「ランページ、悪いけどまた増えるけど頼まれてくれるか?」
「ヒゥゥゥンッ?」
「ああそうだ、またなんだ……悪い頼むよ」
一見すれば何なんだと言われそうな光景だが、此処では当たり前のそれになりつつある厩務員とランページの会話。育児放棄が出てしまったのでその代役としてランページが母をする、というのは此処ではよくある光景。リーダーとしての素質があるランページにリードホースは適役、当人的には面倒な仕事を押し付けられたと死んだ目をしているが勘弁してもらうとしよう。
「ヒゥゥゥンッ……ブルルル」
「分かってるよ、んじゃ後で連れて来るから」
今日は生牧草と人参のミックスだな……後で言っておかないと。迷惑料としてこの位はサービスしないと怒るのだ、普通に会話が成立する事もそうだが、賢いのは助かるようで大変だ。
『うぅぅっ……ママ……』
『大変だったな、まあお母さんも色々あるのよ、ほれこっち来な』
馬の世界も大変だなぁ……と思いながらも育児放棄されてしまった子供の面倒を見る。こう思うと自分の子達の面倒をちゃんと見ている自分はいい方なのだろう、多分……ちゃんと教育出来ているかは微妙な気もするけど。
『お母さん、あれっまた増えたの?』
『そう言う事だ、仲良くしてやってくれよ』
『任せといて』
『け、蹴らない?』
『蹴らないよ』
どうやら中々に怖い目にあって来たらしい、こういう子は暫く寄り添ってやらなければならないな……我が子の面倒もあるのだが、ブルボンが大人しい子で良かったとつくづく思う。
『今日からお前は俺の子だ、それで家族だ。お姉ちゃんと遊んできな、此処にいる奴らは皆優しいぞ。言いたくないけどお前さんと似たような境遇だからな』
『きょーぐぅ?』
『同じような事をされた事があるって事だ、ほれ行ってきな』
『う、うん……』
オドオドしながらもブルボンの後に続いていく子馬を見送るとアマテラスがやってきた。アマテラスも現役を引退し来年から繁殖牝馬として活躍する事になった。
『母さんも大変ね、今だってお腹に新しい子いるのに』
『もう慣れたさ、お前さんもそのうち慣れる事になるんだから覚悟しとけよ』
『は~……私がお母さんみたいになるとか想像出来ないよ~』
三冠を達成したアマテラスは一体誰が相手になるのだろうか……まあそれらを決めるのはオーナーなのだから自分にとやかく言う権利はないのだが……
『そう言えば最近、なんか外国の人が良くこっち見て来るけどあれなんなんだろうね?』
『さあな、如何でも良い事さ』
開幕した阪神ジュベナイルフィリーズ。先頭を駆け抜けるビワハイジを追いかける形となっているエアグルーヴ、合宿明けの札幌ジュニアステークスでビワハイジとは対決を経験している。その時は合宿明けではあったが7バ身差をつけての快勝をもぎ取っている。
『先頭はビワハイジ、そこから2バ身離れて2番手にエアグルーヴ、エイシンヴィーナス、イブキパッシブと続きます』
展開としては逃げを打つビワハイジの後塵を拝す展開になっているが焦りの色はまるでない、だが周囲は妙に自分を泳がせているような雰囲気がある。距離を取っているように感じられるがそれを見て以前のプレッシャーが随分と効いたと見える。
「(トレーナーなら私の圧掛けを見抜くのは造作もない、それを透かす為に距離を取らせているのだろうな……それはそれでいい、邪魔が居なければ存分に走る)」
これまでの走りを分析されその対策として一定距離を取られているのだろう、それは不正解ではないが正解でもない。
「手としては悪くないが……良くも悪くもエアエア依存過ぎる戦略だな、そもそもあれをするのは圧を掛けられるか進路に邪魔がある時だけ」
「マークされたからやっただけだからなあれ」
「そうなると今回は」
「前にはビワハイジしかいない、存分に走れるって訳さ」
「(いつ、何時仕掛けてくる……何時でも来なさい、貴方に勝つ為に仕上げてきたんだから……!!)」
先頭を掛けるビワハイジ、札幌ジュニアステークスでの敗北を機にこれまで以上にトレーニングに熱を入れつつもエアグルーヴの研究も欠かさなかった。何度も何度もそのレースを目に焼き付けてきた、そして今日それを全て発揮する。
『ビワハイジがいまだ先頭、走りが冴えている!!このまま逃げ切れるか、だがエアグルーヴとの距離は一切変わらずの付かず離れず』
エアグルーヴの切り札、あの壮絶なプレッシャーに勝つためには真っ向から、しかも離れた状態で勝つしかないと考えたこの逃げ戦法は思った以上に嵌っているという実感がある。これならば勝てる!!という思いと共に駆け抜けていく。
「ビワハイジの走り、中々に良いな。ありゃエースさんを参考にしてるな、いい着眼点だ」
「カツラギエースの走りか?えっわかる坂原さん」
「残念だけど全く……」
「同じ逃げウマ娘としての嗅覚って奴さ、多分だけど参考にしてるのはジャパンカップだな」
それを聞いた二人は喉を鳴らした。カツラギエースのジャパンカップと言えばルドルフとシービーを同時に破り、史上初の日本ウマ娘勝利で飾った伝説ともされるレースだ。
「圧倒的な実力がある相手への逃げ戦法としてはいい着眼点だ、2400を上手い事1600に修正してる、ありゃトレーナーもなかなかいい腕してるねぇ~……だけど悪いがウチのエアエアが相手にしてるのはスズカだ、カツラギエースさえ戦いと臨んだあいつだ」
『さあ第4コーナーのカーブを曲がってウチを突いてのビワハイジ!!ビワハイジ先頭、エアグルーヴまだ動かずに2番手!!そして近く、いやイブキパッシブ、エイシンヴィーナスが大きく離れている!?』
カーブを越えての先、まだ脚は残っている。このまま走り切って勝ってやる!!とビワハイジが最後の一伸びを仕掛けようとした時、それは起こった。幾らスパートを掛けようとしても脚が全く動かない、ペースは乱れていない、これ以上ペースを上げる事が出来ない。
「あ、脚がっ……動かない!?何でっ―――」
「大逃げにさせて貰ったぞ」
背後から、いや左から聞こえてきた声、そこにはエアグルーヴがいた。何時の間に並ばれた!?
「オーバーペースだ、お前の走りは素晴らしかった。だからそれを大逃げにさせて貰ったぞ」
大逃げに、させられた……その時に全てが解せた。エアグルーヴは常に自分との差を詰めず、かといって開かずにいた。一定の距離を保ち続けていたが、それによって自分は知らず知らずのうちにペースを奪われていた、そして何時の間にかペースが上がっていたんだ。
「さあ行かせて、貰うぞ!!」
『エアグルーヴ躱した!!エアグルーヴビワハイジを抜いて1番手!!1バ身から2バ身と差を広げていく!!ビワハイジ限界か足が全く伸びてこないっ!!ぐんぐんと伸びていくぞエアグルーヴ、凄いぞこれが次代の女帝の力か!!これは文句なし!!プレアデスの女帝が、今、阪神の女帝へと成り上がったぁぁぁ!!!2着にビワハイジ、3着イブキパッシブ!!暴君に続くは女帝、女帝の時代がやって来るのか!!?見事な走りでトリプルティアラ戴冠を目指します!!』
取り込んだ世界、それが身体に溜まった熱を冷ましていく。満足の行く走りは出来たか、その問いに自信を持って頷ける事だろう。まずは……一つ。憧れの人と同じ栄冠を取る事への高揚感が湧いてくるがそれを抑えながらもビワハイジへと手を差し伸べる。
「良いレースが出来たのはお前のお陰だ、有難う。また走れることを期待している」
「―――っそう言って、今度走る時は、私が勝つから」
「望む所だ、私と戦う前に潰れるなよ」
「フ、フンッ!!ゲホゲホっ……ごめん、ペース、上げ過ぎた……ゲホウェッ……」
「お、おい大丈夫か!?す、すまないやり過ぎたか?」
何処か険悪だが何処か柔らかくて温かいやり取りをしたエアグルーヴ、彼女はこの後のウイニングライブでも満足の行くパフォーマンスをする事が出来た。そしてインタビューでは堂々と答えた。
「私はティアラを得る、私に相応しい冠をな」
自ら退路を断つかのような物言いにランページは肩を竦めながらも、折角だから乗ってやった。
「つう訳だ、こいつが狙うのは言うまでもないな?こいつの戴冠式に文句ある奴は掛かって来い、この暴君が後見人を務める女帝を倒す度胸がある奴はな」