それは昼下がり、神社で遊んでいた時でした。
一人で、ボールを上に投げたり、弾ませたりしていたのですがうっかりと裏の茂みへとボールが飛んでいったのです。
私は慌てて、追いかけました。
そして、見つけました。
茂みに落ちていたダンボール。
箱型になっているその中に、何か入っている気がしたのです。
刹那、音がしました。
何か黒いモノが、ダンボールへと近づいていたのです。
「あぶない!!」
私は、ダンボールへと走り込み、急いで拾い上げました。
きっとその中には、猫か何か動物が入っている……。
とにかく助けなければ。
その一心でした。
ダンボールを抱えた私は走り出しました。
中を見る余裕はありません。
黒いモノ――人くらいの大きさの蜘蛛に見えたそれが、私に追いつきました。
幼心に、身に迫る危険を感じました。
ダンボールをぎゅっと抱えたまま、私はうずくまり、思わず目をつむったのです。
いくら身構えても、
恐る恐る目を開けば、漆黒の虫に赤い亀裂が一直線に入っていました。
虫がのたうつ。
わずかにでも、こちらへ進もうと。
『消しちゃっていいのです、そいつは』
声が聞こえた気がしました。
私自身から、発せられた気がしました。
それが心底、怖かった。
『消しちゃえ消しちゃえ消しちゃえ消しちゃえ』
虫が、残っていた半身を跳ね飛ばして、私へと向かった。
私は――。
ダンボールを固く、抱きしめた。
突如、虫の半身が地面と叩きつけられた。
押しつぶされるように、その腕が砕けていく。
キラキラした光が血のように飛び散る。
残った片割れも、数秒後には同じ運命をたどった。
黒いモノは、この場から完全に消えたのだ。
私はその場へとへたり込んだ。
『よく頑張ったのです。初めてにしては上出来なのです』
「あなたは……?」
『私は……さしずめ妖精さんなのです。あなたに不思議な力を与えて、モンスターと戦えるようにしたのです!!』
「妖精……?」
聞いたことは、ある。
世界の平和を守る魔法少女。
その魔法少女は、妖精の声を聞くことができると。
「じゃあ私は……まほうしょうじょ、になっちゃったの?」
『そうなのです!! これから悪いモンスターをたくさんやっつけるのです!!』
「ねえ、妖精さん」
『なんなのです? わからないことは、何でも聞くのです!!』
「まほうしょうじょになったら、お母さんはよろこぶかな?」
『もちろん喜ぶのです!! 娘が世界を救うなんて、誇らしい限りなのです!!』
「まほうしょうじょになったら、ともだちたくさんできるかな?」
『魔法少女はみんなの人気者なのです!! 学校でも声をかけられるし毎日がハッピーなのです!!』
「まほうしょうじょになったら――」
「私はじぶんのこと、すきになれるかな?」
『……。もちろんなのです!! 魔法少女として活動するうちに日常の問題も解決していくのです!! そういうものなのです!!』
「じゃあ、やる!!」
高い声が、境内で妙に響いた気がする。
『ふふ、良い返事なのです!! ダンボールに入った猫を助けるようなあなたは、きっとステキな魔法少女になれるのです!! さ、ダンボールはいったん置いて、お母さんに報告しにいくのです!!』
私は言われるがままに、ダンボールを置き、歩を進めた。
そして、少し進んで、振り返ってしまったのだ。
ダンボールに、猫は入っていなかった。
ダンボールには、何も入っていなかった。
それからというもの、私は妖精の言うことをよく聞くように心がけた。
というよりも、だいたいのことは妖精の言う通りに行動をした。
意味があるかはわからなかったが、猫をよく助けた。
魔法少女とはそういうもの、らしい。
道端にいる野良猫を、神社の裏の茂みへと持っていった。
後でお母さんに見つかり、ものすごい怒られてしまった。
無責任にそんなことをしてはいけない、という旨だったと思う。
お母さんがどうしてこんなことをしたのか聞いたが、私は下を向いて黙っていた。
妖精はお母さんに言い返すように進言したが、それも嫌だった。
私はただ泣きじゃくっていた。
学校での振舞いにも気を付けるように言われた。
優等生……であるだけではダメらしい。
妖精いわく、優等生すぎる子は反感を買い、嫌われるらしい。
ざっくばらんであり、周囲に干渉しすぎない程度の明るさで、それでいて憎めないように欠点を適度にアピールすると良い……らしい。
度合が難しすぎて、挫折した。
こんなことができる人間、いるのだろうか。
周囲を見渡しても、その条件に当てはまる人はいないように思えた。
接した人間、全員から嫌われない人間なんて――。
それでも、困った時は妖精の発言をそのまましゃべったりして、小学校低学年の期間は流れていった。
いつしか私の口調は妖精と同じようになっていた。
そして、妖精が意見を出すことも少なくなった。
曰く、自然と少女らしい振舞いが出来ているのだそうだった。
そして、ある日、言われた。
喜べ。
あなたは魔法少女として完成しつつある、と。
このまま頑張れば、モンスターを根絶やしにできる、と。
だから、そのままでいるように、と。
私は、自分の願いを思い出していた。
お母さんは、最近は私の振舞いを喜んでくれている。
私は私のことが――。
周りの顔色をうかがってばかりの自分が、大嫌いのままだった。
泣いたまま、駆けだした。
そして校舎の裏でうずくまった。
道端とかよりも、人目につかないと思った。
ここでなら独りになれると思った。
誰とも、接しなくていいと思った。
自分がどう見えるか考えなくていいと思った。
この世界は不可解だ。
自分らしく振舞え、なんて言われても私は自分がわからない。
だったらいっそ、妖精の言うような人生を歩めば。
そうすれば楽になれるんだろうか。
一挙一動、一から百まで、全ての行動を言う通りにすれば。
全ての
「何してるの、あなた」
思考が中断される。
慌てて顔を上げれば、橙の髪の少女がこちらを見下ろしていた。
考え事をしている時に話しかけられるとハラハラする。
思っていたことを、胸の内をそのまま口に出してしまいそうだから。
私は押し黙った。
妖精の声も聞こえない。
どう答えるべきかなんて、私にはわからない。
きっと黙っていれば、相手は興味を失うだろう。
臆病者に相応しい、姑息な判断。
本当に、なんで普通に話しかけることができないんだろう、自分は。
周りの人間がしていることを、真似すればいいだけなのに。
どうしても、勇気が出ないのだ。
間違ったら、どうしよう。
自分の一言で、相手が傷ついたらどうしようと――。
……。
そろそろどこかへ行ったかな?
そう思って顔を上げる。
橙の少女は校舎の壁に持たれかかったまま、手にした紙パックのジュースを飲んでいた。
……。
彼女はずっとそうしていた。
ちゅーっと、ストローで飲み物を吸い上げる音だけが聞こえる。
わざわざ声をかけてきたのに、それ以降、何も話しかけてこない。
じゅっ。
飲み物が底をついたらしい。
今度こそ、どこかへ行くだろうか。
……。
彼女はどこへも行かなかった。
横目で様子を見れば、紙パックをぶらぶらと揺らすばかりだった。
誰かを待っている……という様子でもなさそうだ。
彼女はたぶん、自分の意志でここにいる。
でも理由はわからない。
わからないままでも、いいだろう。
自分以外の人の心なんて、一生わからない。
だから無理に知ろうとすることに、意味なんてない。
意味なんてないはずなのに――。
「あの……何をしているのですか?」
私は聞いてしまった。
声にした後で、後悔が押し寄せる。
相手が気を悪くしたらどうしよう。
ただ単に、休んでいるだけで人から話しかけられたいとは限らない。
橙の瞳が私を捉える。
「……何を?」
ゴクリと喉が鳴った。
「あなたが落ち込んでそうだから何かしゃべった方がいいのかと思ったんだけど……」
心臓が高鳴る。
「何て言ったらいいのかわからなかった。ごめん」
「ぶふっ」
私は吹き出していた。
――いけない!!
なんて失礼なことを!!
咄嗟に手で口を覆う。
だが、橙の少女はぽりぽりと頬をかくばかりだった。
「あー、柄でもないことしようとするんじゃなかった。ま、思ったより元気だったみたいだけど」
「……」
私はまた、押し黙る。
何て言ったらいいのかわからない。
それは私も同じだ。
やっとの思いで、次の一言を放つ。
「……どうしてここに?」
「妖精がうるさかったから。あなたにも、聞こえるんでしょ? あいつ、人と話したり、何かを見かけると横やりを入れてきてうるさいのよ。だから人がいなくて静かな場所へ来た。……虫は多そうだけど」
「……っぷ」
「……? どうしたの? 何か面白かった?」
「確かに……妖精さんはよくしゃべるのです」
「そうでしょ。虫よね、あいつら。田舎で夜中うるさいタイプの……。魔法少女なんて早く止めたいし」
「あは……あははは!!」
なぜか、笑い声が止まらなかった。
私は決して、こんなことを思ってはいない。
でも、すっきりした。
「……そんなに面白かったかな。あー、まずは名前と学年を聞けばいいのか。……ひとりじゃ思いつかないな、案外。あなた何年? 名前は?」
まずは名前と学年を聞く。
私もそうすれば良かったのか、と妙に納得した。
「宮寺朱里。四年生なのです」
「あ、いっしょだわ。朝霧夕香、四年生」
夕香ちゃん。
夕香ちゃんっていうんだ、この子は。
なんだか、名前を知るのにずいぶんと時間がかかってしまった。
でも、意味はあったのだと思う。
ずっと座っていた私に、夕香ちゃんが手を差し出した。
「立てる?」
私はその手をまじまじと見つめた。
この手を取るか、取らないか。
私が選ぶことだ。
――私はその手を取った。
おっ、と夕香ちゃんが声を上げた。
魔法少女としてではなく、何か別の物語が始まった。
魔法少女になったあの日に見たダンボールには、何も入っていなかった。
子猫でも入っているかと思っていた、そこには。
それもそのはず。
捨てられた子猫は、きっと私だったのだ――。