「う~ん……」
キーボードを叩きながらも出力され続けている映像からは目を離さずに仕事を続けるランページ。動画の横ではタブが幾つも切り替わり続けている状況が続いている訳だが、そんな光景はランページにとっては日常、問題なのは動画の方。終わりまで行った所で動画を閉じて珈琲を飲む。
「如何したよ、天下の独裁暴君が難しそうな声出しやがって」
「出すなっつう方が難しいだろうよ、アンタだって見ただろ菊花賞」
「当然」
そう言いながらも肩を竦める沖野。無敗の三冠ウマ娘としては三人目、しかもその勝ち方は尋常ではない。トラップの全力を飲み込んでそれ以上の力でねじ伏せるというこれ以上ないと言っても過言ではない勝ち方だった。同じく無敗でクラシック三冠となったテイオーのトレーナーである沖野から見ても尋常ではない強さをブライアンから感じ取った。
「テイオーとは別の強さがある、いやある意味じゃテイオーを超えてるかもな……」
「テイオーの持ち味は柔軟な筋力と関節から生み出される跳躍力だけど、ブライアンの場合は顎を引きながら頭が地面につきそうなほどの極端な前傾姿勢で全身走法を繰り出す事で生まれる爆発的なストライド。普通のウマ娘の2~3倍は一歩がデカい」
「高身長のお前さん並みのストライドって思うとマジでやばいな」
ランページの身長は現役当時は175、現在は184。それによって生み出されるストライドもランページの強さの秘密の一つ、ブライアンの身長は160㎝で15㎝以上の差がある。
「その為にも、貴方と走らせ続けたのよ」
「おハナさんもしかして、全身走法を掴ませるためにか」
「御明察」
ブライアンはこれを克服する為にレディセイバーの超前傾姿勢とランページの全身走法を取り込んだ。元々低い姿勢で走るブライアンにとってそれを我が物にするのは容易い事だった。東条がランページとの走り込みをさせたのも強い相手と走らせることでのレベルアップが目的だが一番の目的は全身走法の威力をその身で体験させることで必要性を理解させることだった。
「合宿ではメジロ家に交渉してモンスニーに来て貰ってコーチして貰ったのよ」
「あらま、俺ちゃん聞いてなかったな」
「内緒にして貰うように無理を言ったからね」
「モンスニー直伝かぁ……そりゃつぇぇ訳だ」
東条からすればランページの現役時代から全身走法の強さに苦しめられてきたからその強さはよく分かっているつもりだった。そして凱旋門に向かったローレル、彼女はどんな結果になろうとも一回りも二回りも大きくなって帰って来る筈だと思っていた。結果的に凱旋門賞2着という結果だったので読みは正しかった。そんなローレルのライバルとして相応しい相手になりたいと言われて、相応しいだけの成長と言われて思いついたのが凱旋門で1着を勝ち取ったフローラですら勝てないランページの全身走法だった。
「それで体得した訳か……俺もテイオーも随分と苦労して覚えたんだがねぇ」
「貴方から見てブライアンのそれはどんなもんかしら?」
「ふぅん……まだちょっと下半身と上半身が完璧にシンクロしきってはないね、つってもパーセンテージで言えば80は超えてるからここからある意味で自己満足で引き上げる領域だな」
「それじゃあまだまだやらせるべきね、貴重な意見有難うね」
嫌味でもなんでもなく素直な礼を言いながら去っていく東条に沖野と思わず顔を見合わせてしまった。
「沖ノッチ、素直にあのブライアンと戦いたいと思う?」
「すっ飛んで逃げたいわ」
「同感だ。来年のシニアに同情しかしねぇわ、なんならシニアと走るレース全部回避したくなるわ」
「はぁぁぁぁっ……今年の有馬如何すっかなぁ……んじゃな~……」
重くなった足取りのまま自分の席に戻っていく沖野を見送って自分も仕事に戻る訳……が如何してもブライアンの事が頭から離れない。以前、どうせ未来の事を気にするぐらいなら今を重視すると言ったのに今からブライアンの対策を考えずにはいられない。それはずばり―――
「マヤがぶつかるんだもんなぁ……」
マヤノトップガンの有名なレースの中には一際有名で伝説となったレースがある。それがG2レースの阪神大賞典、ナリタブライアンとの一騎打ちともされる伝説のレース。マヤがこれからクラシック、シニアを駆けあがっていく中でブライアンとの激突は必須、いうなればそこにローレルまでもが加わる事にもなるのである。何れ来るであろうとは思っていたのだが……こうも現実味を帯びてくるとどうしても考えずにはいられなくなる。
「如何したもんかな……」
マヤは紛れもなく天才だ、複数の脚質を完璧に使い分けてそれぞれに応じた戦術も教えさえすれば完璧に使いこなすだろう。だがそれであのブライアンに勝てるのかという疑問は湧く。そしていずれローレルともぶつかる事にもなる、気持ちとしてはローレルのほうがマシな気もするのだが、あっちもあっちで凱旋門で2着を勝ち取った実力は無視出来ない……今から考えてもしょうがないというのは分かるのだが如何しても考えてしまう。
「悩み事?」
「んっ……ああ、分かるだろ上ちゃん」
「まあね、ブライアンの事でしょ」
隣の席に座った上ちゃんからの言葉に素直に返答する。同じチームのトレーナーとして頭を悩ませるのは彼も同じではあるのだが、自分よりもずっと冷静であるように思える。
「何というか、今からシニアクラス相手の心配をしてもしょうがないさ。どうせなら同期の事を想定した方が良いと思うよ」
「……正論だな」
心配するならばマヤの同期であるフジキセキやマーベラスサンデー、タヤスツヨシにジェニュインなどを警戒した方が余程合理的だ。悩むのは本格的にぶつかる時にした方が良いのかもしれない……一先ずはマヤの次走である京都ジュニアステークスに向けて思考を向けていた方が良いかもしれない。
「悪いな上ちゃん、焦り過ぎたかもな」
「気持ちは分かるよ、俺だって気になってしょうがない。だけど戦うとしても最短で来年の秋か冬辺りだと思うとしょうがないなぁって思えるからさ」
「やれやれ、耳が痛いぜ。最近仕事忙しくなって焦ったか?」
今年のファイナルズとレジェンドレースも近づいてきている事もあって、自分の仕事もまた増えてきてしまっている。
「それじゃあ、いいお知らせをしようか」
「おっ何だい?」
「良いサブトレーナー候補が今日、トレセンに来るよ」
「マジ?この時期にか」
秋に入ってきた辺りでトレセン学園にやって来るトレーナー、という事は地方から上がってきたウマ娘についてきたトレーナーか、それとも何かしらの都合で業務に入れていなかったものなのか……と思っていた時にあれ?と首を傾げそうになった時に職員室の扉が開けられた。
「本日よりトレーナーに復帰しました、皆さまご心配おかけしました」
扉が開けられて頭を下げるトレーナーに向けて拍手や待っていたという歓迎の声が上がった。帰還が待ち侘びられていたらしいトレーナー、とそこで漸くランページも状況を飲み込んだ。出迎えの為に自分もそこへと向かって握手を求めると彼は喜んで自分の手を握ってくれた。
「復帰今日だったのか、人が悪いなぁ言ってくれたら出迎えぐらい行ったんだぜ?」
「お世話になりっぱなしだったからさ、どうせなら仕事で君の力になろうと思ってさ―――どうかな、プレアデスのサブトレーナー枠空いてる?」
「空いてる空いてる、歓迎するぜ―――坂原トレーナー」
そうだ、マヤが駆け抜けるのであればこの人の力だって借りればいい。自分は何も一人でチームを切り盛りしている訳ではないのだから。