無気力勇者と5人のアイドル   作:添牙いろは

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最後の聖痕

 自分の胸部を刃が貫いている――その現実に最も恐怖しているのは、事情をまったく知らないミトフルだろう。しかし、同時に最も困惑していることも否めない。一滴の流血どころか――その表情は、痛みさえもまったく感じていないようだ。

 それはあまりに突然のことだったが――ヤシロたちはようやく状況を把握できたらしい。

「もしかして、シオリンが持ってるのって……」

「そう……、神だけしか斬ることのできない『神殺しの剣』……ッ!」

 ユウは勝利を確信して拳を握る。ズーミア教徒ではないシオリンは予め知っていたのか、それとも実験していたのか――ともかく、人の盾さえ躊躇せず、聖痕を五つ揃えた女神の命を一撃で捉えた。

 と、思われたが――

 クリスの口元がニヤリと歪む。見れば、ふたりからはいずれも出血がない。シオリンも自分で刺したとはいえ半信半疑だったのだろう。すぐさま柄を手放し踵を返す。

 

「下駄ジェ――ッ」

 

 明らかに、失敗した際の離脱まで最初から考えていたであろう機敏な動きだ。

 

 が、しかし。

 

 シュ――ッ

 

 それを読んでいたかのような――ヤシロの投擲。足下の瓦礫のひとつを、逃走経路を塞ぐように放り込んでいた。

「うをっとォ!?」

 予想外の障害物にシオリンは身体を捻るが、バランスを崩してあえなく転倒。ゴロゴロと派手に転がるも、そこは偽物でもツネークスか。その勢いのままにバッと素早く起き上がる。

「ナニさらすねん! 急にあんなもん――!」

 ヤシロに怒鳴り散らすシオリンだったが、凶行の現物に目をやった際に少しだけ訝しむ。

 コトコトン――

 ()()()の瓦礫が荒れ果てた客席に転がり落ちた。ひとつしか投げていないはずなのに――ふたつ。その違和感の正体に気づいたとき、シオリンの顔が青ざめた。見えないほど細く、透き通った糸――そして、刃物で斬ったかのような瓦礫の綺麗な断面――

 シオリンの抗議に耳を傾けることなく、ヤシロはゆっくりと歩みを進める。

「死にたくなければ、派手に動かないほーがいいよ」

 まっすぐクリスと向き合いながら、独り言のようなヤシロの警告。

「命拾いしたようね。感謝しなさい」

 まっすぐヤシロと向き合いながら、独り言のようなクリスの忠告。

 そんなふたりの世界に、ユウは納得したように呟いた。

「やっぱり、貴女……」

「まさか、ホンマモンの……」

 偽ツネークスさえも知らなかった事実。

 しかし、それを当の本人は一蹴する。

「やだなぁ、あたしは――」

 フッと吐息をもらしたところで――ヤシロの身体が勢いよく燃え始めた。

「な……ッ、んて、こと……ッ!?」

 勇者の敗北にユウは絶望を隠しきれない。だが――炎をまとわせながらひょいと後ろに飛び退くと、それだけであっさりと吹き消されてしまった。これに驚いているのは周囲だけ。ふたりにとってはちょっとした挨拶のようなものだったようだ。

「やっぱり、貴女には通じない」

「炎はあくまで目眩ましでしょ。本命は足下から伸びてる――」

 足下の瓦礫の隙間を通すように、黒い影が流れ込んでいた。が、ヤシロに言われてそれはスッとクリスのつま先へと引っ込んでいく。

 ふたりの攻防に誰もがついていけない。しかし――言葉にしてみれば、至極簡単なことだった。

「殺してしまえば二度と出会うことはない。それが、二度は通じない陳腐な手品だとしても」

 ヤシロの指摘に対して、クリスのニヤァと目を見開く。そこに怒りや悔しさはない。ツネークス頭領自身もそれを承知し――むしろ誇りとしているようだ。

 この反応に、ユウは最強のツネークスが最強たる所以に気づく。

「まさか貴女も、そこのポンコツ勇者と同じ――」

 それを認めたのは、ポンコツと蔑まれた勇者自身。

「そ。百の武術を極めし者ってこと。ただし、初歩だけね」

 クリスの強さの秘密は引き出しの多さにあったようだ。初見の動揺で確実に殺す――二度は通じなくとも、二度と相まみえることはない。この宇宙の、ありとあらゆる流派を網羅している者などいなかった。いま対面している、勇者以外に。

 それを知り、シオリンも苦々しく笑みを浮かべる。

「加えて、殺気に対する過敏なまでの反応……なるほどなぁ、クリスの名を聞いても驚かんかった理由がわかったで」

 クリスにヤシロは殺せない。殺意を放てば勘付かれ、すべての仕掛けは見破られてしまう。だからこそ、自分にしか止められない、とヤシロは決意を固めていたようだ。

「ま、実際何度か狙われてるってのもあるけど」

「そう。私が狙って殺せなかったのは貴女だけ」

 クリスの指先が動けばヤシロは巧みに立ち位置を変える。どうやら抜き差しならない攻防が行われているらしい。だがヤシロは、身を守ることはできても敵を討つことはできない。

「だからさー、ここはひとつ穏便にお引取り願えないかなぁ。クリスだって、あんま手口を()()()()()()()()()()でしょ?」

 ここは人が多い。下手に動けば死者が出る状況ではヤシロもやりづらいのだろう。だが、ユウは目的のために犠牲を厭わない。

「ナニを悠長な! このままじゃ、宇宙が終わる……ッ!」

「ちょい待ち」

 焦るズーミア司祭を窘めたのは、意外なことにシオリンだった。

「神殺しの剣で貫いたんに殺せとらんねん。っちゅーことは……」

「剣がインチキって言いたいの?」

「もしくは、神様の方がインチキかもな」

 神殺しの剣で殺せない神――剣が正しいのであれば、クリスの方が神ではないことを意味する。ツネークスの首領が神に――それだけを恐れていたシオリンにとって、これはある意味僥倖だ。しかし。

「何を……言っているの?」

 状況を理解できていないミトフルは少し唖然としている。

「あぁ、驚かせてすまんかったな。こいつは神殺しの剣っつーて――」

「神様しか斬れないんでしょ、それは何となくわかる」

 ミトフルはクリスを見る。ただ、そこに特別な情はない。

「それで、そのツネークスが斬れなかったって言われても……だって、まだ()()()()()()()()()のに」

「「「!?」」」

 シオリンもユウも、もちろんヤシロもこれには驚きを隠せない。だが、もうひとりそれを認知している者がいた。

「その通り……」

 クリスは蛇のような瞳でヤシロをまっすぐに見つめている。

「だから……ここでこのまま逃がすことはできない」

「いや、あたしアイドルでも聖痕持ちでもないんだけど」

 ヤシロは即座に否定するが、それをクリスは認めない。

「いえ、貴女はアイドル……私にはわかる……」

 クリスが手をかざしたのは、ヤシロに訴えかけるためではない。すぐさま勇者が一歩前に出ると、その背中で空気が爆ぜた。また何かの暗殺を仕掛けていたらしい。

 話の腰を折られながらも、ミトフルはヤシロへの説得を続ける。

「アタシにもわかる。アナタにもわかるのでしょう? だって、聖痕持ちは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから……!」

「えっ!?」

 と真っ先に驚いたのはユウ。その言葉が真実であるならば、顔見せ――むしろ、尻見せというべきか。シレーに扮したヤシロに対して、偽聖痕を見破っていた上でマネージャーを欺いていたことになる。

 もしくは――

「ヤシロ貴女……ずっと黙ってたの……ッ!?」

「いや~、やっぱ聖痕持ちはオーラが違うなー、とか思ってたけど」

「そうではなく!」

 ここで問題なのは、ヤシロが聖痕の気配を感じ取っていたことではない。

「貴女、本当は――」

「なわけないじゃん」

 とヤシロは疑惑を一蹴する。

「身体検査ならライブハウスでしてもらったでしょ。あたしに聖痕はなかったって」

「クジャからも、そう報告を受けている。けど……」

 それはクリスも認めた上で。

「何なら、もっかいここで脱ごーか?」

 言いながらジャージのファスナーを下げ始めるヤシロ。だが、クリスがそれを止める。

「その必要はない。私は貴女から聖痕を感じている。それで充分。聖痕を晒して力を発現させたりはしない」

「あ、バレた? けど、それが唯一の勝機かなーって」

 ヤシロは聖痕を意識したことはない。それによって、どんな力が引き出されるかも。だが、もし、万が一、自分に何か力が眠っているのなら――

 トントントンとステップを踏み始めるヤシロ。カッとクリスが睨むのに合わせてサッと横へスライドする。くるりくるりと回りながら、改めてファスナーを下げきった。そのまま流れるように腕を抜き、上着をマントのようになびかせる。

 その軽快な所作に、見ているシオリンは不思議そうだ。

「何や、けったいな動きしよったからに」

 最初はシオリンと同じ顔をしていたユウだが、ふいに何かを思い出す。

「これは……オツヒノとのダンスバトルのための――!」

 早々に本気になった対戦相手によって段取りを変えられてしまったが、本来はこのように踊りながら徐々に脱いでいく予定だったのだろう。ジャージを脱いでシャツになると、下から乳首が浮いている。それを頭から抜くため一瞬視界が遮られたが、それでも殺気は見えているらしい。豪快に前屈をキメると裸の上半身が顕になった。

 クリスが指をパチンと指を鳴らす。それに合わせてヤシロはズボンの腰に両手の指を入れ、膝を抱えるようピョンと飛んだ。すると、中身の抜けたジャージの足がズタズタに切り裂かれていく。体勢を崩すことなく着地してお尻をひょいと突き出せば、残されていたショーツがパツンと飛んだ。見えない刃に生地を掠め、最後の一枚を切り千切ったらしい。

 ストリップとしては最後の一枚だが、ここでは少々事情が異なる。ヤシロらしからぬ二段回し蹴り――飛びかかるスニーカー――それはクリスに届く前に灰となった。

 そして、ヤシロは仲間たちに問う。

「見えた? 足の裏」

 ほんの一瞬に対して無茶なことを言うが、ここにいる者たちは命がけだ。ヤシロの一挙一動に誰もが注目している。中でも、最も納得できていないユウがまっさきに答えた。

「……なかったわ。そこが本命だと思ってたのに」

 自分が見落としたのであれば、自分の目で確認したかったのだろう。だがやはり、ヤシロの身体に聖痕は見られない。それでもミトフルは確かに感じていたし、クリスはいまも感じているはずだ。

「聖痕持ちが死んだ場合、他の適合者に聖痕は移る。本来、探し直しなんて面倒くさいことはしない」

 だから、クリスはシレーから聖痕を奪ってから殺したようだ。

「けど」

 クリスの笑みの意味を、この場にいる誰もが理解する。

「私にとって、貴女以外であれば聖痕を奪うことは造作もない。そう、貴女以外であれば、全宇宙を敵に回しても……!」

 空が、空気が、さらに暗く重くなったように見える。その正体は、おそらく殺気――圧倒的な恐怖に耐えかねて、ミトフルは震えながら尻餅を搗く。それでも、ヤシロは一歩も退かない。それは、自分にクリスの暗殺術は通じないという自信からか。

「つまり、あたしだけは()()()()()()()ってことだね」

 結局のところ、アイドルバトルは気持ちの勝負なのである。

「いま触れ合ったら、聖痕はどっちに移るかな?」

 全宇宙で唯一殺しの通じない相手が、殺し屋に向けて一歩進む。だが、殺し屋もまた怯まない。

「さぁ? その前に殺してしまえば関係ない」

 それは、クリスにとっての誇りなのだろう。

「あたしを殺せるかな?」

「私に触れる?」

 裸の胸を突き合わせ、お互い手の届くところまで近づいたところで――ドンドンドン、と立て続けに三発。クリスの足下が炸裂するが、ヤシロは少し後ろに――けれど、下がり続けるわけにはいかない。

 武術の基礎は身のこなしにある。肩を揺らし――素早くクリスの横へと回り込む。それを迎え受けるようにツネークスは掌を突き出すが、ヤシロはそれを無視。構わずクリスに向けて踏み込んだ。

 パツン、パツンと床を砕きながら距離を取ろうとするクリス。その行く手を遮るようにギラリと足下から無数の剣山が飛び出してきた――が、ヤシロはそれを恐れない。裸足で刃を蹴り飛ばすと――それは見た目ほど鋭くもなく、硬度もなかったようだ。裏庭の雑草のようにぐにゃりと曲がってしまう。

 もはやクリスは目と鼻の先――だがここで、ヤシロは少し屈んで足元の石を掴んだ。そして、少し横の足元に目を落とす。そこにタールのような水溜りができており――その黒さに向けて一投――!

 

 ボゴンッ!

「かはぁッ!?」

 

 立っていたクリスの身体は地面に溶け、代わりに墨のような噴水が上がる。中からクリスの身体が弾き出され、ここぞとばかりにヤシロは飛びかかるが――伸ばした指先に手応えはなく、すぐさま背後に向けて構え直した。その先の空間にモジャモジャとした黒い毛玉が浮かんでいる。そこからキツネの耳がひょっこり飛び出し、白い手足も生えてきた。そして、瓦礫の砕けた地面に降り立つ。

 虚実交えた攻防であったが、そのすべてをヤシロは見切っているようだ。ツネークスの頭領に対してここまで戦えるとは、シオリンは予想だにしていなかったらしい。

「もしかしてこれ……イケるんとちゃう……?」

「触れれば……指一本でも触れさえすればいいのよ!」

 ユウもズーミアの勇者に希望を乗せる。だが、そのとき。

「なるほど……ふふふ……わかった……。どうして、こんな簡単なこと……」

 クリスはこれまでにないほど優しく微笑む。だからこそ、恐ろしい。これにはヤシロも警戒を強くする。それでもクリスはそのままで。みぞおちの前で両手を組み――ゆっくりと呼吸を整えている。

「ふふふ……ふふふ……」

 気味は悪いが、ヤシロとしては何としてもクリスに触れなくてはならない。すり足で少しずつ、クリスとの間合いを詰めていく。

 だが、そのとき。

「ッ!」

 ヤシロの膝がガクンと落ち、身体ごとゴロンとひっくり返されてしまった。そして、膝を掴まれたような形で宙吊りにされている。

「どうして……ッ!?」

 ヤシロにも何が起きたのか理解できない。だが、シオリンには心当たりがあった。

「もしかして……もっすごい殺気に当てられすぎて感覚がバカになっとったんじゃ……」

「半分正解」

 先程の慈愛が嘘のように、陰惨な笑みを浮かべてクリスは答える。

「我々の仕事は殺しや盗みだけじゃない。ときには、懐柔も行う」

「懐柔!? これが_?!」

 ユウは納得できないようだが、クリスにとっては日常茶飯事なのだろう。

「ふふふ……言葉で話し合うつもりはない。ただ、性的な快楽に陥れるだけ」

「!」

 それはある意味、殺気とは真逆の行為。あまりに強い殺気に当てられ、殺気のみに警戒していた――()()()()()()()ヤシロは、その羞恥プレイ――エロストラップに気づけなかったのだ。

 バッ、とクリスが両腕を開くと、ヤシロの両膝もガバっと開かれる。女性の恥部を――これからその秘するところをこれでもかというほど辱められるであろう。

 本来であれば。

「やー……死ぬね、こりゃ」

 クリスの背後に黒いオーラが立ち込める。今度こそ紛れもない殺気――性的なお遊びはここまで。これから奪われるのは理性ではなく――命そのもの――

 

 ――――。

 

 次の瞬間、視界のすべては真っ白になっていた。

 そこに立つのは捕らえられていたはずのヤシロと、トドメを刺さんとしていたクリス。ふたりとも何が起きたかわからず呆然としている。

 ぼんやりしたふたりを景気付けるように、どこからともなく声がかかる。

「あーっ、やっと気づいてくれたー?」

 それは上からだったらしい。ヤシロたちが顔を上げると、その先から裸の女性が舞い降りてくる。ふわりふわりと、ライトブラウンの長い後ろ髪を羽根のようになびかせて。

 それは、初めて見る人物のはずだ。なのに、初めて見る気がしない。何故ならば――ヤシロたちと同じ高さに降り立ち、自己紹介を始めたことで明らかとなる。

「はじめましてー、って言うべきかな。私、ズーミア。わけあって神様やってましてー」

 たしかに、これまで何とか見かけた女神像にそっくりである。とはいえ、あまりの軽さにヤシロは首を傾げざるを得ない。これに対してクリスは――

「貴方が……貴方の所為で……ッ!」

 勢いのままに食ってかかろうとするが――そこは神ゆえに。

「きゃっ」

 見えない壁のようなものに弾かれて、クリスは可愛らしい悲鳴を上げる。それで、ヤシロも彼女を神と認めたようだ。それでも、極めてぞんざいに。

「えーと……それで、神様が何の用?」

 この謎の状況を前に進めたがるヤシロだが、熱り立ったクリスは止まらない。

「貴様の所為で王子様がッ! 許さないッ! 殺してやるッ! 絶対に……ッ!」

 掻き毟るようにもがいて大騒ぎしているため、ヤシロとしても放っておきづらいようだ。

「えーと……何があったの」

「んー……三百年くらい前かな。クリスちゃんも私たちと同じ神だったんだけど」

 ズーミア神はさらっととんでもないことを口にする。

「私はッ! 王子様と結ばれるためッ! 天界を捨てッ! 現し世人に……ッ!」

 その結果がツネークスらしい。

「えーと、その王子様、というのは……」

 話の流れから察するに、神ではなく現し世人――つまり、どこかの宇宙人の類なのだろう。そして、その予想は正しかった。それも、実に世俗的な。

「うん、当時大人気だったメンズアイドルでねー。すっごくカッコ良かったんだよー」

 ズーミア神の言葉はどこまでも軽い。一方で、クリスの言葉はどこまでも重い。

「貴様らは私が王子様と結ばれそうになったのに嫉妬して、争い、その戦いに巻き込まれた王子様は……ッ!」

「というか、神同士だけで話し合ってれば良かったのに。実際、レノヤちゃんとはそうしてたし。なのにクリスちゃんが独断で堕天したもんだから、現し世巻き込んじゃったんでしょ」

 ふたりの見解は平行線のようだが、ともかく話の概要はわかった。女神たちによる三角関係――アイドル本人も含めれば四角関係か。その結果、その男は命を落とすことになったのだろう。

 ゆえに、クリスが聖痕を求めた理由は、宇宙を手にするためではない。

「王子様亡きこの世界……せめて貴様を地獄に落とすッ! そのため、我が身に貴様を限界させて……ッ!」

「それで、自殺でもするつもりだったの? うわー、宇宙壊す気?」

 ヤシロは、神は死んだと聞かされていたが、神はこうして生きている。もし本当に死んでいたら、この宇宙は存在していなかったようだ。

 クリスは元神である。ズーミア神を殺せばどうなるかわかっていたはずだ。それでなお殺そうとするのだから、よほどの想いだったのだろう。そして、それは当然クリスと争ったという女神としても。

「まったくー、私だって現し世に死者が出る争いは不本意なんだよー。けど、そのまま復活させても似たような争いが起きそうだし」

 女神ともなると死者を甦らせることさえ造作もないようだ。かといって、安易に同じことを繰り返すつもりはないらしい。

「でね、行き着いた結論としては……彼のことは男のコとしてではなく、自分の息子として愛を注ごう、ってことで!」

「「!?」」

 これにはヤシロだけでなく、クリスも驚き絶句する。その反応を見て、ズーミア神は何故か誇らしげだ。

「ま、私くらいになれば新たに産み直すくらいできるんだけどね。なんたって神だから。けど、そのために限界しちゃったら、また現し世を混乱させそうだし。クリスちゃんみたくー」

「あー……」

 ヤシロは納得して大きく首肯する。堕天した元神が殺し屋集団の首領というのもむしろできすぎか。

 かつての恋敵からの提案とはいえ、クリスもこれには前のめりになる。

「それで、王子様をどうやって転生させる気……?」

 神本人を限界させず、神の力だけを人々に与えるため――それを巡って、アイドルたちは戦ってきたのだが。

「うん。必要なのは生殖能力だけだからね。そのために私を丸ごと下ろすわけにもいかないし……それで、私の力を()()に分けたんだよ。その、生殖能力を含めてね」

「六つ!?」

「生殖能力!?」

「ちょっと! いますぐそこ座って股開きなさい!」

「わかってるー。わかってるってばー」

「で、指で開いて」

「ったくー、こんなとこ自分じゃ見れないじゃんー」

「あー……貴女、何てとこに聖痕限界させてんの……」

「仕方ないでしょ。生殖能力っていえばそこなんだから」

 色々とワチャワチャしていたが――ともかく、聖痕は最初から全部で六つあり、最後の聖痕もついに発見されたようだ。

「その聖痕が発動したらここに呼んで、役割を説明しようと思ってたんだけど……」

 ズーミアはガクリと肩を落とす。

「何でその前に、クリスちゃんが他の全部揃えちゃってるの」

「発現させてほしかったら、もっとわかりやすいところに出しなさい」

「しょーがないじゃん! 生殖能力なんだから!」

 クリスの言うことはもっともだが、神としても致し方ないところはあったようだ。

「ということで、聖痕はひとりに集めないでほしいな。私が現界しちゃうから」

「だったら何で集めさせるような経典残しちゃったの」

 ヤシロからの指摘に、ズーミアはぷいと視線をそらす。

「あれ、私が書いたんじゃない……。信者の人たちが勝手に書いただけで」

 神とはいえ、人の世はままならないらしい。

「まー、集まっちゃったものは仕方ないからまた散り散りにさせちゃうけどいーよね」

「構わない。貴女には二度と会いたくないし」

「つれないなぁ。私はクリスちゃんのこと大好きなのに」

 クリスの方はただの憎まれ口のようには見えないが、ズーミア神の方はやっぱり軽い。

「じゃあ、もっかい分散しとくね。ただ、聖痕をあげた人は半神として現し世人やめてもらわないといけないんだけど……そこは許してほしいな。色々便利な能力もオマケしとくし」

 サラっととんでもないことをズーミア神は人類に押し付ける。しかし、そこでヤシロはひとつの可能性に気づいたようだ。

「人をやめるってゆーけどさ、もし、死んじゃった人を半神にしたらどうなるの?」

「ん~……そーだねー……その場合は――」

 

       ***

 

 裸エプロンメイド喫茶『Cheese O'clock』――そこでは、今夜も艶めかしいメイドライブが行われている。そのステージに立つのは――

「~~~~♪」

 首を折られて絶命させられたはずのシレーがそこにいた。右のお尻にはかつての聖痕を携えて。どうやら、人間ではなく半神として新たな生を与えたようだ。しかし、シレーも、シレーを応援する人々も、変わったことに気づいていないらしい。

「シレーちゃーん!」

「シレーちゃーん!」

 ご主人さまたちからの歓声の中に黄色い声援も混じっている。

「シレーさん、さすがなのー!」

「シレーさん、素敵ですー!」

 誰よりもメイドリーダーの無事を願い、捜索していたふたりである。スポットライトを浴びて輝くシレーに夢中になって仕事のことも忘れているようだ。

 それでも――そんな店内を眺めながら、メイド長は嬉しそうに眺めている。事あるごとに挫折していた弱気なシレーの陰はもはやない。彼女の成長を願って旅に出した――そんな側面もあったのだろう。多分。

 

       ***

 

 万の人々を収容する大舞台――そのステージにミトフルは立っている。だが、彼女ひとりではない。その隣に並び立つのは――

「アタシは夢だったんじゃないんですか? ミズリーさん」

 赤いポニーテールに対抗するように、金髪を左右のツインテールに。揃いの衣装を着て、ミズリーマネージャーが立っていた。ミトフルのお腹に聖痕はない。代わりに、それはミズリーに移っている。つまり、もうマネージャーではないということだ。

「前言撤回。あの大怪我の後、異様に身体の調子が良くて……身体年齢が二〇も若返っちゃったわ!」

 自分が一旦死んでいたことは記憶にないらしい。当然といえば当然だが。そして、元はミトフルのものだった聖痕をミズリーに移すことで、半神として蘇らせたのだろう。ここまで急激に若さを取り戻している時点で、もはや人間業ではないのだが。

 これにミトフルは驚くやら呆れるやら、複雑そうな表情を浮かべている。

「元々何歳だったんですか……」

「ミズリー、十七歳でーすっ!」

 そんなキャピキャピした宣言に、会場の一角がざわめく。そして、スタッフルームでも。

「おおお……ッ、ミズリーそんの名台詞を再び聞くことができようとは……ッ!」

 モニタを見つめるハナさんの瞳もまた、二〇歳くらい若返っているように見える。

「私としては、聖痕にお使えできて幸せです」

 本当に、ヒューイとってはその持ち主は誰でもいいようだ。

 芸能界はアイドルひとりで成り立つものではない。様々な関係者たちの思惑が複雑に絡みあってできている。それを彼女は誰よりも知っていた。

「デビューしたばかりの小娘に教えてあげる。芸歴二〇年の重みってやつを」

 十七歳を宣言した直後にこれはないが、ミトフルにとっては良い挑戦状になったようだ。

「アタシだって負けませんよ。聖痕なんてなくったって、宇宙一のアイドルにアタシはなる!」

 

       ***

 

 白い壁の細い廊下――ここはどこかのイベントホールか。その扉のひとつから、オツヒノが出てきた。グレーのパーカーにデニムのショートパンツ――日常的な装いだが、胸には金のトロフィーを大事そうに抱えている。どうやら、何かのコンクールで優秀な成績を収めたようだ。

 誇らしげに廊下を闊歩するオツヒノ。だが、何かに気づくとギクリと表情を固くして――回れ右。すると、顕になった背面は――パーカーはともかく、ショートパンツのお尻の部分はさらに短く――というより、谷間だけ残して切り取られたTバック――左の聖痕を顕にしていては、どこにいても注目の的になってしまう。

「オツヒノちゃーん、最優秀賞おめでとー」

「今日のダンスもキレッキレだったねー」

 駆け寄ってきたのはいつものふたり――つまり、ダンス仲間ではなく、もうひとつの仕事の方だ。

「よっ、ヨユーよ、ヨユー!」

 見つかったことで開き直ったのか、オツヒノは元気を取り戻す。だが、すぐに再び。

「それじゃー、今度はいつものステージに立っちゃう?」

 と三つ編みのコがニヤニヤすれば。

「もー、立ってるのはステージの方でしょー」

 と黒髪のコもノッてくる。

 それに加えて、レザージャケットのマネージャーまで。

「オツヒノちゃん、前回全員返り討ちにしちゃったでしょ。男優さんたちも沽券に関わるからって今度は徹底的にやりたいって」

「勝ち逃げはずるいんじゃないかなー、オツヒノちゃん」

 三つ編みのコはオツヒノのノせ方を熟知しているらしい。その煽りにオツヒノは怒ることなく、むしろ誇らしげに胸を張る。

「ふっ、ふん、誰が逃げるかっての! 男の百本や二百本、ヨユーよ! 超ヨユー!」

 これに、言質を取った、と言わんばかりにマネージャーが笑う。

「それじゃー、ダンス大会第二戦といこうかー! ファンのみんながオツヒノちゃんのダンスを待ってるよー」

「任せなさいって! どんな舞台でも華麗に踊る、それが最優秀ダンサーの実力だっての!」

 面白いくらいにノせられていることを、本人は自覚しているのかは定かではない。だがきっとこの先も、ダンサーとAV女優を両立していくことだろう。

 

       ***

 

『さーぁ、生き残るのはどっちだー!?』

 楽しそうなアナウンサーの声が響き、運動場のような広場に磨りガラスのようなパネルが二枚立っている。書かれている文字は宇宙仕様であるため分からないが、パネルの足下は、一方は泥のようなプール、もう一方には厚手のマット。どのような催しが行われているのか、非常にわかりやすい。

 そして――どうやらパネルはホログラムのようで、人がぶつかってもスルリとすり抜ける。飛び込んできたのは、ビキニ水着の女のコと――虹色マーブルのよくわからない模様の塊。女のコは無事マットに受け止められ、よくわからない方は―――

 

 バチャァァァン……!!

 

 派手に泥が飛び散り、赤青緑に泥の茶色まで加わった。湧き上がる会場。本人はガニ股のまま泥の上にプカっと浮いている。

『マコット選手、これでまさかの一〇連敗!』

 会場を包む笑い声に、マコットはすぐさま気を取り直して立ち上がった。どうやら深さは腰くらいしかないらしい。だが、例のモザイクが身体を隠しているので、またしても全裸なのだろう。この堂々とした振る舞いは、自分が神に守られていることを自覚しているのか、ここまでカラフルならレオタードと変わらないと高を括っているのか。

「絶対イカサマでしょコレ! あたしが飛び込んだ方に後から変えてるとか!」

 身体を一切気にすることのない全力抗議に、会場はさらに盛り上がる。

『いやー、さすがに勝ってもいい頃だと思うんですけどねー』

『そろそろ天文学的な確率になってますし』

 実況解説の煽りもあり、番組的には美味しい展開になっているようだ。

「おかしい……切なさ乱れ撃ちは弓技でしょうに……」

 この結果に納得できないようで、マコットはブツブツ言いながら泥プールの縁に手をかけ足をかけ、豪快によじ登っていく。

 だが、上りきったところで――

「うわっ、ぶわっ!?」

 唐突に足を滑らせ罰ゲームへ再転落。お約束のようなタイミングにギャラリーも笑いを堪えることができない。歓声の中、マコットが勢いよく這い出してくる。今度こそ地上に立てたことで、転倒の原因を理解して掴み取った。

「コレあたしのブラじゃん! 何でこんなとこ落ちてんの! っつーか、もうこんなんいるかーっ!」

「うわっ、うわー!」

 勝利した女のコの方に自らベトベトのブラを投げつけるマコット。そのやけっぱちにさらに湧く。

 笑いは取れたところで、次の対決へ。

『それでは……マコット選手、次は何色にしましょう』

「んーと……色が濁ってきたからそろそろ白で」

 と無意識に自分が敗北する前提なのが笑いを誘う。が、あえてそこにツッコミは入れずに選手紹介。

『白の対戦者は……こちら!』

 選手登場口に下ろされていたカーテンがスパッと上がり、そこにいたのは、羽織袴を着込み、ちょんまげをかぶったパンダの着ぐるみ。中の人が喋ることはないが、力強いポーズでやる気をアピールしている。

「パンダ侍じゃん!」

 登場口の左右にもその顔を模したアイコンが飾れているので、おそらくこの番組のマスコットのようなものなのだろう。可愛い水着の女のコを期待していたギャラリーだったが、この意外性にはちょっとウケた。

『すいません、負けすぎてもう出れるアイドルいないんで』

 パンダ侍が白い沼に落ちたら、きっと見事なシロクマとなることだろう。番組的にもそれを期待しているだろうし、そろそろマコットを合格させて次のコーナーへと進ませたいはずだ。が、ここであえて敗北する芸人アイドルをみてみたい気もする。

 さて、笑いの神は、どちらに味方するのか――

 

 バチャーン……

 ぎゃああああああ……

 ぶはははは……

 

 想定以上に間延びしてしまったこのコーナーは、放送前に編集しておく必要があるだろう。だが、彼女の裸体には最初から修正が入っているため、年齢制限の心配だけはなさそうだ。

 

       ***

 

 緑の空の赤茶けた惑星――ズーミア神の加護は失ったが、それでも女神は今日も見守ってくれている。教会の大聖堂――そこにユウ司祭の姿はない。マスターの留守中に羽を伸ばしているのか、S.K.とM.2.――ふたつの生首が仲睦まじくフワフワと踊るように浮遊している。

 その目下の座席は相変わらず片付けられていない。残骸のような長椅子に、白銀のドレス姿の金髪の少女がちょこんと座っている。

 少女は生首たちの様子を見上げていたが、生首の方からフワリフワリと下りてきた。

「シオリンー、ヤシロんとこ行かなくていいのー?」

 S.K.がのんびりと尋ねると、シオリンは嫌そうにそっぽを向く。その頭に見慣れたキツネ耳はない。

「司祭が留守の間、聖堂を守るのが勇者の役目、ということで」

 口調も何だか気味が悪い。それは、生首二名にとっても同じことだったようだ。

「その口調気味悪いからやめなよー」

「てか、ツネークスが来てるんだから勇者として討伐に行かなきゃー」

 S.K.は相変わらずだが、M.2.の方は和風アクセサリーを取り外している。やはりウチークビランド用の装いだったらしい。

「アホ言うなや」

 耳元で回るステレオが鬱陶しかったのか、シオリンはパンチ二発で追い払う。特にダメージはなく、ふわーっと旋回して壁に追突することはない。そんな浮遊物を目で追うこともなく、独り言のように呟く。

「……顔も割れてしまいましたし、先代勇者もお忙しいようですし……私はこちらに隠れさせていただきますわ」

 どうやらシオリンはツネークスの頭領と相対してしまったことで、ツネークスを名乗ることが難しくなってしまったようだ。ゆえに、ここで第二の人生を歩むことにしたらしい。

 とはいえ。

「ほとぼりが冷めるまでは」

 ずっとこの惑星に居座るつもりはないようだ。

 

 そして、先代の勇者と、ここの司祭がどこにいるかといえば――

 

 そこは、庭つきの一戸建て――といえば聞こえはいいが、広い敷地にポツンと粗末な小屋が立っているだけ。地域の町並みと同じく、木材とトタンの組み合わせである。これが勇者の自宅だというのだから質素なものだ。

「また、産まれたそうね」

 その室内は、相変わらずの昭和家屋である。ただ、畳の中央には布団が敷かれ、薄水色のガウンを羽織ったヤシロが横たわっていた。そこにユウが、ノックも呼び鈴も鳴らさずに入ってくる。

「処女懐胎、お疲れ様」

 ユウは相変わらず無表情なので、労っているようには感じられない。とはいえ、それもいつものことなので、ヤシロの方も気にしていないようだ。

「まー、どっちかとゆーとお腹で育ててる間の方がしんどかったけどねー。今回のコ、全然じっとしてくれなかったから」

 出産は本来途方もない大事である。だが、そこは女神の力によるものか、まったく苦労は見られない。

 そして、生まれてきたのも普通の赤子ではない。

「オゥッ! クジャ、なんか頭が重いゾ」

 タオルに包まれた褐色色の赤子はおそらく生後数十分といったところだろう。それでも普通に喋っているどころか――どうやら生前の記憶まで残しているらしい。

 それは、この二名も同じこと。

「赤ん坊は頭がデカイんだよ。首も座ってないから大人しくしとけ」

「やれやれ、再び戦えるようになるには何年かかることかしら」

 子供クジャを抱きかかえる女性の足元を挟むように、かつてシオリンが着ていたような和服姿の小さな女の子たちが立っている。茶髪にキツネ耳、赤髪にキツネ耳――そして、抱きかかえられているのは褐色肌のキツネ耳――そして、抱きかかえているのもキツネ耳。それも、漆黒の髪を足首まで伸ばした、全裸の。

「……これで、この戦いの死者は全員埋め合わせた」

 冷徹無慈悲なツネークスの頭領であっても、協力しなくてはならない理由がある。

「これで次はようやく男の子かもねー」

 ヤシロはよいしょと身を起こした。本当に神の力が宿っているようで、出産さえもちょっとした力仕事くらいの感覚らしい。あまりにも簡単に産み直している実感のなさに、ユウは頭領ツネークスに釘を刺す。

「お目当てのメンズが復活したからって殺し直すとかやめなさいよ」

 ゾッとしてカスガとミーシャは尻餅をつく。まだ機敏に動くことはできないようだ。とはいえ、クリスに殺意はない。

「わかってる。どこで神の力のバランスが崩れるかわからない。ちゃんと育てる」

 といったそばから。

「……少なくとも、元の姿に戻るまでは」

 これには、足元の子供たちもドン引きだ。が、胸元のクジャだけは元気がいい。

「オゥッ! クジャ、今度はもっと強くなるゾ!」

 生後数分で再起を宣言する赤子はともかく、勇者の方はあまり再起したくないらしい。

「それならまー、少なくともあたしの身の安全も、あと二〇年くらいは保証されるのかなー?」

 ヤシロにとって、それが最も大事なこと。そして、もうひとつ。

「……生活についても保証するわ。勇者改、女神の化身として」

「わーい」

 ユウとの約束に、嬉しそうに布団に寝転ぶヤシロ。だが。

「現勇者が、勇者の任をまっとうしている限りはね」

「ぐぇ」

 ユウの一言で女神の笑顔が嫌そうにひきつる。おそらく――あのシオリンがこの惑星のために腰を据えることなどないとヤシロも察しているのだろう。

 それでも――一先ずは満足そうに目蓋を閉じる。新たな生命を育むためにしばしの休息――それをしっかりと満喫するように。

 


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