「それ」は騙した奴らへの怒りもあるが、それ以上の、自分自身への失望から出た思い。
言と映像が渦巻く頭の中から這い出てきた「それ」は、頭の中に拡がっていく。
そして「それ」は一つの行動を私に示した。
ここにある物、ここにある事実、それらを全部潰してやろう。全部無かったことにしてやろう。
私にはその行動を否定する理由もなくて、そのまま「それ」を放置した。すると、「それ」はどんどんと広がっていき、頭からあふれて体中に食い込んでいく。
ここにあるモノ、ここにあるコト、全部潰してしまおう。全部消してやろう。
……全部潰してやろう。全部消してやろう……
「それ」は提示した行動を実行するため、体の手足にも侵入していく。
そしてついに「それ」は、ただ見ているだけの私から、私の体全てを切り離し、代わりに自らが支配するようになっていた。
そして支配が行き届いたことで、「それ」が行動を起こす。
……全部潰してやる。全部消してやる……
ミシリと、ぐるぐるに縛ったロープから音が出た。
ウウウッ、といううめき声を、「それ」は同時にあげた。
その声に周りの奴らがこちらを一斉に見る。
グゥオアァァッ、さらに「それ」は大きな叫び声をあげ、腕、足、胴のあらゆる関節部を最大伸展するよう骨格筋に最大限の力を、いや、さらにその何倍もの力を発生させた。
腕や脚を束縛している、幾重にも巻かれたロープの繊維がブチブチとちぎれ始める。
しかし、「それ」はそれに満足せず、さらに体の出力を上昇させようとする。
ミチッ、クチュッという音とともに肢体が肥大増強していき、着ていた衣服がバリッ、ビリッと裂けていく。
筋繊維の増強に体がきしむが、「それ」は体の骨格もより強い構造に置き換えていき、ゴキッ、パコッと音を立てて体の構造が変わっていく。
全部潰れろ!全部消えろ!
力はさらに増加し、拘束していたロープは最後の力の上昇に耐えきれず、ちぎれ飛んだ。
拘束が解かれた胴囲、上腕部、大腿部は膨張し、着衣を引き千切りながら、元の数倍の大きさに変化していく。
前腕部はさらに大きく巨大化、手の大きさなどは人間の上半身をすっぽり掴めるぐらいの大きさまでになっていく。
そしてミンクの名残はかろうじてとどめているものの、異様なフォルムに体は変形した。
ボスを始め周囲の男たちは、ほんの数分の間に私に起きたこの現象を、驚愕のあまりただ見続けていた。
さっきまで体格はどちらかというと華奢。
しかし見る見る間に、体の身長は2mをゆうに超えるぐらいにまで巨大化していた。
それは獣人の変身能力の暴走にも見えた。
巨大化と同時に拷問によってできたあらゆる裂傷、打撲、損傷が修復してゆく。
ふと我に返ったボスが叫んだ。
「こいつを殺せ!!」その言葉に他の者も我に返った。
「うおおおおおっ!!」
サイ獣人がうなり声をあげ、「それ」に体当たりをする。ドガッと重い大きな音が弾ける。
続けてトラックすら押し返しうるパワーを繰り出し、押し倒そうと全身に力を込める。
しかしサイ獣人をも見下ろすような巨体となった「それ」はびくともしない。
「それ」はそのサイ獣人を大きな両手で掴む。
そして腕を増強させる。
腕と手がペキッ、ミチミチッ、コキッと音を立て、さらに巨大化。片手で上半身、もう片手で下半身を包みこむ。
サイ獣人は、掴んだ手を引きはがそうと全身でもがくが、そのトラックにも打ち勝てる力をもってしても、「それ」が生み出す腕力と握力には勝てなかった。
全部潰れろ!
「それ」は腕と指に、力を込めた。
その力に、掴まれている対象は、装甲にも例えられた固い皮膚ごと変形していく。
変形に耐えられなくなった対象が断末魔の叫びをあげたと同時に鈍い音が二回し、鮮血が、指の間から飛び散る。
つづいて「それ」はボスをその視界に捕らえた。
「うわあああああっ!」
ボスが恐怖の叫び声を上げながら銃弾を浴びせる。同時に周りにいた男たちもそれに倣い撃ちまくる。
破壊力の高い銃弾が「それ」に大量に撃ちこまれていく。
が、「それ」は撃ちこまれた銃弾を気にも留めなかった。
全部潰れろ!
視界にいたボスに向かって、「それ」は握っていたものを最大力で投げつける。
サイ獣人だったものが、血しぶきを撒き散らしながら高速でボスにぶち当たり、ボスごと壁まで跳ね飛んだ。
ボスは悲鳴を上げる時間もなく、壁と固い皮膚のサイ獣人の塊に押しつぶされ融合。
ボスとサイ獣人が融合した塊は、圧縮された勢いのまま壁を突き破り、外へと転がった。
残った男たちは悲鳴をあげ、銃を撃ちながら部屋の出口に殺到しようとする。
「それ」は男たちを視認すると、その背後まで一蹴りで近づくと、着地と同時に手を横に振り払った。全ての指先から50cmぐらいありそうな爪を生成して。
男たちの体が鋭い刃によって薙ぎ払われ、上下に分離、もっていた銃を落とす。
その上下の分離面からは血潮が吹き上がる。
これで部屋にいた者は全て潰れた。
全部潰れろ!全部消えろ!
部屋の壁を一殴りで突き破り、部屋の外に出た。
他の団員が、異形の生き物を見てパニックに陥る。
「それ」は、建物を破壊しつつ、銃を撃ってくる一人一人を叩き潰し、切断し、踏み潰していく。
ちょうど、銃や弾薬など武器が大量に置かれていた部屋の前で、「それ」はウグァァァッと咆哮し、さらに体格をより太く、大きく、変化させようと立ち止まった。
そのスキを見て、団員の一人が、
発射された電気銛を経由して高電圧が叩き込まれ、「それ」は激しくもんどりうった。
高電圧によるショックと、体が巨大化し下腹部以下が見えなくなったせいで、どこに電気銛が食い込んだのか、銃本体がどこにあるのかが特定できない。
強い痺れのため、「それ」はそこで、自己をさらに巨大化することができなくなった。
高電圧銃を撃った男は、そのまま武器保管部屋を爆破しようとする。
弾薬を誘爆させて「それ」を爆散させるつもりなのだろう。
全部潰れろ!全部消えろ!
男がリモート爆薬を投げいれようと部屋の方向を向いた瞬間、「それ」は指の爪を超成長させる。
爪は長さが数mとなり、そのまま男の心臓を突き抜いた。
男は最後の力で爆薬を大量の銃弾、ロケット弾の山に投げ込み、リモートスイッチを押す。
全部潰れろ!全部消えろ!自分自身も。
数秒して大爆発、元ホテルだった建物が吹き飛んだ。そして木端微塵となって形を無くしていく建物とともに「それ」も消えていった。
どのくらい時間がたっただろう、私は目を覚ました。
朝方らしき薄暗い時間帯。周囲にはまだ小さな火が燻っていて、炭と火薬と血と、そして焦げた肉のにおいがする。
自分の姿を見る。元の人間態に戻っていた。
周りには、多数の弾丸と電気銛が刺さった、焦げた肉塊のようなもの。それとバッテリーが切れた高電圧銃が転がっていた。
まだ生きている。
とりあえず立ち上がり、かろうじて一部が残っている自分の衣服を捨て、近くに転がっている者の衣服をはぎ取った。
自分の周囲を見回す。元ホテルだった跡地には、もう動く人影は見られない。
ここで起きたことを思い返す。
私はみんなを裏切ってしまったということ。
そしてみんないなくなってしまったということ。
得体の知らない思いが湧き出てきたこと。
その思いが体を変化させて敵集団を潰したこと。
そして、思った。
もう戻れる場所はなくなったんだ、と。
ニルバジール症候群をもじってサイコシス化してみました。ただニルバジール症を発症した後で回復できているのは、テーザー銃の電撃のせいで進行が途中で止まったからと「勝手に」設定しております。