極悪少女は縛れない   作:どるふべるぐ

18 / 33
これは序幕。
虚ろな騎士と惑える人形の出逢いの前の、恋する人形と害蟲の王の出逢いの物語。

※害虫の王の方の『じょうじ』さんは出ませんよ☆
※チェシャロックなんて知らない。



野外劇 『恋する人形と害蟲の王』
序幕・前篇 『オペラ座の害蟲』


『あたしが恋するあなたへ。

 

 あたしはあなたの名前を知りませんでした。顔も、声も、何も分からなかった。でも、それでも――あなたが好きでした。逢いたい。名前を呼んで、キスをして、抱き合いたい。あなたを想うたびに、空っぽの胸が熱くなりました。きっとこの恋が、あたしの生きる意味で、あたしの総てだと。あたしはきっと、この恋のために生まれてきたんだと。ずっと想って、あなたにこう告げる時を夢見ていました。

 

 ――生まれた時から好きでした。あたしの、恋人になって下さい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは朽ち果てた世界だった。

 ホールを彩る絢爛たる装飾は埃に塗れ、座る者のいない虚ろな客席が連なり舞台を見下ろす、うち捨てられた歌劇場。

 かつては《ハンニバル》や《ドン・ファンの勝利》といった名だたる歌劇が演じられ、在りし日のパリの栄華を象徴する場所であったそこには、もはや昔日の輝きは無い。積もる埃が美しき総てを覆い、我が物顔の蜘蛛が主無きホールに君臨し巣を張り巡らせている。

 奇怪にして華麗なる悲劇に襲われ、その歴史に幕を下ろした夜闇に沈む歌劇場。

 

 《オペラ座》

 

 だが今、その舞台では美しき踊り手達が血と破壊を振り撒く復讐劇を演じていた。

 舞うは二人、少女と老婆。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 可憐なる少女は両端に金の輪が嵌められた黒き鉄の棒を握りしめ、夜闇に轟く咆哮を上げて老婆に襲いかかる。

 意志の強さを感じさせる大きな瞳に憎悪を燃やし、美しさよりも愛らしさを宿す中国系の美貌を憤怒に染めたその様はまさに修羅。小さな頭の両端で二つに纏めた栗色の髪は、少女が激しく動く度に宙に踊り、無駄な肉の一切無いスレンダーな肢体は活力に満ちて、その身の力総てを以って無数の突きと無尽の横薙ぎから成る絶え間ない必殺の連撃を繰り出している。

 だがその姿は正に満身創痍。纏う中華風の衣装は自らの血に染まり、臀部を包む黒のスパッツは所どころ破れ、そこから覗く柔肌は他と同様に無数の傷に覆われていた。

 

 対するは穏やかに微笑むメイド服の老婆。纏うメイド服には一つの傷も無く、軽やかに死の連撃をかわす様は優雅ですらあった。だが北欧系の顔立ちの落ち着いた佇まいとは裏腹に、その両手に構えるは武骨極まるフォルムのショットガン。暴力の権化ともいうべきその銃口は常に少女を狙い定め、隙あらば威力には劣るも回避を許さぬ散弾を放つ。

 

 シャンデリアはとうに落ち、崩れ穴の開いた天井から降り注ぐ月光の中で、声を上げ火花を散らし、凶器を振るいて舞い踊るは月下の復讐劇。

 主演は二人。

 主を殺され操り糸の切られた哀れな人形と、その戦いを月光届かぬ夜闇に包まれた客席、かつて恐るべき怪人の座であったとされる第5番ボックス席より眺める者。黒き闇の中に在ってなお深き闇を宿す無明の隻眼にて人形劇を鑑賞するは、少女の主の死を導いた害蟲の王。

 

 今宵は大晦日。

 かつてこのオペラ座を恐怖に陥れた怪人が、その姿を現したとされる運命の夜。恋と狂気の果てに幕を下ろしたオペラ座で、新たな歌劇の序幕が開く。

 

 ではでは皆様ご覧あれ。恋する人形と害蟲の王の物語。その序幕たる復讐劇を。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ――この復讐に総てをかけよう。あたしにはもう、これしかないのだから。

 

 

 「ゥキアアアアアアア!」

 

 獣の如き咆哮と共に棒突きを放つ。

 夜気を貫き敵たる老メイドへと迫るそれは正に必殺。

 肉を貫き骨をも穿つ一撃は、だが軽やかに避けられ、返礼とばかりの強烈な銃撃を撃ち込まれた。

 

 ――(ダン)ッ!

 

 凶暴極まるショットガンから放たれた無数の散弾が胸元を直撃し、アタシをその衝撃で吹き飛ばす。

 

 「ガハッ!?」

 

 血煙を噴き上げ宙を舞い、あたしは朽ちた舞台の端に激突した。 

 傷つき倒れ、立ち上がろうとするも足が動かない。ついた手すらも震え、唇からは苦悶と鮮血が垂れ落ちた。

 

「ぐ、くぅぅ……立って、よぉ…ッ」

 

 これが何度目の被弾だろう。十や二十?もしかして百も超えた?体表を覆う対物理障壁によって貫通は免れても、その衝撃と痛みは防げない。度重なる弾丸の暴力は、あたしの肌を打ち、蹂躙し、全身を血と傷で覆い尽くした。

 僅かに動くその度に、痛みが全身を駆け抜ける。どこが痛むのかも分からないほどに刻まれた傷が発する痛みと流れる血が、皮肉にも衝撃で消えそうになるあたしの意識を繋ぎ止めていた。

 ああ今のあたしはまさにズタボロだ。ツインテールにした髪は汚れ、纏う中華服も血と埃で傷つき破れて見る影も無く、傀儡王に創られし美しき魔導人形としてあるまじき無様な姿を晒している――けど、それでも……。

 

 「まだ、死ねない……あいつを殺すまでは……マスターの仇を…とるまでは……ッ!」

 

 そうだ。やっとここまで来たんだ。血を吐くような思いで仇を見つけ出し、追いかけ、奴がこの歌劇場に入った時に奇襲をかけた。誘われていると思ったけど、それならそれで好都合。手加減容赦なんて無い文字通りの一撃必殺でその思惑ごと殺すだけ。あたしは人を超えた魔導人形の最高峰たる《姫傀儡(マリアネット)》の全力を以って殺し尽くす、筈だったのに……。

 

 それはあっさりと、文字通りに叩き潰された。この、血と弾丸が彩る復讐劇を遥か高みのボックス席――暗き闇の淵より、輝かぬ紅の瞳で鑑賞する《害蟲王(コックロード)》とその従者に。

 

 胸を焦がす憎悪のままに、あたしは闇に隠された害蟲王を睨みつけた。

 あらん限りの殺意を籠めた眼差しで怒りと恨みを叩きつけるあたしを、害蟲王は悠然と眺め、ふいにその紅い瞳を眩しげに細めた。

 

「素晴らしい……」

 

 闇から響く、楽しげでありながらもどこか羨むような呟き。

 

 「その瞳。その身体。そして意志。総てが不屈の光に輝いている」

 

 まるで極上の美術品を鑑賞するかのようなその眼差しに、肌が粟立つ。耐えがたい悪寒に震えるあたしを見て、あいつが闇の中で――笑う気配がした。

 

「故に見たいなあ。その光がどこまで輝けるのか。苦痛を味わい絶望に呑まれながら、闇の中でどれほどに光り輝くのかを……」

 

 歪んだ声を昂らせ、滴る愉悦を滲ませて。

 紅き隻眼を見開いて、胸を弾ませ舌なめずり、愉しくて愉しくて堪らないと。

 蟲のように――笑った。

 

「――さあ魅せてくれ。その魂の輝きを」

 

 そう言って軽やかに指を鳴らしたその瞬間――。

 

 「かしこまりました我が王(ヤヴォール・マインケーニヒ)

 

 恭しく応じる声と共に、殺気が爆発した。

 それを放つのは、あたしの前に静かに立つ老メイド。穏やかな淑女を思わせる老婆だが、そんなのはただの見た目に過ぎない。こいつは、この愛嬌のある笑みを浮かべた老メイドは――。

 

 「お望みのままに苦痛と絶望を与えましょう。この光が希望に輝くか絶望に消えるか。とくとご覧ください」

 

 ――ただの一人でマリアネット(あたし)を圧倒した、化け物だ。

 

 その穏やかな眼差しが、あたしを捉える。

 それだけで、まるで猛獣の前に居るような恐怖が湧きあがって――。

 

「…ッ…う、ああああああああッ!」

 

 あたしは叫んだ。己を呑む恐怖を吹き飛ばすために、ありったけの声を張り上げて雄叫び、震える足で――立ち上がった。

 

 立ちはだかるはメイド服の化け物。広がるは圧倒的戦力差。対してあたしは魔力供給が途絶え稼働率が落ち、一割以下の力しか出せない主無きお人形。

 

 ――でも

 

 「それが……どうした!」

 

 負けない。あたしはそう負けられない。マスターの仇を、あの害蟲の王を殺すまでは誰にも――。

 

「負ける、もんかぁぁぁぁぁ!!」

 

 叫び、床を蹴った。

 黒鉄の棒を握りしめ、あたしはただ唯まっすぐ前へと駆け出し疾走する。

 恐れも躊躇も振り払い、戦意を燃やして前へ。前へ!

 

「美しい……。実に美しい、輝きだ」

 

 輝かぬ瞳を眩しげに細め、羨むように呟くあいつの下へ――!

 

「――通しませんよ」

 

 叫び、疾走するあたしの前に、老メイドのカタチをした化け物が立ちはだかる。

 

「いかに人畜有害で存在自体が社会の迷惑な害虫野郎とはいえ、主を守るのがメイドの役目ですからね」

 

 と、一切冗談めかさず微笑んで、闇の中で口をへの字にした主をよそに優雅にショットガンを構えた瞬間――。

 

 ――弾弾弾(ダンダンダン)ッ!!

 

 轟く銃声とマズルフラッシュを産声に、無数の散弾が放たれた。

 視界を埋め尽くす弾丸の群れが、夜気を貫き殺到する。迫るあたしを迎え討つ鋼鉄の嵐の只中に、あたしは――。

 

「対物理障壁全力展開!」

 

 躊躇無く突っ込んだ。

 咆哮するあたしの身体に、無数の弾丸が衝突する。絶え間ない衝撃に骨が軋み、肉を打つ痛みが脳を焼く、それは腕に当たり脚を撃ち頭にぶつかり胸を叩く鋼鉄の轟雨――けど。

 

「どうってこと……ないッ!」

 

 そうだこんな物は所詮魔力も籠らぬただの弾丸。どれだけ当たっても、皮膚を貫く事など出来はしない。だったら、避けて防いで勢いを殺すより、あたしは一歩でも多く地を蹴って――前へ征け!

 痛みも衝撃も気合いで耐えろ。恐怖も躊躇もブッ飛ばせ。

 あたしはマリアネット全姉妹の中で一番の馬鹿と呼ばれたけども、根性も一番なのよ!

 

「ッキアアアアアアアアア!」

 

 咆哮し、踏み出した足は床を割り、砕ける板を巻き上げ更に疾走するアタシを前に、老メイドの頬笑みが初めて消えた。

 

「これはこれは、ちょっとヤバいですね……ッ」

 

 硬く呟き、更なる弾丸を放とうとショットガンを構える――その前に!

 

「させるかアアアアア!」

 

 咆哮と共に繰り出した横薙ぎでショットガンを弾き飛ばした。

 全力の一撃にショットガンは中空で砕け、衝撃に老メイドはよろめき、一瞬の隙が生まれる。あいつを殺す最大のチャンスが!

 全力の震脚で舞台を割り、生まれた隙をつき老メイドの横を抜け、あたしは最大最後の力を以って跳躍した。

 

「害蟲王オオオオオオオオオオ!」

 

 命にかえても殺すべきあいつの下へ。もはや守り遮る者の無い害蟲の王へと飛びかかるあたしは――目指すボックス席の闇の中から投げられた、薔薇の花束を見た。

 月光の白を浴びて輝く赤き薔薇。まるで捧げるように投げられたそれは、虚空に花びらを舞い散らせて、優雅な軌跡を描いてあたしの下へ――ッッッ!?

 

 そしてあたしは、見た。赤い薔薇の中で黒く光る――手瑠弾の輝きを。

 

「復讐劇に捧ぐ幕引きの花束。どうか受け取っておくれ」

 

 賛美の声と共に、薔薇に彩られた破壊の花束があたしに迫る。

 

「――ッ!?」

 

 ヤバい避けなきゃ避けなきゃ終わるッ。たとえ弾丸は耐えられても――この破壊力には耐えられない!――のに、避け……れない!?

 

 害蟲王にとっては絶対絶命のタイミング。そんな必死の瞬間に奴が放った必殺の一撃は、窮地を容易く覆し、勝利と敗北のコインを裏返した。

 これが《害蟲王》。人でありながら蟲の如き生存能力と、そして神をも欺き悪魔も嵌める悪知恵を持つ――史上最低の害虫野郎。

 

 身動きの取れない空中で、絶望するあたしを目がけて、迫る死の花束が――

 

「――おやすみ。マリアネット」

「くっ、そおおおおおおおおおお!!」

 

 無念を叫ぶあたしの横を――あっさり通りすぎた。

 

「――へ?」

「――おんやぁ?」

 

 気の抜けた二つの声をよそに、虚しく背後に消える死の花束。

 

「…………」

「…………」

 

 外れた。

 それはもう見事なまでに。ちょっとありえないぐらい堂々たる外れっぷりだった。

 だが、それはつまり――害蟲王への障害は、もう何も無い!

 

「これで、終わりだああああああああ!!」

 

 殺せる。やっとこいつを害蟲を。マスターの仇を。総ての悲劇の根源を!

 万感を籠めて得物を振り上げたあたしの耳に――。

 

「――まったく、ここまでキメておきながらよく外せますね……」

 

 そんな呆れ混じりの呟きが、聞こえた。

 背後からのそれに悪寒を感じ振り返ったあたしの目に――

 

「とはいえ、それでこのチャンスが生まれたのですから全く悪運の強さだけは大したものです」

 

 ――掴み取った花束を握る、老メイドの姿をした化け物が映った。

 

 化け物が微笑む。花束をその手に掴みながら、それを振り上げ力を籠めて――

 

「ではつまらない物ですが、お受け取り下さい♪」

 

 あたしは、投げ放たれた幕引きの花束を見た。

 

「マス――」

 

 無意識に呟いた声は轟音と衝撃にかき消され――爆炎が全てを呑み込んだ。

 それはあたしの誓いも覚悟も、何もかもを打ち砕く大爆発。

 全身を焼く炎と爆風の中で、あたしは

 

「ごめんね……マス……ター……」

 

 儚く呟き、意識を失った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 かくて月下の復讐劇は終わり、最後の上演を終えたオペラ座に高らかな拍手が鳴り響く。

 それは暗き闇の中より、哀れな少女へと贈る賛辞の声。

 

「ブラヴォー!」

 

 5番ボックス席から、焼かれ傷つき舞台上に倒れる少女へと、感激と賞賛を籠めて拍手を捧げるは害蟲の王。

 

「ブラーーーヴォゥ!」

 

 素晴らしいと。よくやったと。楽しませてもらった感動したと、弾む声が闇黒より語り出す。

 

「魅せてもらったよその意志その雄姿その輝きを!いやあ素晴らしい感動した。あらん限りの賛辞をもって語りたいが、あいにくと我輩の知るどんな言語をもってしてもこの想いを語りきれない!故にせめて拍手を持って伝えようこの感動を!」

 

 溢れて止まぬ歓声がオペラ座の闇に響き渡る。

 それが、この復讐劇の勝者が敗者へと贈る最大の屈辱だった。

 そして彼は、自らの従者にもまた拍手を送った。

 

「そして君もまた良くやったね。流石は自慢の婆やだ」

「お褒めにあずかり光栄です。ですが毎回ノリで碌でもない事をやらかす主のフォローをしている身といたしましては、この程度出来て当然の事です――ああそういえば先程は見事な投擲でしたね。私に直撃するコースで花束爆弾が来たお陰でそれはもうキャッチしやすかったですよ旦那様」

「……さてこれからの予定だが、君には港についた後は我輩と別れ日本に向かってもらう。来たる開幕の時までに舞台を整えておきたまえ」

「かしこまりました駄んな様」

「…………」

 

 シュン……という哀しげな音を最後に、オペラ座に沈黙が降りる。

 人形は倒れ、従者は佇み、王の賛辞は終わった。

 動く者は無く、息づかいすらも微かに、流れるは墓所にも似た静寂。

 だがその中で、第5番ボックス席、光無き暗き闇の内で――ナニカが、蠢いた。

 いや、それはただ軽く身じろぎしただけなのかもしれない。だが、その周りの闇が、彼を覆う影そのものが、畏れ慄きざわめいたような気がしたのは果たして気のせいだろうか。とはいえ、彼は確かに身じろぎしたのだ。まるで、これより動きだそうとするかのように。

 

 然り、彼は動き出そうとしていた。

 その闇の中から、人形の眠る舞台上へ。

 

 ――カツ カツ カツ 

 

 音がする。

 死神の様に優雅に、悪魔の様に悠然と、這いより近づくような――足音。

 来る。闇の奥から。

 来る。感動を滲ませ歓喜と共に。

 来る。いとおぞましき害蟲の王が。

 

「――やあ。可愛らしいお人形君……」

 

 

 

 

 ――――来た。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 全身を貫く怖気が、あたしを眠りの淵から呼び覚ました。

 何もかもが凍りついたかのような感覚の中で戦慄と共に眼を開け、そして見た。

 

 穿たれた天井から覗く白い満月の下、黒を纏い紅き瞳であたしを見下ろす――害蟲王を。

 

 それは美しく、そしておぞましい男だった。

 降り注ぐ月光を浴びてもなお暗く艶めく、蟲の触覚を思わせる二房の癖毛が特徴的な黒の髪。西洋系にも東洋系にも見える、端麗ながらも人種の分からない、右半分を黒革の眼帯で覆った美貌。

 漆黒のロングコートを纏う長身痩躯の姿は、二十代の終わりか三十代の初めに見えるが、年を経た老人を思わせる老獪な雰囲気が外見年齢を裏切り、見る者に若者にも老人にも見えると言う異様な印象を与える。

 そして何よりもおぞましいのは、その瞳だ。それは血涙の如く赤く、だが一切の光を宿さぬ無明の瞳。夢や希望といった光り輝く何もかもが、枯れ果て欠落したかのような紅い闇があたしを見つめていた。

 

 害虫王。愛しいマスターの仇。妹を狂わせマスターを殺させた、総ての悲劇の始まりの男。

 それが今、あたしの傍らで手の届くところに居ると言うのに、その手が動かない。

 

「こっく……ろぉ……痛ぁッ!!」

 

 ともすれば霞む意識を全身の痛みが繋ぎ止める……けど、あたしはもう指一本すらも動かせない。肌も肉も骨も、どこもかしこも傷ついて、流れる血が肌を濡らす。その感触を味わいながら、あたしは胸の奥に燃えていた戦意が絶えたのを感じた。ああ。あたしは……マスターの仇を討つために総てをかけたはずのあたしは――敗北したんだ。

 力無く倒れるあたしの胸を、熱い痛みと冷たい絶望が覆い尽くしていく。

 それを夜闇よりも暗く、光無き紅瞳で見下ろす。その唇が――笑った。

 

「――《人間の劇》と《人形の劇》。君はその違いが分かるかね?」

 

 枯れ果てた声が、紡がれた。

 優雅で張りのある、でもどこか老いさらばえた老人を思わせる――声。

 

 それをあたしは、死に逝く身体で聞いていた。

 白い髑髏のような満月の下、傷だらけの身体を血に染めて、壊れ砕けた舞台に寝そべりながら。この手で壁を砕き、調度品をなぎ倒し、床すらも叩き割った戦場は、今はもう夜の静寂に包まれ、天を仰ぐように倒れる敗者(あたし)を冷たい床板で受け止めていた。

 

 呆然と、その冷たさと痛みを感じて、虚ろな絶望を噛みしめながら、思う。

 

 ――あたしは、負けたんだ……。

 

 声無き呟きは胸の痛みとなって、あたしを責める。

 悔しさが溢れて、視界を濡らして、頬を落ちた。

 

 ――悔しいなぁ……。

 

 必ず仇を討つと決めたのに、必ず斃してみせると誓ったのに、あたしは敗けた。

 

「――人の劇と人形の劇との違いとは、そこに《意志(アドリブ)》が在るか無いかだよ」

 

 この、夜闇よりもなお濃くおぞましい黒を纏う、あたしを見下ろす害蟲の王に。

 

「人形に出来るのは脚本通りの演技だけ。決められた台詞を決められた動作で決められた通りにしか出来ない、それが人形だ。だが人は己の意志で、好きな台詞を好きな動作で好きな通りに行う、それが人と言うモノだ」

 

 血涙のように赤く、でも一切の光を宿さない無明の隻瞳を、微笑ましい物を眺めるように細めて――

 

「それらアドリブは完成された予定調和を乱すものでありながら、時に本来の筋書きすらも超える感動を観客に与え、歌劇を更なる領域に高める――何故だかわかるかね?」

 

 その唇は、微笑みながら意味のわからない問いを投げる。

 楽しそうに。からかうように。まるで小さな子供と謎々遊びをするように。

 妹を壊しマスターを殺させ、今まさにあたしを殺そうとする男の唇が――開いた。

 

「――そこに意志(こころ)が在るからだよ」

 

 それはまるで羨望するような、あるいは賛美するような声音で――。

 

 ――なにを、言ってるの?

 

 困惑するあたしをよそに、害蟲王は語り続ける。

 

「定められた脚本に抗い己の意志を示すが故に、アドリブは輝き見る者を魅了するんだ」

 

 詠うように、朗々と、月光のスポットライトの中で舞台俳優のように両手を広げて語る蟲の瞳が、あたしの瞳を捉えた。

 高みから、いかなる嘘も見逃さないとでも言うかのように捉え、覗きこまれる。

 

「……さて、聞こうか。死に逝く哀れなお人形」

 

 そうして告げられたのは、まさに予想もしない一言で――。

 

「――生きたいかね?」

 

 最初は、何を言われたのか理解できなかった。

 死に逝くあたしに、負けたあたしに、この男が何を言ってるのか。

 

 ――何を問うの?何で問うの?それじゃまるで……

 

「生きたいのなら生かしてあげよう。死にたいというなら死なせてやろう……」

 

 その命をその意志に委ねさせてやろう。

 

 そう、紅い瞳が告げていた。

 

 ――な、んで……?

 

 訳が分からない。意味が分からない。

 嘘じゃないかと思った。騙して嗤うつもりじゃないのかとも思った。

 でも、違った。

 

 無明の紅を無限の蟲の如く埋め尽くす、偽り無き妄執の色が、その言葉が真実だと語っている。

 

 ――生き、れるの……?生きて……それで…どう、するの……?

 

 空っぽの胸が、冷たく疼く。

 空っぽの想いの詰まった、虚ろなそこを感じながら……。

 

「君の意志(こたえ)を、聞かせてくれないかね?――姫傀儡シリーズ第4番姫《恋空(レンクウ)》君」

 

 ――あたし……は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 極悪少女は縛れない

 

 場外劇『恋する人形と害蟲の王』

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 温かい、夢を見た。

 

「いたっ!?痛いよマスター。消毒液が染みるってば!」

「だーめ。大人しくしなさい。その痛みも罰の内よ」

 

 それは過ぎ去ったいつかの、二度と戻らない平穏の記憶。

 あいつといつものように喧嘩して、止めに入ったマスターにボコボコにされた後、当の当のマスターに手当をされている。そんな時間。

 

「あなた達が周りを見ないで喧嘩するからそうなるのよ」

 

 消毒液を浸みこませた綿を傷口にあてながら、やれやれと肩をすくめるマスターに、あたしは涙目で言った。

 

「うぅ……。だってあの馬鹿狼がちょっかいかけるから……」

「言い訳はしないの。こんなに怪我して……あらなんて大きなタンコブ」

「それはマスターが魔導書の角でぶん殴ったやつ……」

 

 目を丸くしたマスターにちょっと恨みがましく言うと、マスターはニッコリ……

 

「……何か言った?」

 

 それはそれは恐ろしい笑顔を浮かべたのだった。

 

「いえ何でもありませんです全てあたしが悪かったです!」

 

 たまらず敬礼するあたし。だってすっごい怖いんだもん。

 そんなあたしの態度か功を奏したようで、マスターはうんうんと頷くと人差し指をピンと立てて、小さな子供にするようにお説教をする。

 

「分かればよろしい。そして憶えておきなさい。あなた達が喧嘩をするのは仲のいい証拠だけど、それで迷惑する人もいるのよ」

「うっ……ごめんマスター」

「たとえば読書を中断することになった私とか!」

「う……うん?」

 

 なにやらおかしな方向に走り出すお説教に首を傾げるあたしに構わず、マスターは目力全開であたしの目を見て言った。

 

「いい恋空。これから喧嘩する時は周りに凛花とか私以外に止めに入れる人がいる時だけにしなさい。そして私の読書中は絶対に避けること!それさえ守って私の手を煩わせないのなら何をしててもいいから!」

「なにその自分さえよければそれで良い感!?」

「……返事は?」

知道了(わかりました)!」

 

 有無を言わせぬ笑顔にまたビシッと敬礼して答えると、マスターはクスッと微笑んで、あたしをそっと抱き寄せた。

 

「あ……」

 

 ふわりと、優しい香りに包まれる。柔らかく包み込むようなマスターの腕の中で、あたしその心地よさに吐息を洩らした。

 

「良い子ね恋空。……じゃあ、ついでにあなたの悩みも聞かせてくれない?」

「え……?」

 

 思いもしなかった言葉に顔を上げると、そんなあたしをマスターの瞳が穏やかに見つめていた。

 

「何かに悩んで、張り詰めて……だからあなたは、些細な事で喧嘩するほど余裕を失くしているのでしょう?……だから聞かせて。あなたの悩みを。苦しみを。母親として、可愛い娘には笑顔でいて欲しいのよ……」

 

 何もかもを優しく抱き止めて包み込んでくれるような、深く温かなマスターの瞳に、あたしの中から、何かが……溢れる……。

 

「あた……し……」

 

 気がつけば、震える唇から小さな想いが、溢れ出た。

 

「あたし、好きな人が誰か……わからないよ……」

 

 それは小さく、震えて……でもだんだんと大きくなって……。

 

「こんなに好きなのに、こんなに逢いたいのに。想いを伝えたくてたまらないのに……」

 

 溢れて……止まらない……。

 言葉を紡ぐその度に、想いを伝えるその度に、胸が痛んで熱い何かが頬を流れる。

 ずっと悩んでいた。ずっと押し殺していた。ずっと我慢してきた。

 ずっと、苦しんできた。

 

 ――この、空っぽの想い(マリアネット・コード)に。

 

「みんなが羨ましいよ……コードにちゃんと従えて、それを全う出来て……でも、あたしは……ッ」

 

 羨ましかった。

 悪をなすカラクレアが。正義を掲げるジャンヌが。忠義を貫く凛花姉が。それ以外のみんなが。

 迷い無く己のなすべき事をなして笑う。姉妹達の満たされた笑顔が。

 空っぽのあたしには、堪らなく羨ましかったんだ。

 

「せっかくマスターがくれた想いなのに、どうすればいいのか分からなくて…ッ…マスターの期待に応えられないッ。あたしはガラク――」

 

 哀しくて。悔しくて。濡れた声で叫ぶあたしの震える唇に――マスターの指がそっと添えられた。

 唇から伝わるマスターの温かさに、胸の冷たい痛みと濡れた声が、止められる。

 キョトンと丸くしたあたしの瞳を、マスターの瞳が穏やかに覗き込んで――微笑んだ。

 

「大丈夫よ」

「ます……たー……」

 

 優しく、穏やかに、微笑んで包み込むような、マスターの言葉。

 

「きっといつか、あなたは好きな人に逢える。その想いを伝えられるわ……」

「ほんと……に……?」

 

 尋ねるあたしの頭を優しく撫でて、マスターは言った。

 

「ねえ。ラブレターを書きなさい」

「え――?」

「いつか好きな人に逢えた時、あなたは照れ屋さんだから緊張して話せなくなるかもしれないでしょ。だからその時は、想いのこもったラブレターを渡すの。あなたの好きがたくさん詰まったラブレターで、想いを伝えられるように……」

 

 悪戯っぽく微笑み、そう語るマスターの言葉は優しく、あったかくて……。

 あたしは、頷いた。

 その想いに応える、精一杯の頬笑みを浮かべて。

 

「うん……あたし書くよ。ラブレターを……」

 

 ――いつか、好きな人に好きって伝えるために……。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 そんな温かな記憶を夢に見て――恋空は目覚めた。

 

 暖かな日だまりから目覚めれば、そこは闇。

 月明かりだけが照らす夜闇の中、見知らぬベッドの上で、恋空は瞼を開く。

 

「……あた…し…どうしたんだっけ…?」

 

 まどろみの残る、ぼうっとした頭で小さく呟き――無明の紅瞳を思い出した。

 

「――ッ!?」

 

 その瞬間、全身に走った怖気に慄き、恋空は素早く身を起こす。

 上半身を起こし、胸を抑え荒く息をする彼女の身体は、冷たい汗に濡れていた。

 

 思い出してしまった、無明の瞳。瞼に焼きつく、害虫の微笑。

 恐い。嫌だ。気持ち悪い。

 生理的嫌悪に吐き気すら覚え、それを必死に押し殺す。

 

 落ち着け。落ち着けと何度も自分に言い聞かせて、ようやく胸の動悸は治まった。

 ふうっと息をつき、腕で額の汗をぬぐった所で、その腕に包帯が巻かれている事に気付く。

 

「これって……?」

 

 明らかな治療の跡。そこで初めて自分の身体を見下ろし――目を丸くした。

 

「って、あたし裸!?」

 

 否。正確には素肌に包帯だけが巻かれた姿だった。

 滑らかだが引き締まった細腕やお腹。健康的な脚線美を描く足。そして一切の空気抵抗を無くした機能的な貧胸。瑞々しい少女の全てが惜しげも無く晒され、それを白い包帯が要所要所を縛る事でどこか背徳的な色香を漂わせている。

 

「なによこれ……って服はッ……――」

 

 慌てて周りを見回すと、ベッドの脇に置かれていた台の上に畳まれている馴染みの服を見つけた。

 急いで手に取り、確認する。

 

「よかったぁ……ちゃんとあった……」

 

 それは間違い無く自分の中華服だった。ついでにスパッツも。

 ほっと息をつき眺め、そして気付く。

 

「これ……修理してある……」

 

 あの戦いで自分と同様にボロボロになったはずの服が、縫われ継ぎ足されてかつての美しさを取り戻していた。そしてスパッツに至っては新品になっている。さすがにあれほど破れては修理など不可能だったのか。いずれにしても有難い事だ……が。

 

「一体、どうして……?ていうか、ここ……どこ?」

 

 困惑し首を傾げ、改めて周りを見渡す。

 そこは月光射しこむ見知らぬ洋室だった。

 広さはそれなりにあり、椅子や化粧台などの家具もある。そしていくつかの調度品も。それらは暗がりでもそうと分かるほどに質が良く、また精緻な装飾が施されており、一目で高級品だと分かった。ここの内装もまた品が良く、豪華なホテルの一等室を思わせる部屋である。

 

 だが、やはり記憶に無い。そもそも害虫王にやられた後の記憶自体が途中から無い。

 困惑の中でとりあえず服を着て、外の様子を確かめるべく月明かりの射す窓を覗き――言葉を失った。

 そこに、最後に居たはずのパリの街並みは無かった。どころかビルも緑も無かった。あるのは、世界の果てまで続く水の原。

 白い満月が照らす大海原が広がっていた。

 

「ここ……どこなの……?」

 

 呆然と呟き、途方に暮れた時――

 

「く、ふふふふふふふ……」

 

 ――闇に響く、蟲の声を聞いた。

 

「――ッッッ!?」

 

 瞬間、怖気と共に恋空は声の方向に目を向ける。

 部屋でただ一つだけのドア。その向こうから――恐るべき声が聞こえた。

 最も聞きたく無い、あいつの声が……。

 

「害蟲王……ッ!」

 

 奴が、いる。

 このドアの、向こう側に……ッ。

 

 そう思った瞬間、全身に緊張が走り、肌が凍りついた様に強張る。

 同時に脳裏に蘇る、害虫の瞳。

 恐れと嫌悪が胸を締め付け、魂すらも侵していく感覚の中で恋空は

 

「駄目だ。呑まれるな……ッ!」

 

 その全てを噛み殺し、抑えつけ、ねじ伏せた。

 気を鎮め、心を落ち着かせて調息する。

 

 落ち着け。焦るな。恐れるな。

 焦れば嵌められ恐れにはつけこまれる。

 平静を保て。意識を強くもて。

 

 己に言い聞かせようやく平静を取り戻し、恋空はドアの前に立った。

 その唇が小さく何かを呟くと、その手に黒き鉄の棒が現れる。

 身の丈ほどもあるそれを握りしめ、恋空は静かに気を練った。

 残存魔力量はほぼ底をつき、対物理障壁も張れない今、自分は丸裸も同然だ。ならば少しでも体内の気を練り総身に巡らせておこう――害蟲王を少しでも確実に殺せるように。

 

 そして全ての調整が終わり、己を整えた恋空は

 

「力を貸して……マスター……」

 

 今は亡き主に祈り、勢い良くドアを開けた。

 たとえそこにいかな地獄があろうとも、決して逃げぬ事を誓って飛び込んだ彼女が見た物は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふははははは!ここがエエのかエエのかね?ならばよろしい踏み踏みしよう心ゆくまで何度でもっ。二人でにゃんにゃん年越しプレイをエンジョイしようか!」

 

 と物凄い笑顔で奇声を上げながら、四つん這いのあられもない姿の幼女――の形をした茶色い粘土っぽいナニカのお尻を踏む変態の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バン!

 

 ――即行で逃げて扉を閉めた。

 

「……………」

 

 今あたしは何を見た?

 分からない。というか分かりたくも無い。

 だが、ただ一つだけ分かる事がある。

 

 ――あれは見たらアカンやつだった。うん絶対に。

 

「いやでも……うん見間違えかもしれないし……」

 

 というかそうであってくれと願いつつ、もう一度だけ見て見ようと恐る恐るドアを開け――。

 

「みいいぃぃぃぃたあぁぁぁぁねええぇぇぇぇぇ………」

 

 ――ドアの隙間からこちらを覗く害蟲っぽい変態と目が合った。

 

「ぎゃああああああああああ!?」

 

 変態との第三種接近遭遇に堪らず絶叫して逃げ出そうとする恋空。だがどっこい逃げ場などありはしない。哀れ変態に首根っこをむんずと掴まれた挙句、ドアの向こうへとずるずる引きずられ高級革張りソファーにヒョイと放り投げられた。

 

「ふにゃ!?」

 

 悲鳴を上げてソファーに頭から着地……するも、高級素材に柔らかく受け止められ怪我は無くむしろこの感触が気持ちいい。思わず「うきゃ~❤」とため息をついた所で、

 

「おはようそしてこんばんは。よく眠れたかねお嬢さん?」

 

 微笑ましげな声をかけられ、我に返った。

 

「――ッ!?害蟲王!」

 

 慌てて上半身を起こし、睨みつける。

 

 光無き無明の紅眼を細め、人種すらも分からぬ不可解な美貌を綻ばせて笑う。黒髪黒眼帯黒コートの――今だ幼女形の粘土らしきものを踏み踏みしている変態を。

 

「っていうかナニしてんのよあんたは!?」

 

 恋空堪らずツッコんだ。

 すると変態胸を張り

 

「見て分からないかね蕎麦打ちだよ」

 

 えっへんどうかねと答えたのだった。が、意味が全く分からない。

 ポカンとした様子の恋空を見て、変態こと害蟲王は無駄に優雅な声で朗々と説明を始めた。

 

「知っているかね?神秘の国日本では蕎麦を食べて年を越すのだよ。故に我輩もここは手作り年越し蕎麦で大晦日を締めようと思い、蕎麦粉を練って生地にして踏んでいたんだ」

 

 蕎麦生地とSMプレイは踏めば踏むほど美味くなるからね。

 小さい子に教える教師の様な丁寧な説明にもかかわらず、何故だろう嫌な予感が止まらない。

 胸騒ぎに強張る恋空の表情など華麗にスルーし、害虫王の説明は続く。

 

「が、ただ踏んでいるだけというのもつまらない。何かもっとこう楽しく踏める物は無いものかと考えて生まれたのが、この蕎麦生地から作った……」

 

 そしていつの間にやら持っていたクラッカーをパーンッと鳴らして

 

「踏み踏み幼女《蕎麦子たん》だ!」

 

 ものすっごく誇らしげに言ったのだった。

 キラキラと、それはもうとてつもなくイイ笑顔で。触覚みたいな二本のアホ毛をヒョコヒョコ弾ませ『褒めて褒めてー』というオーラを全身から放つ変態に恋空は

 

「アホかあああああああ!!」

 

 全力でツッコんだ。

 

「ふ……。確かにそうだね」

 

 そのツッコミに害虫王は反論するでも無く苦笑する。

 その表情は皮肉と自嘲に満ちて、恋空は予想外の常識的反応にキョトンとした。

 

「ああ言われずとも分かっていたよ。こんなものは楽しくないと言うのは……」

 

『いやそりゃそうでしょ』という恋空の言葉を聞いているのかいないのか、彼は顔を手で覆い天を仰ぎ、

 

「だって幼女にはむしろ踏むより踏まれたいもの!」

 

 変態の魂の叫びが爆発した。

 

「変態だあああああああ!?」

 

 そして恋空さんドン引きである。

 だがそんな彼女などお構いなしに天を仰いで嘆き続ける変態。

 

「でも蕎麦子たんは踏み踏み専用だから踏んでくれないのだよ!だがこの幼女に踏まれたいという溢れるリビドーが止まらないッ。嗚呼我輩はどうすればいいのかねッ!?」

「今すぐ死になさいよロリぺド野郎!」

「まあまあそう言わずに君も一踏みどうかね?」

 

 癖になるかもよ☆

 と笑顔で差し出された蕎麦子たんをドン引きまくりの恋空さんは――

 

「キモイわ!!」

 

 ――全力で踏み潰した。

 

「蕎麦子たああああああああん!?」

 

 変態の絶叫が木霊し、哀れ蕎麦子たんはグシャグシャの猟奇オブジェと相成った。合唱。

 

「我輩の蕎麦子たんがあああああああ!!」

 

 アホ毛をガクリと垂らして慟哭する変態を横目に、恋空は周りを見渡した。

 先程の洋室より二回りは広い、これまた見るからに豪華な部屋である。革張りの大きなソファーに上質のテーブル。壁には高そうな絵画が飾られ。正面の壁に至っては一面のガラス張りで、満天の星空と満月が広がっている。

 

「ホントにどこなのよここ……」

「さる豪華客船の最高級スイートルームだよ」

 

 恋空の呟きに、いつの間にやら回復したらしい変態が答えた。

 

「せっかく可愛らしいお嬢さん(フロイライン)と大晦日を過ごすんだ。ならば贅沢にいこうと思ってね」

 

 どうかくつろいでくれたまえ。

 笑顔で語るその言葉に、だが恋空は眉を顰める。

 

「なによ……それ……」

 

 硬く呟き、眼前の仇敵を睨みつける。

 その身に力を籠めて、いつでも飛びかかれるように身構えながら

 

「下らない冗談はよしてよ……本当の目的を言いなさいよ害――」

「はいストップ!」

 

 叫んだ問いは、鋭い制止に遮られた。

 突然の事に戸惑う恋空に、害虫王はその目を見詰め有無を言わせぬ口調で言う。

 

「その《害蟲王(あだ名)》は嫌いなんだ。我輩を呼ぶ時はこう呼んでくれないかね……」

 

 そしてニヤリと笑うと、その場でクルッと一回転し、漆黒のロングコートを盛大に靡かせ芝居がかったポーズとキメ顔で

 

「――人呼んで愛と美学の醜悪紳士《クロード》と!」

 

 よろしくネ☆

 

 と、名乗ったのだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「――だいたい人のことをつかまえて害蟲は無いだろう害蟲は。しかもゴキブリ(コックローチ)と掛けるとは失礼な話だ。なによりもコックロードとは直訳したらチ○コ王だよ!全く下品極まるひどいあだ名だとは思わないかね?」

 

 と、先程からぶつぶつ目の前で垂れ流される愚痴を恋空は仏頂面で聞き流していた。

 あれから愛と美学の醜悪紳士らしい害蟲王ことクロードと恋空は、向かい合うように互いにソファーに腰掛け談笑していた。と言っても、もっぱら喋っているのはクロードの方で、その話に恋空は一切反応せずクロードを睨みつけている。

 その眼差しは鋭く、隙あらば殺す機会をうかがっているのだが、あの化け物じみた老メイドの姿が見えないことを警戒し、行動に移せずにいた。どこかで見張っているのか、あるいは動いた瞬間に取り押さえようと身構えているのか……。

 

「――婆やならいないよ」

 

 一人張り詰める恋空に、そんな声が掛けられた。

 思わず見た声の主――クロードは、悪戯気な笑みを浮かべて言う。

 

「婆やには今仕事を頼んでいてね。この部屋は正真正銘我輩たちだけの二人きりだ。だからそう硬くならずにリラックスしたまえよ」

 

 ほらこのように。

 と言って取り出した細葉巻に火を付け一服する姿は、優雅さすら漂う余裕に満ちて――恋空の怒りに火を付けた。

 

「ふっざけんじゃないわよ!!」

 

 叫び、黒鉄の棒を床に叩きつける。

 轟音と共に先端がめり込み、人ならざる恐るべき破壊力に床が陥没する。

 だが、恋空の怒りはこんな物ではなかった。

 

「何のつもりよさっきからッ。あたしを殺しもしないでからかって嬲ってるつもりなの!?いったい何を企んでいる答えろ害蟲王!」

 

 空気に轟き壁すらも震わすその怒声に、だが問われた男は、あくまで優雅に――そうまるで子供の癇癪に苦笑する父親のような頬笑みで――

 

「――まだ問いの答えを聞いていないからだよ」

 

 と、答えた。

 

「……え?」

 

 その答えに、恋空は思わずポカンと声を洩らす。

 なんだと?今この男は何と言った?我が分からない。

 呆然とする彼女を前に、だがクロードはその様子すらも楽しげに眺め言葉を続ける。

 

「『生きたいかね?』――その答えを言う前に君は気を失ってしまったからね。君の生き死には君が決める事だ。我輩はその決定に従うだけ。君が望まぬ限り君を殺す事はしないよ」

 

 と語るその眼差しは心底楽しげで、まるで極上の見世物を鑑賞かのようなそれに、恋空は――

 

「殺(シャア)アァァァァァァ!」

 

 考えるよりも先に、殺しにかかっていた。

 爆発する怒りが思考すらも超えて、その手の凶器を振り上げさせる。

 

 なんだそれは?何なんだそれは?生殺与奪を丸投げするだと?あたしには殺す価値すらも無いと言うのか。それこそ殺すか否かを自分で決める事すらどうでもいいと?

 

 ふ  ざ  け  る  な  。

 

 視界が赤く染まり、血が沸騰するほどの怒りに染まって咆哮する彼女の一撃は、笑う害蟲王を滅殺せんと放たれ――。

 

「『緊箍呪……』」

 

 突如襲った頭を締めつける痛みに止められた。

 

「うぐぁあああああああああ!?」

 

 頭を掴まれ万力で握り潰されるかのような激痛に、絶叫を上げて倒れこむ恋空。締めつけられる頭を抑えようと動かした掌が、額に嵌められた冷たい金属の感触に触った。

 

「ぐ、うぅ……何……これ……ッ?」

 

 それは美しい意匠の施された金の輪っかであった。

 

「かの斉天大聖を縛めた《緊箍児(きんこじ)》の複製だよ。とはいえ、その威力は味わっている通り十分なものだ」

 

 悶え苦しむその姿を悠然と見下ろし、少女の苦痛をにこやかに眺めるクロードは、ふと恋空が苦しみもがいた動きで胸元から落ちた、一枚の封筒を見つけた。

 

「これは……」

 

 手に取り、眺める。するとそれを目にした恋空が絶叫した。

 

「触るなあああああああ!」

 

 その悲痛な声に、まるで大切な物が穢されたかのような絶望に、彼は得心したかのようにああと頷き――笑った

 

「ああそうか……そうだったね。君のマリアネット・コードは――」

 

 

 

 

 

 ――『恋心』だったね。

 

 

 

 

 

 宛先の書かれていない、ラブレターを眺めながら。

 

「想い人が誰かも分からずに何故想うのかも知らないまま、恋に恋するお人形。いやはやまったく……」

 

 まったく素晴らしい喜劇だと――嗤った。

 

「うあああああああああ!!」

 

 穢された。犯された。

 大切なものが。抱いてきた想いが、凌辱された。

 嗤う害蟲に、苦しげな、それでも決して消えぬ憎悪と殺意がぶつけられる。

 

「殺……って……やる……ッ……」

 

 まるで地獄の底から響くかのごとき呪詛を浴びて、クロードは言った。

 

「いいや。君は我輩を殺せない」

 

 優しげに。

 

「君は復讐を果たせない」

 

 一片の情けも容赦も無く。

 

「君は、もう、選ぶしかない……」

 

 少女の怒りも、憎悪も、誓いも、何もかもを凌辱する。

 

「――さあ選びたまえ」

 

 その両手が、伸ばされ、少女の震える細い首を――掴んだ。

 

「解くべき問題はただ一つ」

 

 ぎり……。

 

「ぅあッ……ッ!?」

 

 と、その手がゆっくりと握られる。

 

「――生きるべきか?」

 

 ぎりり……。

 

「ぅぐッ…ぁッ……!」

 

 細い蜘蛛のような指が、華奢な首に食い込んでいく。

 ゆっくりと。ゆっくりと。抱きしめるように沈み込む、害蟲の指。

 

「――死ぬべきか?」

 

 笑いながら、覗きこむ、蟲のような光らない瞳。

 愛しげに語りかける、毒のような声。

 這い寄り、耳に潜り込んで脳髄を侵すような、害蟲の言の葉。

 

「…ぁ…がぁ……ッ…」

 

 奴の顔が、近づいてくる。

 奈落の底を覗き込むように。あるいは天の星を見上げるように。

 魅せろ魅せろと笑う害蟲が、口づけるような距離で――囁いた。

 

「――答えは君だけが、決められるんだ……」

 

 そして、締めつける王の指が――離れた。

 

「うくっ……かはっ…はっ…!」

 

 首絞めから解放され、恋空は喉に流れ込む空気を咳をしながらも必死に吸い込む。その姿をほほ笑ましげに見つめた後、クロードは外への扉へと歩き出した。

 

「考える時間をあげよう。君自身の命だ。しばらくゆっくりと考え、答えを出したまえ。それまで我輩は、そこらで幼女でも眺めて時間を潰しているよ」

 

 そう言って歩き出すその姿を、恋空はただ見つめる事しか出来なかった。

 身体に力は入らず、腕は震えて武器を握る事すらできない。今の自分はそう――何もできない、お人形だ。

 

 でも、それでも……。

 

「…え…して……」

 

 それだけは……。

 

「あたしの……」

 

 失くしたく、無くて……。

 

 

 

 

 

「ん?ああこれかね。――これは我輩が預かっておくよ。……死に逝く人形には、いらないものだろう?」

 

 

 

 

 

 害蟲の王はそう笑って、扉の向こうに消えた。

 

 バタン……と、閉ざされる扉。

 

 がらんどうの部屋の中で、一人残された哀れな人形の想いは……

 

「ラブ……レター……」

 

 誰にも届かずに――消えた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 報告

 ■■船内にてマリアネットを発見。これより蒐集を開始する。

 

 




やあやあというわけで最終話で大活躍した害蟲王の番外編いかがだったでしょうか?
いやほんと極悪さんの御声一つで突撃したりウェルダンにされたりピ○ミンばりの超活躍でしたからね主役になるのも当然と言うかあははははは……は……シャロを期待してた方々マジすいませんでしたあああああ!!
シャロは第二幕で活躍させますから怒らんといてください<(_ _)>

後編は今月末あたりに投稿……できるように頑張ります!
あとお気に入り50件登録ありがとうございます。記念に何かしようかしら……まあそんなことも考えつつ執筆にかかりますので、ゆるりとお待ちください。でわ

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。