月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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物事には、表面があれば、裏面もある
人間は、綺麗なだけが全てではない生き物
美しい少女らが華やかに咲き誇るならば、その影で養分となる動物の死骸をせっせと埋めている誰かがいたり

善意より始まる愛憎も、悪意より始まる清算も、結果良ければ世は事もなし

9話 裏タイトル 【むしろ生きてるほうがおかしくね?】

単純思考さま、誤字報告ありがとうございました!


9話 大蔵家の清算、衣遠の覚悟

 

才華へ寄ってくるナンパを追い払う最中の、ある会話

 

「時にルミネよ。一つ例題だ」

 

「何ですか」

 

「財力と権力だけは無駄に溢れる土蔵の家に生まれた凡人の長男がいた。性質は醜悪と呼べるほどの悪人ではないが、どこまでも平凡。善にも悪にも偏れん、どこにでもいる凡夫だった」

 

「ふむふむ」

 

「凡夫故に家を背負い切れる器はなく、まして家長は偏屈で頑迷、政略結婚に等しい妻は悋気の強い癇癪持ち。必然の流れとして男は逃げ場を求め、見目麗しいが身寄りのない使用人の女に手を付け、妾腹の子をもうけるに至った」

 

「よく聞くようなクソ話ですね」

 

「そう、どこにでもあるありふれたクソ話だ。そして、頑迷な家長や悋気持ちの長男夫人の関心を得んがため、権力に玩弄された哀れな使用人の女を“雌犬”と蔑み、生まれたことに罪などあるはずがない妾腹の子を“雌犬の子”と公言して憚らない腰巾着の男がいた。これをどう思う」

 

「率直に言って、人間として終わってる性根の卑しい屑」

 

「そう、その通りだ。よく覚えておけルミネ、そういう性根の卑しい屑はな、殴って性根を叩き直し、矯正せねばならん。組織の頂点に立つ者とは、殴る痛みも返り血も、恐れていては話にならぬ。それが伯父であれ、養母(はは)であれ」

 

「……肝に銘じます、大蔵の次代として」

 

「そうだ。ゆめ、忘れるな。お前は里想奈の娘。総裁の嫡子は、一人しかいない」

 

 

 こんな会話があった後、喫茶店に入ったルミネは「激務の後には、癒やしが必要」と、才華を膝の上に座らせ、衆人環視の中で微笑みながら頭を撫でていたそうな。

 

 才華は知らない、これも一つの裏側の閑話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 青山霊園を離れ、桜屋敷に才華を送り届けたあと、秘書が運転する車の中で、大蔵衣遠は物思いに沈んでいた。

 

 青山で踊り戯れる銀の月の姿を、自分は生涯忘れないだろう。それほどの衝撃と感動を迎える出来事だった。

 

 彼の心の内面は、様々な感情の彩模様となっている。感動、郷愁、悔悛、自噴、納得…… そうした想いの中でも、取り分け重量を持っているのは“決意”であり、“誇り”であろう。

 

 やはり自分の、いや自分たちの決断は間違っていなかったのだという、確固とした思い。心のどこかで過去の決断にしこりをもっていた点が、今日の出来事を以て霧散したといっていい。

 

 あの才華の笑顔には、それだけの価値があった。

 

 だから、大蔵邸の自室に着いたあと、妹であるりそなを呼び出し、盃を交わしながら、先ほど青山であったことを詳らかに語る。それぞれがグラスに注ぐものが、衣遠は大味なチリワイン、りそなが繊細なフランスワインというところに、性格と好みが現れている。

 

 

 「そうですか…… あの子が……」

 

 「不可思議な経験だった。おそらく、俺の生涯であのような体験は、2度と訪れることはないだろうな」

 

 「駿我さんにも、お話するのですか?」

 

 「そうだな…… 奴と【彼女】には直接の面識はない。今日の話をしてもお前のように感動を共有することはないだろうが…… それでも奴にも一報しておこう」

 

 「仲間はずれは、良くありませんからね」

 

 「クク、そういうことだな」

 

 微笑み合う兄妹。若い頃の自分たちが見たらさぞ卒倒するだろう光景だが、そう出来るまでの決断を乗り越えたからこその、現在がある。

 

 通信で出来事を知らされた大蔵駿我もまた、

 

 

 『そうか、俺には君たちの気持ちを十全に理解してやることはできないが、それがとても良いことだとは分かるよ。そして、俺たちのやったことは間違いではなかったという安堵も』 

 

 

 と語る。仕事のことになると鉄面皮の冷血人な一面を見せる彼も、私人としてとなると、精神的に弱い部分、柔らかい面、付かれたくない点というものがある。

 

 それこそが、桜小路才華という個人に収束する事象。

 

 駿我だけではなく、大蔵衣遠、大蔵りそなの3人が共有する、ある『決断』について。

 

 彼ら3人は、そのことについて、当時から間違ったことをしたとは思っていないし、それは今でも変わらない。

 

 だが、そのことについて、自分たち3人だけの『秘密』にしているということが、同時に後ろ暗い気持ちがある証左だといえる。

 

 3人は、自分たちの『決断』について、他の同世代の親族、即ち大蔵遊星、大蔵アンソニー、メリル・リンチの3人に、伝えたことは無いし、今後も伝える気はない。

 

 彼らには関わらせたくないと同時に、知って欲しくも、知られたくもないから。

 

 だが、そんな後ろ暗い思いも、今日の才華の笑顔で晴らされた気持ちになれた。やはり、自分たちの決断は、間違えていなかったという想いがより強固になり、自信を持って、これからの道を歩める。

 

 

 

 ―――祖父を憤死させたことも、未来の世代の笑顔のためと思えば、胸を張れることなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼ら3人がその決断、即ち『大蔵日懃を排除する』という行動を起こしたのは、今より幾年も時を遡る。

 

 それはまさに、大蔵ルミネが『桜小路才華を守る』と決意した出来事が発端となる。桜小路才華がルミネの子供ゆえの軽率な行動によって、重度の発作を起こさせてしまったあの事件には、それに続く物語がある。

 

 才華を病床に追いやったことで、自責の念から大蔵ルミネはこれまでとは人が変わったようになり、毎日、それこそ学校の授業を休んででも才華の見舞いに来るようになった。

 

 ルミネがそうしたのにも無理はない。倒れた当初からしばらくの間、才華の意識は戻らなかったのだ。口には呼吸器、手首には点滴を繋がれベッドの上で苦しむ幼い姿というのは、あまりにも痛ましい。ルミネの人格形成に多大な影響をもたらすには、十分であった。

 

 だが、その出来事に影響を受けたのは、幼いルミネだけではない。

 

 桜小路遊星や桜小路ルナは当然、親として我が子を心配した。普段は放任主義のルナでさえも、この時は才華につきっきりでいたくらいに。

 

 遊星の方は、もう周囲が見ていられないくらいに憔悴していた。同じ病で母と子を失うなど、これほどの悪夢もないだろうから。だがそんな遊星を励ますように集まった大蔵の親族たちもまた、内心では複雑な、穏やかではない想いを抱えていた。

 

 そうした複雑な思いに無縁であったのは、大蔵アンソニーとメリル・リンチの2人。

 

 

 「大丈夫だ遊星くん! きっと治る! 君の子はまだまだ未来がある、輝かしい運命がある! 親である君がそれを信じてあげないでどうする!」 

 

 「そうです。神様もきっとあの子を救ってくださいます。そんな無慈悲をなさるはずがありません。どうか顔を上げてください。そしてあの子の側にいてあげてください」

 

 2人は一生懸命に遊星を励まし、才華を見舞った。根本的な気質として善性であり、特にアンソニーは良い意味で楽観的かつ陽性でもあるから、遊星はこの時に随分と支えられたとを今でも感謝している。

 

 そんな3人の様子を、忸怩たる思いで眺めていたのが、大蔵衣遠、大蔵りそな、大蔵駿我の3人だった。

 

 病床で苦しむ才華の姿は、彼らにある感情を想起させずにはいられない。その才華の傍らに、遊星の姿があるから尚の事。

 

 

 ―――お前たち大蔵は、ああやって苦しむ女性から子を取り上げ、死に追いやった―――

 

 そう糾弾されているように思えて仕方がないのだ。特にその女性が遊星と瓜二つであることを自らの目で知っている衣遠などは。

 

 桜小路才華という少年は、ただ存在するだけで、大蔵家が直視出来なかった『罪』を蘇らせる。

 

 髪を伸ばしたこともあり、その女性と見まごう姿で憔悴する遊星と、その女性と同じ病で苦しむ才華、その2人が揃っている光景ならばより一層に。

 

 

 ―――何を幸福そうにしている。ひとりの女性を無慈悲に殺しておいて―――

 

 どれだけ遊星が善人で、過去の出来事に恨みを抱かぬ人物であっても、犯した罪が消えるわけではない。

 

 そして、幸運なことに誰も直接目にしなかった場面を、才華はこうして突きつけてくる。

 

 遊星の母が、どのように苦しみ、そして死を迎えたのかを。

 

 自分たちの今の幸福は、その女性の屍の上に成り立っている。その忘れておきたい事実を、才華は、彼自身にその意図はなくとも示してくる。

 

 祖母と同じ病を持って生まれたことによって。

 

 大蔵衣遠は、野心に取り憑かれ、惹かれた女性を見殺しにしたことを。

 

 大蔵りそなは、自分の軽率な行動が、母の悋気を爆発させ、それがあの末路につながったことを。

 

 大蔵駿我は、ただのデータ、取引材料、長男一家の弱点としか見ていなかったことを。

 

 遊星の母に直接触れたことのある衣遠はもう言うまでもないが、りそながこの件に関する心の傷も大きい。自分があんなことをしなければ、兄とその母はもっと…… という想いを当時から深く抱いていた。

 

 だが、大蔵駿我の後悔の想いも、他2人に勝るとも劣らない。それは遊星という人物に触れ、その暖かさに心を溶かされた身だからこそ、“もしかしたら救えた”という可能性を考えずにはいられないのだ。

 

 当時の自分は、『屋根裏王子とその母』について、敵対していた『真星一家を追い落とすのに使える材料』程度にしか思っていなかった。そこに生きた人間がおり、手を差し伸べなければ死んでしまうことなど、知ろうともしなかったし、知ったところで当時の自分はやろうともしなかっただろう。

 

 そんな自分が、どの面下げて遊星に家族面出来るというのか。駿我は、ここまで一人の人間を嫌うことがなかったほど、大蔵駿我という人間が嫌になった。

 

 遊星の暖かな笑顔に、許された気になっていた。だが、罪が消えることなどないのだ。大蔵の一族は、『家族の母を殺した』罪を、決して忘れてはいけない。

 

 幼い頃から修道院におり、そもそも知らなかったメリル。どこまでも善性で遊星と同じ『腹違いの次男』という立場でもあったゆえ、『正式でなくても家族だ、ひどい扱いはされるはずがない』と小人の悪意に思い至らなかったアンソニー。

 

 他の2人とは違い、衣遠たち3人は大蔵家の実態、遊星母子への扱いを知悉しており、自分たちの罪の重さを分かっていた。分かっていながら、遊星の笑顔のお陰で、都合よく忘れることが出来、救われてきた。

 

 

 だが、才華の存在がそれを許さない。才華自身にそんな意図は無論ないが、苦しむその幼い姿が、容赦なく彼らの罪を糾弾するのだ。

 

 彼女を死に追いやった罪に対し、大蔵の者は罰を受けていない。そう言われているように思えて仕方ない。

 

 そして同時に強く憤る。なぜ、苦しむのが罪に塗れた自分ではなく、何の罪もない才華なのだと。

 

 そうして自身の、そして一族の罪に苛まれる3人のもとへ、ある連絡がもたらされる。3人の心情を、大紅蓮地獄の底まで突き落とすような連絡が。

 

 

 「ルミネに、桜小路の長男の見舞いを控えるようにさせろ」

 

 

 祖父、大蔵日懃からの言伝だった。

 

 その時の3人の心に飛来したものは、いったい何であっただろう。

 

 それは夜叉の姿をしていたかもしれないし、修羅の姿をしていたかもしれない。もしくはただただひたすらに黒い渦であったか。

 

 いずれにせよ、3人の想いは一つだった。

 

 

 

 ―――あの老人を、排除しよう―――

 

 

 言葉を重ねて話し合ったわけでもなく、書簡を重ねて論じあった末の決断でもない。

 

 その祖父からの言葉を聞いた瞬間、3人は視線だけでそう決意した。

 

 祖父は、何も変わってなどいない。あの時の罪をまたしても、世代を変えて繰り返そうとしている。

 

 一片の慈悲もなく、一片の躊躇もなく、自分たちの家族と、これからの子供達の害となるあの存在を、徹底的に追いつめ、潰し、この家から除こう。

 

 

 「それをしたところで、俺の罪が無くなるわけでもない」

 

 「はい、今更お祖父様をどうにかしたところで、過去の私の過ちがなくなるわけはありません」

 

 「だが、過去は変えられずとも、未来は変えられる。あの老害を除くことで他の家族、特に子供たちの未来を守るために、動こうじゃあないか」

 

 「よもや駿我、お前と共犯、すなわち運命共同体になるとはな」

 

 「ああ、昔では考えられないことだ。だが、そんな些細な諍いも今は懐かしい」

 

 「あの子の、才華の苦しむ様子を、そして遊星兄様の憔悴を知りながらも、自分の満足を求め優先させるような方を、今の大蔵は必要としません」

 

 日懃が優先したのは、自分の満足。

 

 娘の気持ちが他所の家の男子に向かっている、という理由だけで、ルミネを才華から引き離した。才華の体、容態については知っているはずだというのに。

 

 病魔に冒され、今も重症の床にある子から、引き離した。

 

 この行為のどこに、『家族愛』がある。いや、もとよりあの男に『家族愛』など無かったのだ。あったのはただの『自己愛』。家族を用いた自己満足を優先させていたに過ぎない。

 

 

 かつては大きなことを成した男であった。だが、その果の姿がこれである。

 

 大蔵日懃という男に誰よりも突出したところがあるとすれば、それは『天運』だったといっていい。

 

 彼は敗戦後の日本で、戦争中に絆を深めた戦友たちと事業を起こした。優秀な部下と、好景気に向かう日本の経済事情に後押しされ、一代で巨万の富を築くに至った。

 

 時流に乗った勢いを逃さず、ここぞとばかりに業種を拡大し、ついに日本有数、世界中に名の知れた存在までのし上がった。多くの幸運と部下たちに支えられたとは言え、並大抵の男では無かったはずなのだ。

 

 だが、その頃には彼と苦楽を共にした、戦争という暴風すら共に乗り越えてきた戦友たちは、皆病気や事故で夭折し、彼が60を越える頃には、気心の知れた人間は誰ひとり残っていなかった。

 

 巨万の富を築き成功者となったのに、それを喜び合う人間は一人もない孤独、それが彼を狂わせた。年齢が過ぎてから生まれた子供たちに期待をかけるも、子供たちは能力に劣るものばかり。彼の心はまずますおかしくなっていく。

 

 一体自分はなんのために、そんな思いに取り憑かれた男は、孫たちに期待をかけるも、もっとも優秀で次代を任せるに足ると思っていた衣遠に、自分の血が流れていないことがわかった際に、彼の精神は死を迎えたといっていいほどの打撃を受けた。

 

 戦争で子供を失い、戦友たちにも先立たれ、長じて生まれた子供たちは皆期待はずれの中、最後の希望から最大の裏切りを受ける。

 

 この男の人生は、周囲から見れば羨まれるものだろうが、本人として敗北者なのだ。

 

 

 かつては、周囲に後押しされたとは言え、一代で巨大企業グループを作り上げた男だったが、今はその残骸でしかない。他でもない、友人や部下たちとともに会社を大きくしようと励んでいた在りし頃の日懃自身が、この惨めな老人を軽蔑することだろう。

 

 老いとは、人間に課された究極の問題である。中華の春申君、孫権。古代ローマのマクシミアヌスなど、若い頃は大人物であったのに、耄碌によってその名を汚した人物は数知れず。

 

 大蔵日懃もその仲間入りをしてしまった。これはそういう話である。

 

 だが、晩節を汚す老人の影響下にある者は、他人事ではない。今まではそれでも我慢していたりそなたちに、その決断をさせる事件が、起こってしまったからには。

 

 才華、ルミネ、アトレ、それに山県大瑛…… そうしたこれからの子供たちに、この老人の妄執が及ばぬようにしなければならない。それが、今の時代に現役を務める者の責務。

 

 「やりましょう」

 

 「例え自らの祖父であろうとも」

 

 「鉄の意志を持って排除する。それが我々の役目であり、彼女に対する贖罪だ」

 

 過去を覆すことはできない。だが未来は変えられる。

 

 同じ過ちを繰り返させぬよう、我々は罪を自覚し、罰に生きようと誓い合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、3人は結託して大蔵日懃の影響力を削ぐことに腐心する。

 

 企業グループの立場として、すでにりそなが総裁ではあるが、大蔵家の財産については、未だ大半が日懃の名義だ。そうであるが故に、あの老人の影響力は今尚大きい。

 

 その理由は、他でもないかの相続税である。世界中の資産家、貴族がもっとも聞きたくない言葉No1であり、蛇蝎のごとく嫌われるこの存在のために、未だ財産の相続は行われていなかった。

 

 誰もがなるべくならば先送りし、もっとも税が少なくなるよう調整したいと考えるもの。当然大蔵家もそう考えていたが、その事情が変わった。

 

 今すぐにでも、名義をりそなに変えるよう動き始めたのだ。名目は、日懃の年齢と健康を盾にする。社交界の場や企業間の会議の場などで、3人はことさら日懃の健康状態の悪化を吹聴した。

 

 さらに『大蔵家に相応しい者としての教育』を名目に、ルミネを引き離す。これには当然猛烈に反対されたが、「私の次はルミネを総裁にしたいと考えているので、今のうちに教育します」というりそなの言葉に、週に一度は自分のもとに帰ることを条件に、承諾させる。

 

 元々からして、3桁に届く高齢だ。人間は、体力ではなく気力が途切れた時に、というのは医者でも口にする言葉だが、ルミネという生きがいを失った日懃は、急速に体調を悪くしていった。

 

 その間、3人は自身の家財道具、土地や物件、権力保持に差し支えない国債社債に至るまで洗いざらい処分してでも相続税を捻出し、日懃が持っていた資産をすべてりそなに相続させた。

 

 そうして残されたのは、溺愛する娘から引き離され、財産も持たなくなった老人となる。とはいえ、彼にはまだ多くの交友関係があったので、3人は包囲の手を緩めない。

 

 体調不良の日懃のもとへ、ルミネを見舞いに行かせることを禁止させた。ルミネには「お父様は、貴女に風邪が伝染るのを心配されています」と言い含め、日懃には「あの子の教育は、今が一番大事なんです」と突き放す。

 

 さらに、対外的にもりそなに全ての財産が生前相続されたことを表明し、大蔵日懃の政治的、経済的なラインを完全に断ち切る。

 

 残されたのは、若い妻に看病されるだけとなった、病身の老人だった。

 

 そんな彼のもとには、もはや家族は誰も見舞いに来ない。いや、出来の悪かった子供たちは一度だけ来たが、孫たちは一向に来る気配はない。

 

 それもその筈。彼を切り捨てる決断をしたのは、今や大蔵家の顔であり中核となった孫たち3人であり、もう3人の孫は、『お祖父様はみんな忙しいだろうから、見舞いに来ずとも良い。むしろ来たら孝心の知らぬモノたちと断ずる』と言っていたというりそなの言葉を信じ、改心して立派になってくれた祖父に感謝し、それぞれの仕事に励んでいる。

 

 むろん、本当の意味で家族想いの3人が祖父の見舞いの手紙やメールを送らないハズはなかったが、それらはすべて衣遠と駿我が遮断し、日懃に届かないようにした。

 

 代わりに、3人の良き孫達への祖父からの返信は、大蔵家総裁であるりそなのフォルダを経由して届いた。

 

 

 

 そして、そのときは訪れる。

 

 唯一の生き甲斐のルミネを奪われ、孫たちの見舞いもない日懃のもとに、初めて孫の一人が訪れた。

 

 だがそれは、もっとも日懃の会いたくない男であった。

 

 「おお、おのれ衣遠! この老体への仕打ちは、すべてお前の意向であろう!」

 

 糾弾する声にも、往年の威圧感はない。今の日懃は、病床で起き上がれない無力な老人だ。

 

 「わかっておるぞ。これが貴様の復讐であることは。大蔵家から放逐しようした過日の恨みを晴らさんとするか、この恩知らずめ!」

 

 そう、病床で、起き上がれない。

 

 「……………」

 

 力なくわめきたてる日懃を、衣遠は冷たく、なんの感情も込められていないかのような瞳で睥睨するのみ。

 

 「他の孫たちが来ないのも、お前がやっていることだろう。こんなことをすれば、お前もろくな死に方をせんぞ」

 

 衣遠は日懃の相手をすることなく、傍らの妻に何らかの書類を見せて、何事かを話した。これはルミネをりそなの養子にする関係の書類で、実母の彼女にも関わることだったから。

 

 そのために今日、衣遠は来た。彼の目は、一度も日懃を見ていない。

 

 「聞いておるのか衣遠! なんとか言ったらどうなのだ!」

 

 それでも怒鳴る日懃。だがやはりその声にも力はなく、本人は怒鳴っているつもりでも、聴く者にとってはか細い囁き程度にしか聞こえない。

 

 もう用を済ませた衣遠だが、その日懃の言葉に一言だけ返した。

 

 

 「貴方がルミネへ桜小路才華への見舞いを禁じるようなことをしなければ、ここには見舞いに来る孫たちで溢れていただろう」

 

 やはりその瞳に熱はなく、永久凍土のごとき冷たさと硬さだけがあった。この元来苛烈峻厳な男が、このような態度を取るからには、相当の覚悟、相当の精神力でなされたことだと、衣遠を知る者が見れば分かる。

 

 分かるからこそ、日懃は絶望し、このときになってようやく理解する。

 

 自分がやったことが、自分に返ってきたことを。

 

 桜小路才華という、病に冒された少年から、その原因を作ってしまったルミネを引き離した。ただ、彼個人の我が儘で。

 

 苦しむ少年のことも、それに責任を感じているルミネのことなど考えず、ただ自分の自己満足のために。

 

 それが、こうして帰ってきた。因果応報とはかくの如し。

 

 老衰えた頭でも、今の衣遠の視線を見、言葉を聞けば、もう自分が何を言っても無駄だと悟らざるを得ない。

 

 だが、最後にこの老人は縋った。

 

 

 「頼む。どうか、ルミネ、ルミネだけは見舞いに寄越してくれ」

 

 それは懇願、そこにいるのはもう一代財産を築いた大物ではなく、誰からも見放された哀れな老人。

 

 そんな往年の姿の残照さえ見えない姿を晒した日懃に、衣遠は一言。

 

 「駄目だ」

 

 それだけを残して、去っていった。振り返ることなく、規則正しい足取りで。

 

 後に残されたのは、ただただ冷えた空気と静寂。

 

 

 

 大蔵日懃の訃報が知らされたのは、それから数日後のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの年月の間、彼らは覚悟をしたことといえ、胸の奥に残るしこりのようなものが、特にりそなにはあった。

 

 いくら耄碌し、害でしかなかったとはいえ、実の祖父へのした仕打ちには、堪えるものがある。

 

 だからこそ、直接的な役割は衣遠が担った。彼が最も日懃の主義に振り回された男であり、日懃と血のつながりがないゆえに。3人は共犯者であれど、直接手を下した主犯は誰だと問われれば、俺だと、大蔵衣遠は誇りを持って答えるだろう。

 

 大蔵日懃を殺害したのは、大蔵衣遠であると。全ては彼の意志、彼の構想、彼の指示によるものだと。

 

 それでもりそなは、必要だったと信じる。ルミネまで、あの日のマンチェスターの自分にするのは、避けたかった。

 

 

 「まぁ、我が子ながら中々奇抜な成長の仕方をしたようですが」

 

 『君の教育が、悪かったんじゃないかな』

 

 「そんな筈はありませんよ。別に兄妹愛の素晴らしさを説いた覚えもありませんし」

 

 「クク、ルミネの才華への入れ込みようは、彼女本来の気質によるものだろう。どうも保護欲が強い性格のようだからな」

 

 『今までの我々一族には、いなかったタイプだ』

 

 「多種多様でいいじゃないですか。まあ暴走しないように手綱を握る必要はありそうですが」

 

 『でも、本当に才華くんのこと、遊星くんに知らせないでいいのかい? 俺としては、最愛の息子に関しては隠さずに教えてやりたいんだが』

 

 「いや、それは止めてほしい。才華がそれを望んでいない。遊星は才華のことになると、それこそルミネ以上に過保護になる」

 

 「もう、トラウマレベルで染み込んでますからね」

 

 『まあ、そうだな…… だからこそ、我々は祖父を排したわけだが…… その甲斐はあったということか』

 

 「ああ、今日の、あの才華の姿は言葉では言い表せん。俺がそれほどの衝撃だった言えば分かろう」

 

 「ええ、衣遠兄様の表情を見ればわかります」

 

 『祖父が生き続け、才華くんを自分からルミネさんを奪う敵として見るような世界では、到底ありえない光景だった、と』

 

 もし、ルミネの成長を生きがいに日懃が生きていたら、そもそも才華の帰国を許していたかも怪しい。それが叶ったとしても、ルミネを桜屋敷に行かせないようにしていたことだろう。

 

 それは、ルミネの養母となったりそなが保証する。遠くアメリカにいた日々の中でさえも、ルミネは頻繁に才華に連絡を取り、その健康状態を案じていたのだから。

 

 そんな老人の妄執を、才華が受けずに良かったと心から思う。また、ルミネもどこに出しても恥ずかしくない娘に育てることができたと思う。少なくとも、あの老人の溺愛の下で育つよりは。

 

 

 『我々が罪を負った甲斐はあったようだ』

 

 「ああ、大蔵が彼女に対して犯した罪を、ようやくにして許された心持ちになれた」

 

 「どうか、これからも遊星お兄さまを、才華を、アトレを見守ってください」

 

 大蔵の事情の最大の被害者である女性に祈りを捧げる3人。

 

 犯した罪は消えることはないが、罰を受けることで贖罪は果たせる。

 

 未来を生きるものを正しく導くことによって、彼らはそれを見事に成し遂げた。実の祖父を排斥するという、知らない親族たちには後暗い秘密であったとしても。

 

 彼ら3人の決意と決断は、間違ってなどいなかった。

 




余談であるが

 遊星の父大蔵真星、りそなの母大蔵金子、駿我の父大蔵富士夫の世代は何も知らず、知らせていない。
 衣遠と駿我がそれぞれの家へ、【何も言うな、何も聞くな、知らせるな】とだけ態度で示した。
 知ろうとすれば、お前も潰して追い詰める、ただそれだけは分かるように。

 老害の殉死者になりたくなければ、沈黙は金、雄弁は致死毒。

 大蔵家の旧世代は、どこまでいってもこんなやり方でしかことを為せない一族なのだと、他ならぬ3人は知悉している。

 だからこそ3人は動いた。罪と罰の連鎖をここで食い止め、新世代に託すために。


閑話 ~ルミねえのお養母様とお母様~

「そういえば」

「なに? マイエンジェル」

「ルミねえ、そろそろ正気に戻って。いやね、僕ってルミねえのお母様にお会いしたことなかったな、と思って」

「ん、それってあの愉快なお養母様じゃなくて、私の産みの親の人についてってこと?」

「叔母さまを愉快な人だと思ったことはないけど………、うん、産みのお母様の方」

「そっちのお母様とは確かに才華くんは会ったことないね」

「どんな方なの? 大蔵の人からの話でも、滅多に出ることがないから、ちょっと気になって」

「別に普通の人だよ。……と思ったけど、まあ容姿は私の母だけあって美人だね。男の趣味は年上好みがすぎる点を、子としては危惧してる」

「そういえば、ひいおじい様とも仲が良かったんだっけ」

「どうも60過ぎの男性じゃないと惹かれないみたい…… まあ、それ以外は普通だよ。その一点だけでも大蔵の一族に相応しいとも言えるけどね」

「それで、ルミねえとお母様はよく会ってるの?」

「会ってるよ。でもあの人はあの人でまだ若いし、新しい人生見つけてるから、会って週に一回くらい。なんかこれくらいの親子関係の方が、変に粗が見えなくて良好になるね」

「仲がいいのは良いことだよ」

「私の母ではあるし、関係も続いているけど、直接の大蔵の集まりには関わらない方針でいる人だから、他の大蔵の人たちの話題に上がらないのはそのためだね」

「いつか会ってみたいな」

「そうだね……… うん、きっと大丈夫」

「なんで少し迷ったの」

「私、あの人の男性の趣味は受け継がなかったけど、可愛いものが好きな点は受け継いでるから」

「ふうん」

「だから才華くんに会わせたら。『ウチの子になりなさい』とか言い出すかも知れない」

「そのあたりは似たもの親子なんだね…」



次の話からは、才華たちの本編へ戻り、2のヒロイン達が登場します。
物語は「承」のパートとなり、新たな出逢いと「小倉朝陽」の賑やかな日々が始まります。
旧世代の奮闘のおかげで訪れた、新世代の穏やかな旅路をお楽しみください。
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