月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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大蔵家の傲慢さの招いた災禍に関わる、一つの清算の閑話
里想奈とリリアーヌが、誰よりも強い友誼を結ぶに至る、きっかけの物語

※今回の話は、ルナシナリオ“アフターアフター”を軸に、乙女理論とその周辺に近しい流れが発生したという時間軸で進んでおります。

閑話 裏タイトル 【初恋ザマス】

単純思考さま、誤字報告ありがとうございました!


閑話 乙女理論の忘れもの

 

それは、今より少し昔のパリにて

 

 

 リリアーヌ・セリア・ラグランジェは回想する。自分の青春時代を、苦い記憶も美しい記憶も両方ある、輝かしいあの頃を。

 

 あの日、あの時、あの場所で彼に出会うことがなければ、自分の人生はもっと歪んだものとなっていたのは間違いない。

 

 フィリア学院生徒としての2年目。当時自分が東洋人に対して幼少のトラウマから端を発した日本人嫌いを爆発させていた苦い記憶…… 今ではそれも逆恨みだったことも分かっている。悪意が悪意を呼び、自分はそれに飲まれたのだ。

 

 それを、救ってくれたのがあの人、大蔵遊星。いや、いまは桜小路遊星となったあの人だった。

 

 

 

 舞台は10数年前のパリ。

 

 時期は1ヶ月後に欧州の王族、貴族を招いてのフィリア・パリコンクールが行われようとしてる頃。

 

 そして、リリアーヌの所業が分かり、明確に大蔵りそなと対峙し、最優秀賞をかけての勝負が行われる……はずだった。

 

 一度はたしかに対決の方向に舵が切られていた。だが、ある事件が起こったことによって、当時はまだ婚約中であったので、正式に桜小路姓になっていない大蔵遊星の考えが変化したのだ。

 

 「このまま、リリアーヌさまを打ち負かす解決方法で良いのだろうか」

 

 彼はそう考えた。その根拠はまずリリアーヌのトラウマ。幼少の頃にそんな真似をされて、心に傷を負うなということが無理だ。だから、東洋人を嫌う、日本人を憎むという気持ちを共感はできずとも、理解することは出来た

 

 

 「だけど、それにしたってわからない事があったんだ」

 

 彼女は服飾を志す者で、現にあの厳格なケネス教諭からも優秀だと評価されている。つまり、彼女が真剣に服飾と向き合ってきた証拠だ。

 

 才能に胡座をかいて、努力を怠る人間を、あの教諭が評価するはずがない。だからそれだけ、リリアーヌの服飾に対する真剣さは本物ということ。

 

 「そんな人が、自分も制作に携わった衣装を燃やしたりできるだろうか……?」

 

 それがどうしても引っかかった。そして遊星は前例を知っている。あそこまで服飾にストイックだった兄・衣遠が『盗作』という行為を行った過去。

 

 それは、極限まで追い詰められた衣遠が、自分が奉じ、心の糧としていた服飾を裏切る行為、彼としても身を切るような思いがあり、現に、彼はそれ以降けじめとして第一線に立つことせずに、ブランドのアドヴァイザーという立ち位置に収まっている。

 

 

 「そんな中、アンソニーさんが起こしてしまった事件があった」

 

 大蔵アンソニーが、兄駿我のために役に立とうと、りそなが住む別荘を見張るよう命じていた探偵が独断専行を行ってしまい、結果放火騒ぎになり、それが大蔵家の者の手先だったとわかればすわ大騒動、プランケット家との揉め事になるという瀬戸際まで発展しかけた出来事。

 

 この1件が、遊星にある考えを思い至らせた。

 

 

 「もしかしたらリリアーヌ様も、そうだったんじゃないだろうか」

 

 メリルのデザイン衣装を燃やした件は、弁解のしようもない悪意があっただろう。だが、それ以前はどうだろう。そう思った彼は大蔵りそながフィリアに入学した後ではなく、もっと前に、彼女がトラウマを負ったあと、通常生活に復帰した後の頃の情報を、兄衣遠に調べてもらった。

 

 「……もしかしたら、これはアンソニーさんの件と」

 

 すると、同じような事件があったことが分かった。フィリア学院に入る前の学校で、東洋との混血の人間が創った衣装が燃やされる事件が起こっていたのだ。

 

 これも、今回の件のようにリリアーヌが同級生にやらせた。と見ることもできる。 けれどもしかしたら?

 

 「僕は、デザインを描いていた時の、リリアーヌさまの目を見ている。あの目は、服飾を軽んじる人の目じゃなかった」

 

 遊星は、リリアーヌを信じることにした。いや、信じたいと思った。きっとこの過去の件は、彼女の思惑以上のことが起こってしまったんだと。

 

 たしかに、当時の彼女も今と同様に東洋人に対するトラウマがあっただろう、だが、それはどちらといえば恐怖による忌避感に近かったのだと、遊星は感じる、年若い少女に、急にそこまでの転身ができないことは、妹のりそなを見てきたから分かる。

 

 

 「つまり、『あのリリアーヌ様』になってしまった、別の強烈な事件があったはず」

 

 それがこの以前の学校の件なのだ。当時のリリアーヌは東洋系の生徒を忌避、言ってしまえば恐怖していた…… そして彼女はフランスで有力の貴族ラグランジェ家の娘。その家に取り入ろうと、つまりは『リリアーヌに気に入られるために、彼女が嫌う・怖がる存在を迫撃した』存在が、現れてしまったのではないのだろうか。ちょうど、アンソニーが雇った探偵のように。

 

 「その生徒たちは、リリアーヌさまの意思を過剰に忖度し、東洋系の生徒を過剰に排斥しようとした。してしまった」

 

 そうして、燃やされた衣装を見て、当時のリリアーヌはなにを思っただろう。当時から、彼女は真剣に服飾に打ち込んできたはずだ。だから、衣装を作る苦労も大変さも分かっている。だが、取り入ろうと、恩を着せようとしているだけで、服飾のことに興味をもたない人間であったならば、服を燃やすことなどに罪悪感も躊躇もない。

 

 おそらく、リリアーヌにとって服飾は、負わされたトラウマを克服する発奮剤だったのだろう。そうして素晴らしい衣装を作り輝ければ、過去のトラウマも克服できる、そう考えたのでなかっただろうか。

 

 「けれど、そうして新しく心の支えになるはずだった服飾も、自分の周囲に取り巻く環境によって、輝けなくなった」

 

 そんな手段を使って輝いて嬉しいだろうか? いや、それはもう輝きなどしない。彼女はその瞬間、絶望したのではないだろうか。

 

 そんな時人間はどうするか。

 

 「すべてを諦めて、投げ出すか」

 

 あのワイン倉庫の自分がそうだったように。それとも……

 

 

 「衣遠兄様のように、鬼畜の道を歩まんとするか。リリアーヌさまは、後者を、お兄様と同じ道を選んだ」

 

 燃えた衣装は元に戻らない。その犯人たちは「リリアーヌさまのため」と公言して憚らない。そうして彼女は『劣悪貴族』になることを選んだ、選んでしまったのだ。

 

 「でも、まだ間に合う。僕は、僕らは、衣遠お兄様と和解することが出来たんだから、リリアーヌ様とも、きっと……!」

 

 大蔵遊星は信じた。きっと残っている、彼女の真心を。

 

 こうして見ると、あの時兄衣遠が豹変したリリアーヌへの最初の表現が、正鵠を射ていたことが分かる、あの時、彼はこう言った。

 

 

 『哀れな海牛が必死に唾を吐いているようにしか見えない』

 

 

 衣遠は、あれがリリアーヌが纏った悪意の外装だと看破したのだろう。自分も鬼畜外道の外装を纏わなければ、立っていられなかった男だったゆえに。

 

 だがその中で、幼いリリアーヌは今も泣いている。悪意の外装をまとわないと、罪の重さに耐えられなくなる。

 

 哀れな少女だった。

 

 そんな彼女をただ倒すべき敵としか見ないで、全てをその人のせいだと悪意に悪意を返しても、輝く明日には至れない。

 

 自分がパリに来た理由は、誰かの罪を暴いて打ちのめすことじゃない。りそなが、大事な妹が、これからも大切な友人達と楽しく日々を過ごしていけるようにと、そのために来たのだから。

 

 だから遊星は、意を決して仲間たちに、そして兄に相談した。

 

 

 

 

 

 

 

 「私は、リリアーヌさまの衣装を手伝いたいと思います。華花さんの代わりに」

 

 「な!?」

 

 「ええ? 何言ってるの朝日!?」

 

 「ど、どういうことなのですか朝日さん」

 

 「いくらナデシコの提案でも、それは聞けないぞ」

 

 その場にいる少女、妹のりそなも含めて驚愕した。たが、忙しい中時間を割いて来た衣遠だけは、真剣な顔で先を促す。

 

 「理由はなんだ。どうして、今になってあの女に肩入れしようとする」

 

 「たしかにリリアーヌさまは許されないことを行いました。そして、その過ちを正すために、私たちで彼女を打ち負かす形になります」

 

 「でもそれはリリアが望んだことじゃない。散々卑怯なことでメリルやりそなをイジめて」

 

 「はい、しかし、それは彼女だけの罪でしょうか」

 

 「え……?」

 

 「りそな様には大変酷なことを申します、どうかお許し下さい」

 

 「はい……」

 

 最愛の兄の、滅多にしない厳しい眼差しに、大蔵りそなは思わず背筋を正して聞き入る姿勢に入る。

 

 

 「貴女は、リリアーヌさまの悪意に気づいていらっしゃった。そして、ご自身が耐えれば良いと思って、皆に黙っていてくださった。場の空気を乱さぬために」

 

 「そうです……」

 

 「それは大変立派です。従者として大変誇らしく思います」

 

 言葉では『従者』と言ったものの、その言葉の奥に『兄として』という思いがあることに、りそなの心は暖かくなる。だが、次の兄の言葉で心の奥底にある後悔、悔悛の念を突かれることになる。

 

 なぜなら、「もしかして」という想いが消えないから。それが大蔵次男家の従兄弟達との確執が解消されようとしている事実からも、思い出したように彼女の心に一筋の傷を作っている。

 

 「しかし、なぜ私に、小倉朝日にそれを相談してくださらなかったのですか?」

 

 「それは…… その……」

 

 貴方に余計な迷惑をかけたくなかったかからです。貴方は人を疑えるような人ではないですから。

 

 そう言えれば、楽だった、しかし、その真実はまた別にある。むろんこの思い自体も彼女の偽らざる赤心だ。だがその裏に隠れたもうひとつの思いがある。

 

 

 「りそな……? どうした、理由があるのならしっかりというべきだと思うぞ」

 

 友人のディートリンデの促しにも、りそなは言葉を紡げずにいる。兄に嘘をつきたくないという思いと、自分の醜さを知られたくないという思いが、彼女の身動きを取れなくさせている。

 

 だから、こういう場面こそ苛烈峻厳な、もうひとりの兄の出番だ。

 

 「ククッ、少しは成長したと思っていたが、やはりまだまだお前は卑しい愚かなる妹だったか。はっきりと言えばどうだ、お前がその従者に相談しなかったのは、単に自分の性根を知られたくなかっただけだと」

 

 「………っ!」

 

 りそなは赤面して俯いた。そう、そういうことなのだ。

 

 彼女はどこまでも恋する乙女。恋する乙女は精一杯に好きな人に自分の綺麗な部分を見てもらいたい。そして反対に、醜い部分など晒したくない。

 

 「だが、お前はもうあの場で自分の性根を晒しているのだ、今更清純ぶったところで遅い。厚化粧がバレた年増女でも、もう少しマシな開き直りをするぞ、クハハハハ!!!」

 

 

 「~~~~っ!!」

 

 りそなの顔の表面が、これ以上は無理といわんばかりに真っ赤になっている。まさに噴火直前という具合だ。

 

 「ああそうですよ、その通りですよ上の兄!! 卑しい愚かなる妹である私は、この人にいつも人をそんな風に見てる奴だと、知られたくなかったんですよ!!」

 

 他人の見る目があるの良いことだ。だが、まず他者の悪意の有無を計る姿勢は、まちがいなくりそなが恋する兄の好むところではない。むろん、それを知ったからといって遊星がりそなを蔑むことなどありえないし、そんなことはりそなとて分かっている。

 

 それでも、知られたくないからこその乙女心なのだ。

 

 りそなとて、「自分は他人の顔色ばかり見てきた」とは言ってはいるが、だからといって、常に「悪意がある」かとどうかを探っている、とまでは知られたくない。 

 

 衣遠の指摘通りに開き直ったりそなは、全身で呼吸しながらも『いっそ殺せ』と言わんばかりに震えている。

 

 そんな彼女に意外な助け舟が現れた。

 

 

 「りそな様の気持ち、少しわかります」

 

 「メリル!?」

 

 「私も、朝日さんに対してはみっともないところを見せたくないもの。そんなことで朝日さんが私を嫌うような人ではないないことが分かっていても」

 

 「おお、たしかに君もナデシコが大好きだったな」

 

 りそなとは方向性が違うとも、メリルもまた遊星(朝日)に恋する乙女だ。彼女に自分のみっともないところを見せたくないという、りそなの気持ちが誰より分かる。

 

 修道院にいる頃は、多少髪が跳ねていたり、ノーメイクで室内を歩き回ることが普通だった彼女も、朝日が隣に来て交流するようになってからは、そうしたことを気にするようになった。

 

 「そっかぁ、りそなったら朝日のこと大好きだもんね」

 

 「人を好きになる、いいこと」

 

 

 「………我が家の家系はどうなっている」

 

 周囲の女性たちが共感している中、一人メリルの出自を知る衣遠としては複雑である。どうして自分の家系は近親者に惹かれるのか、紅茶を2杯ほども飲みたい気持ちになった。

 

 「そうですりそな様。たしかに、事前に私に相談してくれたとしても、今回のことは防げなかったかもしれません。でも」

 

 防げたかもしれない。その可能性を、完全に否定しきれるか。

 

 「…………」

 

 りそなには否定できるはずもない。大蔵りそなは、大蔵遊星の心の美しさを誰よりも知る人間の一人だ。それが、桜小路ルナの、大蔵衣遠の、大蔵駿我の心を溶かしてきたことを知っている。

 

 この人ならば、悪意に染まってしまったリリアーヌの心もまた溶かしてくれるかもしれない。いや、きっとそうなる。

 

 りそなは心の奥でそれが分かっていた。だが、それをしなかった。兄に迷惑をかけたくないというのは通じない。現に、一人でやってみせるとパリに来たものの、結局助けを呼んだのは自分だから。

 

 ならばやはり、リリアーヌのことを遊星に話さなかったのは、彼女の恋心がそれをさせなかったからなのだ。

 

 「りそな様、どうか私のわがままを許していただけないでしょうか」

 

 事此処に至って、この兄を止めることは出来ないとりそなは分かっていた。この人は優しく温かいが、芯には誰よりも強い意思を有している。

 

 「……好きにしてください」

 

 りそなは折れた。それは自分の非を認める事につながると分かっていても認めることができた。

 

 

 「ふん、やはり少しは成長したか。愚かなる妹から哀れなる妹に格上げすることも吝かではないな」

 

 「いやソレどっちも貶していることには変わらないでしょう」

 

 「ククク、開き直った女とは手ごわいものだ。あれほど怯えていた俺に、そのような口の利き方をするとは」

 

 「衆人観衆の中で、乙女心の隅から隅まで暴かれればそうなりますよーだ。は! これで私に怖いものはもうありません。上の従兄弟だろうが真心の人だろうが、お祖父様だろうがけちょんけちょんにしてあげますよ」

 

 「りそな様、いまはリリアーヌ様をけちょんけちょんにしないお話をしているのですが」

 

 「うるさいですよこの美人大和撫子従者! 貴方はさっさと真心の人のところに行ってやればいいじゃないですか!」

 

 「はい、ありがとうございます、お優しいりそな様」

 

 ペコリと頭を下げた遊星の顔には、妹への感謝と愛情が溢れていた。

 

 

 「いや、りそなとメリルがそれでいいなら、もう私は何も言わないけどさ。衣装製作、朝日抜きで間に合うの?」

 

 「正直厳しいぞ……わたしもヴァリーもナデシコに比べれば、将官と兵卒ほどに技術に差がある」

 

 「完成、むずかしい」

 

 メンバーの心境問題は解決したが、現実問題はまだ残っている。残り約半月。その間に果たして2着の衣装を完成させられるかどうか。

 

 新たに着手したメリルの衣装は、たしかに簡素だがそれでもショーに出す衣装。縫うのが実質メリル一人になるのだから、彼女の助力は期待できない。

 

 たしかに教室の学友がりそなの手を貸そうとしてくれてはいるが、それでも遊星が抜けた穴を埋められるほどではない。

 

 では、どうするか。

 

 「そのために、俺を呼んだのだろう? 『小倉朝日』よ」

 

 「はい、大蔵衣遠さま。どうかお知恵をお貸しください」

 

 遊星も、その道筋を整えることは自力では出来なかった。だが、今の彼には誰よりも頼りになる兄が居る。服飾のコンクール前の修羅場を、幾度も駆け抜けた歴戦の猛者が。

 

 「ククク、俺に言わせれば、こんなもの修羅場とも言えん。人間らしい生活を諦め、衣装を制作する機械になれば成せることだ。俺がアントワープでジャンたちとしていたようにな。ラフォーレとともに食事も取らず、風呂にもはいらず2週間縫い続けたあの時に比べれば、実に生ぬるい」

 

 「え゛ 衣遠お兄様がそんなことを……?」

 

 りそなは目を丸くした。まさかこの兄にそんな泥臭い時代があったとは想像だにしていなかったから。

 

 「だが、お前たちにそれができるとは思えん。昨日までの軟弱者が、明日に歴戦の兵士になれるものではない。いや、これは嫌味で行っているのではない。お前たちのそれをする体力的な下地がないと言っているのだ。精神論をまかり通すためには、そのための体力が必要となる。これは経験論だ」

 

 衣遠の物言いにムッと表情を変えたブリュエットとディートリンデだったが、衣遠の言葉と眼光の重さに、黙らざるを得なかった。そして厳然たる事実として、お嬢育ちの彼女達に出来ることではない。

 

 

 「そこのロシア人の従者であれば、死のマラソンは走れるだろう。だが、その女には技術がない。それでは意味がない。ならばどうするか! ククク、簡単なことだ、足りないなら補う、幼児でもわかる足し算だ」

 

 人手が足りないなら足せばいい。まさにその通りだが、その人手がみつからないのだと、教室の人間はリリアーヌの睨みがあるし、学院のコレクションだから外部の者は加われない。そう少女たちは思っている。

 

 だが、遊星は答えに気づいたようで、ハッとした表情になっている。

 

 「お前たちの了見はとても狭い…… クク、まさに箱入りお嬢様というべきか。自分たちのいる箱だけが、世界の全てだと思っている」

 

 「あ!」

 

 気づいたのは、意外にもヴァレリアだった。

 

 「ほう…… 思ったよりも賢しい女だったようだ」

 

 「今回のコレクション、外部の人、許されない。参加するの、学生だけ……」

 

 ヴァレリアは慣れないフランス語で話した故に言葉が詰まったが、遊星がそれに続いた。

 

 「そうです。既にこのコレクションに出る人間が決定されている今、『フィリア学院の生徒』であれば、制作の手伝いができます」

 

 「わかったぞヴァリー! 一般クラスの生徒だな!」

 

 従者の気づきに、主人も続いた。

 

 

 「そうだ、『特別編成クラス』だけがフィリアだと思うな。いやむしろ、本当の才能は圧倒的に一般クラスの生徒たちの方に多い。少なくとも、ここいいるモノたち以上の仕事は期待できるだろう」

 

 付き人がいるお嬢様たちとは違い、一般クラスの生徒たちは、独力でパリのファッションに挑まんとする猛者たち。その力量は、特別編成クラスのお嬢さまたちの比ではない。

 

 「彼女たちの中には手が空いているものがいる。既に製作が終わっている者、自分の分担部分が終了した者などがな。そもそもこのショーの衣装の制作人数は本来1着につき8名。補充するのに問題はなかろう」

 

 その彼女たちの手を借りればいい、いや、もっと簡単に言うと。

 

 「家名に縛られず、徒手空拳でパリに乗り込んだ彼女たちにとってみれば、誰の衣装製作に加担するかの条件は、シンプルだ」

 

 特別編成クラスはお嬢様たちの集まりゆえ、しがらみも多い。けれど、一般クラスのモノたちは、この芸術の都パリで、他者を蹴落として成り上がろうとする貪欲な意欲のモノたち。

 

 「雇うのだ。高待遇でな」

 

 もっともシンプルな理屈。金。これこそが一般クラスの人間を動かす必要要素。

 

 良い衣装を作るためには、高級生地が必要になる。だが貧乏学生の彼女たちには手が届かない、ならば需要と供給をみたしてやればいい。

 

 これもまた、衣遠が学生時代におこなったこと。自身の衣装に携われる才能を認めた人間を、金の力で雇い、協力させる。

 

 それを、パリでやればいい、そういうことだ。

 

 ラグランジェ家と大蔵家&プランケット家。より好条件を提示できるのは? これはもう言うまでもないだろう。

 

 

 「わかったのならば動き出せ。一分一秒が惜しいのだろう? このパリで、綺麗で上品ぶったまま、栄光を取れるなどと思うなよ、ここは野望の魔窟。悪鬼羅刹の世界なのだから」

 

 「わかりました。ええ、妹、腹をくくりますよ」

 

 「私もやるぞ! 軍人たる者は、どんな劣悪な環境でも任務に就かねばならないと、お祖父様も仰っていた」

 

 「女を、捨てます」

 

 「すべては朝日さんの導きのままに……」

 

 「あれ、そこは神様じゃないんだ。でもこれは私はむしろパトロン側に回ったほうが良さそうだなぁ」

 

 「私の我が儘を聞いて下さり、ありがとうございます。お嬢様方」

 

 最敬礼の姿勢で遊星は感謝の意を皆に示す。

 

 これで、準備は整った。だが、本番はこれからなのだ、

 

 

 

 

 

 

 

 遊星は、学院のリリアーヌの衣装製作が行われている教室の前に立っている。

 

 制服ではなく、メイド服でもなく、OFFコーデジャケットにボーダーインナー、ネイビーパンツというユニセックスな、普段の姿とは雰囲気がことなる姿で。今日これから行うことは、この姿でなければ、ならない。

 

 この先どうなるか、まったくの未知数だ。彼は彼女を信じている、信じたいと心から思っている。だが、いくら彼がそう望んだからといって、必ずそうなるとは限らない。

 

 むしろ、最悪の方向に転べば、これまでのパリで自分たちがやってきたことが台無しになる。

 

 それを分かっていて尚、彼は彼女と向き合おうと思った。いや、向き合うべきだと思った。

 

 「失礼します」

 

 ノックをして、来室を告げる。教室の中にはリリアーヌのほかに数人、彼女の取り巻きが数人いた。

 

 衣装製作を行っていたようだが……。 うん、ダメだ、と遊星は自らの危惧通りだったことを理解する。あたって欲しくなかった予想が、あたってしまった。

 

 「あらぁ? 朝日さん? どうされたのですかぁ?」

 

 言葉遣いこそ以前とさほど変わらないものの、今の彼女は侮蔑の感情をもはや隠すつもりはない。

 

 「大事なお話があります。今後の私、りそな様、そして貴女の今後に関わることについて。どうか、2人だけでお話させていただけないでしょうか」

 

 精一杯の誠意を込めて、遊星は頭を下げる。

 

 その上品な所作はリリアーヌも満足できるものだったらしく、彼女は鷹揚に頷いた。周りの取り巻きにたいして余裕あるトップの態度を示す意味もあったのだろうが、結論として、彼女は朝日――大蔵遊星と2人だけで対話することになる。

 

 それが、彼女の人生の岐路だった。この時の彼女は思いもよらなかったことであろうが。

 

 

 「それでぇ。お話ってなぁに? つまらないことだったら許さない……と言いたいところだけどぉ、第6身分の中で、貴女は少しだけ認めているの。跪いて私のモノになるのなら、それで許してあげる」

 

 「……ありがとうございます、お優しいリリアーヌ様」

 

 遊星は少し意外だった。彼女の東洋人嫌い……いや憎悪の大きさは以前の狂態を見れば瞭然だったが、それでも自分のことを一定の評価しているようだったから。

 

 自分が欧州人とのハーフだからだろうか……とも思ったが、メリルもまたそうだったことを思い出すと、それが理由ではなさそうだ。

 

 ではなぜ? と思うと、少し彼の中で希望が膨らんだ。彼女は、きちんと人間の内面を見れる人だと感じたから。

 

 残念ながらメリルは彼女の気に入る性格ではなかったようだが、自分に対しては、敵意が弱い。

 

 「リリアーヌさまに、伏してお願いがあるのです」

 

 「お願い? まさか以前の約束を無しにしてくれって言うのぉ? ダメダメ、まぁ、あれだけ啖呵切っておいて尻尾巻いて逃げるってのなら好きにすればいいけどね。おとなしく自分の島国に帰るなら、こっちも文句ないわ」

 

 「いいえ、私をリリアーヌさまの衣装製作に、加えていただきたいのです」

 

 「……………………え?」

 

 あまりにも予想外の言葉が飛んできたたためか、リリアーヌは返答にしばらくの時間がかかった、というより、未だ返答ができていない。

 

 「え? はぁ? いったいなにを言っているの貴女? わたくしの衣装を、敵である貴女に触れさせるわけないでしょ?」

 

 「敵では、ありません。少なくとも私はそう思っています」

 

 「はぁぁぁぁ!?」

 

 いよいよもって、リリアーヌは眼前の女の意図を測りかねた。いや、もとよりこの女性は、いつも自分の予想に反した行動ばかりしてきた。

 

 なにより気に入らないのは、彼女の目だ。自分のデザインを見たときも、自分の偽りの親切を示した時も、いつも純真な敬意や好意や寄せてきた。

 

 過剰な親切は、むしろ「相手を下に見ている」行為と見られる。だからされた方はどこかで「ありがた迷惑」という感情を示す。これまでの彼女のターゲットは皆そうだった。大蔵りそなはやや違ったが、彼女はむしろ警戒心が強すぎたゆえのポーカーフェイスだ。

 

 けれど彼女、小倉朝日は違った。今まで出会った東洋の血を引く人間と、全然一緒じゃなかった。

 

 ……そんな目で私を見るな。そう思ったことが何度あっただろうか。

 

 そんな彼女が、いつもどおりのあの真っ直ぐな好意と敬意を持った瞳に、いまは決意をにじませて見つめてくる。思わず目を逸らしたくなるが、彼女が負けじと外装を纏い、正面から迎え撃つ覚悟をする。

 

 

 「貴女の主人が仕掛けてきた勝負でしょ? 貴女のやってることはそれの放棄よ? 分かってるの?」

 

 「はい、十分に承知しています。そして、りそなさまの衣装を制作している皆様にも了承してもらった上での行動です。私の独断ではありません」

 

 「は、はぁ?」

 

 いよいよ持って大仰な仕草すら出来なくなったほどに混乱するリリアーヌ。彼女には、目の前の女がなにを考えているかがまったく分からない。

 

 「りそなさまも皆様も、あなたがしたことを許せないと仰っていました」

 

 「ふ、ふん、そんなこと今更何を言われようとも何とも」

 

 「ですが、私は許したいと思っています。そう思ってしまうことは傲慢でしょうか」

 

 胸元に手を置き、真摯に訴える小倉朝日。今の彼女のセリフを、彼女以外の東洋人が言ったのならば、彼女が憎悪の外装を取り戻し、すぐさまに罵倒しただろう

 

 第6身分の分際で、貴を許すなど何様だ、とか

 

 許すも許さないも、お前たちには何の権利もないんだ、とか

 

 そうした口汚い罵りをしているはず。でも、リリアーヌは何も口にできずにいた。

 

 目が、どこまで綺麗な目が、まっすぐに自分を見つめているから。その瞳を、その視線から目をそらすことが出来ない。

 

 リリアーヌの中で、過去の情景が蘇る。

 

 

 『あの日以来、親切に、温かく接していただいた一日、一日を忘れておりません。その貴族らしき振る舞いに憧れを覚えます』

 

 『貴族の務めを果たすために、私たちの想像もつかない苦労があるのだと知りました。ですがその苦悩や戸惑いの一面を覗いたことすら、貴女の心の一端に触れることが出来たのだと喜びを覚えます』

 

 『どうかいつまでも、慈しみ深く、誇り高き貴女のままでいてください。お優しいリリアーヌ様』

 

 どうしてあの言葉が今も残り続けているのか。彼女の美しい口から、美しい声で、美しい心を伝えてもらったことが忘れられない。

 

 あの一瞬だけ、自分は幼い、世界の厳しさをしらないリリアーヌに戻れた事実を、無くすことができないでいる。

 

 大蔵りそなに対する報復ではなく、それ以前からずっとリリアーヌは小倉朝日が欲しかった。彼女の美しさに触れていたかった。

 

 だけど、その赤心を認めてしまえば、これまで自分が行った罪に耐えられない。だからもう、傲慢で醜悪な貴族になるしか、自分は出来ない。

 

 出口のない迷路に、リリアーヌはいた。だけど、その迷路に今光が差そうとしている。明るい始まりを告げる、優しい朝日が。

 

 

 「どうして………?」

 

 リリアーヌから出たのは、罵倒でも糾弾ではなく疑問だった。その時点で、彼女は『自分が許されないことをした自覚』が有ることを証明している。

 

 その様子を見て、遊星はより彼女を信じようとする気持ちを強くした。同時に、あのマンチェスターの屋根裏部屋とポーヌのワイン蔵を思い出す。あの時、母やジャンがいなかったら、自分はどんな性格になっていただろう。もしかしたら、世界のすべて憎み、あらゆる人を傷つけたいと思うような人間になったかもしれない。

 

 彼女には、あの時のジャンは現れなかったのだ。ならば、あの恩人には及ばずとも、そのほんの少しでもあの時自分が受け取ったものを、目の前の彼女に捧げたい。

 

 「公平では、ないからです」

 

 遊星は意を決する。これからすることは、衣遠以外には告げていない、りそなにすら言わなかった、秘中の秘。

 

 「公平? いったい何を言っているの?」

 

 「私は、ずっとリリアーヌ様を…… それどころかブリュエット様、ディートリンデ様、教室の皆様全員を騙していたからです」

 

 リリアーヌのしたことはたしかに許されない。だが自分たちはどうだ? 彼女を糾弾できる立場にあるのか?

 

 自分たちにも事情があるとは言え、それはあくまで勝手な都合。パリのお嬢様を騙していい理由にならない。

 

 自分の罪を隠したまま、相手の罪だけを糾弾するのは、卑怯ではないだろうか。

 

 メリルさんもいっていた。『メタノイア(悔い改める)』ことが重要で、それは『アイノタメ(愛のため)』なのだと。

 

 「私は、小倉朝日ではありません。私の……いや僕の本当の名前は大蔵遊星。大蔵りそなの兄になります」

 

 ヴィッグを外し、声色を男のモノに戻して、遊星はリリアーヌに秘密を明かす。敵対している関係にある彼女に、自分の心臓を差し出した。

 

 それは、最大限の信頼の形であり、懺悔の証でもあった。

 

 「え? え? え?」

 

 リリアーヌは、何が起きているのかがわからない様子で、目を見開いたまま呆然としている

 

 ウィッグを取り、ユニセックスな姿をしている今の彼女は、明確に彼だ。ここに小倉朝日はいなくなり、大蔵遊星が彼女の前に、初めて姿を現す。

 

 「僕と、大蔵家が貴女に犯した非礼の数々は、謝って済むものではないと分かっています。ですが、どうか僕の『メタノイア』を聞いてもらいたいのです」

 

 「は、い………」

 

 リリアーヌは未だ混乱の中にいる。いや、混乱の極みの中におり、呆然としたまま出た言葉には、もはや敵意は混ざっていない。

 

 小倉朝日は、彼女が唯一心から欲しいと思った東洋人。大嫌いな存在のはずなのに、その心の美しさに惹かれてしまった。

 

 大蔵遊星は、彼女が唯一期待していた東洋人。彼が素敵な人であれば、自分はこのトラウマを克服できるのではと、縋った白馬の王子様。

 

 その2人が、重なった。美しいと思った人が、憧れの王子様だった。

 

 そのあまりの事態に、悪態をつくことも忘れて、言うなれば素のままの彼女が、悪意の外装から引き出されて来たのだ。

 

 

 「申し訳ありません。僕の祖父がした心無い仕打ちによって、貴女の心を蔑ろにしました。そして僕自身は、ずっと貴女を騙していました」

 

 彼女は、遠い空を見るような目で、遊星を見つめたまま動かない。

 

 「僕に、貴女を糾弾する資格などないのです。ずっと不義理を働いていたのはこちら、最初から欺瞞で誤魔化したのはこちら。弁明のしようもない罪だと、自覚しています」

 

 対して遊星は、今度こそという気持ちを込めて心の底から謝罪する。以前、桜小路ルナとその友人たちには、自分から打ち明けることが出来なかった。

 

 だから、この人にはそうしよう。大蔵の仕打ちで傷ついてしまったこの人に。それが今の自分にできる、精一杯の誠意だと思うから。

 

 「リリアーヌ様、僕は覚えています。華花さんと貴女のやり取りを。下品な言葉遣いを強要されたとはいえ、そのやり取りの中で華花さんの言葉は、リリアーヌ様ご自身をも貶すような言葉もありました。本当に立場上言わざるを得ないだけの人ならば、そんな事はできないし、させません。貴女たちにも、やはり信頼関係があったのだと信じています」

 

 そう、教室でのやりとりの中で、華花は当のリリアーヌを「リリアナル」だの「リリアヌス」だのと、そんな呼び方をしたことが稀ではなくある。そんな彼女を、当のリリアーヌは放任していた。これが、本当に心の底から東洋人を嫌う人のすることだろうか?

 

 だから、遊星はリリアーヌの心を信じ、寄りそう。

 

 「どうして……どうして、そう思えるの? だって私は、現にあの子の衣装を燃やして!」

 

 「僕の知る人の中に、どうしても引き返せない事情があり、誰をも踏みにじる鬼畜の道を歩まんとする人がいました。しかし、それは本当にやむにやまれぬ、その人には非がない事情でそうならざるを得なかったということだった」

 

 兄、大蔵衣遠の苦悩がそれだ。いかに彼が選んだ道とは言え、彼のせいではないのに、そんな選択を強いられる立場にされてしまったのは事実なのだ。

 

 「また、自分の意思を過大解釈した周囲の人間の手によって、取り返しのつかない事態を呼んでしまった人も見てきました。その上で、僕は思います。リリアーヌさまも、そうではなかったのかと」

 

 「な、なにを、何を言ってるの、いったい何を言うのあなたは!」

 

 「貴女は、本当はとても優しい方。でも、負わされてしまった心の傷のため、近くにいて欲しくない人たちが居た。それを、貴女の望まぬ形で排除してしまった人たちが、やはりかつて居たのではないでしょうか」

 

 「な、なんで…… どうして……」

 

 ああ、よかった。

 

 遊星は心の底からそう思った。この人を信じて良かった。やはりこの人は親切で誇り高い貴族だったのだ。

 

 

 「デザインです」

 

 「え?」

 

 「貴女のデザインは、とても洗練されていました。一朝一夕では出来ない出来栄えです。それは、それだけ服飾に真剣に打ち込んだ、なによりの証」

 

 「わたくしの、デザインが」

 

 「でも、そこに本来あるべき『輝き』がなかった。それは、あなた自身がどこか心の底で『自分には輝く資格が無い』と思っていたからではないでしょうか」

 

 「あ、ああ」

 

 悪態を突きたい、罵倒を浴びせたい。そうして憎しみの鎧をまとえば、自分は今の自分でいられる。

 

 でも出来ない。心は散々に乱れてしまった上に、いつか誰かに見つけて欲しかった本音を当てられてしまった。

 

 それが、彼女がずっと夢見ていた王子の手によって。

 

 そう、王子だ。彼は今まで着ていなかった、男としての衣装を着ている。女装ではない、男性に見える上に、礼を失しない服装を。

 

 装い一つで、人は変わる。変えられる。

 

 「あなたのデザインはとても素敵なのに、あるべき輝きがなかったことが、あなたが実は誰よりも苦しんでいた証だと、僕は思うのです」

 

 「わたくし、わたくしは…」

 

 「貴女は慈しみ溢れ、誇り高い淑女です。リリアーヌ・セリア・ラグランジェ様」

 

 「~~~~~」

 

 彼女は手を口に当てて崩れ落ちた。

 

 遊星は、その震える方をそっと抱いてあげ、教室内はしばらく赤裸々になった少女のすすり泣きが響くのみの時間がすぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、遊星はどうして自分が女装することになったのか、リリアーヌとのお見合いに出ることが出来なかったのかを話した。

 

 その内容は、彼が屋根裏王子と呼ばれていたこと、大蔵家の複雑な事情、自身はリリアーヌが婚約者だと知ることすらなかったことを。

 

 気が付けば、外は暗く、学校を閉める時間となっていた。時間を忘れて、2人は話し合ったのだ。

 

 「あの、遊星さま」

 

 「はい、なんでしょう」

 

 「わたくしは、りそな様に謝ることが、まだ出来ません」

 

 もう彼女は、あの時教室で狂態を晒していた人間ではなかった。悪意の外装を、遊星の無償の善意によって剥がされた、本来のすがたのリリアーヌの姿で、遊星と話している。

 

 「りそなが、妹が怖いのですね」

 

 「はい……」

 

 遊星にも分かっている。今こうして沈んだ顔で涙を浮かべている女性が恐れているのは、大蔵りそなという個人ではない。

 

 今まで行ってきた自分の罪だ。その罪と向き合うことに耐えられないことを、恐れている。

 

 「笑ってください。あんなに無様な真似までしでかしたのに、本当のわたくしは、今もあの頃のように怯えたままなのです」

 

 「僕のことは、怖くないのですか?」

 

 「あ、貴方は特別な人だから」

 

 沈んでいたリリアーヌの顔が赤くなる。その赤くなった顔を隠すために伏せられた顔が、しかし告げられた遊星の言葉で再び上げられる。

 

 「ならば、やはり貴女の衣装を僕に手がけさせてください。衣装には、着る人に勇気を与えられる力があると思いますから」

 

 「え……」

 

 「着るもの一つで、世界は変わるんです。これからの時間、僕は貴女への感謝と謝罪の気持ちを込めて衣装を作ります。どうかその衣装を着て、もう一度輝かしい貴女へと戻って」

 

 「…………良いのでしょうか、あれだけのことをしたわたくしが、今更」

 

 「あれだけのことをしたのは、お互い様です」

 

 「でも」

 

 「僕も貴女も、罪を犯しました。だから、その罪を抱いて、罰に生きましょう。僕はこれから寝食を忘れて貴女の衣装を最高のものにします。だから貴女も、それを着て罪に向き合う勇気を持ってください」

 

 どこまでも美しく真剣な眼差し。それをリリアーヌは信じた。

 

 「はい、ありがとうございます。大蔵遊星様……」

 

 「そして、もし貴女が勇気を取り戻すことができたなら、聞いてもらいたい我が儘があるのです」

 

 「それは…?」

 

 「妹と、仲良くしてあげてください」

 

 リリアーヌは一瞬だけきょとんとした顔になったが、すぐに笑顔で、彼女の名前のとおり、百合のような慎ましくも可憐な笑顔で応えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後のことについて、語るべきことは多くない。

 

 パリの中心、凱旋門で行われたショーでは、『2人の女性』が一際美しく輝いたことと、その後大蔵りそなにパリでの親友が一人増えたこと。一度は解雇されたリリアーヌの付きのメイドが再雇用されたことくらいである。

 

 こうして、大蔵遊星パリの舞台は終わり、彼が残した影響は、次の世代へと広がっていったのである。




 ……なお、リリアーヌが遊星に既に桜小路ルナという婚約者がいることを知ったときは、今度は『白い肌の女』に対して強い憎悪を抱きかけたが、大蔵りそなと一晩ワインを飲みながら語り合うことで、事なきを得た。

 そうした意味でも、リリアーヌとりそなは固い絆で結ばれた親友となったのであった。失恋仲間の絆は鋼よりも重く硬い。


――補足――

 遊星が乙女理論の本編と違う結論に至ったのは、すでに彼の中の一番大事な人がルナ様になっており、『りそなを一番に考える』という観点に立っていないためです。りそなのためならば、彼は姫を守る王子になりますが、既に気持ちの上では『桜小路遊星』であるルナ様ルート後の彼は、より俯瞰的に事情を見ることが出来たため、別の結論に行き着いた形になります。

 こういうことがあったので、『2』のリリアーヌはジャス子をりそなが理事長の日本校に行かせたんじゃないかなー、という原作補完みたいな感じだと思ってください。


 次回は衣遠兄様らによる過去の回想があり、作中きっての諸悪の根源が排除されている詳しい背景が語られます。
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