べたかったら食べて。」
そういってビスケットはベッドのそばに置いておく。水と桶だけを持って再び椅子へ向かう。
そして左腕を机の上にのせる。強い一撃を受けただけでそれ以外に外傷はなかった。手首を持って少し、ぶらぶらと揺らす。直線のはずの腕が折れ曲がっている。間違いない、折れてます。骨折れてます。なので行うのはひいおじいさん直伝。対骨折治療法。
まずはさくっと水で左腕と左足の傷口を洗う。この桶本来の使用用途は雨水を貯めるようだったが、使えるものは使えるときに使っておくのが爺さんの教え。貯めて死ぬよか後先考えずに今使え。
やばい草を口にいれ、噛む。慣れた苦みが俺を襲う。このやばい草は痛み止めに効く。おまけとして気が紛れる。やばいくせに優秀な草だ。致死量を守れば死なないから大丈夫。もうひいおじいさんが試した。
次はワセリンをガーゼに塗りたくる。全て使う勢いで塗らないと死ぬぞ。傷口に引っ付いて死ぬ。その次はすでに黒に近い色になった皮膚を小刃で縦に斬る。皮を斬るのではなく肉ごと、ぎりぎり骨を切るかどうかのレベルまで斬る。そしてすぐさまばちくそすごいドロドロした透明な草を塗り込む。もはや草ではないが関係ない。出血死にならないように糸で皮膚を縫い合わす。そしてワセリンを塗りたくったガーゼをテープではる。後ろで悲鳴が上がっているが無視だ無視。手の甲の向きを気を付けて木の板と縄で腕を固定させる。
ちなみに腕と首を△のように固定はしない。そんなことをしたら自然に殺されるからだ。腕が使えなくても指は使える。作戦 命大事に、手足は道具。これひいおじいさんの遺言。そしてひいおじいさん直伝骨折治療法。これで治る。これはひいおじいさんと爺さんと俺によって証明されている。
だが問題は足だ。
足を今座っている椅子の上に持ってくる。
俺はいまその足を抱えるように座っている。本当にアキレス腱を切っているかわからないが治療法は変わらない。すごい草を塗り込んでガーゼはって、木の板で足が動かないように固定する。これ以上はどうしようもない。
強靭な肉体を信じろ。この体は何度も傷つき何度も治ってきた。今回だって治るさ。多分。
ワセリンとガーゼとテープと水と桶を持ってエイシンフラッシュの前の床に座り込む。もちろん右足で跳びながら移動する。
エイシンフラッシュはベッドに座り込んでいた。目を塞いで、見てられないと顔を下に逸らしていた。そこに声をかける。
「君、足見せて。」
エイシンフラッシュは最低でも4時間は人一人を抱えて走っていた。別に転んだ訳でもないので擦り傷や土埃がついている訳ではない。だが血の匂いがプンプンしていた。そんなの理由は一つしか考えられない。
靴擦れ。
そうじゃないなら、ないで問題だ。いったいどこを出血しているのか。知る必要はないかもしれないが、治療する必要はある。まぁ傷口洗ってワセリン塗ったら傷は綺麗に治る。
エイシンフラッシュは塞いでいた手の指を開きこちらを除いてくる。震えた声で
「な、なにをしていたんですか?」
と聞いてきた。
「治療をしてた。さぁ君も足見せて。多分、怪我してるでしょ。痛くないの?」
「………」
「もしかして靴脱げないの?」
「いえ!…ありがとうございます。」
エイシンフラッシュの声が元の声音に戻った気がした。少し痛そうに顔を歪めさせ、靴を脱ぎ、靴下を脱ぐ。
予測どおり踵の皮膚が剥がれ、赤く染まっていた。水ぶくれは無いようで良かった。
「まず水で洗う。痛いよ。」
「はい。」
桶を彼女の足の下へもっていく。そしてエイシンフラッシュに足を上に固定してもらう。速やかに水を流し、傷口の汚れを洗い流す。
「んっ…」
……治療行為。中途半端な痛みななせいで色っぽく声を我慢するような声だ。なんか変な気分になってくる。これもエイシンフラッシュの衣装のせいだ。エイシンフラッシュの衣装がエチエチオピアなせいだ。大丈夫だ。俺の体の血流の流れを読み取れ。細胞レベルで血管を読み取れ。肌の中から青色と赤色の血管がいつも見えていたはずだ。エイシンフラッシュの脚は色白く、美しい色だ。何考えてんだ俺…なんでエイシンフラッシュの名前が出て来た……欲求不満か?…よし、治療終わり。
傷口を洗って、ガーゼで傷口を塞いだ。よし。定期的にガーゼは変えないといけないがそれは病院に任せよう。
終わった……眠い。治療は終わらせた。これ以上の治療は行えない。眠い。片足で椅子に戻る。
腕と脚の痛みが戻ってきている気がする。やばい草を噛み飲む。それでも脚の痛みが酷くなっている気がする。酷くなる前に眠ってしまおう……寝れたら良いなぁ…
体の体重を椅子に全て乗せる。体全身の力が抜けていく気がする。彼女の声が聞こえて、体揺れる気がする。この椅子って揺り椅子だったけ…?…いや彼女の声が遠のいていく、うん…眠れる……
左腕が重力に従って太股の上から落ちていく。その顔は爺さんと同じように安らかな笑顔で眠っていっていた。