未だ興奮冷め非ず、夜が明けてもその高ぶりを人々は諫める事が出来なかった。アイリッシュチャンピオンステークスを制したメジロランページの走りに人々は益々魅せられていた。そしていよいよ―――次走は日本ウマ娘の悲願、凱旋門賞。数多くの人々がその舞台に夢を抱いた、あの凱旋門に日の丸が掲げられる事を。スピードシンボリが、メジロムサシが、シリウスシンボリが、挑んだその舞台に無敗の王者が挑む。今度こそ、勝利を持ち帰ってくれるのではないだろうかと期待が今から寄せられており、フランス行きの航空券は予約でいっぱい。欧州行きの物も同様の事が起きていた。
この凱旋門だけは、生で見なければ後悔すると思いを寄せる者ばかりだった。
「さてと―――後は凱旋門か」
「何というか感慨深くなっちゃうわね」
アイリッシュチャンピオンステークスを制したランページ、その勝利を祝した国王直々のパーティで大いに盛り上がった後にスーちゃんと共に部屋で静かに祝杯を挙げていた。スーちゃんはシャンパンだが、ランページは未成年なのでニンジンワイン。当人的にはこんな時位羽目を外して酒を飲みたいと思ったのだが……スーちゃんに駄目と言われた。代わりに二十歳になったら飲むようとしてワインを一本買って貰い現在熟成中。
「日本にとっての4度目の挑戦、経験も十分。期待は大よ」
「勝手にやるだけさ、俺は俺の走りをするだけ。日本の悲願なんて考えずに気軽にやるさ」
「流石ね、そういうに考えられるのは間違いなく貴方の美点よ」
何処まで言っても自分を貫き通す、プレッシャーが無いという訳ではないが……それは何方かと言えば敗北に対する物であって凱旋門に対する物はそこまで深くはない。寧ろ喜びを感じている自分すらいる。
「スーちゃんから始まった挑戦のバトン……次に受け継ぐのは俺、さてどんな結果になろうと俺はレースを楽しむ。ロンシャンの舞台を」
現状、凱旋門に挑めたのはメジロとシンボリの二つだけ。自分が知る限りではこの二つは紛れもなく日本トップクラスである筈、それですら届かない栄光がある。それに興味がある訳ではない、唯……そんな舞台で走ってみたいという純粋なウマ娘としての興味がある。
「スーちゃんから見て如何思うよ、俺の凱旋門」
「フフッ此処で何を言っても意味がないと思うわよ、貴方がすべきなのはその時まで直向きに自分と向き合う事だけよ」
「向き合う、ねぇ……何気に難しい事を言ってくれちゃいますねぇこのお茶目お婆様は」
只管に自分と向き合って自分を見つめ直し、コンディションとモチベーションを最大限にまで持って行くというのはよく聞く話だ。話ではあるのだが……自分の場合はそれが素直に難しい。何せ向き直る己は既にないのだから。ある意味此処まで勢いでやって来てしまっているような存在が自分がバグ過ぎるとも言えるが……。
「自分か……」
休養もそこそこにランページは鍛錬を再開する。何せ世界一とも称されるレースに出走するのだ、手抜かりなどは許されない。マスクを着けたまま走り続けていたランページは休憩を兼ねてドリンクを口に運ぶ。
「相変わらずキッツいぜ……こっちは過ごし易いのがせめてもの救いだな」
日本だとまだ残暑に苦しんでいるかもしれない、と思いつつもアイルランドの風に心地良さを覚えながら瞳を閉じる。そうしていると瞳を開くと思わずぎょっとした。何故ならば……隣にランページが居たから。
「……悪霊……?」
『そこはせめて残留思念とかだと思うよ、何でよりにもよって悪霊なの?』
「いや、イギリスが近いから」
『ええっ……』
自然な流れで会話してしまった、自分の隣に座る様にしているのはランページ。ドバイのあの時を思わず思い出してしまう、だが如何してこんな事が可能になっているのか……これが俗にいうイマジナリーフレンドという奴なのだろうか。
『三女神のダーレーアラビアンさんがね、折角だから会って来いって背中押してくれたの。それで一時的にね』
「三女神ねぇ……マジでいるのな」
『あれ、ドバイの前に会いに行ったって聞いたよ?』
割と衝撃的な事を言われているのだが、思い当たる節は一つだけある。飛行機の中で見たあの夢だ、雲の上を一緒に走ったような覚えがある。そうなるとあの時、顔は分からなかったウマ娘が三女神の一柱のダーレーアラビアンなのか……。
「ンで何の用」
『一回、ちゃんと話をしたかったから……じゃダメ?』
「分からないね、よく分からない」
こうして向き合っているのもハッキリ言って不思議な感覚。自分は彼女と別の自分の魂が混ざって生まれている、そんな自分と元々ランページと何を語ればいいのか全く分からない。それはきっと向こうも同じな筈だ。
「そっちから好きな事を言って貰っていいぜ、その覚悟はできてる」
『えっ例えば?』
「何でそこにお前が居るのかとか、本当なら私がそこに居るはずなのに……とかそういう恨み節はないのか」
『ないよ?だって私が自分でそれを手放す選択を取っちゃった訳だし……あ~でも、ライアンには凄い悪い事をしたなぁとは思ってる』
「そうだな、自分の親友が首吊り自殺している現場を見せたんだ。下手すりゃあれで精神衰弱でトゥインクルシリーズ出走なんて出来なくなってた可能性もあった訳だ」
『うっ……』
矢張り差という物はある、暴君のメジロランページの言葉にランページはタジタジになってしまう。自然と体勢も正座に変わって何処かお説教を受ける様な構えを取っていた。それに思わず吹き出して何構えてるんだと笑うと彼女は少しだけ怒る。
『ねっ今、楽しい?』
「楽しいぜ、周りも賑やかで走るのも楽しくてな」
『そっか、ねっ一つだけお願いしても良い?実はさ、お母さんが大好きだったレースがあるんだけどそれに出てくれない?』
「まあ日程によるが……それって何のレースだ?」
「ランちゃん、ランちゃん」
「―――んぁ……あれ、俺寝てたのか……?」
肩を揺られて目を覚ますとスーちゃんが自分を見つめていた、如何やら何時の間にか眠ってしまっていたらしい……寝ぼけた仕草をしながらも辺りを見ても何処にも彼女は居ない……夢だったのか、それとも……だが願いは聞いた、そして笑った。滾る事を言ってくれた。
「なあスーちゃん、凱旋門の後って……付き合える時間ある?」
「それはトレーナーとしてって事かしら?一応大丈夫よ、トレーナー業って何があるか分からないから今年一年開ける為に頑張ったから」
「んじゃさ、凱旋門の後に―――アメリカ行こうぜ、セイバーとダイナ……二人と勝負しに行く」
その言葉にスーちゃんは驚きもしなかった、唯々穏やかな微笑みを浮かべたまま訊ねた。
「何のレースに出たいの?」
「ブリーダーズカップクラシック」
という訳で、これまで感想で凱旋門の後はアメリカだ!!って言われたのをスルーしてましたが、正式にアメリカ行きます。そしてセイバーとダイナと戦います。