イギリスに居る際にはファインのご両親から紹介して貰ったホテルに宿泊する事になっているランページ、当然のように超高級ホテルなのだが好い加減になれている自分が居るのか平然のように過ごせている。のんびりとハーブシガーを嗜みながら、景色でも眺めていると携帯が鳴った。
「―――ライアンじゃねえか、はいもしもし」
時折掛かって来る海外勢の影響か、確りと掛けてきた相手を確認するようになった。かけて来たのはライアンだったので直ぐに出る。
『ラン、今大丈夫?』
「お前さんならいつでもウェルカムだぜ、寧ろそっちが大丈夫か。そっち夜だろ?」
日本との時差は約8時間、あちらの方が早いので此方はお昼だとしても向こうはもう夜。明日の事もあるだろうに電話などしても大丈夫なのだろうか。
『大丈夫だよ、こっちもちゃんと体調管理してるし』
「そうかい、こっちもこっちで気楽にやらせて貰ってるよ。アイルランドに比べたら流石に落ちる部分もあるけどな、まあ王城と比べるのも酷ってもんだな」
『分かってるならその位勘弁してあげたら?』
そんな他愛もない話をする二人、この時ばかりはランページも心からの安らぎを感じていた。欧州に一人、という訳ではないが気心を許せるのがたった一人だけという状況では矢張り何処か何かを求めたくなるのかライアンの声が聞けて酷くホッとしている自分がいる。
「なんか、気張ってるのかねぇ……ライアンの声聞いてるとスゲェ楽になるわ」
『それはありがと、今ならフローラと話しても安心出来るんじゃない?』
「それ別の意味でだと思うよ、ああこいつ変わってねぇわって意味合い」
それはそれで安心感を覚えそうだなぁ……と思った時、ライアンが突然、咳払いをした。
『ねぇラン、部屋には一人?』
「んっ?ああまあな、スーちゃんは別室だし」
『それじゃあ―――もう、いいよ。楽にして』
「楽にしてって、お前何言って」
言葉の意味が理解出来ないと言おうとした、思ったよりも先にライアンは言葉を続けていた。そして自分はそれを待ち続けていたのか、それを聞けたと感じた。
『大丈夫だよ、私は全部分かってるからさ―――辛いんでしょ?こっちにもランが会見の前に堂々とハーブシガーを吸って余裕をアピールしてるって話は届いてる、でも本当はいっぱいいっぱいなんでしょ?』
「如何して、」
『親友だもん。あれがランにとっての精神安定剤だって事も知ってるし、幾らランでも会見の前に吸わないと思っただけだよ。多分、今も吸ってるんじゃない?』
思わず、手にしていたハーブシガーが落ちた。そして同時に、口から流石だわ……という言葉が自然と出ていた。漏れ出るように、笑い声が出た。それは決して愉快だから出る類ではなく辛さを隠すための強がり、しゃくりあげる様な笑いだった。
「こっちに来た時はなんとも無かったんだ、アイルランドについて、ファインと会って、ご両親に挨拶してピルサドスキーと友達になって、配信やって、練習して……何ともなかった筈なんだよ……なのに、なんでなんだ……アルともう一度戦うって決めて、今度こそぜってぇ勝つって思ってた筈なのに、レースが近づいてくるとどんどん、不安が、溢れ出してくんだよ……怖いんだよ、何か解らねぇ何かが俺を、私を―――包み込もうとしてくるの……」
もう、顔を出す事も無いと思っていた。自分の知っているランになった。曰く、生きる事を諦めてしまった彼女の姿がそこにある。例え遠い異国の地に居ても、ライアンには目の前に彼女が顔を伏せて今にも泣きだそうになっているのが見える。
「分からない、分からないよぉ……駄目だよライアン……こんなのじゃ、私、走れないよぉ……皆本当は知らないんだ、私は本当は臆病で怖がりで、何も出来ない事なんて知らないんだ……メジロランページしか知らないんだ……走る私しか、知らない……」
彼女の背中には今、日本中の期待が乗っている。欧州での芝G1制覇、そして凱旋門の制覇を誰もが熱望している。それに応える覚悟はあった、気概も十分だった筈なのに……急に恐怖という感情が溢れ出してきた。初めての経験にランページはどうしたらいいのか分からず、もっと凄い相手と話したからと虚勢を張って余裕ぶり、誰もが知るメジロランページを演じた。
『ラン』
「分かってる、分かってるけど……如何したらいいのかも、分からないよぉ……!!」
『ランっ!!』
ライアンの強めの言葉に身体がビクついた、そしてTV電話にしてと言われたので恐る恐る操作をするとそこには優しい笑みのライアンがあった。
『有難う、私にそれを話してくれて。やっぱりランは何にも変わってない、私の知っているランのまんま。溜め込んじゃう癖も、ね』
ウィンクしながら優しい声色で有難う、と感謝をするライアンに思わず目を白黒させてしまった。
『ラン、アルってシュタールアルメコアの事だよね?ドバイで負けそうになったって言ってた』
「そ、そうだよ……そのアル」
『成程。ランはそのアルに強い危機感を覚えてるんだよ』
その正体は極めて簡単、シュタールアルメコアへの恐怖心。ドバイで彼女の領域に囚われて心が折れそうになったと聞いている、そしてそんな彼女と再戦する機会に巡り合ってしまったが故にまたそれが起きるのでは……という不安に襲われている。敗北への危機感、責任、重圧、様々な物がシュタールアルメコアを切っ掛けとして溢れ出した。
『でもランは一回勝ってるんだよ、そのウマ娘に』
「で、でも今度は負けるかも」
『じゃあ勝てばいいんだよ、ランは何時もそうして来たじゃない。どんなレースでも、どんな相手でも勝って来た。もしもさ、負けるかも……って不安になるなら私のトレーナーから教えて貰ったとっておきの方法を教えようか?』
「と、とっておき!?」
ライアンの取っておき、是非知りたいと頷いた。よし、とライアンはワザとらしく咳払いをすると少し溜めてから教えてくれた。それは―――
『鍛える事!!』
「―――へっ?」
『勝てるように頑張る事、ただそれだけなんだよ。不安になっちゃう?だったらそんな自分にならないように頑張ればいいんだよ……ランはさ、凄い辛い状況になっても必死になって努力してたんだよ。その不安の何十倍も凄い不安に押し潰されないように生きてたんだよ、親友は』
「……」
無言になった。余りにも単純な理屈だ、何が取っておきだ、何で溜めた、と思うような事だが……それを聞いてランページは―――思わず、大声で笑いだした。
「アッハッハッハッハッハッハッハッ!!!何それ、それが取っておきな訳!?唯の脳筋理論じゃない、今日はこの重さを持ち上げられなかった、だから持ち上げられるように努力しようって事!?アハハハッバカみたい!!!」
『バカみたいな位がちょうどいいんだよ、変にこんな取っておきなんていざって時に中々出来ないよ』
「ハハハハッ確かに言われてみたらそうだ、アハハハハハッ!!」
心の底から、腹の底からの大笑いをした。それにつられるようにライアンも笑いだした、二人の笑い声が重なって響き合う。そして少ししてから笑い過ぎて出た涙を拭いながらランページは言った。
「あ~笑った笑った……だけどスッキリしたよ。有難うなライアン、やっぱ俺はお前が居ないとダメだわ」
『何時でも電話して、相談なら乗るからさ』
「そうさせて貰うよ―――有難う、ラン」
『こっちこそ、有難うラン』
同時に通話を切った。そしてランページはハーブシガーを消すと頬を叩いて立ち上がった。
「―――シャァッ!!じゃあ鍛えますか!!!」