「フゥッ……」
インプレッサに寄りかかるようにしながらもハーブシガーに火を点ける。はっきり言えば精神衛生上の観念からはもうお世話になっていないが、長い間お世話になっていた為か吸うと落ち着きを感じるのである。早朝の誰もいない駐車場の空間を独り占めしながらその空気をハーブで汚す、何とも背徳的で贅沢な時間だ。走り込みを終えての時間は矢張り至福……そんなことを考えていると今日も付いてきたウマ娘の足音が聞こえてきた。
「来たか」
ハーブシガーを消しながらそちらへと目線をやる、少しするとまだ薄暗い朝もやの中を走ってくる影が見えてくる。脚が少しだけ覚束ない、彼女にはまだまだ長い距離である筈なのによくもまあ頑張るものだと思いながらも視線を外さずにいるとやってきた、最後の最後まで歩くことなく走り切った。
「お疲れさん、ほれっゆっくり飲めよ」
「は、はい……有難う、ござい、ます……」
自分のペースに着いてきたのはサイレンススズカ、新入生の彼女には自分のペースは明らかに辛い筈なのにそんな言葉を一切吐かずに毎日ついてくる。中々にいい根性をしている。
「今日で1週間連続か……マヤーベラスコンビが来なかったから今日はお前だけだな」
「お、お二人如何したんでしょうか……?」
「見たい映画を見てて一緒に夜更かししてたんだと」
「仲良いんですね、お二人とも」
「同期だしな」
前以て二人から断りの連絡は来ていた、それだけ見たい映画なのは分かったしそもそも強制ではないので自由にさせた。だが今日ばかりはそれは助かったかもしれない。
「なあこの前俺ちゃんが言った言葉、覚えてるか?」
「……その気があるならってやつです、よね?」
思わず、耳としっぽが揺れた。当然スズカはあの時の話を忘れたことなどはなかった。誰も見たことがないような景色を唯一人、メジロランページだけが見た世界最速という景色、それを自分も見てみたいと思わなかった日はなかった。それは今も同じ。
「俺は今便宜上サブトレーナーではあるが、一応担当を取る事は出来る。ファイナルズ設立の方も落ち着いてきたからな、チームはまだ早いにしても誰かを見るにはいい機会だと思ってる」
ランページの言葉の一つ一つを聞き漏らさぬように必死に聞き耳を立てるスズカ、聞くたびにの瞳の輝きも増していく。
「スズカ、お前の夢は何だ。それを聞かせてくれ」
「私の夢は―――私の走りを見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘になる事です。私に夢を与えてくれた貴方のようなウマ娘に」
そしてそれが遂に最高潮に達した瞬間が訪れる。それを聞いたランページは口角を持ち上げながら真正面に立ち、目を見据えながら言った。
「サイレンススズカ、お前をスカウトしたい。俺の走りを、お前の走りとして昇華させてみる気はないか?」
「してみたいです。私の走りで、貴方の見た先頭の景色を見たいです」
差し出された手を強く握り返しながらスズカは力強く答えて見せた。きっと自分が歩もうとしている道はとても辛くて長いものである筈なのに全く躊躇しなかった。
「俺も俺でまだまだ新人トレーナーの域を出ねぇペーペーだ、それでもいいか」
「大丈夫です、私はきっと貴方より速くなって見せます」
世界最速に対してこの発言、聞く者が聞いたらぞっとしない筈なのに何の恐れもなく言い放って見せた。超えてみせると、虫も殺しそうにない程に可憐で穏やかな優しい顔つきをしているのに、なんて強い闘争心を秘めた発言なのか。それが気に入った、ならば意地でも超えて貰おうじゃないか、この自分を。
「言ってくれるねぇ……何だかんだで俺には準備期間は1~2年しかなくて現役中にも仕上げるしかなかったからな……だがお前にはデビューまでほぼ4年って時間もある。基礎から初めて俺の走法を叩き込むには十分な時間がある、いいねぇ若いってのは……これが若さか」
「ランページさんもお若いですよね?」
「まあ気にしなさんな―――それとスズカ、これは最初に言っといた方がいいかもな」
手の中でインプのキーを弄りながらも徐々に明るんできた空を見上げる。
「俺の担当になるって事は否が応でも目を引く、だがお前はそれに一切惑わされるな。そいつらの相手は俺がする、お前はお前の走りに徹しろ。トレーナーとウマ娘は二人三脚だ、一緒に走るぞ」
「でも、その内に私の方が速くなっちゃいますよ」
「おっ?言いやがりましたよこのウマ娘ちゃんめが、そういうのは俺ちゃんのワールドレコードを一つでも更新してから言いやがりなさりなさいや」
「はい、そのつもりです」
「かっ~御綺麗な面して大胆不敵な事を平然と言いやがる所、南ちゃんに似てやがるぜ」
気付けば二人は笑い合っていた、和やかな雰囲気で会話が出来ていた。そんな今を見てランページは南坂とのこれまでを思わず想起した。彼とのような関係を築けたらいいな……そう思ったら日の出が訪れた。朝日が世界に顔を出し光で満たしていく。
「良い時間か……さてと、んじゃスズカ帰るか」
「はい」
「俺の家でシャワーでも浴びてけよ、朝飯位はご馳走してやるよ」
「家ってランページさんって美浦か栗東じゃないんですか?」
「幾らウマ娘だからっていつまでもそっちに住んでる訳ないじゃないの、卒業と同時に寮は出たよ。今は気儘な一人暮らしだ、どうせだから朝飯食いながら海外遠征中の面白い話でもしてやるよ」
「わぁっ興味あります」
彼女と共にインプに乗り込んでキーを回す、これからの事にわくわくドキドキしてきたスズカ。何時か届くであろう誰も見たことがない先頭の景色、その時にランページは自分の隣を走っていてくれるのだろうか、それとも……その景色は彼女との競り合いで生まれるのだろうか。高揚感で満たされていく中でランページの横顔を見ながらも楽しみになってきた。
「あれ、この紙コップって何なんです?」
「んっああ~それか、なんていうか……荷重移動の練習?」
「はぁっ……?」
折角インプなんだからとやっていた練習の痕跡を見られて少しばかり恥ずかしくなったのは言うまでもない。流石にあそこまでの量で零さずは出来ないが、ある程度は形になってきたのか水を回せるようにはなった。何れはドリフトもやってみせるとランページは外れたところで進化していた、尚、その腕前は時折マルゼンスキーと共に峠で活かされている。時折出没するカウンタックとインプレッサは、走り屋の間では赤い閃光と青い流星と呼ばれていたりいなかったり……。
「まあなんだ、とにかく基本は基礎重点でそっから色々と俺のを仕込んでいく。俺の全身走法も多分お前さんならマスター出来んだろ、そうなれば―――国内だろうが海外だろうが敵じゃねえよ」
「頑張ります」
「その意気だ、因みにトゥインクルシリーズはクラシックとティアラどっち志望?」
「う~ん……特にこだわりはないです」
「んじゃまあのんびり考えるかぁ~時間だけはあるし」
「はい」
こうしてランページの初の担当ウマ娘はあのサイレンススズカとなったのであった。そして、スズカはランページを初めて継いだウマ娘として呼ばれるのかは……未来の話。これからは、その道筋を少しずつ辿っていく事にしよう。