前回投稿:2023年11月
現在:2026年6月
……言葉もありません。
ですがあえて言います。
また読んでいただけると幸いです。
鉱石病の波長を安定化させるのは、実はそう難しいことではない。
相手をよく見て手で触れれば、あとは粗を均して全体に馴染ませるだけ。フロストノヴァという例外を除けば、それほど手間も時間も掛からない。
定期的に調律を行えば鉱石病の進行を抑制することができる。長い経過観察を経て至った結論に家族は喜んだ。手放しに僕を褒めてくれて、感謝の言葉もたくさん貰った。
しかし、違う。
僕の目指すところはここじゃない。
見据えるべきはもっと先。僕が居なくとも瓦解しないような処置を施す必要がある。
鉱石病の病態を永続的に安定させるにはどうしたらいいか。
それは、まだ分からない。
既に試行しているものがいくつかあるけれど、どれも効果が現れているようには見えない。いや、今はないというだけで、もしかしたら後々変化が生まれる可能性もある。だから切り捨てるという判断は時期尚早だ。
しかし、仮に僕の望むような結果が出てくれるとして、それはいったいどれくらい後の話になるのだろう。
一年か、五年か、十年か。それほど待ってもなんの成果も得られなかったら……そう思うと震えが止まらなくなる。
まるで濃霧の中を彷徨っているような感覚。道はなく、目的地は見えず、正しい方向へ進んでいるのかすら分からない。
不安が押し寄せてきて、僕は度々、いらない方向へと思考を飛ばしてしまうことがある。
先生が欲しい、と。
人でなくてもいい。見本となる資料がそこら辺に落ちてはいないだろうか──そんな都合の良い、小指の先ほど小さな願望を頭の片隅に常置している。
僕のアーツは特殊だ。同系統の力を持つ人と出会う可能性は限りなく低いと言える。
だけど、もし。
もし、奇跡が起きて、妄想が現実になったら。そんな人と出会えたなら。
僕はきっと、それを運命と呼ぶのだろう。
◇◇◇◇
戦いの火蓋を切ったのは、フロストノヴァの壮絶な一撃だった。
眼前に出した手を一息に握りしめる。たったそれだけの動作で、監視隊の詰所が瞬時に凍結した。
廃都市の全域を見渡せるほど大きな見張り塔が白く染まったのを見て、まるで魔法みたいだなと場違いな感想を抱く。もちろん子供が夢想するような煌びやかなものでもなければ、無制限に扱えるほど都合のいい力でもない。
僕の補助があったとしても、今回の戦闘ではもうこれと同等のアーツは控えるべきだ。
「フロストノヴァ」
「分かっている」
彼女が腕を横に振るう。その途端、視界を妨げていた猛吹雪が一斉に鳴り止み、薄い暗闇を割って日の光が差し込んできた。
急速に拓けた視界。運良く初撃に巻き込まれなかった敵の姿が露わになる。愕然と震える者たちを睥睨して、フロストノヴァは淡々と告げた。
「行動開始。矢を放て」
指示に従い、風を切る音が断続的に響く。
果たして、慌てふためく敵の中に事態を正確に把握できた者はどれくらい居たのか。突如として突きつけられた冷たい現実に、彼らはただ叫び、殺到する無数の矢に呑まれていった。
敵襲、と。微かに聞こえた声は、それ以上の大きな悲鳴によって塗り潰され、もはやどこで上がったのかも分からない。
こうして、僕たちの奇襲は成功し、三つある見張り塔の内一つを速やかに制圧したのだった。
「残りは二つ」
討ち漏らしがないことを確認し、さて次だ。
全員がフロストノヴァの言葉に傾聴する。
「リンクチューナー、ペトロワ。お前たちは各々の部隊を連れて西の塔を制圧しろ。私とビッグベアは東だ」
了解、と短く返す。
これから少しの間、フロストノヴァとは別行動になる。そのことに対して思うところはない。
信頼して、託してくれた。
それならば、僕は全力で応えるだけだ。
「行こう、ペトロワ」
「おうよ。暴れてやろうぜ、兄弟」
◆◆◆◆
統治者を失い、もはや人の住めなくなった廃都市に戦闘の音が木霊する。
どうやら始まったらしい。長い追跡を経て導き出した予測が現実と合致したことに安堵する。
では、行くとしよう。
いまこそ大きく声を張るときだ。
お前たちの
◇◇◇◇
「死ね! 下等生物がぁああああ!」
喚きと共に頭上から振り下ろされた片刃の剣。その刀身に手を這わせ、軌道を逸らす。それと同時に半歩前へ踏み込み、敵の懐に入った。
「は?」
空を切る音、呆気に取られたような声。それらを聞き流し、男の鳩尾に拳を添える。
集中。次の一瞬に致命を求める。
全身の神経を尖らせて、放つ。
静から動へ。体重移動と関節の捻りによって生まれた衝撃が男の腹から背中へと突き抜けた。
臓器を潰した手応えを感じつつ、拳を引いて数歩退がる。支えを失った男は力なく剣を取り落とし、虚ろな表情でたたらを踏んで、最後には口から血の塊を吐き出して倒れた。
もう二度と起き上がることはない。
「いつ見てもエグい技だな」
援護に駆け寄ってくれていたペトロワの呟きに、僕は小さく首を振った。
「素手で戦うことを選んだんだ。これくらいはできないとね」
「これくらい……これくらい?」
なにやら不可解そうに首を傾げるペトロワ。
そういった反応をされると、まるで僕の常識がずれているように感じるからやめてほしい。
戦場では武装した敵を相手にするんだ。剣撃をいなすのはもちろん、岩を粉砕する術の一つや二つ確保していないと足手纏いになるだろう。
僕の考えは間違っていない。ボジョカスティさんもそう言っていた。
「まぁ、お前は昔から……って、いまはそんなことを話してる場合じゃないか。見ろ、リンクチューナー。俺たちの目標が見えてきたぞ」
ペトロワが顎で示す方向に目を向けると、確かに堅牢な塔が屹立している。
見張り塔。僕たちが制圧すべき目標。敵にとっての最後の砦とも言える。
僕たちの襲撃を受けて、分が悪いと判断した敵がこぞってあの中へと逃げ込んでいるのを見た。
腐っても軍隊の詰所だ。守りに徹されれば攻略するのは容易じゃない。うかつに接近すれば即座に矢の雨が降り注ぐだろう。あらゆるアーツが殺到するだろう。
しかし、今回においては問題にならない。
幸いなことに、僕たちにはあの守りを打ち砕く手段がある。
「リンクチューナー、やれるか?」
「もちろん。いつでもいいよ」
一も二もなく頷く。ペトロワが何を求めているのかは分かっている。フロストノヴァも、こういった状況を想定して僕をここに向かわせたのだろう。
敵が浮き足立っている今が好機だ。可及的速やかに攻め入って制圧しよう。
「よし、じゃあ始めるぞ」
ペトロワの号令が廃墟に響いた。
瞬時に隊が動く。重装兵が前へと進み出て、敵との間に堅牢な壁を築く。術師たちは僕の側へと寄り、他の兵たちは周囲を固めた。
必要最小限の指示だけでこの布陣をすぐさま形成できるのは、彼ら彼女らが長く戦場を共にしてきた熟練の戦士であるからだった。
この配置の意図は明白だ。
敵の目から、可能な限り僕の存在を覆い隠すこと。
僕はアーツの波長に干渉し、それを操作することができる。この力はある程度の応用が利き、対象の性質を深く理解していればいるほど、その制御は繊細かつ正確になる。
その発展技として僕が得意とするのは、性質を把握したアーツを複数同時に操ることだ。
分けて使うか、一つにまとめるか。僕は状況を見て、最も効果的な手法を選ぶ。
今回行うのは、いわば火力の一点集中。仲間たちのアーツを僕の手に集め、一点に絞って放つことで、局所的ではあるけどフロストノヴァにも迫る威力を叩き込むつもりだ。
「準備はいいな」
ペトロワの呼び掛けに、術師たちが無言で頷いた。次いで彼らのアーツが脈動を始め、波長が僕の方へと向かってくる。
それぞれの気配が重なり合う瞬間、僕は咄嗟にその流れを断ち切った。
「待って」
作業が中断される。術師たちは戸惑いながらも即座に動きを止め、僕を見た。
「どうした、リンクチューナー」
「……誰かが来る」
しばらく間を置いて、確信を持って答える。
最初はかすかな波だった。それが次第に輪郭を持ち始め、明確な存在として僕の感覚に浮かび上がってくる。
敵のいる方角でも、僕たちが通ってきた道でもない。別の、誰もいないはずの廃墟の奥から、何者かの気配が近づいてきていた。
果たして、瓦礫の影から姿を現したのは一人の少女だった。
肩口まで伸びた銀髪が風に揺れ、腰には大剣を携えている。
歳は僕と同じくらいに見えるけれど、その佇まいは並の兵士が持つそれではない。相当な手練であると直感が囁いた。
「ウルサス将校の服……敵か」
「いや、そうとも限らないよ。彼女は感染者だ。ウルサス軍が重用するとは思えない」
とはいえ、警戒を緩めるわけにはいかない。僕たちは陣形を維持したまま、少女の行動に目を凝らした。
そのとき、肌にひりつくような感覚が走った。
……なんだろう。何かがおかしい。
彼女の体からは、確かに感染者特有の波長が発せられている。
だけど、それだけではない。
もっと深いところに、説明のつかない異質な気配が潜んでいた。
一度知覚すれば、二度と見逃せないほど強烈な違和感。それは波長というより、存在そのものが放つ歪みのように思えた。
君はいったい何者だ。
そんな疑念を察したのかも知れない。彼女は一瞬だけこちらに向けて笑みを浮かべ、突如として身を翻した。
そして駆け出す。
一直線に、見張り塔の方へと。
長大な剣を抜き放つと同時、莫大な炎が彼女の身体から吹き荒れる。
煌々と太陽のように輝いて、その身に迫る一切合切を灰燼に帰して。
業火を纏った彼女は、監視隊最後の見張り塔に飛び込んだ。
ほどなくして、僕たちの目標である見張り塔はあっさりと陥落した。
蟻がどれだけ群れたところで象の歩みは止められない。屋内ではそれなりの罠や抵抗があったのだろうけれど、爆炎と閃光に呑まれ、一瞬たりとも拮抗した様子はなかった。
瓦礫が崩れ落ちる音と、残り火の燻る匂いがあたりを包む。
やがて、一方的な蹂躙を果たした彼女が、崩れかけた塔の入口からゆっくりと姿を現した。
先ほどまで猛威を奮っていた炎は、今はもう彼女の身体に収まっていた。ただ、立ち昇る煙の中を静かに歩くその姿には、まだ熱の残滓のようなものが漂っている。
そのまま、彼女は真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。
その足取りは落ち着いていて、一切の迷いもない。
だけど彼女は、僕たちとの間に一定の距離を残して足を止めた。
それ以上は近づいてこない。代わりに、手にしていた長大な剣を静かに収め、両腕をだらりと下ろす。まるで戦うつもりはないと示すかのように。
彼女は一言も発さない。ただ、じっとこちらを見つめている。その視線にはおよそ敵意というものがなく、むしろどこか親しみすら感じられた。
さて、どうするか。
このままお見合いを続けるのも悪くはないけれど、それはそれとして、僕にはどうしても確認したいことがあった。
「じゃ、行ってくるね」
「おいバカ待て」
一歩踏み出したところでペトロワに止められた。
さもありなん。
「不用意に近づくな。まだ敵か味方かも分からないんだぞ」
「彼女が敵なら、僕たちの戦いに割って入る必要はなかったと思うけど。わざわざ漁夫の利を捨てるようなこと、普通はしないよね」
「敵じゃなくとも、それが味方である証明にはならないだろ」
「敵じゃないなら、話し合いくらいはできるさ」
そう言って、僕は再び歩き出す。
「おい!」
「大丈夫。僕に任せて」
伸ばされた手を丁寧に避けて、僕は素早く重装兵たちの間をすり抜けた。背後で恨みがましい声が聞こえたけれど、今は気のせいということにしよう。周囲の仲間からの呆れたような視線もきっと気のせいだ。
瓦礫の転がる地面を踏みしめながら、少女との距離を縮めていく。
彼女がそうしたように堂々と、迷いなく。いっそ無遠慮とまで言える間合いの詰め方をあえてしているが、彼女の様子は依然として変わらない。
どこまでも自然体で、一切の警戒を見せない。やはり相当に肝が据わった人物のようだ。
やがて、お互いが手を伸ばせば届くような距離まで辿り着いた。
はるか後方から怒号が届く。近づきすぎだーとかバカヤローとか、どうやらだいぶお冠らしい。
いやだって、彼女があまりにも無防備だったから。そんなの行けるとこまで行くしかないじゃん?
「やあ、こんにちは」
ペトロワの文句を努めて無視して、僕は少女に挨拶した。
「ああ。初めまして、スノーデビル」
短い応答。その声は落ち着いていて、年頃の少女のものとは思えないほど重みがあった。
彼女はこちらをスノーデビルと呼んだ。それはつまり僕たちが何者か分かって接触してきたということ。
何のために、というのは僕たちの行動理念と彼女が感染者であるということを鑑みればおおよその推測が立つけれど、まだ結論を急ぐ必要はないかな。
「まずはお互いに自己紹介をしようか。僕はリンクチューナー。見ての通り丸腰の、どこにでもいるただの雑兵だよ」
「お前のような雑兵がいるものか、という指摘はひとまず置いておこう。私はタルラ。ただのタルラだ。好きに呼んでくれて構わない」
「じゃあタルちゃんで」
間髪入れずに応えると、彼女の身体がぴしりと固まった。
威風堂々としていた彼女が初めて見せる動揺に、僕は内心でほくそ笑む。
ふっふっふ。戦いにおいて精神攻撃は基本だぜ、タルラ君。戦ってはいないけど。
「……からかうのはよせ」
「ん、嫌だった? じゃあタルタルちゃんとかどうだろう」
「分かった、先の言葉は訂正しよう。私のことはタルラと呼べ。いいな」
「了解、タルラ」
笑顔で敬礼すると、タルラは肩の力が抜けたように息を吐いた。
「……気の抜ける奴だな。まさかスノーデビルは皆そうなのか?」
「いやーどうだろう。みんな優しくていい人であるのは間違いないんだけれど、生粋の戦士だから冗談が通じない時もままある。仮に僕がこの場にいなかったらこうして話し合えたかも怪しいところだよ」
「そうか。では、お前に感謝しなくてはならないな」
「うんうん、大いに感謝してくれたまえ……と言いたいところだけど、残念ながら気が早い。僕はあくまで話し合いに来ただけだ。君をどうするのかはまだ決まっていないし、手厚い対応ができるとも約束できない状況だ」
「ああ、理解している」
「よろしい。じゃあ早速訊かせてもらおうかな。君は何をしにここに来た」
冗談は程々にして本題に入る。
救援要請か、対等な取引か。何にせよ彼女の置かれた状況を聞かないことにはどうしようもない。
仮に対応が難しい案件だったとしても、僕にできる限りのことはしよう。そんな心構えをして、タルラの言葉を待った。
「私がここに来たのは協力を仰ぐため、そしてお前たちを助けるためだ」
果たして、返ってきた答えは僕の予想から少し外れたものだった。
「……助ける? 僕たちを?」
「そうだ。より大きな括りで言うのなら、感染者を助ける。この帝国で、感染者はどのような扱いを受けている。生きているだけでまるで罪人かのように石を投げられ、踏みつけられ、どこまでも搾取される。やがて日陰に覆われた冷たい場所で、枯れるように死んでいく」
淡々とした言葉だった。
だけどその口調の節々に、煮え滾るような怒りを感じる。
彼女は訴えているのだろう。そんな不条理が認められるか、と。
「私はそれを変えたい。感染者が、感染者であることを恥じずに生きられる場所を作ると決めた。その戦いにお前たちの力が要る。それが協力を仰ぐ、ということだ」
力の伴わない正義は実らないのが世の常だ。そういった意味で、彼女が僕たちに接触を図ったことは合理的な判断だと考えられる。
感染者のための場所、か。
考えたことはあったし、できる範囲のことはやってきた。だけど、彼女ほど大きな理想を抱いたことは一度もなかった。
だって、無謀だ。
僕はこの国以外の情勢をよく知らないけれど、感染者への差別意識は帝国だけに留まらないのだろう。
それほど深く根付いた問題を解決するには、それこそ世界を相手に勝利しなければならない。
途方もない道だ。道中にどんな苦難が待ち構えているのか想像もつかない。
しかし彼女の目を見ていると、それが単なる夢想でないことは明らかだった。
タルラは本気だ。そしてその本気が、絵空事を現実に引き寄せることがあると、そうあって欲しいと、僕は心から願っている。
「なるほど。大きな話だね」
「そうだな。だが、私はこれを夢物語で終わらせるつもりはない」
そうだろうね、と頷く。
初対面であるというのに、僕はもう彼女の言葉を疑うことができなくなっていた。
あぁ、よく似ている。彼女の眼差しが、何処ぞの頑固娘のものと重なる。真っ直ぐで、強かで、厄介なほど融通の利かない困ったちゃん。僕はそんな目が大好きなのだ。
思わず笑みが洩れた。タルラはそれを訝しむでもなく、ただ真摯な表情でこちらを見ている。
「リンクチューナー。頼みがある」
「聞こうか」
「対等に話し合える場を用意してもらえないか。私の話をきちんと聞いて欲しい。リンクチューナー、お前に取り持ちを頼みたい」
しばし考える。
フロストノヴァに話を通す必要がある。ペトロワへの説明も要る。何より最大の鬼門となるだろうボジョカスティさんにはどう伝えたものか。考えなければならないことは色々あるけれど、そのどれも断る理由にはならない。
「いいよ。ただし、条件がある」
「なんだ」
「さっきから僕の後ろの人たちがピリピリしているからね。敵意がないことをこの場で証明して欲しい」
タルラの目が僅かに細まった。
「方法は?」
「簡単なことさ。握手しよう」
僕が右手を差し出すと、彼女は拍子抜けしたように浅く息を吐いた。
「……それだけか」
「それだけだよ。ただ、ここで注意点がある」
同じく右手を持ち上げようとしたタルラに待ったをかける。
対等な話し合いを望んでいる彼女に騙し打ちはしたくない。ここはできる限りフェアでいこう。
「この手を握ったと同時に、僕はアーツを発動する。どんな能力かは秘密だ。心を読んで君の後ろ暗い企みを解き明かすかもしれないし、攻撃性のある能力で無力化するかもしれない。客観的に見れば君は得体の知れない人だ。その対応としてはどちらも妥当と言えるだろう。わずかでも不信感を抱いているなら応じるべきではないよ」
念入りに忠告して、さぁどうすると選択を迫る。
だけど正直、これは茶番に等しい行いだった。
意味がない前置きだったと言ってもいい。その証拠に、彼女の手がもうすぐそこまで伸びている。
「──問題ない」
一言。それだけ言って、タルラは躊躇わずに手を差し出した。
その意気や良し。
頷いて、僕はその手を握った。
瞬間、膨大な情報の波が押し寄せてきた。
感染者の波長。それは分かっていた。しかしその奥、もっと深いところに潜んでいたものが一気に輪郭を持って僕の感覚に流れ込んでくる。
これは。
これは、アーツだ。
何者かのアーツが、この人の中に刻まれている。
波長を辿る。性質を読む。その構造を理解しようと意識を集中させた瞬間、僕は息を呑んだ。
──減退、しない?
刻まれたそれは、彼女の身体に完全に溶け込んでいた。外から加えられたものであるはずなのに、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいる。時間が経っても薄れず、揺らがず、永続的にそこに在り続けるように作られていた。
永続性。
その一言が僕の頭の中で弾けた瞬間、目の奥が熱くなった。
「……ははっ」
これは、僕がずっと求めていたものだ。
僕一人の力では届かなかった、その先にある答えが、今この人の手の中にある。
この構造を理解できれば、この仕組みを解き明かせれば、僕は家族に永続的な調律を刻むことができる。
家族を、フロストノヴァを救うことができる!
「リンクチューナー? 何故、泣いているんだ」
気づいたら、涙が出ていた。
みっともないとは思うけれど、僕はもうそれどころではなかった。
顔を拭うこともせずに、僕はタルラの手を両手でそっと包む。
「ねぇ、タルラ」
「な、なんだ」
「君のことを教えて欲しい」
声が少し震えた。感情が昂ってまともに言葉も喋れなくなっている。
構わず続ける。
「君のすべてを知りたいんだ。お願いだ」
タルラが目を丸くした。あの泰然とした彼女が、明らかに動揺して言葉を失っている。口を開いて、閉じて、また開いて。
「お、お前は……いきなり何を……」
緊張からか両肩を上げて萎縮している様は正しく年頃の少女のそれ。とても可愛らしいけれど、今はじれったいという思いが勝ってしまう。
どうすれば話が進むのかと思案していると、不意に僕の背後で雪を踏み締める音が響いた。
「何をしている」
低い声が耳朶に触れる。
はっとして振り返ると、フロストノヴァが立っていた。東の塔を制圧して戻ってきたのだろう。その鋭い目が、僕と、僕の両手に包まれたタルラの手と、僕のクシャクシャになった顔を順番に捉えていた。
いけない。これは駄目だ。
このままだと、とても良くないことが起こりそうな気がする。
うるさいほど高鳴る心音を無視して、僕はタルラの手をゆっくりと離す。一度顔を拭い、そして笑顔でフロストノヴァを迎えた。
「やあ、フロストノヴァ。紹介するよ」
僕は努めて平静を装いながら、タルラを示す。
まずは彼女が敵じゃないことを教えなければならない。
「彼女はタルラ」
言いながら、次の言葉を考える。
……まずい。情緒がおかしくなったせいでいつものように言葉が見つからない。
ここでの沈黙は悪手だ。是が非でもタルラを味方に引き入れるために早く何か言わないと。
何か、何か何か何か!
適切な言葉が見つからず、衝動ばかりが喉元に迫り上がってくる。
焦りからとうとう何も考えられなくなって、僕は勢いのまま口を開いた。
「僕の──運命の人だ!」
我ながら、よく通る声が出た。廃都市の残骸に高らかに響いて、あたりの空気がしんと静まり返る。
数秒の沈黙の末、フロストノヴァの表情が変化する。
つい最近見た、もう二度と見ることはないだろうと思っていた表情。すべての感情を排した、能面のような恐ろしい顔。
「は?」
底冷えする声に心臓を鷲掴みにされて、僕はようやく冷静さを取り戻す。
そして思った。
何を言ってるんだ僕は。
ご読了頂きありがとうございます。
キリのいいところまで、と書いていたら8000文字を越える長文になってしまいました。読んでくださった方々に疲労を強いていないか戦々恐々としております。
またぼちぼち続きを書いていく所存ではありますが、あらかじめここに謝罪しておきます。きっと遅くなります。申し訳ありません。
感想など頂けたら飛び上がって喜びます。