【完結】走れないTS転生ウマ娘は養護教諭としてほんのり関わりたい 作:藤沢大典
うちのネイチャさんはしっとり成分強めかも知れません。
Case01:ナイスネイチャと養護教諭
「ナイスネイチャさん、ちょっといいかしら?」
終業を告げるチャイムの後、チームメンバーたちが待つカフェテリアへ向かうため教室を出ようとしたあたしを呼び止めたのは、先程まで授業をしてくれていた国語教師だった。
「職員向けの資料を配って回ってるんだけど、ちょっと手が足らなくて。チーム所属の子には担当トレーナーへ配るのを手伝ってもらってるの。申し訳ないんだけどこれ、南坂トレーナーに渡しておいてもらえないかしら」
そういってホチキス止めされた紙束を差し出される。
紙束には表紙に「トレ 南坂」と書かれた付箋紙が付いている。
「そんなに急ぎの件でもないから今日トレーニングする時に渡してもらえれば大丈夫だから。お願いできる?」
「分かりました、南坂トレーナーに渡しておきます」
「ありがとう、助かるわ。お願いね」
まぁそれくらいなら、と引き受ける。
この後、他の職員にも配って回るのだろう。あたしが紙束を受け取ったのを確認すると国語教師は足早に退室していった。
あたし、ナイスネイチャはここ府中にある『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』、通称『トレセン学園』に通うウマ娘だ。
『
あたしたちウマ娘はここで、トゥインクル・シリーズを走りウイニング・ライブで歌うため、勉強に鍛錬にと忙しい毎日を過ごしている。
今日も今日とて午前の座学が終わり、午後のトレーニングに備えてお昼ご飯を……と思った矢先の今のやり取りであった。
にしても、このご時世に紙の資料ね……SNSのグループとか使えば早いのに。とも思うけど、職員全員がスマホ慣れしているわけでもないし仕方ないのかな。
何はともあれ、まずは腹拵えといきましょうか。
わざわざ席まで戻って鞄に紙束を仕舞うのが何となく億劫で、あたしは紙束を持ったまま待ち合わせのカフェテリアへ向かうのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「ずぞぞーーーっ……。ふぇ、ふぉえいっはいなんおひおーあんえふ?」
「お行儀悪いから口に物を入れながら喋らない」
ラーメンを口いっぱいほおばりながら質問してくるマチカネタンホイザに苦言を呈す。
ちゃんと口の中のものを飲み込んでから喋りなさい全く。
多分『で、それいったい何の資料なんです?』って言ったんだと思う。
「表紙に会議資料ってあるからそうなんじゃない? 中身は別に見てないから分かんないけど」
「んぐむぐ……んくっ。ねぇねぇネイチャ、それ2つあるよ?」
オムライスを食べ終わったツインターボが言う。
ちゃんと飲み込んでから喋り出したのは偉いぞターボ。
だけど口の周りがケチャップで真っ赤だぞターボ。
同じことを感じたのか、隣に座っていたイクノディクタスがティッシュでターボの口を拭う。
「2つ?」
「うん。なんかくっついてる」
よくよく見ると、確かに紙束の厚み、ちょうど真ん中辺りの隙間が大きい。その隙間に爪を入れて開いてみると、ペリッとした感触と共に紙束は2つに別れた。
「どうやら中で折れた付箋紙が両面テープのように2つを貼り合わせてしまっていたみたいですね」
イクノは眼鏡を直しながらそう言った。
なるほど、確かに中から折れ曲がった付箋紙が出てきた。
先程トレーナーの名前が書いてあったものと同じものだろう。
ということは、あたしはトレーナーの分の資料の他にもう一人分渡されてしまっていたらしい。
一体誰のなんだろうと、付箋紙を広げて中を確認する。そこに書かれていたのは
『養護 スノウ』
の文字。
そういえば月初めの朝礼で養護教諭の新任の挨拶をしていたのを思い出した。
まぁ、あたしたちからしてみれば養護教諭がいてくれるというのはありがたい。
一応トレーナーも応急処置の心得はあるみたいだが、何でもかんでもトレーナー任せでは負担も大きいだろうし。
その人はウマ娘で、車椅子に乗っていたのを覚えている。
着任前に怪我でもしたのかと思ったが、どうやらそれが普段の姿らしいことを言っていた気がする。
「あちゃー……。これは流石にあたしが持ってってあげた方がいいやつだ」
今から国語教師を探して返すのは二度手間が過ぎる。
彼女としても配り終わってひと段落、と思ったところにあたしからこれを返されたらテンションが下がってしまうだろう。お互いにデメリットしかない。
ここはちゃんと確認していなかったあたしも悪かったし、こちらで届けてしまうのが最善だろう。
急を要するとは言ってなかったし、こちらの予定が終わってから行けば問題ないはずだ。
「どうするの? 今から持ってくの?」
「ん~……急ぎじゃないって言ってたし、トレーニングの後でいいかな」
ターボの問いに答えつつ、とりあえずは目の前の日替わりランチを胃の中に納めてしまうことにした。しっかり食べないと動けなくなっちゃうからね。
・ ・ ・ ・ ・ ・
その日のトレーニングを終え、着替えたあたしはメンバーに保健室に寄っていくことを伝え、一人校舎に戻った。
陽は落ち、空は茜色から瞑色に移り変わろうとしており、西の空に漂う雲だけが未だその燃えるような朱に染まっている。
照明が灯り始めたグラウンドからはまだ練習している子がいるのだろう、時おり掛け声やホイッスルの音が聞こえてくる。
先程まで自分も走っていたグラウンドだ。
今日のトレーニングを思い返す。
三人とも着実にトレーナーの指導の元で実力を上げている。
ターボは未だにすぐへばって逆噴射しちゃうし、タンホイザは周りに気を取られやすい。イクノも考えすぎて二の足を踏むところが見受けられるが、南坂トレーナーはああ見えてしっかりあたしたちのことを見てくれている。各々の癖を理解した上でカリキュラムを組んで、万全の状態でレースに臨めるようにしてくれるに違いない。
そんな3人を見ていると、同じチームとして誇らしくも嬉しい気持ちと共に、心の隅から小さいながらも確実に湧き上がる暗い感情があった。
あたしはどうだろう。ちゃんと力を付けていけているのだろうか。
菊花賞に出るため重ねて出走したレースはGⅠでは無かったとは言え、連勝することが出来た。しかし、その後の戦績は芳しくない。
掲示板には入るものの、勝ち切れない。
スポーツ誌によっては、あたしのピークはそこだったとすら書くようなものもあった。そんなことはない。あたしのことはあたしが一番分かってる。横から出てきて勝手に面白半分にあたしの限界を決めつけないで欲しい。
爪が食い込むほど拳を固く握りしめ、必死にトレーニングを重ねた。
朝も夜も疲れ果てるほど自主練を行ったり、吐きそうになりながらもご飯を胃に詰め込んだりした時もあった。身体を休めている間もレース理論を学んだりイメージトレーニングを積んだりもした。
そうでもしないと、あたしを笑顔で学園に送り出してくれた両親に、あたしを勝たせる為に腐心してくれている南坂トレーナーに、いつも笑顔で応援してくれる商店街の皆に申し訳が立たなかった。
何より、そうしていないと誰かに決めつけられた限界の通りになってしまおうとしてるあたしに、あたし自身が許せなくなってしまいそうだった。
あたしは頑張った。必死に努力したと言って良いだろう。
努力は裏切らない。
が、努力が必ず結果に結び付くとは限らない。
スタートはしくじらなかった。
位置取りも悪くなかった。
スタミナは十分に残っていた。
スパートをかける位置もイメージ通りに出来た。
その時のあたしに出来る最高の走りだった。
それでも、先頭を駆ける相手には届かなかった。
満面の笑みで観客に大きく両手を降ってアピールする1位の子を見たとき
『あぁ、あたしの居場所はあそこじゃないんだな』
って思いが質量を持ってあたしの心の奥底にズシンと落ちてめり込んだ。
それでも応援してくれた皆に応えなきゃと、笑って小さく手を振ったが、果たしてちゃんと笑えていたかどうかは今でもよく分からない。
あたしが求めたキラキラは、決して自分の手に届くことはない。
けどタンホイザもターボもイクノもあたしとは違う。
なんであの3人はあんなにキラキラしてるの?
どうしてあたしはきらきらできないの?
あたしだけ、あたしだけ、アタシダケ……。
……っといけないいけない!
油断するとダークネイチャさんになってしまう。
あたしはあたし。ナイスネイチャはチームのお姉さんとしてしっかりしなくては。
などと考えながら歩いていたら保健室の前まで辿り着いていた。
というかちょっと遅くなってしまった気がする。まだいるかなと思ったが、部屋の灯りがドア窓から漏れるのが見えたので一安心。
もう今日はさっさとこのお使いを済ませて、ご飯食べたらいつもみたいに自主トレしよう。
頭空っぽにして体動かして汗かいて、嫌なあたしは忘れてしまおう。
そうしてまた明日からいつものあたしに戻らなくちゃ。
コンコン
ドアをノックする。
「どうぞ」
部屋から小さな声が返ってくる。
「失礼します」
ドアを開けると、部屋のやや奥に置かれた机で車椅子に座りながらマグカップを手にする女の人がいた。
こちらを向いたその頭部には私たちと同じウマ耳が揺れており、右耳には若草色のシュシュを付けている。
さらりと流れるストレートセミロングは前髪のひと房が白く、それ以外は全体的に濃紺色だが、後ろ髪は毛先付近で色が抜け、澄んだ灰色へとグラデーションがかっている。
こちらを覗く瞳はアクアマリンのように透明感のある水色。
身体の線は細く、ぴったりと身の丈にあった白衣の下にはベージュのワイシャツを纏っているのが見える。
背丈は座った状態のため細かいところまでは分からないが、かなり小さい気がする。中等部の学生だと言われても違和感なく信じてしまいそうだ。
儚い。
その人を見たとき、私が抱いた第一印象だった。
触れるどころか、自分が動いて出来た空気の流れでですら崩れてしまいそうな印象。
まるで夜明けの空から薄れ消えゆく星々の光のような、
あるいは踏めばさくりと音を立てて崩れてしまう霜柱のような……
「どうか、した?」
その声にはっとなる。
あたしとしたことが見惚れて我を失っていた。
「絆創膏が、欲しいなら、そこの引き出しに。名前と個数を、その紙に書いて、ね」
あまりに私の反応が無かったことに、備品を貰いに来たが見当たらず戸惑っているとでも思われたのだろう。彼女は私の近くにあった棚と、その傍にバインダー付きで吊るされている記入用紙を指さしてそう言った。
「あ、いえ。国語の〇〇先生から頼まれて、これ渡しに来ました」
そう言いながらあたしは彼女のもとに近づき、手に持った紙束を彼女に差し出した。
「ん、ありがと、ナイスネイチャ、さん」
受け取りながら礼を述べる彼女。
いきなり自身の名前を呼ばれ、思わず身体がビクッとなってしまった。
あれ、あたしこの人と初対面のはず……なんで知ってるの?
「……一応、ここの生徒は、一通り覚えた。初めまして。養護教諭の、メルテッドスノウ。今後も、よろしく、ね」
まるで心が読まれたかのようにあたしの疑問に答えが返ってきた。
そんなに分かりやすい反応だったかな、だったかも。
というか一通りって……ウチの学園生が何人いると思ってるのこの人!?
「ごめんね、喋るの、上手くなくて。聞きにくくて、ごめんね」
小さな声で辿々しく彼女は謝罪を述べた。
「あいえ、全然そんなことないです! あたしこそすみません、ちょっと吃驚しちゃって。まさかあたしなんかのことを知ってるとは思わなくて」
あたしは慌てて両手を振りつつ相手に非がないことを告げる。
彼女はすっと窓の方を見ながら言った。
「ここね、グラウンド、よく見える。あなたは、いつも遅くまで、走ってるから、特に、覚えてた」
あたしも窓を見やると、確かにグラウンドの様子が見て取れる。
ここに来る最中に聞こえた声の主だろう、遠目ながらジャージ姿で走るウマ娘の姿が分かった。
おおぅ、あたしもいつもこんな感じで見られてたのか。
「あはは、それはお見苦しい所を……」
「青春、だね」
口元にほんのりと笑みを浮かべながらそんなことを言う。
「いや~……いやぁ、そんなんじゃないと言いますか……」
「……?」
浮かべた愛想笑いに陰が射したのが自分でも分かった。
さっきまで考えてたことがフラッシュバックする。
「……あたし、そんな強くないんで、人より多く練習しないといけないんで」
普段ならそれこそ息をするように自然に張れる予防線も、先程の考えがこびり付いている今ではぎこちなさが現れる。仕方ないと割り切ったような笑顔を、いつものように出来た自信は無い。
だから、
「……悩み事、みたいね。よかったら、聞かせてくれる?」
ほら、こんなことを言わせてしまう。
きっとこの先生もいい人なんだと思う。だからこそ、そんな人にこんなセリフを言わせてしまった自分が情けなくて、そんなあたしに気遣ってくれるのが申し訳なくてこの話を切り上げようとした。
「あーいや、あんまり人に話すようなものじゃないですし、単なる愚痴といってしまえばそうですし」
「構わない。メンタルケアも、わたしの仕事。愚痴、大いに歓迎」
「や、でも」
「溜め込むより、出したほうが、いい。解決は、してあげられない、かもだけど」
「ぁー……」
「ね?」
「……」
な、なんか思ったよりグイグイ来るぞこの先生!? 第一印象の儚さはどこに行ったか、ウマ耳をぴこぴこと忙しなく動かし、身体も若干前のめりだ。
「コーヒー、紅茶、ココア、緑茶、どれがいい?」
「え、と……じゃあ、紅茶で」
「ん。砂糖は?」
「あ、じゃあアリで」
「ん。じゃここ、座って待ってて」
彼女の隣に用意されていた丸椅子を示され、あたしは素直に座った。
もうここまで来たらなるようになれだ。
彼女もちょうど先程までの飲み物が無くなったのだろう。先程まで使っていたマグカップと、机の引き出し上段から新しいカップを1つ取り出し、机に並べる。
引き出しの中段を開けると、そこにはティーバッグやコーヒー、ココアの缶などが見えた。そこから紅茶のパックとスティックシュガー、プラスチックのマドラーを2つずつ取り出した。
カップにティーバッグを入れ、自分に背を向けたと思ったら自分と反対側の机の横、先程まではこの人の陰になって見えなかったがそこには立派なウォーターサーバーが鎮座していた。
サーバーからお湯を注ぎ、しばらく待っている間に彼女は引き出しの下段を開ける。今度は色々なお菓子が詰まっており、そこから小分けされたチョコ菓子を取り出して私の近くにおいた。
……あまりに流麗な動作に唖然としたが、この人ちょっと机に私物入れ過ぎなんじゃない?
あれほんとどこいった第一印象!? もしかして、かなり面白い人なんじゃないかこの人。
「どうぞ。熱いから、気をつけて」
「あ、ども」
いつの間にかパックを取り出し、砂糖を入れてかき混ぜ終わるまで済ませたカップが私の前に差し出される。受け取ったカップからはゆらゆらと湯気が立ち上り、琥珀色の液体が満たされている。
ふぅふぅと、火傷しないように息を吹き込み、紅茶を一口啜る。あったかい。ほぅ、と息が漏れる。するとそれに続くようにあたしの口から言葉がポロリと溢れてきた。
「……あたし、ここのところレースで勝ててないんです」
ああ。
「去年の菊花賞前まで連勝してたのはただ単に運がよかっただけなんじゃないかってくらいに」
ああ、もう、駄目だ。
「あたし、そんな強くないんです。むしろ弱いくらい。選抜レースのときも良くて3着でしたし」
これはもう、止まらない。止められない。
「けど、そんなあたしなんかにも目を掛けてくれたトレーナーや一緒に走るチームメンバーがいて、みんな優しくて、あったかくて、嬉しくて、もうこれはレースに勝ってみんなに返さなきゃと思って、より一層トレーニングに励んだし、自主トレも思いつく限り色々やったんです」
一度口を開いてしまえば、堰を切ったようにとまでは言わないが、底に穴の空いたビニール袋のように言葉が漏れ続ける。
「それでも、やっぱり勝てなくて。全然まともな成績残せてなくて、このままじゃ折角拾ってくれたトレーナーにも申し訳なくて、どんどん力をつけてってるチームメンバーにも置いてかれるような気がして、応援してくれる商店街の人たちにも今のままじゃ顔向け出来なくって……だから今よりもっともっと頑張らなきゃって思うんですけど、どう頑張ったらいいんだろうな、って……」
流れに任せて言葉を出し切ると、ここに来る前に心の中に感じた質量がじわじわと、またその存在感を増してくる。これはきっと言葉で表そうとするとすごく簡単な単語になってしまう感情。
すなわち『不安』と、そして『絶望』。
「なるほど」
「……」
彼女は自分のマグカップに手をかけ、一口、二口と紅茶を飲む。
5秒、6秒、と沈黙の時間が続く。沈黙されるのが一番辛い。
そもそも、トレーナーでも無い人に話すような内容じゃ無かったかも知れない。
かといってトレーナーにもあたしは話せなかったとは思う。
やっぱりこんなこと、誰にも打ち明けるべきじゃなかったんだ。
『やっぱりいいです。今言ったことは忘れてください』
そういう言葉が自分の口から出ようとしたその時。
「じゃあ、頑張らなくて、いいんじゃ、ないかな」
「……え」
「十分、頑張ってる、のに、それ以上は、よくない」
……え、この人は今何て言ったの?
頑張らなくて、いいと言ったの?
……いや、いやいやいや。そんなわけがない。
頑張って頑張って、勝てなかったんだから、勝てるようになるまで頑張るしか……!
「けど……けどっ……これだけ頑張っても駄目だったのに、あたしみたいな平凡ウマ娘が勝つためには、今まで以上にもっと頑張る以外に、分かんなくて……!」
両手にカップを持ったまま、俯いてしまう。
カップの中にはあたしの泣きそうな、怒りだしそうな情けない顔が映っていた。なんて顔をしてるんだ今のあたし。手の震えにカップの中のあたしの顔が波立つ。
「そうだね。頑張って、勝てないのは、つらいね」
「……はい」
そう、辛い。
力を出し尽くしたあたしがそれでも勝てなかったときは、悔しくて、悲しくて、辛い。
外面では、残念だったけどまぁこんなもんかとおどけて見せるが、心の内ではいつも叫んでいた。
ふざけるな、納得できるわけがない、こんな結果で胸を張れるわけがない。
そんな未だに顔をあげることが出来ないあたしに、彼女は聞いてきた。
「ナイスネイチャ、さんは、勝ちたい?」
「そりゃ、一応あたしもウマ娘なわけですし……」
レースに出ている以上、勝ちを目指すのは必定だ。
いくら平凡で平均的なウマ娘だからって、負ける前提で走ったりなんかしない。
「どうして、勝ちたい?」
「どうして、って……」
「賞金が、ほしい? ちやほや、されたい? 強いって、認めさせたい? 誰かのため? 自分のため?」
矢継ぎ早に問われ、あたしは茫然とする。
……あたしは、どうして勝ちたいんだろう?
思えば勝ちたい理由までちゃんと考えたことはなかった。
もしかして、それが無いから勝てないってこと?
立派な理由がなければ勝つことが出来ないってことなの?
「勘違い、しないで、欲しい。それが悪い、ということじゃ、ない。ちゃんと、向き合って、欲しい。目的を、見失わ、ないで欲しい。……ナイスネイチャ、さん。どうして、勝ちたい?」
「あたしは……」
何故、勝ちを求めるんだろう?
商店街のみんなのため? もちろんそれもあるが、それが目的じゃない。
チームのみんなのため? もちろんそれもあるが、それが本音じゃない。
あたしは、何で勝ちたい? あたしは、何に勝ちたい?
その時、あたしの脳内に広がったのは去年の菊花賞、その最終直線の風景。
あの時、あたしは全身全霊を絞り尽くして、絞りカスすら固めて燃やして灰になるまで走った。目指すはあたしの2バ身ほど前を走るウマ娘。
……などではなく、そこに出走していなかったはずの、小柄な体躯に似合わない剛脚で他者を圧倒する帝王の背中だった。
そうだ、あたしは……。
「……あたしは、テイオーに……トウカイテイオーに、勝ちたいです」
「なぜ、トウカイ、テイオーさんに、勝ちたい?」
「それがあたしの、夢だから」
「もう一声。どうして、トウカイ、テイオーさんに、勝つのが、夢?」
「それは……」
あたしが追いかけたテイオーの背中。
テイオーはこちらを見向きもせず、ただひたすらに先を見つめて走っている。
先の見えない、漠然とした光を目指して、突き進んでいく。
あぁ、あたしはそんなテイオーの姿に……。
「……彼女は、あたしの憧れなんです。その彼女に勝って、彼女を超える。そしたら、少しはあたしも彼女みたいにキラキラできるんじゃないか、って思うから」
顔を上げると、まっすぐこちらを見つめる先生の顔があった。
彼女の瞳にあたしの顔が映るのが分かるくらいに。
アクアマリンの中にいるあたしは、先程までとは違う表情をしていた。
「……って、キラキラが何かって言われるとあたしも上手く言えないんですけどね」
気恥ずかしくなって、肩を竦めつつ、ついそんな風に言ってしまう。
悪い癖だとは思いながらも長年染み付いたそれは簡単に抜けてくれそうにはなかった。
「大丈夫、あなたの、想い、伝わった」
先生は笑うことなく、こちらを見つめてそう言う。あまりにも真っ直ぐな目でそんなことを言うものだから、あたしの頬に段々熱が籠もっていくのは仕方ないことだった。
「わたしが、ナイスネイチャ、さんは、頑張ってる。って言っても、簡単に、納得は、できないと、思う」
「……」
まぁ、申し訳ないが、そうだ。昔からあたしに染み付いて、もはや宿業とも呼べるレベルのこの性格は、真っ直ぐすぎる言葉を鵜呑みにできるような造りにはなってない。
「大事なのは、あなたが、あなたに、頑張ってて、偉いって、言ってあげる、こと。あなたが、あなたを、認めてあげる、こと」
それは……また難問ですなぁ。
「簡単な、ことじゃ、ないとは思う。だから、まずはあなたを、良く知ってる、人たちの、言葉に、耳を、傾けてあげて」
先生は手に持っていたマグカップを机に置き、言葉を続ける。
「あなたは、身近な、人から、『もっと、頑張れ』、なんて、言われた覚え、ある?」
「…………ぇ……」
『ネイチャ、この間より強くなってる! ターボも負けてらんない!』
『ん~ふふ、流石ですなぁ~♪ ジャンジャンバリバリ、ジャンバリネイチャですな~♪』
『ネイチャさんのレースに対する真摯な態度、私も見習わなければいけませんね』
『相変わらずですね……けど無理は禁物ですよ? 次は軽く流してみましょうか』
『お、ネイちゃん! ちゃんと美味い物食ってるか? これ持ってけ!』
『この間は惜しかったねぇ。でも大丈夫、うちらはネイちゃんのことこれからも応援してるよ!』
『ナイスネイチャ』
『ネイチャ!』
『ネイちゃん』
思い返した記憶。チームのみんなや商店街のみんなの姿の中に、そういった言動は見つからなかった。
「ない……かも……」
「自分を、信じるのは、難しい。けど、自分を、信じる、周りの人を、信じてあげて」
先生はあたしの手の中にあったカップをひょいと取り上げて机に置き、そのままあたしの手をその両手で包み込んだ。紅茶とはまた違った熱が、あたしの手にじんわりと伝わってくる。
「みんな、ナイスネイチャ、さんのこと、見てる。確かに、努力が、実を結ぶ、とは、限らない。けど、あなたの、努力は、間違いなく、あなたを、輝かせてる。あなたの、生き様に、確実な、一歩を、刻んでる」
微笑むその姿に感じたのは、第一印象で抱いたあの儚さ。しかしそこに寂しさや物悲しさはなく、柔らかな陽光のような暖かさがあった。
「そう、なのかな」
「そう、なのです」
ゆっくり頷く彼女。
「……そっか……そっか。うん、何かちょっとスッキリしたかも。ありがとうございます、メルテッドスノウ先生」
そう答えると、彼女はあたしから手を離す。
しばらく握られていた右手は、手を離されてもまだぽかぽかと暖かい。
「長いから、スノウ、でいいよ」
「じゃあ、スノウ先生。ありがとうございます」
「わたしは、あなたと、お喋りした、だけ。こちらこそ、話してくれて、ありがとう」
「ですか。それでも、ありがとうございます」
そう伝えると、先生はふいっとあたしから目線を外した。
ちょっと耳が忙しなくピコピコしている。
照れてるのかな。この先生可愛いかも。
「……わたしは、ただの、養護教諭。トレーナーじゃ、ない。勝てるように、することは、できない。わたしが、出来るのは、ほんのちょっと、顔を上げる、手伝い、くらい。そこから、前を見るのも、進むのも、あなた次第。また、俯くことが、あったら、いつでも、来て」
そう言ってやや冷めた紅茶をくいっと飲む。
「というか、正直、割と暇、だから、何も無くても、ダべりに、来てくれると、嬉しい」
「ぷふっ、何ですかそれ。入ったばかりなのに暇って」
不思議な先生だ。初対面だったのに、いきなり悩み相談までしてしまった。
別にテイオーに勝てるようになったわけでも、必勝法を授かったわけでもない。
なのに、あたしの心に巣食ってたあの質量は、今は大分軽くなっていた。
メルテッドスノウ……『雪解け』、ね。
なんてこの先生にぴったりな名前なんだろうと思った。
「えっと……スノウ先生」
「ん」
「また、来ます。今度はチームの皆と」
「ん。大歓迎」
「それじゃ、失礼しました」
ドアを閉めて、その場に留まり考える。
よし、今日の自主トレはお休みしよう。ご飯を食べてお風呂に入ったら、さっさと布団に入ってしまおう。難しいことは考えないでちゃんと休んで、しっかり気持ちをリセットしよう。
胸元で小さくガッツポーズをとり、さて寮に戻ろうと歩みだしたその時。
「……ふぅ、しゃべり、すぎた」
ドアの向こうからそんな可愛らしいセリフが聞こえてきてしまって、あたしはまたちょっと笑ってしまった。
■ネイチャその後
「ただいまー」
「おかえりネイ……ちゃ……!」
「ん? どしたマーベラス?」
「ネイチャ、なんだか今とってもマーベラス☆ 昨日より、今朝よりずっとマーベラス★」
「へ?」
「良かったね、ネイチャ♪」
「う、うん、良かった……のかな、良かった、のかも」
「マアアアァァァベラアアアアァァァァス☆★☆」
「るっさい!」
■ティーバッグ? ティーパックでなく?
正しくはティーバッグ(Tea Bag)らしいです。
ずっとティーパック(Tea Pack)だと思ってました。
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