極悪少女は縛れない   作:どるふべるぐ

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それは遥か昔、百年にわたる戦争の時代。
《正義》無き男と《正義》に殉ずる定めを持つ少女が出逢う時

――今、その運命が開幕する。


シーン6『Round Start~黄金の少女』

 ドンレミ村を包む炎の中は、まさに地獄だった。

 煌く刃の銀光が夜闇にはしるその度に、赤き血が宙に舞い骸が生まれる。

 イギリス兵達による殺戮の宴は、今や佳境に入っていた。

 そして今、兵に追い詰められた一人の女性の命もまた消えようとしていた。

 

「い、いや……助けて……ッ」

 

 炎の中を逃げ惑い、幾度も転びあるいは突き飛ばされ傷ついた身体は満身創痍。涙を流し命乞いするその姿は哀れであるが、彼女の前で血に濡れた剣を振り上げる兵の瞳に慈悲は無かった。

 ただ、殺す。彼とその隊に英国王より下された皆殺しの命に従い、大義のために殺戮する。たとえそれがいかな蛮行であろうとも、祖国を救う事が彼の正義なのだから。

 そして彼は、天に掲げたその刃を振り下ろし――

 

「お前が死ね」

 

 背後から冷たい刃に貫かれた。

 己が胸から突き出た刀身に呆然とし、背後を振り返った彼の瞳が最期に見た物は――正義の輝きなどどこにもない、虚ろな深淵の様な瞳だった。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 兵を殺した男――品のある端正な顔立ちだが、どこか陰を感じさせる男は剣を振りべったりと付いた血糊を払うと、女性に声をかけた。

 

「――はっはい。ありがとうございますッ!」

 

 しばし呆然としていた女性だったが、我に返ると震える声で礼を言い頭を下げる。

 

「礼はいい。それよりも早く逃げるんだ」

「い、いいえ。娘をっ、はぐれた娘を探さないとッ。早く逃げないとって言ったのに、あの子は近所の子供たちを助けるために一人で駆けだして……ッ」

「……。その子は僕が探します。ですから貴女は早く逃げて下さい。母親である貴女にもしもの事があればその子は悲しむでしょう」

 

 安心させるように微笑み、言う。

 その言葉に女性は暫し逡巡するも、やがて「どうかあの子を頼みます」と頭を下げこの場から逃げ去った。

 その姿を暗い瞳で眺め、男はゆっくりと己が唇に触れる。

 指先で感じるその形が、確かに笑みになっている事を確認し

 

「正義は分からなくとも、『偽善』はできるのか……」

 

 皮肉げに、嗤った。

 

「将軍?」

「……いや。なんでもない」

 

 はぐれた娘を探す母親に、娘がまだ生きている保障などどこにも無いというのに偽りの希望を与えた男は、再び炎の中に歩を進めた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その時、神原高校二年B組の教室は静かな熱気に包まれていた。

 窓から降り注ぐ夏の日差しがジリジリと肌を焼き、浮かぶ汗が滝の様に流れ落ちる蒸し暑い空気の中で、誰もが固唾を飲んで沈黙している。

 

「――さて、いよいよ明日から夏休みです」

 

 熱い。とにかく熱い。

 外からの熱もそうだが、着席し担任教師の話を聞く生徒達からも、言葉は無くとも内心の興奮と高揚からくる熱気が放たれているので、ここは心理的にも体感的にも二重の意味で熱かった。

 

「――休み中はくれぐれも学生としての自覚を忘れず、節度ある行動を心がけ――」

 

 それは例えるならばパンパンに膨らんだ風船。

 彼らは担任のおっとり声を聞きつつ、心の中で膨らみつづける期待と興奮を鋼の自制心で抑えつけながら、弾けるその時を今か今かと待っている。

 

「――ではこれにて今学期最後のホームルームを終わります」

 

 そして最後に担任がそう締めくくり、ホームルームが終了したその瞬間――

 

「「「ぅうおっしゃあああああああああああ!!」」」

 

 空気が爆発したかのような熱い歓声が――弾けた。

 

「なーつーーだあああああ!」

「夏休みじゃああああああ!」

「ようやくこの時がやって来たああ!」

「待ってましたあああ!」

 

 その発生源は、満面の笑みを輝かせ歓声を上げる生徒達。

 学業から解放された喜びと、待ちに待った夏休みへの興奮。学生ならば誰もが抱く二つの感情が花火の如く教室中で弾けまくる。

 

「夏だ祭りだ青春だ!」

「キンチョーの夏!リア充の夏!」

「今年の夏こそ彼女をゲットして大人の階段を……ッ」

「明日から夏コミ新刊に向けてデスマーチよぉぉ!」

 

 さらば学業こんにちは夏休み。それぞれの『夏』を、誰も彼もが楽しみ抜こうとしていた。

 海へどんな水着を着て行こうか相談し合う女子達。海でどんな女をナンパしようか相談し合う男子達。その隣で山でどんな合宿をしようか相談し合う体育会系男共。

 御伽騎士がいる二年B組教室は今、夏の太陽よりも熱くギラギラした『若さ』に満ちている。

 

「はしゃぐのは良いけど、はしゃぎ過ぎて怪我やトラブルに巻き込まれないでね~」

 

 その様子にタレ目を細めて苦笑しつつ、担任の坂本はのほほんとした笑顔で、

 

「もし怪我をしたならとりあえず耐えなさい。若いうちは骨の一・二本くらいなら寝てれば治るわ。あとはっちゃけ過ぎて警察に追われた時は全力で逃げる事。ケンカやトラブルに巻き込まれた時は何としても相手に責任を押し付けて逮捕だけは避けなさい。生徒から犯罪者が出たなんて事になったら先生の責任問題になっちゃうから。――まあとにかく、先生の貴重な休みを潰すような真似だけはしないでね❤」

 

 ……以上の台詞、全てのほほんスマイルでの発言である。が、目は全く笑っていなかった。

『白い笑顔に黒い腹。前世は絶対化け狸』と噂される腹黒タレ目巨乳教師こと坂本の言葉に、すぐさま全員が青い顔で頷く。もしこの人が呼び出されるような事をしてしまったなら何をされるか――そんな恐ろしい事は考えたくも無いからだ。

 

「よろしい。先生そんな素直な皆が大好きよ。じゃあ、く・れ・ぐ・れ・も面倒事の無い楽しい夏休みを過ごしてね」

 

 そして、おっとり口調でそれはそれは恐ろしい笑顔を浮かべる坂本が出て行くと、教室中から『ほっ』と安堵の息が漏れたのは言うまでも無い。

 が、そんな中で一人だけ青い顔を更に青白くさせた者がいる。

 

「だ、大丈夫かナイト?」

「……おお! ナイトが凄い表情です」

「ただでさえ目付きの悪い顔が迫力三割増しだな」

 

 そう、今まさに極大の面倒事を抱えている御伽騎士君である。

 

「……く、くくくっ。いいぜ今さらビビッてなんかいられねえ。多分絶対とんでもなくトラブル山盛りの夏になるだろうが俺は俺のやりたいようにやってやるッ」

「……セリフは強気だけど脂汗が滝の様に流れてるよ」

「追い詰められ過ぎて逆に吹っ切れるパターンの典型だな」

「妹を思うその気持ちは嬉しいが、くれぐれも無理はしないでくれ……」

 

 引き攣った笑顔で自分に言い聞かせる騎士と、それを暢気に眺める飛鳥礼二と万馬殿安美。唯一心配そうにしてくれたのは隣の席の雨宮凛花だけだった。友達って何だろう。

 そんな亡霊もどきと金髪イケメンのツッコミに、騎士はだがフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。

 

「なんとでも言いやがれ。俺はもうウジウジ悩んだりしねえって決めたんだよ。万が一トラブって坂本が呼び出されるような事になったとしても、その時はその時だ」

「ナイト……ッ(じーん)」

「……おおカッコいい」

「流石は親友。大事な者のためなら己の身すらも顧みんとは正に『漢』だな」

「……下半身はまだ『男』じゃないのにねww」

「俺そろそろ安美を殴ってもいいような気がしてきた……ッ」

 

 震える拳を握り湧き上がる殺人衝動を騎士が必死に抑えていると、それを面白そうに眺める自称親友の唇が不意にニヤリと吊り上がった。

 

「さて、そんな親友の決意を応援するとっておきの知らせがある」

「? なんだよ?」

「早速だが記念すべき夏休み最初のイベントが決まったぞ」

「……頼れる親友二人がプロデュースする神企画です」

「……一応聞いとくがどんなだ?」

 

 その顔こそ爽やかイケメンスマイルと恐怖怨霊スマイルだが、絶対碌でもことを企んでいる予感しかしない悪友共に若干警戒しながらも聞くと、礼二は子供にとっておきのプレゼントを渡すサンタのような笑顔で――

 

「名付けて、『プールでラブコメ大作戦~ポロリもある(かも)よ❤~』だ!」

 

 教 室 中 に響き渡る声で、言った。

 

「「「「――――!?」」」」

 

『教 室 中』に、である。

 ……後に御伽騎士曰く、その時のクラスメイトからの視線はそれはもう辛かったらしい。

 

 

††† ☨☨☨

 

 

 燃える地獄の中で、骸の転がる地をひた走る僕はある事に気付いた。

 

「女子供が多いな……?」

 

 斬られ、殴られ、貫かれ、その死因こそ様々な骸達。

 地に転がり赤く染めるそれらは、だが男のものは少なくその殆どが女子供のものだった。いや、子供の割合も女児の方が多いか。

 

「何故だ?」

 

 偶然か?

 いいや。あらためて思い出せば、ここに至るまでイギリス兵が襲っていたのも殆どが女子供だった。男を殺していたとしても、それは抵抗し立ち向かった者達だ。明らかに敵は女子供を優先している。いやむしろ……。

 

「それだけを目標に……?」

 

 呟いた僕の耳に、イギリス兵の怒号が聞こえた。

 

「《魔女》を殺せええええ!」

 

 殺意に燃えるその声は、炎に包まれた村に木霊し響き渡る。

 

「女は一人たりとも逃がすな。その中に《魔女》はいる!」

「我らがイギリスの勝利のために、何としても《魔女》を狩るのだ!」

 

 応じる声も高らかに、祖国のための殺戮を誓っていた。

 

「《魔女》……だと?」

 

 何の事だ?

 分からない。だが、それでも……。

 

「たとえ何であろうと、国民を殺させる訳にはいかないな」

 

 それが正義無き僕の、貴族としての《義務》だ。

 

「全員散れ! 残る敵はこの一帯だけだ。少数に分かれ速やかに各個殲滅しろ!」

 

 鋭く命じ、それに従い部下達が散ると、僕は一人さらなる炎の奥と進んだ。

 

 ……ああ、まただ。

 また、僕の胸がざわめいていく。

 何かに引き寄せられるような感覚が、この身体を動かしていく。

 運命に導かれるかのような心地のままに一人炎の中を行く僕は、やがて古びた教会に辿り着いた。

 古めかしくも荘厳なその教会にもまた戦禍は及び、既に傷付いた外壁の所々から炎が噴き上がっている。

 僕はためらうことなく、扉へと手をかけゆっくりと開き、燃え落ちる神の家の中へ足を踏み入れた。

 

 

 

 ――そして僕は、運命(かのじょ)と出逢う。

 

 

 

 そこは、炎が彩る聖域だった。

 椅子も、天井も、全てが炎に燃えて赤く染められている。

 その中でただ一つ、聖堂の奥で燃える十字架の前に、ゆらめく炎の光とは異なる――黄金の輝きが在った。

 

 美しいと、思った。

 

 ――炎に煌く、黄金の髪。

 

 それは一人の少女だった。

 

 ――穢れ無き白百合の肌。

 

 跪き、僕に背中を向けるその足下には、血に染まった幼子の骸。

 

 ――頬を流れる涙は優しくも哀しい青。

 

 静かに手を組み涙を流し、骸に祈りを捧げているのか。

 その光景はかつて見たどんな宗教画よりも荘厳で、美しい。

 

 ――僕は忘れない。

 

 そして、僕の頬を何かが流れ落ちた。

 言葉すらも無くし、少女を見つめる虚ろな瞳から溢れたそれは

 

「涙……?」

 

 呆然と呟いた僕の声は少女の耳にも届いたらしい。少女はびくりと肩を震わせ、そして勢いよく振り向いた。

 

「――ッ!?」

 

 ――その、己が《正義》を信じる翡翠の瞳を。

 

 まだあどけなさを残す可憐な顔が、驚愕に染まり、そして怒りに歪む。

 

「ッああああああああああ!!」

 

 淡い唇から放つ、血を吐くような叫び。愛しい物を踏みにじられた怒りのままに拳を振り上げ、少女は駆け出した。

 血に濡れた剣を握り、呆然と立ち尽くす僕へと。この教会に来るまで誰かを救うために炎の中を駆け回っていたのだろう傷付いた身体で。

 見開かれた翡翠の瞳には、救えなかった悲しみと《悪》への怒りが在った。

 

「うああああああッ!!」

 

 その拳を避けられなかったのは、ただ見惚れていたから。

 少女の輝きに、その正義に、僕は心奪われていたんだ。

 

 ――炎の赤に照らされた彼女の、黄金の輝きを。

 

 頬を打つ痛みに我に返り、僕はなおも殴りかかろうとする少女を咄嗟に抱きしめ、その動きを封じた。

 

「ッ!? 放して!!」

 

 振りほどこうと腕の中でもがく少女を止めるべく、さらに力を籠めて抱きしめる。

 それはまるで、愛しい恋人にする抱擁のように。

 

「……何で。何で殺したのッ!?」

 

 怒りに燃える、だが同時に悲しみにも濡れた声が叩きつけられる。

 

「一体、どんな理由でこんな酷い事を……ッ。これがッ、これがあなた達の《正義》だっていうの!?」

 

 怒りと悲しみに涙を流し、《正義》を問う少女の言葉に、僕は答える事が出来なかった。

 だから代わりに、《正義》を知らない僕は誤解を解くべく言葉をかける。

 

「落ち着いて。僕は敵じゃない。――君を救いに来たんだ」

 

 なるべく穏やかな声で、震える少女の背を撫でながら語りかけると、少女はハッと動きを止め、やがて呆然と僕の瞳を見詰めた後、その拳をゆっくりと下ろした。

 

「敵じゃ……ない?」

「ああ。僕はフランス軍だ。この村が襲われていると知らされて駆けつけてきた」

 

 その言葉を聞いた少女の身体から、ふっと力が抜ける。

 そのまま崩れ落ちそうになったのを慌てて支えた。

 

「落ち着いたかい?」

「……はい。……ごめんなさい。助けに来てくれたのに、いきなり殴りかかったりして」

 

 申し訳なさそうに謝る少女に、僕は静かに首を横に振った。

「こんな状況だ。無理もないよ。……さあ、早くここから出よう。火の手が回り過ぎている。もうじきここも崩れ落ちるだろう」

 

 その言葉に、少女が小さく頷いた――その時。

 

「見つけたぞ!!」

 

 背後から轟く、殺意の叫び。

 戦慄と共に振り返った先には、剣を構えるイギリス兵の姿が在った。

 

「お前が、お前がそうだな!」

 

 その血走った瞳は敵兵である僕にではなく、ただ一点、この腕の中の少女にのみ向けられていた。

 

「お前がァッ」

 

 まるで、この少女が己の《正義》に対する許されざる《悪》であるかのように。

 

「――《オルレアンの魔女》かああああ!!」

 

 咆哮と共に、その剣が振り下ろされる。

 腕に抱いた黄金の少女を殺すべく迫るそれを、僕は――

 

「させるか!!」

 

 咄嗟に少女から身を離し剣を振るい。放った斬撃で刃を弾き、そのまま敵兵を斬り捨てた。

 甲冑ごと胸を切り裂かれ、噴き出た血で生まれた血だまりに倒れこんだ敵兵は、だがそれでもなお死に逝く瞳で少女を睨みつける。

 

「……殺すッ。俺が死んでも……必ず誰かが、お前を必ず殺してやるッ。我がイギリスの勝利と栄光の……《正義》の、ために……ガハッ」

 

 青く震える唇から大量の血を吐き、それでも己が《正義》を語って

 

「憶えておけ……《魔女》……め……」

 

 名も知らぬイギリス兵は、死んだ。

 

「…………」

「…………」

 

 その光景を、僕達は言葉を無くして見つめていた。

 あまりにも鬼気迫るその姿に。最期まで己が正義のために戦い、そして正義を知らぬ僕に殺されたその最期に。

 

「君は、一体……?」

 

 呆然と、問いかける。

 翆の瞳を愕然と見開いて、同じように言葉を無くしている少女へと。

 

「わた、しは……」

 

 ――僕は、忘れない。炎の中で出会った彼女の事を。

 

 

 

 

 

「――ジャンヌ……ジャンヌ・ダルク」

 

 

 

 

 ――地獄に堕ちても、忘れない。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ――とても悲しい、夢を見た。

 

 けど、その記憶はいつもまどろみの中でぼやけてしまって、目覚める時には輪郭の無い悲しみだけが胸に残っている。

 そして今もまた、横たわるベッドの上で見知らぬ悲しみの余韻を感じながら、ジャンヌは目覚めた。

 

「また、ですか……」

 

 気だるげな呟きが、闇に溶けて消える。

 閉められた窓の隙間から洩れるわずかな光だけが差す薄闇の部屋。ここでは瞼を閉じても、開いても、自分が見るのは闇だけだ。

 だからこそ、落ち着く。だからこそ、ここにいたい。外のセカイは光に満ちて、今の自分には眩しすぎるから。信じるべき正義を喪い、守るべき人から棄てられた自分には、この虚ろな闇の中こそが棺にも似た安息の場なのだ。

 

「…………」

 

 ふと今の時間を確認しようとして――止めた。

 知った所で、意味は無い。たとえ昼だろうが夜だろうが、この部屋は未来永劫闇の中。

 それで……いい。

 そうして生きる意志を喪った虚ろな人形が、再び眠りに就こうと瞳を閉じた時――

 

 

 ――ギィ……

 

 と、静寂を嘲う無粋な音を立てて、部屋に一つだけのドアが開いた。

 その向こうから闇の中へと、新たな色が現れる――妖しくも美しい、紫がかった銀色が。

 

「……なんの用ですか?」

 

 くすんだ金の髪を僅かに揺らし、招かれざる来訪者に顔を向ける。

 力無くベッドに横たわり問いかける姿にクスリと笑い、ゴシックドレスを纏う紫銀の少女――ドロシーは、獲物に忍び寄る悪猫のような足取りでベッドに向かい、自らの姉を見下ろした。

 

「あら起きていたの。てっきり、やさぐれて惰眠を貪っているものと思っていたわ。お姉さま」

「……わざわざ嘲いに来たんですか?」

「ええそうよこのBU☆ZA☆MAさん❤プークスクスクス(^3^)」

「……無駄話ならよそでして下さいよ。見ての通り、これから惰眠を貪るのに忙しいので」

 

 気だるげに言い、ジャンヌは寝がえりをうち背を向ける。

 そのまましばらく沈黙が流れ、やがてドロシーがぽつりと口を開いた。

 

「……わたしだって、別に無駄話をしに来た訳じゃないわよ」

「?」

 

 何処となく拗ねたような声に、思わず顔を向ける。

 そして見たドロシーの顔は、小さな唇を尖らせそっぽを向いていた。

 

「……そろそろお昼だから、さっさとベッドから出なさい。一緒に昼食を食べるわよ」

「…………は?」

 

 喉から無理矢理絞り出したようなその言葉に、ジャンヌは思わず耳を疑った。

 碧の瞳を丸くして、可憐な唇をポカンと開いたその顔には、大きく『?』マークが描かれている。

 

「……すいません。今何と言いました?」

「――ッ。だからっ、一緒にお昼ご飯を食べようって言ってるの!」

 

 いやそんな顔を真っ赤にしてヤケっぱちに言われても訳が分からない。

 これが他の人からの誘いならば、やさぐれた自分を気遣ってくれているのかと思えるのだが、生憎こいつはそんな善意とは無縁の極悪非道な残虐外道。性根がねじれにねじれてメビウスの輪っかになっているに違いない極悪少女なのだ。

 そんな愚妹が一体何故こんな事を言いだしたのか。今ジャンヌの頭は絶賛混乱中であった。

 

「は?…え?…え~と……」

 

 仮にヒトラーが満面のスマイルで「人類皆ブラザー!ラブアンドピース❤」と言っているのを見たとしてもここまで驚くまい。すわ夢かと試しに頬を抓れば、ちゃんと痛い事に二度びっくり。信じがたい事にこれは現実らしい。

 

「……おかしい何かが間違っています。なら間違っているのは世界?それとも私?」

 

 理解を超えた現実に、もはやおつむの混乱が哲学的な領域にまで達していた。

 

「もしや世界の関節が外れてしまったのですか……ッ。私にそれを直せと!?」

「あなたホンットに失礼ね!」

 

 遂には名作文学のセカイに逝ってしまったジャンヌに堪らずツッコむドロシーさん。

 

「……え、ですがその……だって……ねぇ?」

「その本気で困惑した瞳を抉ってやろうかしら!?」

 

 なにやら不本意だとばかりに喚いているが、はっきり言おうインガオホーである。

 だって今の彼女を例えるならば『劇場版でも無いのにすごく優しいジャ○アン』だもの。

 

「勘違いしないでよっ。別にわたしが一緒に食べたいからじゃなくて――ナイトに頼まれたの!」

 

 ………………。

 

「……ナイトさんに、ですか……?」

「ええそうよ!だからわたしは、し・か・た・な・くっ・あなたを誘ってるの!」

 

 わかったかバカヤロウコノヤロウと、小さな鼻をフンっと鳴らすドロシー。

 対してジャンヌは静かに俯き、その瞳を僅かに伏せた。

 

「……生憎ですが、私は……」

「ちなみに実はあなたの意志なんてどうでもいいの!」

 

 断ろうとするジャンヌの腕を、ドロシーの細く白い手が掴んだ。

 

「ちょっ……!?何を……ッ」

「無理やりにでも食べてもらうわよ!じゃないとナイトがまたヘコむでしょ!」

「……自分の事しか考えてなかった貴女のセリフとは思えませんね」

 

 僅かな驚きに皮肉を混ぜて言うと、ドロシーは白磁の頬をほんのりと染め、だが自慢げにフフンと胸を張って答えた。

 

「これぐらい当然よ。だってわたしは、ナイトの彼女だもの!」

「……え」

 

 ――ずきん……。

 

 その時、くすんだ黄金の少女の淡く虚ろな胸の奥で、鈍く生じた痛みは何だったのだろうか。

 

「『おまえを幸せにする騎士になってやる』って、こ、告白だってされたし……スだって、してくれたし……。だから、わたしにはナイトをたすける義務があるのよ。そう彼女としてね!」

 

 分からない。分かりたく……ない。

 

「……そう……ですか……」

 

 感情を消した仮面の様な顔で、洩れた声は暗く沈んでいた。

 

「分かったようねぇ。ならさあ早くベッドから出なさ――」

 

 勝利を確信したドロシーがジャンヌを引きずり出そうとしたその時、リビングに置かれた電話機から着信を告げる電子音が流れた。

 

「ちっ。いい時に……」

 

 舌打ちして手を離し、その場から離れてリビングへと行き受話器を取ったドロシーの不機嫌顔は、相手の声を聞いた途端華やかに綻んだ。

 

『よおドロシー。今メシか?』

「あらナイト。こんな時間に電話なんて珍しいわね。ふふっ。そんなに私の声が聞きたかったの?」

『ん、まあいつもお前らの調子は気にしてるし、元気な声はいつでも聞きたいと思ってるよ』

 

 何気ないその言葉に、ドロシーの小さな胸がトクンと高鳴った。

 

「――ッ。へ、へぇ。嬉しい事を言ってくれるじゃない。わ、わたしもあなたの声をいつも――」

『――っとそうだ。なあジャンヌの様子はどうだ?相変わらずか?』

「……ぶぅ」

『ん?どうした拗ねた豚みたいな声出して?』

「なんでもないわよ朴念仁っ。あの子ならこれから一緒にご飯を食べるところよ」

『そうか良かった。ちゃんと食べてくれるか心配してたぜ。ジャンヌの説得をお前に頼んで正解だったよ。ありがとなドロシー』

「と、当然よ。だってわたしは――」

 

 ほっと安堵の息を吐いて、心からの感謝を述べる声にドロシーの頬はますます色づき可憐な唇がにへらっと綻ぶ。

 いままで恨みつらみを向けられる事は数あれど、感謝の念を向けられた事は全く無かった。だからこそ、彼の言葉が何とも甘くこそばゆい。

 

「――あなたの」

『――ああそうそう。ちょっと聞きたい事があんだが……って何でまた拗ねた声出すんだ?』

「なんでもないわよーだっ。……ぶぅ」

『? ……まあいいか。ところでお前、明日って何か用事あるか?』

「明日? ……ああ、ちょうど行きつけのお店で一日限定のケーキバイキングがあったわね。どうせなら行ってみようかと思ってたけど……それが何?」

『あー……。そうか……いや明日一緒にプールに行こうと思ってたんだが予定があるなら――』

「行く! 一緒にプール行くッッッ!」

 

 即断即決。ゼロコンマ一秒の即答である。

 

『え? いやお前ケーキ食べたいってんなら別に無理しなくても……』

「ケーキなんて豚に食わせりゃいいのよ! とにかく行くったら行くのっ。ぜッッッたい行くんだから!」

 

 恋する乙女は燃えている。たとえ雨が降ろうが槍が降ろうが隕石群が降り注ぐアルマゲドーンだろうが行く気マンマンだ。

 

『そ、そうか……。電話越しでも凄い熱意が伝わってくるくらい喜んでくれんなら俺も嬉しいよ。あ、水着は安美が身繕ってくれるから夜に管理人室に来てくれってさ』

「うんわかったわ! ……う、ふふふっ。ナイトと一緒にプール……明日はナイトと一緒にプールデート……♪」

 

 可憐な声を弾ませ、鼻歌交じりに呟くドロシー。

 だがその小さな声は受話器の向こうには届かなかったようで、故に騎士は次の瞬間、そんな彼女のルンルン気分を何も知らずにブチ壊したのだった。

 

『じゃあ、ジャンヌにもしっかり明日来るように伝えといてくれよな』

 

 ――ピシッ

 

 と、見えない何かがひび割れる音がした。

 

「…………え?」

『いやー。やっぱりあいつを元気づけるには、まずとにかく一緒に遊んで遊んで遊びまくろうって事になってな。……頭の悪い力技だけど、俺に出来るのはこれくらいだ』

「…………」

『幸い凛花や安美たちも手伝ってくれるって言ってくれて明日は全員来てくれる。そこにお前が加わってくれるなら百人力だ。……本当にありがとうな。一緒にあいつの笑顔を取り戻そうぜ!』

 

 そうどこまでも爽やかに、たぶんきっと受話器の向こうでこの上なく輝く笑顔を浮かべている騎士に、ドロシーさんは怖気のふるうニッコリ笑顔で大きく息を吸って――

 

「ぶわあああああかッッッ!!」

 

 鈍感野郎の鼓膜をブチ破るべく咆哮したのだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 騎士達の住む神原市の一角に、それはそれは豪勢な建物がある。

 国際都市ならではの、ヨーロッパを思わせる洋風の街並みにデザイン性豊かな建物が立ち並ぶ中にあって、城壁の様な壁に囲まれたその一角だけはまさに別世界であった。

 まず敷地からとてつもなく広大で、正門から覗いただけではどこの観光名所かと言いたくなるような精緻な彫刻の施された噴水や一輪ン千円もする花々の咲き誇る庭園は見えても、その奥に控える建物を見る事は出来ない。

 

 そしてもし驚異的な視力でもって建物を見られたとしたら、まず己が目を疑うだろう。

 そこにあるのはどう見ても宮殿。それもベルサイユやバッキンガムと比べても見劣りしないのではないかと思えるほどの豪華絢爛な大宮殿なのだから。

 一体なぜこんな建物が日本にと見る者は疑問に思うだろうが、それもここの持ち主の名を聞けば皆納得する。

 

 なぜならば、この宮殿に住むのはこの街が出来た遥か昔より貿易商として暮らし、その類い稀なる商才と財力で巨万の富を築いた一族である。その恩恵は一族は元より街そのものをも発展させ、この神原市が地方ながら一大国際都市となったのも彼らの力あってのもの。その実質的な影響力は市長をすらも超えて、この街の真の支配者といっても過言ではないのだ。

 故に、ここを見た者は畏怖と共に納得する。

 なるほど、ここはあの一族の『城』なのだと。

 

 ……あ、ちなみに表札には『飛鳥』って書かれているよ☆。

 

 

「……あー。まだ耳がキーンってしてやがる……」

 

 そんな宮殿のとある一室。

 内装はシックで落ち着いていながらも、実は調度品は全てウン百万というドセレブ部屋で、騎士はソファに座りながら自分の耳を抑えて眉を顰めていた。

 

「ったく……あいついきなり怒鳴りやがって、鼓膜が破れるかと思ったぞ」

「大丈夫かナイト?」

 

 彼の隣に座る凛花が心配げにしているが、騎士は安心させるように微笑みかける。

 

「ん。ああ。今はだいぶ楽になったから心配すんな。……にしてもなんでいきなり怒りだしたんだあいつ?」

「話を聞く限りではナイトに特に落ち度は無いようだが。……本当に何故だろうな?」

「……鈍感って最大の罪だよね」

「これ以上無い自業自得だな」

 

 昼休みのドロシーとのやりとりを思い出し、揃って首を傾げる鈍感二人。女を知らない童貞はともかく、女心の分からない女というのは如何なものか。

 そう思わずにはいられない二人の向かい側では、顔を覆う黒髪を膝まで垂らした怨霊もどきと実は飛鳥一族の次期当主な金髪碧眼イケメン野郎が揃ってツッコミを入れる。

 いつもの四人のいつものやりとりであった。

 

 あさて、では何故その四人がドセレブ部屋で駄弁っているのかというと。

 

「そこの鈍感二人。悩むのもいいが今は課題に集中しろ。夏休みを心おきなく遊び尽くすために課題は今夜終わらせるだけ終わらせるぞ。……なに安心しろ。どんな問題だろうと、女心よりはよほど分かりやすい」

 

 そう言って目の前のテーブルに広げられた課題の山を示す礼二君。

 と、いうわけで四人は学校が終わるとそのまま飛鳥邸の礼二の自室に行き、現在楽しい楽しい勉強会を開いているのだ。

 

「まあ俺は40秒で終わらせたがな」

「……課題って自分で書かなきゃいけないとこが一番面倒だよね」

「お前らホント糞だな!!」

 

「ねー」と頷き合う神原高校学力ツートップ。

 もちろん怒りのツッコミにも全く動じないナチュラルチートである。

 

「まあそう言うな。単に努力と才能の違いだ」

「……生まれの不幸を呪いたまえ」

「殺してえ!こいつらマジ殺してえよ畜生!」

 

 と叫びつつもシャーペンを握り課題に没頭する騎士の姿は、もうなにやら必死すぎて鬼気迫っていた。

 そんな彼が凡才と天才の違いが生む呪わしき格差に悲鳴を上げている一方で、英語の課題をしている凛花はスラスラと解いていく。

 

「……おおぅ流石は帰国子女。英語は完璧ですな」

「あ、あぁ……まあちょっとな」

 

 が、何やら気まずそうに目を逸らす。

 言えない。マリアネットは全員、ゼペットから製造時にあらかじめ大抵の言語をインストールされているだなんて。

 

「いやほんとスゲえな凛花。見直したよ」

「あ、ははは……」

 

 後生だからそんな穢れ無き尊敬の眼差しで見ないでくれ友よ。

 などと言いたいのを必死にこらえながら、キリキリとした胸の痛みに耐える凛花さんであった。

 

「あー、くっそ世界史とかマジ分かんねえ!」

 

 そして騎士は相変わらずの苦戦中。

 数学や家庭科は得意だが、社会科や国語が苦手な彼は現在世界史の壁にブチ当たっていた。

 世界史は日本史に比べてイベントが目白押しである。特にヨーロッパの戦争し過ぎ感は半端ではない。というかもう戦争してない時期とか無いのではなかろうかこの地域は。特にイギリスとフランスお前らちょっと自重しろ!

 

「まあ、純粋な暗記系科目は興味が無いと覚えられないからな。が、それさえあればすぐに覚えられる。この手の興味が成績に直結する科目は、案外漫画やゲームから入った方がいいぞ」

「そんなもんなのか? ってか漫画やゲームとか大抵史実改変してんだろ。そんなんで覚えても……」

「とにかく興味を持つ事自体が重要なんだよ。人物名やイベント名を覚えるくらいならこれで十分だ」

「へー……」

 

 頷きながら世界史の教科書をぱらぱらとめくっていた騎士の指が、ある人物の名が書かれたページでふと止まった。

 その名から、目が離せない。

 ただの偶然だ。たまたま名が同じだけの赤の他人。そんな事は頭では理解している。が、どうしてもこの瞳が引き寄せられる。あの黄金の少女と同じ名前に。

 

「――《ジャンヌ・ダルク》」

 

 イギリスとフランスが長きに渡り争った《百年戦争》の英雄。フランスを勝利に導いた救国の聖女にして、最後は自らが救ったフランス王に見捨てられ火刑台の灰となった悲劇の少女。

 

「ん?随分とメジャーな人物に興味を持ったな。では、お前が更に興味が持てるように一つ面白い話をしてやろう」

 

 その呟きを聞いた礼二はニヤリと笑い、語り出す。

 

「百年戦争を勝利に導いたのはジャンヌ・ダルクだが、その勝利の陰には彼女と共に戦ったある男の存在がある」

 

 

†††

 ☨☨☨

 

「……とにかく、今はここから出よう」

 

 僕はひとまず、彼女と共にここから脱出する事を選んだ。

 突如襲われた村。《魔女》を殺そうとしていたイギリス軍。そして彼らから《オルレアンの魔女》と呼ばれた少女――ジャンヌ・ダルク。

 何もかもが意味深で、そのどれもが僕を困惑させる。まるで人知を超えた巨大な運命の渦に飲み込まれたかのような錯覚すらも覚える程に。

 分からない事が多すぎる。だから、今はまず……

 

「一緒に生きのびるんだ。全てはそれからだ……ジャンヌ」

 

 ――その男は知と武を兼ね備え、王すらも超える財力によってジャンヌを支えたもう一人の英雄だ。

 

 語りかけ手を伸ばす僕を、黄金の少女――ジャンヌは翡翠の瞳で見つめ、淡い唇を開き問いかけた。

 

「ねぇ……」

 

 ――だが現代において、その男はこう呼ばれている

 

「あなたの、名前は……?」

 

 ――《怪物》と。

 

 静かに問いかける、翡翠の瞳。

 黄金の輝きを放つ少女に

 

 ――ジャンヌの死後、男は己が城に籠り多くの幼い児童を惨殺した。その数、一説には六百人以上。直接手にかけた数では、およそ人類史上最多の犠牲者数だ。

 

「僕は……」

 

 ――今もなお犯罪史において並ぶ者無き最凶。その《怪物》の名は 

 

 

 

 

「――ジル。……ジル・ド・レだ」

 

 




というわけで最新話。
一回書いている途中にミスって投稿してしまい慌てて消すという悲劇を乗り越えて投稿完了しました! ……はいその節はまことに申し訳ありませんでした。困惑させてしまった全ての方に、ここに謝罪いたします。

あさて、この第二幕は騎士達の『現代編』とジルとジャンヌ・ダルクを中心とした『百年戦争編』の二つを同時に進行させていきます。まあつまりは平成ラ○ダーでいう所のキバ方式です。我ながら無茶な事を……。

ちなみに、この物語で描く百年戦争は史実ガン無視の上、脚色改変バリバリ独自解釈全開でお送りするインチキ時代劇です。なのでツッコミ所は多々あるでしょうが生温かい目でご覧下さい。

ではいよいよお約束のプール回な次話でお会いしましょう。

……うんでもちゃんと史実の方もキチンと勉強しとくか。ブレ○ドストームで。
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