【1】
森に囲まれた湖は、一見風光明媚ではあるが、空はドロドロとした紫色に染まっていた。しかし別に、天変地異や異常気象という訳ではない。ここは悪魔の棲む世界、冥界である。その湖のほとりに建つ城は、レーティングゲームを観賞するための施設であった。訪れる客をもてなすため、レストランやバーなどの飲食店、売店、各種娯楽施設なども内包した巨大リゾートホテルとしても機能している。
ジオティクス・グレモリーは、妻のヴェネラナと家宰*1のグレイフィア・ルキフグスを伴って、ここを訪れていた。ジャケットやドレスを着用しているグレモリー夫妻に合わせて、グレイフィアもメイド服ではなくパーティー用のスーツに身を包んでいた。
若い男性スタッフに案内されて、中央棟の一室に案内される。室内にはソファとテーブルがあり、壁には大きなモニターが設置されてある。中継されているレーティングゲームを、このモニターで観戦するのだ。試合がない日でも、過去の試合の記録映像が放送されており、それを見ることも出来る。ジオティクスはスタッフに三人分のコーヒーと茶菓子を頼むと、妻と並んで席に着いた。グレイフィアは少し離れた所で、立ったままだ。ジオティクスはそれを見て苦笑した。
「君もくつろいで構わないよ、グレイフィア。今日は非番だろう?」
その言葉に、グレイフィアはペコリと一礼してから、テーブルを挟んだ向かい側のソファに腰を下ろした。
先程の男性スタッフが、三人分のコーヒーとケーキを持って入室してきた。落ち着いた動作で、カートからテーブルに移す。ジオティクスは礼を言うと、スタッフにチップを渡して下がらせた。
ヴェネラナと、彼女に促されてからグレイフィアが、コーヒーやケーキを味わう中、しかしジオティクスが最初に手を伸ばしたのは、コーヒーでもケーキでもなく、テーブルに置かれていたプログラムであった。これから行われるレーティングゲームの対戦表であり、ルールや出場メンバーの名前などが記載されてある。彼の目線を引いたのは、愛娘リアスの名前の横に書かれた一文だった。
秋月連也(使い魔)
名前からして日本人なのは明白である。それが眷属ではなく、リアスの使い魔として登録されているのが奇妙であった。たとえ期間限定の仮登録でも、眷属になれば悪魔の特性と、駒に応じた強化が得られる。しかし使い魔は、あくまでも主従関係を結ぶだけであり、契約したからと言って能力が強化される訳ではないのだ。つまりこの人物は人間のままで、悪魔同士の戦いに参加するということになる……。
「グレイフィア。君はこの『秋月連也』という人物について、何か知らないかな?」
「……お嬢様が半年ほど前から、はぐれ悪魔討伐任務に同行させている人物でございます。駒王学園の生徒で、『ネンドー』なる武道の使い手とのことです」
努めて平静に質問に答えるグレイフィアの
脳裏を、以前の不愉快な一幕がよぎった。十日前のリアスとライザーの会談に何故か同席を許されていたあの
「なるほど……しかしそのネンドーがどれ程のものかはわからないが、眷属ですらないとはね……」
「まったく、あの子は何を考えているのかしら……多少強引にでも眷属にしてあげた方が戦力になるし、その方ご自身の安全にもなるでしょうに」
ヴェネラナが年甲斐もなく子供のように頬を膨らませた。娘の対応を、かえって相手に被害をもたらしかねない生ぬるく、かつ危険なものだと感じたようだ。
「そもそも『顔が気に入らない』だなどと我が儘を言って、それを悪びれもせず押し通そうとする性根が許せないわ……我ながら、どこで育て方を間違えてしまったのかしら……」
「まぁまぁ。いつまでも愚痴をこぼしても仕方ない。このゲームが終われば丸く収まるはずだよ。ご覧、ヴェネラナ。ライザーくんはレイヴェルちゃんをチームに加えて、より鉄壁の布陣で挑むようだからね」
ジオティクスは持っていたプログラムを妻に渡し、テーブルの上のリモコンを操作して壁のモニターの電源を入れた。館内の各種施設の案内映像がいくつか流れた後、画面が切り替わり、銀髪の青年が映った。
『皆様、大変お待たせいたしました。ただいまより本日のレーティングゲームを開催いたします』
青年はモニターの中で恭しく一礼して、そう切り出す。
『本日の対戦カードはライザー・フェニックス様とリアス・グレモリー様との特別試合でございます。ゲームフィールドはリアス・グレモリー様が通っておられる駒王学園高等部の敷地を模倣しており、その敷地の外へ出た者は
ライザー・フェニックス様の拠点は、こちらの新校舎にある生徒会室。リアス・グレモリー様の拠点はこちらの旧校舎にあるオカルト研究部の部室となっております』
青年は背後に現れた駒王学園高等部の俯瞰図を手で指し示しながら説明していく。
『──なお、本日のゲームの審判役は、私、魔王サーゼクス・ルシファー様の
【2】
フィールド内の拠点となるオカルト研究部部室に、グレモリー眷属は既に集まっていた。
制服姿の各部員がウォーミングアップをやったり、校内の見取り図を見ながら進行ルートの確認をしている中、備え付けのテレビから流れるユーグリットの説明を、ジャージ姿の秋月連也は、コンビニで買ってきたおかかのおにぎりを頬張りながら眺めていた。
「……部長さん。何かこの人、この前のメイドさんに似てません?」
「そりゃあ似てるわよ。弟だもの」
紅茶を飲んでいたリアスが、答える。
「と言っても、母親は違うけれどね。ユーグリットの母親は人間の女性で、私は詳しくは知らないけれど、彼はその血のおかげで何か強力な
「へぇ……って事は、今あの人が言ってたシャーゼクスって魔王様が、部長さんのお兄さん?」
「サーゼクス、ね」
リアスは苦笑しながら間違いを訂正した。
「過去の戦争で先代の魔王様方が亡くなられて、それで若い悪魔の中から実力のある者が新しくその座に就いたの。兄はその一人という訳」
「……んじゃ、そのお兄様に泣きつけば、そもそもこんな試合しなくて済んだんじゃないんですか?」
「馬鹿なこと言わないでちょうだい。一悪魔の問題に魔王様のお力を借りられる訳ないでしょう。それはあくまでも、私の力ではどうにもならない時の、最後の手段よ」
──最終的には使うつもりなのか。
そう思いはするが、敢えて黙っておく連也であった。
「しかし弟さんが魔王の側近とか、あのメイドさんからしたらさぞや鼻が高いでしょうね」
「そうね。でもそれはユーグリットも同じはずよ。グレイフィアなんて兄の、魔王のお嫁さんだもの」
「へっ? んじゃあのメイドさん、魔王のお嫁さんなのに旦那の実家のメイドさんしてるんですか?」
「過去の戦争絡みでいろいろあったのよ……長くなるけど、聞きたい?」
「やめときます」
本当に馬鹿みたいに長くなりそうな気がしたので、連也は丁重にお断りした。
そこへ、突然ブザーの音が鳴り響いた。試合開始の合図だ。眷属が一様にして表情を引き締める中、連也はおにぎりをペットボトルのお茶で胃に流し込み、両手を合わせて無言の『ご馳走さま』をした。
「さぁみんな、気合い入れていくわよ! 事前に打ち合わせした通りに行動するように!」
リアスの言葉に眷属たちは異口同音に返事をして、部室を出ていった。
【3】
連也は木場祐斗と共に、旧校舎周辺の防風林に向かう。ここがフェニックス眷属の侵入ルートであろうと予測し、罠を仕掛けてあるので、そこで待ち伏せするのだ。いつ罠を仕掛けたのかと言えば、事前にである。今回のフィールドを構築する際に、運営スタッフは駒王学園高等部の敷地をスキャンしている。事前に仕掛けておいた各種トラップもその際スキャンされて、フィールド構築時に模倣されるだろう。ゲームが始まってからせっせと仕掛ける手間が省けて、相手側にも罠の存在が知られにくくなるという算段だ。
「
とは、ゲーム開始前のリアスの言である……。
「──で、どんな罠仕掛けたんだ?」
林の中に入りながら、連也は祐斗に尋ねる。
「猪用の括り罠や虎挟みに落とし穴、あとは簡単なワイヤートラップだね」
「張ってあるワイヤーを外したら宙吊りにしてた丸太が飛んでくる、みたいなやつか」
「そうそう。倒せはしなくとも、足止めや牽制くらいにはなるはずだよ──それより、大丈夫かい? 何だか落ち着かない様子だけど」
「実際落ち着かないな。木々に囲まれてるのに、自然の気が全く感じられないから、変な気分だ」
「うーん、ここは実際の土地を模倣しただけの疑似空間だからね。極端な例えだけど、微生物一つ存在しない真っ白な部屋に、超高画質の風景写真を壁紙として貼り付けてあるようなものさ」
「なるほどね」
こりゃ思ったより厳しい戦いになりそうだな……と、連也は思った。彼の力の源たる《念》は通常、自身の気のみならず周囲に満ちる自然の気も取り込み、高めることで、より高次元のエネルギーである《念》へと昇華される。このゲームフィールド内では、その自然の気の補助が得られないという訳だ。消耗した念の補充には、
不意に祐斗が、鼻をヒクヒクさせた。
「ねぇ、何か臭わないかい?」
「俺じゃないぞ」
「いや、おならとかじゃなくて、何か焦げ臭いっていうか……」
「……だろうな。何かいろんな意味で燃えてるし」
と言って連也が指差した方角から、火の手が上がっていた。その炎をバックに、サンバの衣装に身を包んだ褐色の肌の女性が、恍惚とした表情で踊り狂っている。その手振り足振りの度に炎が巻き起こり、林立する常緑樹をまるで枯れ木か何かのように炎上させていた。更に、狙いすましたように旧校舎へ向けて風が吹き、火勢を強めている。
ライザー・フェニックス眷属の
その左右に立つミニスカメイド服の二人の女性は、同じく
「ほらほら。焼け死にたくなかったら早く逃げた方が良いわよ、坊やたち」
「シュリヤーにいろんな意味で火が点いちゃってるからね。この林を焼け野原にするまで止まんないわよ」
「二人とも野暮なこと言っちゃイヤよ……坊やたち、遠慮しなくていいから、アタシのダンスを存分に見ていきなさいな!」
シュリヤーがジャンプしながらクルクルと独楽のように回転すると、その肢体から巻き起こった複数の炎が、鞭のようにしなりながら飛んできた。連也と祐斗は上手く回避したものの、炎はそのまま二人の背後の木や草に燃え移り、炎の壁を生成して二人の退路を塞ぐ。生木を枯れ木か紙のように燃え上がらせる魔性の炎。恐らくは仕掛けたトラップも既に焼け落ちているのではないかと思われる。それだけでなく、このまま放置すれば拠点たる旧校舎にまで火が及ぶだろう。
祐斗が見えない剣を持つかのように、正面に両手を伸ばした。その手中に、複数の氷の欠片を繋ぎ合わせたような刀身を持つ剣が生成される。
様々な属性や機能を有する魔剣を創造する祐斗の
「無駄無駄無駄ぁ!」
シュリヤーが高らかに叫び、サマーソルトキックめいて宙返りすると、それに応えるように弱まった炎が再び激しくなった。気温も急激に上昇していき、熱波で氷の剣がポタポタと溶け始めた。
「お次は私たち!」
「今、必殺のぉ!」
マリオンとビュレントが、祐斗に向けて手を伸ばし、声を揃える。
『エア・ブロウ!』
二人の巻き起こした風が絡み合い、竜巻となって、破城槌めいて迫ってくる。
しかし祐斗、片方の手にもう一つの魔剣を創造する。刀身の真ん中辺りが輪のようになった奇妙な形の剣。その輪の中に、二人のメイドが巻き起こした旋風が吸い込まれて、消えていった。
こちらは風を吸い込み掻き消す魔剣である。
「二つも特殊武器を持ってるの!?」
「それとも、必要に応じて造り出す能力とか!?」
「正解」
マリオンの言葉に、頭上から応じる声があった。いつの間にか連也が、燃え盛る木々の枝から枝を伝って接近していたのだ。いつの間に、そしてどこから出したのか、その両手に握られているのは先祖伝来の魂の木刀、聖剣『飛龍』! 枝から飛び降り様の打ち下ろしの一刀は、まさに稲妻。マリオンの体を頭頂部から股間まで一気に切り裂く──否、透過する。
瞬間、マリオンの肉体が緑色の光の粒子となって、消滅した。
《ライザー・フェニックス様の
フィールド内に、ユーグリットの声が響いた。《駒》が戦闘不能となる度にこうやってフィールド外に転送され、その旨を告げるアナウンスが行われるのである。
「よくもマリオンを!」
「お仕置きよ!」
ビュレントが風を、シュリヤーが炎を、連也に向けて放つ。
連也は木刀を正眼に構えつつ、下半身に意識を集中させた。
人体には、正中線に沿ってチャクラと呼ばれる霊的なエネルギー流通口がある。このチャクラから宇宙に満ちる理力を取り込み、念へと昇華させるのだ。
連也は今、そのチャクラの内の最下部、会陰部と丹田にある二つのチャクラを開いた。この二つは物理的な力を司る。そうして得た新たな念を木刀に注ぎ込み、白い光輝を放つ木製の刀身で、迫る炎と風を受け止めた。炎と風が刀身に吸い込まれていき、『飛龍』は輝きを更に強める。
「エェヤッ!」
木刀一閃、放たれたるは念道剣『
シュリヤーとビュレントは、振り下ろされた木刀から放たれた白い炎と風をまともにくらい、緑色の光の粒子となって消滅した。
『ライザー・フェニックス様の
ユーグリットのアナウンスが響いた。
突如、赤みを帯びた黒い閃光が上空からほとばしり、旧校舎側の防風林を薙ぎ払い、消滅させる。
リアスが背中から翼を広げ、上空に浮遊していた。
「これで旧校舎に飛び火する心配はないわ。他の燃えている所も私が処理しておくから、二人は敵陣に向かいなさい」
リアスのその命令に従い、連也と祐斗は新校舎へと向かった。
その途中で激しい落雷の音がした。体育館の方角だ。次いでユーグリットのアナウンスが響いた。
『ライザー・フェニックス様の
防風林のみならず体育館も、旧校舎への進行ルートとなり得ると予測したリアスは、そちらには兵藤一誠、塔城小猫、姫島朱乃の三名を向かわせていた。察するところ今の雷鳴は朱乃であろう。
「あちらも順調のようだね」
「えーっと、こっちが三人倒して、向こうが四人倒したから、相手側は残り七人か。ちょうど頭数は揃ったな」
と、指折り数える連也。
「そうだね。ここからが本番だ。気を引き締めていこう!」
「んー」
わかったのかわかってないのか、連也は、呑気な声で返事をした。
祐斗はただ苦笑するのみだった……。