ある日の昼前のこと。いつものように縁側で心を休ませていた。気持ちの良い天気が続く。いつもこうだったら良いのに。しかし、もう少しで雨の季節がやってくる。
雨は嫌いだ。雨の音は好きだけど、服が濡れるのが好きじゃない。今度、傘でも作るかな。
よっこらせっと! 俺はおもむろに椅子から立ち上がる。そろそろギルドへ向かわねば。何かめぼしいクエストがあるかも知れないし、気分転換も兼ねて出掛けよう。今日はゴブリンスレイヤー達は休みだって言ってたし、クエストには一人で行くことになりそうだけど。
準備するか。
俺は自室で外出着に着替え、自宅の前へとやってくる。鍵をかけ目的地へと向かった。
まだ鳥達の囀りが耳に響く。これが虫の騒音になると思うと憂鬱だ。あれだけはどうしても慣れない。あいつらも生きるのに必死だとはいえ……。どうにかならないものか……。
やべぇな。さっきから愚痴ばっかだ。
何のために出掛けてるんだ。今は忘れて散歩を再開しよう。
ん? あれは……。女の子?
ふと、自宅の並木道を抜けると手前で泣きじゃくっている子どもが目に入った。
オレンジの髪色で身なりも整っている可愛らしい少女だ。年齢はどれくらいだろう。5~6歳かな? この付近ではあまり見掛けない服装だが、遠くの街から来たのだろうか?
「君? どうかしたの?」
ほっとけなかった俺は腰を落として話を聞いてみることにした。
「えっぐ……うっ……お母さんと……」
「お母さんとはぐれちゃったの?」
「うん……」
俺が少女を優しく宥めていくと、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
どうやら、母親とはぐれたらしい。
「どこではぐれたか覚えているかい?」
「えっとね……物を売ってるところ……」
この街で物を売ってるっていうと市場か。あそこは人混みも多いし、はぐれてもしゃーないな。
「それじゃお兄さんがお母さんを探してあげるよ」
「本当?」
俺の言葉を聞き、少女がようやく顔を見上げてくれた。
「本当さ」
「うう……ありがとうお兄ちゃん」
少女が自然と手を握ってくる。
これ以上 、はぐれたくないのだろう。少しばかり強く握られてるような気がする。
「それじゃ行こうか」
これ、知り合いに見られたくないな……。
明らかに犯罪臭がプンプンするもんな……。
早く終わらせよう。
少女から話を聞くと……この街には母親と執事の3人で来たらしい。お出掛け兼買い物がてらこの街にやって来たんだと。初めての市場に浮き足だってしまい、咄嗟に母親の手を離してしまったらしい。
子どもの頃に良くあることだが、親からしてみれば堪ったものではない。今必死になって探していることだろう。早く、この子を母親の元まで連れていってあげなければ。
それにしてもこの子の顔、初対面のはずなのにどこかで見たような気がする。何処だっけ……? 俺の知り合いにでも似てるのかな。気にしても仕方ない。今はこの子のお母さんを探すことに専念しよう。
歩くこと数十分。
呼び掛けをしつつ、少女のお母さんを探しているが一向に見つかる気配がない。おそらくだが、母親はこっちとは別方向を探しているのだろう。となると、かち合うのは難しいな。母親を追ったら入れ違いになるかもしれない。そうなったらますますヤバい。
最終手段として、街の入口で出待ちするしかないな。といっても、最終手段だけど。それが来ないことを祈ろう。
と、思案を続けていると名前を呼ぶ声が耳に入ってくる。悲痛にも似た声色だった。この子の母親かもしれない。急いで向かおう。
俺は少女を抱き抱え、声のする方向へ駆けていく。丁度市場の手前辺りで、これまた美しい身なりの女性が目に止まった。黒色のロング髪で、真っ白なワンピース、見事に着こなしている。
「あ、お母さーん!」
少女が俺の腕をほどき、つむじ風のように母親の元まで駆けていく。
母親が振り返り、少女を抱き抱える。本当に少女の母親らしい。再会出来てホッと胸を撫で下ろした。
「ねぇねぇ、お母さん。このお兄ちゃんがね、一緒に探してくれたの!」
少女が母親の手を引き、俺の元まで駆けてくる。
「娘を見つけてくださり、ありがとうございますわ」
「いえいえ、無事に会えて何よりですよ」
と、一礼を済ませ彼女の顔に目を向ける。
ん? この見に覚えのある整った顔立ち。儚げな声。ま、まさかっ! 母親って……。
「あら、あなたは」
「ど、どうも。お久し振りです」
「あれ? お母さん…。ひょっとしてお兄ちゃんと知り合いなの?」
「ええ。昔にちょっとね」
な、なんで気付かなかったんだ。
少女の母親は、俺が昔新人の頃にお世話になった女性神官さんだったのだ。
昔に色々あったのだが、それはまたの機会に。
執事さんに連絡をすると彼女は入口へと向かう。しばらくして彼女が戻ってくる。
「さて、娘を見つけてくれたあなたにはお礼をしなくてはいけませんわね」
今度屋敷でお礼すると言われ、またの機会にと断るとそれではこちらの気が済まないと軽く一悶着があった。なんやかんやあって、俺の家に招くこととなった。
「広くないですけど、すみません」
「気にしてないわ。お気遣いありがとうね」
彼女の娘さんが庭を元気に走り回っている。子どもは元気であることが一番だと思わずにはいられないな。
「元気なお子さんですね」
「ええ。夫に似てるの」
そうなんですかと相槌を打つ。
彼女の夫は幼なじみと言ってたっけ。彼女は確か、貴族の生まれだった気がするが……。
自分とはかけ離れてる存在すぎて、よく分からんな。
「それに、ね」
彼女が何やらお腹を愛でるように擦っている。
夫さんとの子どもを身籠っているということだろう。おめでたいことだ。
「おめでとうございます」
「うふふ、ありがとう」
彼女が今まで見たことがないくらいの笑顔を見せる。よほど彼との夫婦生活が充実しているという、何よりの証拠だろう。
自分には相手が居ないから、少し羨ましく思う。
「ねえ、新人くん」
「もう新人じゃないですよ。俺……」
「あら? 階級は?」
俺は懐から階級証を見せる。
「あらあら! まあまあ! 銀等級じゃない!」
彼女はまるで自分のことのように喜びの声を上げる。
「私でも到達できなかったのに……。あなた凄いわ」
彼女は銅等級だったな。それを最後に引退したんだっけ。
「ここって鍛冶工房でしょう?」
彼女が辺りを見回してそう告げた。
「あなた、ちゃんと夢を叶えられましたのね」
「お、覚えていたんですか?」
「当たり前ですわ。私、こう見えて記憶力は自信がありますのよ?」
と、胸をドン! と強く叩く。
彼女と夢を語り合ったのはもう7~8年前だというのに覚えてくれていたのか。俺は少し嬉しくなった。
「新人だったあなたがもうベテランですか。時が進むのは早いですわねぇ」
しみじみと彼女は語る。
そうか……。もうそんなに経つのか。
時の流れは残酷だなと実感する。
「お母さーん!」
彼女の娘さんがトコトコと歩みよってくる。
彼女の膝に飛び込み、ちょこんと座る。可愛い。子どもはとてつもなく、可愛い。
俺の両親もこんな気持ちだったのだろうか。もう聞くことは出来ないけど……。
「私ね、この街すきー!」
屈託のない純真無垢な少女の笑顔。
単純にお出かけを楽しんでいるようだ。
「そう? 良かったわ」
「お兄ちゃんもすきだよー」
今度はこちらに向けて笑顔を振り撒いてくる。
「そ、そうか。ありがとう」
「やさしいからすき!」
俺は無意識だった。
髪をくしゃっとさせて、娘さんの頭を撫でていた。
「えへへー」
「明るい子ですね」
「ええ。子どもはこうでなくては」
ずっと元気でいて欲しいものですねと返した。
それから、何度か彼女と世間話をしたり、娘さんとごっこ遊びを楽しんだ。終始、彼女と娘さんは笑顔だった。
そろそろ、数時間ほどすぎた頃。
彼女が「もう時間ですわね」と話を切り上げた。話が盛り上がってきたところなのに少し残念だ。ずっと、執事さんを待たせてしまっているようでそろそろ帰らないとまずいらしい。
それもそうか。
俺は護衛も兼ねて二人を街の入口まで送ることにした。
何かあっちゃ流石に目覚めが悪い。道中、なんの問題もなく二人を入口まで送ることが出来た。娘さんはキャッキャッと庭の散歩をするかように楽しく過ごしていた。
入口まで進むとこれまたこの街に似つかわしくない、豪勢な馬車が停まってある。一目見て彼女の馬車だと察することが出来た。
その側まで行くとトントンと彼女がドアを叩く。
扉が開かれ、中から髭を蓄えた執事とおぼしきご老人が現れた。年配とはいえかなり引き締まった体をしている印象を受けた。
「奥様、お嬢様、お帰りなさいませ」
「じいや!」
娘さんが執事さんの胸に飛び込んだ。少女は執事さんも大好きらしい。
「お嬢様! ご無事でっ……」
「うん!」
馬車の中で二人が抱き合っている。
再会出来たことがよっぽど嬉しかったのだろう。娘さんが執事さんを連れ出してくる。
「このお兄ちゃんがね、助けてくれたんだよ!」
娘さんが俺の方へ指差してくる。
「そうでしたか! この度はありがとうございます!」
執事さんが深々と頭を下げ感謝の意を示す。
「いえいえ、当然のことをしたまでですから」
「それでは私の気持ちが収まりません!」
彼女にも言ったけれど何もいらないんだけどな。
「別にお礼なんていいですって」
「あなた様は私どもの恩人。何かお礼をさせてください!」
参ったなぁ……。
「それじゃ、今度この街に来たら俺の店で品を買ってください」
「えっ? そ、それだけでよろしいので?」
執事さんが少し困惑した表情を見せる。
「はい」
「お兄ちゃんね! 鍛冶師? なんだって!」
「そうなのですか?」
俺は頷きで返した。
「それでしたら…再びこちらに訪れたときに、あなた様の品を買わせていただきますよ」
「そうしてくださると嬉しいです」
執事さんと軽い口約束をし、3人は馬車へと乗り込んだ。
娘さんが窓を開いてこちらに手を振ってくる。取り分け大きな声で別れの挨拶をしているようだ。
「お元気で~!」
俺はそれに負けじと大声で返した。俺が見えなくなるまで娘さんは手を振ってくれた。本当に優しい良い子だったな。
彼女の遺伝子が強いのだろうか。もしかしたら夫さんの方かも? いや、両方か。
俺はぐいーっと体を伸ばした。今日の空模様も素晴らしいな。快晴だ。当初の目的を果たそう。
別れを惜しみながらギルドへと向かった。