289話
メジロランページは元競争ウマ娘である。当人はそのことを誇張したり誇示したりする事はないが、生涯無敗を貫き通した世界最速にして世界最強のウマ娘だった。そんな彼女は有馬記念を最後に現役を引退し中央トレセンのトレーナーとなった。その引退式でのトレーナー就任を発表した時には驚愕と共に衝撃が世界中に伝播した。
ウマ娘がトレーナーになるという話は少ない。態々トレーナーになるよりも競争相手として重宝される場合の方が圧倒的に多い、それこそ中央トレセンに新設されたアグレッサーチームのような役割につく方が圧倒的に楽。トレーナーの資格、特に中央のトレーナー資格を取るのは簡単なことではない。某T大の受験よりも難しいとされるそれは合格者が0の年も珍しくはないとされる―――のにそれをランページは一発で合格した。
一部ではズルをしたのではないかという意見もあった、実際ランページほどのレジェンドならば優遇処置があっても可笑しくはないのだがランページは普通に受験手続をして一般の受験を行った。最難関の理由の一つしてあげられるウマ娘に関するレポートは自らのレースから作り上げた『ウマ娘のレースの開催間隔とバ場の関連性について』を提出して普通に合格を勝ち取った。一方で名選手名監督にあらずとランページのトレーナー適性を懐疑的に見る者がいるのも確かだが―――
「ウマ娘の隣を走ってその走りをよく観察できるトレーナーとコースの外から観察するトレーナー、その両方が居てもいいじゃん。視野と立ち位置の幅増えて」
相変わらず当人は世間の評価なんて気にしないと言わんばかりだった。そんなこんなで彼女は新学期からカノープスのサブトレーナー兼アグレッサーチームの統括チーフに就任して、今度はウマ娘を支える側となって走りだすことを決めたのであった。そんなトレーナーになったランページが初めて迎えた新学期。今年からまた新しい日々が始まる。カノープスからも新たにチケゾーことウイニングチケットがクラシッククラスに入って間もなく皐月賞、新たな世代、BNWの始まりを感じながらもコーヒーを啜り、仕事をする。
「あっちはこのメニューと複合してからのこうだろ、んで微調整は現場でしつつ模擬レースは何時も通りに頼みつつ俺は指揮を執ってカノープスっと。ンでは埼玉と静岡のトレセンとの電話会談がこの時間帯だから……あ~新入生の案内も理事長に頼まれたなぁ~まあのんびりやるか」
「忙しいんだなお前さんも、引退したばっかってのに少しはゆっくりしてもいいと思うぜ?」
トレセン学園は教育機関、なので当然職員室はある。と言っても職員室はそのままの意味でトレセンに勤務する職員のデスクなどがある。当然そこにはトレーナーのデスクもある、そのうちの一つにランページのデスクもあり、彼女はそこに座りながら高速でタイピングをしながらもスケジュールの調整を行いながら手帳に予定を書き込んでいく。本当に新人か?と言いたくなるような手際の良さに呆れるように沖野がコーヒーのお代わりを差し入れた。
「アンタみたいにウマ娘の脚を許可なく触ってキレられる程、俺はのんびり屋じゃねえからな。やれる時に仕事をこなして夕飯に酒飲んで寝るって理想的な生活をしたいだけだ」
「酒ってお前……ああそうか、お前さん成人してるだっけ」
「飲み会誘いたきゃどうぞ、海外遠征した時の裏話位なら酒の肴に出してやってもいいぜ」
ランページは既に成人しているので普通に飲酒が出来る、この前まで学生だったウマ娘が飲酒しているのが脳内がバグりそうだが遠征の裏話が酒の肴になるというのは余りにも魅力的すぎる申し出だ。企画するか……と真剣に悩む沖野を他所に東条トレーナーがやってきた。
「ちょっと入るわね、先日出した課題の期限を伝え忘れてたから伝えに来たわ」
サブトレーナーに経験を積ませる一環で経験を積んでいるトレーナーの補助的な役目で資料を作りを依頼されることがある。ランページは既にカノープスのサブトレーナーではあるが、それでも来る事はある。
「あらま、おハナさんからの課題か。こりゃ結構な量じゃないのか?」
「皐月賞を迎えるに当たって出走ウマ娘の資料でしたね、トライアルレースを含めた」
「ええ。量が量だからそこまで急がなくていいわよってことを伝えに来たの、貴方の場合は他にもやる事があるじゃない」
他の新人トレーナーからしたら期限が自分たちよりあるというのはズルく感じるかもしれないがランページの場合はそれが許される。何せ他のトレセンとの連携を取るために奔走しているうえにベテラントレーナーでも嫌がるあのサンデーサイレンスがいるアグレッサーの統括チーフまでしているのだから。
「いやもう終わってますよ」
「―――なんですって?」
「えっマジで?」
「チェックお願いします」
そう言いながらデスクの端に置いてあったファイルを手渡す。東条はすぐに中身を確認する、中には皐月賞に出走予定のウマ娘の資料が纏められている。しかも一人一人の出走レースなどのデータも細かく纏められているし数値化されたデータまでもあった。沖野が覗き込むようにそれを見ると呆れたような驚いたようなおかしな顔になった。
「……貴方、何時の間に」
「自分のデータは御自分で纏めてみて下さい、いい経験になりますよって南ちゃんにやらされてたんですよ。いざ振り返った時に便利っすからねぇこういうのがあると。テンプレートも南ちゃん直伝で作ってありますから楽でしたよ」
「マジで凄いなおい……というか、直近のレースなら一つ二つでいいんだぞ。なんで態々メイクデビューまで振り返ってんだよ」
「原点って重要じゃん。走りのオリジンを見れば今と比較して今を鑑みやすいからやった、他にご質問は?」
「―――満点ね、やれやれ貴方にトレーナーの適性がないって言った記者にこれを見せてやりたいわ……手際、良すぎない?」
「ダンドリ勝負は得意なんでね」
社畜時代はもっとエグイ量の仕事を押し付けられた物だ、それに比べたら熱意もやる気も向けやすい仕事は片づける事なんて容易い。それにデータを纏めるのはやっている側としても変化が数値として見られるから面白いからついつい手が進んでしまう。
「そっちはどうなんですか、新しいメンバー見つかりました?」
「リギルは見つかってるわね、新しくフジキセキが入ったわ」
「俺んとこはまあブリザードとローマンが居るからまだ考えてないな」
「今年の新入生にはそのブリザードの身内が来るんだぜ、個人的におすすめ」
「あら、貴方のお墨付きなんて気になっちゃうわね。スカウト考えようかしら?」
「おいおいおいおハナさんそりゃズルいぞ!!」
理事長から任された仕事の一つ、今年度入学するウマ娘に学園の案内をするようにと言われている。次世代を担うウマ娘に夢を与える為と言われてしまっては断れないし今年の入学者には自分の妹も含まれている、断る理由なんて存在していない。
「今年からはスゲェと思うぜ―――世界を狙えるのが居る」
「おいおいおい誰なんだよ俺にも教えてくれよ」
「そうだな、今度飯でも奢ってくれ、それなら教えてやるよ。んじゃ俺はこれで」
そういうとノートパソコンを閉じてから職員室を出ていく。その背中を沖野と東条は見送るのだが思わず二人は笑ってしまった。どう見ても新人トレーナーには思えないからだ。
「教える事ねぇし全く可愛くねぇ後輩だぜ」
「あら、楽が出来ていいじゃない。それにウマ娘のトレーナーなんて立ち位置で新しい風を呼び込んでくれるから有り難いわ」
「まあそりゃそうだけどさ、それよりおハナさん新入生見に行かねぇか?あいつが世界を狙えるなんて絶対スゲェのだと思うしよ」
「焦らなくても選抜レースなんかで見られるわよ」
「おはこんハロチャオ~♪貴方の記憶にワールドレコード、独裁暴君、生涯無敗!!なランページだぜい!!皆の者~善行積んでたか~?」
新入生たちはまさかの案内役があのランページという事に驚きを隠せずに黄色い声援を溢れさせていた。リスナーも多かったのか生だぁ……感激だぁ……と気絶しそうなものまでいた。そんな中に目を輝かせているドーベルと嬉しそうなブライトの姿を見つめてウィンクをするとドーベルは顔を赤くしながらも口元を覆い、ブライトはほわぁっ♪と笑った。
「さてと新入生の皆の者、トレセン学園へようこそ。本日の案内をすることになった新人トレーナーのメジロランページだ。自己紹介とかいるのかね、あっいらない?一応某少佐のスピーチ風にしたもの考えて来たんだけど……時間もあるからやめとくか。さてとこれから君たちをトレセンのあちこちを案内する訳だけど―――」
一応の説明に入っている中でランページはそれとなく新入生に目をやる、そしてあのウマ娘たちが居ることをしっかりと確認する。
「WOW!!ホントウにあのランページさんがトレーナーをやってマ~ス!!」
「フフフッ世界を股にかけた可能性のウマ娘、素晴らしい時に入学できたわ!!」
「おおっおおおっなんだかすごいものを感じますぅ……!!」
「あの人が、世界の先頭に立った……私も、立ってみたい……!!」
「という訳だけどまあ説明するよりも見た方が早いだろうな、それじゃあ行こうか!!」
世界を知り、世界に勝利したウマ娘トレーナーとして。彼女の下に集う様々なウマ娘たちとのドラマが、また新しく始まろうとしていた。