その意志を。その答えを。
その輝きを魅せてみろと。
かくて、王の狂笑が木霊し――人形は今宵、恋に堕ちる。
――総てを喪ったあの日の空は、からっぽな青だった。
雪が彩る白い世界。
どこまでも澄んだ冷たい白の中で、ここだけは黒と灰に染まっていた。
冷たい風が運ぶ、焼け焦げた香り。舞いあがる灰は、白い雪に降って、浸みこんでいく。まるで哀しみを刻みつけるかのように、深く、深く。
倒れた柱と砕けた石壁が無残な亡骸を晒す、焼け落ちたアトリエ。
それを前にあたし達姉妹は、ただ立ち尽くす事しか出来なかった。
「ます……たー……」
呆然と、呟く。
掠れたその声に、答える声は無い。答えてくれる人は、もう……いない。
あの笑顔も。あのぬくもりも。あたし達が愛した総ては殺され、炎に消えた。
マスターは……《傀儡王》ゼペットは、死んだんだ。
「く……、ぅぅ……ッ」
あたしの傍で、冷たく濡れた声が流れた。
瞳を向けた先で、凛花姉が、泣いていた。
誰よりもマスターに忠義を尽くし、姉としてあたし達を厳しくも優しく導いてきた凛々しいあの人が、膝をつき、肩を震わせ――
「…ぅ…ッ…ぅぅぁ……ッ…」
ただただ、泣いていた。
つられるように他の姉妹達の中からも啜り泣く声が上がり、この場を覆う悲しみを更に深く、冷たくさせる。
あたし達の総てだったマスターの死を前に、姉妹それぞれが打ちひしがれていた。啜り泣く者。呆然とたたずむ者。崩れ落ちる者。そして、
「うそ……ですよ……」
それを、受け入れる事ができない者。
翡翠の瞳を揺らして、ジャンヌが呟く。
「マスターが死んだなんて……そんなのは……嘘に決まってますよ……ッ」
信じられない。信じたくないと己に言い聞かせるようなその声に、姉妹達の嘆きの声と、悲しみが大きくなる。
誰もが口をつぐみ、受け入れ難いそれから目を逸らすように涙を流す。そんな中で、一つの声が、答えた。
「――嘘ではないよ。現場に残されていたバラバラの肉片と血液。一部は焼け焦げ炭化していたが、無事だった物から採取した遺伝子情報がマスターの物と一致した。遺体は間違いなくマスターゼペットの物だ」
淡々と、一片の希望的観測も無く、ただ無情な真実を語るのはチェシャロック姉。あらゆる謎を暴き、誰よりも真実を尊ぶ彼女の言葉は、ジャンヌに何よりも現実を突き付けた。
「そん……な……」
力無く呟き、ジャンヌは膝をつく。
それをあたしは、ただぼうっと眺めていた。
哀しい。悔しい筈なのに……からっぽだ。
この胸は、まるでがらんどうの様で――。
「……ああ。そっか……」
呟き、胸元から取り出したラブレターを眺める。
誰に宛てたのかもわからない、空っぽの想いが綴られた虚ろな恋文。
――あたしは最初から、からっぽだったんだ。
その空虚を慰めてくれたマスターが死んで……あたしは、もう本当に……。
胸に広がる虚ろな絶望。
足下が崩れ落ちて、身も心もどこかへ墜ちていくような感覚の中で、ジャンヌの凍えた声が聞こえた。
「あいつが……カラクレアが……マスターを……」
「あれのコードは『悪意』だからねえ。それがマスターに向いてもおかしくはない……が、それだけが原因ではないだろうね。思えばここ最近のあれは精神が不安定だった。実行犯は彼女だが、それを教唆した真犯人がいる」
そうだ。たしかに最近のカラクレアは、何かに追い詰められるように余裕を無くして、張り詰めていた。それが始まったのは、そう――
「……《害蟲王》」
――奴に、出逢ってからだ。
そして空っぽの胸に、熱が生まれた。
煮え、滾り、狂おしく燃えるこれは――。
「あったよ、マスター。……空っぽのあたしにも、たった一つだけマスターのためにできる事が……」
低く呟き、地面の灰を手に取り、握りしめる。
力の限り、刻みつけるように。そして開いた掌は、汚れた黒に染まっていた。
でもそれは、また新たな色に塗り潰される。
刻まれた爪跡から溢れだす――鮮血の赤に。
この赤に誓おう。空っぽの想いしかないあたしの胸に燃える――憎悪にかけて。
「――害蟲王を、殺す」
◇◇◇
「そう誓ったはず……だったのになぁ……」
力無い呟きは海風に乗って、暗い海に流れて消えた。
どこまでも広がる、月が照らす夜の海。
誰もいない展望デッキの柵にもたれて、中華服を纏うツインテールの可憐な少女――恋空は、それをぼうっと眺めていた。
どこかから聞こえる楽しげな声は、船内で催されているパーティーの喧騒か。新たな年への希望に満たされたその声を聞いていると、対照的な己の胸の空虚感をよけいに感じて、一人溜息をつく。
「あたし……何やってんだろ……」
クロードに生と死の選択を迫られ、考える時間をあげようと言い残し彼が出て行った後、一人残された恋空もまた逃げるように部屋を出た。
それは考えるためというよりは、あの男の気配の残る場所にはたとえ一秒でも居たくなかったから。
少しでも離れたくて、一人になりたくて、そうして気がつけば、この誰もいない展望デッキに来ていた。
「はぁ……」
また、物憂げな溜息をつく。
「必ず殺すって、誓ってたのに……」
呟き、翳した掌には、痛々しい爪跡が今でも刻まれていた。
深く穿たれたそれは、あの日誓った復讐の証。
それは今でも変わらずに在るというのに、自分は――。
「……っ…ぅぅ……ッ」
眺める掌が、ぼやけ、潤む。
濡れた瞳から、溢れた雫が頬を流れ、落ちた。
「ぅ…ッ…ぁぁ……ッ」
仇を討つと、無念を晴らすと誓ったのに。
頭に嵌められた金の輪。己を縛る冷たいそれが、復讐など叶わないと告げていた。
「でも……あたしには…もう……」
綴ったラブレターは、もう……無い。愛しい誰かに想いを伝える事さえできず、自分は、どうしようもなくからっぽで……。
「・……あたし…なんなんだよぉ……」
悔しくて、情けなくて……なによりも、冷たくて空っぽな、胸の痛みが怖くて――恋空は一人、涙を流すのだった。
◇◇◇
豪華な絨毯の敷かれた廊下に、手を繋ぐ小さな少年と少女が奏でる二つの靴音が響く。
一歩ごとに大きくなるそれと共に、フランツは高鳴る己の胸の音を聞いていた。
フランツはようやく十歳になったばかりの少年である。だがそのあどけない顔は今、戦に臨む戦士の如く引き締まっていた。――然り、戦である。小さな少年は今一世一代の大戦に挑もうとしていたのだ。
相手は、今自分がその手を引く可憐な少女――シャーリィ。貿易商であるフランツの父の親友の娘であり、生まれた時から家族ぐるみの付き合いを続けてきた幼馴染だ。そして、フランツの想い人である。
いままで彼は何度も告白しようとしたが、その度に怖気づき、想いを伝えられずにいた。だが今日こそは、今度こそは必ず告白せんと誓い、彼女に声をかけパーティー会場からこっそり抜け出し、こうしてどこか二人きりになれる未だ見ぬ決戦地を探しているのである。
生憎となかなか見つけられないが、絶対に見つけそしてキメる。ここでシャーリィに告白して見事にその心を射止めるのだ。
初恋の荒廃この一戦に在り。いざ征かん決戦の地へ。命短し恋せよ男子。咲かせてみせん恋の花!
そんな決意を燃やしてズンズン進むフランツ。
だが、その頭の中はこれからの告白をいかにすべきかという考えで一杯で、手を引く当の幼馴染の苦しげな表情には気付かなかった。
「フランツ……もうちょっと、ゆっくり……っ」
ドレス姿でハイヒールを履いたシャーリィには、速足で進むフランツの足取りは速すぎた。必死に小さな足を動かし、手を引く彼についていこうとするが、やはりそのペースについていけない。先程から何度かその事を訴えるも、生憎告白の事で頭が一杯のフランツは話しかけられた事にすら気付かなかった。結果、状況は変わらず、シャーリィは今も必死に足を動かし続けているのだが、それももう限界で――。
「――きゃっ!?」
足がもつれ、なおかつ前に引っ張られていた事もありバランスを崩すシャーリィ。
その悲鳴にフランツはようやく振り向き、慌てて足を止めるもすでに手遅れ。
シャーリィは前のめりに倒れ、今にも床に激突するその時――。
「――おや危ない」
横から延ばされた何者かの手によって、倒れる寸前で支えられた。
それによって転倒を免れ、二人は安堵の息をつく。そしてすぐさま自分達を救った謎の人物に目を向け――息を呑んだ。
闇そのもののようなロングコートを纏った、その黒い男の姿に……。
「大丈夫かね?小さなお嬢さん」
落ち着いたドイツ訛りのフランス語。
蟲の触覚を思わせる二房の癖毛が特徴的な黒い髪。右半分を黒の眼帯に覆われた美貌。その穏やかな紅い瞳は、だが光ることなく紅い闇を湛えて二人を見下ろしている。
いつから居たのだろうか?
異様とも言えるほど印象的な筈なのに、今の今までその存在に気付かなかった。背後から来てすれ違う所だったのか。あるいは目に入ったはずなのに、意識できなかったのか。まるで周囲の景色に擬態する蟲のように。
「ひっ……」
その紅い瞳に見詰められた瞬間、シャーリィは怖気を感じて小さな悲鳴を上げた。
この人は助けてくれた恩人で、むしろ感謝しなければならない。そう分かっているのに――恐い。気持ち悪い。声が詰まり震える体を止められない。
この人の瞳は穏やかで、声はこんなに優しげなのに、その総てが堪らなく気持ち悪い。
不可解で不条理な嫌悪感に呑まれ怯える少女に、黒衣の男は安心させるように、微笑んだ。
「そう怖がらないで欲しいね。我輩は子供が好きなんだ。そんな顔をしていてはせっかくの可愛らしさが台無しだよ。……どうか笑っておくれ。子供は笑顔が一番だ」
そう、微笑んでいるはずなのに――無明の瞳を細め、唇を吊り上げたその貌は、どうしようもなく歪んで見えた。
その手が、伸ばされる。怯える小さな少女の頭へ向かって、優しく撫でようとするその掌は、まるでそのまま握り潰すかのようで――
「やめろ!」
フランツはその手を打ち払い、シャーリィを庇うように男の前に立ちはだかった。
「その子を恐がらせたら承知しないぞ!」
叫び、睨みつける。竦むシャーリィを背中に庇い、黒い男に挑みかかるように。その足が、小さく震えている。フランツもまた恐怖と嫌悪を感じていたのだ。
恐い。こいつは何だか分からないけど堪らなく恐い。それは単純な力に対する恐怖でも、悪意に対する恐怖でも無く、なにかもっとおぞましいモノへの恐怖だ。
だが、フランツは逃げなかった。
怯え、恐怖しても、それでも守りたい大好きな女の子がいたから。
「シャーリィは僕が守る!」
少年は、想いを叫んだ。
揺るがぬ意志で、想いと力を籠めて恐怖に挑むその瞳に、黒い男は――。
「嗚呼、美しい……。幼くともまっすぐな、輝きだ……」
輝かぬ瞳を眩しげに細め、どこか羨むように、呟いた。
「その光を大切にしたまえよ。その輝きが在る限り、君はどんな闇の中でも輝けるのだから」
そう、祈るように語りかけて、男は一歩下がった。
まるでその輝きにあてられたかのように。
「恐がらせてしまったね。すまなかった。お詫びと言ってはなんだが、一つ良い事を教えてあげよう」
廊下に点在する通路の一つを指差し、寄り添う小さな二人を微笑ましげに眺め、告げる。
「この先に見晴らしの良い展望デッキがある。そこは二人きりになれるとてもいい場所なんだ。そこで星でも眺めて語り合い、我輩の事など忘れてしまいたまえ」
そして屈みこみ、フランツの小さな耳元へと顔を寄せた。突然の接近に驚く彼に、男は小さな声で囁く。
「……恋の大勝負を前にはやる気持ちもわかるが、くれぐれもエスコートは優しくね。紳士の嗜みだよ」
「なっ!?」
頬を染めて目を丸くするフランツに悪戯っぽくウインクし、黒い男はコートの裾を翻すと廊下の向こうへ去って行った。
◇◇◇
暗く冷たい空の下、一人ぼっちの展望デッキで、恋空は小さな二つの足音を聞いた。
廊下の向こうからこちらに向かってくるそれに、慌てて涙を拭く。情けない姿を見られたく無くて、誰とも顔を合わせたく無くて、恋空は物陰に隠れた。
やがて現れる二つの小さな影。可憐な少女とその手を引く少年が展望デッキに入り、広がる満天の星空に声を上げた。
「わぁ……」
「キレイ……」
二人、星空を見上げて溜息をつく。
その美しさにしばし見入っていた少女――シャーリィは、ぽつりと傍らのフランツに声をかけた。
「……ありがとう。フランツ」
白い頬をほんのり赤く染めて、微笑みながら、彼女は言った。
「わたしを守ってくれて……」
その言葉と微笑みに高鳴る胸を感じながら、フランツもまた想いを語る。
「と、当然だよ」
頬を染めて、緊張しながら、それでも愛しい幼馴染の瞳を見詰めて。
「君のためなら、いつでも、どこでも、何度だって、僕は君を守る!」
跪き、その小さな手を取って、想いを告げた。
「好きだ……シャーリィ。――君の一番近くで、君を守らせてくれ……」
小さな少年の、大きな誓いを籠めた告白。
その言葉を最後に、沈黙が降りた。
輝く月と煌く星の下、海が奏でる波音だけが二人を包む。
そして、流れたのは――。
「わたしも……」
小さく震えた。でも温かな声。
少年の想いに瞳を濡らした、少女の想いだった。
「わたしも好きよ。フランツ……」
その言葉に顔を上げたフランツが見たのは、誰よりも愛おしい少女の、熱い涙に濡れた笑顔だった。
それを見た瞬間、フランツはその身体を抱きしめていた。
強く。強く。抱きしめる彼の身体を、彼女もまた抱き返す。
「ずっとずっと好きだった。恋人同士になれたらいいってずっと想ってた……ッ」
二人はそれぞれの瞳を見つめて、それぞれの想いを伝え合う。
「好きよフランツ。世界で一番誰よりも……」
「僕もだよ……シャーリィ……」
そして、小さな恋人達は――キスをした。
やがて二人は唇を離し、頬を染めて笑い合った後、この場から去った。
小さな手を繋ぎ、寄り添いながら、光に溢れた船内へ、二人は輝く笑顔と共に帰って行く。
暗い影の中に蹲る、一人ぼっちの少女を残して……。
「ぅく、ぅぅ……」
光の射さぬ物陰で。暗く冷たい闇の中。両手で顔を覆い、堪えるように歯をくいしばった恋空の唇から、声が漏れる。
潤み、震えるそれを堪えようと更に歯を噛みしめるも、抑えきれない。
溢れる想いがせり上がり、震える唇から――決壊した。
「うう……ぁ、ぁぁあああああああああッ!」
張り裂けるような、慟哭。
それは、羨望と悲しみと無念と嫉妬とあらゆる感情がグチャグチャになった声。
「ああああぁぁ……っ…ひぐ、ぅぅ…な、んでぇ――」
顔を覆う指の隙間から、涙が溢れ頬を濡らす。震える声音が、嗚咽とともに悲嘆を紡いだ。
「なんで……あたしにはぁ…誰も、いないのよぅ………」
苦しくて、辛くて、張り裂けそうな胸の痛みに涙しながら。
「痛い、のに……苦しいのにぃ…なんで…誰もいないのぉ……」
ここにはいない愛しい誰かを想い、泣く。
「なぐさめて……守って……抱きしめてよ……」
その唇が、その名を呼ぼうとして――。
「――――」
――出来なかった。愛しい人の名前も知らなかったから。
恋空は泣く。
まるでそうすれば愛しい誰かに届くのだと言わんばかりに。一人ぼっちの影の中で、誰にも届かぬ嘆きを紡ぐその姿は、まるで小さな迷い子の様で。もしこれをさらおうとする者がいればこう思うだろう。
「――なんとも惨めったらしいデスねェ。ですがだァからこそォォ、良い獲物ダ」
それはまるで、獲物を見つけたハイエナの様な声だった。
「――――ッ!?」
瞬間、恋空は怖気と共にその場から飛び退く――直後、恋空がいた場所に轟音と共に何者かの拳が直撃した。
人外の力で床を砕き、それは衝撃でひび割れたそこに悠然と立つ。
それは人間に見えた。色素の抜け落ちた白い肌。白い髪。だが生気の感じられぬその身の力は人を超え、顔を覆う仮面から覗く虚ろな瞳を恋空に向けるその様は、人と言うよりはまるで人形めいて――
「強化型ホムンクルスの一撃を避けますか……。さすがは腐っても姫傀儡――傀儡王の最高傑作デェスねェ」
どこからか響くねっとりと絡みつくような声が、嫌味な賛辞と共にその名を呼んだ
ホムンクルス――科学ならざる錬金術によって創られた人造生命体。
突然の襲撃に動揺する恋空が気が付いた時には、すでに包囲されていた。
周りを取り囲む、数十体のホムンクルス。同じ仮面。同じ背丈。同じ姿のそれらが、肉の壁の如く連なり立ちはだかる。
「なん、なのよ……ッ」
緊張に美貌を強張らせ呟く恋空の前で、肉の壁が割れた。
そして左右に下がったホムンクルス達の間から、一人の男が現れる。
「ハッローーーーウ!マーーリアネーーット!」
シルクハットにショッキングピンクのスーツ姿。ラテン系だろう浅黒く彫りの深い顔立ちに長く伸びる巻き髭が目を引く、奇妙奇天烈な美意識から成る異様な服装の男だった。
「お初にお目にかかりマス。ワタクシの名はアントニオ」
慇懃無礼な片言口調で一礼すると、その身を飾る幾つもの宝石類がジャラジャラと音を立て、濃いバリトンボイスに華を添える。
「トレジャーハンターギルド《
その高らかな名乗りに、恋空は驚愕の声をあげた。
「コレクターズ!?」
それは蒐集を目的に幾度となく自分達を狙い、激闘を繰り広げてきた仇敵の名。
だが、それはあの日、忘れもしないあのクリスマスに――。
「何であんたらが……。《蒐集王》ジーヴァスは死んだはずでしょ!」
カラクレアと第一番姫を除く全てのマリアネットが、死闘の末にギルドマスターたる《蒐集王》を斃したのだ。長を喪い組織は瓦解した筈だ。そう思っていたのに……ッ。
その問いにアントニオは、チッチッチと立てた人差し指を左右に振って答えた。
「確かにギルドマスターたるジーヴァス翁は死にまぁシタ。ですが我らがギルドはそもそも、それぞれが求める物を蒐集する事のみを目的とする個人の集まり。特定の主義主張を持たない我らにとっては、頭を亡くしたとしてもまァた付け替えれば良いだけの話。いやむしろ……」
そして彼は、口角を吊り上げ歯をむき出した、ハイエナのような笑みを浮かべた。
「今この時、組織の新たな長を巡る権力争いの混乱時こォそが、他の者達を出し抜いて蒐集するチャァァァンスなのデスよ!」
その言葉と共に、周囲を囲むホムンクルスが一斉に動く。
腕を振り上げ床を蹴って、意志の無い瞳が、人形めいた無数の仮面が恋空めがけて殺到した。
「ちぃ!」
忌々しげな舌打ちと共に恋空は身を翻す。
「ゥキァッ!」
可憐な唇から発せられるは子猿の如き叫び。
素早く身をかがめて横に振られた腕を避け、すぐさま飛びのき覆いかぶさる一体をやり過ごす。
まるで猿のようなその動きで、迫る腕を、伸ばされた指をかわしていく軽快にも見える体捌きは、だがしかしどれもが紙一重であった。
掠った拳で肌が傷つき、爪で千切れた髪が舞う。かわすべく絶え間なく動かす足が、その腕が――重い。
これまでの戦闘で負った傷は治ったとしても、疲労は今だ消えず華奢なその身に重く圧し掛かる。くわえて魔力も尽き果て御伽術式の発動すらままならず、この場も培った功夫から成る体術で何とか持たせているに過ぎない。
だが、精彩を欠き荒く息を吐く恋空の身体は、既に限界を迎えていた。
「――う……ぁ……?」
ぐらりと、視界が揺れて足がもつれる。
体勢を立て直そうとするも、その隙を逃してくれるほど敵は甘くなかった。
無言で繰り出された拳が腹部に当たり、その身を吹き飛ばす。
人外の力で殴り飛ばされた恋空は欄干に激突し、その衝撃で欄干は歪み全身が軋んだ。
「か……ハぁッ!?」
凄まじい痛みと衝撃に、血糊混じりの悲鳴が漏れる。
痛みに震え、力無く歪んだ欄干にもたれるその姿を、恐るべき蒐集者は悠然と眺めた。
「ふゥむゥ。もう少し歯ごたえがあるかとも思いまァしたが、所詮は主を失った操り人形。こんなものデスか……」
肩をすくめて言うその台詞は、まるで自分達どころか敬愛するマスターをも侮辱するかのようで。
「なん、ですってぇ……」
煮えたつような声と共に、恋空は怒りを籠めて睨みつけた。
が、その瞳も圧倒的な戦力差の前では失笑物に過ぎない。事実アントニオが彼女に向けたのは、強情な子供に向けるような呆れた苦笑だった。
「その元気だけは流石デスが、これ以上抵抗されても面倒デェスね。ワタクシとしてもAAAクラス宝物であるアナタをできれば傷つけたくない。……では、こういうのはどうでショウ。――あの可愛い子供たちを、死なせたくは無いでショウ?」
「なに、言ってんのよ……?」
不穏な台詞に眉を寄せ、嫌な予感を感じて問いかける恋空に、アントニオは言った。
唇を吊り上げ、追い詰め逃さぬ死刑宣告の様に。
「ワタクシのホムンクルスは戦闘用に改造を施した一級品デス。その手にかかれば、この船内に居る人間など十分とかからずに鏖殺できル……」
「――――ッッ!?」
その言葉に息を呑み、義憤のあまり噛みしめた奥歯が軋みを上げる。
「下衆がぁ………ッ」
「ああそんな目で見ないで下さァい。ワタクシも無関係な人間を巻き込むなんてスマートじゃない真似はしたくないんデスよ。だからどうか大人しく捕まってもらえませんか?――誰もしなせたくないのなら、ネェ」
ハイエナじみた笑みで指を鳴らしたその瞬間、ホムンクルス達が一斉に踏みだした。にじり寄り、狭まる包囲の輪が恋空に迫る。
「ぅ……ぁぁ……」
自らを捕えんと伸ばされる無数の腕を、恋空はただ震える瞳で見つめるしかなかった。
戦う事も、逃げる事も出来ずに、無力なその胸を覆い尽くす冷たい絶望を感じながら、蹲る。
「……す…けて……」
小さな唇から洩れる、儚い呟き。
「……たす、けてよぉ……」
その声は、届かない。
届けたい人を、知らないから。
呼びたくても、呼ぶべき名前も知らなくて。
だから、それに応える者は――。
「――『天は自らを助くる者を助く』……何故だかわかるかね?」
――そんな少女の絶望を待ちわびたとばかりに現れた、害蟲だけだった。
「絶望に抗い、自らの光で闇を照らさんとする魂の輝きを、何よりも愛するからだよ」
絶望の場に流れる、優雅ながらも枯れた声音。
楽しげに語るその声は無邪気に、歌劇の開演を待ちわびる子供の如く弾んでいる。
瞬間、恋空の前を塞ぐ包囲の壁が――割れた。
命じられたわけでも、無理にやられたわけでもない。その声を聞いた時、その気配を感じたその瞬間、言語を絶する怖気と共にこの場の全てが途轍もない嫌悪感に侵された。近づきたくない。一歩でも離れていたい。そんな嫌悪感がホムンクルス達を後ずさらせ、自ら道を作らせたのだ。
哀れなる少女の下へと続く、王の道を。
恋空は見た。その道の向こうからこちらを眺める黒い男の無明の瞳を。
アントニオは感じた。黒い男が放つ歪んだ喜悦を。
ホムンクルス達は戦慄した。感情のほとんど無い自分達ですらも感じる、その嫌悪に。
誰もが恐れ、誰もが嫌い、誰をも狂わせるその名は。
「「――《害蟲王》!」」
裏世界に轟く忌名を呼ばれ、男は苦笑する。
星明かりの下、降り注ぐ白き月光すらも穢すかのごとき黒を纏い。何処からか蟲の如く湧き出て佇む黒き男――クロードは、無明の瞳を恋空に向けて、告げた。
「やあ恋空君。約束通り聞かせてもらいにきたよ――君の意志(こたえ)を」
◇◇◇
害蟲の王が征く。
彼を恐れ、彼から逃れんとして拓かれた王の道を。
優雅な足取りで。楽しげな頬笑みで。
黒きコートを靡かせ、紅き瞳を煌かせて征く彼を、止める者はいない。
感情など殆ど無い筈のホムンクルス達は気圧され、座り込む恋空は呆然と目を見開く。
誰も止められぬかと思われたその歩みは、だが一人の男に止められた。
「《害蟲王》……まさかアナタが出てくるとは」
長い巻き髭にショッキングピンクのスーツというその男は彼の前に立ちはだかり、気圧されたのを隠すかのように殊更慇懃無礼に一礼した。
「お噂はかねがね聞いておりまァすよ。会えて光栄デス害蟲王陛下。ワタクシは――」
「《コレクターズ》のアントニオ君だろう?自称《
対するクロードもまた、優雅な仕草で一礼する。
「初めまして《
あくまでも穏やかに、どこまでも和やかに、だが有無を言わせぬ声で命じた。
「――故に、そこを退いてくれないかね?紳士たるもの、女性との約束は守らなければいけないだろう?」
紅き瞳を細め、唇を笑みの形に歪ませたそれは、懇願でも、恫喝でも無い――命令であった。
意志など知らぬし思惑なんてどうでもいい。邪魔するのなら拒否も拒絶も一切許さずあらゆる手段で潰してやるから黙って道を譲るがいい。
そう告げる無明の瞳を、アントニオは正面から見返した。
「たとえアナタと言えども蒐集の邪魔はさせませェんヨ。ようやく巡ったマリアネットと御伽術式を手に入れるこのチャンス、邪魔する者は誰であろうと容赦しまセン!」
妄執迸る叫びを号令にホムンクルス達が包囲を狭め、一斉に攻撃態勢をとる。
腕を構え、爪を立て、あるいは飛びかかろうと身を屈める群れの只中で、クロードは肩をすくめた。
「我輩一人を殺すのに随分とまあ大げさな事だね」
呆れたように苦笑する彼に、アントニオはニヤリと笑って語り出す。
裏の世界に語り継がれる害蟲の王の伝説を。
「《害蟲王》――どこで生まれ、いつから存在するのかすらも分からない謎の怪人。あらゆる事件あらゆる陰謀に暗躍し、善も悪も総てを問わず世界に混沌を振り撒く害蟲……」
「……ただの愛と美学に生きる変態紳士だよ」
心外そうに眉をしかめる顔を愉快げに眺め、そして声を張り上げた。
「……でェすが、強大な配下達を操る一方で当のアナタ自身はただの凡人。悪知恵と生存能力が図抜けている以外は何の特殊能力も持たない弱者に過ぎナイ!」
勝ち誇るようなその言葉と共に、この場の殺気が一気に高まった。
「アナタの伝説はここで終わる!ワタクシが終わらせる!せめて美しく散らせてあげまショウ」
高らかに叫び、両手を広げたその瞬間、静かに高まっていた殺気が一気に爆発した。
「アァァァァディオォォォス害虫王オオオ!」
そして、佇むクロードめがけホムンクルスの群れが一斉に地を蹴り殺到し――。
「――退けと、言っているんだ」
――その全てが後退った。
「「「「――ッッッッ!?」」」」
それは思考よりも早く。
何を思うより、考えるより先にまず身体が動いていた。後退り、立ち止るという動きを。
呆然と、彼らは自問する。
何が起こった?何故この足は勝手に退いたのだと考えて――桁違いの怖気に総てを呑みこまれた。
「カ――ハッ――!?」
息が出来ない。絞り出した声すらも途切れ、喉が見えざる何かに締めつけられて、あらゆる血管が凍りつき絶対零度の海に叩きこまれたかのような寒気が全身を襲う。
総てが凍りつくようなそれに、腕が、足が、指の一本すらも動かせない。
これは、『嫌悪』だ。
先程まで感じていたモノが単なる水の一滴だとすれば、これはまさに無限水量の大津波。比べる事すらも出来ぬ桁と質の嫌悪感が、クロードを見る者全てを呑みこんでいく。
何だ。何だ何だ何なんだこれはッッッ!!
誰もが混乱し恐慌する中で、同じ様に後退り硬直したアントニオは――見た。
眼前に佇むクロードの、人ならざる害蟲の笑みを。
「――人は何故、蟲を恐れると思う?」
穏やかに瞳を閉じて笑うその姿が――歪み、縮んだ。
いや違う錯覚だ!その姿は何も変わっていない。……いないというのに、確かに何かが絶望的に変わていく。
奴が放つ存在感が小さくなる。纏っていた気配が変質する。奴から感じる覇気やオーラと言った『強さ』が薄まり、消えていく。
まるで蟲が擬態を解くように、いや、これはむしろ――脱皮だ。
今まで本当の自分を覆い、偽っていた殻を破り、本当の中身が、その本質が現れようとしているのだ。
すなわち、極限すらも超えた絶望と諦念。それらが形をなしたまさしく『弱さ』の権化の様な男が。
「吹けば飛び、叩けば潰せ指の一本ですら殺し尽くせる。だというのに人は蟲を恐れる……なぜだろうねぇ?」
誰もが感じていた。
こいつは――『弱い』。
だが、それは単純な力でも知力でも権力でもましてや戦闘力でも無い、もっと本質的な『弱さ』だ。
それはきっと、『人』であるのならばけして持ってはいけない何か。
それに挑み、それに負けてそれに染まった瞬間に人ではない何かに堕ちるモノ。
故に、それは、それは堪らなく嗚呼感じるだけでこんなにも――。
そしてようやく、アントニオは理解した。
こいつは『擬態』していたのだと。
これは『人』の様な気配を装い『人』の様に擬態していたナニか。
人肉で出来て、人血が流れ、人語を喋るとしても、コレの『本質(なかみ)』はもう、人ならざるナニかだ。
「な、何ですかッ……アナタは一体、何なんデスかァ!?」
問われ、乾いた笑みを浮かべて開いた瞳には、何の光も無かった。
夢も、希望も無く、摩耗した諦念と枯れ果てた絶望だけが在る紅い闇が、嗤った。
「天にも昇れず、空も飛べずに地を這い光を見上げる――ただの惨めで哀れな蟲けらだよ」
嗤い、一歩を踏み出す。
最早それを止める事は、眼前に立つはずのアントニオには出来なかった。
折れた心でただただ震えて、立ち尽くす。
「恐いかね?それが問いの答えだ」
殺す事ならできる。いつでも今でも何度でも。
腕の一振りで足の一蹴りで何なら指の一本ですらも容易く殺せるというのに、殺したくなかった。
嗚呼そう当たり前だ。
見たくない触れたくない近づく事すらも出来ないようなこんなモノに触れて殺すなどと、蟲を噛み砕き糞を握り潰すような真似などしたくあるものか!
だからこそ、彼は何もできずに――。
「――極限の嫌悪は、究極の恐怖となる。故に君は我輩を恐れるのだよ」
歩み征く害蟲の王を、通した。
――かくて、害蟲の王は再び人形の前に立ち、問いをかけた。
「答えは、決まったかな?」
問う声は優しく、その瞳は穏やかに――命じる。
「さあ、言いたまえよ。君の答えを……」
その声を聞く恋空は、歪んだ柵にもたれて呆然と蹲り、クロードを見上げる。
その唇は震え、何事かを呟こうとするようにも見えるが、何も紡がれる事は無かった。
迷い、悩み、惑う瞳をクロードは見詰め、口を開く。
「迷うのかね?何もできなかったお人形が?」
蠍の如く突き刺すその声に、小さな肩が震えた。
「悩むかね?何がしたいのかも分からないから?」
「……ゃ……めて……」
震える唇が、初めて紡いだのは微かな苦悶。
「……もぅ……やめて……」
「惑うのかねいつまでも?我輩に破れ仇を討てず恋すらも叶わず闇の中で永遠に!」
「やめてよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
砕け散るような、悲鳴。
少女の虚ろな慟哭は夜に木霊し、己には復讐も恋も何も無いのだと嘆いて響く。
頭を抱え、蹲り震える恋空は、もう何もしたくなかった。
このまま永遠に蹲り、いつか壊れて朽ち果ててもいいとすら思う。そうすれば何も考えることなく、空っぽの想いにも、この胸の痛みにも向き合わずにすむから。
そうして全てに目を背け耳を塞いで蹲る恋空に、クロードの新たな言葉が掛けられた。
「そうかなるほどまだ惑うというのなら、新たに二つの選択肢をやろう」
選択肢というその言葉に思わず伏せていた顔を上げ、目に飛び込んできたのは――妖しく微笑むクロードがその手に持つ、白銀のナイフの煌きだった。
「もし望むのならば、我輩を殺すといい」
そのナイフの切っ先を左手の甲にあてると、鮮やかな血が流れ刃を染める。
傷つき血に濡れた左手を恋空の前に差し出し、それが紛れもなく本物だと示してクロードは言った。
「我輩を殺した後どうするのかは君の自由だ。が、君は目的を問わずあらゆる組織から狙われている。実力の発揮できない今の状態では、まあほぼ間違いなく捕まるか死ぬだろうね。とはいえ、君は念願通り主の仇を討って死ねるよ」
思わず耳を疑うも、紅く見下ろすその瞳に一切の揺らぎはなく、嘘偽りは見いだせなかった。とはいえいきなりの事に恋空は戸惑う。諦めていた復讐が果たせるかもしれない事に動揺する彼女だったが、
「そしてもう一つの選択肢だが……」
次にかけられた言葉は、そんな彼女の思考の総てを吹き飛ばすものだった。
「――我輩の人形になりたまえ」
「……は?」
「我輩はとてもとても弱くてね。今ちょっとばかりある事を企んでいるんだが、その成就のためには『力』がいるんだよ」
一 体 何 を 言 っ て い る ?
「その力と知恵の総てを捧げ仕えてくれないかね?そうすればいずれ――」
理解を絶するその言葉に思考が停止した次の瞬間――。
「――御伽騎士に逢わせてあげよう」
からっぽの胸が、高鳴る音を聞いた。
◇◇◇
ドクンッ、と……。
その瞬間――あたしの全てが、高鳴った。
『御伽騎士』
告げられたその名が耳に焼きつき脳裏に刻まれ、そして全てが高鳴っていく。
ドクン、と胸が熱い鼓動に震えれば、そこから広がる甘い痺れが全身を駆け巡る。
たまらなく頬が熱い。肌が火照って赤く染まるのを止められない。
『御伽騎士』
その名が何度も頭の中に響いてあたしを痺れ、高鳴らせ、甘く燃やす。
『御伽騎士』
あたしを甘く狂わせる、あなたは――
「――だれ?」
呆然と、問いかける。
そしてあたしは――
「――ときめく胸が、その答えだ」
――この人に恋をしているのだと、知った。
『御伽騎士』
「ふぁ…あ……ああっ!!」
――好き。
好きすき好きスキ好き好き好きすき好き好きスキ好き!
「おと、ぎ……っ」
顔も知らない声も知らない何も知らないのに好きで好きで堪らないの。
「き…し…っ…」
胸が高鳴り頭が痺れて総てが蕩ける大好きが止まらないよ。
「――御伽……騎士!」
あたしは、あなたが――。
「逢いたいかね?」
そして掛けられる、害蟲の問い。
月光にすらも染まらぬ黒い男は、紅い瞳であたしを見下ろし問いかける。
「では改めて聞こうか。生きるべきか死ぬべきか、その答えを」
穏やかな声で。誘い堕とす悪魔の様に。
「我輩を殺し復讐を果たして死ぬか……」
右の掌にナイフを載せて、あたしの前に差し出した。
「我輩を殺さず復讐を捨て恋に生きるか……」
左の手は何かを摘まんで、血に濡れた手の甲を向けて同じように差し出される。
その指が摘まむ物を見た瞬間、あたしは目を見開いた。
その指が摘まむのは――ラブレター。
あたしが綴った。想いの手紙。
「――さあ、魅せてくれ。君の意志を」
あたしの前には、今二つの選択肢が在る。
月光に煌くナイフが告げる。
復讐を果たせ。マスターの仇を討て。お前はその為にここに居るのだろうと。
血に濡れた手が持つラブレターが訴える。
想いを叶えて。自分の虚ろな恋心を実らせて。あなたはその為に生まれたのでしょうと。
あた、しは……あたしは――ッ
『きっといつか、あなたは好きな人に逢える。その想いを伝えられるわ……』
ごめんね……マスター……。
あたしは――。
手を、とった。
血に濡れた、ラブレターを持つ手を。
「ならば、誓え……」
王が命じる。
逆らう事も、抗う事も許さず、その証を捧げよと。
いとおぞましく、恐ろしき王の意のままに――その手の甲に、口付けた。
「……血液からの遺伝子情報――取得……」
――捧げた唇は、血の味がした。
「マスター登録――完了……」
「――ふ、くく……」
歪み狂った、声がする。
跪き、隷従を誓うあたしを鑑賞する王の唇が、歪み、吊り上がる。
「くふぁっ―――はッ」
高く、高く、身の内から湧き出る何かを堪えるかのように結ばれたその唇が、ついに綻び――爆笑した。
「ぎィあ唖アアああア嗚呼はハハ覇は破ハははは破ハハハはは!!」
それはまるで蟲の様な声だった。
笑う王は限界まで口を開いて、狂ったように歪んだ歓喜をぶちまける。
「いイイ威いヒヒひひ緋ははハハ覇はハハ破アア嗚呼ああ!!」
楽しくて愉しくて堪らないと。涙すら流して見開く瞳は狂喜して、見下ろすあたしに良いぞ素晴らしいこうでなくては楽しめないと惜しみない賛辞を送っていた。
その声を聞いて、思う。
あたしは、堕ちたんだと。
愛するマスターを殺し、妹を狂わせた――
「あアア嗚呼あは亜はあ破アは亞ハアア唖ああ亜アアあAAアア!!」
――《害蟲王》のお人形に。
「ひ、ひいいいいいいいいいいい!?」
その時、恐怖に染まった悲鳴が上がった。
あまりのおぞましさに耐えられなくなったのか。それとも恐怖を上回る生存本能がそうさせたのか。
震える瞳を見開き、コレクターズの男――アントニオがひきつった声で配下のホムンクルス達に叫んだ。
「こ、殺セ!今すぐ一秒でも早くヤツを殺しなサイ!」
恐慌寸前、いや、もはや恐怖に狂った声に命じられ、あたし達を取り囲むホムンクルス達が一斉に地を蹴った。奴らもまた恐怖に呑まれていたはずだけど、命令で我を取り戻したその動きに躊躇は無い。まさしく戦いのための道具であると示す殺意を迸らせて迫る仮面の群れを前に、害蟲の王は微笑んだ。
「では恋空君。可愛らしい我輩のお人形。最初の見せ場だ……」
笑い、にこやかに最初の命令を告げる。
「――その身その力その輝きを以って、その恋路の始まりを盛大に彩りたまえ」
下されたその命に、あたしは頷き――立ち上がる。
床を踏みしめるこの足は、もう震えてはいない。
前を見据える瞳を、もう震わせない。
この胸の想いを、もう惑わせない。
決意を抱き征くあたしの姿を、王の瞳が眩しげに見つめる。
羨むような、憧れるようなその瞳を背に受けて、あたしは王の前に出た。
王を守るべく、連なる仮面に立ち向かう。
総ては、この高鳴る想いのために――。
「恋路を邪魔するその全て、天地万物鏖殺し恋愛劇の序幕――そのフィナーレを飾れ!」
「知道了(おおせのままに)!」
御伽騎士、あなたに逢うそのためならば、あたしは――屍山血河の恋路を征く!
「
――そして序章は終わり、王様とあたしの人形劇が幕を開けた。
◇◇◇
暗い地平線から、朝日が昇る。
旧い夜を終わらせ、新たな朝の始まりを告げる光を、あたしは呆と眺めていた。
共に人を超える存在が激突し、破壊し尽くされた展望デッキには、もう敵の姿は無い。
残らず壊しその一片に至るまで吹き飛ばして海に叩きこんだから、ここに残るのはそれが生んだ破壊の痕と、それを成したあたし達だけ。
その余韻に浸り、頬を撫でる海風を浴びながら、呟く。
「……ねえ」
「なんだね?」
細葉巻を咥えつつ同じように朝日を眺めていた王――クロードは穏やかな声で応じ、あたしに目を向けた。
「この船って、どこに向かってるの?」
「イギリス。その首都にして怪奇と幻想の都『ロンドン』だよ」
あいも変わらずの芝居がかった口調で出された答えを聞き、あたしは再び問いかけた。
胸を微かに高鳴らせ、内心の緊張を隠して。
「……そこに、御伽騎士はいるの?」
「いいや。だが我輩達が征く旅路の先に、必ず彼はいる」
その答えに小さく落胆するも、あたしは暫し瞳を閉じて、失意を振り払い己を奮い立たせる。
「――そう。じゃあいつか逢えるその時まで、あたしは走り続けるだけよ」
この胸に燃える想いにかけて誓うあたしを、害蟲の王は楽しげに見つめた。
「その意気だ。その想いの輝きを失う事無く、君の恋路を征きたまえ」
そうすればいずれ、必ず彼に逢えるだろう。
その言葉に、あたしは決意を籠めて頷いた。
「あたしは、絶対に――」
もうこの想いはからっぽじゃない。
届ける人を見つけたから。
愛しい人を知ったから。
だからあたしは、ありったけの想いを籠めて叫んだ。
この空の下のどこかにいる、大好きな人に向けて
「――御伽騎士。あんたの恋人になるんだからね!」
――『御伽騎士様へ』と書かれた、ラブレターを手に。
極悪少女は縛れない
場外劇『王様とあたし』
――閉幕。
◇◇◇
《彼女》は、臣下からの報告に眉を顰めた。
「クイーン……。《害蟲王》が、このイギリスに向かっているようです」
恐る恐る語られたその知らせに、艶やかな赤い唇を忌々しげに歪め呟く。
「害蟲王……。卑しい虫けらが我が大いなる研究の場を穢すか」
吐き捨てるように言うと、彼女はすぐさま声を張り上げた。
「触媒の確保と適合者の捜索を急がせよ。新たなる実験を直ぐにでも始めるのだ!」
それはまさしく王の叫び。美しくも威厳に満ちたその声に、臣下は慄き一礼するとすぐさま勅命を果たすべく走り去った。
その様を薔薇に彩られた真紅の玉座から見下ろして、彼女は呟く。
「何人たりとも、妾の王道を阻む事許さぬ」
それは、絶対的な王意による何人にも止められぬ野望。
「……もし立ち塞がるというのならば」
故に、それは阻む者全てを赦さぬ
「――首を刎ねようぞ」
――赤き王道であった。
◇◇◇
そして――
とある浜辺に、一人の男がうち上げられていた。
その全身は全て傷だらけ。ショッキングピンクの奇抜な服装はポロポロに破れ、さながら悪趣味なゾンビめいている。
だがその眼光だけは光を失わず、いやむしろ怒りと妄執にぎらついていた。
「おのれェ……よくもワタクシにこのような屈辱を……ッ。この借りはいずれ何倍にもして返してあげマァスよ……」
恨み晴らさでおくべきかと呟くが、すぐに「うーん」と唸り眉を寄せる。
「ですが、あの二人に挑むにはホムンクルスでは無理でしょうね。やはり、同じマリアネットでなければ……ならば急ぎ手に入れなければいけまセェんね。他のマリアネットを!」
意気消沈なんのその。渋い声で叫ぶと善は急げとばかりにすぐさま立ち上がり、何処かへと走り出した。
「とりあえず少しでも奴らから離れまショウ。具体的には地球の反対側まで!」
地球の反対側。奴らが向かったイギリスから最も遠い場所。
――すなわち
「日本へ!」
おまけ
『クロードのにっき(大晦日から元旦)』
昨日と今日は恋空くんを手に入れるために色々頑張りました。
首絞めたりリア充けしかけたり大変だったけど何とかゲットできたので良かったです。でも惚れてる奴の名前を教えた後はチョロすぎたので正直そのうち悪い奴に利用されたりしないか心配です。まあそのあたりはこき使いつつ見張っとけばだいじょぶか☆全く我輩ってやつは優しいなぁ。今年一年世界が幸せでありますように。あけおめ。
番外編終了!結局難産でした畜生め。
投稿予定からだいぶ過ぎたのは全て私めのせいですごめんなさい。
だからプロット書いておけとあれほど……。
ともあれ、番外編も終了し次はいよいよ本編です。
さーて頑張るか。