気分上々と言わんばかりにサイン色紙を胸へと抱き込んでいるウマ娘……その姿に自分の知っている姿とは余りにも違う物があるので凄まじい違和感を覚える。
「♪」
「よかったなブライアン、ずっと欲しがっていたもんな」
「うんっ有難うお姉ちゃん♪」
「私は何もしていないさ、チケットに言ったらどうだ?」
「アタシもアタシで何もしてないと思うけどな~」
嬉しそうにしている妹の頭を撫でるハヤヒデとそれを微笑ましそうに見つめているチケット……そんな二人に見つめられているウマ娘はオグリキャップと同じく怪物と称された、シャドーロールの怪物、史上5頭目となった三冠馬、ナリタブライアン。その全盛期の強さは日本のトップジョッキーたちに大きく評価され必ず最強馬論争に名が出される程。スタートの上手さ、先行して折り合いをつける賢さ、巧みなコーナリング、そして低重心のフォームで他馬を引き離す末脚。競走馬の理想形とされた。
ウマ娘にも登場していたが……クールで硬派、ぶっきらぼうで孤高を好む一匹狼なウマ娘だった筈だが……その様子を微塵にも感じる事が出来ない。史実では自分の影や水たまりにすら怯えてしまう程に臆病な性格だったが故にトレードマークとなったシャドーロールを付ける事になっていたが……もしかしたらこれからあのブライアンの性格に変わっていくのだろうか。
「まあ喜んでもらえたならこっちも書いた甲斐があったってもんだ、どうせだこのまま練習でも見学してくか?」
「しますっ!!」
耳でその言葉を聞き逃さぬようにしつつも尻尾を大きく立てながらブライアンは笑顔でそういった。これがあの暴力的なまでに強い、と恐れられたナリタブライアンなのか……なんだか自分の頭の中にあるそれとギャップが凄すぎて頭が痛くなってきた。コースへと到着するとそこではカノープスの練習を見ているカツラギエースが居たので挨拶をする。
「エースさんお待たせしました」
「来たなランページ、成程随分と扱かれたと見えるな」
「ええまあ……最終的に峠を走ってましたから……」
「……そうか、大変だったな……」
マルゼンスキーの事を聞いてくるがランページは疲れたように応えるしか出来なかった。コーナリングの特訓と称して最後にはマジで峠を走った時は吃驚した、お陰で死ぬかと思った程だ……もうカウンタックで峠を攻める所に乗りたくはない。
「チケット、お前も早く参加するんだな。ハヤヒデお前もやるか?」
「は~い!!」
「いえ、私はリギルですので許可がいると思います。ですので見学をさせて貰っても良いですかね、妹も一緒なのですが」
「ああ構わん」
許可を取り付けるとブライアンに良かったなと笑いかける、それにブライアンは既に目を輝かせていた。カツラギエースの名前は当然のように知っている、後でサイン貰えないかなぁ……と小声で呟くのだがハヤヒデは後でお願いしてみような、と肩を叩くとそれに対して嬉しそうに頷くのであった。
「(これがシャドーロールの怪物にねぇ……確かクラシック走る頃ぐらいには精神的に成熟するんだっけ……これが一気にああなると……?)駄目だ、想像出来ん……」
「何がだ?」
「この世界の不思議にです」
「はぁ?」
兎も角、戯言はこの位にして新品のシンザン鉄をシューズに打ち始める。流石に7倍となると手に持つ段階でかなりズッシリと来る、これは効きそうだ……と思っているとターフを凄い勢いで疾走するイクノとその背後にピッタリと着いて離れないターボの姿が映る。
「全く振り切れないなんて……ですが、まだまだ脚は残っています!!」
「ターボだって負けないぞぉ!!」
「あれ、逆なんじゃ」
「いやあれでいい、お前を捕まえる為の練習だからな」
イクノの要望はランページのライバルとして大成する事だった。その為の訓練としてまず始めるのは背後から大逃げのターボに追いかけて貰って逃げ続ける事、速度ならば既に一級品のターボから逃げ続ける程の速度を維持し続けられるほどの体力が出来たならば、ランページにとっては更なる天敵と化す。
「既に正確なペース配分とそれを貫き通す事が出来る精神性は持ち合わせている、心技があるならば後は身体を仕上げる」
「うへぇ……シンプルに辛い方向性になってるぅ……」
「だが、流石にエリ女杯には間に合わない。何分身体を仕上げるのだからな……」
これが心や技ならばなんとかなるのだが、何分やるのが身体なのがキツい。始めたのも11月に入る前からなので時間も足りていない、これで有馬記念に間に合わせるというのならばまだ何とかなる。しかし来週に迫っているエリザベス女王杯には流石に無茶が過ぎる。
「それでも来年あたりから決定的にイクノが覚醒するって事ですよねそれ」
「そういう事で間違ってない。あいつはゆっくり育てた方が大成するタイプだ、そしてあいつもそれを理解している」
既にパワーも十分あるしそれを活かす頭脳も心もある、そしてそこへカツラギエースが身体を仕上げる為に教導する……これは自分だけではなく対戦する事になる全てのウマ娘にとって脅威になる事は間違いない……。
「中長距離向きではあるな……まあそれをマイルでも生かす頭もハートもある、フムッ……悩むな南坂トレーナー」
「ええ、シンプルに凄いんですよイクノさんは」
「マジであいつサイボーグかなんかか」
流石鉄の女と呼ばれる事になるであろうウマ娘……自分よりも遥かに広い適正という意味では優れている。
「よし、イクノ次はシンザン鉄を付けるんだ」
「分かりました……!」
「ターボ、お前はライスを後ろから追ってやってくれ」
「分かった~!!ライス行くぞ~!!」
「う、うん」
「チケット、お前はネイチャに追われるんだ」
「は~い!!」
「お任せ~」
次々と指示が飛ばされていくのを見ながらも漸く装着が完了したシンザン鉄、流石に7倍となると足踏みした時の音もかなり凄い音になっている。
「ランページ、お前はシンザン鉄を付けたままコースを3周だ。その後にそうだな……イクノと併走だ」
「分かりましたよ、んじゃまあ―――やりますか!!」