ムシウタin sect   作:侍講

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プロローグ

夜も更け、人通りの少ない住宅街。巨大な影が狭い路地を縫うように走る。

それは薄羽を羽ばたかせて飛ぶ巨大な”虫”だった。光沢のない黒い外殻と二本の太い角はクロヒメカブトムシという虫に似ており、目だけが闇の中で赤く光っている。実際の甲虫とは異なる八本の脚で抱えているのは、白いロングコートに身を包んだ二人の人間だった。そのコートが異形の怪物を操る少年少女、”虫憑き”を捕獲するための政府組織『特別環境保全事務局』の装備であることは、ごく一部の者だけが知っている。

 

「油断しすぎですわ、”砂霧(さぎり)”様。あれほど注意していましたのに……」

「あー頭いてぇ。ちょっと静かにしていてくれ、”黒姫”」

 

”砂霧”と呼ばれた茶髪の青年が額に手を当てる。顔を覆う大きなゴーグルのせいで表情は分かりにくいが、顔を歪めているようだった。

 

「二号指定とはいえ、相手を格下だと決めつけるのはよくないですわよ」

「元はと言えば、お前が説得しようとして隙をさらしたせいだろうが。次だめだったら問答無用で捕獲するからな」

「わかりましたわ。今度こそ説得してみせます」

 

小柄でプラチナブロンドの髪を腰まで伸ばした少女、”黒姫”が拳を握ってみせた。

 

『おしゃべりはそこまでです。標的は次の角を右折した先の公園内にいます』

 

ゴーグルに通信が入る。機械の向こうにいるあどけない声の主もまた特別環境保全事務局、通称『特環』の局員である。

 

「ありがとうございますわ、”C”様」

『リナの一派が”予知夢”を狙って近くまで来ています。多少は目を瞑りますが、長々と交渉する余裕はありません。説得に応じない場合は作戦通り、実力行使で迅速に捕獲してください。いいですね』

「ええ」

「ったく、最初から強行捕獲でいいだろもう」

 

リナとは虫憑きの一人である。虫憑き同士で徒党を組み、虫憑きを保護するための活動をしている。虫憑きを都合よく利用している特環を嫌っており、両者の間で戦闘になることも珍しくないが、今日ばかりはそれは避けたいというのが”黒姫”の感想だった。

 

「それにしても、『予知夢』を見せる虫憑きねぇ。ただでさえ本部は”槍型”の件でひりついているっつーのに、余計な面倒を増やさないでほしいもんだぜ」

「気持ちはわかりますが、強力な虫憑きを放っておくわけにもいきませんわ。リナやハルキヨのような方達に悪用されてしまうとも限りませんし、特環の保護を受けるのは彼女にとっても良い選択のはずですわ」

「ま、あちらさんはそう思ってねぇみたいだがな」

 

クロヒメカブトムシが入り込んだのは住宅街のはずれにある公園だった。土のグラウンドがあるだけで遊具はなく、姿を隠すことはできなかったようだ。一本の外灯の後ろに少女が身を隠すように立っている。

”虫”が脚を開き、二人の白コートを開放する。”黒姫”が顔の前に手を掲げると、カブトムシはみるみる体を縮めていき、数センチほどになってその手に留まった。”黒姫”は少女へと歩み寄る。

 

「……近寄らないで!」

 

小さな声で、少女が叫んだ。

 

「落ち着いてください。私たちは貴女を保護しに来たのですわ。私たちが特環の人間であることは承知だとは思いますが……捕まえて牢屋に閉じ込めたり、死ぬまで働かせたりなんてことはしませんわ。ただ、貴女のことが心配なだけなんですの。わかってくださる?」

「…………!」

 

少女の目の前に小さな蝶が現れた。かと思うと蝶の体は膨れ上がり、二人の視線を遮るほどに大きくなる。羽に無数の眼の模様を持つそれはジャノメチョウに似ていた。

ジャノメチョウの眼状紋が本物の眼球かのようにぎょろりと蠢き、二人の白コートを捉えた。そして無数の眼を一斉に見開く。

 

「!来ます……わ……」

「クソっ、意識が……」

 

白コートたちが膝から崩れ落ちる。突如動かなくなった二人を見て、少女は安堵のため息をついた。恐る恐る二人の脇を通り抜けようとしたその時、

 

『二人とも、起きてください!えいっ!』

「きゃっ!」

「がっ……」

 

バチッという音と共に、白コートたちが大きく体をのけぞらせる。雷が落ちたかのような音に少女も驚き悲鳴をあげた。衝撃で目を覚ましたのか、二人は体を痙攣させながらも動き始めた。

 

「げほっ……いくら何でも電撃できつけするかよ普通」

『文句は後で聞きます。早く捕獲を!』

 

立ち上がった”砂霧”が頭をさすりながら”黒姫”を引っ張り起こす。

 

「いてて……貴方の能力についても理解していますわ。近くにいる人間を強制的に眠らせるだけでなく、近未来の出来事を予言する夢を見せてしまう……貴方の力はとても強力で、特殊なものです。特環で一緒に、能力の使い方を学びましょう。ちゃんと訓練すれば貴方自身への負担も軽減できるはずですわ」

「…………」

 

”黒姫”が右手を伸ばす。少女は後ずさる。その顔には恐怖が浮かんでいた。

 

『まずいです!こちらの場所がバレたのか、リナが急速にこちらに接近してきてます。今すぐ捕獲してその場を離れてください!』

「ですが、この子はまだ……」

 

躊躇う”黒姫”を横目に、いらだった様子で”砂霧”が少女に近づく。

 

「いい加減にしろ、これ以上は時間の無駄だ。俺が捕獲する」

 

”砂霧”が足元を軽く蹴る。小さく舞い上がった砂ぼこりが少女の周囲で渦巻き、逃げ場を塞ぐ竜巻の檻となる。

 

「他人に優しくすることが悪いとは言わねぇがよ、”黒姫”。お前のはちょいと度が過ぎる。少しは改めた方がいいぜ」

 

砂塵の中で怯える少女の片腕に、”砂霧”の手が伸びる――――。

 

「助けて……」

 

爆風が吹き荒れた。突然の背後からの衝撃波に”砂霧”は公園端のフェンスまで吹き飛ばされた。砂の竜巻が崩れ去り、少女が解放される。

 

「こっちに来て!早く!」

 

公園の入り口には半球形の巨大な怪物がおり、その脇には一人の少女が立っていた。

 

「やはり来ましたか、リナ」

 

咄嗟に“虫”をつかって衝撃波から“砂霧”を助けた”黒姫”が、少女から少し離れた場所に着地する。少女は不安がにじみ出たような足取りでリナに駆け寄る。

 

「こうなったらしょうがねぇ。リナを倒して、二人まとめて捕獲してやる」

「あんたら特環なんかに、この子は渡さないわよ」

 

少女はリナに密着し服の裾を握っている。リナも少女の背に優しく手をまわした。 

 

『周囲にリナの仲間らしき存在はいません。相手がリナ一人なら勝算は十分にあります。”予知夢”捕獲の任務を続行してください!』

「了解。いくぞ、”砂霧”!」

 

公園がざわめく。グラウンド表面の砂が一斉に巻き上がり公園は砂嵐に包まれた。開けたグラウンドが砂塵にのまれ、何も見えなくなる。

 

「”七星”!」

 

リナの操る怪物――テントウムシにも似た外見のそれが羽を羽ばたかせて衝撃波を打ち出す。砂が吹き飛び一瞬視界が晴れるが、すぐに元に戻ってしまう。

 

「風?……いや、砂を操ってるのね。厄介な……」

 

テントウムシが連続で衝撃波を放つ。しかし何度やっても砂嵐はすぐに復活してしまう。

 

「くっ……それなら!」

 

リナはグラウンドの奥、二人の白コートがいた場所目掛けて攻撃を仕掛けた。すると砂嵐が引く波のごとく衝撃波の矛先に集まり、巨大な砂の壁を形成した。衝撃波が砂の壁を吹き飛ばす。飛び散る砂の向こうで、()()の白コートがつぶやいた。

 

「どいつもこいつも感情的過ぎんだよ。そいつの保護が目的なら、戦わずに逃げるのが合理的(せいかい)だろうが。攻撃されたらやり返すことしか頭になくなっちまうから、こういう隙ができちまうんだ」

 

リナがはっと振り返る。いつの間に移動したのか、真後ろに現れた”黒姫”は少女の片手を握っていた。

 

「この至近距離で私を攻撃すれば、この子もただではすまなくてよ?」

「その手を離しなさい!」

 

リナが叫び、すぐさま少女の空いた方の手を握る。挟まれた少女は、二人の顔を交互に見上げおろおろしている。

 

「私と貴女、どちらの手を取るかは、この子次第ですわ。さあ、私の下に来てくださる?」

 

”黒姫”は敢えて、手を握る力を少し弱めた。

 

「お願い。私と一緒に来て。私たちなら、あなたのことを助けられるわ」

 

リナが固く手を握る。少女はもう一度二人の顔をじっくりと見つめたが、――――”黒姫”の手が握り返されることはなかった。

少女はリナへと身を寄せ、その手は“黒姫”の手のひらからするりと離れてしまう。

 

「……やっぱり、私ではダメなのですね」

 

”黒姫”は俯き、行き場を失った腕をだらりと下げた。

 

「ここから逃げるわよ。しっかり捕まって!」

「……うん」

 

リナと少女がテントウムシの頭部に乗る。上空へ逃げようとする彼女らの背後から、砂の礫が飛来した。

 

「”黒姫”ぇっ!何してやがる!」

 

”砂霧”が怒りながら礫を飛ばし続ける。しかしテントウムシは衝撃波を使ってうまく攻撃を捌き、すぐに射程の外にまで飛んで行ってしまった。

夜空を飛び去り小さくなっていくテントウムシの姿を、”黒姫”はぼーっと見ていた。

 

「おい。今のはさすがに看過できねぇぞ。どうして無理やりにでも捕まえなかった」

「そうですわね……」

 

”砂霧”の叱責も頭に入ってこない。”黒姫”は上の空で答える。

 

『”黒姫”さんの能力なら今からでも十分追跡は間に合うはずですが……あまり調子が良くなさそうですね。仕方ありませんが一度本部へ戻ってきてください。捕獲は失敗したと報告しておきますが、詳細はお二人に話していただきますので』

 

そう言い残すと、”C”は通信を切った。任務を失敗した自分に気を使ってくれているのだろう。

呆然と立ち尽くす”黒姫”の肩に”砂霧”が手をまわした。そのまま強引にベンチへと連れていかれ、並んで座らされる。

 

「いいか、”黒姫”?まずは、落ち着け。……落ち着いたか?落ち着いたら、考えろ。そして真っ先に考えたことを口に出せ」

「”砂霧”様?いったい何を……?」

「俺流の思考整理法だ。いいから話せ。何を最初に思いついた?」

 

突然まくし立てられ答えに窮する。何か言わねばと思ったところで、ようやく少し気持ちが落ち着いてきた。

少しの間、公園に静寂が訪れた。彼の優しさに心の中で感謝してから、”黒姫”がゆっくりと口を開く。

 

「『姫』……」

「姫?」

「私、本物のお姫様になるのが”夢”でしたの。周りからちやほやされるだけの『プリンセス』ではなく、幼いながらに民を救うために考え行動する威厳ある『姫』に。だから話し方や礼儀作法も色々調べて実践しましたし、民衆から信頼を集める姫として振る舞うべく、誰にでも優しくしてきましたわ」

「……」

 

”砂霧”は何も言わなかったし、”黒姫”もそれで満足だった。

 

「ですから迷える虫憑きを導くのも私の役目。……なのですが、私にはどうもカリスマや人間的な魅力がないようですわね。”予知夢”以外の虫憑きにも、何度勧誘を断られたかわかりません」

 

「こればっかりは、リナが羨ましいですわ。大勢の虫憑きが彼女を信じてついていっている……強さ以上に、彼女には人を引き付けるものがある。ああいう人が『姫』や『女王』にふさわしいのでしょうね」

 

”黒姫”は立ち上がった。天に向かって手を掲げる。少女の手が離れた時の感触は、まだ消えていなかった。

 

「そういえば今日は、流星群の日らしいですわね。流れ星に願えば、私の夢も叶うのでしょうか?」

 

”黒姫”が見上げた夜空には、漆黒が広がっていた。

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