明けた夜に(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
8年前の出来事を巡る二人の確執と未だ名前の付かない感情。「犬の証明」の前日と、その直後のお話。甘甘です。
元々ほむらは仲間想いなので行動を共にするようになったら、そして寄り添うように生活を共にすることになったらこんな風に相手を思いやるのではないかと考えています。
美樹さやかが時折うなされているのを、傍で何もせず見つめるのはもう嫌だった――。
「……さやか?」
闇夜の中、恐ろしいほど美しい女性がベッドの中で相方の名前を囁く。ほんの数分前まで言葉を交わし、寄り添い合って眠りについた、傍らにいる蒼い髪の女性の名前を。
「……て、………が…」
「……どうしたの?」
なにやらうなされている。背中を向けている相方の顔を見ようと、黒髪の女性――暁美ほむらは身体を起こした。そうして覗き込むように蒼い髪の女性――美樹さやかに覆いかぶさる。長い艶のある黒髪がうなされているさやかの顔に垂れた。
「さやか」
「…いわ……を………!」
痛みを堪えているような表情から絞り出すような呻き声。ほむらはそっと白い指を相方の頬に這わせた。同時にひと際大きな呻き声をあげて、さやかは身をよじり、ほむらの手を払いのける――無意識だ。
「………」
ほむらは跳ねのけられた手を不思議そうに見つめ、そうして次にうなされている相方を見つめた。ゆっくりとその手を強く握る。
はあ、
ひときわ大きくため息をついて、ほむらは再び白い手を伸ばし、相方の頬に触れた。
今度は跳ねのけられなかった。なぞるようにして白い細い指がその頬を撫でる。
「………、………を」
呻き声が次第に小さくなり、しばらくしてさやかはおとなしくなった。規則的な寝息。
目を細め、ほむらは相方を見つめる。その手はスライドし、蒼い髪へと移り、ゆっくりとその髪を優しく撫ぜた。
「殺したくなるわね…」
物騒な台詞をその美しい唇から漏らしながら、ほむらは細い腕を伸ばし、さやかの身体を後ろから絡めるようにして抱きしめた。そうしてその背中に顔をつけると、気持よさそうに目を瞑る。
「ほんと、いらいらするわ…」
不穏な空気に包まれていた部屋に静寂が訪れ、やがて二人分の規則的な寝息が聞えるようになった。
* * *
二人がこの世界で共闘するようになったのは、8年前のあの日からだ。そして、はじめてお互いに名前を呼び合った日でもあった――。
『ほむらごめん――』
あの日、雨の中、さやかは打ちひしがれた犬のように、ほむらに謝罪し続けた。土下座のように地面に座り込んで、何かを探しているかのようにさやかは手を這わしていた。見滝原高校の制服はびしょ濡れだった。
『何があったの、美樹さやか?こんな――』
傘を差した黒いドレスの少女は珍しく困惑した表情を浮かべ、足元にうずくまった蒼い髪の少女を見下ろしていた。
『らしくないわ、貴方…』
このような事態は初めてだ。悪魔となって、改変したこの世界を遠くから傍観する。それが彼女の己に課した使命、全ては桃色の髪の少女のために…。
それ以外はどうでもよかった…はずなのに、今は目の前の、うわごとのように謝罪を続けている少女から目を、心を離せない。
『私が悪いんだ…あんたをこんなにしたのは…私が…私達が…』
ほむらの目が見開かれた。
『貴方…思い出したの?』
だがさやかは答えない、ただうわごとのように、ほむらの名前と謝罪を繰り返す。
尋常じゃない。
『さやか…』
そして次の瞬間、まるで枷が外れたように、ほむらは勢いよくしゃがんで、さやかの背中に触れた。
『……何があったの?』
自分でも驚くような優しい声。だがさやかは語らない。その背中をほむらは優しく撫でた。まるで昔からそうしていたように。
『何を見たの?おかしいわ、貴方がこんな風になる記憶なんて無いはずよ』
『あんたより』
『え?』
『人間の方が、悪魔なんかより、人間の方が…』
――人間?
悪魔である自分でも伺い知ることのできない「何か」にさやかは遭遇したとでもいうのだろうか?魔法少女の世界とは違う、「何か」に?
『…立って』
ほむらは囁いた。ゆっくりと顔をあげるさやか。その顔は涙と雨で濡れていて。さやかが何を見たかも気になった、だが、何故かその時ほむらは
『とりあえず、家に来なさい』
さやかの蒼い瞳が動揺で揺らめいた。
* * *
――何故、あの時そう言ってしまったのか
洗面台の鏡を見つめながら、ほむらは問う。
だが、成長した、目の前の大人の女性は何も答えない。ただ、その美しい顔が困ったように歪むだけ。
――何故、あの時連れ帰ってしまったのか
再び問う、答えはでない。
ぱしゃり、と乱暴に水音を立てて顔を叩く、一気に覚醒する。
――何故あの時……
そうしてまた繰り返す、いつもの問いを
――受け入れてしまったのか
目の前の大人の女性は、ほんの少しだけ口元を緩ませた。まるで自嘲するように。水が光を吸収して、濡れた前髪がきらきらと輝いていた。
「――ほむら?」
視線をあげると、鏡の向こう側に同じく大人に成長した蒼い髪の相方が立っており、こちらを見ていた。
「あら、お目覚め?」
水を滴らせながら、優雅にほむらは振り返った。さやかはこくりと頷きながらタオルを差し出す。タオルを顔に押し付けるほむらを心配そうにさやかが見つめる。
「あんた…どうしたの疲れてるみたい」
「え?」
タオルから顔を離し、ほむらが不思議そうにさやかを見上げる。
しばらく見つめ合う。ベッドの中以外で間近で見つめ合うのは久しぶりだった。
ふ、といきなりほむらが口元を緩め小さく吹き出した。
「え…なに?」
「お間抜け…」
「はあ?」
睨む相方の肩を軽く叩いて、ほむらはくすくすと笑った。
「貴方の垂れ目変わってないわね」
「そこ?」
笑いながら、ほむらはタオルをさやかに渡す。渋い表情で受け取るさやか。確かに彼女は美しく成長していたが、10年前の面影もまだ色濃く残っていた。人の良さそうな垂れ気味の目も昔と変わらない。
「ったく…人が心配してんのにさ」
「貴方こそ」
「え?」
再び目があった。アメジストの瞳がさやかの戸惑った顔を映し出す。さやかは何故か頬を赤く染め、視線を逸らした。だがほむらがさやかの腕をしっかりと掴み、身体だけは離せない。
「うなされてたわ」
さやかの身体が強張った。
「……何を見たの?」
「…………」
さやかが沈黙で返す。はあ、と息を吐くほむら。
「貴方がうなされているのは、今、ここで起きた事象じゃない」
言葉を続ける。
「8年前のあの時のことよ」
揺れる蒼い瞳。
長い沈黙が起きる。
しばらくして最初に口を開いたのは黒髪の女性。
「………いつまで続ける気?」
「え?」
真意をつかみかねて、さやかが首をかしげる。
「8年間、あれから貴方はずっとうなされ続けている」
「……」
「いらいらするのよ、勝手に傍でうなされて、勝手に寝ついて…だから」
「……」
「……いらいらして、貴方を殺したくなるわ」
ぞっとするような美貌がさやかの顔に接近した。ほむらの切れ長の目が見開かれ、アメジストの瞳が光を帯びた。悲鳴をあげながらさやかが右脚を床につける。ほむらの手が万力のようにさやかの腕を締め付ける。軋む音。
「ほむら…やめて、折れ…」
「折るわよ、私なら簡単にね」
「痛……!」
更に悲鳴があがる。
――彼女は本気だ
さやかの身体に悪寒が走る。時折、二人の間で軋轢が起きほむらが「力」を放出することがある。それは価値観の相違での仲違いだったり、あるいはさやかが戦闘の際「甘さ」が原因で大怪我をした場合。だが、今、何故彼女が本気を出しているのかがわからない。苦痛で顔を歪めながら、さやかは相方の真意を読み取るためその名を呼んだ。
「ほむらどうし…」
見上げたさやかの瞳が揺れる。
相方の顔が泣きそうなそれになっていたから。こんな表情は見たことが無かった。
「ほむら…」
「……私には言えないの?」
絞り出すような声。
「ずっと一緒にいるのに…行動しているのに…私には言えないって訳?」
「違う…わ、そんなこと…いっ…!」
「じゃあ、杏子になら言えるの?」
「杏子?」
――なんで杏子が?
「言えるわけないわ…それに…」
伝えなければいけない――この「想い」を
さやかは必死に言葉を紡ぐ。
「それに…私にはあんたしかいない」
ほむらの手の力が緩んだ。
「あんたがいなければ、私はもうこの「世界」でやっていける自信なんてない……あの時、あんたは何も聞かず家に入れてくれた、ずっと一緒にいてくれた、感謝してる…ううん、全然、感謝してもまだ足りないくらい…だって」
いつになくさやかは饒舌だった。だが事実だ、あの時ほむらが受け入れてくれなければ美樹さやかは正気を保ってこの世界にはいられなかったから。そうして魔獣と融合した人を殺すという事実に耐えながらここまでやってこれなかった。
「どうでもよかった…あの時の私はもう魔法少女も、魔獣も、そして悪魔もどうでもよくなっていた…だって、あの時私は――」
私は――
言葉がついえた。さやかの口はただぱくぱくと魚のように動き、声は発していない。
「さやか」
ほむらの手から完全に力が抜けた。崩れ落ちるようにさやかは洗面台の床にしゃがみこむ。
激しく肩を上下させながら、荒い息でさやかは囁いた。
「………お願い、信じて…」
ほむらもゆっくりとしゃがみこみ、床を見つめている相方の顔を覗き込んだ。しばらく無言で見つめ合う。あの雨の日のように打ちひしがれた表情のさやかと少し切なげな美しい悪魔。再び視線を逸らし、さやかが伏し目がちに囁いた。
「……あの時の事を話せるのはあんたしかいない…でも…今は」
「怖いのね?」
はっ、とさやかが顔をあげる。そこには穏やかな表情の相方がいて。
――理解されている
さやかは悟った。何故こうも、彼女は全てを知りえるのだろう?
「馬鹿ね」
さやかの頬にほむらの白い指が触れる。額が合わさった。目を瞑るさやかと開くほむら。
相方の安堵の吐息を聞いて、ほむらは口元を緩めた。
「それを言えばいいのに…」
「だって…」
「だってばっかり」
くすくすとほむらは笑う。張り詰めていた空気は解けた。ゆっくりとほむらがさやかの肩に腕を回す。
「それじゃあ、私も言うわ」
「え?」
「ごめんなさい」
目を開けたさやかの視野に美しい相方の顔が映る、そして唇に柔らかいモノが触れた。
――それから数日後、美樹さやかはほむらに真実を語った。
*******
「ほむら」
溢れる陽光の下、二人はベッドで生まれたままの姿だった。不思議そうに覗きこむ蒼い瞳をほむらは面白そうに眺めた。
「……起きてるわ」
そう言って、仰向けのまま、ほむらは手を伸ばし相方の頬に触れた。目を細めて嬉しそうに微笑む相方は、まるで飼い主に撫でられた犬のようで。
「貴方、ずっと起きてたの?」
「ううん、ちょっとだけ前よ…」
「そう…」
ほむらはゆっくりと身体を起こす。身体が異様に重たかった。
「大丈夫?」
「ええ…」
フフフ、とほむらは笑う。その目にはくまができていた。美しい容貌に刻まれたくまは過去、彼女が悪魔と化した当時のようで。
「貴方がいつになく「激しい」から、身体が重たいわ」
「それは…」
申し訳なさそうな相方を見て、またほむらは笑った。疲れ切った顔に、爽やかな笑顔。不思議と心は晴れやかだった。目を細め、ほむらは相方の髪に触れた。
「いいわ…貴方が話してくれたのだから」
そう、昨夜蒼い髪の相方は真実を語ってくれた。「あの時」何を見たのか、そして何がおきたのか。事実は――あまりにも凄惨過ぎた。
「どうでもよくなるわけだわ……」
確かに、魔法少女など、魔獣など、ましてや悪魔などどうでもよくなる。だからこそ、相方は全てを思い出してもほむらを悪魔と糾弾することもなく、ましてや対立することもなかったのだ。むしろ縋るようにほむらに泣きついてきた。理解者は彼女しかいないと本能的に感じて。
「ねえ、あんたの目…くまができてるわ」
「ああ、これね」
ほむらが己の目の下に指をあてる。そうしておどけるようににやりと笑った。
「貴方のせいでまた悪魔になったわ」
「え?……ああ」
今度は同時に笑みを浮かべた。しばらく見つめ合ったあと、ほむらが呟いた。
「どうして…こんなのを拾って帰ってきたのかしらね」
「ひど…」
ほむらは微笑みながら、さやかにもたれた。
「本当よ…」
さやかの手がほむらの背中に回される。
「私はずっと考えていたわ、何故貴方を連れ帰って来たのか…それに」
「それに?」
「何故貴方を受け入れたのか」
「どうして…?」
ほむらの耳元でさやかが聞いた。艶のある唇をそっと開いてほむらは囁いた。
「内緒よ」
きょとんと目を開くさやかの頬に軽く唇をあてて、ほむらは笑う。
「今度は私が秘密を持つ番よ?」
そう、彼女はようやく気付いたのだ、何故蒼い髪のこの女性を受け入れたのか。だが、そう簡単に教える気は無かった。何故なら――
「いつ…教えてくれるの?」
「さあ?」
貴方次第よ?
そう囁いて、相方を誘うようにほむらはまた仰向けに倒れた。固く二人の手は重なって。
――恋は駆け引きだからだ。