アイルランド。
ランページが現役時代の欧州遠征時にお世話になったこの国、その王族が住まう場に今回お世話になっている日本人チームがあった。元々はアイルランドに来る予定はなかったのだが、王族側から是非ウチで万全の状態に整えてほしいという猛プッシュを受けたのでこの国へとやって来た南坂トレーナー率いる欧州遠征チーム。最初こそアイルランドの好意的な姿勢に戸惑いこそしたが、その好意こそがランページが深めた絆だと直ぐに理解出来た。
「アイルランド王室として皆様を歓迎致します―――ランページさんのしんゆ~として!!」
真っ先に笑顔と日本語でそう語りかけて来たアイルランドの姫殿下、その言葉でアイルランドを遠征拠点として定めたのであった。
「お疲れ様です、それでは休憩しましょうか」
「はい分かりました」
南坂の声に応えるローレル、二エル賞に勝利した事で凱旋門挑戦の機会を得ることが出来た彼女はこうして今、努力を重ね続けている。そんな彼女の隣にいるのは荒い息をしているフローラ。本来リギルの彼女だが、東条トレーナーは南坂以上に日本を離れるのが難しい立場なのでこうして今回は同行を許して貰っている。そんな彼女はマスクを外しながら新鮮な空気を吸い込む。
「キッツぃ……カノープスだと普段からこんな練習をしてるんですか……?」
「いえ流石に違いますよ」
「そうです、よね。こういう風に海外遠征するときだけ―――」
「やっていたのはランページさんとイクノさん、後はネイチャさんとタンホイザさんにライスさんぐらいです」
「結構やってたよ!!?」
フローラとしてはこの遠征で初めて体験すると言ってもいいカノープス流のメニュー、矢張り基礎を重視しているがフローラのレベルに最適化された負荷が掛けられている。当然のようにシンザン鉄から慣れる所から始まり、現在はマスクを着用した低酸素トレーニングまで導入している。
「ランページさんはマスクを付けた上で坂路を爆走してましたね」
「……偶に思いますけど、あの人なんですか。今私が付けてる蹄鉄よりも数倍も重い蹄鉄を練習どころかレースでも付けて爆走してたんですよね。マジで何なんですか、そんなの生み出したカノープスって何なの」
「フフッご想像にお任せします」
クスクス、と手元で口を隠しながら笑う南坂トレーナーの姿は酷く恐ろしげに見えた。自分は彼とは僅かな付き合いにしかならないがそれでもトレーナーと担当ウマ娘としての関係を築いてきたと思ってきたが全く以て底が知れない。何処までも限界が無い怪物のように映る。
「トレーナー!!ファインと一緒にお菓子作って来たよ~」
「しんゆ~のトレーナーさ~ん休憩中なら一緒に食べませんか~?」
「おや、これはこれは」
ターボがファインを引き連れながらやって来た、ターボはアイリッシュチャンピオンステークスに出走したばかりなのでまだ休養期間中だが気を利かせてくれたのかファインと一緒に休憩中に食べるお菓子を作って来たらしい。作ってきたのは中にドライフルーツを入れたパウンドケーキ、休憩にはいいかもしれないと皆で食べる事になった。
「それにしても……ランページさんが遠征中はアイルランドに居た事は知ってましたけど……此処までアイルランド王室と親密だったとは思いませんでしたよ」
濃いめ紅茶を飲みながらもフローラは改めてランページの規格外さを思い知った気分だった。海外に出てまず思ったのがランページというウマ娘の巨大さだった。日本のウマ娘だと分かればあの暴君の……と警戒されて大逃げマークの態勢を作られる。違うと分かるとバカにしたかのように此方を見下す者もいたが、その隙をついてぶち抜いたりもした。
「先輩はドバイにヨーロッパで破竹の快進撃でしたもんね。此方でもファイン殿下とお写真を撮られたグッズを見ましたよ」
「ファインでいいよ。しんゆ~のチームメイトは私の友達も同じだもん!!」
「そして、ターボもファインの親友!!」
「そう、ファインはターボさんのしんゆ~にもなったのです!!」
「素敵なご友人が出来ましたね」
「「うん!!」」
にこやかな笑みの南坂の言葉に満面の笑みで頷く二人、普通に考えれば微笑ましい。片方が一国の姫君である事を除けば……そして気づけば自分はこんな所にまで来ていた。ランページの背中を追い続けていたレース人生、そんな憧れが所属したチームのウマ娘と共に世界一のレースへと挑もうとしているのだから。
「凱旋門か……」
「実感湧きませんか」
「湧かないというかなんというか……不思議な気分」
ランページに勝ちたいと思い続けた現役人生は何時の間にか、目標として背中が居なくなっても続いていた。どれだけ走り続けてもあの背中を捉えることが出来るヴィジョンを思い描けない。少しでも追い付く為に、同じように海外の戦線に殴り込んだ。そして結果として自分の海外戦績は10戦7勝となっていた。勝利数で言えばランページを越えてはいるが、自分がこれまで走ったのは全てG3~G2で彼女のようにG1はこれが初挑戦となる。
「私、大きくなれてるのかなぁ……」
「なれてる!!」
そんな自分の疑問に答えてくれたのは意外な人物、ターボだった。
「フローラの気持ち、ターボ何となくわかるよ。ターボにも負けたくない、勝ちたいって相手いたから」
「それってもしかして」
「うんテイオー」
トウカイテイオー、ターボの同期であり最大のライバル。そしてテイオーも現在は海外遠征を行っており、クイーンエリザベスⅡ世カップにキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスというG1タイトルを獲得している。
「ターボとテイオーは今の所互角、だから次の勝負は決めてるんだ」
「えっ何処で!?」
「アメリカで戦うの。だから凱旋門は出るか悩んでるんだ」
その言葉に驚愕した。ターボは既にアメリカに行く事を見据えているのかと、ローレルも聞いていなかったのか少しだけ驚いたような顔をしながらも尋ねた。
「それではブリーダーズカップで」
「うん、だけどターボはマイルカップでテイオーはターフに登録するんだ。それで最終的には―――レジェンドレースで勝負する」
ターボの表情は酷く凛々しかった。一緒に欧州に来てからずっと見せていた無邪気で幼げな雰囲気はそこにはなくトリプルティアラに相応しい覇気を纏った王者の姿がそこにあったのだ。
「おお~レジェンドレース!!しんゆ~の作ったレースでしょ!?いいないいな~私も日本で見たい~!!!」
「じゃあ見ようよ!!」
「見ていいの!?」
「ターボさん簡単に言っちゃだめですよ。流石にファインさんはご家族の許可を取らないと」
「「ブッ~!!」」
何処まで仲良しなのかと、思う一方で目の前の人は本当に尊敬すべきウマ娘なんだと思った。自分は一度彼女に勝っている、だがもう一度勝てるのかと言われたら恐らく無理だろう……極限にまで仕上げなければ勝つ事は出来ない……そう思っているとターボが手を握ってきた、自分だけではなくローレルの手も握る。
「ターボは凱旋門に出られても出れなくても後悔はないよ、だけど二人はここで後悔するような走りはしちゃだめだよ。凱旋門はランが勝ったレース、だから勝てなんて言わないけど……どうせならランに胸を張って報告出来るような走りをして日本に帰ろうよ!!」
満面の笑みを浮かべながら言うその人の言葉に、フローラは胸の中にあった重しが軽くなった気分になった。そうだ自分は凱旋門で走るから緊張していたのかもしれない、自分はそんなこと考えなくていいんだ。凱旋門を制したあの人に挑戦しに来たと思えばいいんだから……自分らしく挑戦者としてあのメジロランページに挑もう。
「はいっ!!」
「私も頑張りますターボ先輩。応援お願いしますね」
「任せろ~!!」
「私も任せろ~!!」
「南坂さん、不出来なウマ娘ですがご指導お願いします!!」
「承知しました。微力ではありますが、全力を尽くさせて貰います」