01話
「―――知らない天井だ、あっすっげぇ本当にこれ出るんだ」
見上げた先の空―――ではなく天井、それを見た時に出た言葉に思わず謎の感動が生まれた。一度は言って見たかったこの台詞……まあ言った所で何がどうなるという訳ではないが、取り敢えず言えた事への喜びを示しておく。だがその一方でこの状況への理解が全く出来ない。身体を起こしてみると、周囲は清潔そうな白い内装、窓際には綺麗な花が生けられた花瓶にお見舞いに持って行くような果物が入ったバスケットがあった。そして自分はベッドに寝ていたらしい。
「……何がどうなってる?」
何が如何してこうなっているのか、まるで分からない。つい数秒前に考えていた事を忘れるなんて事は割とあるが、一日の流れを全く把握できないなんて事はまるでない。本当に何がどうなっているんだと首を傾げていると部屋の扉が開けられた、入ってきたのは看護師、白い服の上からでも分かる凹凸がまた何とも……と反応しようとした瞬間に思考が凍り付いた。何故ならば、その看護師の頭にはなんというか馬のモノと思われる耳があった。そして尻尾と思われるような物もあり、しかも動いていた。
「(えっ何、此処ってそういう趣の所なの?何、病院は病院でもプレイ病棟なの?)」
「あっあああっ!!?お、お目覚めになられたんですね!!?」
「えっあっはい、今さっき起きました」
思わず素で反応した。余計に混乱する、尻尾どころか耳まで動いている、忙しなくピクピクと動いている、まるで生物の一部として機能しているかのように……これが機械仕掛けだとは思えないほどに。
「と、兎に角安静にしていてくださいね!?今先生をお呼びしますから!!」
「アッハイ」
兎に角安静に!!と何度も何度も注意しながら、看護師は部屋から飛び出して行った。遠くなっていく声で先生~!!!と叫んでいる。病院であるならば静かにした方がいいと思うのだが……
「……どゆこと」
そんな事は如何でもいい、重要な事ではないのだから。問題なのは……冷静に思えばあの看護師、ウマ娘みたいだったという事である。あの耳に尻尾、そして栗毛の髪の中に混じっていた白いメッシュ……つまり自分はウマ娘が看護師をやっている病院で世話になっているという事なのだろうか。
「いや意味分かんねぇよ」
仮にそうだとしてもこの状況の理解が―――と思いながら頭を掻こうとした時だった、指に何かが引っ掛かった。妙に触り心地が良い……そして触った瞬間にピクッと反応をした。
「―――ハッ?」
もう一度、毛に包まれた柔らかい……と言うか、触っていると感覚がある。うん、触れられているという感触と実感がある。血の気が引く、というのはこういう事を言うのか……それを理解しつつも自分の腰辺りに手を伸ばす、大丈夫まだ自分は冷静を保てている……大丈夫だ、そう自分を鼓舞しながらも手を伸ばすのだが……そこには尻尾があった。
「ハ、ハハハハッ……」
自分の理解の範疇を越えてしまったからか、もうそんな声しか出なくなっていた。そして―――目を反らすように窓の方へと目をやる、窓に反射して映されていたのは……日焼けした肌が何処か健康的に見えるが、頬などが痩せているように見えるがたいの良いウマ娘だった。そしてそれは口角がけいれんを起こしているのかと言わんばかりに歪んだ表情をしていた。
「主治医で―――」
「っ!!?」
病院中に木霊する甲高い悲鳴、自分の中にあった常識が瓦解しているのを理解してしまっている為に削られていく正気、理解しているのに今を理解出来ずに上げられた悲鳴に入室した医者と看護師は大急ぎで落ち着かせようと試みる。
「落ち着いて!!落ち着いてください!!!」
「何だこれは、どうすれば良いのだぁ!?何が起こって何が如何してどうなってこうなっているんだぁぁぁぁ!!!アハッ、アハハ、アハハハハハハハ!!!!」
「落ち着いてください!!せ、先生鎮静剤を投与しますか!?」
そんな格闘が10分近くも繰り広げられる事となった。発狂寸前になっていた自分をなんとか医師と看護師の必死の精神分析が成功したのか、漸く正気を取り戻す事が出来た。ゼェゼェと荒い息を吐きながらも俯くようにしながらも呼吸を整えようと必死になる。
「落ち着きましたか?」
「……取り敢えず、もう騒ぐつもりはない、と思います……お手数、お掛けしました。本当にすいませんでした……」
一先ず頭は冷えた、冷静にはなれたのでこれ以上騒ごうとは思わない……それは自分のたわわに実っている胸を見ても、だ。これは夢なのだろうか、いや夢であってくれと激しく願いたいのだが……先程看護師に押さえつけられた際に掴まれた腕が鈍く痛みを放っている。試しに自分でも頬を抓るが、普通に痛くて夢ではなく現実なのかもしれない。
「では改めまして……貴方の主治医を担当する事になりました、宜しくお願い致します」
「ああはい、宜しくお願いします」
強面で無表情、そして渋い声で主治医と言われる。紛れもなくメジロ家お抱えの男性医師、という事はその病院という事なのか……と思っていると主治医から話を切り出される。
「では確認をさせていただきます、貴方は如何して此処に居るのかを御理解しておられますでしょうか?」
「全く」
「では、数日中の記憶は御座いますか?」
「えっとそれは当然……当然、当然……ぇっ?」
当たり前だ、と言いたかった。だが続かなかった。思い出せない、いや思い出せる事は思い出せるのだが……一つはパソコンに向かい続けた後に電車に乗り、風呂に入って寝る記憶。一つは友達と思われるウマ娘と共に走っている記憶、記憶が混ざっている―――いや、存在しない筈の記憶がある。だがそれは何方なのだ?どちらも存在しない筈の記憶だと認識している。言葉に詰まっていると、主治医は無理にお答えしなくても大丈夫ですよ、と声色を柔らかくして言う。
「では次を……貴方のお名前をお聞かせください」
「名、前……?」
そんな事簡単だ、簡単―――いや、これも混ざっている。何方も知っているのに知らない名前、矛盾、余りにも矛盾している。だがそれでも答える事が出来ると答えようとした時に扉が開けられた、誰かと思ったが、開けた人物は直ぐに駆け寄ると自分を強く抱きしめた。
「よかったぁ……本当に、本当に心配してたんだよ!!?何時、起きるのかもわからなかったから……でも無事でよかったぁ……」
強く強く抱きしめられる、身体に触れる柔らかな感触も香って来る良い匂いも虚実とは思えない。これは紛れもない現実……そして、自分の無事を喜んでくれている彼女の名前は―――
「ライ、アン?」
「うん、うんっそうだよ!!」
名門、メジロ家の御令嬢のメジロライアン。そんな彼女が自分の無事を心から喜び、涙を流している。それについては感謝と申し訳なさが生まれるが、同時に益々自分の事が理解出来なくなってきた……自分は、一体何なのだ。