明けた夜に(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
「よお、久しぶりだな」
人事課長は目を丸くした、もう何年も会っていない旧友にいきなり会えたからだ。
「岡山――」
バリトンの声で課長は囁いた。その声には僅かだが弾んだ調子が含まれていて。
彼の目の前には昭和の名刑事と呼ばれた白髪の男――岡山が立っていた。スーツの上に淡い卵色のコートを羽織った岡山は、更にずかずかと二三歩進み、人事課長のデスクの前に立った。人事課長は特に動揺することもなく、むしろ嬉しそうに岡山を見上げる。
「見ない間にずいぶん年取ったなあ…」
「おめえもだろ?あ?」
人事課長に乱暴に言葉を返し、岡山はニヤリと笑った。
まだ業務が始まったばかりの○県警本部の人事課には、人事課長と係長しかいない。そこに岡山がいきなり現れたのだ。白い無機質な室内は、岡山の登場のせいか、いつもの雰囲気とはがらりと変わり、どこか緊張を含んだ殺伐としたものに変わっている。細面の係長――平野は一昔前の名刑事の称号を得た男をそっと見つめていた。彼は――岡山はかなり有名な男なのだ。
――本物だ
と平野は思った。彼の上司である課長もそうだが、岡山もまた、いやそれ以上の風格を漂わせている。180㎝以上はあろうかという身長に骨太な大柄な体躯。昔ならば美丈夫と言われただろう容貌は、今は長年の苦渋に満ちた人生経験から皺にまみれ、日によって浅黒くなっていた。浅黒い肌に白い髪はさながら熟練の漁師のようだ。長い睫毛の下の灰色の瞳が射るように人事課長に向けられている。
「……正直に言え、何を企んでいる?」
「さあ?」
鋭い衝撃音と共に、人事課長のデスクの書類が床に散らばった。岡山の拳がめり込むようにデスク中央に置かれている。
「ざけんなよ、このボケがあ…」
「おいおい、久しぶりに会ったらこれかよ…平野!」
いきなり名前を呼ばれ、細面の係長は慌てて立ち上がる。
「悪いが外してくれないか?」
「は、はい!」
勢いよく執務室から部下が出て行ったのを見計らって、人事課長は腕を組んで岡山に向き直る。室内は二人きりになった。特に動揺することなく涼しい顔で人事課長は目を細めた。まるで学校で起きた軽いいざこざに対応する生徒会長のように。だが、涼しい表情はそこまでだった。彼は一気に豹変した。ゾッ、とするような冷気に包まれたと岡山は感じた。彼の――人事課長の温和だった顔が全くの別人のように変貌したのだ。冷酷な三白眼が岡山を見上げ、そうして冷笑を含んだ口元が気味悪くV字形に歪んだ。
「礼儀を知らない奴は○○湾に永久に沈めてもいいんだぜ、銀ちゃんよぉ…」
「けっ」
胸糞悪い、と呟きながら岡山は拳を納めた。そうして舌打ちしながら人事課長に吐き捨てるように言った。
「おめえ、その顔やめろ、反吐が出る」
「そうかい?」
瞬時に元の温和な顔に戻る旧友を見て、薄気味悪いやろうだ、と素直に岡山は思った。一見人事課は事務屋か世間知らずなエリートが出世しそうなコースだが、実は全く違う。他の課のどこにも「属さない」裏業務を請け負うのも実は人事なのだ。岡山の旧友は確かに温和であった、「表」の部分は。
「ったく、伊達にマル暴に10年いた訳じゃねえなあ」
「だろ?」
機嫌良く人事課長は笑う。そう、彼はマル暴で10年間主任を務めていたのだ。岡山よりも長い間。あきれたようにため息をつく岡山。
「……おめえ、ここには似合わねえよ」
「あいにく気に入っているんだ」
そう言って、人事課長は立ち上がり、岡山に背を向け窓の外を眺めた。
「……警察のどのセクションよりも、ここは奥が深い」
「そうだろうよ…まあ俺には関係ねえ」
「関係ないのに何故ここに来た?」
「部下をみすみす余所に渡したくねえ」
ふふ、と人事課長は肩を揺らした。ゆっくりと岡山の方へ向き直る。意外にも真摯な表情で。
「岡山…もう無理だ、この流れは止まらない」
「公安か?それとももっと「上」か?」
「………正直に言う、わからない」
「なんだと?」
ため息をついて人事課長は再び席に着いた。
「レアケースだよ、公安が直接頼み込んできた「引き抜きたい」と、そして理由は「語らず」だ」
「……あいつはまだ新人だ…潰す気か?」
「それもわからない、潰すのか、それとも機密事項要員にするのか、何も」
「…まだマル暴の潜りの方がマシだ…くそ」
歯ぎしりする岡山を見て、人事課長は囁いた。
「なあ、岡山…お前もわかるだろ、お前だって公安にしばらくいたはずだ」
「ああ、よく知ってるよ」
名刑事の称号を得たこの男は5年間、公安に所属していた。
「糞みたいな所だったよ」
「ああ、よく言ってたな」
くすり、と人事課長が笑った。彼の――岡山の馬鹿正直な所が気に入っているのだ。
「なあ、岡山…お前考えてみろ、その部下を…どうしたいのか」
「何?」
「庇護したいのか、それとも育てたいのか?」
「………」
「確かに糞みたいな所かもしれんが、だが、お前さんだってそこにいたはずだ、何か身についたこともあったはずだ」
「なんだよ、そりゃ、お偉い校長先生かおめえ」
「黙って聞け…どっちに転んでも、もうお前の部下は俺とお前の預かり知れぬところで「目をつけられている」ってことだ。だとしたら庇護する方法はただ一つ」
「………死中に活を求む、か」
「ああ」
ご名答、と頷くと、人事課長は言葉を続けた。
「それに育てることもできるだろ?…可愛い子には旅をさせろ、だ」
「お前…」
岡山の表情が和らいだ。それに答えるように目を細める人事課長。
「なあ岡山、俺だって心配してるんだよ、あの時面接官をしたのは俺なんだから」
激しい怒りを抑えた、若い女性の顔を人事課長は忘れたことはなかった。
「こんな腐った世界でも正義はあるんだ…そう思いたかった」
「おめえがあいつを採用したせいで、俺はこの年で小便くさいガキの世話をすることになったんだよ」
「おいおい、濡れ衣だ」
いい大人が二人同時に吹き出す。張り詰めた空気は消えた。
「……首が飛ばない程度で援助はする」
「ああ、頼んだぜ。それと早速なんだが「リクルーター」の表所属を教えてくれ」
「……おい、もめるなよ」
「大丈夫」
そう言って、岡山は歯を見せて笑った。
「ちょっと、脅すだけだ」