月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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髪は女の子の命ですから by 白い子
そして、九千代でも無理なく抱えられる主人公。どのヒロインよりもこの子が一番軽いかも。
(抱え方は当然、お姫様抱っこ)

10話 裏タイトル 【パル子の心臓は大丈夫だと信じたい】

ぬむむ様、なるみる様、誤字報告いただきありがとうございました。


10話 おかしなきぐるみとトリートメント

 

 「…………ん」

 

 「若、お目覚めの時間です」

 

 「………このちよ…?」

 

 「はい、九千代です。おはようございます」

 

 「……ん、んぅ…… おはよう……?」

 

 「大丈夫ですか? 起き上がれますか?」

 

 ……いつもとちがい、なんだか頭がおもたい感じがする。

 

 …………おかしいな、どうして九千代が僕を起こしに来ているんだろう。エスト・ギャラッハ・アーノッツさんの使用人になるための訓練の一環で、自力で起きれるように、起床の伺いはいらないと言っていたのに。

 

 いや、そもそも僕は眠りが浅いから、寝坊すること自体が少ない。よほどのことがない限り、九千代や壱与が僕の部屋に起こしに来ることはないはず。

 

 ――ということは

 

 

 「え……と、あれ、寝具が湿っぽい?」

 

 「寝汗をたくさん掻かれたようですね。直ぐに交換いたします。身体のご調子がよろしくなければ、客間のベッドでシーツ交換が終わるまでお休みしていてください」

 

 よほどのこと、があったということになる。

 

 「……もしかして、夜中に?」

 

 「はい、軽めの発作を起こされておりました。八十島さんが若に発作用のお薬と薬湯を飲ませたことは、覚えておられますか?」

 

 「……ん、覚えてない」

 

 「さようでしたか、でしたらどうかご無理をなされないで、具合が悪ければわたしが客間までお運び致します」

 

 え、壱与なら僕を軽々と抱えられるだろうけど、九千代にも出来るの? いやもしかしたら出来るのかな。仕事で重いもの運ぶこともあるし、僕よりはずっと力あるのかも。

 

 「流石に、そこまで不調じゃないよ。自分で起き上がれる……… ごめん、やっぱり起こしてもらっていい?」

 

 「はい! ただいま!」

 

 思ったよりも消耗しているらしい。九千代も元気よく僕を抱えてベッドから下ろしてくれた。お父様には何度もこうされたけど、2人目の妹のように思ってる九千代に頼むのは、やはりどこか恥ずかしい。

 

 

 「……ちゃんと着替えないとダメだね」

 

 「はい、ネグリジェのままだと間違いなく肌寒いですから。特に若の寝巻きは肌ざわり重視で選んだシルクのものですので、防寒性は無いに等しいです」

 

 僕が寝巻きに使用しているのは、基本的にシルク製。肌が弱い僕やお母様は、どうしても肌に優しい素材を選びがち。

 

 でも、お母様は絶対にネグリジェやナイトガウンの方が似合うのに、頑なにパジャマを愛用する。本人曰く「ヒラヒラして動きづらい」とのこと。それでもデザイナーですか貴女は。

 

 けれど、僕やお母様はどうしても日が落ちてからの方が活動的になりがちなので、お母様がパジャマを選ぶ気持ちも分かる。

 

 僕の方はといえば、お父様の勧めで「少しでも蒸れないように」と、通気性のよいナイトガウンやネグリジェを着ている。事実この方が僕には合う。

 

 ネグリジェは男女兼用の衣装だし、メンズのネグリジェもきちんと売ってる。だから別に女性用の衣装を着ていたという実感はない。

 

 

 「NYの家では、割とこの姿のまま家の中を歩いていたけどね」

 

 「そんなだから、お客様の前で恥を掻くことなったんでしょう? 若」

 

 「ああ、そんなこともあったね」

 

 あれはどなただったか。たしか両親の友人の花ノ宮瑞穂さん。そういえばあの方、お父様が僕のお願いで髪を伸ばすようになったあと、異性の友人というには距離が近すぎるほどお父様にべったりだった記憶がある。そしてそれをお母様が呆れた瞳で見ていた。

 

 なんだろう、端から見れば浮気現場とも勘違いされようものなのに、そんな雰囲気も気配も全くなかった。それに瑞穂さんも、もっと前はお父様と普通の距離で話されていたように思う。なにかあったのだろうか。

 

 僕がネグリジェ姿のまま彼女と遭遇してしまったことがあり、そのときは「もし男性に見られるようなことがあったらどうするの?」と怒られた。

 

 男性に見られるもなにも、僕は男性なんだから、どうもしないと思うんだけど、とりあえずそのときは迫力に負けて頷いておいた。不思議な人だ。

 

 お父様の昔話の中でも、瑞穂さんはあくまで仲の良い友人だったと思うのだけど、僕には話していない何かがあるのかな。

 

 

 「朝食の用意は、してありますが……」

 

 不可思議な過去の記憶を思い起こしていると、九千代が遠慮がちに聞いてくる。うーん、この問題はそろそろ解消しないといけないなぁ。

 

 「前から言っているけど、僕の分は作らなくていいよ。食べるか食べないかも分からない分を、毎回料理しても材料がもったいない」

 

 僕は食が細い。その上朝は特に食欲がないので、壱与にはすごく申し訳ないけれど、多くの場合は完食できない。足りない分の栄養は、薬湯(すごく苦い)か栄養ゼリー(すごく不味い)で補うことが多い。

 

 

 「そのあたりは八十島さんも心得たものです。若が残される分を見越して、食事量を調節されているみたいですから」

 

 え? ということは、壱与は前夜の僕の様子から、翌朝の食事量を想定して、量を変更してるってこと?何それすごい。

 

 確かに完食はできないとは言え、残す量はいつもごく少量だった。言われてみれば毎回量が違ったけど、あれは単なるメニューの違いじゃなくて、壱与がきちんと僕の体調を把握したものだったんだ。

 

 壱与は優秀な使用人だとはお父様からもお母様からも聞いていたし、僕自身ずっとそう思っていたけど、改めて凄さを実感した。

 

 「じゃあ、今日のメニューは?」

 

 「野菜のコンソメスープです。それとホットミルク」

 

 おお、まさに今の僕がギリギリ食べられそうなメニューと分量。本当にすごいな壱与。まさにパーフェクトメイド。

 

 「なら、食堂に行こうかな…… あ、でも、その前に汗を流しておきたいかも」

 

 「わかりました、お供します」

 

 「ん、ありがと」

 

 NYにいた頃一度浴場で倒れて以来、僕は一人で浴場に行かないことをお父様に指示、というよりお願いされた。とはいえ、これから使用人の立場になるし、お父様もこの場にいないので、一人で向かっても良いのだけど、どうにも今朝は身体が重たい。

 

 うん、ここは万が一に備えた方が良いだろう。九千代もそう判断して、同行を申し出てくれたんだろうし。

 

 

 そんなこんなで桜屋敷大浴場。お父様は大のお風呂好きだけど、僕は別段そういうわけじゃない。むろん、嫌いではないけど。

 

 それに、こうして寝汗を掻いてしまった翌朝に、さっぱりする事は割と好きだった。

 

 湯船には入らず、椅子に座った状態で九千代にシャワーで汗と汚れを流してもらう。

 

 「はぁ…… 若のお肌は、本当にスベスベですねぇ……」

 

 「普段の不養生を考えれば、もっと荒れていてもおかしくないけれどね。そこはお父様が手配してくれたケア用品のおかげかな。あと、背が伸びない分、肌は子供っぽいのかも」

 

 「奥様に似たんですよ。奥様もすごく肌がお綺麗ですから」

 

 それも、お父様の弛まぬケアの賜物だろうなぁ。いや、お母様の場合は八千代かもしれない。

 

 「でもまぁ、綺麗な分には、いいかな。褒められて悪い気はしないし」

 

 「手足もスラっとして…… 若のお体は芸術品です!」

 

 「あ、ありがとう」

 

 こういう時に力説する九千代には、いつも迫力負けする。まあ好みは人ぞれぞれだし、僕の身体を好きでいてくれるという九千代の存在は、とても癒される。

 

 九千代は素直で裏表がないから、今の言葉もお世辞や気遣いではないことが分かる。だからとても嬉しい。

 

 九千代に汗を流してもらったあと、食堂に行くと、そこにアトレが待っていた。

 

 

 「さぁ、お兄様、私の受験勉強の練習台になってください」

 

 「わぁ、今朝は至れり尽くせりだね」

 

 ヘアトリートメントやヘアオイルを用意して、ブラシを持って待ち構えるは我が妹。この子は来たる美容科の受験に向かって今日も練習中。

 

 「さあさあ、座ってください。この数ヶ月で少しでもお父様に近づこうと鍛えたわたしの技、受けてみてください」

 

 格闘技じゃないんだから。と思いながら妹に髪を乾かしてもらい、漉かされ、整えられる、ああ、気持ちがいい。

 

 僕が髪を整えてもらっている最中、九千代は傍で控えて僕たち兄妹の様子を黙って見守ってくれていた。こういうところはやっぱり彼女はきちんと従者で、しっかり者だ。

 

 「うん、上手になったねアトレ」

 

 「お父様と比べるといかがです?」

 

 「こういうことは、家族間で比べるものじゃないと思うんだ」

 

 「いえ、大事なことですので」

 

 なにやらお父様に対して対抗心を燃やす妹。反抗期だろうか。

 

 

 「残念ながら、まだお父様に軍配があがるかな。とはいえ、お父様も専門的に学ばれたわけでもないし、時間をかければきっと超えられるよ」

 

 「どうでしょうか。お父様は何事も一流にこなす方な上、長年お兄様の御髪を整えられてきた実績がありますから」

 

 あれあれ、本格的に反抗期かな? まあ一般的に娘が父親に対して反抗期になるのはおかしいことじゃないけど。その原因が兄の髪、ということを除けば。

 

 「じゃあお父様に届くまで本気で頑張らないとね。さ、今度は僕がアトレの髪を整えてあげる」

 

 「よろしくお願いします。あ、でも先にお食事をとられた方が」

 

 「アトレ優先。実のところ、あんまり食欲もないしね……」

 

 「もう、いけませんよ。朝食はきちんと召し上がらないと」

 

 「あはは、たしかに壱与にも申し訳ないね」

 

 アトレが本格的に美容科に行くために勉強し、僕の髪の手入れを申し出てからは、兄妹で互いに髪を整え合うことが、日課になっている。

 

 正直、アトレが美容科を志してくれて良かった、こういうきっかけでもないと、僕は踏み込めなかったから。

 

 

 「でもアトレが練習と称して、九千代や壱与の髪までやってしまうものだから、僕の楽しみが少なくなっちゃったよ」

 

 「それは、ご容赦ください。わたしだって浪人したくはありませんから」

 

 「それもそうだね。でもアトレの髪をいじってると、髪質がお父様そっくりだから、アメリカにいた時みたいな気持ちになる」

 

 「もう、わたしはお父様の代わりじゃありませんよ」

 

 あ、珍しくアトレが拗ねた。こういう年相応の反応をしてくれると嬉しい、いつもはしっかりもので隙を見せない妹だから。

 

 でも案外、お父様とお母様も今の僕たちのようなやり取りをしていそうだ。その場合、拗ねるのはお母様かな。あんまりあの人が拗ねる姿を想像できないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ごちそうさま、おいしかったよ壱与」

 

 「お粗末さまです。ちゃんと食べてくださって嬉しいわ」

 

 

 壱与が作ってくれた朝食を頂き、さあ今日もメイド修行&服飾勉強と思っていたが、当のメイド先生2人によって、あと1時間は体調の様子を見ておきたいと言われ、手持ち無沙汰になってしまった。

 

 九千代は完全に仕事モードで、僕の健康状態を観察するため、僕の傍を侍している。さすが八千代仕込み、様になる。でもこうなった九千代を話し相手とするには、仕事の邪魔をすることになってしまう。

 

 なので、受験生を捕まえて悪いが、アトレに話し相手になってもらうことにしよう。

 

 

 「昨日って、なにかあったっけ?」

 

 「なにか…… というより、外出されましたよ? ルミねえさまや衣遠伯父様と」

 

 「あ、そうだった……」

 

 「おそらくそれでお疲れになって、夜中に発作を起こされたのでしょうね。そうでしょう? 九千代」

 

 「はい。八十島メイド長もそのようにおっしゃっていました」

 

 ようやく、久しぶりにこんなことになった理由が判明した。

 

 「ああ、言われて思い出した。シャワー浴びて食事もとったというのに、まだ頭に血が巡っていなかったらしい」

 

 「汗は九千代に?」

 

 「うん、そうだけど? ね? 九千代」

 

 「はい。いつもどおりですが、なにか問題ありましたでしょうか?」

 

 「いえ、まあ私としても、もう日常になってしまって、特に疑問も違和感もないのですが、一応これから学園に通う際には、そうしたところは抑えておこうかと思いまして」

 

 「? 要領を得ないけど、どういうこと」

 

 「例え子供の頃からの使用人とは言え、浴場での世話を異性の同年代にさせる、というのは、やや距離が近すぎるかなと思いました」

 

 「確かに、若のご事情を知らない方から見た場合は、そうなりますね」

 

 妹の指摘に僕はキョトンとした表情になったと思う。でも九千代の言うとおり、言われてみればそうかも。

 

 別に僕に合わせて九千代も服を脱いでいた訳ではなくとも肌着姿で、僕の方はタオル一枚だったわけだし。

 

 「でも急にどうしてそんなことを?」

 

 別段僕と九千代の関係をどうこう言うアトレでもないし、その発想の元はなんだろうか。

 

 

 「お兄様がこれから扮する『小倉朝陽』という女性は、桜小路家に勤めていたことにする予定ですよね」

 

 「そうだね。そのほうが、アトレや九千代との交友の深さを説明しやすいから」

 

 「はい、そして何かの会話のはずみに、ご自身の体験から同年代の異性の浴場での世話をしていた、ということを言ってしまった場合は、誤解をされかねないかな、と危惧しました」

 

 ああ、それは盲点だった。その場合の『同年代の異性』は僕、すなわち桜小路才華になるわけだけど。僕が僕のお世話をするのか、なんか複雑。

 

 「僕は事情が事情だから、九千代に浴場の世話をされることに慣れてるし、屋敷の誰も不思議に思わないけど。事情を知らない人が聞いたら、確かに誤解されるね」

 

 「まあ、そんな話題になることは、めったにないと思いますけど、なんとなく考えてしまったので」

 

 「いや、でも悪くない着眼点だよ。人間どうしたって、自分の経験を元に言動を起こすものだし、そういう場合、自分の常識と一般の常識に齟齬がないかの確認をするのは、大事だと思うから」

 

 「流石ですお嬢様、この山吹、感服しました」

 

 僕は学校に行ったこともないし、ほとんど家から出たこともないから、同年代との常識に差があってもおかしくないというか、きっとあるだろう。この気の利く妹は、それとなくそのことを僕に教えてくれたんだ、ありがとう。

 

 しっかり者な1人目の妹に、2人目の妹も素直に感嘆の声を上げている。でも君も十分しっかり者だよ九千代。

 

 「ありがとう、アトレ」

 

 なので素直にお礼を言う。日本来て良かったことのひとつは、アトレとの距離が縮まったこと。

 

 とはいえ、どうしても今まで避けがちになってしまった妹と、きちんと向き合うにはまだまだ時間がかかりそうだけど。

 

 

 「話を戻しますけれど、、昨夜はなにか特別なことがあったのですか? お兄様がお疲れになるようなことが」

 

 「え、う~ん、特別なにかこれといって……」

 

 体調を崩すようなことをしたのは、むしろ外出1回目の青山霊園の方だと思う。自分でもびっくりするくらいにはしゃいでいたあの日は、けれど翌日には何事もなく健康(僕基準)だった。

 

 それに比べて昨日は、特にはしゃぎ回ったわけでも………あ!

 

 「うん、あった、あったけど、これあんまり直接は関係ない、やっぱり僕の不養生が原因だ」

 

 「いえ、そこまで言われれば気になります。気にならない方が変です。聞かせてください」

 

 「うん、実はね」

 

 

 

 

 ~昨夜のこと~

 

 

 「アトレさんも来ればいいのにね」

 

 「流石に受験生を引っ張り出すのは……ってこの話前にもしたんじゃない?」

 

 「アトレはこれまで専門的に美容関係を学ぶことはなかった。故に万全を期したいのだろう。クク、我が一族として悪くない心構えだ」

 

 「上の伯父様は、本当に毎度芝居がかった言葉遣いをしますね。今まではこんなプライベートな時間で接することなかったから、まさか普段からそうだとは思いませんでしたよ」

 

 え? 伯父様の物言い、格好良いと思うけどなぁ。

 

 「芸術を志す者を自認するからには、表現は過剰だと言われるくらいでいいのだ。一線を引いたとは言え、俺もまた芸術の世界に生きる者」

 

 なるほど、参考になります。だからお母様の表現もわりかし過剰気味だったのですね。

 

 「私にはその手の感性がないので、わかりませんね」

 

 「りそなから、教育は受けているだろう」

 

 「統計的に『こういうものが良いとされている』という判断が出来るのと、心の底から『良い』と感じるのは、全く違うことでしょう? 私は前者はできますが、後者となると養母(はは)に『貴女、わりかし感性死んでますね』と言われるくらいなので。親としてどうなんですかねこの言葉」

 

 「クク、容赦のない妹ですまんな」

 

 なんだか、ルミねえの話の中に出てくる叔母さまと、僕が思い描いていた『大蔵家総裁』のイメージが合わないなあ。僕の記憶だといつも颯爽としていた立派な方だったんだけど。

 

 ちなみに、今日の僕の衣装は白の毛皮フード付きのポンチョ。今回は思い切って白尽くしをコンセプトにしてみた。

 

 ただでさえ白い僕が、真っ白い衣装を見に包んでいるから、とても目立つ。道行く人全員が振り返っているほどに。

 

 あとそれ以外に、ルミねえが僕と腕を組んでいることも目立つ原因だろうけど。いや、以前みたいにはしゃいでその辺歩き回ったりしないよ? 

 

 とはいえ、今回このコーデにした理由は、注目を浴びることに慣れるというものであるから、仕方ない。学校に行けば多くの生徒に珍しがられることだろうから、早めに慣れておかないと。

 

 伯父様同伴の練習期間の内に見知らぬ人たちに見られることくらいは慣れないといけない。道行く人も、声までかけてくるわけでもないし、頑張ろう。

 

 そう思いながらも3人で街を楽しく歩いていたとき、僕の「声はかけられないだろう」という考えが浅はかだったと分からせられる事件は起きた。

 

 

 「あああぁぁあああああぁぁぁあああああぁああ!」

 

 何事? どこかから何かが放った大音量が聞こえてくる。なんだろうこれ、もしかして人の声だろうか。

 

 ふと隣のルミねえを見ると、見惚れるほどに凛々しい顔で周囲を警戒している。組んでいた腕を解き、僕より半歩前に出て臨戦態勢のような姿勢。

 

 あのルミねえ? そこまで警戒するようなことじゃないと思うよ?

 

 見ると音の発生源は見たことのないキャラクターの着ぐるみ?だった、なんらかの呼び込みか、それともパフォーマンスか。あの大声も、そうした演出の一環とかそういうものなんだろうか。それにしても声が大きすぎる気はする。

 

 なんて思ってたんだけど。

 

 「きれいだあああああAHHHHHHHHHHHHHH!」

 

 なにやらこちらに向かって近づきながら叫んでいる。

 

 え? きれい? 綺麗って綺麗のこと? 三国志の袁術配下の将軍の名前じゃないよね? 誰に言ってるんだろう、僕? ルミねえ? もしくは両方? いや衣遠伯父様という可能性も……

 

 だけどそう呑気に思っていられるのも、次の瞬間までだった。

 

 

 「屑が!!!」

 

 すごい勢いで逃げていった。

 

 伯父様の、腹の底まで響くような一喝の直撃を受けた着ぐるみは、脱兎とはかくの如しか、と思わせるような見事な逃げ足で視界から居なくなってしまった。かわいそう。

 

 「あの、伯父様、あそこまでせずとも」

 

 多分、僕かルミねえを褒めてくれたのだと思います。多分ですけど。

 

 「ふん、どんな思惑であろうとも、あのような不審な出で立ちで、我が甥と姪に近づこうなど言語道断。人間としての最低限の礼儀すら弁えんような輩に、かける慈悲はない」

 

 「上の伯父様に賛成ですね。いくら才華くんの美貌に狂わされたとは言え、あんな狂態をさらしながらだと、排除以外の方法がないもの」

 

 ルミねえまで賛成しちゃった。あときぐるみさんが褒めていたのは、ルミねえだった線を僕は捨ててないよ。

 

 

 「あーもー! アイツどこ行ったんだよいったい」 

 

 と、そこへ周囲をキョロキョロと見回しながら、小走りで近づいてくる女性の姿があった。

 

 年齢は僕たちと同年代だろうか。髪を茶に染めた、若者らしいファッションをした女性だ。

 

 もしかして、さっきの着ぐるみの関係者かな? だとしたら一目散に逃げていったことを、教えて上げた方がいいだろう。

 

 そうは思う……けど、あの着ぐるみが逃げた原因は、僕の保護者だからなぁ、どうしたものだろうか。

 

 伯父様に目線を送ると、殊更拒絶の意図は見受けられなかった。ここは僕の裁量に任せるということと解釈しよう、ありがとう伯父様。

 

 

 「あの、もしかして、ちょっとおかしな着ぐるみのキャラクターをお探しですか?」

 

 あのきぐるみに対する率直な印象を言ってしまったが、もしかして失礼だったかな。

 

 「え? あ、はい、って、外国の子? はぁー、いや、まあそうです。おがっしーに似た赤いタコみたいな見た目のやつなんですけど、もしかして見ました?」

 

 女性が僕を見て驚いた表情になった。まあ、僕の見た目は普段から目にするものじゃないから、当然か。

 

 というか、あれはおがっしーって言うんだ。ああいや、似た、ってことは別物か。でも似てるものがあるってことは、日本ではああいうのが流行ってるのかな。とりあえず『おかしなきぐるみ』という表現で、気分を損なわなかったようでよかった。

 

 

 「はい、見ました。見たというかなんというかですが……」

 

 「アレがどっち行ったか、分かります?」

 

 「あちらの方向へ、すごい勢いで走って行きました」

 

 伯父様に怯えて。

 

 「そうですか…… あんにゃろ、何やってんだよ全く! あ、どうもありがとうございました」

 

 「いえいえ、あ、ですが!」

 

 「? なんですか?」

 

 実は、この女性と会ってからずっと気になっていたことがあるのだ。

 

 「急がれているようなので、手短にお話しますけど、ヘアトリートメントを変えたほうが良いです」

 

 「え? は、はい?」

 

 髪の手入れが荒い。髪質自体はいいのに、手入れの粗さで損をしている、すごく勿体無い。もしくはあまり良い洗髪料を使っていないせいもあるかも知れない。

 

 「とりあえず、今夜からはこれを使ってください、少しは変わるはずですから」

 

 ポーチから愛用の携帯用のトリートメントを取り出し、彼女に渡す。僕の髪はちょっとのことでパサパサになりやすいので、外出の際には持つよう、お父様からアドバイスを受けたので携帯している奴だ。

 

 「え、いや、なんで? セールス……じゃなさそうだし……」

 

 「髪は女性の命ですから。それより急がれてるのでは?」

 

 「あ、そうだった! あ、よ、よくわからないけどありがとうございます」

 

 そうして彼女はおがっしー? が消えていった方へと走っていった。

 

 うーん、本来なら彼女の髪をきちんとブラッシングして、毛先を整えたりしたかったけど、初対面の相手に、流石にそんなことはできない。

 

 

 「才華くん、ああいう子が好みなの? 意外」

 

 「あの不届き者の飼い主か。きちんと手綱も握れんとは未熟だな」

 

 「人の好みをどうこういうのは野暮だけど、ちょっといきなり親密すぎなかった?」

 

 「相手が何者かもわからん状態で、迂闊な真似は慎むべきだぞ才華」

 

 2人の当たりがなにやらキツイ、そんなに悪いことはしてないはずだけど。まあ、初対面の女性に、いきなり私物のトリートメント渡したのはやりすぎだった気もする。

 

 けど、髪の手入れが趣味となってしまった僕としては、ああいう磨けば光るのに放置してる髪をみると、考える前に行動してしまった。自分の知らない一面を発見。

 

 その上、ここしばらくはアトレと自分以外の髪を触っていない。NYではお父様とお母様、八千代に九千代と、時間と体調が問題なければ多くの人の髪を整えるのが普通になっていたので、最近はちょっと物足りなかったのだ。

 

 「ですが、悪い人のようには見えませんでしたし……」

 

 「まあ、過ぎたことはいい。またあのような道化が現れては面倒だ。今日のところはそろそろ戻るとしよう」

 

 「私としては、もう少しお淑やかな子となら、許可できるんだけど」

 

 ああ、楽しい外出の時間が終わってしまった。恨みます着ぐるみさん、もう少しマイルドに登場して欲しかったです。あとルミねえはなんで親目線なの。

 

 こうして僕は、やや後ろ髪を引かれながら帰路に着くのだった。

 

 

 

 

 

 

  

 

 「………ということがあったんだけど」

 

 「なるほど、でも今の話の中では、お兄様が体調を崩されるようなことはありませんでしたね」

 

 「あ、うん。その後家に戻って自室で、出会った着ぐるみや女性から得たインスピレーションを基にデザインを描いていたら、いつのまにか深夜1時を回っていて」

 

 もっと言えば、手入れのしがいがある髪を前に逃してしまったフラストレーションをぶつけたというか。あの人、次に会ったら絶対キューティクルにしてやる。

 

 そして没頭してたら眠気が来て、就寝前の薬を飲まないままベッドへ。これはどう考えても僕が悪い。

 

 「夜ふかしはいけませんよ。間先生に、必ず7時間は睡眠をとるよう言われていますのに」

 

 どちらかというと、薬を飲み忘れたことが原因だと思う、でも妹の間では格好つけたいので、言わない。

 

 もっとも伯父様との約束で、薬の服用は毎日記録して送信するよう言われているので、確実に怒られるんだろうなぁ。気が滅入る。

 

 「今後はしないよう気をつけるよ。あ、そうだアトレ、ちょっと君に聞いておきたいことがあったんだ」

 

 このままこの話を続けるのはバツが悪いので、話を変える。

 

 

 「なんでしょうか」

 

 「明日に迫ったアーノッツさんの面接だけど、その時に着ていく服について、どれがいいかな、と」

 

 「どれ、とは?」

 

 「うん、アーノッツさんはアイルランドの貴族だけど、住まいはロンドン。けれどつい最近までNYに住んでいたから」

 

 「それがどうしたのです?」

 

 「どのファッションで行くのが礼儀かな、と。アイルランドの民族衣装に似せて緑系の色の服を着たほうがいいか、それともロンドンガールっぽくチェック柄の服にしたほうがいいのか、ニューヨーカーらしくスタイリッシュなパンツスタイルにした方がいいかな、と悩んでる」

 

 「ああ、なるほど…… さすがお兄様。わたしはフォーマルな格好であれば問題ないとばかり思っていました」

 

 「かといって、あまり媚びるような格好も良くないだろうし。他国人がいきなり自国の色を纏うのは嫌われるだろうし、見慣れてるNY風の方がいいかな」

 

 「どうでしょう? NYのスタイルはどうしてもカジュアル風ですので、あまり面接には合わない気も」

 

 「そこはコーディネート次第できちんとフォーマルに出来るけど、たしかに、相手にしてみれば僕は日本の女性だから、日本の女性はスカート多めなので、そっちのほうがいいかな。よし、ここはロンドンガール風のチェックスカートとボウタイブラウスにしよう」

 

 無難な形だけど、そもそもフォーマルな場で奇抜なのは御法度だ。でもアーノッツさんもデザイナーだし、なにかひと工夫はしておきたいところ。

 

 「よし、カフスの部分だけを淡い緑色に仕上げよう。それくらいなら主張もキツくないし」

 

 もしくは、チェック柄はスカートではなく、羽織るストールで用いたほうがいいかも。スカートは上が白だから紺のフレアスカートにして…… 腰周り分だけ布ベルトをライトグレーにすれば色合いも良さそう。

 

 

 「お決まりになりましたか?」

 

 「うん、だいたい決まった。ありがとうアトレ」

 

 「わたしは何もしていませんよ。最初から答えはお兄様のなかにあったのだと思います」

 

 そうだとしても、人と話すことで明確な形にすることもあるから、大事だったと思う。

 

 「いやなにせ面接なんて初めてだから、自分の意見だけじゃどうもね。さっきアトレが言ってたように、自分の常識と一般の常識の齟齬なんかもあるだろうし」

 

 「石橋を叩いて渡るスタイルですね」

 

 なにしろ僕は対外的な経験が何もないから、経験者に聞くに越したことはない。あとは壱与と九千代にも確認しておこう。特に壱与。壱与は昔お母様と面接したことあるだろうし、問題があれば指摘してくれるだろう。

 

 

 「ではそのスタイルに則って、今日はあまり身体を動かさずに、明日の面接に向けて体調を整えてくださいね」

 

 「とうとうアトレにまで怒られた」

 

 とはいえ、妹の言うとおりだ、人間第一印象が大事なのだから、出来るだけ好印象を持たれなければ。見るからに具合が悪そうな顔を出しでもしたら、確実に面接落ちだろう。それだけは避けねば。

 

 「でもそうするよ。今日は部屋で大人しくしてる。でも面接の準備もしておきたいから、後で壱与と九千代にはいろいろとお願いするだろうけど」

 

 「かしこまりました、若のお好みの時間でお呼び下さい」

 

 「ですが、お嬢様のおっしゃるとおり、今はダメですよ若。午前中はゆっくりと身体を休めて、準備は午後以降になさってください」

 

 これまでずっと控えて、僕の様子を、とくに体調の具合を測ってくれていた九千代と、ちょうど片付けが終わって僕たちの元にやってきた壱与が返答してくれた。2人は、基本的に僕とアトレが話しているときは、会話を振られない限り見守ってくれていることが多い。

 

 それにやはり、彼女たちから見ても今日の僕の体調は思わしくないらしい。

 

 「それには使用人ではないわたしは、お役に立てませんね」

 

 「アトレはお嬢様だもんね」

 

 「あまり自分でそういう自覚はないのですが……」

 

 九千代に言わせれば、『ウチのアトレお嬢様より品の良い令嬢はおりません! 少なくともルミネお嬢様には優っています』らしい。アトレを褒めるのはいいけど、それはルミねえに失礼だよ九千代。まあ、たしかに再会した後のルミねえの言動は、お嬢様としてはいろいろアグレッシヴだけど。

 

 「あ、それなら面接の練習でアーノッツさん役を頼もうかな。彼女もお嬢様だし、アトレが不躾だったり不快に思うような言動をしなければ大丈夫そう」

 

 「ええ!? でも、わたしはお兄様に対してそんな感情は向けられませんよ」

 

 「そこは客観的な判断でいいから。どうかお願い致します、アトレお嬢様」

 

 「もう、急に使用人にならないでください。分かりましたよ」

 

 「よろしいですが、それも午後からですよ、若」

 

 最後に壱与に釘を刺されてしまった。さすが僕の2人目の母。隙がない。

 

 

 こうして今日は、明日の僕の面接のための最後のシミュレーション&休養で終わった。

 

 さあ、次の勝負は明日の面接。まだ見ぬエスト・ギャラッハ・アーノッツさんに気に入られるよう、頑張ろう。

 




 その頃の桜小路家

 「ルナ、壱与から連絡があったよ」

 「ほう、なんて」

 「なんでも、衣遠お兄様が建てられた新しいマンションのコンシェルジェとして勧誘されたので、どうしたらいいものかと」

 「あの義兄、我が家の近くにそんなもの建てていたのか。しかし、まぁいいんじゃないか? そもそもにおいて、いくら私たちの思い出が深い屋敷とは言え、あそこに壱与一人だけ残している今の状況もなんとかしたいとは、思っていたところだ」

 「ただ、壱与としては才華とアトレが来たばかりなのに、ということが引っかかってるみたい」

 「いや、むしろ逆だ。壱与以外の人間が桜屋敷に帰ったのだから、壱与は立派に務めを果たしただろう。我が家の人間があそこに戻るまで、屋敷を守ってくれたのだから。今だからこそ、そのコンシェルジュとやらをやるべきだ」

 「僕としては、信頼できる壱与が才華の側にいてくれたほうが心強いけど」

 「夫、才華はそこまで弱くはないぞ。それに、壱与には壱与の人生がある。あまり我々の都合で縛るべきではない」

 「手厳しいね。でもその通りだ。はは、ありがとう、桜小路ルナは、いつだってこうやって厳しく正しい道を示してくれるから、頼もしい」

 「ふふん、惚れ直したか」

 「ううん、ずっと惚れているから、改めて惚れるようなことはないよ」

 「ぐ、ぬ、もう磁器婚式を終えた相手に言うセリフか、それは。いや私は負けんぞ、私だってずっと君に惚れている。これでイーブンだ、いや、君以上に惚れているから、私の勝ちだな」

 「そこは張り合うところじゃないでしょ。あ、でも壱与が雇用されるのは、一年間という期限付きらしいよ。長年桜屋敷を管理してきた管理者のプロとして、後進を育てて欲しいみたい」

 「なんだあの義兄、壱与をそんな風に都合よく使うとは不届き千万だな」

 「壱与からの希望でもあるみたい。あまり長く桜屋敷を離れたくないんだって」

 「嬉しいことを言ってくれるが、私としてはさっき言ったように、壱与には自由にしてほしいんだが」

 「自由にした結果、残ってくれるんなら、とても有難いし、嬉しいね」

 「もの好きめ。もう好きにしてくれとしか言えないな」

 「それと、ルナにもう一つ聞きたいことあったみたい、僕としてもちょっと気になる質問ではあった」

 「ん? なんだ」

 「壱与の面接の時、どんなところを重点に審査したか、だってさ」

 「あん? なぜそんな大昔のことを? ああ、そうか新しい職場で一応の面接でもあるのか。うーん、改めて聞かれてもすぐには思い出せんな。あの時は君以上の使用人などこの世にいないから、家事が上手ければ採用する気でいたし」

 「あー、そういう事情があったねあの時は」

 「紅葉にしても人並みに服飾技術があればいいと思っていたし、なんというか我ながらすごい適当な判断だったなとは思う」
 
 「それは壱与に言ったら悪いなぁ」

 「パーフェクトメイドだった朝日が悪い。壱与への謝罪も兼ねて、明日一日メイド服で過ごしてくれ」

 「なんの脈絡もない提案しないで。それにこの歳でメイド服は流石に……」

 「頼む」

 「………明日だけだよ?」

 「ああ、私は本当にいい夫を持った。そして久しぶりに恋人に会える、大変に気分がいい」

 「まったくもう」
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