「それにしても……一気に伸びたね」
「お陰で薬なしじゃ眠れないから困ったもんだ、しかも一気に伸びたせいで服のサイズも合わなくなって余計に最悪……」
「でも新しいの貰えたじゃん」
「余計に面倒掛けたみたいでこっちとしては溜息もんだ」
溜息混じりに懐から小さな箱を取り出してそれを振るう、一本の棒が飛び出るとそれを銜えながらその棒の先に小さな機械を差し込んでボタンを押す。そして機械を外すと深く深呼吸をする。そして深い息を吐き出すと白い煙のような物が飛び出た。季節的にもそれが冬に出る白い息でない事は明白。
「そうやってると煙草みたいだね」
「そういう奴だからな、文句があるなら医学界に言ってくださいとでも返すさ」
そんな事を口遊みながらも体操着姿のランページは忌々し気に目の前に広がるコースを見つめるのであった。今日、此処で自分がトレセン学園の編入試験を受ける事になる。隣にライアンが居るせいなのか視線を集めるが、特に気にする様子もなく白い煙を吐き続ける。そんな中、ファイルを持った一人の女性、編入試験を見学しに来たトレーナーが近づいて来た。
「あの、申し訳ないけどそれハーブシガーかしら。悪いけど此処で吸うのはやめて貰える?吸うならあっちに喫煙所にあるから」
「精神衛生上の観点から拒否する、それにこいつはシガーじゃなくて薬だ」
ハーブシガーは主にウマ娘がレース前や後に使用する緊張や興奮を抑制する為の物。様々な香りを楽しみつつ、気持ちを落ち着けられる代物。ランページが使っているのもそれを基本にした物。
「それについては本当にですよ。精神安定剤なんです」
「メジロライアンが言うなら本当なんでしょうけど……」
何の悪びれも無く吸い続けているランページに怪訝そうな瞳と表情を作り続けるが、完全に無視。ランページの精神は幼い子供ではなく成熟しきった大人、故にこれは薬を摂取しているだけなのだと胸を張れる。何せこれは本当に薬なのだから。
「生憎、煙草の匂いは嫌いでね」
そう言いつつも吸い切ったのか銜えていたそれを携帯灰皿のような物に押し込むとランページは空を仰ぎながらも、大きく煙を吐き出しながらもそのまま固まった。
「ハァァァァァァァッ……」
「ちょ、ちょっとあなた大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ、薬を使った後は何時もこうですから」
ランページが薬を使っている理由は単純明快、心が混ざっているから。時折、夢という形で元々のランページの記憶を垣間見るがそれによって精神のバランスが崩れて、そこから健康のバランスも崩れる事を考えた主治医が、同じくメジロ家お抱えの精神科医を紹介してくれてそこで処方した貰った物がランページが吸っていた物。これによって気分を落ち着けて自我の安定化を図っているのである。実際効果は抜群であった。
「漸く、落ち着いた……さてと、何時までもウダウダ言うのも飽きたし走って来るか……んじゃライアン、また後で」
「うん頑張ってね」
手をヒラヒラと振るってそれに応えながらも歩き始めて行くランページを見たトレーナーがライアンに聞く。
「あの子、なんなの?まるで普通の大人と会話してるような気分になったわ」
「まあランは大人びてますから」
大人びているか、実際は大人そのものなのだから当たり前だろうと内心でライアンは微笑みながらもこれからランページのレースに期待を寄せるのであった。
「おい見ろよ、4番の子」
今回の試験、トレセン学園が定期的に行っている選抜レースで行われる。それ故に新しい人材をスカウトしようとしていたトレーナーはどんな子が出るのか、以前出た子は引き続き出るのだろうかと様々な思いを胸にしながらもそれを見守るのだが、スタートラインに着いたランページはその段階から注目を集めている。
「身長たっかいなぁ……」
「しかもガタイも凄い良いな」
「両隣の子が細身だからか、余計にごつく見えるなぁ……」
本格化による成長の影響もあって現在の身長は175㎝、実装されていたウマ娘の中でこれ以上の大きなウマ娘は史実でも超大型馬として有名だったヒシアケボノしかいない。加えてメジロ家による完璧な栄養管理とライアンと一緒に行っていた筋トレも影響して、ガタイも素晴らしいまでによくなった。
「4番っていうと……編入予定の子だな」
「そうか、今回は混ざるのか。どんな走りをするんだろうな」
「名前はランページ、これまでのデータはなし……正しく未知数か」
「さてさて……何処までやれるか、俺自身も見物だな」
今日までメジロ家にあるコースで練習としてライアンに付き合って貰って練習はやってはいた。曰く、心配はいらないという事らしいが……実際のところは分からない、今日はその見極めの機会でもある。
「凄い大きいわね……」
「頭3つ分ぐらい大きい……」
「しかも出るとこ出てて……クッ……!!」
近くでスタンバイしている他のウマ娘達もやはり自分が気になるのか、口々に自分に向けてであろう言葉を放っているが極力無視しつつ走りの戦法の事を考える。
『う~ん……アタシもトレーナーじゃないから走り方にあ~だこ~だ言える訳じゃないけど、やっぱりランがこれだ!!って思うので走るのが一番だと思うよ』
『ライアンもそうなん?』
『うん。基本的にはこれだ、これが一番なんだっていう走り方があるからそれを基礎にしていく感じ』
ランページは家庭の事情もあってまともに走りの練習をしてこなかった、精々長距離ランニング程度だろう。そして何より、ヒトソウルが大部分を占めている影響でウマソウルが関係してそうな得意な戦法というのも分からないというのもある。故に―――
「適当にやるしかないな」
そう言いつつもランページは口角を持ち上げた不敵で悪い笑みを浮かべるのであった。そんな笑みを浮かべている時、周囲のウマ娘達は適当という言葉にあまり良い顔をしていなかった。編入試験で此処に居るのは分かるが、このレースでトレーナーを見つける為に彼女らも必死に走ろうとしている、それなのにテキトーに走るとまるで中央を舐めているような宣言をしているウマ娘がいる。良い顔をしないのは当然だろう―――だが、彼女らはある間違いをしてしまっている。
「それではこれより選抜レース、芝1400mを開始します。一同、位置に着いて」
適当という言葉の意味は、好い加減な、ゆるーく、なんとなくでいいよという物ではない。正しい意味は程良く当てはめる、ちょうどよく合う、相応しい事を指す。つまり―――
「よーい……スタート!!」
「っ!!!」
このレースで正しい力を出す事を指す。スタートと同時に一気に地面を蹴って、飛び出したランページ。
『嘘っ!?』
誰よりも早く、誰よりも適切なタイミングで飛び出した彼女に他のウマ娘達は驚いた。一瞬、フライングを疑ったが、誰も止めない事からそれではない事が分かると自分達もと続いて行く。一気に飛び出して行くランページ、高身長から来るストライドを活かした走りといきなりのハイペースで一気に突き放しにかかる。
「離されるもんか!!」
「負けない!!」
負けじとほかのウマ娘達も気合を入れて走り始めて行く、その勢いは凄まじく一気にランページとの差を詰めていく。そして一気に並び立っていく。
「(って不味い、流石にこのペースじゃ持たないわ……!!)」
「(自分のペースを、守らないと!)」
追い付けたことで頭が冷えたのか、自分のペースを守ろうと速度を落としていく。既にランページは射程圏内、何時でも抜けると思っていた時だった。ランページは加速し始めて行く。
「この!!」
「落とし始めた時を狙って!!」
「そうはさせないってば!!」
そうはさせるか、と言わんばかりに追従していく。そしてまた追い付いて行く、そしてそれが続いて行く中で遂にランページは抜かれた。そしてそのままラストのコーナーへと差し掛かり始めた時の事だった。
「さてと―――行くか!!」
そう言いながらも、強く地面蹴ると加速し始めた。今度は追う側となって加速し始めたランページを見て前を行くウマ娘は抜かせない!!と言わんばかりに加速しようとするのだが……可笑しい、全く速度が出ない。
「な、何で……!?」
「脚が、脚が言う事を聞かない……前に行かない!?」
その時になって気付いたのだ、自分達の息が想像以上に上がっている事に。普段出せていた筈のトップスピードに比べて今は7割が精々というような速度でしか走れていない事、その先まで踏み込めない事に。苛立ちながらも脚に力を込めようとした時―――
「「し、しまっ……!?」」
思った以上の疲労が溜まっていたのが、膝が崩れ落ちるように体勢を崩して転びそうになってしまう。それを必死になって回避するが、速度が一気に落ちて背後にいるランページへとぶつかりそうになる。見ていたトレーナーたちも危ない!!と叫ぶのだが、ランページは全く速度を緩めない。そしてもう間に合わない、ぶつかると思った刹那―――ランページの身体は前から迫って来たウマ娘をすり抜けるかのように前へと抜けていた。
「「えっ……!?」」
「「う、嘘……!?」」
それは余りにも不思議な光景だった。体勢を崩してしまったので立ち止まってしまった二人も、後ろを走っていた二人も、そのレースを見つめていた殆どの者が驚きで言葉を失っていた。何時通り抜けたのかも分からない程に一瞬の出来事、それを理解出来たのはライアンだけだろう。
「―――やっぱり凄いなぁランって」
そのままランページは見事に一着で駆け抜けていった。そして立ち止まりながら空を見上げると……
「気ぃん持ち良いもんだ……確かに癖になりそうだ」
不敵な笑みを再び浮かべながらも、此方を見ていたライアンの視線に気付くと拳を作りながらガッツポーズで応えた。
「へぇっおもろい走りをする奴が居るやん」
「ほぅ……面白いな、彼女は。一度話してみたいな」
「あの方ですね、お婆様が仰っておりましたのは……」
ランページへと注がられる複数の視線、それは歴戦のウマ娘達の物。彼女の走りは既に波紋となり、様々な耳に届くだろう。それはウマ娘だけではなく、トレーナーにも……届く事だろう。