「何してるのよアナタ?」
「鍋(シチュー)に決まってんだろう! 見て分からねーのか!」
「分からないから聞いたんだけど……」
グエルの応えにミオリネは行き場の無い感情を持て余してはため息を重くさせた。
目の前にいる男グエル・ジェタークは、先の私闘を咎められたことにより学園内での生活基盤を全て奪われた者である。
一族の筆頭として将来を嘱望され、確固たる自信と成功の積み重ねにより今日まで生きてきた御曹司はとある事件にてその全てを失った。
グループ総裁である父親からの寵愛を失い、寮すらも追い出されたグエルが野外においてキャンプ生活に甘んじていると聞いたのはつい最近のことだ。
かつては自分の婚約者然として振舞われた因縁もあり、そして多少の私用もあったことから彼を訪ねたミオリネは今、屋外で鍋を相手にするグエルを前にして一種の思考停止状態に陥っていた。
あのグエルが? と思う反面、いやさだからこそ彼の行動に興味が湧くのは当然のこととも言えた。
故に……
「……何作ってるのよ?」
「のぞくんじゃねー、コノヤロー!」
しかめるよう眉元を寄せてはミオリネもグエルの作る鍋とやらを覗き込む。
飯盒を利用した鍋の中見は黒一色に見えた。
その表面には琥珀のような脂が無数に浮いては、湯の沸く水流に翻弄されて浮きつ沈みつを繰り返している。
お世辞にも上品な食べ物には見えなかった。そしてその感想は同時に、こんなものしか食べる物の無いグエルの境遇もまた知ることとなり、ミオリネに強い憐憫もまた抱かせる。
とはいえしかし、そんな最悪の見た目にも拘わらず香りは実に上品だ。
軽やかだが深みを感じさせる香りは鶏をベースにした出汁のように思えたし、中身を黒く見せていた物体の正体はホウレンソウのようである。
「何が入ってるのこれ?」
「お前、俺を侮辱しようってのか! 昼の弁当に入ってたフライドチキンとサラダのホウレンソウだ!」
ミオリネからの問いを今の身上を哂(わら)うものだと勘違いして怒りを爆発させるも、一方で質疑には真摯に応答するあたり粗暴ながら育ちの良さが垣間見えるグエル。
「こんなモノ食べずに食堂へ行けばいいんじゃない」
「俺にもプライドがあるんだ! 寮の連中がいるかもしれねー食堂になんか行けるかよ!」
故にグエルの食事は日に一度だった。
この学園における食事は共同の食堂において賄われるのが基本ではあるが、一部の例外として昼食時には弁当が配給されることがある。
これは野外実習に赴く生徒が時間までに戻れないことを考慮して配られるものではあるのだが、グエルは他の生徒に紛れてそれを受け取るのだ。
こうすればかつての寮友達と顔を合わせることもなく食事にありつける訳ではあるが、それゆえに回数はこの昼一回に限られてしまう。
人並み以上の恵まれた体躯を誇るグエルとあっては日常のカロリー消費も尋常ではなく、そんな肉体の求める食事をこの昼ひとつの弁当で慰めるにはあまりにも量が足りなかった。
故に考案されたのが……──
「──この鍋って訳ね」
「こうすれば嵩が増えるからな。調理に使えそうな食材は残しておいて、夕に鍋にして食うんだ。分かったらとっとと帰れ!」
所在無げにグエルが鍋を掻き回すと、他の具材に紛れてパスタの白い姿が水面を泳ぐ魚のようにちらりと伺えた。
そんな物も入っているのかとミオリネは感心する。
さしずめスープパスタの亜種だ。
揚げ物や焼き物の下に敷かれているあの無味無色のヤル気のないパスタではあるが、こうして他の具材と煮込まれることで立派な一品に仕上がっている。
そんなグエルの作る鍋を前にしてふと……ミオリネはこれの相伴にあやかりたいと思った。
元より土いじりの好きなミオリネはキャンプへの理解も高い。それゆえに屋外調理という非日常(イベント)感に、らしくもなく心躍らされてもいた。
ましてやあのグエルの手料理であるのだ。それの味見は、こんな場所へ足を運んだ労のねぎらいとしてはふさわしい物のように思えた。
故に傍らの調理台に置いてあった飯盒の蓋を手に取るとミオリネは、
「一杯よこしなさいよ」
さも当然の権利かのように、それをグエルの鼻先へと突き出したのであった。
他人などは慮らぬ上流階級層の性というべきか、ただ目の前のグエル汁を味わいたいという欲求に突き動かされているミオリネには、凋落した同輩への情といった気遣いは皆無に等しい。
「ふざけんじゃねー! ヒトの話聞いてねぇのか! これだって俺にはまったく足りてねぇんだぞ!」
当然の如くに怒りを爆発させてはミオリネを非難してくるグエルではあったが、その反応までを含めてこの若き経営戦略家は今の展開もまた見通していた。
「次に来るときはスレッタも連れてきてあげるわ」
放たれたミオリネの一言にグエルは怒りの表情に形を固めたまま完全に制止した。
さながらそれは決闘におけるトドメの一撃にも等しい。
ピンポイントでEMT(電動モーター)を貫いたミオリネの一撃はその正確無比さゆえに一瞬でグエルの心を停止させ、爆風はおろか火花のひとつですら上げさせなかった。
「なんだったら少しのあいだ二人きりにしてあげてもいいわよ? 私は理解のある妻だから」
「俺の意思は………要らないって言うのか!」
奪うようにミオリネから蓋を取るとグエルは鍋の汁を一すくいそこへ注いだ。
それを見守りながら、
「パスタとホウレンソウも入れてちょうだい。ちゃんと一品の料理に完成するようなバランスが大事なのよ? ──あとそこの大きい肉も入れて」
「何なんだ、お前はァー!」
かくしてシチューの半分近い量をよそらせると、意気揚々ミオリネは傍らの丸太へと腰掛ける。
飯盒の蓋に盛られたそれは、液状化寸前まで煮込まれたホウレンソウと水分を含んでうどんの如くに膨れたパスタにフライドチキンの断片と油とが浮き上がる、お世辞にも料理の体を為していない代物であった。
故に期待は膨らむ。
産まれも上流階級のそれならば、現在に至っても貴族のミオリネには『不味い物』を食べるという機会が無いからだ。
ましてやこんな同年齢の男が野外で昼の残り物を鍋で煮込んで作った代物など、味の見当はおろか、ミオリネの人生においても経験が無いものであった。
食に対する興奮を覚えている自分に戸惑いつつも、蓋の淵に唇をつけるとまずはスープの吟味をする。
予想通りに美味いと感じなかった。
というか薄い……その味わいたるや『スープ』などには程遠く、さながらに白湯の従妹の親戚を飲んでいるかのようだ。
しかしながら不思議なのは、けっしてそれが不味くは無いということだった。
薄味ながらも鶏本来の出汁はしっかりとスープ内に抽出されており、そこにホウレンソウの青い香りがまろやかにマッチして何とも清々しい。
ふと視線を上げると目の前では同じくにこのスープを味わっていたグエルがフライチキンの骨から軟骨を齧り取っている姿が見えた。
なるほど。ガラと一緒に煮込まれたが故の味わいだったのだ。
加えて小麦粉を原材料とするフライドチキンの衣が溶けて、絶妙なとろみもまたスープに付加されていた。
小麦粉のとろみと揚げ物の油が口中で一体化するにあたり、薄味のスープが何倍にも深みを増していた──この効果は計算しての企みか、あるいは組み合わせの偶然による妙か……ともあれグエルの作るスープは、その一時ミオリネを楽しませるには十分な味わいを持って彼女を持て成したのであった。
「はい、ご馳走様。酷いものね」
「くッ……かけらも残さずに完食しておいて……!」
食事前と変わらぬ取り澄ました様子で器を返すミオリネはグエルを見すらもしない。
一方で手渡される器の中身が洗ったかのよう整然としているそのギャップには、グエルも小憎たらしさを覚えずにはいられなかった。
「ま、アナタにしてはそこそこの接待だったわよ?」
「はあ? そもそも何しに来たんだよお前……」
三々五々、食後には珈琲すら所望してそれを味わうミオリネを傍らに、もはやグエルには声を上げる気力すらない。
食器とコンロの後片付けをしていると、ふとポケットの中の端末が旋律を奏でてはグエルに通知を伝えた。
何事かと思いそれを取り出して内容を確認すると、そこには誰でもないミオリネからのメッセージが届けられていた。
ざっと確認するにそれはいくつかの資料が添付されたファイルのようである。
「なんだこれは? おい、一体これは……──」
目の前に当人がいるというのにわざわざこれを送りつけてくる意図を測りかねて尋ねるグエルだが──上げる視線の先に、すでにミオリネの姿は無かった。
別れの挨拶はおろか、去り際の気配すら感じさせずに消えてしまったミオリネ……闇深くなる夜の中に灯された焚火の揺らぎを前に、グエルはつい先ほどまでのミオリネが果たして現実のものであったのかどうかすら分からなくなっていた。
「魔女め……」
舌打ちし誰に言うでもなく独り言ちると、グエルもまた腰を下ろし今しがた受け取ったファイルの内容を確認する。
企業資料のプレゼンよろしくに装丁の整えられた資料にはいの一番に、
『GUND-ARM Inc.における会社概要及び定款に関する報告』
──そんな文言が冠されていた。
訳も分からず、悪態めいてその会社名『株式会社ガンダム』を呟いては斜め読みに資料へ目を落とす。
独り身の夜長を慰めるにはちょうどいい暇つぶしなるだろうと読み始めたそれではあったが──数分後にはそこに書かれた内容に読みふけるグエルがいた。
パーメット有機リンク『GUND』、そしてそれの軍事使用における『GUNフォーマット』とMS『エアリアル』──それら技術を医療・福祉工学へと転用しようという試みと実現の方法こそが彼の会社の概要であった。
同時に脳裏には、
「次に来る時はスレッタも連れてくる……か」
ミオリネのそんな言葉が蘇っていた。
あれは単に自分をからかう為の言葉などではなかったのではないか?
今日に至るまで禁忌として秘匿され続けていた技術とそれが組み込まれたMS、それを駆るパイロットであるスレッタ・マーキュリー……そしてこの資料を自分へと渡してきたミオリネの意図を併せて考えた時──期せずして風に揺られた木立が、まるで心中を投影するかのよう不規則な葉音のざわめきをグエルの頭上で奏でた。
今まで穏やかであった森は、まるで嵐の前触れを思わせるような喧噪さに包まれている。
魔女の再来と過去の栄光の終焉、そして未知の始まり──
この瞬間グエルは、何か大きな運命の歯車へ自分が嚙み合わされたような気がして身震いを一つした。
【 終 】