「課題上がりましたよ」
「早っ!!?いや、渡したの昨日の夕方だろ!?」
「ええ、だから終わりました」
「ええっ……」
骨伝導イヤホンで音楽を聴きながらトレーナーとしての仕事を片付けているランページ、多忙である事は周知の事実なのに当たり前のように普通の新人トレーナー以上の速度で仕事をこなす姿は他のトレーナーからはある種の畏怖の対象として見られている。当然だ、トレセン学園にいる事よりも外に出ていることの方が多いうえに仕事量だって多い筈なのに他の新人トレーナーの数倍の速度で課題をこなすのだから。
「うわっ……」
こっそりと後ろを通り掛ったベテラントレーナーがランページのノートパソコンの画面をのぞき込んだ時に思わずそんな声が漏れてしまった。当然ウマ娘であるランページには聞こえているが無視、気に掛ける事でもないしこんなことで仕事の効率を落とすのがバカのすることだという認識がある。割り振られた仕事をキッチリとこなしていく事こそがプロという自覚が彼女の中にはある。
「はぁぁぁっ……自信なくすぜ」
「おいどうした」
コーヒーメーカーで新しいコーヒーを淹れている同僚に声をかける、この二人の共通点はランページの事をよく思っていないこと。シンプルに二人の担当がランページに煮え湯を飲まされたから彼女が今度は同僚としてトレーナーになった事に中々馴染めないという敵視している連中とは違うと自負している、それでもライバル視しているのは同じだが……それでも自信を喪失しそうになった。
「だってさぁっ……見たこともないようなスピードでキー打たれる上になんか、アニメのOSの書き換えみたいにタブがどんどん切り替わってんだぞ?どうなってんだよあれ」
「……そういえばあのPCってすげぇ高性能って噂聞いたな。なんか特注だって」
「マジかよ、使いこなせるとあそこまで行けるのか……」
特注なのはあっている。メジロ家お抱えの会社に頼んで発注した高性能ノートPC、仕事でも大活躍のスペックを誇るが―――その実、ゲーミングPCである事は黙っておいた方がいいだろうなとランページは心の中で思ったのであった。
「お疲れ」
「んっああ伯父貴か、コーヒーサンキュー」
「その呼び名、やめろって何回言わせる気だ。俺は堅気だ」
「俺にも何回言わせる気だ、堅気なんて普通いわねっつの」
一段落付いたところで自販機でコーヒーでも買ってこようと思ったところに黒沼がコーヒーを持ってきてくれた、感謝しつつ受け取る。MAXコーヒー辺りでも飲もうと思っていたが……矢張り彼とはコーヒーの趣味が合う、コスタリカコーヒーは旨い。
「どうだ、活きのいい奴はいたか?」
「船橋とか大井はかなり粒揃いでしたね、あれが見向きもされてねぇって中央の目も大した事ねぇって侮られてましたよ」
「耳が痛い話だな」
中央と地方の壁は思った以上に深く分厚い、というのがランページが各地を巡った感想だった。地方は地方で有能なウマ娘を中央に取られまいと隠す傾向もある、オグリキャップの中央移籍の一件が相当に深く食い込んでいる。中央もそれを分かっているのか触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに地方への積極的なスカウトは控えているというのが続いている。結果的にそれが地方から中央行きを望むウマ娘の可能性をつぶす事にも繋がっている事も理解せずに。
「地方の理想としては、地方所属のまま中央のレースでこっちのウマ娘を叩き潰してURAのメンツを潰す事っすよ。だからファイナルズは都合がいい、何せそれ以上の下克上が見れるかもしれない夢のレースなんだから」
「末恐ろしい話だな、確かにブルボンが地方どころか一般校ウマ娘に負けたら俺は指を落とすしかないかもしれないからな」
「だからそういう発言が堅気じゃねえっつの」
だからこそ中央は恐れている、まだ見ぬ地方ウマ娘の中にオグリキャップのような存在が居るかもしれない。だからあんなにもファイナルズの開催に否定的だったのだ。中央の威厳にも関わる問題、がランページからすればそんなものは一度壊れてしまってもいい。悪しき流れを断ち切って組織を再構成するにはいい機会だ。
「ンでトラップはどんなご様子?」
「ああ、様子を見つつ12月あたりのデビューを想定してたんだが……早めてもいいかもしれないな」
トラップは黒沼が思っていた以上に仕上がっている、既にOPクラスは勝って当然、重賞に出しても間違いなく善戦する。そう確信させるほどの脚をもっているウマ娘だ。
「つってもあんまり無理はさせ過ぎないでくれよ?」
「分かってる、基礎を重点的にやらせながら頃合いを見て応用技術を軽く教えて幅を見る予定だ。幅を見てから改めてデビュー時期を検討するさ、脚部不安ってのもなんとなく分かったがありゃ基礎体力による不足を走り方でカバーしてる感じだったな」
「割に合わないことをフォームでカバーしてたって感じか」
「技術もあるせいでそれが出来てるからこそだな、だからこそネメシスのメニューで矯正が出来始めてる。それを今度は俺の方でやってる、その出来次第では早めに重賞を出して様子を見たい」
黒沼にここまで言わせる辺りトラップの素質はやはり素晴らしかったと安心する、こうなるとブライアン世代であることが極めて残念でならない。そんなことを思っていると黒沼はじゃあなと去っていく。手を挙げて別れを告げながらも仕事を再開することにした。
「やれやれ、サンデーさんは次々にメニューやらせるから考えるこっちの身にもなって欲しいもんだぜ……唯でさえこっちは最近追いかけられてるってのに」
ランページは引退してから早朝に走るようにしている。単純にこれまで通りのメニューをこなす時間が無くなった分の補填としてやっているだけなのだが、最近はそれに合わせて数人の生徒が追走してくるようになってきた。向上心がある事は良い事だが、無理に付いて来ようとして力尽きているのでコースを決めて帰りには自分のインプで寮まで送ってやっている。
「マヤちんやマーベは分かるが、まさか着いて来るとはなぁ……」
一番多いのはマヤとマーベラスのマヤーベラスコンビ、その中に最近加わったのがスズカだった。新入生でまだ身体も出来上がっていない状態からのスタートだが、そのスピードは目を見張るものがある。スタミナがまだまだなせいで途中で力尽きるが最後の最後まで走って着いて来る辺りはかなり根性がある。
「あそこまで喰いつかれると、気にならないってのが嘘になっちまうなぁ……」
是非育ててみたい、自分の全てを教え込んでみたいという欲が出てきてしまった。自分の走りを得たサイレンススズカという一種の境地にも似た景色に武者震いがしてしまった。一応自分はサブトレーナーという立場ではあるが、トレーナーの資格はあるので誰かを担当として持つ事は出来る。単純に仕事量が増えるという障害はあるが……だがやっていいのかという疑問はある。
「……ああっ南ちゃん。今夜飲まね?奢るからよ」
気づけば南坂へと連絡を取っていた。