明けた夜に(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ)   作:さんかく@

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「見滝原市――ビル風俗店殺人事件」高校時代に起きた事件をきっかけにさやかは刑事を志す。それは元々彼女の持っていた性質からすれば当然の帰結だったのかもしれない。そして周囲には不穏な空気が…。



犬の証明

「人事考査ですか?」

 

細面で色白な男が、訝しげに目を細める。その視線の先には「○○県警本部」のネームタグを首から下げた中年の男。刑事だと名乗っているが、身分証明書には「課」の表示までは記載されておらず、細面の男は渋い表情のまま首を振った。

 

「…あいにく、人事記録は人事課長の許可が無いと閲覧はできません」

 

丁寧だが頑なな回答。模範的だ。刑事と名乗った男は口元を軽く緩ませた。

 

ここは○○県警本部の最上階にある人事課。ホワイトカラー気質のためか、同じ建物だというのに、他課の雰囲気とは全く違う。白を基調とした明るい室内には、退庁時間がとっくに過ぎているため、すでに人は「係長」である細面の男しかいない。そこに現れたのが、この「全く特徴の無い」刑事と名乗る男だった。中肉中背の男は、右手で頭を掻いた。グレーのスーツに皺が寄る。

 

「お固いね、「係長」は…」

「許可が無いと無理です」

 

いくら県警本部の刑事であっても、そう簡単に人事記録を見せるわけにはいかない。係長である彼は内心怒りを覚えていた。現場にはわからない裏方の苦労は想像を絶するほどだ。いかに表面的にはデスクワークとはいえ、人間一人一人の秘密と機密を抱えている人事課の重責は凶悪犯罪の指揮を執る刑事にも劣らない。

 

――それをこんなやすやすと

 

人間一人の背景が記載された人事記録をまるで図書館の本のように「貸してくれ」という。彼自身、そして人事課そのものを侮辱されたような気になり、身体が怒りで震えた。

 

「仕方ないな」

 

男は軽く肩をすくめると、上衣の内ポケットから携帯を取りだした。片手で器用に操作すると係長に手渡す。怪訝な表情のまま、係長は携帯を受取り耳にあてた。

 

『平野か?――俺だ』

「課長?」

 

携帯からは係長――平野の上司である人事課長の声。携帯の向こうの声はひどく疲れ切っていた。

 

『いいか、この男は「ゼロ」だ…』

 

平野の目が見開かれた。目の前の特徴の無い男がにやりと笑う。冷水を浴びたように平野の身体が一瞬強張った。ゼロ――公安。聞いたことがある、出向先の刑事を名乗る本庁警備局の公安職員、誰も彼の特徴を掴めず、そして誰も彼の任務内容を知らない――県警本部長でさえも。平野の動揺を気にすることなく「ゼロ」の男は剃った髭の後を気にするような仕草で顎を撫でていた。

 

「どう?貸す気になった?」

 

まるで女子高生のようにおどけて小首をかしげ、平野を見つめる。その仕草に吐き気を覚えながらも、平野は携帯の向こうの上司に伺いを立てる。

 

「いいんですか、課長、閲覧させても」

『ああ、構わん、そのまま奴に貸し出してくれ』

「え、なんて…」

『貸し出すんだ、平野、俺も奴と一緒に見る』

「そんな」

 

一体何が起こっているのだろうか?全くの不測の事態に平野は激しく動揺した。

 

『平野』

「はい」

『お前は忘れろ、人事記録は週明けに俺が返す。お前は何も聞いてないし、何も見ていない』

「………」

『わかったな、お前は何も聞いてないんだ』

「………了解しました」

 

それから数秒の間、平野は男を睨んだ。涼しい顔でそれを見返す「ゼロ」。無言のまま、平野は携帯を切った。

 

「……人事記録をお持ちします」

「そうしてくれ、早く、これだ…」

 

切り取ったメモ用紙を男は平野に渡す。やや乱暴に平野はそれを受け取ると、執務室の奥へと入っていった。ふ、と小馬鹿にしたように男は一瞬笑うと、執務室のカウンターを指で軽やかに叩きはじめた。まるでピアノを弾くように。

 

*        *       *

 

時代がどんなに進んでも、それでも何故か人事記録だけは「紙」に印字され保管されている。それは人間の奥深くに潜む「効率化」に対する抵抗の念なのか、それとも「人」に対する尊厳を記録においても体現したいのか、どのような心理かは知る由も無いがとにかくこの県警本部には何万枚もの人事記録が保管されている。平野は保管室のオートロックの暗証番号を手慣れた様子で打ち込んだ。

機械音と同時に、薄暗がりの室内に明かりが灯る。真っ白な無機質な内部には無数の電動スタックランナーがあり、平野はその奥まった箇所の「M」と表示されている棚へ向かう。

 

――手渡されたメモに記載されている名前には見覚えがあった。

 

人事課の係長に着任して3年目、すべての警察官の名前を記憶するということは到底無理な話だが、ある「特例」を受けた職員については全て記憶している。異例の昇進、異例の人事異動、特殊な配属等々、通常のルートとは少し毛色の変わったルートを歩む警察官は毎年数人はいる。「彼女」もその一人だ。

 

ブウン、と低い震動音を立てて「M」と表示された棚が動き出す。そこから平野は、最近数年のファイルが収納されている段へ手を伸ばす。最近採用されたばかりの「彼女」のファイルを探すのは簡単だった。

 

ファイルの中には数枚の添付資料とそして人事記録が収納されている。平野は人事記録の顔写真に一瞬見惚れた。蒼い髪の美しい女性が苦み走った表情で平野を睨んでいた。頑なに閉じた口、思いつめたような双眸、肩まで伸びた蒼い髪。その容貌はどこか中性的で、それがむしろ見る者の心を惹きつけるのかもしれない。

人事記録に記載された氏名を見ながら、平野は考える。

 

――彼女は一体何に巻き込まれたのだろう?

 

平野の視線の先には、一見どちらが姓と名かわからない氏名があった。

 

「美樹さやか」

 

人事記録にはそう記載されていた。

 

*******

蒼い澄んだ空の下、桃色の円盤が孤を描く。

 

「さやかちゃん、そっちいったよ」

「OK」

 

濃い緑色の芝生を蹴り、ポロシャツとデニムのパンツに身を包んだ蒼い髪の女性が軽やかに跳躍した。しなやかに肢体を伸ばし、右手でフリスビーをキャッチする。

 

「わあ、すごい」

 

手を叩いて、まるで我事のように満面の笑みを見せる、あどけない女性。背中まで伸びた桃色の髪がワンピースと共に風にそよぐ。

 

「てへ、どうよ?」

 

蒼い髪の女性は得意げに右手を前方に突き出し、左手をあげ中腰のポーズを取る。まるで歌舞伎の見得のようだ。その姿につい吹き出す桃色の髪の女性。

 

「もう…さやかちゃんたら、ほら、ほむらちゃんも笑ってるよ」

「へ?」

 

二人は同時に視線を公園のベンチへ向ける。数メートル離れた場所に一人ベンチに座っている女性。

 

「………笑ってないわよ」

 

ベンチには黒づくめの服装に身を包んだ、恐ろしいほど美しい女性が座っていた。長い艶のある黒髪、白磁のような肌に整った容貌。長い睫毛の下にあるアメジストの瞳。午後の昼下がりののどかな公園だというのに、その周囲だけはまるで別世界のようで。

 

「ちょっとぉ……」

 

だが、蒼い髪の女性は彼女の圧倒的美貌故の近寄りがたい雰囲気を感じていないのだろう。抗議の意味で口を尖らせ、美貌の女性を睨む。

長い黒髪の美しい女性は伏し目がちに足元を眺めていた。だがその口元は微かに震えていて。肩をほんの少し上下運動させている。

 

――要は彼女は笑いを堪えていた。

 

「あ、やっぱ笑ってんじゃん!」

「うるさいわねえ……笑ってないってば」

「意地っ張りめ!」

 

そう言いながら、てい、と声をあげ、蒼い髪の女性はフリスビーを黒髪の女性へと向け放る。あ、と声をあげる桃色の髪の女性。だが、その心配は全く無用だったらしい。優雅にベンチに腰かけたまま、黒髪の女性はまるで風を払うかのような仕草でフリスビーをキャッチする。蒼い髪の女性が口笛を鳴らした。

 

「……夕飯」

「え?」

 

黒髪の女性がゆっくりと立ち上がりながら、ぽつりと呟いた。不思議そうに首をかしげる蒼い髪の女性を、面白そうに目を細め見つめながら。

 

「このフリスビーをキャッチできなかったら、夕飯無しよ」

「そんな!」

 

ノーモーションから、時代劇の忍者が手裏剣を放つように、黒髪の女性はフリスビーを軽く放った。

 

高く高く、フリスビーは蒼い空へ向かって。

 

「ちょっとお!」

「すごい!」

 

抗議の声と感嘆の声。

 

軽く放ったはずのフリスビーは、一気に50メートル近くまで飛んだ。

 

「やば!」

 

風のように蒼い髪の女性が一気に駆けだす。笑いだして、身体が前にのめりだす黒髪の女性。その傍から茶色の物体が同じくフリスビーへ向かって駆けだした。

 

「ワン、ワン、ワン!」

「わ、モ、モカっ!あんた、取っちゃだめだって!」

 

大型犬が、蒼い髪の女性に追いつく。女性の悲鳴を聞いて、とうとう、桃色の髪の女性も吹き出した。「二人」の壮絶な争奪戦を見守ろうと、二人の女性は仲良くベンチに腰掛ける。

 

「あはは、もうさやかちゃんてば、相変わらずなんだから」

「そうね、モカちゃんの方がよっぽどお利口だわ」

「もう、ほむらちゃんてば…」

 

苦笑して、桃色の髪の女性が黒髪の女性を見つめる。黒髪の友人は出会った中学の頃から大層美しかったが、10年経った今では更に「恐ろしいほど」美しくなっていた。あ、と桃色の髪の女性――鹿目まどかは何かを思い出したように声をあげ、黒髪の友人の名を再び呼んだ。

 

「ねえ、ほむらちゃん、そういえばあれ…さやかちゃんにしてあげた?」

「あれ…?ああ、やったわ、だいぶ喜んでたわよ」

 

珍しく得意げな表情を浮かべ、黒髪の女性――暁美ほむらはまどかに微笑んだ。

 

彼女はだいぶ柔らかくなった――とまどかは思う。

 

ほむらは手で何かを撫でるような仕草をしながら、得意げに言った。

 

「たくさんブラッシングしてあげたから、毛並みも良くなったわ」

「え、さやかちゃんをブラッシングしてあげたの?」

「ええ」

 

実はほんの一週間ほど前、まどかが「飼い犬」の労わり方を伝授していたのだ。「可愛がって」「撫でてあげて」とは言ったが、ブラッシングまでは考えていなかった。

 

『頭皮が痒くてさあ』

 

やたら頭に手をやるさやかが不思議で、まどかはつい数分ほど前に質問したのだ。

その答えがこれだったのか。ふ、と思わずまどかは吹き出した。

 

「まどか?」

「あ、ごめんほむらちゃん、二人ともなんだかんだで仲いいなって…」

「そんなことないわ」

「そんなことあります」

「………そう?」

 

再びまどかは吹き出した。

 

「もう、ほむらちゃんてば…」

 

どうにもこの黒髪の友人は、自らの事に疎い傾向がある。不思議そうにこちらをみるほむらに微笑んで、まどかは視線を空へ向けた。

 

「…いい天気」

「そうね…」

 

「ほむら――!」

 

人一倍大きい声がして、二人は視線を空から外した。声の主はフリスビーを高々と掲げている蒼い髪の女性だった。

 

「まったく…空気を読まないのも相変わらずね」

「フフフ…」

 

取ったぞー、とまるで一昔前の漁師のように叫びながら、蒼い髪の女性はその場でぴょんぴょん跳ねていた。その傍でワン、と吠えながら大型犬も飛び跳ねている、おそらく「こいつと一緒に遊んでやろう」と思っているのだろう。

 

「こんな日がずっと続けばいいなあ…」

「続くわよ」

 

力強い黒髪の友人の言葉に、不思議そうに首をかしげるまどか。どうして彼女はこうも自信があるのだろう?

 

「そうなの?」

「そうです」

 

さっきとは逆で、今度はほむらがまどかに言い聞かせる。一本取られたとでも言う様に、「あちゃー」とまどかがおどけた。

 

「ほむらちゃんに言い負かされちゃった」

「たまにはいいんじゃない?」

 

そう言って、二人同時に微笑んだ。出会ってから10年、三人共だいぶ成長したとまどかは思う。このままずっとこうして三人で過ごしていければどんなにか――。

 

「10年かあ、早いねえ」

「そうね、でももう少しで11年になるわね」

「あ、そうか、もうすぐクリスマスだし、お正月も来るし…」

 

年を取れば取るほど時の流れが早いというのはこういうことか。

 

「ほむらちゃん達はクリスマスどうするの?」

「まだわからないわね、あの人の勤務日割次第よ」

「あ…そうか」

 

まどかは、大型犬と再びフリスビーの取り合いをしている蒼い髪の女性に視線を向ける。彼女は警察官なのだ。

 

「警察官は大変だね…」

「…そうなのよ、最近は出張も多くて、全然予定も立てられないもの」

 

肩をすくめて、口を尖らせるほむら。

10月にほむらの恩師の別荘に行くはずだったのに、それも結局は延期になった。

 

『あらあら、それはそれで楽しみが伸びたから嬉しいわ』

 

初老の女性は柔和な表情で、教え子に微笑んだ。年末か、あるいは新年早々お邪魔する予定なのだが、実はほむらは結構楽しみにしているのだ。

 

「へえ、やっぱ大変なんだ、タツヤに務まるかなあ…」

 

まどかは警察官を志している弟を案じる。

 

「大丈夫よ、あの人に務まるんですもの、タツヤ君なら余裕だわ」

「もう、そんなことないよ、さやかちゃんだってきっとすごい優秀だと思うよ?」

「…そうかしら」

 

だが、言葉とは裏腹に、まんざらでもない様子で嬉しそうに口元を緩めるほむら。

 

「でも確かに岡山さんが優秀だとは言ってたわ」

「え…おか…って、誰それ?」

「あら、まどかは知らなかったわね、あの人の上司よ」

「え…ほむらちゃんって、さやかちゃんの上司とお話するの?」

「ええ、たまにだけど」

「へえ…」

 

そう言って、ほむらはまどかがまだ見知らぬ「岡山さん」との会話を嬉々として語りだした。その内容は蒼い髪の女性の事ばかりで。

何故だか主婦にでもなったかのような錯覚を覚えながら、まどかはその話を聞き始めた。

 

*      *       *

 

 

「ふえ~、どうよ、モカ!私の勝利だからね」

 

得意げに蒼い髪の女性は笑みを浮かべる。その笑みが向けられているのは――

 

「ワン!」

 

まどかの愛犬、モカ。犬というのに、いや、犬だからか、とても温和で知的な目をしていた。「彼」の目に映し出されているのは、笑いかけている女性。

 

「なんだか、あんた私が喋っていること全部わかってそうね」

「ワン!」

「えへへ」

 

大人の女性らしからぬ無邪気な笑みを浮かべ、さやかは白い歯を見せた。そうして今度は視線をベンチへ向ける。ほむらとまどかの二人は何やら楽しげに話していた。会話が弾んでいるようだ。目を細め、口元を緩めるさやか。

 

「えへへ、善きかな、善きかな」

 

古臭い、まるで仙人のような言葉を呟きながら、さやかはモカの頭を撫でた。

 

「さ、モカ、あんたの飼い主と私の…相方のとこへ戻ろうか?」

 

くうん、と気持良さそうな声をあげて、モカはさやかと共に歩きだす。

 

「危ないわ…もう少しで「飼い主」と言うとこだったわ…」

 

ふと、さやかが誰ともなしに呟いた。

 

*      *      *

 

さやか(とモカ)が二人の元に到着すると、何やら申し合せたようにほむらとまどかがさやかに笑顔を向けた。

 

「え、何?」

「さやかちゃん、聞いたよ」

「な、何を?」

 

まどかの満面の笑みと相方の妖艶な笑顔を眺めながら、さやかは何やら嫌な予感がする。

 

「ほむらちゃんにしてもらったんだって」

「してもらったって…」

 

さやかの心拍数が一気に増える。相方にしてもらったことなんて、身に覚えがありすぎて何を指しているのか全くわからない。

 

「ひ…」

「ひ?」

「膝枕」

 

さやかの顔がみるみる真っ赤になる、とうとうこらえきれず白い歯を見せて笑うほむら。

 

「ほ、ほ、ほむらっ…あんた!」

「あら、私はまどかに対して秘密なんて持ちたくないもの」

「こ、この、ぬけぬけとっ…!」

 

――秘密なんて抱えきれないほどあるくせに!

 

「さやかちゃん、私もしてあげようか?」

「ひい、は、恥ずかしいからやめて!」

 

顔を隠しながら、身悶えするさやかの仕草が可笑しくて、ほむらとまどかは笑いだす。ついでに一匹も吠えだした。

 

どうのこうの言いつつ、この三人(と一匹)は結構幸せらしい。

 

*******

『君は何故、警察官を志したのだね?』

『悪を撲滅したいからです』

 

蒼い瞳が異様なほどの輝きを放った。面接官の男はただ、呆然と彼女の顔を見つめていた。

 

*         *       *

 

フ、と初老の男が口元を緩める。怪訝そうにその顔を見つめる「特徴の無い」男。

 

「どうしたんですか、人事課長」

「ああ、この顔を見ていたら当時の事を思い出して…」

 

人事課長の視線を追う様にして、「特徴の無い男」も会議室前方のプロジェクタースクリーンを見つめる。そこには一枚の人事記録が映し出されていて、顔写真がアップになっていた。蒼い髪の美しい女性が二人を睨んでいる。

 

「……今にも噛みつきそうな顔ですな」

 

ペンションで会った時とは大違いだと「特徴の無い」男は思った。

 

「ああ、面接の時はもっとすごかったよ」

 

二人の男、「人事課長」と「特徴の無い男」は週末の昼下がり、誰も出入りしない署の会議室で「美樹さやか」の人事記録を眺めている。パイプイスに座った、恰幅のある初老の男は傍で立っている「特徴の無い男」――ゼロに顔を向けた。

 

「…君は何を知りたいんだね?」

「……全てです。美樹さやかが何を考え警察官を志したか、彼女の性質、趣味、思考、行動指針、人間関係…」

「引き抜きか?」

 

低い声で人事課長が呟く。ゼロはただ肩をすくめ、囁いた。

 

「採用当時、面接官は貴方でしたね、人事課長」

 

うまく話しを逸らされたが、特に気を悪くする様子もなく、人事課長は、ああ、と返事をした。

 

「確か、警察官を志した理由が「悪の撲滅」だと聞いてますが」

 

ゼロの言葉にフフフ、と人事課長は笑みで返した。彼にとってもかなり愉快な記憶らしい。

 

「ああ、まさかあんな若者から、子供のヒーロー漫画のような台詞を聞くとは思わなかったよ」

「凶暴性のある、危険思想に繋がる発言だとは思いませんでしたか?」

「いいや」

 

初老の男は自信満々で言い切った。

 

「社会正義のため、市民の平和を守るため、人の役に立ちたい、エトセトラ、エトセトラ…、採用されようと若者は平気で偽善ぶった嘘をつく。職を得るためだ、それが悪いとは言っていないが、今の世の中、偽善が多すぎるんだよ」

 

ほお、とゼロは感心したように人事課長を見つめる。伊達に警察職員の人事に関する裏仕事をやってきたわけではないようだ。

 

「だが彼女は違う、彼女は心の底から社会正義を成すために警察になろうとしていたんだ。」

「直感というやつですか」

「ああ」

 

直感や、感情的なものに対して、実は警察は軽視はしていない。むしろベテランの勘や、鼻が利くなど、理論で説明のつかない何かを信じる傾向がある。

 

「正義のために身を滅ぼす刑事が昔はたくさんいたものさ…彼女もその一人だと思った」

「だから他の面接官も説得したんですね」

「ああ、だが他の面接官の点数も基準を超えていた、不正ではないよ」

 

あの「撲滅」の発言を危惧した他の面接官が、採用について論議しようと持ちかけたところ、この人事課長に猛反対されたというのは、実は調査済みだった。

 

――よし、次の質問に移ろう

 

「課長、彼女が「見滝原市――ビル風俗店殺人事件」の通報者であることも知っていましたよね」

「ああ、それがどうした?」

 

――さすがだ

 

ゼロは満足気に笑みを浮かべる。この初老の男はただ者では無い。

 

「当時、ビルの警備にあたっていた暴力団員と、店の商品として少女を誘拐した別の暴力団員のメンバー、そして街のホストが抗争の末、殺されています。数人の遺体はまるで獣に喰い荒されたように無惨な状態で」

「…あの時は、「君達」も暗躍していたな、マスコミを抑えるために」

「ええ」

 

謎の多い、損傷の激しい遺体。非合法な風俗店で監禁された少女。人を人とも思わぬ残虐極まりない事件。これらをすべてありのままマスコミが世の中に流したら、もう手がつけられない。国の秩序のためにゼロは動くものだ。全ては大義のため。

 

「…その時、監禁及び暴行を受けた少女は中学生、当時、美樹さやかは高校生、精神的ダメージはかなりのものだと思われますが」

「身辺調査、心理テスト、いずれの結果でも、彼女にPTSD(心的外傷)の傾向はみられなかった。問題はない。」

「本当に?」

「どういう意味だ?」

 

ゼロはにやりと笑い、人事課長に近づいた。

 

「彼女のここ一年の素行を調べさせてもらいました。確かに優秀だ。検挙率も高いし、取り調べでも確実に相手を「吐かせる」ことができる…だが、時折、突発的に怒りをコントロールできない状態になる、恐ろしいほどに」

「それが問題なのか?」

「ええ、大ありです。精神的コントロールが不十分な警官に「現場」は向かない、「適切な部署」へと迅速に異動させるのが、人事課の務めでは?」

「なるほど――この私を脅迫かね?」

「いいえ、進言です」

「食えない男だ」

 

――美樹さやかの素行については、ただの「名目」だ。この男の狙いは――

 

「公安へ異動させたいんだな?美樹さやかを」

「はい」

 

敬意を払ったつもりか、ゼロは素直に肯定した。

 

「なんのために?」

 

だがこの質問には答えない。しばらくの沈黙の後、特徴の無い男はニヤリと笑い、そして口を開いた――。

 

********

 

その日は彼女にとっては「特別」な夜だったのかもしれない。

 

「もう嫌だ――」

 

薄暗い路地裏のアスファルトの上で、蒼い髪の少女は月を見上げて慟哭していた。蒼白い闇にぽっかりと浮かぶ半月に向かって。

 

「どうしてこんな――」

 

その町の高校の制服を身に着けた彼女は、その腕に少しだけ幼い、中学の制服を身に付けた少女を抱きしめていた。抱きしめられた少女の方は昏睡状態のようで、蒼い髪の少女の胸にもたれ目を閉じている。その制服は所々引き裂かれ、身体には擦過傷や打撲痕があった。

 

――この子が何をした?

 

蒼い髪の少女は嗚咽しながら腕の中の少女を強く抱きしめる。彼女達の周囲には陰惨な光景が広がっていた。

 

無惨に横たわる黒服の男達の死体と派手な服を着た男達の死体。

 

 

繁華街の路地裏にあるこのビルは、裏社会御用達の非合法な店だった。蒼い髪の少女の腕の中にいる少女は暴力団員によって攫われ、この店の「商品」として運ばれていた。少女がどれだけの「暴力」を受けたのか、蒼い髪の少女は聞くことはできなかった、ただこうして抱きしめるだけ。

しばらくして、その思い詰めたような視線は、派手な服装の男達の遺体に向けられた。先ほどまで、少女は彼らと戦い、そして手にかけた。否、実際は「死んだ彼ら」を手にかけたのだ。彼は「魔獣」と融合していた。

 

――くだらない

 

「魔獣の駆除」という使命を持つ蒼い髪の少女であったが、すでに魔獣など、もうどうでもよくなっていた。それよりも、この「現実」が――人が人を悲劇のどん底へ突き落とすこの現実が彼女の心を完膚なきまでに押し潰していた。

 

――魔獣なんて、魔法少女なんて、そして円環の理なんてくだらない。今ここにある現実こそが「全て」なのだ。

 

少女の価値観はこの瞬間から大きく変わった。

そしてその人格も――

 

『この店の地下室にもう一人いる…二人を助けてやってくれ』

 

はっ、と蒼い髪の少女が顔をあげる。幻聴だ、だがしかし、それはつい先ほどまで泣いていた彼女を叱りつけてくれた暴力団員の声だ。ゆっくりと視線を地面へ落とし、息絶えたその男を見つめる。死の直前に改心した哀れな男を。

 

「行かなきゃ…」

 

蒼い髪の少女はぽつりと呟くと、腕の中の少女を解放し、立ち上がる。不安げに見上げる少女。

 

「どこ行くの?」

「…大丈夫、すぐ戻るから」

 

蒼い瞳を揺らしながら、それでも優しく囁くと少女は立ち上がった。価値観が、そして人格が変わろうとも、変わらない確固たるものが彼女の中にはあった。

 

ジャリ…

 

音を立てながら、ゆっくりと彼女は悪趣味なドアへと近づく。そうして開店前のためか人の気配の全くない非合法の店の中へと入っていく。

 

地下へと続く階段はすぐに見つかった。

 

暗い…まるで地獄へ繋がるような階段、いや、地獄よりももっと救いようのない、無垢な魂が理不尽に、非情にも破壊されていくその場所へ少女は向かう。

そしてその先には――

 

*      *      *

 

何かに揺られて、美樹さやかは目を覚ました。

ぼんやりとした視界に映るのは、恐ろしいほど美しい長い黒髪の女性。

 

「……ほむら」

 

名前を呼ばれた彼女の相方は、その端整な顔をほんの少しだけ歪めて囁いた。

 

「またうなされてたわ」

「…そう」

 

さやかは少しだけ上体を起こし、自らの顔に手をあてた。

べっとりと、汗とそして涙で手が濡れた。ほむらがゆっくりとベッドから降りる。

 

はあ、とさやかはため息をついて、手で顔を撫でるようにして、汗をぬぐう。

 

――もう何度目だろう、この夢でうなされるのは?

 

「はい」

 

相方の声にさやかが顔をあげると、目の前にはコップがあった。ほむらが水を持ってきてくれていたのだ。

 

「ありがとう…」

 

手をゆっくりと伸ばしてコップを受取る。

こうして悪夢を見る度、黒髪の友人は水を持ってきてくれるのだ。時には苛立ちながら、そして時にはこのように、心配そうな表情で。

 

「ねえ」

 

水を飲みほしたタイミングで、ほむらがまた声をかける。さやかが顔をあげると、

長い睫毛の下にあるアメジストの瞳が妖しく輝いて、さやかを見下ろしていた。

 

「何…?」

 

夜明け前の闇の中、ほむらの瞳は輝きを発し、まるで発光しているかのようだ。

 

――綺麗

 

普段、次第に人として丸くなっていくほむらを見ていると忘れがちになるが、相方は人外なのだと、こういう時に思い知らされる。さやかはただ、その瞳に見惚れるばかりで。

 

何故だか、彼女はいつものように、笑うことができなかった。

 

「もう…いいわよね?」

「え?」

 

思い詰めたようなほむらの目。

 

「話して頂戴」

「……」

「あの時のこと」

 

――ああ、そうなのか

 

雨の中、ほむらの足元で蹲り泣いているさやか

 

――彼女は

 

「一緒に暮らして――」

「………うん」

「もう8年よ」

「……」

「私がそんなに信用できない?」

「そんなこと…ないわ」

「じゃあ話して……」

 

ほむらはさやかの傍のベッドの端に腰かける。その横顔はいつも通り、恐ろしいほど綺麗で。さやかが見惚れていると、ゆっくりとこちらへ顔を向けてきた。アーモンド型の目を細め、美しい唇を微笑みの形にして。

 

「もう…いいでしょ?」

 

さやかは息を飲む。

こんな相方の表情は初めてだった。優しく、儚げで、それでいて強い決意。

前言撤回――彼女はこんなにも……人間なのだ。

 

「ほむら…あんた…」

「知りたいのよ、あの時何があったのか…いいえ」

「……」

「本当は、何があったかなんて興味無い…」

「………」

「貴方のことが知りたいの」

 

さやかの心臓が止まった。

 

「ほ…」

 

相方の名前を呼ぼうにも声が出ない。息をしようと口を開けた瞬間、嗚咽が漏れた。

視界がぼやけたのは、涙が溢れだしたから。さやかは子供のように――泣いた。

 

白い手が伸びて、蒼い髪に触れる。

 

「馬鹿ね……」

 

そうして手は優しく、とても優しく頭を撫でた――。

 

 

*********

日が昇る。

二人のマンションの窓にも明かりが射してきた。

 

広いリビングに置かれている大きなベッドには、家主である黒髪の美しい女性と、同居している蒼い髪の女性が眠っていた。互いを支え合うかのように寄り添って。

 

「ん……」

 

蒼い髪の女性が身じろぎして、目を開けた。

 

「……」

 

しばらく肩にもたれている黒髪の女性の顔を見つめる。

疲れたように眠っている、美しい女性――。

昔のように、彼女の目もとにはうっすらとくまができていた。

 

――私のせいだ

 

蒼い髪の女性はその目もとに手をやり、優しく撫ぜた。

さきほどまで、二人は激しい「行為」に没頭していた。そして黒髪の女性は蒼い髪の女性の「全て」を受け入れたのだ。疲れきった黒髪の女性の顔が、いかに激しかったかを語っていた。

 

「ほむら」

 

蒼い髪の女性は眠っている女性に語りかける。

 

「私…あんたのためなら、なんだってやるわ…」

 

そうして、黒髪の女性が起きるまでずっとその顔を見つめていた。

 

 

*        *       *

 

ビジネスホテルの一室で、男は目を覚ました。公休返上の裏仕事が続く時、彼は家に帰らずいつもそうしていた。

準備をすませ、スーツ姿になると、渋い面持ちで窓から無機質な景色を眺める。

 

『公安へ異動させたいんだな?美樹さやかを』

『はい』

『なんのために?』

 

男――人事課長は苦々しげに口元を歪める。

昨日会った「特徴の無い」男の「答え」がしごく曖昧で、そして不安を与えるものだったから。

特徴の無い男――ゼロは男にこう答えた。

 

『犬に』

『何?』

『彼女にはなってもらいたいのですよ…「公安の犬」に、ひいては、公安が我が国の「犬」であることを証明してもらいたい』

 

にやりと笑う男の歯には発達した犬歯があり、それが余計に「犬」を想起させた。

 

一体何に対して、「犬」であることを知らしめたいのか、そして何のために美樹さやかを公安へ引き抜きたいのか。

 

――私の想像を遥かに超えた何かが起こっている。

 

そして――人事課長のこの直感は当たっていた。

 

 

END

 





拙作、お読みいただきありがとうございます。
警察もの元々大好きで楽しく描かせて頂きました。下手の横好きですが…(捏造設定ですので、現行の警察組織とは微妙に違います。そこはご了承ください。また警察関係に詳しい方から見ると「こんなものあるか!}と思われるかもしれませんが、そこは温かく見逃して頂ければありがたいです)

私の妄想ですが、美樹さやかはその性質から警察官を志しそうだなあと思っています。まっすぐな正義感を持ち、そして優しさからくる「もろさ」。後に他の作品でほむらが言及しますが、「向いていて、そして向いていない」というのが一番的確だなあと。その辺りをもっと書いていきたいと思っています。


それでは、感想等ありましたら妄想の糧になりますので嬉しいです。お気軽によろしくお願いします。
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