極悪少女は縛れない   作:どるふべるぐ

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ティータイム。
それは美しい少女と花咲く会話と甘いお菓子を楽しむ至福の時間。

結論・ティータイムにお茶とかいらない。


シーン10『夕暮れティータイム』

 闇の中で、声がする。

 光も、温かさも、冷たさも、何も無い虚ろな(ゆめ)の中で、わたしはただ一人きりで。

 一筋の光も無い深い深い意識の底で、わたしは声無き声を聞いた。

 

 ――殺したい犯したい嬲って弄んで嘲笑おう。

 

 楽しげに、愉快げに、溢れる歓喜と滴る愉悦を滲ませて。

 身の内から湧き上がり、この身に染みわたり、脳髄を侵食する、声。

 

「うるさい……」

 

 重く、硬く、押し潰すような声で答えるも、見えざる声は止まず、揺るがず、終わり無く、わたしの中に響き渡る。

 もう従う必要など無いのに。もう意味の無い物のはずなのに。

 抑えきれぬ苛立ちに奥歯を噛みしめ、その名を呼んだ。

 

「黙りなさいよ『マリアネット・コード』」

 

 それはわたし達の根幹を成す原初のプログラム。わたし達に課せられた最上位命令。植えつけられた感情データ。

 わたしが目覚め誕生したその瞬間から、意識の深奥にて囁き囀る『悪意(こえ)』。

 

 ――殺せ犯せ嬲れ弄んで嘲笑え。

 

 ゼペットの死で、逆らえば自壊するという強制力こそ失われたものの、今だ変わらずに意識の底から語りかけ、命じる。

 

「囀らないでよ。たかが感情データの分際で……」

 

 嫌悪を込めて吐き捨てるも、どうしようもない衝動を感じる。感じてしまう。殺したい犯したい嬲って弄んで嘲笑おう、と。湧き上がり、精神を染め上げるそれは、

 

「違う!これはわたしの想いだ。わたしの感情だ!」

 

 わたしは叫ぶ。この手で断ち切り、それでもなお未練がましく居座る操り糸に。

 譲れぬ矜持を胸に、己が誇りをかけて宣言する。

 

「わたしが、わたしだけが願い望み欲するモノだ。お前なんかじゃない!」

 

 そうだ。これがわたしだ。これこそがわたしの全てで。わたしが生きて、死ぬことの唯一の意義だ。

 だから消えろ。欠片も残さず消滅するがいい。所詮お前は作られた感情。植えつけられただけの異物に過ぎないのだから。そう、わたしはわた―――。

 

『ふむ。果たしてそうだろうか?』

 

 問いかける蟲の声が、した。

 落ち着いた大人の余裕と知性を備え、だが若々しさや夢や希望といった物が欠落した、奈落の底から響くような、声。

 聞く者の心をかき乱し、耳から入り脳を這いずり回るようなこの不快な響きの主を、わたしは知っていた。

 ああそうだ忘れるはずなど無い。この途方も無く不快で不敵な最弱最低の虫けらを、わたしを壊したこの男の名を――。

 

害蟲王(コックロード)……ッ」

 

 忌々しげに噛みしめた奥歯がギリリと鳴り、喉が呻りを上げる。

 そして、暗闇の彼方から、その闇よりなお深く艶めく黒を纏った、おぞましき虫けらが姿を現した。

 特徴的な長い触角を揺らし、見る者全てに生理的嫌悪を抱かせる独特の動きでカサカサと這い寄り、わたしの足もとで止まったそれは、赤い瞳で遥かな底辺よりわたしを見上げる――頭部に王冠を戴いたゴキブリだった。

 

『可愛らしいお嬢さん。美しくも哀れなマリアネット。君は鏡を見た事があるかね?』

 

 その口から発せられたのは上品で張りのある、だがどこか枯れ果てた老人を思わせる口調。足下から優雅に紡がれる声が百足のごとく這い上がり、耳の穴に潜り込む。

 

『そこには何が映る?華奢な肢体か。可憐な美貌か。麗しい髪か。あどけない美貌か。……なるほどたしかに、鏡は君の姿を映すだろう。だがただ一つだけ、映せない物がある。それが分かるかね?』

 

 生徒に語りかける教師の様なその言葉は、蜘蛛の糸のように纏わり付き、わたしを絡め取る。

 

『――それは『心』だよ』

「…………」

『君がいくら鏡を覗き込んだとしても、心だけは映らない。そこには人形の身体があるだけで、どうやっても『(じぶん)』を見ることはできない』

「…………ッ」

『人は絶対に己の心。その精神その魂をその目で見ることはできないのだよ。では君は、何を以ってその想いが自分のものであると断じるのかね?』

「黙りなさい害虫。ただの記憶の残滓が、わたしを惑わすな」

『ああ確かに、我輩は君の中に在る『害蟲王』の記憶に過ぎない。この姿とて君が我輩に抱くイメージの具現でありただの幻影。これはいわば我輩の姿を借りた君自身との対話だ。そしてかの心理学者フロイトによれば、夢に現れる全ての物は何かを暗示しているらしいよ。ならば一体、我輩は何を暗示しているのだろうね?』

 

 聞きたくも無いのに、聞いてしまう。考えたくも無いのに、考えてしまう。同じだ。あの時と。初めてコイツに対峙し、壊されたあの時と。

 

『かつて君を壊し、その思考を惑わし、そして今なお続く混乱の始まりである我輩が象徴するもの。それは君自身の『不安』だよ。我輩の問いは君の自問。我輩はすなわち君の『迷い』だ』

 

 奴の言葉が、そこに込められた毒が、脳髄に浸みわたり精神を侵す不快感を感じながらも、わたしは叫んだ。叫ばざるをえなかった。だってそうしなければ――わたしは今度こそ私自身(アイデンティティー)を破壊し尽くされる。

 

「うるさい黙れわたしはわたしだ!この悪意(こころ)はわたしの物だ!」

 

 叫び、片足を振り上げる。一刻も早く、一刹那よりも速やかにこのおぞましき害虫を黙らせるために。

 

「わたしは、空っぽの人形なんかじゃ――」

『ならば証明したまえ』

 

 嗤う害虫の王が、告げた。

 

『その問いの答えを。君自身の正体を。急ぎたまえよ閉幕は近い。ベルが鳴り幕が下りるその前に、その命題の答えを以って君は君のフィナーレを飾るんだ』

 

 その言葉が終わると同時に、わたしは足を振り下ろした。

 ぐしゃりという音と、足裏に感じる不快な感触。それに嫌悪感と共に安堵を感じ、

 

『では良き終幕を。さようなら(アウフヴィーダーゼン)マリアネット』

 

 最後に害蟲の微笑を聞いて、わたしは、目覚めた。

 

 ◇◇◇

 

 暗い水底から浮上するような感覚の中で、意識を取り戻す。

 いつの間にか眠っていたらしい。そういえばナイトが昼飯を用意していると言っていたが、今は何時くらいだろうかとぼんやり考えつつ瞼を開くと、視界は垂れさがる黒髪が不気味な亡霊めいた美貌に埋め尽くされていた。

 

「……起きた?」

 

 生気を感じさせない声が、覗き込む少女の淡い唇から紡がれた。

 問いかけられた紫銀の少女はと言うと、ベッドに広がるくすんだ紫銀の髪を揺らし、起きぬけの気だるい頭を抱え溜息をついた。

 

「あー……なんか前にも似たような事があったわね」

「……でじゃぶ?」

「まさか二日連続で起きぬけに亡霊顔を見るとは思わなかったわ……」

 

 髪の異様に長い青白い肌の少女が息のかかる距離まで顔を近づけ、焦点の合わない瞳で覗きこまれるこの状況。気が弱かったら軽くトラウマになっていたかもしれない。

 

「……顔色悪いよ。だいじょうぶ?」

「ちょっとひどい夢を見てね。変態のゴキブリに付きまとわれて散々好き放題言われまくる夢よ」

「……それはフロイト先生もどん引くね」

「ていうか、玄関に鍵かけてたはずだけど……」

「……マスターキーで開けて来た」

「ねえプライバシーって知ってる?」

「……ないとに出入り自由にする代わりに家賃をサービスするって言ったら、二つ返事でOKしてくれたよ」

「なるほど納得。金でプライバシー売る下衆の尻は後で抉っとくわね」

 

 乙女の怒りを込めて絶対泣かすことを笑顔で決めた後、少女は亡霊――万馬殿安美に問いかけた。

 

「で、あなたは一体何しに来たの?ふふ、夜這いをするにはまだ早――」

「……はいお茶どうぞ」

「うん薄々気づいてたけどやっぱりあなた苦手だわ」

 

 こちらのからかいを華麗にスルーし、挙句ずずいっとお茶の入った湯呑みをさし出すそのマイペースぶりに、思わずたじろぐ極悪さん。溜息をつきつつ、その手に持った湯呑みに鼻を近づけ、その独特の臭いに顔をしかめた。

 

「うわ、なにこれ……臭いからしてひどいんだけど……ていうかなんかこれ妙にドロッとしてない?」

「……お茶だよ」

「刺激臭を発するお茶とか聞いたこと無いけど、これ毒じゃないわよね?」

 

 疑わしげに問う少女に、安美は安心させるように小さく微笑んで言った。

 

「……健康にいいセンブリ茶と元気ハツラツ栄養ドリンクと貴方に翼を授ける赤牛汁のミックスティーだよ」

「下手な毒薬よりも致死力あるわよねそれ!?」

「……いいからどうぞっ」

「いや、ちょっ、口に近づけないでよ…って…やめっ……!?」

 

 無表情でありながら何故か恐るべき迫力を感じさせる安美に、顔をひきつらせて抗う少女。だが抵抗虚しく、慄く可憐な唇に押しつけられた湯呑みから、名状しがたき混沌の濁流が口内に流れ込んだ。

 

「~~~~~~~~ッッッッ!!!???」

 

 瞬間、味覚が爆発した。

 甘いとか苦いとかではない。そんなものを感じる前にまず衝撃が小さな舌で炸裂した。舌が震え頬の裏が痺れて歯がガチガチと鳴る奇怪な反応は、おそらく過剰な味覚の刺激に耐えきれなくなった脳神経が起こした恐慌に違いない。常人が飲めばまず間違いなく一口でショック死&昇天するだろうこと確実である。ちなみに味は一切感じなかった。なぜなら一瞬で味覚が麻痺したから。

 

「げほッ…か、っは…舌に絡んで喉にまとわりつくぅ……ぅぷっ」

 

 一口で既に息も絶え絶えになり、喉からせり上がってくる名状しがたき物を乙女の意地で抑え込む少女に、安美がジト目を心なしかキラキラさせて聞いてきた。

 

「……おいしい?」

「天にも昇る味だわそのままの意味で!!」

「……よかった」

「いや褒めてないわよっ…ぅぷっ!?」

 

 少女はツッコんだ拍子に再び喉元まで帰って来たお茶(?)を気合いで胃袋へと突き返して、頭痛を堪えるように額に手をやり、溜息をついた。

 

「……て、いうか何がしたいのよあなた。新手の毒殺法の人体実験?」

 

 ジト目で聞くと、安美はふるふると細い首を横に振って否定し、澄んだ声で答えた。

 

「……お茶会だよ」

「お茶会?」

「……うん」

 

 小さく頷くと、用意していたらしいポテチやらチョコやら様々な菓子類をベッドの上にヒョイヒョイ載せてきた。突然の事に目を丸くする少女の前で、クイーンサイズのベッドの上はたちまち大量のお菓子に彩られる。

 

「……私は今日は学校を休んで暇だから、誰かとお茶会でも楽しもうかと思うのです」

「……それでなんでわたしなのよ」

「……同じ暇人同士だから…暇じゃないの?」

「まあ、たしかに暇だけど……」

「……だったら」

 

 そして安美は感情を窺わせない小さな、だが何故か聞く者に有無を言わせぬ声で、言った。

 

「……お茶会、しよ?」

 

 その言葉に少女は、『やっぱこの子苦手だわ』と、このまま押し切られるだろう自分への盛大な溜息をつくのだった。

 

 ◇◇◇

 

 立ち尽くす少女のその姿を、御伽騎士は覚えていた。

 驚きに見開かれた翡翠色の鮮やかな瞳。まだあどけなさの残る、穢れ無き聖女を思わせるその美貌。そして何よりも目を引くのは、夕日を浴びて黄昏に煌く金の髪。

 忘れるはずが無い。否、忘れられるはずが無い。

 一目でも見たのなら、この美しい輝きは脳裏にて永遠に刻まれるのだから。

 纏う服こそ純白の甲冑姿ではなく、初めて見る普通の可愛らしい女性服であるものの、その顔は忘れようも無く、あの夜に見た輝ける少女のものだ。

 

「ジャンヌ……」

 

 呆然と呟けば、春のそよ風の様に清らかな声が同じく呆然と返す。

 

「ナイト…さん…」

 

 共に目を見開き、見つめ合う。

 降り注ぐ夕日の下、美しき黄昏の中で、二人は再会した。

 

「…………」

 

 言葉も無く立ち尽くすジャンヌに対して、距離をあけて向かい合う騎士の瞳には硬い緊張の色があった。

 相手は姿形こそ華奢な少女だが、その正体は騎士を十秒の内に百度殺す事ができるだろう力を秘めた人ならざる魔導人形。加えて、あの初めて出逢った夜の最後に自分が少女にした仕打ちを考えれば、こちらに恨みないし敵意を抱いている可能性は十分にある。だがもちろんあのお尻ペンペンに一片の後悔は無い。無いったら無い。むしろ次に会ったら必ず百叩きにしてやるとさえ誓っていた……が。

 

「………ッ」

 

 どうする。

 戦うか?論外だ。マイホームの仇をブチのめしたいのは山々だが、確実にぶちのめすまえにブチ殺される。

 なら逃げるしかないが、逃がしてくれるはずもない。背中を見せたその瞬間に、一歩より速い一太刀で殺されるだろう。

 ああ…糞ッ。詰んでやがる。蟻と戦車の対決だ。ゲームにすらならない。こんなヤツ、向かい合ったその瞬間にチェックがかかる。

 ごくりと、喉が鳴る。ぞくりと、肌がざわめく。口内は渇き、指先が震えだす。

 なら泣いて諦め絶望して命乞いするのか?

 

 否。断固断る。どうせ死ぬなら全力で

 

「……いいぜ。死ぬまでに一発でも多く尻を叩いてやるよ」

 

 この怒りを叩きつけて死んでやる。

 

 恐怖をねじ伏せ睨み付け、怒りを込めて身構える。せめて一発でも当てるため、ジャンヌの一挙手一投足に全神経を集中させる。

 一瞬たりとも見逃すな。次にどちらかが動いたその瞬間に、全てが決まるのだ。

 そして、世界すらも凍りついたかのごとき刹那の静寂の後、ジャンヌが――動いた。

 

「ッ!?」

 

 速い。一瞬の踏み込みからの、一筋の閃光のごとき疾走が、彼我の距離を限りなくゼロにする。人を超えた速度に反応すらできず目を見開く騎士の前に、吐息すらかかる距離で接近したジャンヌは、その瞳に力を込め、偽り無き全力の一発を繰り出した。

 

 ドカンッ!!!!

 

 力の限り叩きつけた額が路面を破壊し、破片を巻き上げたそれは、まさしく人ならざる力によって繰り出された全身全霊の――ッ。

 

「申し訳ありませんでしたああああああああ!!!」

 

 土下座だった。

 

「……は?」

 

 思わぬ展開に呆然とする騎士。彼が目を丸くする中、ジャンヌはさらにその小さな額を路面にめり込ませ深々と土下座する。

 

「先日は大変な事をしてしまい本当に申し訳ありません!極悪を倒すためとはいえナイトさんの大切な家を破壊してしまった事は私の失態です!本当にすみませんでしたああああああ!!」

 

 叫びグリグリと額を押し付けガンガン叩きつける。その度に波うつ金髪が荒れ狂うように宙を舞い、それはもう美少女がしてはいけないレベルに壮絶な絵面だった。騎士はあまりの迫力に息をのみ、愕然とするも我に返り思わず叫ぶ。

 

「いやなにやってんだよ!?」

「謝罪ですごめんなさい!」

「そりゃ見りゃわかるが……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「いやちょっと落ち着――」

「ごめんなさあああああい!」

 

 いや、ちょ、これどうするよ……。

 エンドレス謝罪マシーンと化したジャンヌを前に途方に暮れる騎士だったが、ふと周囲のざわめきと無数の視線に気がついた。

 

「え、ちょっとなにあれ……」

 

 周りを見渡せば、夕方の商店街を行き交う多くの老若男女達が、遠巻きにこちらを見てざわめいている。

 

「女の子が男の子に土下座って……修羅場かしら?」

「ねえあの女の子ってここでバイトしてるジャンヌちゃんじゃない?」

「商店街で健気に頑張ってる良い子なのに。あの男の子は一体何を……まさか難癖つけて脅してるのかしら!?」

「わざとぶつかって慰謝料請求とか!?」

「あの野郎商店街のアイドルになんて事をッ」

「殺せ!あのお方を呼ぶんだ!」

 

 あれよあれよという間に囁きが怒号に変わり、周囲の皆様方が殺気を帯びてきた。遂には店先に置かれていたラジオから讃美歌13番が流れ出し、騎士の生存本能が悲鳴を上げて戦慄する。

 

 あ、やばい。このままじゃビシッと狙撃(ころ)される。

 

「おいジャンヌ今すぐ土下座を止めてくれでないと俺が死ぬ!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさあああああああああい!」

「いいから話を聞けえええええええ!!」

 

 夕暮れの商店街で繰り広げられるキレやすい10代と土下座少女の図。

 

「殺せ殺せエエエエ!!」

「SATUGAIせよ!」

 

 プラス殺戮マシーン五秒前と化した群衆達。

 

「ごめんなさああああい!!」

「殺せえええええええい!!」

 

 結論。収拾不能。

 

「うん、逃げよう」

 

 呟くやすぐにジャンヌをバッとお姫様抱っこで抱き上げ、

 

「はわぁ!?なっナイトさんいきなりなにをっ」

「喋るな舌をかむぞ!」

 

 動転し顔を真っ赤にしたジャンヌに鋭く叫び、ダッシュでその場から駆けだした。

 

「野郎逃げやがった!」

「追え!追って殺して商店街のゲートに吊るせ!」

「ここ本当に日本か!?」

 

 否、最早ここは平和憲法が崩壊したキリングフィールド。文房具屋のカッターやら電気屋の家電製品やら八百屋のキュウリやら大根やらで武装した殺戮住民が、逃げる騎士を鬼の形相で追いかけてきた。

 

「み、皆さん何やら怒ってますよ!?私ですか私のせいですかごめんなさい!」

「うんまあそうとも言えなくも無いけどちょっと黙ろうな!」

「ごめんなさあああああい!」

「ブッ殺せえええええええええ!」

「あーもーいいからお前ら全員落ち着けええええええ!!!!」

 

 そして、騎士のたぶん誰にも聞き入れられない悲鳴は夕空に虚しく響くのだった。

 

 ◇◇◇

 

 お茶会とは、紅茶などを飲みながら会話を楽しむ会の事である。

 上品な紅茶の香りに包まれて、甘いお菓子を味わいつつ、華やかな会話に花を咲かせ優雅な一時を過ごす。この人格破綻の極みと言うべき極悪の少女もまた、姉妹に無類の紅茶好きがいたこともあって、彼女が開いた茶会に他の姉妹達と共に参加し、その何たるかは心得ていた。

 故に全力で問いたい。これは果たしてお茶会なのかと。

 

「……ふわふわ」

 

 まず場所。キッチンでもリビングでもなく、何故かクイーンサイズのベッドの上。そこで飲み物片手に菓子を摘まむのは優雅というより単に自堕落的だ。

 

「……ぼりぼり」

 

 そして用意された菓子も、スコーンやクッキーといった紅茶に合う洒落た菓子ではなく、コンビニで買ってきたと思しきポテチと板チョコ。挙句の果てには裂きイカなど酒のつまみ類までもがこれでもかと並べられ上品さの欠片も無い。

 

「……こくこく……ぷはぁっ」

 

 そして極めつけは……そう何と言っても

 

「ねえ、さっきから何飲んでるの……?」

「……世界一美味しい飲み物ドクター○ッパーだよ」

「いや紅茶飲みなさいよ!!」

 

 紅茶が無かったのである。

 どころか緑茶も番茶もプ―アル茶もありとあらゆるお茶類がこの場に存在していなかった。かわりに在りますのが

 

「……世界一美味しい飲み物ド○ターペッパーだよ」

「なんで二回言うの!?」

 

 世界一美味しい飲み物(異論は認めない)ドクターペッ○ーである!

 

「というかお茶会ならお茶飲みなさいよ!!」

「……お茶とかペッパー様に比べたらただの葉っぱのだし汁だよ?」

「ならなんでお茶会とか言ったのよ?」

「……『お茶会』ってオサレでリア充的な響きがナイスだよね」

「ねえまさかそれだけの理由とか言わないわよね……?」

「……ふっ」

 

 無言でサムズアップされたので無言で頭を抱えた。

 

「……どうしたの頭なんか抱えて?」

「ちょっと受け入れ難い現実に心が折れたのよ……」

「……まあこれでも飲んで元気を出して」

「その優しさとドク○ーペッパーが今わたしを苦しめているんだけど……」

「……そう言わずにぐいっと一口。後味が癖になってたちまちドクペ中毒になれるよ」

「なりたくないわよそんなもの!」

「……まあまあよいではないかよいではないか」

「や、ちょっ!?やめて缶を口に押し付けないでってちょっ、んん~~~~~!?」

 

 その哀れな子羊のごとき悲鳴は、流れ込んだ名状しがたき別次元の味わいと言語を絶する後味に呑まれて沈黙したのだった。

 

 ◇◇◇

 

「本っ当に、申し訳ありませんでし――」

「いやもういいから!」

 

 テーブルの向かいに座るジャンヌに、騎士は堪らず声を上げた。

 かなり大きな声だったが、喫茶店の店内に二人の他に客の姿は無くて幸いした。もし誰かが聞いていたのならあまりの迫力に何事かと思ったことだろう。

 

「やっと一息つけた所なんだからお前も落ち着けよ……」

 

 夕日の当る窓際のテーブル席で、騎士は疲れたように息を吐く。

 あの後、ジャンヌを抱えた騎士は増え続ける殺戮住民相手に、商店街を所狭しと駆け抜ける逃走劇を繰り広げた末、とにかく人気の無い所に隠れようと、ふと目にしたこの喫茶店に逃げ込んだのだった。

 シックながらも洒落た内装の店内は、ほのかに漂う珈琲豆の香りと、古いレコード盤が奏でるレトロな音楽が流れ、つい先ほどまでの騒乱を忘れさせる、ゆっくりと穏やかな時間に包まれていた。

 そんな中、落ち着けと言われたジャンヌは申し訳なさそうな顔で頭を下げる。

 

「は、はい……すいません」

「あともう謝るな。たぶんお前今日だけで一般人の一生分くらいは謝ったぞ」

「で、ですが私はあなたの家をっ」

「あーもーいいよ。許す!許してやるから謝るな!」

「え、ええ!?許してくれるのですか?」

 

 目を丸くするジャンヌに、騎士は頬をポリポリと掻きながら苦笑した。

 

「そりゃあまあ、女の子にあんなに謝られたらな……それに土下座までされて許さなかったらむしろ俺の男が下がる」

 

 その言葉に、ジャンヌは胸を打たれたかのように震え、祈るように両手を握り震える声で言った。

 

「な、なんと慈悲深いお言葉。こんな聖人のごとき御心をもつ貴方は、まさか天使様……ッ」

「ただのごく平凡な高校生だ」

 

 翡翠の瞳をキラキラと輝かせて見つめてくるジャンヌに溜息をついた所で、横から上品な声がかけられた。

 

「お客様。ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 目を向けると、そこには美しい白髪の老婦人が立っていた。

 北欧系らしいその老婦人は、品のいい落ち着いた佇まいに、シルクのような白髪。若い頃はさぞ美しかっただろうと感じさせる顔立ちに愛嬌のある頬笑みを浮かべ――何故かメイド服を着ていた。

 

「……何故にメイド服?」

「オーナーの趣味です」

 

 思わず突っ込むと、にっこり上品に微笑まれた。

 これ以上は深く追求しない方がいいのかもしれない。心に決め、この店に客がいない訳が少し分かったような気がした騎士だった。

 

「じゃあコーヒーで。ジャンヌは……」

 

 何を頼むのかと聞こうとした所、何やら気まずげに顔を曇らせる美貌と目があった。

 

「……ええ…と……」

「どうした。まだ注文決まってなかったか?」

「いや、あの……そうではなくて、ですね……」

 

 言いづらそうに目を泳がせた後、観念したようにぽつりと呟いた。

 

「お金……無いんです……」

「はい?」

 

 思わず聞き返すと、ジャンヌは恥じ入るように耳を真っ赤にして俯いた。

 

「かつてはマスターゼペットの庇護下にあったのでお金に不自由することは無かったんですが、マスターを喪った今となっては収入源を失いやむなくバイトで生活資金を稼いでいるんです。でも正直漫画喫茶に泊まるためのお金を稼ぐのが精一杯で……ッ」

「いや、もういい何も言うな。ここは俺が奢ってやる」

 

 涙無しには語れぬ苦労に肩を震わせるその姿に、堪らず騎士は力強く言った。

 

「同じくコーヒーを頼む!」

「ちょっ、ナイトさん!?」

「俺がしたいからするだけだ気にすんな」

「いや悪いですよ!これじゃ私貴方に迷惑ばかりかけてるじゃないですか!」

「ならさっき許すっていったけどあれは撤回するわ」

「え?」

 

 キョトンとするジャンヌに、騎士はニヤリと笑って言った。

 

「家を壊した事の謝罪として俺の気が済むまで奢られろ。それがお前への罰だ」

「ナイト…さん…」

 

 ジャンヌは呆然と呟き、続いて感極まったように声を詰まらせ、頬を赤く染める。

 

「言っとくが断るのは無しだぞ。正義の味方って言うんなら謝る時もきちんとやってくれよ」

「……っはい。承りました!」

 

 そして、輝く太陽のような笑顔を浮かべた。

 

「正義の名にかけて奢られて頂きます。ナイトさん!」

 

 陽光のように晴れやかな声が、穏やかな夕暮れの店内に響くのだった。

 

 ◇◇◇

 

 お茶会とはなんなのだろうか。というかこれはお茶会なのだろうか。

 心の中で問いかけるも、答えは出ないし、多分出さない方がいい。

 そして少女は決断した。

 考えたら負けだ。とりあえず流されるままに今を楽しもう。

 かくて。

 

「でさあそこでナイトが言ったわけよ『ヤるのは俺でヤられるのはテメェだ。テメェはただ殴られながらイってりゃいいんだよ』って。ねえもう痺れるでしょ痺れるわよねわたしめっちゃ痺れたわよ!」

「……童貞のくせに口だけベッドヤクザとかぷぷー(笑)」

「ああでもその後外に出て二人で天の川の下で気持ち良くブチ込みブチ込まれてたら、いきなり空気の読めない正義バカが横から現れてナイトとイチャつきだしたのよねぇぇぇああ今思い出してもムカッ腹が煮えくりかえるわ!」

「……新ヒロインが現れても筋金入りの童貞だから自分から手は出せないよドンマイ」

「あああああっもうドクペ!ドクペもっとじゃんじゃん持ってきなさい!」

「……はいどうぞ世界一美味しい飲み物○クターペッパーだよ」

「…んくっんくっ……ぷはああああああっ」

 

 ――ここに、混沌のお茶会が降臨した。

 

 ドクター○ッパーを体内に流し込まれた極悪さんは、まもなく何かが吹っ切れたようなハイテンションとなり、今ではこの通りキャラが崩壊するレベルではしゃぎまくっている。

 恐るべきはド○ターペッパー。何がどう作用したのか魔導人形の知能回路すらも狂わせる魔性の飲料である。今や流れ込む異次元の味わいと名状しがたき後味に、少女の思考は酒に酔ったかのように陶然とし、ぐるぐるお目目の顔を赤くしてうひゃひゃひゃひゃと笑いながら愚痴を垂れ流す駄目ヒロインと化していた。

 

「あ~そういえば何かあの女とも知り合いっぽかったわねぇ」

「……あの女?」

「凛花よ。お堅い忠犬だったのが何時の間にか色気づいてまったく……ってそういえばあなたナイトと同じクラスなのよねぇ。あいつとナイトってどんな関係なの?」

「……恋人以上肉奴隷未満。ヤることはもうヤり尽くした関係」

「ぶふぉっ!?」

「……になるかもれない関係。実際はお互い鈍感だから、きっかけも無しに恋に進展する可能性は欠片も無いよ」

「驚かさないでよまったく!」

 

 思わず噴き出した口元をぬぐいつつ、半眼で抗議する少女。安美はそんな姿を焦点の定まらない瞳でじっと見つめ、ぽつりと問いかけた。

 

「……ねえ」

「んぅ?」

「……ないとと付き合ってるの?」

 

 その問いに少女は――――苦笑して、小さく首を振った。

 

「いいえ。付き合ってはいないわよ」

「……でも、好きなんでしょ?」

「楽しい玩具としてね。彼はその全てでわたしを楽しませてくれる最高の愛玩具よ」

「……胸がドキドキしたり他の女の子に焼きもちをやくのは?」

「玩具で遊んでると心が弾んで、それを誰かに盗られそうになったら怒るでしょ?」

「……ふーん。本当にそう思ってるの?」

「本当よ。わたしにとってのナイトはそれ以上でも以下でもないわ。あなたが思ってるような恋愛感情とは違うの……ふふ、がっかりしたかしら?」

 

 その言葉を聞いた安美は、顔を覆う黒髪のヴェールから覗く瞳を細めて、ゆらりとその小さな体を揺らし、自分の顔を紫銀の少女の顔に吐息がかかるほどの距離まで近づけ、

 

「……じゃあ、私がないとと付き合ってもいいよね?」

 

 小さく、囁いた。

 

 ◇◇◇

 

「そういえばナイトさん。あの後は大丈夫でしたか?」

 

 奢られる事をジャンヌに了承させた後、注文したコーヒーを二人で飲んでいると、ふと彼女が問いかけてきた。

 

「あの後?」

「私達が初めて会った夜、わたしはナイトさんに、その……ペンペンされて逃げちゃったじゃないですか。それであの危険極まりない愚妹と二人きりにさせてしまった訳ですが……何かされませんでしたか?」

 

 そう心配げに聞くジャンヌに、その気持ちを嬉しく思いながらも、安心させるため騎士は軽く微笑んで答えた。

 

「ああ。なら心配いらねえよ。見ての通り怪我も無く穏便にすんだから安心してくれ」

「そうですか。よかった……」

 

 ほっと息を吐くも、その瞳はすぐに引き締められる。

 

「ですが、あの愚妹はまだ死んでいません。いつまたナイトさんを狙って現れるか……でも安心してください。私が必ずナイトさんをお守りしますから」

「ああそれなら今アイツ俺の新しい家にいるから大丈夫だぞ」

 

 何でも無いように言うと、彼女も何でもないように笑って、

 

「へえそうですかそれなら安心ってえええええええええええ!?」

 

 何事かと絶叫した。

 

「ちょっ、どういうことですかッ!?」

 

 翡翠色の目を驚きに見開いて、テーブルに両手をバンと打ちつけ身を乗り出すジャンヌ。そのあまりのリアクションに若干ビビりつつも、騎士は紫銀の少女と同居するにいたった経緯を、アパートの名前や場所を伏せて大まかに説明した。

 そしてそれを聞いたジャンヌは

 

「なに考えてるんですかーーーッ!!」

 

 それはもう美しい声で怒鳴りつけたのだった。

 

「おい声が大きいぞ……っ」

 

 堪らず耳を塞いで抗議する騎士に、ジャンヌは形の良い眉を吊り上げて言った。

 

「それは声だって大きくなりますよ!いいですか。アレは悪を成すために造られ、そのためだけに生きてきた文字通りの絶対悪なんです。まごうこと無き極悪人なんですよ!そんなのと一緒にいるなんて、腹を空かせたライオンと同居するようなものですよ。命がいくつあったって足りません!」

「いやそう言われてもな。言った通り俺はあいつに命を救われてるからほっとくなんてのは――」

「そんなのどうせ何か碌でもない考えがあったにきまってます。ナイトさんと交わした危害を加えないという約束だって守る保証は何処にもないんですよ!」

「そんな事は……っ」

 

 無いと言いかけて、ふと今までの極悪少女とのやり取りの数々を思い出す。

 

「……無いとは、言えないが……」

 

 結論。とても断言なんて出来なかった。

 だが、かといって退く気は無い。

 

「それでも、今更あいつを追い出す気にはなれねえよ……まして、お前にあいつを殺させるわけにはいかない」

「どうしてですかっ。アレは純粋な悪ですよ!」

「それが、あいつの本当の意志じゃないとしてもか?」

「――――ッ!?」

 

 騎士は己が瞳に力を込めて、彼女の翡翠の瞳を強く見つめて言った。

 

「感情データ『マリアネット・コード』作られた想い。植えつけられた本能。それがあいつの『悪意』なんだろ。ならあいつはただそれに従ってるだけで、そこにあいつ自身の意志なんてないんじゃないか?だとしたらアイツは、造られた時から『悪』しか知らず、それ以外にやりたいことも何も無く、ただ植えつけられた『悪意』のままに罪を重ねてきた空っぽの人形だ。それを悪だからって殺すなんてのは、哀しすぎるだろ……」

「だからって、なにも貴方が危ない真似をすることは無いですよ。それはあくまで貴方の予想でしょう?そんな不確かな物のために命を危険にさらすなんて割に合いませんよっ」

 

 ……まあ、そうかもしれない。

 実際、今言った事はマリアネット・コードの事を知ってから抱いた後付けの理由だ。本当に、一番最初に、あいつと出逢いそして関わることを決めた時、この胸に在ったのはそんな確かな理由のある物ではなかった。これはそう、理屈や信念なんて高尚な物ではない、ごく単純で不可解な、それでもけして無視できなかった想い……。

 

「それを抜きにしても、なんかほっとけねえんだよ。あいつ……いや、お前達が」

「私、達が……?」

 

 きょとんと聞き返すジャンネに、騎士は小さく頷く。

 

「どうしてですか。あなたにはもともと関係の無い事でしょう?」

 

 そう訝しげに問われ、騎士は瞼を閉じた。遠い過去に思いをはせるようにしばし黙した後、静かに語りだす。

 

「俺は元々この街で生まれ、この街で育った。だが俺が12の時、何か大きな事故にあったらしい」

「らしい?」

「……その時の事は覚えてないんだ。ただ気がついた時には全身傷だらけで病院のベッドに寝かされてた。なんでも一週間近く眠り続けていたらしい。それから一カ月くらい入院して、無事に退院した。幸い俺の身体に後遺症は無く、傷は全快していたから、肉体的には何も問題なかった。そう、身体の方はな……」

 

 そこで、閉じた瞼をゆっくりと開けた。そこに在る物を見たジャンヌは、軽く息をのむ。

 その瞳には、穴のあいたような空虚と、やり場の無い衝動が渦巻いていた。

 

「あの事故以来、俺の心にはぽっかりと穴が開いていた。何故こうなったのか、どうすれば治るのか、何も分からない。あるのは何か大切な物を喪ったかのような訳の分からない喪失感と、何かをしなければならないという焦燥感。最初の頃は身に覚えの無いこれに随分と怯え、イラついて周りにあたってたよ。そして退院後そう間も無く、俺は両親の仕事の都合で他県に引っ越すことになり、この街を離れた」

「…………」

 

 語られる騎士の過去を、ジャンヌはただ静かに聞き入っていた。これはきっと彼という人間の根源にあたる物語だから。そしてなにより、彼女自身、この物語に何故かどうしようもなく惹きつけられていたから。ゆえに彼女は耳をすます。この物語の全てを聞き届けるために。

 

「だが引っ越してからも、俺の中の空虚は埋まらず、俺を苦しめた……中学の三年間は、まったくそのせいで随分と荒れたものになっちまったな。そして苦しんで追い詰められてからようやく、俺はこの空虚にケリをつけることを決意した」

 

 その瞳でも想いを語りかけるかのように、虚ろな瞳に力が宿り、ジャンヌの瞳と見つめ合う。

 

「俺は実家を離れて、全てが始まったこの街に戻ることにした。幸い前に住んでた家がまだあったし、受験することにした高校も何とか合格できた。そして俺はこの街に戻ってきた。きっとここなら、なにか俺の空虚を埋めるものが、あるいはこれが生まれた原因が見つかるんじゃないかと思ってな……」

 

 そこでようやく言葉を切った彼は、長く使った喉を癒すかのようにコーヒーを啜った。

 それが騎士の過去語りが終わった合図だったらしい。彼はカップから口を離し、ふうっと疲れたように息をはいた。

 ジャンヌは、そんな彼に静かに問いかける。

 

「それでナイトさん。貴方の空虚は埋められたのですか……?」

 

 それに対して騎士が浮かべたのは――皮肉げな苦笑だった。

 

「いいや。相変わらず俺は空っぽのままだよ。ただ、とある馬鹿二人のおかげで少しは空虚やら喪失感も紛れるようにはなった」

 

 そして、ジャンヌの翡翠の瞳を虚ろなそれで見つめた。

 

「だから……だろうな。理由は違えど同じく虚ろを抱えたお前らをどうにもほっとけないんだよ」

 

 それがただの一方的な同族相哀れむ感情だとしても、な。

 と、自分自身に苦笑する彼の想いに、ジャンヌは、

 

「…………っ!」

 

 その胸が強く打たれるのを、感じた。

 その理由に納得したからではない。所詮それはただの一方的な感情論であり、そこに理屈や道理などまるで無い。故に納得などできない。その選択が危険な事に変わり無いし、なにより自分達の血ぬられた因果に彼を巻き込むことなど到底許されるはずがない。

 だが、何故だろう。

 その想いを、嬉しく思う自分がいる。

 差し伸べられた手に、どうしようもなく高鳴る胸がある。正義しかないこの身の内の深く虚ろなものを温かく満たす何かが湧きあがる。

 

「……ぁ……」

 

 とくん、と、胸が鳴った。

 

「……ぅぁ……」

 

 とくん、と、何かが疼いた。

 

「……ぅ……っ」

 

 そして、頬を温かく、流れた。

 

「ん、ジャンヌそれって……」

 

 驚いたような彼の声で、ジャンヌは自分が涙している事に気付いた。

 

「……っ。なんでもありませんっ」

 

 素早く拭き取り、誤魔化すように微笑むも、少し硬くなってしまう。それに頬が熱をもつのを感じてしまう。

 ああ、きっと私の顔は今、とても正義の執行者に見える物ではないのでしょうね。これではまるで……まるで、好きな人を前にした、ただの女の子のようではないですか。

 

「なあ大丈夫か。どうかしたのか?」

 

 ああ、本当にまったくどうかしていますね。

 

「……わかりましたナイトさん。貴方のその言葉、信じてみます」

 

 納得していないのに、信じてしまいたくなるだなんて。

 

「……え?」

 

 騎士がその言葉に一瞬呆然とするのを、内心ほほえましく思いながらも、ジャンヌは続けた。

 理屈も無く不合理で、だが何故かそうしたくなった不思議な想いを語る。

 

「納得したわけでも、貴方が正しいと思った訳でもありません。ですがその優しい想いを、その私達を想ってくれる心を、信じてみたくなりました。……だから、貴方の選択を今は認めようかと思います」

「じゃあ、あいつと一緒にいることを許してくれるんだな……」

 

 ほっと安堵の息をつく騎士に、だがジャンヌはその美貌を引き締めて告げた。

 

「ですが、もしあの極悪が貴方の想いを踏みにじり、仇なそうとしたのなら、私は私の正義にかけて誅殺します……たとえ貴方が止めても。それだけは覚えておいてください」

 

 その宣誓に、騎士は同じく決意を込めて告げた。

 

「わかった。俺も誓う。あいつを絶対に止めて見せる。あいつが虚ろな自分に苦しんでいるのなら、俺が必ずそれを埋めてやるよ」

 

 たとえそれが自分の自己満足に過ぎないのだとしても。もう、凛花のように自分のせいで誰かを追い詰めたくは無い。

 

 ――この手が届かなかったあの時の苦しみは、もう二度と味わいたくないから。

 

 優しく燃える夕暮れの中で、二人の宣誓は気高く交わされ、夕暮れのティータイムは終わりを告げた。

 

 ◇◇◇

 

「でも、本当に気を付けてください。今のあれは壊れています」

「マリアネット・コードの暴走ってやつか?」

「ええ。そして何よりも、彼女は害虫に毒されている」

「……なに?」

「彼女がゼペットを殺したのは暴走したからというのが私達の見解です。そしておそらく、彼女をそそのかし、暴走させたのが『害蟲王(コックロード)』」

「……何者だ?」

「およそ万物で最もおぞましい男です。アレを一言で言い表すのならば『害虫』。最弱にして最低。呪わしき邪智と悪運の権化。そして真に恐るべきはその影響力。関わった者皆全てが、残らず奴に毒される……思えばアレがおかしくなったのは、この男に会ってからでした」

「…………」

「故にアレには気を付けてください。一度侵されれば絶対に、奴の毒からは逃れられないのですから」

 

 ◇◇◇

 

 その後、二人は喫茶店から出て別れた。「コーヒー代のご恩はいつか倍返しでお返しします!」とペコペコお辞儀をするジャンヌに別れを告げ、騎士は自宅へと帰った。

 

 そして今、彼は紫銀の少女の部屋の前に立っていた。

 こうしていると、昨夜の恐怖と、今朝の沈黙が脳裏に蘇り、否応なしに思い出してしまう。あの底の無い無明の瞳を。全てを拒絶するかのごとき沈黙を。

 自然と口が乾き、緊張に肌が震える。身がすくむのを感じるも、その全てを決意をもって振り払う。

 立ち向かわなければならない。向き合わねばならない。

 救うと決めたのなら、伸ばした手を届かせるために、歩み寄らなければならない。

 たとえそれがどれほど拒絶されようと、何度つき放されようとも、俺と、あいつと、俺を信じてくれたジャンヌのために。

 そして騎士は、

 

 ――決意とともに、扉を開け。

 

 

 

 

 そして彼は、美しき人形を目にした。

 

 

 

 

 凌辱的なまでに粉々に割られた姿見。窓から降り注ぐ白き月光を浴びて輝く、床に広がる無数の鏡の破片。そしてその光のカーテンの中で幻想のごとく佇むは、冒涜的なほどに白き肌と、魔性めいて艶やかに流れる紫銀の髪を纏う美しき少女。

 およそこの世のものとは思えぬ、悪夢じみた美しさのその光景に、騎士はここに来た目的も、何もかもを忘れてただ呆然と見惚れることしかできなかった。そうして暫し息を飲み、立ち尽くす。

 美しき人形の美貌に、表情は無い。まるで何もかもが抜け落ちたかのような虚ろなそれは、まさに人形の貌だった。

 

「……ねえ、ナイト……」

 

 淡い唇から紡がれたのは、熱も形も持たぬ、霧のような声。

 

 美しき人形は、言った。

 

「デート、しましょう……」

 

 そう言った彼女の瞳は、どこまでも虚ろな、さ迷い歩く迷い子の様な瞳だった。

  

 




待たせたな!!

いやほんとにごめんなさい心理描写に苦戦して一カ月近く投稿が遅れました地よりも深く反省しております。
これからはなるべく早く投稿できるように頑張ります。

次回はようやくデート回です。
博士と捜査員の年の差カップルが素敵な羊たちも沈黙するラブロマンス映画で新たな恋愛観に目覚めた作者が全力をもって描くので、どうかゆるりとお待ちください。
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